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化学と生物 Vol. 53, No. 10, 2015
アルツハイマー型認知症は,生活習慣病?
早澤宏紀
日本農芸化学会・有功会員巻頭言 Top Column
Top Column
2012年に462万人とされるわが国の認知 症患者が,2025年には700万人に増加する との推計を踏まえ,政府は本年1月,認知 症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)
を策定した.本プランの基本的な考え方 は,「認知症の人の意思が尊重され,でき る限り住み慣れた地域の良い環境で自分ら しく暮らし続けることができる社会の実現 を目指す」となっている.
認知症を発症すると,人間の尊厳を失っ た状態で生きることを余儀なくされる可能 性が高く,無償の介護に多大な時間を取ら れる家族や友人の生産性は著しく低下する ことになる.さらに,患者数の著増により 治療・介護に要する費用は膨大なものとな り,国家財政を圧迫すること間違いなしの 状況なのである.この点は,わが国のみな らず米国をはじめとする先進各国に共通の 課題であり,2013年12月にロンドンで開 催 さ れ たG8認 知 症 サ ミ ッ ト に お い て
「2025年までに認知症の治療法もしくは緩 和療法の確立を」との声明が採択され,こ の目標達成に向けて世界認知症評議会が設 立され,具体的な活動が開始されている.
農芸化学に携わる多くの研究者のなかか ら,自分の将来あるいは家族・友人のた め,そして人類の将来のために,この問題 の根本的な解決に取り組む勇士が出現する ことを期待して,筆を執った次第である.
かく言う筆者は,食品企業で ヒト の健 康に資する食品・食品成分の研究開発に携 わってきた経験から,この問題を座視する ことなく,何らかの形で取り組むことがで きないかと思案している者である.
認知症には,いくつかのタイプがあるが,
全体の60〜70%を占め,増加の一途をたど るアルツハイマー型認知症が特に問題とな る.アルツハイマー型認知症の主因は,脳 組織におけるアミロイド
β
タンパク質の沈 着にあるとし,それを早期発見・縮小・除 去することによって,発症予防,症状の進 行を遅延させる方向で取り組みが具体化している.加えて,最近では,運動や睡眠が 症状の改善・進行予防に有効とされ,多面 的な取り組みが行われている.さらに,糖 尿病や高血圧・動脈硬化などによる血管病 変を治療することによって,症状の進行を 遅延させる効果のあることも明らかにされ てきた.しかし,これらは,あくまでも対 症療法的であって,根本的治療戦略とはな りえないとの見方も生まれつつある.
筆者は,アルツハイマー型認知症を生活 習慣病に位置づけ,食習慣を柱とする生活 習慣の管理を通じて一次予防することが,
抜本的な対策の構築につながるのではない かと推論している.アルツハイマー型認知 症では,脳の高次機能を司る神経細胞が変 性・死滅し,その数が減少するために,脳 が委縮して発症に至るとされている.大脳 皮質を構成する神経細胞の細胞膜には,多 価不飽和脂肪酸(LCPUFA)が他の組織 に比較して明らかに高濃度に存在している ことから,食事由来のLCPUFA供給量が 不足し続けると,神経細胞自体がダメージ を受けて死滅し,脳の委縮が進行すると推 定される.ただ,食品中には,この委縮に 促進的あるいは抑制的に作用する成分が存 在するはずで,それらの相互作用を精細に 解析することも必要となろう.これに加え て,生活習慣病予防協会が推奨する,一無
(無煙・禁煙の勧め)
,二少(少食・少酒の
勧め),三多(多動・多休・多接の勧め)
の生活管理を実践することは言わずもがな である.
農芸化学の叡智を集結して,アルツハイ マー型認知症の予防対策に取り組み,本誌 52巻11号の巻頭言(小鹿 一)に掲載さ れた,農芸化学がカバーする領域は「生 命・食糧・環境」の三つのキーワードに集 約され,「農芸は世界を助く?」との期待 に応えたいものである.
Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.53.647
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早澤 宏紀(Hirotoshi HAYASAWA)
<略歴>1965年東京大学農学部農芸化学 科卒業/同年森永乳業(株)入社/1995年 同社栄養科学研究所長/1999年同社取締 役同所長/2001年同社常務取締役生物科 学研究所長/2014年日本農芸化学会・有 功会員<研究テーマと抱負>乳幼児栄養を 中心とするヒトの栄養全般,『PPK(ピン ピンコロリ)』と天寿を全うするための生 き方を探る<趣味>スポーツ観戦,人間観 察