化学と生物 Vol. 50, No. 10, 2012
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この原稿はリオ+20が終了した直後に書いています.今回の会議では「グリーン 経済」の理念は呈示されたものの,先進国 と途上国との思惑の違いから,具体的な目 標などを決めることはできなかったようで す.そこでふと思い出し,+20の語源と なった1992年のリオ環境サミットでの,
当時12歳の少女,セヴァン・スズキさん の「伝説のスピーチ」をネットで聞き直し て み ま し た.“If you donʼt know how to fix it, please stop breaking it !” という彼 女の願いに対して,私たちはこの20年間 何をしてきたのだろうかと改めて考えさせ られてしまいました.直せないもの,直し 方がわからないものを壊さないようにする というのは当然なことです.折しも,わが 国では原発事故からまだ1年半足らずのう ちに,大飯原発の再稼働が始まりました.
核燃料廃棄物のリサイクルができない,い やそれのみならず安全に廃棄・管理する手 段・場所が確保されていないという状況の 中で,原発エネルギーに依存し続けていく のか否かについて中長期的視点から真剣に 議論されることを望むものです.私自身 も,原発については安全なものだと思い込 んでいました.そのように多くの国民を信 じ込ませてきたのはいわゆる「原子力ム ラ」の力が大きかったそうですが,専門分 野が全く異なるとはいえ,科学に携わって きたものの一人として,今は自分の不明を 恥じながらホットスポットが点在する茨城 県南部で日々を送っています.
1980年代,私は通産省(現経産省)傘 下の研究所におり,当時の「次世代」バイ オプロジェクトの研究開発に従事していま した.霞が関での勤務経験もあります.
1980年代当時,石油は近いうちに枯渇す ると予想されており,21世紀にはほとん どすべての石油化学工業がバイオ工業に置 き換わっているだろうと,予想・期待され ていました.実際にはそうなってはいませ ん.その理由として,石油資源が当時の予 想以上に豊富(現にまだまだ枯渇には至っ ていませんし,新しい形態の化石燃料資源 も見いだされているようです)であったこ
とが主たる理由であるとされていますが,
果たしてそれだけだったのでしょうか?
80年代から90年代にかけて,通産省など が主導して,サンシャイン計画(その後,
ムーンライト計画も),アクアルネッサン スなどのプロジェクトが行われていまし た.いずれも地球環境問題に対応すべく,
自然エネルギーの利用や水の循環・再生,
有効利用を目指したプロジェクトであり,
今振り返ってみても,目指していたことは 妥当であり,しかも最近行われている,あ るいは行われようとしているプロジェクト と,それほど違いがなかったとも思われま す.言葉を替えて言うならば,私たちは,
20年経っても,地球環境問題に対する具 体的な解決策を実行に移せないまま,同じ 提言を繰り返しているようにも見えます.
直せないものを壊さない,ということ は,循環型社会を作ることに通ずることで ありますが,皆さんご存知のように,江戸 時代にはわが国は欧米諸国とは違った高度 な循環型社会を築き上げていました.そし て,その中心にあったのが農業であり,
「農」「村」社会であったこともよく知られ ています.農芸化学会が「農」の字を消さ なかったことの意義を,今私たちは誇りを もって再認識すべきではないでしょうか.
循環型社会やグリーン経済がそう遠くない 未来に実現可能なものであることを,農芸 化学にかかわっている私たちがもっと積極 的に情報発信し,政策提言も含めて行って いくことが必要なのではないでしょうか.
農芸化学ムラは存在しなかった(もし存在 し,原子力ムラよりも強かったなら,今日 の日本は世界に冠たる環境先進国になって いたかも?)ものですし,ムラを閉鎖的な 利権獲得組織と定義するならば,そのよう なムラを作ることがあってはならないと思 います.しかし,農芸化学会が農芸化学
「村」として,農村,里山などの意味を含 めた循環型社会の象徴・代名詞としての
「村」として,未来に貢献していけるよう であれば,いや,そうありたいと願ってい るこの頃です.
巻頭言
Top Columnリオ+20,フクシマ+1.5 に思う―ムラから村へ―
星野貴行
筑波大学生命環境系Top Column