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化学と生物 Vol. 53, No. 5, 2015採餌戦略の分化から始まる海洋細菌の種分化プロセス
動植物の共存モデルは海洋微生物にも当てはまる
微生物にとって海水中4 4 4とはどんな環境なのだろうか?
微生物のスケールで海中を見てみると意外なことがわか る.海水中では栄養が均一に分布しているのではなく,
海洋粒子などの餌場(Patch)に偏って存在している(1)
.
海洋粒子とは,マリンスノー,プランクトン,生物遺骸 など海中に浮かぶマイクロスケールの栄養の塊のこと だ.これらの餌場の多くはまた,短時間で消滅してしま う短命なものである.こうした栄養環境の空間的・時間 的な複雑さが,海水中の多様な遺伝的多様性の基盤であ ることを筆者らは最近見いだした(2).
海水サンプルからは,しばしば非常に近縁な(つまり 最近種分化が起きたばかりの)遺伝的系統群が分離され てくる(3)
.これはこうした近縁な系統群が海水中で共存
していることを意味する.だがこれは驚くべきことで,なぜなら遺伝的に枝分かれした直後の系統群の間には潜 在的な競争関係があるからだ( 遺伝的にほとんど差 がないので,同じリソースを巡って争う)
.それにもか
かわらず,こうした近縁な系統群が海水中で現に共存し ている(つまり一つの系統に収斂していない)ことは,海洋微生物生態学上の大きな謎の一つだった.
筆者らは最近,採餌戦略4 4 4 4の観点を取り入れることでこ の謎が説明できることを発見した.ここでいう採餌戦略 とは,海洋細菌がその空間行動能力4 4 4 4 4 4を駆使して餌場であ る海洋粒子を追い求める戦略のことである(1)
.海洋細菌
の採餌戦略は,さまざまな空間行動能力(たとえば遊泳 性=移動能力,走化性=ナビゲーション能力,バイオ フィルム形成=定住能力)の組み合わせで成り立ってい る.種が分化するときに,こうした空間行動能力に関係 する遺伝子が変異すると採餌戦略にも変化が起こる.採 餌戦略が変わると,得意とする餌場4 4 4 4 4 4 4も変わってくる.こ れにより枝分かれした種がそれぞれ別の特性(今回の ケースでは餌場の寿命)をもった餌場にニッチを得るよ うになるため,極めて近縁な遺伝的系統群が海水中で安 定的に共存できるようになる.このメカニズムを明らか にするために,筆者らは新しい技術(マイクロ流体デバ イスとビデオ顕微鏡法)を用いて,「近縁な系統間の採 餌戦略の違いを直接観察して比較する」実験を行った.本稿ではこの新しい生態モデルとその技術的背景を説明
する.
海洋ビブリオ属についての集団ゲノミクス研究(多数 の分離株のゲノムを集中的に比較する研究)から,海洋 中では極めて近縁な個体群(16S rDNA遺伝子配列比較 では違いが見つけられないほど近縁な)が多数共存して いるということがわかっている(3)
.全ゲノム比較からは
これらの近縁個体群の間にほとんど代謝能の違いがな く,同じ栄養(リソース)を巡って競争し淘汰し合う関 係にあることが示唆されている.それにもかかわらず,こうした近縁な個体群は遺伝的枝分かれによって生み出 され,そして維持されている.なぜ海水中では近縁系統 群(遺伝的に枝分かれした直後の)の共存が可能なのだ ろうか?
筆者らは次のようなアプローチでこの疑問に取り組ん だ.ごく最近種分化した個体群の間で表現型を詳細に比 較することとで,どのようなメカニズムに基づいてこれ らの個体群が共存しているのかを明らかにするという方 法である.このためのモデルとして
の2つの個体群̶それぞれS個体群とL個体群と名づ けられた̶を用いた.S個体群とL個体群は同じ海域か らサンプリングされてきた分離株群であり,非常に近縁 ではあるものの,全ゲノム比較の結果からはごく最近2 つの遺伝的系統群に枝分かれしたことがわかってい る(4)
.
この2つの個体群の行動を比較した実験の結果から,
筆者らは次のような採餌戦略の違いを見いだした.L個 体群の戦略は,長時間安定的に定住することで海洋粒子 中の栄養をより効率的に利用するというものである.こ れは海洋粒子に強く付着してバイオフィルムを形成する 能力により達成される(図
1
).S個体群の戦略は対照的
で,S個体群は海洋粒子に付着したりバイオフィルムを 形成したりする能力に欠けている.その代わりとして自 由に泳ぎ回ることができ,次々に出現する海洋粒子にい ち早くアクセスする戦略を採ることができる.ここでL 個体群の戦略は,海洋粒子の出現頻度が低く,海洋粒子 の寿命が長い(つまり海洋粒子のターンオーバーが遅 い)といった条件ではより有利である.反対に海洋粒子 の出現頻度が高く,寿命が短い(海洋粒子のターンオー今日の話題
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バーが速い)といった条件ではS個体群のほうが有利で ある.こうした トレードオフ(ある能力に特化するた めには別の能力を犠牲にする必要がある) の関係は,
マクロスケールの生態学では種の共存を説明する基本的 な原理の一つであり,特に 競争‒移動トレードオフ
(Competition‒colonization trade-off) と呼ばれている.
競争‒移動トレードオフで動植物・昆虫における種の共 存を説明できることはよく知られてきたものの,同じ原 理が全くスケールの違う海洋微生物に共通して当てはま るとはこれまで考えられてこなかった.
このモデルはまた,分化プロセスのはじまりについて も説明を提供できる.L個体群が一つの餌場にとどまる のに対して,S個体群は餌場の間で常に移動を続ける.
2つの個体群が同じ餌場のうえで過ごす時間が減少すれ ば,個体群の間で遺伝子が交換されなくなる(図1B)
.
こうして種分化のプロセスが始まったというモデルを筆 者らは提唱している.海洋のマイクロ環境を再現するために,マイクロス ケールの環境を制御できるマイクロ流体デバイス技術(5) を応用した.筆者らは複数の海洋粒子のターンオーバー
を実験室内で再現することができる新しい実験デバイ ス(2)を開発した.海洋粒子のターンオーバーに対する両 個体群の反応の違いをビデオ顕微鏡法により可視化する ことにより,採餌戦略の違いが明らかになった.
海洋独特の時空間的にダイナミックな栄養環境(栄養 が餌場に集中しており,その餌場に寿命がある)が,遺 伝的に枝分かれした直後の系統群の海水中での共存を可 能にしており,種分化プロセスを駆動している構図が今 回の研究から見えてきた.言い換えると,栄養分布が時 空間的に均一化されていない4 4 4 4 4 4 4 4 4ことが,この場合は種の共 存と遺伝的多様性の基盤となっていた.ここから得られ る着想として,反応系の中で種の共存が必要な場合(応 用微生物学的なプロセスなどで)に,栄養の時空間的な
(そして微視的な)ダイナミクスに注目するのも一つの 方法ではないだろうか.
1) R. Stocker: , 338, 628 (2013).
2) Y. Yawata, O. X. Cordero, F. Menolascina, J.-H. Hehe- mann, M. F. Polz & R. Stocker:
, 105, 4209 (2014).
3) D. E. Hunt, L. A. David, D. Gevers, S. P. Preheim, E. J.
Alm & M. F. Polz: , 320, 1081 (2008).
4) B. J. Shapiro, J. Friedman, O. X. Cordero, S. Preheim, S.
C. Timberlake, G. Szabo, M. F. Polz & E. J. Alm: , 336, 48 (2012).
5) R. Rusconi, M. S. Garren & R. Stocker:
, 43, 1 (2014).
(八幡 穣,マサチューセッツ工科大学)
プロフィル
八 幡 穣(Yutaka YAWATA)
<略歴>2009年筑波大学大学院生命環境 科学研究科博士課程修了/同年同大学生命 環境科学研究科博士研究員/2011年日本 学術振興会海外特別研究員(マサチュー セッツ工科大学)/2013年マサチューセッ ツ 工 科 大 学 土 木 環 境 工 学 研 究 科Post- doctoral associate<研究テーマと抱負>微 生物の行動生態を直接観察することで
(Computational bacterial behavioral ecol- ogy),新しい応用技術につながるアイデ アを見つけたいと思っています<趣味>
MTB,スキー,キャンプなどアウトドア.
今年の米北東部の大雪では町中でスノー シュー遊びができました
Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会 図1■ の共存と種分化のモデル
(A) L個体群は海洋粒子上でより高い競争力をもつ遊泳性と走化 性により化学勾配をさかのぼることで,どちらの個体群も海洋粒 子にアプローチする.だがL個体群だけが海洋粒子表面に付着し てバイオフィルムを形成し,S個体群は付着することなく表面近 傍にとどまる.餌場に直接付着しているため,L個体群はより高 い増殖速度が達成できる.(B) S個体群は競争力の低さを移動能 力で補う.より栄養条件の良い海洋粒子が現れた場合には,S個 体群だけが新しく出現した海洋粒子に向かって素早く移動できる.
L個体群は最初の海洋粒子に強固に付着してしまっているために,
自由に移動することができない.こうしてS個体群は1つの海洋 粒子上で競争する能力の低さという不利を,移動の自由で補って いる(競争‒移動能力トレードオフ).2つの個体群が同じ海洋粒 子の上で接触する時間は限られており,遺伝子交換の頻度が減少 する(遺伝子交換の障壁).