十年 来の 観劇 仲間 であ り︑ 私に 舞台 鑑賞 を教 え てく れた Mか ら︑
﹃ミ ス・ サイ ゴン
﹄か
﹃モ ーツ ァ ルト
!﹄ だっ たか のマ チネ の帰 りに
︑こ う切 り出 され たこ とが ある
︒
﹁私
︑今 日の みた いな
︑暗 くて 悲し い舞 台は 嫌い
︒ 舞台 を観 に来 てい るの に︑ どう して 疲れ なく ちゃ いけ ない の?
﹂ 彼女 の言 う﹁ 舞台
﹂と は︑ 無条 件に 観客 に元 気 を与 えて くれ るよ うな もの であ った
︒彼 女は
︑主 人公 ジャ ン・ バル ジャ ンが 昇天 して
︑皆 が﹁ 明日
﹂ に希 望を 残す よう な合 唱で フィ ナー レを 迎え る
﹃レ
・ミ ゼラ ブル
﹄を とり わけ 気に 入っ てい た︒
︵と はい え︑
﹃レ
・ミ ゼラ ブル
﹄も 登場 人物 が殆 ど戦 死・ 病死 して おり
︑ラ スト の解 釈は 単な る希 望に 留ま るも ので はな いと
︑ひ ねく れた 私は 思う のだ が︒
︶ また
︑こ んな こと もあ った
︒M と同 じく
︑十 年 来の 観劇 仲間 であ り︑ 宝塚 をこ よな く愛 する Sは
︑ 観劇 する かど うか を決 める 際の 厳格 な基 準を 持ち 合わ せて いた
︒
﹁
舞台 は非 日常 なの だか ら︑ バッ ドエ ンド はお 呼 びじ ゃな いわ
︒や っぱ りハ ッピ ーエ ンド じゃ なく っ ちゃ
︒﹂ 実際 に︑ 彼女 は小 説を 読む とき にも 同様 のル ー ルを 守っ てお り︑ どこ まで もフ ァン タジ ーを 愛す る人 であ った
︒宝 塚歌 劇団
︵以 下︑ 宝塚
︶で は︑ 確 かに 主人 公と その 恋人 が死 ぬ場 合で も︑ 舞台 の最 後に
︑純 白の 衣装 に身 を包 んだ トッ プス ター と娘 役が
︑ド ライ アイ スで 表現 され る死 後の 世界 で美 しく 舞い
︑永 遠の 愛を 確か め合 うこ とが 多い
︒そ こで は︑ 死の 苦痛 や悲 しみ とい った 要素 より も︑ 死の 美し さ・ 安ら かさ が強 調さ れ︑ バッ ドエ ンド はあ り得 ない ので ある
︒ その 時す でに
︑私 の心 の中 には 大き なわ だか ま りが 出来 てい た︒ 舞台 上で
︑﹁ 死﹂ に代 表さ れる
﹁暗 くて 悲し い﹂ もの を描 き︑ 観客 を疲 弊さ せる よう なテ ーマ を表 現す るこ とに 何の 意味 があ るの か︒ これ は論 文で はな いの で︑ 専門 的な 考察 はこ こ では 避け るこ とに して
︑こ こで は︑ 以上 の問 題を
︑
二〇 一四 年九 月一 一日 から 二一 日に かけ てブ レヒ トの 芝居 小屋 にて 上演 され た︑ 東京 演劇 アン サン ブル の﹃ 無実
﹄を 想起 点に
︑私 の考 える とこ ろを 述べ てい きた い︒ さて
︑﹃ 無実
﹄と は︑ いか なる 作品 なの か︒ この 作品 は︑ ドイ ツの 戯曲 家デ ーア
・ロ ーア ーに よっ て書 かれ
︑二
〇〇 三年 にタ リー ア劇 場︵ ハン ブル ク︶ にて
︑ア ンド レア ス・ クリ ーゲ ンブ ルク の演 出に よっ て初 演を 迎え た︵ 二六 七頁
︶︒ 日本 では
︑先 述し た東 京演 劇ア ンサ ンブ ルに よる 上演
︵公 家義 徳演 出︑ 三輪 玲子 訳︶ が初 演で ある
︒ 翻訳 者の 三輪 玲子 は︑ この 作品 のあ らす じを 以 下の よう に説 明し てい る︵ 脚注 一︶
︒ ヨー ロッ パの ある 海辺 で︑ 不法 入国 の黒 人二 人 が︑ 海に 入っ てい く女 を見 つけ るが
︑助 けよ うか 躊躇 する うち 彼女 は波 間に 消え る︒ 眠れ ぬ夜 を過 ごす うち
︑一 人が
﹁金
︵神
︶の 入っ た袋
﹂を 発見 する
︒
外国 語学 部 国際 文化 交流 学科 4年
田 中 里 奈
東 京 演 劇 ア ン サ ン ブ ル
﹃ 無 実 ﹄ か ら 見 た
︑ 劇 場 に お け る
﹁ ゆ る し
﹂ の 関 係 性
東京演劇アンサンブル『無実』から見た、劇場における「ゆるし」の関係性
● エッセイ目の 見え る男 たち のた めに 踊る 盲目 の踊 り子
︑犯 して もい ない 罪の 許し を請 う女
︑遺 体処 置係 に生 きが いを 見出 す男
︑娘 夫婦 の家 に転 がり 込む 糖尿 病の 母︑ 自著 を燃 やし
﹁世 界の 不確 実性
﹂を 悟る 老い ゆく 女性 哲学 者︒ 個々 の物 語は やが て絡 み合 い︑
﹁金
﹂は 盲目 の少 女の 手術 代に なる が⁝
︒ こう して みる と︑
﹃無 実﹄ には 確固 とし た物 語の 軸が あり
︑そ の中 心線 に沿 って 展開 され てい くよ うに 思わ れる
︒し かし
︑実 際に は︑ 個々 の登 場人 物は
︑作 品の 後半 に至 るま でそ の相 互の 関係 性が 明ら かに され ない
︒︵ 一部 の登 場人 物に 至っ ては
︑ 最後 まで 他の 登場 人物 と関 わら ない
︒︶ 観客 は︑ 二 時間 三五 分と いう 上演 時間 の中 で︑ 場面 と場 面の つな がり を自 発的 に考 えな がら 観て いか なけ れば なら ない
︒ この 長い 上演 時間 は︑ そも そも 最初 に述 べた
﹁疲 れさ せる 舞台
﹂の 条件 であ ろう
︒と はい え︑ 演劇 の 中に は九 時間
︵蜷 川幸 雄﹃ グリ ーク ス﹄
︑二
〇〇
〇 年︶ やそ れ以 上の もの もあ るわ けで
︑決 して
﹃無 実﹄ が長 いわ けで はな い︒ しか し︑ 他の 東宝 や宝 塚︑ 劇団 四季 とい った 劇団 が一 時間 半を おお よそ の上 限に
︑作 品を 二部
・三 部構 成に して いる こと を鑑 みる と︑ 二時 間三 五分 は比 較的 長め であ る︒ 一時 間半 とい えば
︑多 くの 大学 の一 授業 時間 に
相当 する が︑ 人間 の集 中力 云々 を考 えた とき
︑実 際の 問題 とし て一 時間 半は 長す ぎる ので ある
︒︵ 大 教室 を見 渡せ ば︑ 一時 間を 超え たあ たり で︑ ウト ウト して いる 学生 がい かに 多い かは 言う まで もな い︒
︶ま して や︑ 演劇 を観 に来 る人 々の 中に は︑ お 手洗 いの 近い 方も いる わけ で︑ なか なか 上演 時間 の長 さは
︑観 客の 快適 さに はつ なが らな いの であ る︒
︵劇 場に おけ るト イレ 問題 は︑ 語り 出す とき りが ない ので 割愛 する
︒︶ また
︑こ の作 品は
︑ロ ーア ー自 身に よっ て﹁ 不 慮の 事故 と罪 をめ ぐる 物語 であ り︑ 人が 生き てい くこ とに 対す る責 任に つい て問 い︑ 神に つい て︑ そし て運 命を 制御 しう る可 能性 につ いて 問う てい る﹂ とさ れ︑
﹁﹃ 私た ちが 失っ てし まっ た人 たち が 私た ちの 行い や考 えに いか に影 響を 及ぼ し続 ける か︑ 死者 が私 たち のな かで 私た ちと とも にい かに 生き 続け るか
﹄と いう こと にま つわ る物 語﹂ に位 置 づけ られ てい る︵ 脚注 二︶
︒ こ の よ うな 脚 本を
︑ 演 出家 の 公 家義 徳は
︑ 二〇 一一 年三 月一 一日 の東 日本 大震 災︑ そし て福 島第 一原 子力 発電 所の 事故 と結 びつ けよ うと 試み た︒ 舞台 上に は︑ 除染 した 土の 入っ た土 嚢袋 が大 量に 積ま れ︑ 大道 具の 運搬 をす る俳 優た ちは 除染 用ス ーツ に身 を固 めて いる
︒ひ まわ り︑ ガイ ガー カウ ンタ ーの 音︑ 津波 後の 海岸
⁝⁝ 全編 を通 して
︑
至る 所に 三. 一一 の痕 跡が 生生 しく 残っ てい る︒ しか し︑ それ らは 観客 に押 し付 けら れる ので はな く︑ 観客 がそ の一 つ一 つを 拾っ てい くこ とで 意味 を成 すよ うに 置か れて いる
︒
⁝と まあ
︑偉 そう に書 いて はみ たも のの
︑観 劇 当時 の私 は︑ この 作品 を﹁ 母親
﹂と
﹁罪
﹂︑ そし て﹁ ゆ るし
﹂と いう 私的 な観 点か ら観 た︒ そう
︑私 にと って
︑こ の作 品の 特筆 すべ きと こ ろは
︑登 場人 物た ちの 関係 性/ 非関 係性 の生 々し さな ので ある
︒そ の中 でも
︑今 回は
﹁母 親﹂ と﹁ 自 殺者
﹂の 描写 を取 り上 げて みた い︒
﹃無 実﹄ にお ける
﹁母 親﹂ は三 名︵ 厳密 には 二名
︶ であ る︒ その 中で も︑ ミセ ス・ ハー バー ザッ トと ミセ ス・ ツッ カー の存 在感 は︑ グロ テス クと 言え るほ どに
︑も のす ごい
︒ ミセ ス・ ハー バー ザッ トは
︑あ る少 女を 殺し た 加害 者で ある 少年 の母 親を 装い
︑人 々に 許し を請 いて 回っ てい る女 性で ある
︒彼 女は
︑被 害者 であ る少 女の 両親 を尋 ね︑ ひた すら に許 しを 請う
︒︵ そ れは もう
︑被 害者 の母 親が 吐き まく って も意 に介 さな いほ どに 一心 に︒
︶ ミセ ス・ ハー バー ザッ トは
︑一 見す れば 狂人 以 外の 何者 でも ない
︒し かし
︑舞 台の 後半 で︑ ミセ ス・ ハー バー ザッ トの その よう な行 為の 背景 には
︑
彼女 自身 の死 産の 経験 があ るこ とが 明ら かに され る︒ 自分 に言 い聞 かせ てい るの
︒何 かの ため によ かっ たか もし れな いで しょ って
︒あ の子 はひ ど いこ とし たか もし れな いし
︑泥 棒に なっ たか も しれ ない し︑ 殺人 犯に だっ て⁝
⁝そ うし たら
︑ そう した らあ たし は犯 罪者 の母
︑生 涯ず っと
︒ 生涯 ずっ と歩 き回 って 許し を請 わな けれ ばな ら ない
︑あ の子 に代 わっ て︒
︵中 略︶ わた しを お母 さん と呼 んで くれ る子 はい なか った
︒私 の名 前を 知っ てて 愛情 込め て略 し て呼 んで くれ る人 も︒
︵一
〇八
︱一
〇九 頁︶ なん て︑ かな しい 台詞 なの だろ う︒ ミセ ス・ ハー バー ザッ トに とっ て︑ 死産 した 男の 子が
﹁生 きて いた ら﹂ 犯罪 者だ った
﹁か もし れな い﹂ 罪を 背負 う こと は︑ 死産 とい う耐 え難 い経 験を
︑ど うに か抱 えて 生き てい くた めの 術な ので ある
︒ミ セス
・ハ ー バー ザッ トは
︑死 につ いて 問わ れ︑ 震え なが らぽ つり と言 う︒ よく わか らな いわ 死ぬ って
︒
︵中 略︶ もう 長い こと わた し自 身が お墓 なの
︑ 二本 足の から っぽ のお 墓︒ 子供 を身 ごも って
︑
男の 子で
︒名 前も 考え てあ った
︒そ の子 の名 は
⁝⁝ その 子の 名は
⁝⁝
︵口 を動 かし て︶
⁝⁝ っ てい うの
︒︵ 間︶ だけ ど死 んじ ゃっ て︑ わた しの 体の 中で 死ん じゃ って
︒生 まれ るち ょっ と前 に︒ 死ん だ子 を産 まな きゃ なら なか った
︑わ たし の 体は 棺︒ もう 長い こと
︒︵ 一〇 七︱ 一〇 八頁
︶ 自分 の体 を︑
﹁か らっ ぽの お墓
﹂と 表現 する
︒そ れが
︑ど れほ ど残 酷な こと であ るか
︒も ちろ ん︑ そう と知 った から とい って
︑ミ セス
・ハ ーバ ーザ ッ トの 勝手 な振 る舞 いを 許す 気に はな れな い︒ しか し︑ その 行い が︑ 彼女 自身 の深 い慟 哭か ら来 たも のだ と知 ると き︑ 被害
/加 害の 二項 対立 図式 とし て認 識し てい た関 係性 は︑ 良し 悪し とい う区 別を つけ るこ との でき ない
︑立 体性 を帯 びて 浮か び上 がっ てく る︒ もう 一人 の﹁ 母親
﹂で ある ミセ ス・ ツッ カー は︑ 娘ロ ーザ とそ の夫 フラ ンツ の住 まう ワン ルー ムに 転が り込 んで くる
︑末 期の 糖尿 病患 者で ある
︒ミ セス
・ツ ッカ ーは
︑娘 ロー ザに 対し て常 に支 配的 だ︒
﹁フ ラン ツの 稼ぎ がよ けれ ば︑ あん たは 仕[ 事 を] 辞め られ る︒
﹂︵ 三二 頁︶
︵そ れは
︑ロ ーザ にミ セス
・ツ ッカ ー自 身の 世話 をさ せる ため に︑ であ る︒
︶︑
﹁今 はま だ孫 はい らな いわ
︑ロ ーザ
︒そ んな
こと は︑ あた しに もう 切断 する とこ ろが なく なっ てか らに して ちょ うだ い︒
﹂︵ 三三 頁︶
︑﹁ あた しは 母親
︑い い︑ あん たは 母親 じゃ ない
︒そ れに あた しの 見通 しじ ゃ︑ あん たは 決し て母 親に はな らな い︒
﹂︵ 七三 頁︶
⁝⁝ ミセ ス・ ツッ カー の台 詞を 羅 列す るだ けで も︑ この よう なこ とを 言わ れた 経験 を持 つ娘 なら
︑そ のリ アル さに ぞっ とす るの では ない だろ うか
︒︵ 少な くと も︑ 私は 心底 鳥肌 が立 っ た︒
︶ そん なミ セス
・ツ ッカ ーに 振り 回さ れる ばか り でな く︑ 娘ロ ーザ は︑ 死体 処理 に夢 中の 夫フ ラン ツか ら︑ 見向 きも され ない
︒彼 女は
︑処 理さ れた 死体 の間 に裸 で横 たわ り︑ 夫フ ラン ツに 認め ても らう 妄想 をす る︒
︵ま るで
︑自 分が 夫に 処理 され る死 体に なっ たよ うに
!︶ けれ ど︑
﹁彼 には わた し がわ から ない
﹂︵ 七四 頁︶ のだ
︒ わた しの 願い は︑ 人生 が前 に進 んで いく こと
︒ それ が心 から の願 いな の︒
︵七 五頁
︶ ロー ザの
﹁願 い﹂ は︑ しか し︑ 現状 にお いて は︑ 克服 不可 能な 夢で しか ない
︒彼 女は
︑母 ミセ ス・ ツッ カー から も︑ 夫フ ラン ツか らも 認識 して もら えな い︒ 誰か に存 在を 承認 して もら わな い限 り︑ ロー ザ自 身の 存在 は﹁ 不確 定﹂ なま まで あり
︑未
東京演劇アンサンブル『無実』から見た、劇場における「ゆるし」の関係性
来へ の道 をお のず から 進ん でい くこ とは 出来 な い︒ ロー ザは
︑作 品の 核心 部で 自身 の不 在性 と向 き 合う こと にな る︒ ロー ザは 自分 に瓜 二つ の︑ 身元 不明 の入 水者 の写 真を 見て
︑﹁ でも これ はわ たし よ!
﹂︵ 一一 六頁
︶と 繰り 返す
︒も ちろ ん︑ 彼女 が 身元 不明 の入 水者 であ る筈 はな い︒ そう では なく て︑ この 場面 にお ける 彼女 の言 葉は
︑自 分の 不在 性の 発見 なの であ る︒ 誰に も認 識さ れず
︑身 元不 明者 とし て処 理さ れた
︑見 ず知 らず の入 水者 の境 遇は
︑母 親と 夫と 共に 暮ら しな がら も︑ 自分 の存 在す ら認 めて もら えな い︑ ロー ザそ のも ので ある
︒ 彼女 は︑ 最後 に入 水者 の写 真を 持っ てき た黒 人の 男エ リー ジオ に︑ こう 言わ れる
︒
﹁
そう
︑こ れは あな たで す︒
﹂︵ 一一 七頁
︶ ここ では じめ て︑ よう やく ロー ザは 他者 に承 認 され る︒ それ によ って
︑作 品の ラス トで よう やく
︑ ロー ザは
﹁未 来へ と歩 いて いく
﹂︵ 一三 一頁
︶こ と を﹁ ゆる さ﹂ れた ので あろ う︒
︵も ちろ ん︑ これ は 私の 解釈 であ って
︑他 の観 客が そう 捉え たと は限 らな いが
︒︶ ここ まで 見て きた よう に︑
﹃無 実﹄ には
︑特 に家 庭と いう 場に おけ る人 々の 関係 性が
︑残 酷な まで に生 々し く描 かれ てい る︒ それ と同 時に
︑複 数の
﹁自 殺者
﹂が 印象 的に 描か れる こと も指 摘し てお き たい
︒ロ ーザ に瓜 二つ の入 水し た女 性︑ 飛び 降り 自殺 者に よる 自殺 直前 の逡 巡︑ 知人 の自 殺を 目の 当た りに した 男性 の独 白︑ 自殺 未遂 によ って 立ち 往生 を食 らう 通勤 客た ちの 怒号
⁝⁝
︒﹃ 無実
﹄は
︑ あく まで も多 角的 に︑ 様々 な立 場か ら﹁ 死﹂ と﹁ 責 任﹂ を描 いて いる
︒そ して
︑そ れら は日 常生 活に あっ ても 何も おか しく ない
︑ま った く身 近な 症例 なの であ る︒ 作品 後半 の場 面に
︑こ んな 台詞 があ る︒ ここ でほ ぼ一 時間 立ち 往生
︒︵ 中略
︶よ りに よっ て通 勤ル ート
︒︵ 中略
︶あ の女 いい かげ ん飛 び降 りて くん ねぇ かな
︒︵ 中略
︶列 車の 下に 飛び 込む 方が 社会 福祉 的観 点に 即し てる と思 うが な︑ 一 時間 遅れ で︑ 線路 から 一切 合財 掻き 出さ れた ら︑ 運転 再開
︒︵ 一一
〇︱ 一一 一頁
︶ この 台詞 は︑ 特定 の登 場人 物に よっ てで はな く︑ 舞台 上の 俳優 全員 によ って
︑ユ ニゾ ンで 発話 され る︒ まる でそ れが
︑そ の自 殺の 場に 偶然 居合 わせ た人 々の 総意 であ るか のよ うに
︒設 定上
︑こ の場 面は アウ トバ ーン の高 架と なっ てい るが
︑日 本の どこ かに 置き 換え ても
︑違 和感 がな いこ とに 気付 かさ れる だろ う︒ それ どこ ろか
︑こ れま で自 分が
通っ てき た駅 や道 路で
︑こ んな 風に 考え たこ とは 無か った か︑ と改 めて 考え ると
︑ぞ くり とさ せら れる 場面 であ る︒ この よう な匿 名的 な暴 力性 を暴 露す る場 面に 対 して
︑知 人の 自殺 を告 白す る男 の場 面も 印象 的だ
︒ 目の 前で 知人 が窓 から 飛び 降り た男 は︑ この よ うに 語る
︒
︵中 略︶ わた しは 何も でき ずに
︑た だ開 いた ま まの 窓を 見て いま した
︑開 いた まま の窓 を⁝
⁝ いえ
︑下 を見 るこ とが でき なか った ので す︑ で きな かっ た︑ わた しは 彼に つい 話し てし まっ た に違 いな いの です
︑太 陽︑ 光︑ 眺め
︑わ たし が 十三 階に 住ん でい るこ と⁝
⁝︵ 九三 頁︶ これ らの 場面 は︑ 自殺 者二 人の 発話
︑自 殺者 の 知人 の独 白︑ 通勤 客の 怒声 の順 で︑ 観客 に提 示さ れる
︒飛 び降 りる 寸前 の︑ 自殺 者の 必死 の思 索に 耳を 傾け た後 には
︑残 され た側 の︑
︵自 殺者 目線 で聞 いて いる と︶ 身に つま され るよ うな 証言 が控 えて いる
︒そ のよ うな 当事 者的 な罪 悪感 に揺 さぶ られ てい ると
︑私 たち が日 々目 の当 たり にす るよ うな
︑匿 名的 な暴 力性 が眼 前に 展開 され る︒ 次々 と変 わり ゆく 視点 は︑ 私に 問い かけ てき た︵ よう に思 えた
︶︒
﹁こ の劇 を見 てい る〝 私〟 は︑ 一体 な
んな のか
﹂と
︒ 冒頭 の疑 問に 戻ろ う︒ 私は
﹁暗 く悲 しい
﹂も の︑ 目を 背け たく なる よう な︑ 私を 疲弊 させ るも のを
︑敢 えて 演劇 で表 現す る意 味を 考え てき たの だっ た︒ 見た くな いも のを
︑お 金を 払っ て出 向い てま で観 る必 要な んて
︑ど こに もな いの では ない か︒ その よう な疑 問に
︑ど う答 えて いく のか
︒ 一括 りに
﹁見 たく ない もの
﹂と いっ ても
︑そ の 中身 は様 々だ
︒そ の内 の一 つに
︑﹁ トラ ウマ
﹂と 呼 ばれ るも のが ある
︒﹁ 見た くな いも の﹂ を避 けて
︑ うま くい くな らそ れが いい
︒し かし
︑一 度経 験し たも のは
︑い くら 否定 して も決 して 消え るこ とが 無い
︒そ れど ころ か︑ 川底 に溜 まっ たヘ ドロ のよ うに
︑今 もな お堆 積し 続け てい る︒
﹁ト ラウ マ﹂ は︑ 最も 頑固 なヘ ドロ だと 言え る︒ 見た くな いけ れど
︑ 見よ うと しな くて も︑ 個人 を苦 しめ 続け る︒ その 苦し みを 少し でも 和ら げて いく ため に︑ いわ ゆる
﹁喪 の作 業﹂ であ った り︑
﹁ス トレ スケ ア﹂ であ った りを して
︑そ のヘ ドロ に少 しず つ向 き合 って いく 作業 が必 要に なる
︒ しか し︑ 自分 の根 底に 溜ま った ヘド ロと 向き 合 うの は︑ 苦し い作 業で ある
︒そ れは
︑一 人ぼ っち では
︑ほ ぼ不 可能 です らあ る︒ 最近 では
︑P TS D︵ 心的 外傷 後ス トレ ス障 害︶ とい う言 葉が 一般 化
して きた が︑ それ はあ たか もヘ ドロ が瞬 間冷 凍さ れて いて
︑折 々に 解凍 され て生 々し く噴 出す るよ うな 状態 で︑ 向き 合う なん て︑ ウル トラ C級 の高 難易 度な ので ある
︒ けれ ど︑ 舞台 の上 で︑ 誰か がそ んな 経験 を演 じ ると き︒ 自分 と同 じヘ ドロ を背 負っ てい た﹁ かも しれ ない
﹂生 身の 人間 が︑ その ヘド ロま みれ の役 を引 き受 けて
︑演 じて いる とき
︒そ の瞬 間︑ 個人 の固 有の 記憶 だっ た唯 一無 二の ヘド ロは
︑あ る意 味舞 台上 の﹁ 誰か
﹂と 分か ち合 われ てい るの だ︒ そし てそ れは
︑一 人で ヘド ロに 立ち 向か う何 倍も 心強 いこ とで ある
︒ また
︑観 客は それ と同 時に
︑舞 台上 で晒 され る︑ 自分 が経 験し たこ とも ない 他者 のヘ ドロ を︑ 自分 も背 負っ てい た﹁ かも しれ ない
﹂と いう
﹁不 確実 性﹂ のも とに 引き 受け てい く︒ 自分 の根 底に ある ヘド ロに 向き 合う とい うこ とは
︑他 者の 根底 にあ るヘ ドロ に敏 感に なる こと と同 義だ
︒そ うで なく ては
︑ 単な る悲 劇の ヒロ イン 気取 りの ナル シス トに なっ てし まう
︒そ うや って
︑自 分の
﹁罪
﹂を 抱え て生 きて いく ため の﹁ ゆる し﹂ を与 えて くれ る場 とし て︑ 他者 もま た﹁ 罪﹂ を抱 えて いる こと にセ ンシ ティ ヴに なっ てい く場 とし ての 劇場 が︑ あっ ても いい ので はな いか
︒ いや
︑私 なん かが 提唱 する 前に
︑そ んな こと は
提唱 済み なの であ る︒ アド ルノ は︑
﹁ア ウシ ュヴ ィッ ツ以 後︑ 詩を 書く こと は野 蛮だ
﹂と 言っ た︵ 脚注 三︶
︒ 私自 身︑ きち んと その 意を 取り 切れ てい るか は微 妙な とこ ろだ が︑ そこ には アウ シュ ヴィ ッツ とい う︑ 全人 類が 背負 った とて つも ない もの を︑ 果た して 芸術 とい う場 で表 現し てい くこ とが 出来 るの かと いう
︑ア ドル ノ自 身の 徹底 的な セン シテ ィヴ ネス への 追求 があ るの だ︑ と思 う︒ そこ から 出発 しな い限 り︑ 私た ちは アウ シュ ヴィ ッツ を蔑 ろに して しま う⁝ とい うこ とな のだ と思 う︒
﹁
わた した ち皆
︑無 実で いた いと 願っ てる のに
︒﹂
︵一
〇九 頁︶ ミセ ス・ ハー バー ザッ トの 願い は︑ 私た ちが 決 して
﹁無 実﹂ に成 り得 ない 事実 の裏 返し であ る︒ けれ ど︑
﹁罪
﹂か ら目 を背 ける こと と﹁ 無実
﹂の 自 覚は
︑ま った く異 なる もの だ︒
﹁罪
﹂と は︑ 自ら が 犯し た罪 だけ では なく
︑誰 かの
﹁罪
﹂を 蔑ろ にし てし まう 罪で もあ る︒ それ を暴 く場 とし て︑ 自分 の﹁ 罪﹂
︑自 分を 取り 巻く 環境 の﹁ 罪﹂
︑そ して 人 類全 体の
﹁罪
﹂を
︑生 身の 人間 が引 き受 けて 演じ
︑ 同じ 空間 で観 客も それ を引 き受 けて いく
⁝⁝ そん な場 があ って もい いの では ない かと 思う
︒﹃ 無実
﹄ は︑ そう いう 意味 で︑ 母親 とい う問 題を
︑自 殺と いう 問題 を︑ そし て︑ フク シマ とい う決 して 蔑ろ にし ては なら ない 問題 を前 景化 し︑ 対話 の場 に引
東京演劇アンサンブル『無実』から見た、劇場における「ゆるし」の関係性
きず り出 すこ とで
︑皆 がそ れぞ れに 引き 受け あう よう な強 さを 持ち 合わ せた 作品 であ るよ うに 感じ る︒ とこ ろで
︑ロ ーザ の不 在性 を認 めた エリ ージ オ は︑ ミセ ス・ ハー バー ザッ トに 自身 の﹁ 罪﹂ を告 白 し︑ ミセ ス・ ハー バー ザッ トの 告白 を聞 いて
︑ア ラビ ア語 で﹁ おか ぁ⁝
⁝/ おか ぁ⁝
⁝/ おか あさ ん⁝
⁝﹂
︵一
〇九 頁︶ と呟 く︒ それ が︑ ミセ ス・ ハー バー ザッ トに 向け たも のな のか は分 から ない
︒︵ そ もそ も︑ 彼ら はお 互い に告 白に 終始 して
︑会 話が かみ 合っ てい るよ うで かみ 合っ てい ない
︒い や︑ かみ 合っ てい ない よう でか み合 って いる のか もし れな い︒
︶ けれ ども
︑そ の二 つの 告白 には
︑確 かに 響き 合 うよ うな 何か があ るの だ︒ エリ ージ オは
︑ミ セス
・ハ ーバ ーザ ット の息 子 にな ろう とし て︑ 彼女 を母 親と 呼ん だわ けで はな いだ ろう
︒そ うで はな くて
︑全 く異 なっ た苦 しみ を抱 えて いる 二人 が︑ その 底抜 けの 苦し さを 抱え てい るか らこ そ︑ 通底 して 寄り 添う こと が可 能で ある よう に思 える のだ
︒そ れは 単な る傷 の舐 め合 いで はな く︑ お互 いの 苦し さを 聞き
︑苦 しみ を抱 えた お互 いの 存在 を感 じ合 い︑ 認め 合う 作業 で ある よう に︑ 私に は感 じら れた のだ
︒
自他 の﹁ 罪﹂ を解 決す るわ けで もな い︒ 解消 す るわ けで もな い︒ いや
︑そ んな こと は不 可能 なの だ︒ それ でも なお
︑目 の前 に存 在し てい る︑ その 人固 有の 苦し みを 抱え た存 在を
︑た だあ りの まま に認 める こと によ って はじ めて
︑人 は出 発点 とし ての
﹁い まこ こ﹂ を得 て︑
﹁未 来へ と歩 いて い﹂ け るの では ない か︒ それ が︑ 一般 的な
﹁許 し﹂ では なく
︑ひ らが なの なん とな くや さし い﹁ ゆる し﹂ と して
︑劇 場に 足を 運ぶ 私の 眼前 に現 れて くる よう に思 える ので ある
︒
︻一 般注
︼引 用後 に︑ 括弧 で頁 番号 を表 記し てい る もの は︑
﹃無 実/ 最後 の炎
﹄︵ デー ア・ ロー アー 著︑ 三輪 玲子
︑ 新野 守広 訳︑ 論創 社︑ 二〇 一〇 年︶ か ら引 用し たも ので ある
︒
︵脚 注一
︶新 国立 劇場
﹁無 実│ 現代 戯曲 研究 会﹂
http://www.nntt.jac.go.jp/centre/library/society/list/de12.html
︑二
〇一 四年 一〇 月三 日最 終閲 覧
︵脚 注二
︶東 京演 劇ア ンサ ンブ ル﹃ 無実
﹄公 演パ ン フレ ット
︑二
〇一 四年
︑三 頁
︵脚 注三
︶藤 野寛
﹃ア ウシ ュヴ ィッ ツ以 後︑ 詩を 書 くこ とだ けが 野蛮 なの か﹄ 平凡 社︑ 二〇
〇三 年︑ 五五 頁