日本語教育実践研究(5) 期末レポート
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「状況から出発する」の意味やそこでの教師の役割
本レポートでは、日本語実践研究(5)―「「わたしの日本語」プロジェクト1−2」でた まご先生として活動しながら考えたこと、気づいたこと、学んだことを以下の4つのポイン トから述べる。
(1)「文型」や「表現(機能)」からではなく,「状況」から出発する教育実践を理解し,
表現する。
⚫ 「状況から出発する」の意味
筆者は日本語教育研究科に入学する前までは第2言語または外国語として「日本語学習 者」の立場であったが、初心者から現在まで日本語を「言語形式・表現」を中心に学んで きた。例えば、会話は「場面」を中心とした文法・言語形式の活用の練習、他は文法また は語彙中心で日本語能力試験(JLPT)を準備する形を経験してきた。このような授業の形 から「実際、日本人と話すとき、学んだことを適用できる状況よりは、適用できない状況 が多くてもどかしいと感じ、ちゃんと学んでいるのか不安になる」という感想をしたこと がある。このような気持ちを持った理由は、結局「実際の状況」ではなく、ある文型を学 ぶための一つの「道具」として状況が使われていることを気づいた。そこから、「状況か ら出発する」アプローチで行った授業はどのようになされているのかが気になり、この実 践研究に参加することにした。
しかしながら、「状況から出発する」というのはどのような意味であろうか。実践研究 開始から終了まで、現在もすっきり理解できず、状況に対する問いは授業準備、授業中、
振り返りの時、引き続きしている。筆者は「状況」の意味を、7月3日の振り返り時間で 深く考えるようになった。小林先生に「どこに住んでいますか。」と聞かれた時で、筆者 は自然と「今は日本にいます。」と答えた。しかし、この質問に対して、先生の説明を聞 き、その答えはどのような状況にいるかによって「国」が基準にならない場合もあること を気づき、それが「状況」ではないかと思った。さらに、小林先生は「ピラニア研究」に 比喩し、7月31日の振り返り中以下のように説明をしてくださった。
「ここでいうピラニアは「ことば」、アマゾン河は「ことばが使われた個別具 体の状況」を意味する。この比喩の助けを借りるなら、「「状況」から出発す る日本語教育」というのは、「ことばを実験室に運び込むのではなく、使われ ている状況の中で観察、記述し、その成果を踏まえてデザインされた日本語教 育」と言い換えることができる。」
(小林2019)
したがって、「状況から出発する」という意味は、現実の状況は反映せずある文型・言 語形式に誘導できるために作った「逆ピラミッド形」ではなく、一つの状況から始めて、
(1)「文型」や「表現(機能)」からではなく,「状況」から出発する教育実践を理解 し,表現する。
(2)1 人ひとりの学習者にとって「+1」になる活動を組み立て,実践する。
(3)学期開始時に自分で立てた「私の目標」
①「学習者」としてではなく、「教育者」としての視野を得る。
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その中でも個別的な状況に対応できるいろいろな表現を増やす「ピラミッド形」という意 味ではないかと思うようになった。以下の図1が考えた「状況」である。
図1
⚫ 「状況から出発する」アプローチを授業案にどう反映したのか
「状況から出発する」という意味に対して、担当レッスンでは「誰でも経験したことが ある、考えやすい」状況設定が良いのではないかと考えた。その理由は、日本に限って行 われるかもしれない状況などの設定は、現時点(コロナの状況による全面オンライン授業 や母国にいる学生の状況)で学生に考えさせない状況であったからである。
しかし、授業案の準備の時に最も難しいと感じたのは、最初に教師が作る状況設定であ った。例えば、担当テーマの中でも、お店を決めることからお会計まで多様な状況が考え られる。現実の世界で学習者一人ひとりが経験してきた、また、考える「状況」は単純に 一つではないと思われるが、その中、どのように授業で扱えばただの経験や自分の状況の 紹介で終わらず、「言語的学び」がある授業になるだろうかについて考えた。この部分に 対して、小林先生は以下のように説明してくださっている。
個別具体の状況は無限であっても、そこでのことばの使われ方には、有限の社 会的合意(=文法)があることを示している。社会的合意には、緩やかなものか ら、かなり確立された厳しいものまで段階性があり、ことばの使い手としての私 たちは、社会経験を重ねる中で、帰納的、演繹的に広狭さまざまな文法を学んで いるのであろう。このような言語観、文法観に立つのであれば、日本語教育にお いても、無限の個別具体の状況にあることばを状況に置いたままで観察、記述し、
有限の社会的合意(=文法)に還元していくことが必要になる。
(小林2019)
この部分を読み、どのような個々の状況があっても、使われられる文法・文型の数は決 まっていると理解した。したがって、授業では表現のバリエーションが出ても、そのバリ エーションが学生にとって「自分にいつかは関係がありそう」な表現(文法)のバリエー ションが出るように最初の状況設定をすることが大事であると考えた。
授業案を作りながらもこの部分に悩み続き、最後にできたのは「相手とお店を決める時 の「わたしの日本語」」であった。まだ日本生活の経験がない学生・ある学生にかまわな く、母語でもその状況の経験があると思ったからである。しかし、 「<活動2>では経緯 を示さずに人だけを変えてしまったことに原因があるのではないかと考えた。そこでの問 題点は、学生が自分の状況としてとらえるだけのステップが踏めていなかったということ である。このことから、個別具体の状況をしっかりと設定しないと、学生を迷わせること
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になるし、目的が達成できなくなってしまうのだと感じた。(7月24日スライド)」とい う他のたまご先生のコメントをいただき、設定した「状況」が納得されず実践をしたため、
結局授業担当者として心配していた「状況の紹介」で終わったのではないか反省する。
どのような最初の状況設定、どのような授業の活動を作れば「状況から出発する」授業 が学生に伝わり、学びの場になるのかは、今後に考えなければならない自分の課題だと思 う。
(2)1 人ひとりの学習者にとって「+1」になる活動を組み立て,実践する。
日本語学習歴や日本語力が違う学生たちで構成された一つのグループの中で、一人一人 に対する「+1」は何だろうか。筆者は、「+1」を①文型・言語表現を増やす「+1」
(授業全体の目標)、②存在可能な状況に対する認識や理解の「+1」(グループ中で行 われること)ではないかと思った。
たまご先生と学生の間にやりとりをする主な理由は、本人の状況に使える文型・言語表 現を見つけるための状況探りの過程からだと思う。その中で、一緒に状況を探って、フィ ードバックをする時、どのようにするのかの問題が起こった。以下は、筆者のグループで 行った状況である。
先生:いつも勉強頑張っていてすごいね。
学生さん:そうですね。もっと頑張りたいと思います。
↑下線部部分についてどのようなフィードバックがいいのかを考えた。
(7月8日実践の振り返り)
この状況で筆者はフィードバックができなかった。その理由は、適切ではないことを知 り、筆者だったら「ありがとうございます」という表現を使うと思っていたが、学生の理 由を聞くと「そうですね。」の表現を使った理由が十分あったからである。したがって、
「ありがとうございます」という表現を提示すると、学生の意図にも合う納得できる理由 を話せないと判断したからである。この部分に対して7月10日の振り返り時間で、「「そ うですね」を説明するためには、「そうなんです」、「そうだよね」という「私の領域」
に入るかどうかを考えなければいけない。何に共感しているのか、その「何」が誰の領域 なのかから話す。つまり「言葉」に集中する前に「概念」の理解が大事である。(7月10 日の振り返り中の話)」を聞き、文型・言語表現に対する「+1」ができるためには、た だの言葉や表現の分析だけでなく、「私の領域」のような状況分析からの言語表現に近づ く必要があることを気づいた。
さらに、「+1」では、他の学生と教師のやりとりを見ながら②の「状況の認識・理解」
の「+1」もあると思う。この部分に対し、振り返り中に以下のように述べている。
学生さんたちの「考える視野・範囲」を広げる活動をし、そこで一人一人の学 習者の「+1」があったことではないかと思う。私は、実践研究で小林先生から
「どこに住んでいますか?」という質問に対して、考える視野・範囲によって
「韓国に住んでいます」、「寮に住んでいます」など答えが違ってくることを初 めて気づいた。(7月3日振り返り)
上述した振り返りノートの一部のように、文型・言語形式と共に、「状況」の中の自 分を見つけることが「+1」であると思っている。
実践研究の前半では、「しかし、今回が終わって不安になったのは、比較的に遅い学 習ペースを持っている学生のために時間を持って待つ時、他の学生二人も一緒に待って くれるが、これは大丈夫なのかである。(6月17日実践の振り返り)」と思ったが、他人 の状況を聞きながら、自分の状況と比べたり、他人の状況で自分はどう話すか考えたり
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することだけでも「+1」あると後半に行きながら気づいた。しかし、その部分が担当し た学生に伝わったのかには疑問が残っている。「Aさんだったら、このような状況でどの ように話しますか。」、「AさんとBさんは、似ているような答えですが、表現は違いま すね。」など教師から提示して気づくように実践したことが多いため、 学生にとって
「+1」になったのか不安である。したがって、実践の現場で学習者にとって「+1」
になる活動を組み立てたとう言えないと考えた。
(3)学期開始時に自分で立てた「私の目標」
①「学習者」としてではなく、「教育者」としての視野を得る。
この目標を立てた経緯から話すと、「学習者」の立場でしかいたことがないので、
「教育者」は教室の裏でどのような視野を持って働くのかが気になり、この目標を立て た。振り返りで「「教育者」としての視野」は具体的な授業の進め方ではなく、授業の 目的の達成のためにメタ的に考えることが「教育者」としての視野では無いかと思った。
(7月8日振り返り)」と述べたように、目標を立て、その授業目標のためにどのような 方法を使うかに対する「教育者」としての視野を得ることができた。
筆者の授業案実践(7月22日実践)のとき、他のたまご先生の授業を参観することがで きた。「状況から出発する」が活動の中で最も大事なので、各グループでのたまご先生 は、それぞれ学生が自分の状況のように考えられるような方法を用いていた(例:写真、
スプレッドシートなど)。
また、ある状況に対する学生の答えにリアクションも違った。このリアクションとい うのは、「[質問]―[質問]―[質問]を繋げて、そこで自然に自分の状況のようにとらえるように したことではなく、[質問]/[質問]/[質問]のようにつながりがなく、答えを得るためだけの質問 の仕方だったと思う。(7月22日実践の振り返り)」と述べている。つまり、学生が状況をリア ルに受け入れられる環境を作るために、言語形式・文型を見つけるための上からの目線 を持った教師としての反応より、本当にその状況で相手(状況によって相手は違うが)
が感じそうな反応をすることを一つの方法として使うことである。
さらに、「学習者の頭の中を知る方法は,「質問」だけではない。ここで学習者の頭 の中(想定している状況や日本語に対する理解)を顕在化させた方法は,メタ言語によ る「質問」ではなく「状況の当事者としてふつうのやりとり」である。(7月31日振り返 りスライド)」から、視覚的要素、反応だけでなく、学生の状況に教師が入って動く方 法もあることを気づいた。
以上の三点から、「わたにほ」授業での「教育者としての視野」は、状況を探るため にどのような方法を使おうかを教師が多様な方法を試みることではないかと考える。
終わりに
実践が終わった現在も「状況とは何か、また、『状況から出発する』の意味はなんな のか、『状況から出発する』授業を組み立てるためにはどのように授業案を作ったら良 いか」を考えている。しかし、今学期、「わたにほ」プロジェクトの実践に参加し、
「状況から出発する」ことで、日本語学習者は自分を表せる生の日本語を学ぶことがで きるのではないかと考えた。さらに、教師(または教材)が決めた範囲の言語形式・文 型を学ぶのではなく、範囲がなく、自分が知りたい・自分もわからなかった状況や表現 を見つけることで学習者としてはより持続可能な日本語学習を伝えたのではないかと思 った。
参考文献:
小林ミナ(2017)「『状況から出発する』アプローチ」『早稲田日本語教育学』第22巻、p p.101-113
小林ミナ(2019)「【特集】『状況』から出発する日本語教育 緒言:『状況』から出発する 日本語教育」『早稲田日本語教育学』第27巻、pp. i - vii