書 館 文 化学 と 生物
プロローグ
Molecular Basis of Microbial One-Carbon Metabolism"
というテーマのゴードン会議 (GRC) シンポジウムが1998年 から2年おきに開催されている.そのルーツは1974年9月に 東京の帝国ホテルで開催された International Symposium on Microbial Growth on C1-compounds にある(1).このシン ポジウムのポスター(図
1
)には,石油掘削現場のガスフレ アが中央に配されており,C1微生物の研究が今は焼却処分 されている天然ガスの有効利用につながる,という意味が込 められていた.石油・石炭・天然ガスなどの化石資源の利用 に大きな期待と関心が寄せられていた時代背景を強く感じさ せる.当時農林省にいらした加藤清昭氏が東奔西走して産官 学のリーダーの同意を取り付けられ,IAMS (International Association of Microbiological Societies) の会議のポストシ ンポジウムとしてその開催にこぎ着けられた.委員長には照 井堯造先生(大阪大学),副委員長には緒方浩一先生(京都 大学)が当たられ,当時農芸化学会会長の山田浩一先生(東 京大学)のご支援をいただいた.また,69社に及ぶ様々な 業種の企業から物心両面にわたる援助を得,同時通訳付きの 本格的な国際会議になった.海外からは,メチロトローフ代 謝の第一人者であるJ. R. Quayle教授(英国),メタン酸化細 菌の分類系統を確立した J. F. Wilkinson 教授(英国)の他,旧西ドイツ,オランダ,米国,旧ソ連におけるC1微生物の 研究拠点から多くの参加があった.
メチロトローフとはメタンやメタノールを利用する微生物 のことで,当時その研究は発展途上期にあったが,すでに微 生物の種類や代謝経路に関する基本的な知見が出揃ってお り,参加者がその後の研究の方向を共有できた点できわめて 有意義な会議であった.ここでC1微生物国際会議実行委員 会が設立され,以後2 〜3年の間隔で,世界各地において同 名のシンポジウムが開催されることになった.東京でのシン ポジウム以後はオートトローフも対象となり,Puschino
(1976 年),Sheffield(1980 年),Minneapolis(1983 年), Groningen(1986 年),Göttingen(1989 年),Warwick
(1992年),San Diego(1995年)で開催され,1998年からは GRCに引き継がれることになった.
W. Harder教授を委員長として開催されたGroningenでの シンポジウムの折に「Symposium on Microbial Growth on C1-compounds」と書かれた横断幕がつくられ,GRCのシン ポジウムにも受け継がれている.私にとっては2004年の GRCが最後の参加になったが,この横断幕を背にした講演 の終わりに,「この参加者の中で第1回シンポジウム(東京)
に参加したのは私ひとりと思うが,以来このシンポジウムが 常に私を啓発してくれた」と感謝の言葉を添えた.その直後 に会場で英国のC. Anthony教授から,実は東京の前年に英 国のEdinburgで「第ゼロ回」が開催されており,自分はそ れに参加した,と聞かされた.
メチロトローフと農芸化学
加藤暢夫
図1■C1 微生物シンポジウム(東京)のポスター
この第ゼロ回のシンポジウムは,英国のBP社,ICI社お よびShell社の援助で開催され,北海油田の開発に湧く英国 を中心とした欧州では,企業化を念頭においたメチロトロー フの研究が活発化していたことになる.1960年代は微生物 による炭化水素の利用研究の最盛期にあたり,食用の微生物 タンパク質 (SCP) 生産に大きな関心が寄せられた時代で あった.そのような中で,それまで3種しか知られていな かったメタン酸化菌ではあったが,Wilkinson教授のグルー プは独自に考案した集積培養によって一挙に100株以上の菌 株の単離に成功し,細胞構造や代謝機能からメタン酸化菌を 4つの系統に分類した(2).このメタン酸化菌の系統分類と英 国を中心にして積み重ねてきた微生物によるメタノール代謝 の知見が基盤となって,メタンおよびメタノールが微生物の 工業的培養原料として一躍現実味をおびることになった.そ のC1微生物研究の欧州での旗揚げが第ゼロ回のシンポジウ ムであったわけである.
産業上は,SCPや代謝産物の生産に関する研究が進展し,
ICI社が世界最大規模 (200,000 m3) のエアーリフトタイプ ファーメンターを用いてメタノール資化性細菌による商業的 SCP生産を開始した時点 (1980) でその頂点を迎えるが,こ のPruteenと名付けられたSCPは穀物との価格競争に敗れ,
培養原料としてのメタノールへの関心は徐々に薄れていっ た.しかし,その後も微生物学におけるメチロトローフの研 究は連綿と続き,毎回のGRCでは新しい研究の進展がある.
C1微生物学のはじまり
メタン酸化菌についての記述は,1906年のSöhngen(オ ランダ)によるものが最初とされている(3).Söhngenは地下 で絶え間なく生成しているメタンの量に比べて大気中のメタ ン濃度が著しく低いことに着目して,この化学的に安定なメ タンの還元力がどこに取り込まれているのかとの疑問をもっ た.彼は,何らかの植物がメタンを酸化吸収していると考 え,メタンと酸素の混合気体を気相とした水耕栽培用のフラ スコの中で様々な水生植物を栽培した.多くの植物の栽培中 にメタンと酸素は消費されたが,その消費の開始時間にはば らつきがあった.そこで,予め洗浄した植物を用いたとこ ろ,メタンと酸素の消費速度が著しく遅くなる一方,その消 費が始まるときには必ず液体の表面に薄膜(ペリクル)が形 成され,培養液が濁ることを認めた.そして,その培養液か
らメタン酸化菌, の純粋培養を得るこ
とに成功する.この業績でSöhngenはDelft工科大学として 最初の学位授与式で工学博士を授与された.学位論文の主査 は化学合成独立栄養微生物学の創始者のひとりであるM. W.
Beijerinck教授であった.
メタン酸化菌の発見は,今から見れば微生物学史上特筆す べきことであるが,その後この研究を引き継ぐ者はなく,菌 株も消失してしまった.Söhngenの発見からちょうど半世紀 後の1956年に,Texas大学のJ. W. Foster教授のグループ
は,メタン酸化菌をコカナダモ属の水生植物から「再分離」
して (Söhngen) nov. comb. と改名 した(4).続いてFoster教授らは,
を分離し,このメタンを酸化する球菌の属名として,メチル 基を有する化合物を利用するという意味から, -とい う接頭語をつけることを提案し,以後C1化合物資化性細菌 の属名に用いられるようになった.
同じ時期に,Oxford大学のH. Krebs教授の下でオートト ローフ代謝の研究をしていたQuayle教授(図
2
)は,ギ酸資化性の の炭素源をメタノールに代
えて培養する過程で,空気中から混入した
AM1(現在は, AM1)を見い
だ し た.AM1のAはairborne(す な わ ち 混 入 菌),Mは methanol,1はfirst isolateという意味であるという(後に,
1882年München大 学 のLoewに よ る が メタノール資化性菌の最初の記述であることがわかった). Quayle教授のグループは,AM1株を用いて,トレーサー実 験,栄養要求変異株,酵素などの知見を集積し,C1化合物 資化経路のひとつであるセリン経路を確立した(5).その後も Quayle教授のグループは,メチロトローフ代謝の研究拠点 であり続けた.
PQQの発見
メチロトローフの研究で微生物生化学に強いインパクトを 与えた成果のひとつに,PQQ(ピロロキノリンキノン)の 発見がある.セリン経路の概略が明らかにされた同時期
(1964) に,メタノールデヒドロゲナーゼ (MDH) がAntho- 図2■J. R. Quayle 教授 (1926‒2006)
Quayle教 授 の 言 葉:There are two kinds of organism which stand out as the biosynthetic of the living world, the au- totrophs and the methylotrophs.
ny, Zatmanによって sp. M27から精製単離さ れ,この酵素はNAD(P) に依存せず,さまざまな一級アル コールに作用する新しいタイプの脱水素酵素であることが示 された.この酵素の補欠分子は,当初,酵素の吸収スペクト ルからプテリジン化合物と考えられていたが,J. A. Duine教 授のグループによる一連の研究によってPQQであることが 明らかにされた(6).Duine教授らは1978年にメタノール資 化性 XからMDHを精製単離し,ESR, EN- DOR, NMR などの機器分析を駆使して補欠分子の構造決定 に迫る研究を進めていた.ところが「突然」(Duine教授の 回想に suddenly" とある),1979年に米英のグループに よってその補欠分子の結晶構造解析の結果が報告された.後 に,このmethoxatinと名付けられた化合物の骨格構造は正 しいものの,抽出に用いたアセトンに由来する誘導体で,補 欠分子としての活性を有しないことが判明した.これは,
MDHの補欠分子 (PQQ) は結合型であって,構造解析だけ ではそれが補欠分子としての活性を示すかどうかを判定でき なかったことによる.一方,Duine教授のグループは,同じ
時期に, のグルコース脱水素酵
素がMDHと同様な補欠分子をもち,こちらは解離型である という事実を認めていた.そこで,自らMDHより単離した 補欠分子をそのグルコース脱水素酵素のアポ酵素に作用させ ることで,現在知られている活性型補欠分子としてのPQQ の構造を確定した.
山口大学の飴山實先生と足立収生先生は,同じ時期に,酢 酸菌などの酸化細菌から膜結合型脱水素酵素を数多く単離し ており,Duine教授によるPQQ発見の直後に,それらすべ ての酵素の未知補欠分子がPQQであり,その酸化反応は直 接電子伝達系にリンクすることを報告した.ここから山口大 学のグループによるキノプロテイン(PQQを補欠分子とす る酵素)の研究の発表ラッシュが始まる.山口大学のグルー プは,PQQを 「発酵生産」 してこれを世界中の研究者に無 償で提供するとともに, のグルコース脱水 素酵素がアポ化した変異株を作製してPQQの簡便な定量法 を確立し,世界のキノプロテイン研究に多大な貢献をされ た(7).
同じ頃,私は鳥取大学の酒澤千嘉弘先生の研究室で,ホル ムアルデヒドをメタノールとギ酸に不均化するホルムアルデ ヒドジスムターゼ (EC 1.2.99.4) という一風変わった酵素を F61株に見いだしていたが,その補欠 分子を明らかにすることができずに悩んでいた.そんなとき に,山口大学でのキノプロテイン研究の進展を拝見し,この 酵素の補欠分子もPQQではないかと思い,酵素の抽出液を 分析していただくために山口大学に伺うことにした.この時 期,酒澤先生の研究室では嶋尾正行氏が2種の細菌(共生細 菌系)によるポリビニルアルコール分解の研究を進めてお り,共生する細菌間で,未同定ではあったが,ある種の増殖 因子のやり取りがあることを明らかにしていた.山口大学に 伺う際に「試しに」と思い,部分精製した増殖因子も持参し た.
山口大学のPQQ測定法はきわめて簡便で精度の高いもの であった.すなわち,グルコースとpH指示薬であるBTBを 含む寒天培地に の変異株を蒔き,その上に 濾紙ディスクにしみ込ませた試料を置く.試料中にPQQが 存在すれば, のグルコース脱水素酵素がホ ロ化されてグルコースがグルコン酸に酸化され,ディスクの 周りのBTBが黄色に変化するというものである.試料を学 生さんに預けて,飴山先生,足立先生とお話している間に,
学生さんが「黄色くなりました」と報告に来られた.PQQ と同定されたのは増殖因子のほうであった.案に相違したと はいえ,この増殖因子は嶋尾氏を中心に研究室の総力を挙げ て取り組んでもその化学的実態を掴むことができなかったも ので,その学生さんの報告を受けたときのおどろきと感動は 今でも忘れることができない.その晩,ふぐとひれ酒をご馳 走になった.席上,現代俳句界を代表する俳人でもあった飴 山先生は,その日の人の出会いの喜びを一句にして吟じて下 さった.今となっては痛恨の極みであるが,どのような句で あったかどうしても思い出せない.それほどに研究の新しい 展開に気持ちが舞い上がっていたということで飴山先生には お許しいただきたいと思っている.
頂戴したPQQで調べたところ,PQQがあれば共生細菌系 の一方の菌だけでポリビニルアルコールを分解できることが 確かめられ(8),後日,PQQ関与のポリビニルアルコール脱 水素酵素の精製にも成功した.鳥取大学では,この増殖因子 の単離中に活性が突然消えたかと思うと予想していなかった 画分に出現するということを繰り返し,その取り扱いに難渋 していたが,足立先生やDuine教授がしばしば述べられてい るように,PQQは「sticky」な化合物でガラス容器などにも 付着してしまう性質があることを知って,鳥取大学での苦労 の原因のすべてが氷解した.ちなみに,ホルムアルデヒドジ スムターゼの補欠分子はNADであることが後日判明し,簗 瀬英司教授(鳥取大学)によってNADを非共有結合的に包 み込んだ酵素タンパク質の結晶構造が解明された.
メタノール資化性酵母の発見
京都大学の発酵生理および醸造学研究室によるメタノール 資化性酵母の発見は,欧米で展開し始めていた原核微生物に よるメチロトローフの研究に一石を投じるできごとであっ た.当時,日本でも非糖質化合物の研究が盛んで,山田浩一 先生が主宰される「石油発酵研究会」を中心にして産官学の 研究者による活発な活動が続いていた.当時,京都大学の研 究室ではビタミンの研究に傾注していたが,そこに,日本合 成化学(株)から西川英郎氏が派遣され,微生物による酢酸メ チル利用の研究を開始した.緒方先生はこのテーマを与えら れた直後に海外研究視察に出発された.西川氏は,大杉匡弘 先生(当時助手)の指導を受けて,酢酸メチルと格闘してい たが,この沸点の低い有機溶剤に旺盛な生育を示す微生物は なく,これを加水分解する酵素活性を見いだすのがやっとの
状態であった.
米国とデンマークでの1年間の滞在を終えて帰国された緒 方先生は研究の進捗状況を聞かれ,「酢酸メチルが酢酸とメ タノールに加水分解されるのであれば,まず酢酸とメタノー ルを利用する微生物を探してはどうですか」と言われた,と 大学院生であった私は大杉先生から伺った.卒業研究を進め ていた林宏君がメタノール資化性菌の探索にとりかかり,程 なくメタノールに旺盛な増殖を示す酵母を単離した.林君は
それからしばらく図書館で のページをめ
くる毎日となり,漸く「酵母はメタノールを利用することが できない」という内容の論文に遭遇するに至った.Web検 索をすれば一瞬のうちに過去の業績を検索できるようになっ たのはその30年後のことである.ここで,栃倉辰六郎先生
(当時助教授)の大号令で,手の空いている大学院生が分離 した酵母の同定のための試験を分担して行なうことになっ た.
今回,メタノール資化性酵母の発見の部分を書くに当たっ て,林君の卒業論文に改めて目を通した.私が意外に感じた のは,菌株の探索,分離,資化性,菌学的性質が実に正確に 淡々と書かれているものの,「発見」という言葉がその卒論 のどこにも見あたらないことである.緒方先生のユニークな 発想もさることながら,あまりにあっけなく菌が分離された ために,当初は誰も大発見とは思わなかった.この林君の卒 業論文に若干のデータが加えられた論文は,
の Short Communication(9) として掲載された.すで に欧米では,微生物の工業的培養原料への関心が -アルカン からメタンやメタノールに移りつつあった時期であり,国の 内外から注目を浴びる報告になったと聞いた.その後,日・
米・独・蘭などから相次いで新たなメタノール資化性酵母が 報告された.日本では,三菱ガス化学(株)が工業技術院微生 物工業技術研究所の外村健三先生のグループと協同で,いち 早くメタノール資化性酵母の応用研究に着手され,ICI社の メタノール資化性細菌とSCP生産の先陣争いを繰り広げた.
京都大学で分離したメタノール資化性酵母は,同定の結果 sp. No. 2201という菌名で報告された.「
属らしい」というのが原著での表現であるが,その後この菌 名での報告が続いたため,世界的にも有名な菌株になって いった.1981年だったと思うが,駒形和夫先生(東京大学)
が鳥取大学に来られた折りに,「京大株」は
ではないかとのご指摘をいただいた.駒形先生はメチロ トローフの分類学をいち早く研究対象にされており,「炭化 水素資化性菌では微生物分類学が適切な対応ができなかった ので,メチロトローフではしっかりやりますよ」と言われた ことを記憶している.以下は言い訳になるけれども,現在で あれば,短鎖rRNAの塩基配列を比較することによって,属 までの推定は容易であるが,形態や生理的性質を論理的に積 み重ねてゆく従来の方法は,微生物分類学の素人には荷が重 かった.早速菌株名の訂正を公表しなければならないと考 え,谷𠮷樹先生(京都大学)と相談して,後述のホルムアル デヒド固定酵素の論文は多くの人の目に触れるのではないか
ということで,その脚注に菌名訂正の一文を入れることにし た.論文の校正の時まであったのだが,印刷された報文には 脚注部分が削除されており,その論文の表題に
( sp.) No. 2201と書いたことだけで菌名の訂 正を公表したことになってしまった.駒形先生からのご助言 がこのような中途半端な形の訂正になったことを今でも申し 訳ないと思っている.
酵母のメタノール酸化
メタノール資化性酵母が発見された当時,細菌のメタノー ル酸化の知見がすでにあり,反応の自由エネルギー変化から みて,メタノールからホルムアルデヒドへの酸化はNAD
(P) の還元を賄うことができないことがわかっていた.大学 院生の美矢豊文君が谷先生の指導の下でFADを補欠分子と するアルコールオキシダーゼを結晶状に単離したのは酵母が 発見されて間もなくのことであった(10).この酵素はメタ ノールに生育した菌体中に多量に存在し,可溶性タンパク質 の約10%にも達することもわかったが,後にこの事実は,
この酵素遺伝子がメタノール誘導性の強力なプロモータをも つためと読み解かれ,アルコールオキシダーゼ遺伝子プロ モータを利用した異種遺伝子発現系の開発へと発展した.
, , の
遺伝子発現系は,今や世界中で,特に真核生物由来の遺伝子 発現系として使われている.
sp. No. 2201のアルコールオキシダーゼは超遠 心分析で570,000 Da, そのサブユニットはSDS -電気泳動から 83,000 Daと測定された.これらを基にしてサブユニットの 数を求めると7個になる.分析を何度やりなおしてもサブユ ニット数は偶数のきれいな数にならなかった.分子が大きす ぎ正確な値をもとめにくかったためであり,いろいろと悩ん でいると,熊谷英彦先生(京都大学)から,サブユニットの 大きさからすると電子顕微鏡に映るかも知れないので一度試
図3■アルコールオキシダーゼの電子顕微鏡写真
してみてはどうか,とのご助言をいただいた.早速,日本電 子株式会社にお願いし,東京昭島のショールームで電顕写真 を撮っていただいた.きれいなサブユニット構造が画面に映 し出され(図
3
),4つのサブユニットが2段重なったもの,と解説していただき,ホモオクタマーであることが確定し た(11).今ならベンゼン分子も「見る」ことができるそうだ が,アルコールオキシダーゼが鮮やかにそのタンパク質分子 として姿を現わしたときには鳥肌が立つ思いがした.当時,
朝日新聞の夕刊に,各界の著名人による「私が最も興奮した とき」というコラム記事が連載されていたが,この昭島製作 所での経験が私のそれに当たるかも知れないと思った.大学 に帰り,緒方先生に報告すると,写真の美しさをほめて下 さった後で,「まさか電顕を買う約束をしてきたのではない でしょうね」とかなり真顔でおっしゃったことも記憶にあ る.
酵母のC1化合物資化経路
アルコールオキシダーゼの発見で,酵母によるメタノール 酸化経路の解明は順調に進んだのに対して,資化経路では紆 余曲折が続き,すべてが明らかになるまでには酵母が分離さ れてから10年を要した.細菌によるC1化合物資化経路とし て は,当 時 す で に セ リ ン 経 路 と リ ブ ロ ー ス モ ノ リ ン 酸
(RuMP) 経路が知られていた(5).特に後者は,Quayle教授 のグループが 14C-メタノールのトレーサー実験を駆使して確 立した新しい経路であった.微生物工業技術研究所の外村先 生のグループはこの手法を酵母に適用して,ホルムアルデヒ ドに由来する初期代謝中間体が「フルクトースリン酸」であ ることを に報告された(12, 13).この論文 では具体的な代謝経路を導くまでには至っていないが,ホル ムアルデヒドの固定反応が明らかになるまで,資化経路につ いて唯一具体的な結果を示したものであった.後から考えれ ば,酵母の資化経路の解明とは,この1975年に報告された 事実の中身を解き明かす作業であったと言える.この初期の 重要な知見を基にして,西ドイツとオランダのグループに私 達も加わって,反応を触媒する酵素の探索が始まったが,な かなかその実体に迫る成果を得ることはできなかった.
1977年の夏,留学先の西ドイツのGBF(西ドイツ国立バ イオテクノロジー研究所)から休暇をもらって,私はShef- field大学のQuayle教授を訪問した.このメチロトローフ代 謝の聖地ともいえる研究室で,私は酵母によるメタノール酸 化の講演をした.大学に到着するなりカフェテリアでサンド イッチをいただいた.サンドイッチを手づかみでほおばろう とすると,Quayle教授はナイフとフォークを使われて上品 に食べ始めていた.紳士の国,英国ではサンドイッチをその ように食べるのかと感心するのもつかの間,Quayle教授は,
酵母の資化経路についての私の意見を聞いてこられた.そこ で,苦し紛れに,初期にフルクトースリン酸が生成するとい う事実は重要なのではないか,と言ったところ,Quayle教
授は頷かれて,やはりペントースリン酸がホルムアルデヒド の受容体として重要な役割をもっているように思うが,実験 事実は未だない,とのことだった.私は若干の安堵感ととも に,この経路もやはりこの研究室で決められてしまうのかと いう不安も同時に感じた.
京都大学では,1977年から大学院生の西澤勉君がこの テーマに取り組み,ペントースリン酸の添加効果を調べるよ うにとの谷先生からの指示に従って実験を進め,リブロース 5-リン酸やキシルロース5-リン酸に若干の効果を認めてい た.1978年になってQuayle教授のグループから「酵母の資 化経路の中間体はジヒドロキシアセトンではないか?」との 論文が発表された(14).その根拠となった実験的事実は,
14C‒メタノールの放射能は反応初期にヘキソースリン酸に取 り込まれること,フルクトース-1,6-ビスリン酸アルドラー ゼ,フルクトース-1,6-ビスホスファターゼおよびジヒドロキ シアセトンキナーゼがメタノールで誘導されることである.
前の2つの酵素が関与してヘキソースリン酸(ここではフル クトース6-リン酸と仮定)ができるとすると,ジヒドロキシ アセトンリン酸とグリセルアルデヒドリン酸とがアルドール 縮合してフルクトース1,6-ビスリン酸を生成するはずであ り,そのリン酸が1つとれてフルクトース6-リン酸になる経 路が推定できる.そして,ジヒドロキシアセトンキナーゼが 関与することから,ジヒドロキシアセトンとグリセルアルデ ヒド3-リン酸を生成する反応がその前になければならず,そ れは,ホルムアルデヒドとキシルロース5-リン酸とのトラン スケトラーゼ反応が最有力である,との推定であった.代謝 経路を知り尽くしたQuayle教授一派ならではの見事な推論 である.
この論文に勇気を得て,強靱な体力を有する西澤君は夜を 徹して酵素の精製に取り組んだ.後でわかることであるが,
長らくこの酵素の実態を把握できなかったのはその不安定性 が最大の要因である.折角無細胞抽出液中にペントースリン 酸に依存したホルムアルデヒドの消費活性を見いだしても,
次の日の朝にはその活性は半減してしまう.したがって,こ の酵素反応を解明するには,2, 3日の徹夜も厭わず実験する 体力がどうしても必要であった.今ならHPLCシステムを用 いた迅速な酵素精製も可能であるが,その当時は流速の遅い オープンカラムしかなかった.年が明けて修士論文の締め切 り間際になって,漸く,キシルロース5-リン酸とホルムアル デヒドとのトランスケトラーゼ反応を触媒する酵素を含むと 確信できる部分精製酵素標品を得ることができた.
当時私は鳥取大学におり,そのアイソトープセンターが京 都大学より使いやすいということで,京都大学で夜を徹して 精製した部分精製酵素を5時間かけて雪がちらつく鳥取大学 にもってきてもらい,直ぐさま,14C-ホルムアルデヒドとキ シルロース5-リン酸との反応を行ない,反応生成物をペー パークロマトグラフィーに供した.西澤君はこの夜,鳥取大 学のゲストハウスで何週間ぶりかのまともな睡眠をとること になる.彼の奮闘のお陰で,ラジオオートグラムの写真には ホルムアルデヒドに由来する放射能をもつジヒドロキシアセ
トンのスポットがくっきりと写し出された(図
4
).さらに,酵素法を用いて,ジヒドロキシアセトンとともにグリセルア ルデヒド3-リン酸が生成することも認めた.これで,Quayle 教授のグループが「?マーク」つきで提唱した経路が立証さ れ,長年懸案だった酵母のホルムアルデヒド固定反応経路が 確定することになった.
しかし,これだけの切羽詰まった体力勝負の実験をしても らっておりながら,論文の投稿はその年の6月で,
の9号に掲載された(15).今から思えば,何と悠 長なことかと我ながらあきれてしまう.次いで,1981年に Quayle教授のグループから, にメタノール 誘導性のトランスケトラーゼ(ジヒドロキシアセトンシン ターゼ)の活性を見いだしたとの報告があり,この酵素はき わめて不安定で,単離精製には至らなかったと述べている.
論文の中で,この酵素の存在を確認した最初の報告として上 記の私達の論文が引用されていた.
鳥取大学では,引き続いてこの酵素の精製単離を行なっ た.まず,この酵素を安定化する方法を検討し,少しでも効 果のあるものをすべて加えることにし,精製の全過程を通じ て,5 mm MgCl2, 0.5 mm TPP, 1 mm DTT, 1 mm EDTA, 0.024% PMSF を含むリン酸緩衝液を用いた.この酵素精製 にはやはり頑健な樋口俊男君が当たり,紆余曲折を経て単一 なまでに精製できた.ここで,ホルムアルデヒドの受容体と してヒドロキシピルビン酸も利用できることがわかり,より 安価な基質で酵素活性を測定することが可能になった(16).
この論文が掲載されると,ソ連(当時)のY. A. Trotsen-
ko博士から,何で我々の論文を引用しないのか,との手紙 をもらった.その手紙によると彼らは (ロシア語 の雑誌)の1981年12月号に酵素の精製を報告したという.
私達の投稿が同年の10月だったので引用するすべがなかっ たと返事を書いた.それまでも彼とは国際会議で話したこと もあったが,それ以来,親しく情報を交換する仲になった.
これも,遅筆の私にとってはきわどいところであった.英語 で論文を書かなければならないハンデについて,英国人の研 究者に愚痴を言ったところ「悪いけど我々はそれをアドバン テージと感じている」との返事であった.今の日本の若い研 究者は総じて英語に長け,論文を一晩で書き上げるという達 人もいるようだが,情報化社会の中で研究者は以前よりずっ と緊張が求められているではないかと思う.
リブロースモノリン酸経路
RuMP経路は,1974年Quayle教授のグループによってメ
タン酸化細菌である で明らかにさ
れたもので,ホルムアルデヒドがリブロース5-リン酸とアル ドール縮合してd-アラビノ-3-ヘキスロース6-リン酸を生成 し,次いでこれが異性化されてフルクトース6-リン酸になる 反応によって開始する(5).この2つの反応を触媒する酵素 は,それぞれ,3-ヘキスロース-6-リン酸シンターゼ (HPS, EC 4.1.2.43) と6-ホスホ-3-ヘキスロイソメラーゼ (PHI, EC 5.3.1.27) である.両酵素の遺伝子は鳥取大学の簗瀬氏(当時
助教授)によって初めて 77aか
らクローニングされた(17).また,三木邦夫先生(京都大学)
のご教示を得てHPSの結晶構造も明らかにできた(18). 細菌のもう一方のC1化合物資化経路であるセリン経路が,
生物に共通する酵素反応の組み合わせによって成り立ってい るのに対して,RuMP経路の初期反応はメチロトローフ特有 のものであると信じられていた.京都大学の制御発酵学研究 室 で は 大 学 院 生 の 三 井 亮 司 君 が,
MB19ではHPSとPHIの両遺伝子がオペロンであることを見 いだしていたが(19),1999年のある日の夕方,彼は両酵素の 推定一次構造を基にして自ら作成した系統樹の図を私のとこ ろへもってきてくれた.当時はまだゲノムが解読された原核 微生物の数は限られていたが,その系統樹にはバクテリア,
アーキアを問わず,かなりの数の「非」メチロトローフの菌 名があった.後にわかったことであるが,味の素(株)の安枝 寿氏もすでにそのことに気付かれて,枯草菌では両酵素の遺 伝子がホルムアルデヒドによって誘導発現することを見いだ された(20).これは,メチロトローフ以外の微生物で両酵素 の存在意義を示した初めての報告である.
原核微生物のゲノム解析が進むに従って,三井君が最初に 作成した系統樹上には次々と新しい菌名が加えられ,現時点 では,メチロトローフおよび非メチロトローフのバクテリア とアーキアの遺伝子がそれぞれクラスターを形成する系統樹 になっている(21).そこで,阪井康能氏(当時助教授)と相 図4■反応液のラジオオートグラム
上のスポット ( f≒0.73) は14C-ジヒドロキシアセトンに,下のス ポット ( f≒0.35) は14C-ホルムアルデヒドに,それぞれ由来す る.キシルロース5-リン酸を加えた反応では(反応時間,Cは0 分,Dは15分,Eは30分),14C-ホルムアルデヒドが14C-ジヒドロ キシアセトンに取り込まれている.キシルロース5-リン酸が反応 液に存在しないとき(反応時間,Aは0分,Bは30分),およびキ シルロース5-リン酸の代わりにリブロース5-リン酸を用いたとき
(F) は,14C-ジヒドロキシアセトンは生じていない.
談してアーキアの中から を選び,その 遺伝子産物を調べることにし,大学院生の折田和泉さんが,
NBRC (NITE Biological Resource Center) から取り寄せた 遺伝子を大腸菌で発現させて酵素を精製する実験を開始し た.
では,完全長の両遺伝子がつながった1つの ORFを形成し,その遺伝子産物は両酵素の活性をもつ融合 タンパク質であった.また,調べた限りでは,メチロトロー フも含めたバクテリアの両酵素遺伝子はC1化合物で誘導発 現するのに対して, では構成酵素であった.メ タン生成菌にも両遺伝子が存在するということで,由里本博 也氏(当時助手)はドイツのR.K. Thauer教授の研究室を訪 れて,この酵素の生理的な意味について実験し,メタン生成 菌におけるHPS-PHIの意義に関する論文となった(22).
この時点で私達は,何らかの代謝過程を経て生じるホルム アルデヒドの解毒にこの酵素系が関わっているのではないか と考えた.当時,私達の研究室では,阪井氏を中心にして酵 母のメタノール代謝で生じるホルムアルデヒドの解毒機構を 詳細に検討しており,原核微生物についても関心はホルムア ルデヒドの解毒機構に向いていた. の酵素に関 する論文(23)では,このアーキアが生息する環境にホルムア ルデヒドが存在すると想定し,その解毒にこの酵素系が関わ るのではないかと推論した.しかし,これが公表された直後 に,ペントースリン酸回路を欠いているアーキアでは,HPS とPHIの逆反応,すなわち,フルクトース6-リン酸からリブ ロース5-リン酸とホルムアルデヒドを生成する反応がペン トースリン酸回路の代わりにペントースリン酸を供給するの ではないか,とする論文が出た(24).これは,アーキアのゲ ノムデータだけを利用した考察の結果であった.
私は両酵素の性質を知り尽くしていたはずであり,酵素活 性を測定する手段としてその逆反応も利用していた.次に述 べるように,その逆反応の意味を明確にする実験事実を得る ことができたものの,ゲノム情報だけを基にして示されたこ の経路の新しい意義は私にとってまさにコロンブスの卵であ り,自家薬籠中のモノを生かすことができなかった不明を恥 じている.
今中忠行教授(京都大学)の研究室では,
を用い,アーキアとしては数少ない遺伝子組 換え系を構築されていた.幸運にも,この菌はペントースリ ン酸回路をもたず, と同様にHPSとPHIの融 合遺伝子をもっていた.由里本氏と折田さんは,今中研究室 で作製していただいた のHPS-PHI遺伝子 欠損株が生育のためにヌクレオシドを要求することを立証 し,HPS-PHIがペントースリン酸の合成に必須の役割をも つことを明確にした(25).これは私が京都大学を退職した後 の研究成果であるが,メチロトローフで見つかったRuMP 経路は,バクテリアではホルムアルデヒドを固定する反応が 生理的な意味をもち,アーキアではその逆反応が必須の役割 をもつことになり,同じ反応を触媒する酵素が,反応の方向 を異にして,それぞれの生物群で異なる役割を演じるという
珍しい例になった.
泉井桂先生(京都大学)からHPSとPHIの遺伝子を植物 で発現させてみたいとの相談を受けたのは,私が京都大学を 退職する前年であった.以前RuMP経路とカルビン・ベン ソン経路との類似性を論じたQuayle 教授の論文(26)を思い出 し,直ぐに遺伝子を使っていただくことにした.シロイヌナ ズナとタバコの葉緑体で両酵素活性は高度に発現し,これら の組換え植物はホルムアルデヒドを「資化」できるように なった.すなわち,カルビン・ベンソン回路をバイパスする ようにホルムアルデヒドの固定反応が進んだことになる.長 年付き合ってきた酵素の新しい展開に昂揚感を覚えた.この 論文(27)が2010年度BBB論文賞を受賞することになったとの うれしい知らせにも接することができた.
エピローグ
本誌元編集委員長の村田幸作先生から「微生物の新規代謝 機能―物質生産と環境浄化への応用」という仮題を頂戴した が,取り扱ってきた様々な非糖質化合物の中で,助手になっ たときに緒方先生から与えていただいたメタノールのテーマ とは私の大学人生の最後まで付き合うことになった.幸いな ことに,メチロトローフ代謝研究の黎明期からその進展を目 の当たりにすることができたので,メタノールのことに限っ てこの「文書館」に入れていただくことにした.もちろん,
メチロトローフ研究の流れのすべてを俯瞰したものではな く,かつて目の前で起こったことを回想したものである.実 験には「体育会系」の取り組みもあり,より洗練された現代 の研究の進め方とは趣を異にすることは承知している.それ はともかくとして,研究室以外の方々からのご援助やご助言 によって,小さいながらも何度か研究の突破口を開くことが できた.幅広い研究領域を包含する農芸化学会の会員である ことが幸いしたことを強く感じている.
最近,阪井氏のグループや谷明生氏(岡山大学)はメタン 酸化菌と植物との相互作用に関する研究を進めている.これ は,約1世紀前にSöhngenが植物の水耕栽培からメタン酸化 菌を見つけた経緯と符合するように感じられる.もし,20 年後にもこの「文書館」があるなら(ぜひそうあってほしい と思うが),新しいメチロトローフの世界がこの文書館に記 録されることを期待している.
文献
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不破 春彦(Haruhiko Fuwa) <略歴>
1997年東京大学理学部化学科卒業/ 2002 年同大学大学院理学系研究科博士課程修了
(理博)後,同大学薬学系研究科寄付講座 教員,日本学術振興会特別研究員を経て,
2006年東北大学大学院生命科学研究科助 手/ 2009年同准教授,現在にいたる<研 究テーマと抱負>天然物を基盤とした新規 有用化合物の合成化学的探索<趣味>小説
(松本清張),温暖な土地への旅行 増 口 潔(Kiyoshi Mashiguchi) <略 歴>2003年東京大学農学部生命工学専修 卒業/ 2008年同大学大学院農学生命科学 研究科応用生命化学専攻修了(農博)/同 年同研究科特任研究員/ 2009年理化学研 究所植物科学研究センター特別研究員,現 在にいたる<研究テーマと抱負>オーキシ ン生合成に関する研究.向上心をもって,
日々精進する<趣味>サッカー (ダイエッ トが必要)とその観戦
松崎 政紀(Masanori Matsuzaki) <略 歴>1994年東京大学理学部生物化学科卒 業/ 2001年同大学大学院医学系研究科修 了(医博),以後,国立生理学研究所助手,
東京大学大学院医学系研究科助教(さきが け研究員併任),同准教授を経て,2010年 基礎生物学研究所教授,現在にいたる<研 究テーマと抱負>光技術を駆使しながら,
大脳回路の動作原理を回路・細胞・シナプ スレベルから明らかにしたいと考え研究を 行なっている.一緒に研究を進めてくれる 大学院生を募集しています.
村 井(羽 田 野)麻 理(Mari Murai-Hata no)
<略歴>1992年千葉大学園芸学部卒業/
1994年同大学大学院園芸学研究科修士課
程修了/ 1997年北海道大学大学院地球環 境科学研究科博士後期過程修了,現在,独 立行政法人農業・食品産業技術総合研究機 構(農研機構)東北農業研究センター生産 基盤研究領域主任研究員<研究テーマと抱 負>植物が環境に応答して生きていくしく みを理解したい<趣味>テニス
和地 正明(Masaaki Wachi) <略歴>
1989年東京大学大学院農学系研究科農芸 化学専攻博士課程修了(農博)/同年東京 工業大学生命理工学部生物工学科助手/
1994年同講師/ 1997年同助教授/ 2012年 同大学大学院生命理工学研究科生物プロセ ス専攻教授,現在にいたる<研究テーマと 抱負>細菌の増殖と代謝の制御機構の解 析,新規抗生物質の探索,RNaseの機能解 析<趣味>酒