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宮崎里司 - GSJAL

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Academic year: 2024

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daisanbunmei 2022.8

どんなふうに「外国人」と向き合っているのだろうと考えるようになりました。第二言語としての日本語教育というと、どうしても外国人だけに興味関心が向きがちですが、日本人に無関係かというと、そんなことはありません。私はむしろ、日 アの大学に進学。およそ一〇年にわたる歳月を、家族と一緒にオーストラリアで過ごすことになります。そこで私は、出自の異なる自分が「外国人」と呼ばれることなく、現地のコミュニティーに自然と迎え入れられるのを体験しました。一方で、日本に住んでいる人々は

アウトリーチ型 日本語教育

日本で生まれ育った人にとって、近いようで遠い。それが「日本語教育」の実態なのかもしれません。日本語を母語として学ぶ場合は、国語教育を受けます。一方で、日本語を外国語や第二言語として学ぶのが、日本語教育です。私は早稲田大学の学生だった頃、日本語教育に関心を持つようになり、卒業後三年ほど日本語教師として働きました。一九八七年には、日本語を教えながら言語学の博士号を取得するため、オーストラリ 本は外国人をどう受け入れるべきか、またそのうえで日本人の意識はどうあるべきかに主眼を置いて、日本語教育を研究してきました。在留外国人数の推移を見ると、少なくともこの一〇年間はおおむね右肩上がりで増え続けています。少子高齢化を迎えた日本が労働力不足になることは目に見えており、すでに現時点で外国人労働者なしでは社会が回らない状況です。また、日本に対して納税の義務を果たしてくれている外国人も多くおり、財政面でも重要な存在です。それにもかかわらず、日本人の間で外国人を受け入れる意識が醸 じょう

されているとはいえません。群馬県の太田市など、外国人が多く

日本語教育で外国人も 日本人も暮らしやすい国に 日本語教育は外国人だけでなく、 日本人にとっても重要だと指摘する宮崎里司さん。 その理由とは。

早稲田大学大学院日本語教育研究科教授

みやざき・さとし

1997年、モナシュ大学大学院日本語 研究科修了。Ph.D(応用言語学博士)。

98年、早稲田大学日本語研究教育セ ンターの講師に嘱任。同大学大学院日 本語教育研究科の助教授などを経て、

2004年に現職。大連外国語大学客員 教授、日越大学日本語教育プログラム 総括、「すみだ日本語教育支援の会」会 長も務める。著書に『外国人力士はなぜ 日本語がうまいのか』(明治書院)など。

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集まる都市では、日本人と外国人の住む区域が分かれてしまう傾向にあるようです。外国人は自国の文化や習慣を持ち込みがちであるため、日本人はそれを忌 して、外国人が集まるところに住もうとしない。こうした異文化間の距離を縮めるためにも、日本語教育の役割は無視できないのです。日本国内で、日本語教育は十分に機能しているのでしょうか。これまで、海外から来日する留学生に対しての日本語教育は行われてきました。ところが、留学生の数は在留外国人の一割程度。残りの九割の外国人に対しても、留学生に対するのと同じくらい力を入れて取り組まなければなりません。日本語教育を必要としていながら、その機会に恵まれない人たちに、どうすれば支援の手を差し伸べられるか。私が見いだしたのは、「アウトリーチ」と呼ばれる概念でした。アウトリーチとは、「外へ(

out

)手を差し伸べる(

reach

)」こと。支援の行き届いていないとこ ろに、自ら出向いてサービスを提供する試みを指します。日本語を学びたくても学べない人たちは、そもそも大学や日本語学校の教室に現れることはありません。教師の目に触れないそういう人たちに教育の機会を届けるには、ただ教室で待っているだけではなくて、サービスを提供する側から出向いて支援の方途を探っていく必要がある。私がこれまでアウトリーチ型の日本語教育を試みた例として、技能実習生や特定技能1号として来日した労働者、刑事施設に収容されている受刑者、夜間中学で学ぶ人、EPA(経済連携協定)にもとづいて介護福祉士の資格取得を目指す人たちなどがいます。

住んでよし 思われる国に

観光などの目的で一時的に日本を訪れる人は、比較的多いといえます。外国人旅行者が増え、その 分日本の経済が潤 うるおうのはもちろん喜ばしいことです。ただし、これから日本は「訪れてよし」の国で満足せず、「住んでよし」の国にならなくてはいけないと私は考えています。なぜ外国人に訪れてもらうだけでなく、住んでもらうことが重要なのでしょうか。外国人が日本にやってきて、故郷から連れてきた配偶者と一緒に住んだり、あるいは新しく出会った人と結婚したりする。そうしたなかで第二世代の子どもたちが生まれます。この第二世代は、自国の文化を大事にしてきた親の気持ちもわかるし、学校での教育や友達との交流を通して日本人の気持ちもわかる。いわば、両者の〝仲介役〟になってくれるのです。たとえば、親が深夜までサッカー中継を見て騒いでいたら、子どもが「お父さん、日本人はあまり夜遅くに家でパーティーをやらないみたいだから、音には気をつけようね」と伝えてくれるかもしれません。 外国人にとって住みやすい国にすることで、日本の習慣や社会通念が日本人以外のコミュニティーにも共有されるようになります。当然ながら、文化の違いに起因する争いや誤解も減っていくでしょう。円滑な意思疎 ができるようになって得をするのは、外国人だけではありません。それは日本人にとっても有益なはずです。ところが残念なことに、日本は住むのに適した国として外国人に選ばれなくなりつつあります。さまざまな要因が想定されますが、ここでは主に二つ挙げましょう。一つは、家族の帯 に厳しいこと。技能実習生や特定技能1号として来日する人は、家族の帯同が許されていません。自国ですでに家庭を築いている人にとって、日本は一時的に働くにはいいけれども、家族を連れて住む国ではないと思われても仕方がないのです。もう一つは、生活上のハードインフラに対して、制度や基準などのソフトインフラが整っていない ことです。あるインドネシア人は、家族を帯同できる在留資格を取得しながらも、母国に帰ってしまいました。日本のスーパーでは、イスラム教で許されている「ハラルフード」が見つかりにくいので、家族に負担がかかってしまうというのが理由でした。言語のみならず、こうした信仰面や生活面でも、外国人にとって住みやすい環境が整っていないのは明らかでしょう。今年の二月から始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻にともなって、避難民が衆 しゅうもく目を集めています。日本でもウクライナ避難民に向けて日本語教室を提供したり、ボランティアの学習支援者を派遣したりしている様子がよく報道されるようになりました。普段なかなかニュースにならない難民と言語の問題が取り上げられることを喜ばしく思うと同時に、これを機にミャンマーのロヒンギャなど、自分の国で迫害を受けている人たちに、広く関心を持ってもらいたいと思うのです。

日本語教育の 御用聞きとして

文化庁の日本語教育実態調査によると、二〇二〇年度の日本語学習者数は約一六万人。これは、在留外国人数の一割にも満たない数字です。必要とされているところに日本語教育が行き届いていないのはなぜなのか。それは、留学生が学ぶ日本語学校や大学以外で、日本語教師が有償の仕事になっていないからです。たとえば、夫と一緒に来て日本に永住している主婦や、技能実習生に日本語を教えようとしても、十分な対価を確保することは難しいのではないかと思います。行政や企業における日本語教育の優先順位を少しでも高めるうえで、私は自分の役目を、各所の注文を聞いて回る〝御用聞き〟だと考えています。昭和の半ばくらいまでは、よく酒屋さんが各家の勝手口から入って、「奥さん、そろそろおしょうゆがなくなるんじゃな いですか?」と聞いて回ったものです。同じように私も、行政機関や企業などを訪れて、「日本語教育で解決できそうな課題はないですか?」と聞いて回り、うまく見つかったときは、日本語教師を志す人や若手の研究者に仕事を紹介しています。この〝御用聞き〟によって実現した成果の一つが、二〇〇八年設立の「すみだ日本語教育支援の会」です。同会は、東京都墨田区とその近隣に在住・在勤の外国人で、介護に携 たずさわる人を対象に日本語を教えるのを目的としています。特徴は、場所を提供する社会福祉法人、教育を担う早稲田大学、そして予算を組む墨田区の産学官の連携によってできたという点です。このように行政と協力してプロジェクトをやるメリットは、主に二つあります。一つは、日本語教師のために有償の仕事を用意できること。もう一つは、外国人にもっと目を向けてほしいというメッセージを、自治体に向けて発信で きることです。日本語教育に関わることで、その地域に住む外国人がどんな問題に直面しているのか、何に困っているのかを、行政の人にも知ってもらう機会になると捉えています。日本語教育のさらなるアウトリーチの問題を解決するためには、国としての対策も欠かせません。特に私が懸 しているのは、外国人は参政権を持っていないので、その声がなかなか中央に届かないことです。外国人に特化した省庁を設けるなど、声なき声に耳を傾ける仕組みが求められます。二〇二四年以降、「公認日本語教師」という国家資格が新設される予定です。実際の仕事にどれくらいつながるかは未知数ですが、日本語教育の重要性が公的に認められるという意味で、大きな一歩だと考えています。こうした制度面の変革とともに、異なる文化を受け入れる勇気が、これからの日本社会で醸成されることを願っています。

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