12 化学と生物 Vol. 53, No. 1, 2015
温暖化による開花時期の短縮
温暖化と開花
地球温暖化問題が指摘されて久しいが,日本において も昨今の猛暑や北日本における豪雪など,身をもって何 らかの気候の変化を感じることが多くなってきた.気候 変動に関する政府間パネル(IPCC)によると,高濃度 の温室効果ガスの排出が続くと21世紀末には地球の平 均気温は最高で約4.8 C上昇するとの報告がある.気温 上昇により海面が上昇したり,異常気象が増加したりす るだろうとの話はよく聞くが,この温度上昇は植物に とってどのような意味をもつのであろうか.
植物の開花は遺伝子レベルで厳密に制御されており,
温度や日長といった外部環境から大きな影響を受け
る(1, 2)
.開花における温度応答の一つとして春化(Ver-
nalization)が挙げられる.これは植物が冬を経験する ことによって花芽形成が促進される現象であり,シロイ
ヌナズナ( )を含むアブラナ科の
植物をはじめ,コムギやオオムギなどさまざまな植物に おいて見受けられる.特にシロイヌナズナでは遺伝子レ ベルでの研究が進み,これまでに開花に関連する遺伝子 が多数同定され,その機能も徐々に明らかになってきて いる.
シロイヌナズナにおいて,春化による開花誘導は ( )を介した開花遺伝子 の抑制の解除であると理解されている(1, 2)
.
は,下流で機能する ( )や
( ) などの開花遺伝子に直接結合することでその転写を妨げ ている.冬のような低温が長く続くと,ヒストン修飾に かかわるさまざまな因子の働きによって がエピ ジェネティックな制御を受けることでその転写が抑制さ れ, や の発現が可能となる(3). や は 開花シグナルの言わば取りまとめ役であり,さまざま な外部刺激が種々の遺伝子を介して もしくは にたどり着く.そして,花芽分化の決定遺伝子である
1 ( )や ( )へとシグナル が伝えられ,花芽形成が開始される.春の訪れのよう に,低温から常温に戻ると の発現抑制に必要な低 温シグナルはもはや存在しないが, の発現は抑制 されたままであり, によって低温(冬)の経験を
記憶していると考えられている(4, 5)
.
近年,この は複雑な温度変化を示す自然環境下 において,温度の季節変化を感知する鍵となる遺伝子で あることが,シロイヌナズナの近縁種であるハクサンハ タザオ( )を用いた研究から明らか になってきた(6)
.一年草であるシロイヌナズナは,花茎
を伸ばして(抽だい)開花後,種子を残してその個体は 枯死する.一方,多年草であるハクサンハタザオは,開 花後に再び葉を形成し(reversion, これを開花の終了と みなす),栄養生長が可能であるという特徴があり,抽
だいしてから開花終了までの期間を開花期間と定義する ことが可能である.前述したようにシロイヌナズナでは が冬の記憶を維持するため,春が来ても開花遺伝 子が発現したままであるが,ハクサンハタザオでは冬の 記憶期間が短く,温度の上昇に伴い短期間で 発現 量が回復し,再び開花遺伝子の発現が抑制される.この 違いが両者の生活史を決定していると考えられる.では は温度上昇に対してどのように応答し,開 花時期にどのような影響を与えるのだろうか? この問 いに答えるために,室内実験,数理モデルおよび野外実 験を統合したアプローチを用いた研究を行った(7)
.
ハクサンハタザオの温度操作実験では,低温になると 相同遺伝子( )の発現が遅れ,開花やその終 了の時期には顕著な遅れが見られた.室内実験で観測さ れた遺伝子発現変化を説明する数理モデルを開発し,パ ラメータ推定を行ったところ(図
1
A), のほう が より温度感受性が高いことが示された.当モ デルを用いて自然環境下で生じる遺伝子発現変化を予測 したところ,自然条件で生育するハクサンハタザオと同 様な遺伝子発現を示し,温度上昇に対する遺伝子発現の 変化や開花時期のずれも正確に予測することが可能で あった(図1B).ハクサンハタザオでは,
の発現量 は夏から秋にかけて高く,冬の低温により徐々に低下 し,春になるとその発現が回復してくるが,当モデルに よると,気温の上昇により,冬期の の発現低 下時期が後ろにずれこみ,春における発現の回復は早ま ることが予測され, の発現時期もシフトした.結果として,温度の上昇に伴って抽だい時期が早まり,
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それ以上に開花の終了時期が早まることで,開花期間が 短縮した.具体的には,兵庫由来の個体は4.5 Cの上昇 で,また,函館由来の個体では5.3 Cの上昇で開花すら しなくなることが示唆された(図1C).
非常に複雑な開花現象に対し,筆者らはごく僅かな一 部の遺伝子に着目することで,室内実験の結果から自然 環境下の開花予測に成功した.だが,植物には を 介した 発現抑制の解除とは異なったメカニズムでの 開花機構が備わっているため,現在函館および兵庫由来 の個体を沖縄への移植し,温度上昇による開花への影響 をさらに確認中である.現状では,ハクサンハタザオを 対象としたモデルでは,地球温暖化による気温の上昇は その開花を妨げ,最悪の場合には開花すらしなくなる可 能性が示唆された.この予測モデルは,同様に春化や日 長応答するコムギやオオムギなどの穀物においても,適 用可能であると考えられる.生態系維持や食糧生産の場 においてどのような変化がもたらされるのか予測するこ とで,地球温暖化による影響を訴える一方,その対策を 練る一助となることを期待する.
1) R. Amasino: , 61, 1001 (2010).
2) F. Andrés & G. Coupland: , 13, 627
(2012).
3) 玉田洋介,後藤弘爾: 植物のエピジェネティクス ,島
本 功,飯田 滋,角谷徹二(監修),秀潤社,2008, pp.
87‒95.
4) A. Angel, J. Song, C. Dean & H. Howard: , 476, 105 (2011).
5) A. Satake & Y. Iwasa: , 302, 6 (2012).
6) S. Aikawa, M. J. Kobayashi, A. Satake, K. K. Shimizu &
H. Kudoh: , 107, 11632 (2010).
7) A. Satake, T. Kawagoe, Y. Saburi, Y. Chiba, G. Sakurai &
H. Kudoh: , 4, 2303 (2013).
(佐分利由香里,佐竹暁子,北海道大学大学院地球環境 科学研究院)
プロフィル
佐分利 由香里(Yukari SABURI)
<略歴>2004年名古屋大学農学部応用生 物科学科卒業/2006年同大学大学院生命 農学研究科生物機構・機能科学専攻修士課 程修了,日本食品化工株式会社研究所勤 務/2010年北海道大学大学院地球環境科 学研究院技術補佐員,現在に至る<研究 テーマと抱負>自然環境下の開花に関する 研究<趣味>子育て,ピアノ,スキー,ゴ ルフ
15 10 5 0
30 25 20 15 10 5 -50
Relative expression Temperature ( C˚ )
e (˚C)cnereffiderutarepmTe Feb Mar Apr May Jun Jul
-2 0 2 4 6 8
抽だい 開花期間
開花の終了
A
FLC
FT
日長 (
ω
)温度 ( T )
ω
α
FLC (T)α
FT (T)β
FLC (T)β
FT (T)m
FT (T)Producion
Producion
Degradation
Degradation VIN3
B
C
函館由来観測温度
温度上昇
Sep Oct Nov Dec Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep
限界日長 95% CI
観測値 予測値 AhgFLC
AhgFT
図1■開花時期の予測
(A)モデルのスキーム.(B)兵庫に移植した函館由来ハクサンハタザオの遺伝子発現量の観測値(5サンプルの平均±S.D.)と予測値.
(C)函館由来ハクサンハタザオにおける温度変化と予測開花期間.実線は予測値を示し,点線はそれに対する信頼度95%のときの信頼区 間(95%CI,許容誤差)を示す.
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14 化学と生物 Vol. 53, No. 1, 2015 佐竹 暁子(Akiko SATAKE)
<略歴>1997年九州大学理学部生物学科 卒業/1999年日本学術振興会特別研究員
(DC1)九州大学/2002年九州大学九州大 学大学院理学研究科生物学専攻博士課程修 了,博士(理学)/同年日本学術振興会特別 研究員(PD) Pennsylvania State Univer- sity (USA)/2003年日本学術振興会特別 研究員(PD)京都大学生態学研究セン ター/2005年日本学術振興会海外特別研 究員(PD) Princeton University (USA)/
2007年スイス連邦水圏科学技術研究所グ ループリーダー/2008年北海道大学創成 研究機構特任(テニュアトラック)助教/
2011年同大学大学院地球環境科学研究院 准教授<研究テーマと抱負>植物システム や自然・農業生態系を理解するための数理 モデルや自然資源を利用する人間の行動原 理に興味があります<趣味>スキー,ス ノーボード
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