三石初雄:国民学校理数科教育の検討① 53
国民学校理数科教育の検討(1)
教師用書『自然の観察』にみる「自然の観察」内容の考察
石 初
雄
は じ め に
本稿は,国民学校期理数科教育の実際を明らか にするための基礎研究の一端である。国民学校は 1941(昭和16)年4月に発足し,敗戦をはさんで 1947(昭和22)年3月まで存在した。国民学校で は,それまでの教育課程,教育内容・方法,教科 書等の点で大改革がおこなわれた。
大改革にあたっての審議は,1937(昭和12)年 12月に発足した教育審議会でおこなわれた。そこ には,1930年前後に,個人,団体,文部省,陸軍 省等々から提出された教育改革に関する意見が反 映している。本稿に関わっていえば,大正期から 連綿と続けられている低学年理科特設の主張が,
それら教育改革案に影響を与えているばかりでな く,低学年理科特設の可能性と有効性を例示,実 証するものとして教育審議会内でとりあげられて いたのである。
後にみるように,低学年での理科設置は,教育 現場ですでにおこなわれていた「合科教授」が「テ クニック」として国民学校にとり入れられた際に 成立している。そこで「テクニック」としてとり 入れるということはどういうことか,そのような ことは可能なのか,について吟味してみることが 必要だと思われる。
本稿では,現場でおこなわれていた低学年理科 の実践がどのようにとり込まれているのかを,低 学年理科教師用教科書『自然の観察』の分析を手 がかりに考察を加えていきたい。
1 国民学校の教科編成にみる「統合」と理数 科
1) 「皇国民タル資質」を核にした「統合」
国民学校の目的は,「皇国ノ道二則リテ初等普通 教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲナス」(国民学校令 第1条)こととされていた。この目的は当然国民 学校の教育課程編成にも貫ぬかれようとしていた。
つまり,従来の教育が「自由主義的な個人主義的 な思想」にたっていること,「知的抽象的に堕する 弊」のあったことを改め,「我が国の国体の淵源せ
し
る教育の精神を徹底し,一切の教育を皇国の道の
ロ ヨ
修練に統合帰一せしめること」(傍点は原文のま ま)が国民学校の発足にあたって期待されてい
くりた。
理数科は,この目的を達成する上での「理知的 な方面の修練を組織化したもの」(「自然の観察』
ならびに「初等科理科』の「総説」)として位置づ けられ,それまでの算術と理科を「統合帰一」し たものとされた。しかし,この「統合帰一」にあ たって疑問がなかったわけではなかった。理数科 教科書編集主任であった塩野直道は,当時のこと くのを次のように回想している。
「理科と算数と一しょにした理数科から,皇 国の道へと帰一されるというのは,どうすると いうことなのか。まさか酸素一容と水素二容と から水ができるということから忠孝を引っぱり 出せというのではあるまいが,その辺がさっぱ りわからない。」
塩野はこのまま「わからない」でおし通したの ではなく,教科は「皇国民タル資質」の様々な「相」
の現われであるという「一源同体異相論」を展開
した。
塩野は,「今までの算術・理科を統合して理数科 としこれを皇国民の道に帰一させるなどというか ら,わけがわからなくなる。皇国の道一日本人 の生きて行く道一を修めさせるという根源から 分節すると考えればなんでもない。」と述べ,その 結果として算数,理科は今までのものと必ずしも 一致するものとは限らない,という。
この主張は,桑木来吉(国民学校理科図書監修 官・化学担当)が「よく地方に於て,植物で桜の 花を調べたり動物を解剖したりして,それが皇国 の道に寄与することになるかというような質問を
て う
よくされる」と報告しているような疑問に答えよ うとするものであった。塩野は,この種の問題に 対しては,「『3+5=8,2H2+02=2H20から どうして忠義が出てくるか』などと,疑いを発し ておられる人があった。筆者は,これに対して『3
+5=8も2H2+02=2H20も皇国民たるための 必要だから教えるだけの話で,逆に考えてはいけ く ラない」と説明」していた。塩野は「皇国民錬成」
に必要な学力の問題としてとられていたのである。
塩野の主張していたことは,国民学校の教科区 分の説明に明確に表現されていた。文部省の説明 では教科とは,その「区分が学問上の分類ではな
くて,教育の目的からみた区分」によるものとさ くの
れていた。「教育の目的からみた区分」とは,「大 国民たるに必須なる資質」の何を担うのかによる 区分であった。理数科は,その資質のうちの1つ である「日進の科学に対する一通りの認識を有し,
生活を数理的科学的に処理し創造し,よって以て くの国運の発展に貢献しなければならぬ」を担うもの
とされた。
「資質」を問題にしたのは重要なことだった。
しかし,その「資質」の質とその相互関連こそが 問われなければならなかった。
2) 「資質」の充実における 葛藤
前者の「質」という点では,国民学校制度を審 議した教育審議会ですでに2つの点から疑問が出 されていた。
1つは大正期新教育の中でおこなわれていた
「合科教授」をとり入れるか否かという問題であ り,1つは「統合」により学力が低下しないかと いう問題であった。
第1の点に対しては,思想をぬきにしたテクニ ックだけをとり入れるのであれば,とり入れても さしっかえないのではないか,という見解を文部 省はとった。文部省幹事会は,国民学校案が,当 時の新教育の主張にもとづく新学校,たとえば自 由主義教育だとして修身のかわりに「懇談」をお こなっていた自由学園や,カリキュラムや時間割 もなく「興味のままに遊び読書させていた」とい う初期池袋児童の村の教育とはちがうことを,明 らかにしておかなくてはならなかったのである。
くの 見解は次のようなものであった。
「(新教育における『合科教授』と『統合』と は一引用者)凡ソ精神二於テハ違フト考ヘテ 居りマス、ソレデ唯今マデ研究サレタ合科ノ『テ
クニック』其ノ『メソード』ト云フモノが皇民 科(後の国民科一引用者〉ヲ考ヘル時二何等 力役二立ツカト何人モ思ヒ浮べルノデアリマス ガ,併シ其ノ『テクニック』モ全ク自由主義的 ナ,殊二教育主義ト云フコトニ傾イタ『テクニ ック』デアリマスレバ是ハ最早意味ヲ為サナイ ト言ツテ良イト思フノデアリマス……(中略)
一其ノ精神(『皇民意識』一引用者)サへ実 現出来レバアトノ『テクニック』ノ問題ハ十分 研究シテ行ケバ宜シイシ,最小限度二於テ,教 科書ヲドウ作ルカト云ヘバ私ハ如何様デモ出来 ル方法ハアラウト思ヒマス……。」
これは,教科編成にあたって,「合科教授」の精 神,思想を除き,教科内容を教科書で規制し,「自 由主義的」「教育主義的」でない「テクニック」だ けを生かせばよいのではないか,という趣旨であ った。審議は,これを是認する方向で進んだ。
第2の学力低下に対する危惧は次の三国谷三四 ラ
郎に代表される意見に示されていた。
「仮二算数教材,理科教材ヲ自然科ノ中二一 緒二致シマシタ所デ,算術ハ算術トシテ数理的 二教ヘマセヌト,林檎が幾ラアル梨が幾ラアル ト云フヤウナ数ヲ数ヘルコトヲ教ヘルコトハ出 来ルカモ知レヌガ,ソレ以上進ンダ,教育,例 ヘバ植物ヲ教ヘル時二算術ヲドウシテ教ヘルカ,
化学ヲ教ヘル時二算術ヲドウ教ヘルカ斯ウ云フ コトハ一寸困難デハナイカ……。」
これは,国民学校制度案を提出した文部省に対 する反論としてなされたのではない。しかし,こ の三国谷の発言の意図するところは,「統合帰一」
による教科編成で学力低下がおこり,そのことに よって,「日進の科学に対する一通りの認識」に欠 け,ひいては「生活を数理的科学的に処理し創造」
することが出来なくなるのではないかという危惧 の表明であった。この危惧に対しては,教科(理 数科)の中に理科と算数の科目を別置し,教科書
を別々につくることで応えようとしたのである。
3) 「郷土教育」での「合科」との相違 第2の点,教科に期待された「資質」のそれぞ
れの関係についてはどうであったのか。
教科の「統合」という課題は,国民学校期の教 科編成以前にも意識され,試みられている。それ は,たとえば1930年前後の「郷土教育」の主張や ほぼ同期に数多く提出されていた教育改革諸案の 中にみられる。
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文部省が奨励した「郷土教育」にみられる統合 は,教材としての郷土を日本歴史,地理,理科等 の各教科からとりあげるものだった。「郷土教育」
でいう「綜合教授」は,従来の教育が個々の知識 を注入し,「徒らに抽象的観念的に流れ具体性に欠 けていた。」という理由から奨励されたものであっ
た。
国民学校での教科編成は,この理由を是とした 上で,「統合帰一」は「皇国民錬成」という最上位 の原理によりおこなわれた。
国民学校理数科では,「日進の科学に対する一通 りの認識を有」することをめざし,限定つきの「合 理創造の精神」「科学的精神」「数理思想」であっ ても「ものごとの『すじみち』『ことわり』を見出 す」ことをかかげていた。他方国民科国史では,
「一貫セル肇国ノ精神ヲ具体的二感得把握セシム ルコト」(国民学校令第5条)を強調していた。し たがって,次に引用する内容から予想できるよう に,理科と国史の「統合」は認められるものでは なかった。
「川ノ砂ハドウシテデキタモノダラウカ。ネ ンドが少イノハナゼダロウ。/砂や石ノ粉ヲモ ツトコマカニツブシテ,ネンドノヤウナモノガ デキルカドウカ,タメシテミヨウ。」(『初等科理 科 三」
遠い遠い神代の昔,伊#諾尊・伊弊再尊は,
山川の眺めも美しい八つの島をお生みになりま した。」(『初等科国史 上』
「郷土教育」の主張の中では,〔修身・国語〕の
「統合」とともに〔国史・地理・理科・算術〕間の
「統合」が考えられていたが,国民学校では,理科 と国史との「統合」はなく,〔修身・国語・国史・
地理〕問ならびに〔理科・算数〕の「統合」が実 施されたのであった。つまり,1「郷土教育」では,
対象を学ぶ上での「統合」であったが,国民学校 では「皇国民の道」を学ぶ上での「統合」であっ た。国民学校でおこなわれた「皇国民の道」のた めの「統合」は,理科と国史との乖離を前提とし なくてはならなかったのである。
これまでみた議論を経て,国民学校では教科を 次のように「統合」した。
国民科(修身,国語,国史,地理)
理数科(理科,算数)
体錬科(武道,体操)
芸能科(音楽,習字,図画,工作,裁縫(女子))
国民学校高等科には,実業科(農業,工業,商 業,水産)を課している。
このように理科と算数との「統合」が承認され た。したがって,尋常小学校1年生からおこなわ れていた算術と4年生以上でしかおこなわれてい なかった理科とが「統合」されることになり,理 科が1年生からも設置されることになった。「テク ニック」として「統合」を認めるものではあった が,ここに低学年理科が実現したのである。その 低学年理科で使用されることになった『自然の観 察』は,国民学校制度発足にともなう大改革論議 の中でその必要性が確かめられ,新たな期待のも
とに作成されたのである。
2 理数科理科の「目的」と科目構成 1) 理数科理科の「目的」
次に,理数科の構成ならびに理科の「目的」に ついてみておきたい◎
理数科は先の「大国民たるに必須なる資質」の 一相を担うものとして設けられた。その目的は次 のように規定されている。
理数科ハ通常ノ事物現象ヲ正確二考察シ処理 け
スルノ能ヲ得シメ之ヲ生活上ノ実践二導キ合理
の の
創造ノ精神ヲ涵養シ国運ノ発展二貢献スルノ素 つ
地二培フヲ以テ要旨トス
(国民学校令施行規則第7条)
この目的規定で気のつくことは,第1に1)2)〜)
の内容は,「国運ノ発展二貢献スルノ素地二培フ」
ためのものであって,目的というよりも,その手 段,方法としての性格を強くもっていること,第
2には,それ以前の「理科ハ通常ノ天然物及自然 ノ現象二関スル知識ノー班ヲ得シメ其ノ相互及人 生二対スル関係ノ大要ヲ理会セシメ兼テ観察ヲ精 密ニシ自然ヲ愛スルノ心ヲ養フヲ以テ要旨トス」
(小学校令施行規則第7条)と比較すると知識,事 実を学ぶというよりも,思考,処理を重視してい るということ,第3には,「合理創造ノ精神」の養 成が掲げられているという点である。
第1の点は,「皇国民の道」への「統合帰一」で あったという点から考えれば当然のことといえよ う。第2,第3の点は,それ以前の小学校令には みられない点であった。この新しい内容について てのの説明は,次のようなものである。
(ア)理数科に於ける教材中,数・量・図形を 中心として教材を組織系統付けた科目を理数科 算数と呼ぶことにした。
ω 自然に親しませ自然界の事物現象に対す る考察,処理の初歩を指導し,科学的精神の萌 芽を養成し,尚植物の栽培,動物の飼育をなさ しめる為初等科低学年より理数科理科を課する こととした。
(ア)では,数・量・図形を自然あるいは自然現象 から見いだすという「数理思想」の強調がなされ,
それにもとづく理数科算数の内容が示されている。
「数理思想」とは,「数理を愛し,数理を追求把握 して喜びを感ずる心を基調とし,事象の中の数理 を見出し,事象を数理的に考察し,数理的な行動 の
をしょうとする精神的態度」であり,理科での
「科学的精神」と対になって「合理創造ノ精神」を 成すものとされていた。
また,(イ)の理科では,「考察・処理の初歩」を養 うとともに「科学的精神」の養成をあげている。
前者の「考察」は,後に具体的に検討する「自 然の観察」であり,「処理」とは,採集,飼育栽 培,観測調査,実験,測定,記録,統計,標本,
模型の作成,機械器具の分解組立・取扱い・運転 等をさし,いずれも対象にむかって子どもたちが 働きかけることを前提とするものであった。この
「考察・処理」については国民学校令施行規則第9 条で念をおすようにふれている。その「教授方針」
にあたる部分の説明によると,①それまでの「抽 象的観念的に流れ具体性に乏しい」教育ではなく,
「理数科理科は自然を直接に観察し体験を通して 具体的にして,確実な知識を得」させ,「自然より 直接学ぶ」態度を養成すること,②そのためには,
「国民生活に須要なる普通の知識技能」を教育内容 とし,児童の興味を喚起するものを選ぶべきであ るということから,玩具や模型の工作,栽培,飼 育を行うことを重視している。これらの点が再整 理されたものが,後にみるような「『自然の観察』
の設立趣旨」である。
ところで後者の「科学的精神」の養成も理科の 目的に新たにとり入れられたものである。「科学的 精神」とは,「自然のありのままの姿をつかみ,自 然の理法を見出し,弁へ,これに循ひ,更に新な るものを創造せんとする精神」であり,その土台 として,①「自然に親しむ心,自然と和する心」
と②「正しく,くはしく,明らかにものごとを考 察し処理する精神的態度」,③「常に工夫をめぐら して,よりよいものを生み出そうとする精神的態 く り度」の存在が想定されていた 。
しかし,この「科学的精神」は小倉金之助らの 主張とは無関係なものではないにしても,同じも のではなかった。小倉は,「科学的精神」の内容と
して,合理的精神,実証的精神,批判的精神をあ ロのげていた。国民学校理科では,とりわけ批判的精
神は希薄であった。そのことは,たとえば次のよ うな制限つきの自然観にもあらわれていた。
「理数科理科の特色を発揮せずして,徒らに 自然に対する敬虔の念を説き,大自然の不可思 議を説明するが如きは真に自然の妙趣と恩恵と を感得せしむる所以ではない。」
ここでは,「自然の妙趣と恩恵とを感得」できう る限りで,「真理愛好の精神」が謳われ,「自然に 驚異の眼をみはる」(「『自然の観察」設定の理由)
ことが認められていたのである。
このように,国民学校理科の目的に新たな内容 が盛り込まれる際に,民間の教育実践・研究の成 果が修正されながらとり込まれていることが予想 できるが,同じようなことが,国民学校理科の教 育内容・方法,教科書にも予想できるのである。
2) 理数科理科の小階梯
これまでみた理科の目的を遂行するために,表 1のような理数科理科としての8年間を通した教 科課程がつくられた。そこでは,「児童心身の発達 に留意」した結果として,国民学校初等科,高等 科を通して4つの小階梯に分けている。この小階 梯は,初等科1・2学年(第1期),3学年(第2 期),4〜6学年(第3期),高等科(第4期)と なっている。低学年理科が特設された1・2学年 では,算数と理科とを合わせて5時間の授業時数 をとっている。理数科合わせて5時間としたこと により,野山で半日以上過ごす「自然の観察」(年 に6〜7回)をおこなうことが可能になったのは,
みのがせない。
ところで,この小階梯は,「綜合的」な内容から 次第に「分化的」なものに進むという方針にそう
ものであった。
第1期は,「家庭の未分化な生活から学校の分科 的教授に移行する過渡期」「自他未分化」な時期で あり,第2期は,第3期への移行を「円滑ならし めるように指導」する時期であるとされている。
第3期は,「多少分析的に考えることができるよう になる」ので,教材の配列をやや系統的にすると ともに,「正確な考察,的確な処理の基礎」の確立 と「基礎的知識」「基礎的技能」の体得を目標と
三石初雄:国民学校理数科教育の検討(1} 57
表1教科課程表(理数科部分)
(高等科2年間分は省略した)
時 間 数週間縄授業
23
25
27
31
33
33 理数科 理科
5
︵自然の観察︶自然の観察
5
︵同 上︶同 上
1
︵同 上︶同 上
2
︵初等科理科︶理科一般
2
︵同 上︶同 上
2
︵同 上︶同 上
算数 ︵カズノホン︶算数一般︵同 上︶同 上
5
︵初等科算数︶算数一般
5
︵同 上︶同 上
5
︵同 上︶同 上
5
︵同 上︶同 上
教 科科目 時数 ︵教科書名︶内 容時数 ︵教科書名︶内 容時数 ︵教科書名︶内 容時数 ︵教科書名︶内 容時数 ︵教科書名︶内 容時数 ︵教科書名︶内 容
第 1 学 年第 2 学 年第 3 学 年第 4 学 年第 5 学 年第 6 学 年
第
1期
第
2期
第
3期
し,この段階で
「基礎教育の完 結」を期するも のとされていた。
第4期高等科 は,それまでの 基礎的な修練の
「仕上げ」をねら った時期である。
ここでは,「国民
生活に於ける 色々の事象を実 際的に考察する 或は処理する」
ことに重点をお き,実際に即す る技能を修得す ることが期待さ れた。しかし,
1944(昭和19)
年度から予定さ れていた高等科 は実施されない まま敗戦を迎え
た。
ところで,第 1期,第2期の 理科については 後で述べること として,第3期 でも理科と算数 の教科書内容・
教材を比較して みると「統合」
「科学的精神」
「数理思想」の具 体例をみることができる。
一般に,高学年になるにしたがって理科と算数 の教育内容上の独自性は顕著になる。しかし,第
3期の『初等科理科』と『初等科算数』をみると,
現在でいう理科の肩がわりを算数がしているよう にみえる部分がある。
たとえば,重さ,体積,密度という基本的物理 量は『初等科理科』にはなく,『初等科算数』の 二,四,六にそれぞれおかれている。同じように
して,てこ,輪軸,滑車は『初等科算数』七に,
二力の合成,分解及び斜面に働く力や月の満ちか けは『初等科算数』八にとり入れられているので
ある。
これは,「数理思想」を養う上で「いわゆる力学 的なもの倉擦り込まれている」と塩野が述べてい るように, 緑表紙算術教科書「尋常小学算術』を ひき継ぎ,展開させたものである。そして,「生活 の数理的指導からいって,数量に関係ある生活事 実そのもの」をとりあげるという塩野の主張は,
理科と算数がともに国民生活に現れる事物現象及 び自然物,自然現象を対象とし,それへの働きか け(観察,処理)を重視するという理数科の目的 と内容に重なる部分で展開されたとみることがで きよう。このような,算数で「数量に関係ある生 活事実そのもの」をとりあげようという見解は,
今日改めて学ぶべき点ではないだろうか。
3 『自然の観察』にあらわれた連続面と不連 続面
1) 低学年理科特設運動の中の『自然の観察』
国民学校における低学年理科(1〜3年)は,
その内容を「自然ノ事物現象ノ観察トスルコト」
とした。この方針に基づき,教科書の編集が教科 ロの
用図書調査会内の理数科監修官によって進められ た。教科書名は「内容をそのまま使った」ものと 説明されているように,上記方針を略記したとも いえる『自然の観察』であった。とはいえ,国民 学校期の低学年向け教科書は,理科をはじめ,『カ ズノホン』(算数),『ヨイコドモ』(修身),『ヨミ カタ』『よみかた』「コトバノオケイコ』『ことばの おけいこ』(国語),『ウタノホン』『うたのほん』
(音楽),など子どもにもその中味がわかるような 題名をつけていたことは興味深いことである。こ のような子どもたちへの配慮は,理科においては,
児童用書を作成しないというおもいきった試みへ と展開されるのである。つまり,児童用書は,「強 ひて編纂すれば,『自然の観察』を教室に於て,教 科書の上で指導するやうなことに傾き易く,却っ て悪結果を生ずる虞がある」という理由から,作 成されなかった(「総説」35頁)。
そこで,教師用書だけが作成され,その性格は 理数科で特に重要な「実地について学ぶ」ための 低学年理科の「手引」書であり,「指導要領」とさ れた。
『自然の観察』は,1・2が1年生用,3・4
が2年生用,5が3年生用と5冊編集された。年 度初めに使用する奇数冊目には「総説」を付し,
そこで理科ならびに『自然の観察」の解説をおこ なうとともに,各冊の「各説」には具体的な各課 のねらいや指導例等を丁寧に盛り込んでいた。
「総説」では,1.理数科指導の精神,II.理 数科理科指導の精神,IH.「自然の観察」指導の精 神,の3部構成をとっており,低学年理科を考え
る上では,とりわけmが重要となってくる。その 中でも,・3の「『自然の観察』指導の要旨」は,低 学年段階における指導内容がより具体的に示され ている点で注目に値する。それは,「ものごとを正 しく見,正しく考へ,正しく扱って,道理に適つ た,しかも創造的な生活をなし,国運発展の実を 挙げる」ことをねらいにしたもので,要約には,
次のようにある。
(1)自然に親しませ,自然の中で遊ばせつつ,
自然に対する眼を開かせ,考察の初歩を指導 する。
(2)植物の栽培,動物の飼育をさせ,生物愛育 の念を養ふと共に,観察・処理の初歩を指導 する。
(3)玩具の製作をさせ,工夫考察の態度を養ひ,
技能の修練をする。
これらからは,国民学校発足以前の,成蹊小学 校,成城小学校をはじめとする小学校低学年理科 の実践やそれらに支えられた低学年理科特設要求 の直接的間接的影響が何らかの形であったことを 予想させる。
たとえば成城小学校では,その「設立趣意」で
「自然と親しむ教育」の「希望理想」を次のように 述べている。
(1) 「大地の上で出来る限り多くの時間を与へ て自然を相手の教育」をおこない,
(2) 「自然物を愛する性情を養ふ」
(3) 「なるべく児童をして遠き祖先の原始的生 活を繰返すことによって,心身の健全なる発 達を図る」
(4) 「人為的な体操の如きよりも,児童の自然 に愛好する遊戯を重んずる」
このような「希望理想」のもとにおこなわれた 実践では,①季節に則した「お庭の花」「春の野原」
「初夏の水辺」「初夏の気象」等々の課を設け自然 くユ う
の観察をおこない,②玩具を用いた理科授業の中 ロので玩具の教育的価値を明らかにしていた。これら
の内容は,『自然の観察』との連続性を十分予想さ せるものであった。
この他,これまでに成星案小学校栗山重の実践,
あるいは理科教育研究会等での実践研究と『自然 わの観察』との類似点があげられているが,「自然
の観察」は私立学校や師範附属学校あるいは都市 き 部の学校に限られていたのではないようである。
福島県でも,1935年前後から「幼学年理科の指 ロ き導」の研究が精力的に積み重ねられている。1934
年には,福島県理科教育研究会が発足し,1941年 には飯坂国民学校で「自然の観察」についての理 科指導研究会を開いている。県内の理科教育を知 る上で貴重な「理科生物教材継続的観察研究に関 する発表記録集」(1936年から1939年にかけておこ なわれた飯坂小学校での実践を西沢長吉がまとめ たもの)を手がかりに,この点をすこしみてみよ
う。
飯坂小学校では,「低学年継続観察教材配当表」
をつくり,3年生以下の継続観察を次のような要 領で指導していた。
(1)教材は児童の活動性好奇性を満足させるも の及び衛生的教材を選ぶこと。
(2)自然に親しませ,遊びの善導の中に正しい 観察法の指導をなすこと。
(3)部分的断片的ながらも注意深く観察する習 慣をつくること。
(4)観察指導を継続的に計画すること。
ここにも,「自然に親しませる」という主張のも とに,植物を主体にした継続観察指導がおこなわ れている。
こ2躯坂小学校の「配当表」と栗山重の「教授 要目」との比較をすると,少なくとも次の点が指 摘できる。
(1) 「配当表」では,『自然の観察』ほどではな いが総合題目化され,「教授要目」のものより も課数が少ない。
(2) 「配当表」では,「カゲエ」(1年),「温泉 の理科」(2,3年),「温床」(3年)等,独 自教材,地域教材を生かした教材編成を試み ている。
(3) 「配当表」では,「継続観察教材配当表」と あるように,継続観察を中心においている。
(4) 「教授要目」には「自由選題」が入ってい るが,「配当表」にはない。飯坂小学校では同 趣旨のことを授業外での個人研究,自由研究
三石初雄:国民学校理数科教育の検討(1) 59
としておこなっている。
この「配当表」の中の指導教材は,国語教科書 内の「自然物」と「児童の野外生活に於てふれる 一般的生物」から選ばれたものであった。前者に ついては,教師がとれる自由な時間に指導し,後 者については週一回程度から次第に「毎日一観察」
するように指導していた。
このような指導の中で,継続観察に興味をもち 続けるかどうかという教師の心配をよそに,「隣村
中野村から通学の児童が農繁休業中に疲れた身体 を自転車で学校の実習地まで往復三里以上の道を 通って観察を続け」るような実践も生み出された わ
(右図を参照)。
このように,先にみた「「自然の観察』指導の要 旨」(以下,「指導の要旨」と略記)にある内容は,
国民学校発足以前にかなり広範におこなわれてい たと考えられる。
しかし,この「指導の要旨」がよってたつとこ ろの「『自然の観察」の設定の理由」(以下,「設定 の理由」と略記)には,成星実小学校,成城小学校
7
」
7
〃
オモテハイロガコイ Oイロ セマイ 小サイモノハハパガ こ葉ノ長サ十三センチ ササノヤウスウラハスコシシロッ
ボイ︐ココハサヤニ+ッテ
ヰルGパニハミジカイケガア
ル 水ガツカナイタメダ
ハノヘリヲナメタラ
シタヲキッタ 題ササ舟アソビ 五月二十一日尋二中佐藤太平
(観察記録し桜の葉と比較させ笹の葉の平行 脈に気づかせる一『福島県小中学校の理科 教育史』34頁の図を原文をもとに一部修正一
一)
等で行われていた低学年理科の実践及び主張を踏 襲した側面だけではなく,それとは異なった面も 表2 継続観察指導の実際(昭和12年度)
月w年 四月 五月 六月 七月 八月 九月 δ月 二月 三月 一月 二月 三月
サア春 ヒオウ カメシ ホハア ア ホオ秋 運カイ 木姿オ 氷コ カユ タ冬 梅ツ
低 尋 クサノ
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福島県信夫郡飯坂尋常・高等小学校「理科教材継続的観察指導の実際1
強調されているように思われる。
その「説定の理由」は次のようなものだった。
(1)児童は,就学以前から自然に興味をもつ てるる。自然の中で自然と共に遊び,自然に驚 異を感じ自然から色々なことを学びながら,経 験を積み,生命を発展させてるる。又,機械・
器具の利用されている現代に生活している児童 は,これに接して経験を重ね,(中略)これ等か ら色々なことを学び,又工夫する態度も養はれ て来てみるのである。(中略)これに対して何等 の考慮を払はないときは,児童の自然物・製作 物に対する興味の発達を中断することとなり,
将来の発展の支障となるのである。即ち低学年 に於て,このやうな指導をすることは,寧ろ当 然のことといはなくてはならない。
く ラ
(2)〔理科指導の目的を達成するには,自然に 親しみ,自然を愛好し,自然に驚異の眼をみはる 心が養はれなくてはならない。又,自然のありの ままの姿を素直につかまなくてはならない。か やうな修練は,主客の未分化な時期に於ける指 導が極めて重要な意義をもつものである。〕
く き
〔知情意一体となって対象にはたらきかける には,この時期の学習を疎かにしては,殆ど不 可能といってよい。生命愛育の念も,理知の働 きの発達が著しい時期よりも前に,その基礎が 養はれなくてはならない。生活を秩序正しくし,
科学的に処理する躾も,この時期を逸しては,
身につけることが容易ではない。即ち,理数科 理科の目的を最も有効に達成するためには,是 非とも適切な指導をしなくてはならない時期で
ある。〕
この(1)の趣旨は,先にみた成城小学校の「自然 に親しむ教育」の「希望理想」等々に通じるもの であるといえよう。それは,子どもたちの自発性 を尊重し,自然との直接的接触を重視し,子ども たちの好奇心,活動性を生かした工作,遊びをと り入れようとしている点で,いわば,自発的な側 面の承認といえよう。
ところで(2)の設定理由をみてみると,前半部分
(A)と後半部分(B)とがやや異なる言いまわしになっ ていることに気づく。この㈲(B)をさらによくみる と,①(1)にあった玩具づくり玩具遊びに関するこ とがはぶかれていること,②その他の点では,㈲
はほぼ先の「設定理由」の内容であること,また
③㈹と(B)とは対応するような内容になっているの
ではないかと思えてくる。㈹と(B)との対応という のは,a)「自然に親しみ」と「知情意一体」,b)
「自然を愛好し」と「生命愛育の念」,c)「自然の ありのままの姿を素直につかまなくてはならな い」と「生活を秩序正しくし,科学的に処理する 躾」がそれにあたる。
㈲が自発的側面の承認であるのに対して,(B)で は,いわば感性的・心情的側面が強調される一方 他律的側面への傾斜がみられるように思われる。
この点が,『自然の観察』ではどう展開されている のだろうか。次にそれをみてみよう。
2) 『自然の観察』の「総説」にみる感性的,
心情的側面の強調
まず,『自然の観察』の指導例をみてみたい。指 導例をみる上で参考になるのは,先にみた「指導 の要旨」である。指導例は,この「指導の要旨」
のいずれかに重点をおき展開されていた。したが って,前節での「設定の理由」(A),(B)の対応のう
ち,a)と。)については「指導の要旨」の第1 の点,b)については第2の点をそれぞれねらい とした指導例をみることにより考察していきたい。
「指導の要旨」の第1点,つまり「自然に親し ませ,自然の中で遊ばせながら自然をみる眼を育 て考察の初歩を指導する」を主なねらいとしてい る課は,半日あるいはそれ以上の時間をかけ,野 山でおこなう「自然の観察」指導教材(以下,「1 日教材」と略記)である。
「1日教材」は,1学年に多く,「春の野」(4 月),「草花とり」(5月),「麦畠と虫とり」(6 月),「ばったとり」(9月),「とり入れ」(10月),
「もみぢ」(11月),「草つみ」(3月)の各課でおこ なっている。また2学年では,「季節だより」(4 月)と「季節だよりの整理」(2〜3月)にあるよ うに,季節ごとの各々の姿を印象づけるだけでは なく,四季折々に変化する事物,自然現象に気づ かせようとしていた。これらに代表される教材で は,草相模をやったり草笛をつくったり虫とりを する中で,事物にふれ,草ざわり,しなやかさを 知り,事物に関する個々の認識を深める。また,
麦畠・花畠が,6月には水田になり,田植え,稲 刈りをする田にも変わるということを「季節だよ
り」で印象深く受けとる。
ここでは,生物界の形態的取扱いよりも生態的 取扱いが重視され,必ずしも意識的に定められた
ものではなかったが,次のような植物観・動物観
三石初雄:国民学校理数科教育の検討(1} 61
に基づく積極的な観察視点がとりこまれることに
なった。
植物についていえば,①遊びや作業を通して,
根・茎・葉に注目させる,②死んだような種から 芽が出たり,③蒔いた種から芽が伸び,花が咲き,
実を結んで,その実から蒔いた時と同じような種 がとれるという経験を尊重する(以上1・2学 年),④カボチャの種から花へ,そしてその一生を 継続観察させ,⑤それを整理したものを前年と比 較観察させる(以上3学年),という指導例に端的 にあらわれていた。また動物については,①どん な所に生活し,②何をえさとし,③そのまわりに どんな生き物がいるのか等を知った上で,④飼い 方を考えさせようとしていた(以上1・2学年),
さらに,⑤草花や作物の葉が虫にくわれていたり,
⑥そばに虫のふんが落ちていればどんな虫がいる のかを探させる(以上3学年)という指導に,そ の典型をみることができる。このような根・茎・
葉や種・花に着目させようとした植物観察観,あ るいはどこに住み,何がえさなのかを探させ,ふ んから虫を探させようとする動物観察観は,『自然 の観察』によって自然認識を指導しようとする時,
積極的な役割を果しうるものであったといえよう。
このようにみてみると,「各説」の指導例では問 題にしょうとしていた「設定の理由」㈲(B)の対応 のうちa)b)は,どちらかといえば,(A)の趣旨 に近いものであったといえよう。
ところで,このような自然観察指導を進める上 で,次のような観察上の留意点が「総説」で付さ れていたことをみのがすわけにはいかない。
(D 感覚的直感を根基とする
234﹃D6
全体的直覚的な把握をする動態の観察 静態の観察 比較観察の初歩
変化するものの継続観察
この中の(3)〜(6)は観察方法であるが,(1×2)は低 学年で観察をおこなう上で一貫して立脚すべき視 点であった。この「感覚的直感」「全体的直覚的」
観察の例として,「赤いきれいな花だ」「生き生き とした芽生えだ」をそれぞれあげている。この例 からみてわかるように観察指導は分析的ではなく,
対象に対しての感性的,心情的印象が強調されて いる。理数科理科全体の指導にあたって強調して いたのは,「自然を冷やかに解剖し,これを征服す
る」ような分析的観察をさけ,自然の神秘をさぐ るものではあっても,「全体的関連の理解」に先ん ずることなく,また「自然を愛好する心」に基づ かなくてはならないということであった(「総説」
20頁)。理知に偏ることを戒める一方で「自然を愛 好する心」を強調する「全体的直覚的」観察の主 張は,いきおい理知を軽視し,「情意」を重視した 主張になりがちであった。そうであれば「設定の 理由」(2)の(B)で,「生命愛育の念」は,理知の働き が著しくなる前にその基礎を養わなければならな いとしたのも納得できよう。つまり,観察におけ る「知情意一体」の主張は,「総説」では「情意」
重視の主張であり,その内容として「生命愛育の 念」の養成が想定されていたのである。
このような把握をした上で,先の「設定の理由」
㈹(B)の対応のa)をみてみると,「総説」では(B)の 見解をとっていたということになろう。
それでは,対応。)について「総説」ではどち らの見解をとっていたのであろうか。
「総説」の説明によれば,「自然のありのままの 姿を素直につか」むということは,「自然の理法を 見出し,弁へ,これに循ひ」ということであった
(17頁)。この自然の「理法」にしたがうというこ とは,次のような論述により「全一的な皇国の道」
の にしたがうものであるとされていた。
理科で追究する「理法」は自然の「すぢみち」
であり,この「すぢみち」にあっているものが 「自然の秩序」である。理科の指導は「自然の秩 序」をみいだし,この秩序を生活の上に再現す ることである。理科でいう「すぢみち」は,生 活全体をつらぬく「すぢみち」と別のものでは ない。したがって,理科における「すぢみち」
にしたがうよう指導することは,全一的な「皇 国の道」にしたがった秩序ある生活を営むよう にすることである。
こうみてくると,「自然のありのままの姿を素直 につか」むということは,自然の「すぢみち」,ひ いては社会の「すぢみち」にしたがい,生活を秩 序正しくするということになる。したがって先に みようとした対応。)の点でいえば,「総説」で は,(B)の見解をとっていたことになる。
以上のことからすると,対応a)c)では,『自 然の観察』の「総説」で(B),「各説」で(A)の趣旨を 展開していたということになろう。
そこで,次に「指導の要旨」第2の点,「生命愛
育の念」を養うことを主なねらいにした栽培・飼 育教材をみてみよう。
栽培・飼育は,まず,校庭での指導から始まる。
「一日教材」と同じように,ここでも児童に実物の 一部をもってくるのではなく,実物のところへ出 かけていって見させ,さわらせ,遊ばせることを 基本としていた。
栽培教材では,「種は見たところ生きてみるとは 思へないが,土に蒔くとやがて芽生えて,すくす
くと伸びる」(1年「春の種まき」),「春蒔いたら 芽が伸び,花が咲き,実を結んで,その実の中か ら,また蒔いたのと同じやうな種が出て来る」(2 年「春の種まき」)というような,自然の営みに興 味をもたせる指導をめざしていた。
また,動物飼育でも,まずウサギを校庭に出し て,餌をやり,抱いたり撫でたり運動させたりし て親しませる。そのことによって,体の格好,餌 の食べ方,歩き方,はね方,ひげの動かし方,赤 い目の美しさ,毛の柔かさ,体のあたたかみなど を,「おのづから」わかるよう指導することがめざ されていた。
ところで,自然から直に学ぶという点では,野 山で行う「1日教材」と同じであったが,栽培・
飼育教材では,独自に「生命愛育の念」を養うこ とが1つの目的としてあげられている。そこで上 にあげた「春の種まき」を例にとって,「生命愛育 の念」養成のための指導例をみてみよう。
「種を蒔いたり,育てたりさせるときに,単 に蒔き方や育て方を覚えさせることに終っては ならない。種がみごとに芽を出し,丈夫に育つ やうに願ふ心で蒔き方を工夫するやうに導くの である」(2年「春の種まき」)
この「生命愛育の念」養成教材で共通している 点は,一方で個々の事実認識の獲得に対して自粛 的である反面,「どうしたら喜ぶだろう」「かはい さうだから……してあげよう」等々の「願ふ心」,
つまり対象と自分とを同一視する「思考」を重視 していることである。このような親方,考え方が 生物に限らず,一般の物にまで及ぶことを期待し,
いわば「主容未分化」な観察,思考を敷衍しよう としたのである。
ここでは,若竹をなぎたおし,カエルをおもち ゃにし,虫とりにあけくれる子どもたちの姿は必 ずしも描かれていない。しかし,「設定の理由」(1)
でいうように,子どもたちは自然の中で自然と共
に遊び,自然に驚異を感じ,自然から色々なこと を学びながら経験をつみ,成長していくものであ る。ところで栽培,飼育教材では自然の不思議さ をいたずらに強調したり,むやみに細かい観察を させることを戒めながら,暗に個々の事物・現象 についての知識獲得に対する自粛を求める指導と なっている。したがって,対応b)では㈲の自発 的側面は肯定的には扱われているとはいえない。
以上,簡単に『自然の観察』を「指導の要旨」
にそってみてきた。ここでわかることは「総説」
にみられる自発的側面と感性的・心情的側面の混 在状態は,そのまま「各説」の指導例にあらわれ ているということである。
このζとは,先にみたように,大正期新教育の 成果を国民学校制度に「テクニック」としてとり 入れたことに照応していると考えられる。つまり,
「テクニック」としてとり入れた「合科教授」は,
自発的側面を内に含めざるを得なくなり,いわば
「自由主義的」な精神をもとり込んだということに なろう。しかも,「自然の観察』では,意図的では なかったが積極的な自然観察観がとり入れられて いたのであり,それにしたがって低学年における 自然認識の指導系統ともいえるものが提出されて いたことはみおとすことができない。
また,「設立の理由」の㈲を(B)の趣旨で展開する 際には,国民学校発足時の文相橋田邦彦の自然観 が影響していた。この点については後日稿をおこ
したい。
なお,末尾ながら,資料を提供していただいた 本田良枝氏(西沢長吉氏の長女)に謝意を表わし ておきたい。また,本学教官長沢千達氏からは西 沢氏をはじめ内藤順,冨塚終吉両氏を紹介してい ただいた。各氏に対してここに謝意を表わしてお
きたい。
註
(1)日本放送協会編 「文部省国民学校教則説明要 領及解説』 日本放送出版協会 昭和16年 8頁
(2)塩野直道 「理数科理科の思い出」「理科教室』
国土社 1959年4月号 32頁
(3)桑木来吉 「国民学校理数科教科書編纂趣旨」
「文部時報」第710号 昭和15年12月号 4頁
(4)前掲 塩野直道 「理数科理科の思い出」 33 頁
(5)前掲 『文部省国民学校教則説明要領及解説」
三石初雄:国民学校理数科教育の検討① 63
108頁
(6)同前 107頁
(7)伊東延吉(幹事長) 『教育審議会諮問第一号.
特別委員会整理委員会会議録 5』 32〜34頁
(8)同前 三国谷三四郎(青山師範学校長)の発言 94〜95頁
他に,佐々井信太郎の「日本ノ現在ノ事情カラ考 ヘテ,科学教育ハマダマダ幼稚デアル,モットモッ
ト徹底シナケレバナラヌ」(『教育審議会総会会議 録」第二輯 62頁)がある。また,内閣調査局なら
びに陸軍省からの教育改革要求にも同趣旨の意見 が入っている(石川準吉『総合国策と教育改革案」
124頁ならびに625頁)。
(9)前掲 『文部省国民学校教則説明要領及解説』
109頁
α0)塩野直道 『数学教育論』 啓林館 昭和45年 43頁
⑪ 『自然の観察』の「総説」 17頁
(12)小倉金之助 「現代日本の科学のために」『中央 公論』 昭和11年12月号(r小倉金之助著作集 7』
所収)。この他石原純『科学と社会文化』(昭和14 年),菅井準一『科学のごころ』(昭和16年)にも科 学的精神が論じられている。
q3)前掲 塩野直道 「数学教育論』 45頁 q心 理数科監修官会議のメンバーは次のとおり。
塩野直道(主任),前田隆一(算数科),森規矩男(同 前),安東寿郎(同前),桑木来吉(理科・化学),岡 現次郎(理科・植物学),蒲生英男(理科・動物 学),島田喜知治(理科)
q5)北村和夫は,『大正期成城小学校における学校 改造の理念と実践」(澤柳研究双書4・昭和52年)
で,諸見里朝賢『児童心理に立脚した最新理科教授」
(大正9年)をもとに考察を加えている。
q㊦ 平田巧 「玩具と理科教授」『教育問題研究』3
号大正9年6月号
qり 長谷川純三 「澤柳政太郎と低学年理科一
『自然の観察』成立に及ぼした影響一『澤柳政太郎 全集」別巻所収 国土社 1979年
q8) 『理学界1第37巻第7号(昭和14年7月号)
は,特輯「幼学年理科教育の実際」を組んでいる。
そこには,橋本為次,堂東伝,栗山重をはじめ西沢 長吉ら15名が執筆している。
09 西沢長吉編著 『福島県小中学校の理科教育 史』 昭和58年
(20)栗山重 「尋常1・2・3年教授要目」『理学界』
第37巻第7号(昭和14年7月号) 66〜131頁
(2D 福島県信夫郡飯坂尋常高等小学校「継続的観察 の価値」『理科教材継続的観察指導の実際』 昭和13 年2月
⑳ 文部省 『初等科理科教師用』の「総説」にあ る「(1)『自然の観察j指導上の注意を考慮に入れる こと」 30〜31頁
㈹ 『自然の観察』の発行(日本書籍)
年 教 科 書 構 成 i翻刻発行日)発 行 日
「自然の観察』一 「総説」「各説」(4月〜10月) S16.5.2
iS16.5、21)
︸ 年
二 「各説」(10月〜翌年3月) S16.6.20
iS16、9.15)
三 「総説」「各説」(4月〜9月末) S16、5.6
iS16.5、21)
一一
@年
四 「各説」(10月〜翌年3月) S16.8、2
iS16.9.15)
一一
齡N 五 「各説」(4月〜翌年3月) S17、4.1
iS17.5,15)
(翻刻発行日は東京書籍発行のものとは異なっている)
AConsiderationofSh∫2θnno陥ηs薦%(ObservationofNature)
Sh々召ηηo陥㎜ sκisateacher sguidebook ofscience used forthe firstthreegradesof Natinal Schools,which started in April,1941.This book is said to reflect the opinions of teacher}s working at elementaly schools since Taisho Era.In this essay I considered how they influenced the book.