• Tidak ada hasil yang ditemukan

想 随 - J-Stage

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2023

Membagikan "想 随 - J-Stage"

Copied!
4
0
0

Teks penuh

(1)

ビタミン B1発見 100 周年 祝典・記念シンポジウム

鈴木梅太郎博士  

鈴木梅太郎博士ビタミンB

1

発見 100 周年に寄せて

化学と生物 Vol. 50, No. 9, 2012

684

はじめに

稲が中国の長江流域から渡来したのは,縄文時代末期

(紀元前5世紀)といわれています.当初は玄米を食べ ていたのが,しだいに白米を賞味するようになり,江戸 期も元禄時代(17 〜 18世紀)になると,都市では白米 中心の食生活が一般化しました.それとともに脚気(後 年,ビタミンB1欠乏症と判明)が広がりました.脚気 患者が田舎に移り住み,玄米食を食べると治るので,江 戸患い,都患いなどと呼ばれていました.ヨーロッパで は,古くから遠洋航海において,壊血病(ビタミンC欠 乏症)が知られ,15世紀末からの大航海時代には深刻 な問題でした.そのうち経験的にミカン類が壊血病を防 ぐことが知られ,18世紀,英国海軍ではレモン,オレ ンジを計画的に摂取するようになりました.

ビタミンの発見前史

明治初頭,白米を常用した陸海軍では戦死者よりも,

脚気での死者が多かったといいます.当時の海軍医務局 長高木兼寛(1) (1849 〜1920, 写真

1

)は,脚気と生活環 境,特に兵食に問題があると考えて,航海中に水兵の とっていた白米食とパンあるいは大麦を加えた食事と脚 気との相関を調べました.その結果,白米中心の兵食グ ループに比べ,パン食や麦食をとったグループでは脚気 患者が極めて少ないことを証明し,脚気予防に大きな効 果を上げました.陸軍では軍医総監石黒忠悳や森 林太 郎(鴎外)が細菌感染説を唱えて高木説に反対し,白米 食を続け,脚気で数万の兵が死亡したといわれていま す.高木の研究は疫学的な面が中心で,原因物質の探求 には至っていませんが,当時として,その食事原因説は 画期的でした.また,慈恵会医科大学の前身にあたる成 医会講習所などを創設しています.欧米の医学書には,

高木はビタミン研究に重要な貢献をした10人の科学者 の一人に数えられています.また,近年,英国の南極地 名委員会により,後述の久野寧とともに功績を記念して 南極の岬にそれぞれ高木,久野の名前が冠せられていま す(2)

ビタミンの発見

19世紀末,オランダのC. Eijkmanはインドネシアで 脚気の研究中に,白米で飼養したニワトリに脚気に類し た多発性神経炎が多発し,米ぬかを与えると治癒するこ とを認めて,米ぬかの成分が白米中の脚気毒素を中和す ると考えました.1906年,英国のF. G. Hopkinsは動物 には主要栄養素のほかに,副栄養素が必要という説を唱 えました.ポーランドのC. Funkは1911年,米ぬかか

日本のビタミン研究の流れ

左右田健次

京都大学名誉教授

写真1高木兼寛先生(東京慈恵会医科大学所蔵)

(2)

化学と生物 Vol. 50, No. 9, 2012 685 ら抗脚気因子を単離したと報告し,アミンの性質を示し

たことからビタミン (vitamine) と命名し “Die Vita- mine” を公刊したのです.後に J. C. Drummond の提唱 によりビタミンの総称としてvitaminが用いられるよう になりました.一方,東京大学農学部の鈴木梅太郎(3) 

(写真

2

)と共同研究者は1910年,米ぬかから抗脚気因 子を単離し,アベリ酸と命名して東京化学会で発表しま した.1912年にはオリザニンと改名してドイツの生化 学雑誌に報告しています.その後,これらの抗脚気因子 の標品はいずれも純粋ではなく,ニコチン酸が主成分で あることが明らかにされ,一時期,抗脚気因子やビタミ ンという概念も疑問視されました.しかし,1926年,

オランダの B. C. P. Jansenと W. F. Donath が純粋な抗 脚気因子の結晶を単離し,アノイリン(後のビタミン B1)と命名してから,しだいにビタミンの存在が学会で 認められるようになりました.

1929年,EijkmanとHopkinsにノーベル生理学医学賞 が与えられましたが,今からみると,この受賞に関して は不公平感が残ります.ノーベル賞を受けなかったとは いえ,鈴木梅太郎もその至近距離にいた一人といえま しょう.また鈴木と共同研究者はそのほかのビタミンに ついても優れた研究を行い,日本をビタミン研究の一つ の中心にした功績は大きいと思います.2010年,公益 社団法人ビタミン・バイオファクター協会は,鈴木によ るビタミン発見100周年を記念して,東京,名古屋,大 阪で講演会を,また日本ビタミン学会は市民公開講座を 開き,2011年,日本農芸化学会はビタミンB1発見100

周年記念シンポジウムを開催しました.

その後の流れ:1945年まで

その後,ビタミン発見に貢献した研究者としては,R. 

R. Williams(B1の構造決定),P. Karrer(B2, Aの構造 決 定),A. von N. Szent-Györyi(Cの 構 造 決 定),R. 

Kuhn(B6の構造決定),E. V. McCollum(Dの発見), H. M. Evans(Eの発見),P. Karrer(Aの構造決定と合 成),などが挙げられます.わが国でも市場彰芳,道喜 美代(B6の単離)などの研究があったものの,戦争に 大きく傾斜していった社会のなかで,ビタミン研究は戦 時的な兵食の改良などの方向に限られていきました.戦 争末期の1944年,ビタミンによる国民の栄養向上が急 務となり,名古屋大学医学部の久野 寧を長とするビタ ミンB1連合研究打ち合せ会が組織されました.海外で は,1936年,H. K. A. S. von Euler-ChelpinがNAD の 構造を決定し,1940年代後半,E. Snellらはピリドキサ ルリン酸の構造や働きを解明するなど,ビタミンと補酵 素の関係が明らかになり,ビタミンの研究は大きく展開 したのです.

その後の流れ:1945年以降

戦後の1948年,K. FolkersらとE. L. Smithらによる ビタミンB12の単離により,約40年間にわたる実り多い ビタミン発見の時代は終わりました.1945年に戦争が 終わったものの,日本のビタミン研究は劣悪な環境と設 備,試薬,研究費の不足による苦渋のなかにありまし た.わずかに伝わってくる海外のビタミン研究の情報は 彼我の格差の絶望的な大きさを認識させるものでした.

そのなかで,上記の打ち合せ会は名称を変えつつ継続 し,1948年にはビタミンB研究委員会と改称されて,

この組織は現在まで続いています.一方,日本ビタミン 学会は1949年に久野 寧(名古屋大学医学部)を会長 として創立され,森高次郎(東京大学農学部),井上  硬(京都大学医学部)と続き,現在は福澤健治(徳島大 学薬学部,安田女子大学)が21代目会長を務めていま す.学際的にして,遠慮のない和やかな雰囲気に包まれ たこの学会では,大会や懇親会で久野の作詞した「ビタ ミン学会の歌」が唱和されました.写真

3

はNHKの

「私の秘密」番組(1963年)で,この歌を歌う当時の長 老たちです.この学会は世界に唯一のビタミンの学会で あり,国際的にも主導的立場にあります.1991年には 神戸において The 1st International Congress on Vita- 写真2鈴木梅太郎先生(朝倉書店の許可を得て,文献3より転

載)

(3)

化学と生物 Vol. 50, No. 9, 2012

686

mins and Biofactors in Life Science を開催し,名称は 多少変わりつつも米国,ドイツ,日本(淡路島),米国,

フィンランドと続き,次回は2014年,イタリアでの開 催が予定されています.また,1998年,美濃 真(大 阪医科大学)を代表として,ビタミン学に関する日中ビ タミン会議が北京で開催され,2001年(上海),2004年

(桂林),2008年(西安)と開かれ,次回は昆明での開 催が予定されています.

1964年,産官学のビタミンB研究者が,大同団結し て社団法人ビタミンB協会(代表者:久野 寧)を設立 しました.1970年に社団法人ビタミン協会としてビタ ミン全般と関連分野の研究を促進する組織となり,ビタ ミンB研究委員会だけでなく,脂溶性ビタミン総合研究 委員会(1946年設立),ビタミンC研究委員会(1967年 設立)ならびにビタミン学会も支援するようになりまし た.さらに法人関係の法規の改正を機に,2010年から 公益社団法人ビタミン・バイオファクター協会(会長:

岩井和夫)となり,ビタミン・バイオファクターなどの 微量生理活性物質を中心とする生命科学,生物工学の振 興を目的に幅広い活動を進めており,2011年,会長は 二代目,左右田健次に移っています.

高木,鈴木を源とするわが国の研究の流れのなかで,

多くの国際的な成果が生まれました.数例を挙げます.

1952年,藤原元典(京都大学医学部)(4) はニンニク中に 腸管吸収,組織移行性の高いアリチアミンを発見し,そ の誘導体は高機能型ビタミンB1として市販されていま す.須田立雄(昭和大学)(5) は活性型ビタミンDの合成 によって骨粗鬆症治療への道を開き,破骨細胞分化因子 の存在と作用を解明し,Dと骨形成の研究に新局面を開 きました.ビタミンではありませんが,1979年,細菌

のアルコールデヒドロゲナーゼ,メタノールデヒドロゲ ナ ー ゼ の 補 酵 素 と し て ピ ロ ロ キ ノ リ ン キ ノ ン 

(PQQ)(6, 7)  が単離,同定され,松下,足立ら(8)  のグ ループは酢酸菌の膜結合デヒドロゲナーゼなどのPQQ 酵素の構造や特性を解明しました.さらに,谷澤ら(9), 虎谷ら(10),林ら(11) はそれぞれタンパク質部分にキノン 含有残基が入っているビルドイン型補酵素,ビタミン B12  酵素ならびにB6  酵素の広範な研究を展開してきま した.

特色と今後の展望

日本のビタミン研究の大きな特色は,研究が臨床医学 から物理化学にわたり,その広い領域で協同が行われ,

さらに学会と産業界も一体となってきたことです.研究 者の所属学会も多岐にわたり,ビタミン学会や各委員会 で,それらの特色が渾然となって研究を推進してきまし た.たとえば,ビタミンB研究委員会では,年に4 〜 5 回の研究協議会で研究が報告され,質疑応答も記録,公 表されます.夏期の協議会では家族同伴が多く,協議会 の間,家族は近辺を散策し,全員で夕食をともにして,

翌日はそろってエクスカーションを楽しみます.また,

上記の学会,委員会のほかに,ビタミンE研究会,ビタ ミンB6  酵素を楽しむ会(現在,酵素・補酵素研究会)

なども活動しています.形式を省き,膝を突き合わせ て,徹底的に討議する点で,大きな学会と対極的な存在 です.

1960年代後半から研究の範囲はビタミンだけでなく,

補酵素,ミネラルなどのバイオファクターを中心にした 生命科学,生命工学に広がりました.医学や製薬産業に おいて狭義のビタミンは主役ではなくなっていますが,

近縁の分野の成果を取り込みつつ,微量生理活性化合物 の特性解明を目指して基礎,応用両面から新分野が開か れつつあります.高木,鈴木両先達の活躍から現在に至 るビタミン・バイオファクター研究の流れを簡単に鳥瞰 しました.敬称は略しています.最後に清水祥一先生の ご教示に深謝いたします.

文献

  1)  松田 誠: 高木兼寛の医学 ,東京慈恵会医科大学,

2007.

  2)  清水祥一:ビタミン,82, 579 (2003).

  3)  社団法人鈴木梅太郎博士顕彰会,鈴木梅太郎先生刊行会:

鈴木梅太郎先生伝 ,朝倉書店, 1967.

  4)  M. Fujiwara, H. Watanabe & K. Matsui : , 41,  29 (1954).

写真3NHK「私の秘密」でビタミン学会の歌を歌う委員たち

昭和38年1月13日,(公益社団法人ビタミン・バイオファクター 協会所蔵)

(4)

化学と生物 Vol. 50, No. 9, 2012 687

  5)  須田立雄,尾形悦郎,小椋陽介,西井易穂: ビタミンD

―その新しい流れ ,講演社サイエンティフィック,1982.

  6)  S.  A.  Salisbury,  H.  S.  Forrest,  W.  B.  Cruse  &  O. 

Kennard : , 280, 843 (1979).

  7)  J. Westerling, J. Frank & J. A. Duine : ., 87, 719 (1979).

  8)  K.  Matsushita,  H.  Toyama  &  O.  Adachi :“Advances  in 

Microbial Physiology,” Vol. 36, ed. by A. H. Rose & D. W. 

Tempest, Academic Press, London, 1994, p. 247.

  9)  岡島俊英,中井忠志,谷澤克行:生化学,83, 691 (2011).

  10)  虎谷哲夫:生化学,83, 591 (2011).

  11)  H.  Hayashi,  H.  Mizuguchi  &  H.  Kagamiyama : , 37, 15076 (1998).

中西 友子(Tomoko M. Nakanishi) 

<略歴>1978年東京大学理学系研究科化 学専門課程博士課程修了(理学博士)/財 団法人,日本ゼオン(株)などを経て東京大 学農学部助手,助教授を経て現在,東京大 学大学院農学生命科学研究科教授<研究 テーマと抱負>放射線植物生理学研究室で 放射線やアイソトープを用い,生きた植物 における活動解析を行っている.植物のイ メージング解析では,水動態は中性子線や ポジトロン放出核種を利用し,元素につい ては放射化分析ならびにアイソトープを駆 使した研究やリアルタイムイメージング装 置を開発している.特にリアルタイムイ メージングでは,アイソトープで標識した 養分元素が土壌中や水耕液中から植物に吸 収・蓄積されていく動態を光照射下で可視 化し,定量的に解析を行っている.また炭 酸ガス固定過程についても可視化解析を 行っている<趣味>語学

中村 幸宏(Yukihiro Nakamura) <略 歴>1999年京都大学農学部生物機能科学 科卒業/2001年京都大学大学院農学研究 科応用生命化学専攻修士課程修了/2001 年月桂冠株式会社総合研究所,現在に至る

<研究テーマと抱負>醸造技術の研究,世 代を超えて楽しんでいただけるおいしいお 酒の開発<趣味>テニス,野菜の栽培

前  田   哲(Satoru Maeda) <略 歴 1997年近畿大学生物理工学部生物工学科 卒業/2005年同大学大学院生物理工学研 究科博士課程満期退学/同年(独)農業生物 資源研究所・研究支援者,現在に至る<研 究テーマと抱負>イネFOXシロイヌナズ ナ系統を用いたイネの新規病害抵抗性遺伝 子の探索と解析.現在,そのスクリーニン グで得られた広範な病害抵抗性遺伝子 の耐病性機構を解明しようと研究に 励んでいます<趣味>映画鑑賞,サッカー 観戦(主に日本代表と名古屋グランパス)

眞 鍋  昇(Noboru Manabe) <略歴>

1978年京都大学農学部畜産学科卒業/

1983年京都大学大学院農学研究科博士後 期課程修了/1983年日本農薬株式会社研 究員/1988年パスツール研究所研究員/

1992年京都大学農学部助教授/2004年東 京大学大学院農学生命科学研究科教授<研 究テーマと抱負>哺乳類の卵巣では性周毎 に一定数の卵胞が発育を開始し,1%以下 が選択されて排卵に至るが,この選抜機構 を調べている<趣味>瀧川鯉昇さんの落語 と内田光子さんのピアノを聞くこと 森   昌  樹(Masaki Mori) 略 歴 1983年東京大学農学部農芸化学科卒業/

1988年同大学大学院農学系研究科博士課

程修了(農博)/同年農林水産省農業生物 資源研究所/ 1989年農林水産省九州農業 試験場/ 1994年農林水産省農業生物資源 研究所/2001年(独)農業生物資源研究所,

現 在 に 至 る.こ の 間1989 〜 1990年 米 国 ロックフェラー大学博士研究員<研究テー マと抱負>イネの病害抵抗性機構の解明と 病害抵抗性作物の分子育種<趣味>音楽鑑 賞(オペラなど)

柳谷 耕太(Kota Yanagitani) <略歴>

2003年静岡大学理学部生物地球環境科学 科卒業/ 2005年奈良先端科学技術大学院 大学博士前期過程修了/ 2009年同大学博 士後期過程修了/同年同大学GCOE博士 研究員/ 2011年同大学特任助教,現在に 至る<研究テーマと抱負>オルガネラの恒 常性維持機構<趣味>人間社会の力学を考 えること

吉岡 邦雄(Kunio Yoshioka) <略歴>

1976年東京教育大学農学部農学科卒業/

1979 年福島県採用.葉たばこ栽培・野菜栽 培に関する試験研究,農業後継者の育成,

農業振興事業の実施,農業改良普及事業の 実施に取り組む/ 2010年から現職(農業 総合センター生産環境部長)<研究テーマ と抱負>放射性物質の除去低減技術の開発

<趣味>読書,音楽鑑賞,散歩

プロフィル

Referensi

Dokumen terkait

たいって思ってましたので。でも,結構だ からできなかったことがいらいらしたんで すよ。(②) コウタは自身の高校時代について,思い出した くない時期といい,「性格がシャイで,何もしゃべ ろうとは思わなかった」という。そして,自分の 意見を主張する周囲のクラスメートを羨みながら, それができない外国人としての自分にいらだちを