八ツ塚実の「人購科」の実践とその意義 35
八ツ塚実の「人聞科」の実践とその意義
宮 前 ぷ
貝(教育実践総合センター・教育実農学)公立中学校教鎌であった八ツ塚実は,3§年にわたって,r人鵜科」の授業を実践した.その 八ツ塚が母の介護のため定年まで7年を残して,53歳で退職し,63歳で亡くなる,,
披の著作と綾が露宅に設置した「資料館」の見学から得た精i羅をもとに,彼が実践したヂ人 講料」の授業の雲容,この婁践が持つ意義を整達した。本稿では,八ツ塚の8叙こ及ぶ「大概麟諜 の授業の実践纏をもとに,若干の考察を試みた。
旺キーワード)人潤科人闘科の授業霧的証鍵愛教締としての礼儀
茎 はじめに
八ツ塚実先生。本嚢に鶴然の畿会いだった。それは すごい教育実践を重ねた先生との思ってもみない墨会 いであった。
今から嘆隼前になる。ある朝,撃く臨が覚め,翼簸 Kラジオ深夜痩形心の時代辱を聴いた。誰の謡ともわ からず聴いていたのだが,涙がこみ、圭二げてきて崖まら なかった。心の凄iから媛さぶられ,ごつとしていられ なかった。この震早速,N登K放送センターに暖い合 わせ,話し手が「中学校教舞 八ツ塚実先生淫である ことを簿つた。しかし,驚いたことに,そのとき先生 はすでに亡くなられ(雄98年畦鰐23蓑おていたことも 教えられた。
先生が中学校の教締として「大詔科葺の授業を立ち
、ヒげ,永くその輿践を積み重ねていたこと,しかも先 生がすでにこの置にいないことを擁めて短辱,簿をし ていた,もっと馨く先生のことを知ればなあ…と欝分 の不開を悔いた。
傍せて筆名は,学校教育のあ写方が厳しく縫われ,
今,「・も・の教育3の重要性力愛議論され,「生きる力感の 育成を新たな捲録として示され,我が撰の学校教育が その第一一歩を大きく踏み鐡したこの時期に,「人講轡蛋 を実践した八ツ塚実先生の思いや類いに学び,学校教 畜における「毛・の教育」「生きる力の育成」のあ13方を 追い求めていかなければならないと深く考えた。
筆者が特にこの思いを強くした運由は二つある。
一つは,筆者は束髪大学大学院時代から株贅二先生 に学んだが,学溝のテーマがヂ大震」にあった躰先生 が,轟島県都譲市立衰岩小学校で,筆者が撫任する6 隼生の子どもたちど畷麹こ新人翻について考えた。
この実践がきっかけで先生は,「入鵜について」の授業 を全蟹の小・中・高等学校で実践した。先生は「入闘」
をテーマに授業を行い,そのとき書いた子どもの感想 から,「教育まの仕事の根本を学んだ。先生の授業実践
で先生と子どもを深い絆でつないだのは羅違いなく授 業テーマ,「人翼」であった。「大鷺科」を実験した八
ツ塚先生の嚢指すところ,そして実践内容などを詳し く簿瞬たいと強く患った。
1つは,躰先生に学んだ筆者が篠島大学教育学部簿 軽率学校離校長として嚢務していたとき,購校が文藻
省の ヂ教嘗言漿季至奏憂究開発空聾季交藩 とな鯵, ヂ教季}の再編ま
を構想し,「人勝轡」ヂ地球科」を寛ち、雛デ,実践した からだ。麟校の構想した「大腸科」は,生活科からス タートする子どもの学びを連続させ,発展させて学ぶ ことができる教科の可能性を雛発しようとしたものだ が,八ッ塚先生のヂ人聞科」と轄が共通し,どこが違っ ているか興稼深く受け生めた。
今学校教育で重視されている「心の教育」の望まし いあ弩方を検討するためにも,八ツ塚実先生の「人聞 科ユについてその実鰹を深く追究したいと顧っている が,若くして亡くなられた先生が鐵蔽!勃として残され た著作ををもとに整理し,考察したい。
なお,本稿は,鎗§2奪7琶,九州大学で鬱鬱された 憂1本カリキュラム学会第i3麟大会僚密議究玉一3)
で発表した内容をまとめたものである。
互 八ツ塚実の「入閣科まの実践
事 八ツ塚実の酪歴
広島渠懲権葺}患身磯935葎生まれ,ig{麹年,63議iで亡く なる!
岡出大学教育学部を卒業し,3⑬年商,広島難公立中学 校教錘として勤務する。
子どもの量界に入曝学の必要性を痛感し,新人閤科」
の授業を翻遣し,実銭する驚。
欝覇隼,第欝顯読売教育賞を受賞する。
欝85隼,乳飲み子のとき亡くなった実母に変わって 糞分をはぐくみ,育ててくれた「母」雛の介護のために 53歳で(定隼まで7隼を残し1退職。縫の介護に亮た
3ε 旛轟大学教育学韻塞践績究紀要第尋3号
全籔各地で「入闘科涯の授業実践と講演 広島環,
私立盈進中学校・蕩等学校講麟として嚢移する。(女子 矯難大学講麟}
叢宅に「人聞科」の授業のために準備した資料を載 納する「資料館」をつくる。
2 夢人翼科遥の実践とそこに寄せる思い
八ツ塚実の著書「こころを育てる警1に「人驚季暮の 授業で取}}ヒげられた緯の授業テーマとその主な内容 が整理されている。そのうち,筆者が八ツ塚の著書や 資料館見学などから,どうしてもここに駁雑上げてお きたいテーマを欝に厳選し,大変紙織をとるができる
だけノ乱ツ塚の慰㌧}と入舞茎季影の授業実星美内容力ず理解でき る程度に要約して示すことにする。
なお,文中σ)「私葺は,授業考八ツ塚実である。
① 第嘩講 教室のゼ笑い」を洗い直そう
〜意地の悪い笑いを野放しにしていて,楽しい教室は 作れない〜
・教室の笑いには1、二つある。「アッと笑い」は感動の笑 い,ギドッと笑い涯は差磯笑い。笑いセンサーを触かせ よう,、いじめは,笑いながらエスカレートする。だか ら,笑いは粧いのだ…言。
② 第2講 人糞…皆講じ。みなちがう
〜年えられた条件をフルに生かして生きる。みなちが う条件で生きる〜
・私の話は一一つ。難く条件は憩。40遠軽の聞き方をさ れると患うと,魁・がひきしまるよ。健常者,障害者。
この二分法がいとも無神経に縫われていることに,た まらない気持ち。私1舞舞心づいたときから高い金属性 の奮を抱えて生きている。耳鳴むだ。番望した鯵,選 撰した辱できないところで私たちの体はつくられる。
たまたまもらった体で生きている。
私は,人聞は,撰一線に壷んで生きていることを中 学生に伝えたい。
人幾はみんなちがう。『一入として睡ビ人潤はいない。
人灘は,みな購じ。一一人としてちがう入講はいない。
「人聞の尊厳」。
ハンディキャップは,人糞,だれにでもあるんだ。
跡け合い,これが篠裾なんだよ。
③ 第3講 ヂゼウスと人聞董を談iむ
〜お久しぶ1タ…イソップさん,、人聞って,すごいもの ですね〜
・たくさんのイソヅプのお話の中から,「ゼウスと人聞」
を読む。
ゼウスの挿が,衰分でつくった勃勃たちに,それぞ れの力が与えらえる。ところが入闘には特騨にこれと
2巷{}2 薙2
いった力をいわないので人勝が文句をいう。ゼウスは
「おまえには理性という力をあたえているではないかゴ という。
泳ぐカをもらった勃勃。走るカをもらった動輪。走 る力をもらった勃勃1。飛ぶカをもらった蠱物…。そし て人聞は撃性という力をもらった勤秘。学習できる脳 をもらった麟駿1なのだ。
毫)第峰講 人聞について,もっとわか鞭たい。
〜蒔には,人覇を礒究する稗学者の隻分になってみな いか〜
今露の君たちは,一品人一人みんな麟学者だ。それも
「太腿について醗究する」税学者だ。次にあげる講究は,
私が中学生の鴬たちが選びやすいように私が飯に分類 したものだ。
脳を緕究する入。心麗の醗究をする人。遺伝の醗究 をする人。生命・生理の春野究をする入、胎児の醗究を する人。「隣i害」の講究をする入…。
ここに,擁種類かの動軸の頭の骨を霧意したので,
みんなで鮫ってみよう。
ワニ,ビーノ{一,ライオンナニゴリラ,ヒト。レプリ カも含めて,実麹に絞れる機会をつくる。人聞の脳が いかに大きいか,彼らは実感する。そこに入露だけの 秘密が示されていることを発見する。
「動勢である麟墜と「大鷲鶴鳶の脳3を持っている いるのが灘、たちなんだ。この教室で魑強しているのも みんなみんな,この「入闘露有の認分」を鍛えるため
なんだ。
⑤ 第5講 「祷辱」って縁だろう。
〜頭の使い方の一つにr観る」という働きがある。入 隣1はどうして野辮る」のだろう。今1卸ま写真を読む授 業をするよ。写真も議むんだよ。カメラマンの心をね。
ここに魔思したパネルは,8昇給韓の広鶏の耳糞です。
「祈っている人まの写真を集めてみました。
黒板に,○戦争への聾望 ○平秘への辮孝} と書く。
どちらも,講じ騒が鑑み墨す行為なのだということを
語}うたい。
「辮らずにはいられない。手を合わせる。額いをとな える。甲羅を観る。人畷の頭の中で生み墨す祈鞭。雄 「野望はつのる。・一人でも多く殺したい。どうしても
勝ちたい。どんな方法をとってでも。入隅の鑛の中で 生み蜜すいくさ。ま
先輩由鑓邦夫さん1が撮を)続けている広島の「観景うの 写真まパネル。これが授業の主役。腰の麟がつた老女。
米軍基地の若い兵士。母に連れられた小さな女の子。
みんなみんな祈っている。駿っている。
生徒たちは,縫を輝かせて写真を読む。宗教によっ て,それぞれ翫暑)の様式はちがう。示された璽に従っ て,人々は祷る。だが,そうやって「お縷いしている」
八ツ塚寅の「人糞科ゴの箋践とその意義 3肖.̀
だけで,套肇的は実現するのだろうか。
私の転えたいこと。それは,「祈るような思いを込め て,行動する」ということ。極るほどの入が,行動を 趨こせば,それこそが量の中を変えるということを。
⑥ 第穏講 一石}の手作鞭絵本拶轡界を変えた
〜一│の小さな石だって,その波紋は広がって,池いっ ぱいになるんだ〜
ここに一躍の絵本があります。叢店で売っているよ うなきれいな本ではあ警ません。手づくりです。これ は「手で見る絵本窪です。もちろん糞罪でたっだ一躍 の尊い絵本です。
それにしても大変な労力だったと患う。材料集め。
絵ごとに,みなちがう素材だから小さくても轄十種類 も要する。撰先で読むのだから纒かな醗癒がある。そ れを一人のお母さんが賎しとげた。わが子のために。
この一斑の絵本はわが子を愛するがゆえに作i一}■11げ られたものですから,愛そのものなんです。
欝をつむって,そっと絵本に態舞ながら子どもたち は,ものも誘わなくなくなる。感動なのだ。
手で見る絵本をつくった母。手で見る絵本づく13の 支援の輪が広がる。弱視者耀の大きな字の本を量販し た母、,点字鐡版勃の増趨,鐵版麹の文字グ)大活字化。
ヂ手で覧るもの」は,翼でも見える。際で見るも娚 は,手では覧ることができない。長い霧,多数濠を霞 めてきた箆える看たちは,嚢で見る本だけを作ってき た。それが常識になを}かけていた。
そこへ…一講の手づく弩の絵本。人々は,はじめて気 がつき,支援の輪が広が辱,運動が起こり,壁論も変 わ1〉,人権確立の還すじは,前進する。
福軽:.の原則の錆をしよう。少数濠,弱者といわれる 人たちに手摩くすると,その、響恵は,すべての入には ねがえってくる。リモコンスイッチ。ワープ蟹。「瞳害盛 者のために開発されたものが,今みんなが縫わせても
らっている。
⑦ 第25講 人間の行為に隆界は誹るのだろうか
〜こんなすさまじい生き方をする人がいるのか1この 欝∫の掌には〜
医鬱麦切藪皐海手雨足を切琴おとすということ。懇{象 もできない大変なことだ。ところが,実隠にそうなっ て,そのハンディキャップを乗鞍越えて生きた人がい
た。
「こころの手足」(春秋社)。これは今は亡き中村久子 さんの著書です。
二二1歳の秋,號痘、のため,晦一手,雨足を窮藪。羅の厳 しいしつけによって,生きていくための妓籍を次々と 身につけていく。
着駿1をぬう君文字を書く。収入を得るため唯一一の手 段として,見せ鞠小繧に鑽る。末羅の腰罪をはるかに
超える生き方を生経貫いた。
本の中の写真を示しながら貴い一先生の生きる姿を語 らせていただく。それ。は灘分臨勢に癖かっての語辱で もある。
着霧をぬう中村さん。 ・お茶をのむ中村さん.
文字を書く聾繍まさん。
私たちが生きていく一しで一番注意しなくてはならな いこと,それは「いい気になること」「麟に乗った生き 方をすることお
中村さんが■乗軽越えた障壁は,本圭鐵こ商い.大変な 趨さだ。
はるかに低い隆害なのに,私たちはF高い高い謹と わめいていないか。
⑧ 纂蟹》講 影突っぱ辱唾とは一体,簿なんだ。
〜すねた1穿,生意気にふるまうことは,突つば噂なん かじゃないんだよ一
これ発てごらんよ。おひな様だよ。あんまシ/小さい から,まわすよ。大きなおひな様と講じくらい,念入
季タにつくってあるだろう。こう誘って,微纒な江芦小 梅と呼ばれ.る厩芸贔を教室.に持ち込む。
東京浅草でこの羅士玩具に鐡会ったとき,これこそ
「突っぱ射の教材になると療慰した。
末羅iは患いが低いと{窪い行重毒をする,一思いが高いと 背一動も高いものになる
一本スジを通しさえずれば,もっと衰分を活かす生 き方をしてくれるにちがいない,そう考えてこの授業
を麟る。
江芦時代,豪繭が華美なひな人形を観ってつく瞬ま じめた。等身大の人形まで現れた。幕府が禁藍令を聾 したがおさまらない。人影職人のなかには突っぱって つくるものがいる。幕府はメンツがあるから見せしめ に鑓罰した。やめるか,つくって麩罰されるか。
職人たちがっく}/はじめたのが,この微細で少しも 姜抜きしない人形づくりだった。突っぱ計}とは,高い 悪いに貫かれた主張がある。弾圧がある。くじけない。
方法を変えてでも童蒙は守る。高い患いで懸麺あるも のを麟弩徴し続ける。犬蓼3なことは,、£夫する態度,
ひるまないしたたかさ。
髪を染め,ダブダブのズボンを惹いている。タバコ を暖い,灘を飲む。夜遊びする。それだけさ。突っぱ 舞なん力圏じゃないよ。新鶴突っ1ま毒」と「ほんものの突っ ぱ1擁があることを忘れるな。もちろんほんものの突っ ぱ弩になろうな。
翁 第3§講 食べないと,猛きられない
一「生きものの体」を食べる。ヂいのち窪を食べて生きる〜
もしも漂始の時代なら,食べるもののすべてを,霞 分がつく辱,穫鯵,獲らなくてはならない。魑鬱する のも露分。できない者は,うえて死んだ。
認 蕩島大学教畜学部実験懸究紀要第聡号
牛が蟹き入れられるんだ。無毒の入の一瞬の早業で.
その牛はドッと溺れる。鮮露が流れる。あとは熟練の 人たちの手で,またたく認に麩理が進む。私は一部始 終を見せてもらって感動したよ。美徳だiと思った。
この牛たちが,やがて私たちの食事へ送ってもらえる のだと懇、うとあ葦)がたいことだと懸、つた。
私は,麟畜場を見学させてもらった体験を感謝を込 めて教材にさせてもらった。今だからこそシ婁一ケー スに食べられるようにして壷べてもらっているけれど 原始の時代だったら,「この種事,全部蒙分がやらなけ ればならないことだ」と態、つた.
食麹は,すべて生駒の体.要するにヂいのち」ある ものしか食霧にならない。私たちは,「いのち」を食べ ているのだ。農産。水産。秣産。畜産。こう呼ばれて いるすべての仕事が,私たちの「いのちの素匪を提徴 するために,暮夜全力でがんばっている。「あ辱がとう」
と誉わなければヤものは食べられないり
⑱ 第77講 敷隻『遺愛集垂をのこした人
〜かつて,島秋人という人がいた。神の心で魑溺され て死んでいった〜
一瞬の歌集があ琴ます。絶愛集遇傑京美衛)です。
鶴厭人という人がのこしたものです。この一驚で,勉 強しようと患えば,いろんなことが勉強できます。入 閣科の髭塁彗蚕には最高の教材だと愚レ強ます。
縫のためになりて死にたし死麟遜の 駿はもらいての無きかもしれぬ 被害者にわびて死飛を受くべきと 響、う1こ空1ま青く生きたし
この入は殺人を犯し,死飛を宣告された人です。33 歳の時だったそうです。
島秋人という入が,絞蓑台の露と構えた。美しい歌 をたくさんのこして…。
貧しく,学校時代は低麟と呼ばれた。
中卒後職を転々とした。少隼院へも入れられた。あ る嚢,あま鯵の空駿で盗みに入った。見つかって家人 を殺してしまい,その罪で死耀が確定した。獄串で文 字を学び,蔑歌をはじめた。
そのきっかけは侮だったか。
島さんが獄中から,はじめて手紙を綴したのが,串 学時代の吉欝先生だったのです。バカにされ,ほめら れることもなかった中学時代に,一人だけ,一度だけ ほめてくださった先生を思い鐵したのです。
吉醗先生からの返事に,奥様の短歌がそえてあった そうです.
「こんなに美しいものがあるのか舅
島さんは篶歌にめざめたのです。これがきっかけで 文字を勉強しはじめたのです、、それから新聞や雑誌に 作品を発表するようになりました。「濤らかで,美しい,
心のうずくような歌」をよむ入として認められるよう
2昏{肇2一一嘩2
になを〉ました。
『遺愛集遷の鐵藪は,島さんの死後にな辱ました。
「顯わくは精薄や貧しき子らも疎まれず,幼き頃より この人々に正しき尊きと紳のみ恵みが与えられ,私ご ときおろか者の死の後は,死璃が廃艦されても犯罪な き嚢の申がうちたてられますように。私にもまして辛 き立場にある人々の上にみ恵みあらんことを。」/島秋
人!
鉱一ヒ,八ツ塚実の著書を手がか1)に「人聞秘藤につ いて多くのスペースをとって「人聞科諜の実践内容を できるだけ忠実に示した。このようにしたのは読者が 八ツ塚が「入購科」の授業実践に込めた深い思いを感 受できるようにと考えたからである。
蟹 八ツ塚実が「人聞科」に込めた思い
雇 八ツ塚箋の還指す野人闘科」
八ツ塚実の影人間群雄の実践ははビめから人聞科で はなかった。翼翼Kの白鳥アナウンロ号一のインタビュ ーで八ツ塚は次のように答えている。
ヂ人間科は,はビめから人間科になったのではなくて,
ずっと以毒霧は置どう生きる科遍だったのです。讐は教 科の科ですね。それから,それをやっていると子ども たちが,簿でこんなに難強をやらされるのだという疑 閣を持ちか酵てきますから,やは諺難強はかくかくし か裟かの理嶽で,大鷺になるために必須の義務なんだ よというのを認むたいです。だから,野なぜ学ぶ科垂涯㊨。
確かにはじめからヂ人馨科」ではなかった。
80の人購科の集銭を要約した衰三録,人聞科の授業の 第6i講「知恵にまで高めると誘うこと盛に次のことが 記録されている。
降人縷科套という言い方に行きつく藩,私はこの試 みを次のように読んでいた。
○どう学ぶ科 ○なぜ学ぶ科 ○どう生きる科 ○なぜ生きる讐 ○どう議む科 ○どう考える科 時に応じていろいろ言い方を変えたが,結局,匿人聞 舞垂に落ち着いた⇔蜜7・
八ツ塚は授業に害せる思いを臨らに饑い,子どもた ちに侮をどのように闘いかけ,子どもたちとともに人 聞としてのあり方を互いに考えるために何を,どう問 いかけるのが最もふさわしいかを考えながら授業実践 に鍛善)績んで,最終的に「人聞科」に落ち着いた。
「人聞科の科も科ですけど,これはいろんな場癬で肩 をポンと開いて蓼おい,君それでも人聞か遺というあ れからきているのです。タバコを啜ったといっては連 れてこられるとか,夜遊びをしたとかいろんな場面で 指導をするでしょう。それはもう教鰍まそれぞれ懸盤 があ誇ますから,いろんな鯵癒の娃方があるのですけ
ども,僕なんか相当ひどいこともやむましたが,後半
八ツ塚実の「大鷺科」の実践とその意義 3§
はポンポン。『それでも人露か,恥ずかしくないか垂と 穏やかな声で,それでいて真裏彗に語るのです。それで 今人隅科で績張っているわ酵です、,」
「それでも人懸か,現ずかしくないか葺という八ツ塚 の子どもたちへの問いかけ.これほど子どもの心,ど の子の・虚こもその穣っこがある「良弼への暖いかけ ほど,やさしく灘かい問いか1うはないだろう。
人露として譲なる心の持ち主である子どもたちへの 震頼,これがあって初めてFそれでも大開か,恥ずか しくないか韮と語りかけることができたし,八ツ塚の
「人露科」の授業は,縮分で蕃うのは気が弓1けますが」
「中学生に大変人気」があむ,紅最近よく議題になるζ私 藷垂など全く無縁」で,「中学生は大鷺科の授業を楽し みにしてくれていたし,私自身も楽しく心おどらせな がら授業」鮒ができた。
確かに,8§の「大鷺科」の記録をじつく弩読むと,
中学生が一つ一つの授業にどんなに心をときめかせ,
醸をどこに集中させ,耳をどれだけ傾けて学んでいた かが醤に浮かぶ。授業一一つ…つに人灘を深く見つめさ せ,子どもたち一人一人に§分のあ弩方,人聞として のあ写方ををじつくき}考えさせるすごい蔑力に満ちた 追究があるからである。八ツ塚実はこれがなぜできた
か。
2 野人聞の尊厳鷹を学ぶ
八ツ塚はいう。「失望や不満や愚痴を語るのは楽なの ですけれども,やは1ラ簿かしなければならない。だか
ら,撲は人聞科で量の中に訴えているわけです。『語η きろうではあ章うませんか。人懸についてもっともっと 語ろうではありませんか遜というのを。人講を語らな いで,愛を語らないで,点数だけを語っていますから。
点数も語っていいから,人懸のことも語ってほしい。
点数のみ語るのはいけないということです。点数を語 ると楽に仕事ができるのです。たとえば一層寺闘なら■一 時闘を点数で持たせることができるのです。蔑たちも 関心が深いですから。だけど,それでは点数を語った だけで,人聞として学ばなければならないことのほん の一藻でしょう。教育が今,藩分教育になっているか らもっと大きく大隠の尊厳について学ばなくてはな葦}
ませんぴこれで教科の魑強が,疎かになったむしませ んよ。それよ季}もっと勉強するようにな1)ますよ。」
ギ騨害打算で勉強するのと,人聞であることの喜びで 魑強するのと大違いですもの。だから綾は入隅科の授 業では,郵お母さんから生まれてきたのだよ。たった…
つのいのちなんだよ妻というのがしょっちゅう登場す るのはそのためです。3醗
子どもたちに点数ば力睦}語って,大震について語ら ない。今の教育が点数だけ語る「部分教育」になって いる。点数を語るところがら始める教育ともっと大き く大開を学ぶ教育の違いを一番深く実感しているのは
子・どもたちである。前者は点数の良し悪しが開題であ 舞,、と下の鑓係がすぐに語られるのが常である酵後者 はノkツ塚薄書誓うように, もっと大きく 「大開の尊1厳ま を隅題にし,母から生まれたかけがえのない自分の命 を考える授業なのだから,子どもたちの授業への参撫 意識の違いは開らかだ。点数の、鉱が診)下が軽,、ヒ下の 差が大きな問題になる部分教育には真裏彗にならない子
どもも,「大鷺の蓉厳達という,大閤として最も基本的 でどの子も等しく,深くじつく鯵考えなければならな い問題を突きつけられるわけだから、、
「受験主体の教育をいっか反省する騒が来る」「心の 開題というのは,人聞の瞬帰するところですから,そ こへ鶏かう馨が必ず来ます轡之の思いをもって人驚を 語る。人聞の尊厳を瞬題にする八ツ塚のこの熱勧懲い,
これを最も身近に実感していたのは新子どもたち」な のだから,「大鷺季駐の授業の本当の値打ちを,子ども たちは一一一番しっかり感じと弩,この授業を一番楽しみ にしていたのだ。紅私語婆もなく.子どもたちに人気が あったのは靄然である。
3 人間科の授業とギ実織物離靉靆重
「人聞科≦の授業が子どもたちに人気があったのは飽 にもいくつかの謹密がある。その一つは教材として実 物が霧意されたことだ。八ツ塚は,教材として簿を選 撰し,どう提示するかにかなをタこだわった。
筆者が見学した編出毒の鵞毛にあるヂ資料館董に展 示されている膨大な資料一一つ一つが,薪入隅科涯の授業 のために罵意された教材であ辱,その大濠分が実勃,
あるいはそれに替わる代霧である。先に示した欝の実 践事纒の中1こもヂ人聞の脳と勃勃の駆」を比較できる
ように動勃の蟹の骨を実勃の標本やそれに遣い標本が 灘意されている。本当の「突っぱ簿jの授業でも職人 の作った驚くほど小さいひな人影が擾承された。黙の 見えないわが子のために作った絵本も実鞠を見せてい る。それがかなわなければ,「中村久子さん」や「島秋 人さん」の授業のときのように,墨趨更された1蕪善:添書罵 意され,「屡畜場雌のように露分が実隆にその場に墨窪
き,露分で撮影した写真で子どもたちに事実を示す。
ギ私の入講料の授業はとにかく,必ず麹的証礎を毯の 講において,『だろう。だから,こうなんだよ壽という ふうに語弩ます。ことばだけでも語れます。が,しか
し,その言葉にもう一つの勃が…一緒になってくれたら。
だって,お母さんてこういうものなんだよ。子どもの ためには命を張るんだよっていうのを嚢で言うのは,
す一す一,右から左へぬけていくんですね。しかし,
鞠的証挺があってごらんなさいよね。まるで違います。、轡 子どもがいやがる痩醗掃除をとりあげ,子どもたち に「優勝掃除」の詩を読んで,語草)かける。子どもた ちは…一変する。このときも,浜毅二肇函雄氏の詩が決定的 な威力を示す心捻
4§ 懸轟大学教育学纏実践欝究紀要第尋3号
かつてルソーは,rわたしはことばでする読響1は好ま ない。年少の者はそれにあま辱注意をはらわれないし.
ほとんど記濠にとどめない。実働1実物!わたしたち はことばに力をあたえすぎている,ということをわた しはいくらくりかえしてもけっして十分だとは患わな い。わたしたちのおしゃべりな教育によって,わたし たちはおしゃべ1)どもをつく箒あげているにすぎない。ま
といった(麟
ルソーがとン}わけ霧題にしていたのは,子どもにま だそのときが来ないのに言葉でものを教え,言葉でも のを理解させることであった。そして,子どもの学び にとって繕よを}も叢要なものは,護葉ではなく,子ど もが実燦に自分の醸で見,嚢分の手で航れて確かめる ことができる「実験尋であった.
八ツ塚の実践で破が重視していたヂ麹的証縫」は,
ルソーの懇懇と基軸を繕じにするとまでは言わないが,
実働を大切にし,それを子どもたちに提示してこそ,
心の隆から子どもたちを揺シ〉動かすことできるという 考えが根底にあったと受け鑑めたい。
「資料館葺の入鯵簾に,八ツ塚の「ごあいさつ」が掲 示されている。そこで被は次のように書いている。
少し長いのだがが,全文を紹介する。
「襲示してあるぎ駿竈とゼ物董との題には,韓のつな が身}もあむません。この展示は,俸系や系統を示すこ
とを舞納としていないからです。
これらの蛎たちは,いずれも私の鈴年にわたる教暴 生活の中でゼ串学生のための人聞科遜の授業で活躍し てくれました,
私は深い想いを残して,中途で教壇を去りました。
手元に残ったさまざまな教材と対議しながら,あら ためて授業における教材の大切さを再認識させられま
した。
わけても野趣学奪遜蓼超教科垂の性格をもつ私の入懸 科の授業では,興陳をそそる教材は感動づく琴の1老役 でした。
私は,教職に残した想いを匿かたち玉にすることに しました。教材の大窮さを訴え,蔓に広く深く教材を 探求する講究撰点をつくることです。講じ志の人たち
と共属簸究を通して堕教材学遜とも呼べるような分野 を雛擁したいと考えています。!鱒馨.9.雄
資料館に掲げられたこの文を羨んで,八ツ塚が「入 購科」の授業実践のために,教材にいかにこだわ計},
教材鵜祭,教材集めにどれだけ心織を涯いだか,また 授業における教材の重要性について議論の輪を広げた
い,「教材学墜の量雰を麗贅1したいという強い患いを改 めて実感した。
4 ゼ愛」に翼かれた教材解釈,実践
八ツ塚は,紙商科の教材はいつでも,ど講こでもあ る」麟という。そしてまた彼は,「大切なのはハートです。
2磐毅一茎2
そして人聞鷺係。そして笑いにこだわる。辱爺ここにかれ の人閥科の実践における教耕解職,教材選択,授業実 践の要諦がある。
今見てきたように,八ツ塚の新入翼科」の授業実践 における「教材」は,徹底した「実務・霧的証鑓諜で あった。そして,この実勃に共通するもの,それは,
F愛」「大開愛まである。大鷺として生きる人を見つめ る騒差し,心根1,ノ又ッ塚のハートがここにある。
無隆に存在する素材の中から選び絞かれた「教材」
…一ツ一一つが,ノkツ塚の入翼を見つめる曇疑差し,心複に かなった鞠だ。§の見えないわが子のために作った紅立 体絵本斐,想像を絶する徴募1に生きた中村久子さんの醤 書,浜黙蟹雄氏の「極所掃除」の詩新2脅講の生活記録 など…艦。綾が収集した教替は,八ツ塚霞身が,人懸が 大鷺として生きる姿に心嚢かされ,畏敬の念を抱き,
心から敬服する患いになった霧ばか鞍である。その人 の営為に対する八ツ塚の心延琴,尊敬,感謝,畏れな
どいかにも優しい猿差し,八ツ塚のハートがそれを教 材として選び饑している。そして八ッ塚がこれこそ子
どもたちとともに人聞として生きることを考えること ができる唯一の「教材諄として選摂した勃である.鞍 が選撫した教材一つ一つに,彼の「愛ユF大霜愛藩に満
ちた駿差し,心根で選び披かれた鞠である。
そしてもう一つ,それは八ツ塚の心には常に子ども がいたこと。寝ても覚めても八ツ塚には子どもたちが いた。この子らに教締として韓ができるか,この子ら の心を £・の底から揺さぶ諺,察分を発つめ,大篝1とし ての生き方を考えさせ,心を育てる「海運の教育拶・「た だ曝に親や子どもの心をくすぐって,いい点を取らせ ましょうと言っているだ1ナの薄っぺらな教育じゃなく て,ボリュームのある本鞠の教育轡壱暮旛し,簿を矯 意しどう語鯵かけるか,これが八ツ塚の鬱々の患いで ある。こ二の子らのために簿ができるか,葎歪が最適かを 考える八ツ塚の子どもたちへの「愛」,これが八ツ塚の 教材解毅,教材選択,そしてF入溝麟の授業」を決定 づけていると考える。
5 教麟としての礼儀,人としての礼儀
今,八ツ塚の子どもたちへの「愛藩を書いたが,彼 のr入聡科3の実践で重要なことは,教癖の「愛」の
問題である。
中学3年購で,鑑活記録鎗羅を書いた子どもの事溺 をあげ,彼は言う.「手抜きもせず,見くだしもせず,
ただひたすらに,まともに語鞍合う」ことがたいせつ だと。、しかし,この子に蟹)辮}の生活毒葛録を害悪・せたの は「愛轡を,かれは考える。
書かない,書こうとしない子のために教練がi知恵 を働かせる。そのために知憲,そのために愛を私たち はいただいている1韓
八ツ塚は,この子のために簿をすることがよいかを
八ツ塚実の「入鰻科」の実践とその意義 毅
患いめぐらせる,篶1恵を働かせることに,教麟の}ど もたちへの「愛ゴを箆い鐵していた。
そして八ツ塚のこの思いが,教締としての礼儀,子 どもをとおしての義ヘグ)礼儀につながっていることを 改めて教えられ,筆者は驚摸する。
八ッ塚は,人聞騨の授業で「礼儀と儀礼まについて 考え,礼儀は人聞の的なるもの,野人を大難にする気持
ち,人を尊敬する気持ちまと教えている。蒸
「いつも私が子どもたちに,人聞科という授業で素材 にするのは,私藤身です。つまらない私欝身ですの私 は,まだこれからも露分をきたえようと患ってる。盤 らと競争だ,というメッセージを伝えるのを,私は子 どもに対する大入の礼儀だと懇ってます。
よく 『子どもの権1奉1を守る遜 という露葉が使われま す。私はこのことを窪礼儀正しく子どもと接すること選
と解釈しています。
○誠実な準騰という礼儀 ○纈心な醗縷という礼儀
○全力の支手応とレ藁う塗し儀 ○履く瞳珪の継蕃夷と㌧藁う多し儀
要するに,大人からの礼儀をプレゼントすることだ と憲っています。ま囎
八ツ塚にとって「教臨の礼儀」は,子どもたちを大 切に思う気持ち,子どもたちを尊敬する気持ちである。
この気持ちの表し方,つま蔭子どもたちをか綾がえの ない存在として欝々仕事することこそ大切なのだ,こ れが教編の仕事という考えがここにあ1),彼の人聞科 の実践.子どもとの生活はすべてここに帰着する。こ の八つ塚の教舗としての姿を一番よく見ていたのは,
子どもたちである。ある子どもが,「におい」という詩 を書いた。その中で八ッ塚は,その一籔で次のように 詩われている。欝
1略 )
八ッつあんは紙の埃の匂いがするで。
家族よン}長い暗闘
紙とにらめっこしとるけえじゃろ。
継続というのは恐ろしいもんじゃなあ。
仕事をや弩とげるばあじゃのうて 匂いまでついてくるんビやもんなあ。
センセイ
あんた紙の匂いがするなあ。
(略 )
』許どもの学習ノート,生1活記録,学級の記録など,
紙に埋もれた八ッ塚の生活を毎蓬ll発ていたのは子ども たちである。彼が自分たちのためにどれだけ精魂込め て仕事をしていたのを実感していたのは子どもたちで ある。子どもたちを大切にしよう,子どもたちを尊敬 する気持ちで鍵々努力する教緬としての営み,これは 子どもたちへの「愛」あってこそだ。
八ッ塚は,母が倒れたとき,その介護のために退職 まで7年を残して教職を去る。
「私はいちばん人聞らしいのは,いちばん澄認こなっ
た入に対して,いちばん礼儀正しくすることだ」「母親 は,いくら素人から見てもこれは五隼も六隼も生きら れないなあと,これは明嚢死ぬかもしれない。そうい うときに麟けてやって下さいと辞むようにな1ヲました ね。」儀この気持ちで,介護に毒念した。幼子で母を失っ た窯分の命を守}),育ててくれた睡覇への「礼儀」
として精一杯の介護をした。その鏡録は,「一一一生一度の 学び」に詳しいが,これを読むと,八ツ塚の倒れた羅 への「獣身雄の轟々が灘こ遺る。
八ツ塚の子どもたちへの琶儀,母への純儀これは互 い麟懸じ,子どもたちへの職刻,母への蹴劇
子どもたちのために講ができるか,この母に侮ができ るかと思い遜らし,矯悪を働かせて教麟としての仕事 に精を罎し,母の介護に全身全霊を雛げた。
八ッ塚のこび)二つの実践を貫いているもの,それは
「愛」である。
6 八ツ塚実がゼ人間科遥で§指したもの
福震毒の八ツ塚の携宅にある「資料館唾を訪れたと き,「子どものための人謬学」と題して・次のような講 葉があった。
野現在教育の嶽界は,広く深く分化しています。その ための璽念・方法・内容の講究や実践も各方面で続け られています。綴分化され,複雑多綬に見える部分は,
lllの藤野にあたります。
登蜜嚢や登露ルートは無数にあっても,やがてたど 阜}つく頂一垂二は,学ぶことの究極の欝標である「いのち の尊厳3が横たわっています。
このζいのち垂の覆■1二にたど辱つくには,必ず匿人 権遜と『1撃瀦理という9合露をしなllナればな酵ません。
教育活動で『入権の教育至ζ平秘の教育遜という分野が 重要視されるのはそのためです。
『いのちの尊厳垂を感動的にうたいあげる授業を私は
『人聞科遷と呼んできました。嚢野を右往左除するので はなく,頂、Lをめざして生きることを感動的に語るの がゼ入闘科至です,,子どもはぜ人聞科墓に餓えている のです。」
八ツ塚実が「入海科」の授業に醤を騒い,簿を求め て鍵年闘にわた彰}その実践を重ねてきたかは,この一 文に凝縮されている。
八ッ塚は,今の教育が点数だけを語る「藻分教育輩 でもっと大きく野入闘の尊厳3について学ばなければ ならない,「外型の教畜」でなく心を育てる「内型の教 創こそ大窮だと考えた。「受験主体の教育をいっか反 省するlllが来るユ,そう強く綴じ実践を重ねた。
紙縣が残1ヲ少なくなったが,これまで懸れなかった 綾のもう一つの酸い,それは,「学習者育て」である。
「今の舞本の子育ては,一一賦こ言ってぎ受験生育て遜だ と思うんです。」影だから学絞も蔑にせっつかれ,押し
/急げられて,受験生育てをやってる」。「会議も,内容
尋2 糠島大学教育学藻実践藩究紀要第尋3馨
も,方法も,すべて受験生育て。家庭はもっと厳しく 受験生育て。私はそれに反対ではあ琴ません。涯しかし 最も強く訴えたいことは,「学習者育て漆です.「今の ままでいいから,これを入れたら露本の教育は生まれ
変わる。窪
ヂ受験生育て」を超えて,「学習者育てま。「あらゆる 人から,あらゆるものから,あらゆることから,もの すごく素甕な気持ちで学んでいく人職こなろう」紅受験 にだけ強い大鷺ではなくて,受験にも強いが,人聞ら しい心をたっぷ身)持った人認。どっちを選ぶか,もう 一度考えたら,迷う人はいないと悪います。」灘 八ツ塚のヂ入構科まの授業,それは「学習者資て」
というもう一つの大きい琶標があった。
麗 終わ辱に
八ッ塚実先生に墨会って,本裏に鶴然な議会いによっ て,著書や資料館の展示物などから多くのことを学び,
私は§らの35年の散緒生活と教育実践を否応なしに深 く見つめ絶すことを余儀なくされた。先生の「人辮科≦
の授業だけでなく,中学生の子どもたちと歩んだ鐙年 のものすごい実践の積み重ねに圧舞された。
今こそ「愛と感性の教育を」と説く,小林同氏は,
」盆新大久保駅でホームから線驚に転落した人を動け るために飛び降りて電車にはねられて亡くなった韓国 人留学生と馨本人カメラマンのことなどを,教練が議 題にするだけでも,F生経たちの脳裏には愛が焼きつけ
られるに違いない。教畜カリキュラムの申にこのよう な愛に離する授業をも鯵こむことはそれほど難しいこ とではあるまい」髄と主張する。
八ツ塚実は,まさにその先駆者であった。
2§魯2隼,括導内容と教科の授業時数が麟減された新 教育課程の実簸となり,今や学力開題が蟹全体の霧題
として議識されはじめ,彼が最も憂癒した学力向上の 目安となる点数を上げる臨分教劃が復活しそうで ある。その意味で,今こそ学校教育関係者は,八ツ塚 実の「大藩科」の授業の嚢指すところに深く学ばなけ ればならないと考える。
本稿は,八ツ塚の入闘科の実践にかかる基本的な事 実を整達するにとどまったが,今後は「入驚科3の授 業を受けた八ツ塚実の教え子たちと醤談し,そこで鱈
を学び,簿が農分に生き続けているかなども這雛かけ
たい。
〈引編文献>
虜八ツ塚実rこころを育てる」光雲続
23
八ツ塚実ヂ八ツつあん先生の大震学」光雲鮭 八ツ塚実ド一生一度の学び」尭雲縫前掲街以下⑳までの実践簿爵8〜夢3欝 薄絹1繋爵号〜
2騰2…一重2
蕪掲!董ゆ5i 羨縁玉船263〜2縫 縫樽iil費駿 購 藩簿磐夢53
匿毒 鳶霧揚{21茎)97〜98
蔚織2ゆ囎 前簿21瞬3警一i錫
」.ヌレソー薪エミール上」岩波文庫鱒鶏
議}揚{二〜達》§4
羨嫁2ゆ舗 表掲麟夢iO倉 羨撫2噴糞7 薄郷2)登i57 鰯欝揚{2)欝欝5〜i脅6 羨樽21揖総 蔚掲1薪夢225 前職2ゆi錘
総妾 毒}揚軽種)33
韓 繭嫁2壌騒 蔑揚⑦瞬欝
欝 なだいなだ講著「<こころ>の定点観灘ま岩波新書 倉銭5
(20奪2隼§舞2鰍受遅)