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環境経済論講義ノート

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環境経済論 講義ノート 環境問題と

細田 衛士

概 要

通常、経済学では、所有権・使用権などの権利や基本的な制度そのものを設定・創 設したり変更したりする政策手段を問わない。むしろ、こうしたことは所与のことで あり、与えらた権利や基本的制度を基に政策手段を分析したり、議論したりする。し かしながら、環境経済学ではこうした権利の設定や基本的制度自体が分析・議論の対 象となることが多い。本講では、環境にかかわる所有権や使用権の問題に関する基礎 的な話題を提供する。

はじめに −所有するということ−

環境問題は、環境資源の「所有」(占有し、処分できること)あるいは「利用」(ないし

「使用」)にともなって生じる問題である。ここで、環境資源を、自然環境やアメニティな どの人為的環境を含む広い意味での環境にかかわる資源と直感的に定義しておく。人間が 経済活動に地球上の資源を全く用いなければ、環境問題は起こらない。資源の過剰利用・

過少利用に由来する環境問題を考察しようとするとき、所有権や使用権(利用権)という 概念を軸に問題を整理すると問題を鮮明に捉えることができることがある。

たとえば、空気(大気)の利用を考えてみる。空気や大気は誰も所有することができな いが、使用(利用)することはできる。人間や動物が呼吸で使用する限り、環境に関する 問題は一切起きない。しかし経済主体が汚染物質を排出する場所として大気を利用すると なると、ただちに様々な問題が起きる。所有権が規定できず、しかも使用(利用)に明確 なルールが存在しないとき、資源の過剰利用や外部性の問題が起きるのである。

「所有」という概念は、我々の生活のなかでなじんでしまっているために、「所有する こと」が当たり前のこととして考えられている。異文化と接したり、経済・社会制度が変 わったりするとき、或いは個別の問題が生じたときはじめて問い直されることが多い。歴 史のなかでもそのようなことはたびたび繰り返された。実際、文化を異にすると、所有あ るいは利用・使用の概念も相当異なる。

たとえば、遊牧・牧畜民と農耕民との争いも、所有の概念に関する見解の相違を表す つの例である。既に、聖書の創世記章のカインとアベルの争いのなかにこのことが見え る。ユーラシア大陸の内部を動きまわった遊牧民とその周辺の農耕民族の争いは、オスマ ントルコ帝国の崩壊まで続いたと見ることもできる。遊牧民と農耕民とでは、土地所有・

土地利用の概念は全く異なる。前者は土地を囲い込んで所有できる対象物とはみなさない

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が、後者はそのようなものとみなす。遊牧民は、土地は理由することはできても所有する ことはできないと考えるのである。実は、後で説明するコースの定理も、以上のことと似 た状況のなかから生まれてきたといえる。

水の場や井戸をめぐる争いもそのひとつである。半乾燥地域では井戸の利用をめぐる争 いが絶えなかった。淡水が不足している現在、半乾燥地域での水利用を巡る争いは益々増 えると見られている。一方、気候が湿潤で多雨地帯である日本でも、水稲耕作のための水 利について深刻な争いがあった。こうした争いは、所有権や利用権についてのルールを定 め、水利用の制度を構築することによって解決されてきたのである。日本の慣行水利権の うち、割近くが近世までに確立された権利であるという。

したがって、どのような資源であれ稀 り、それを効率的に利用するために は、一定の所有権・利用権(使用権)を定め、決められた権利にしたがって資源配分を行 う制度が必要になる。とりわけ、誰もが自由に参入できるオープン・アクセス資源につい ては、稀少性がゼロである場合にはそのままのアクセス方式でよいが、稀少性が生じたと きオープン・アクセスでは立ち行かなくなる。かつてはオープン・アクセスであったある 種の環境資源も、一旦稀少性が生じてくると、当該環境資源に対して使用のための権利を 設定し、それを取り引きすることも実際に行われている。権利の設定の仕方はさまざまで あるが、キャップ・アンド・トレード方式の排出権売買はその一例である。

問題の所在:なぜ

か?

環境権

人間は、自由に呼吸する権利がある。法律に書かれていなくても、人間に生きる権利が ある限り、呼吸によって大気を使用する権利は制限されない。これは、 の権利で ある。またきれいな大気の稀少性が損なわれない限り、人工的な物質の排出場所として大 気を使用することも許される。但し、きれいな大気が稀少になった場合、大気を自由に使 用する権利は何らかの制約を受けるかも知れない。排出権売買は、大気を使用する権利に 制限があることによって始めて可能になる 。すなわち、資源がそれを求める需要量より 多く存在し、稀少性が生じていない場合、所有権や利用権・使用権を明確に規定する理由 はない。

それでは、環境要素が稀少資源となった場合、環境を使う権利はどのように設定できる だろうか。設定できるとしたらその所有権あるいは使用権は誰にあると考えられるのか。

日本ではまだ一般に環境権は認められていない。しかし、生産・消費をするとき必ずなん らかの環境要素を必ず使うのである。環境という資源をを無制限に使うことは、実際上難 しくなってきている。言い換えれば、多くの環境要素が稀少資源となり始めているのであ る。持続的な経済発展を行うためには、環境という資源の利用を何らかの方法で制限し、

当該資源の稀少性を経済取引に反映させる必要が生じる。その場合、所有権と利用権はど のように関係するのか。

きれいな大気がある場所は、それゆえに稀少な場所となり、たとえば地価が高くなるような場合もある。

その場合、きれいな大気の稀少性は地価に反映されていると考えられる。

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(いくつかの例)

¯ 大気中に、二酸化窒素、二酸化硫黄、浮遊粒子状物質、炭酸ガスといった物質を自由 に(無制限に)排出する権利はあるか。この権利が制約されるとしたらなぜか。自 由に排出する権利はどのように制約されるのか。かつて、これらの物質を大気に放 出することは自由であり、それらの物質の捨て場所としての大気を利用することに 制約はなかった。しかし、捨て場所としての大気に稀少性が生じている現在、自由 に排出することはできない。すなわちこれらの物質を捨てる場所としての大気の利 用権には制限がある。

¯ 土壌中にトリクロロエチレンを捨てる権利はあるか。かつてトリクロロエチレンは、

土壌中に自由に排出されることを妨げられなかった。現在は、土壌環境基準によっ て制約を受けている。またかつてなんら制約がなかったときに排出されたトリクロ ロエチレンで汚染された土壌は誰が浄化すべきか。(遡及問題)⇒事実上、汚染者の 負担によって土壌浄化することになっている。

¯ 一般道路を歩行したり、車を走らせたりする権利はあるか(自由通行権)。もしこの 権利が一般に認められているとしたら、道路の使用を制約する施策はどのような理 由によって正当化されるのか。「混雑税」を課すことは可能か。

(経済学者は、 ないし の権利設定や制度を無視して、最適化の視点の みから、たとえば「混雑税」などを提唱することがある。しかし、 ないし の権利設定や制度を無視して政策提言することにあまり意味はない。)

大気や水系を排出物の捨て場所として利用する場合、それは生産関数に入る生産要素と して考えることができる。そうしたものの使用権が無制約である場合、資源の過剰使用

(すなわち環境破壊、絶滅均衡)や外部不経済による資源配分の歪みがもたらされる可能 性が大きい。

(例)通常の投入物の量を 、産出量の大きさを、排出物の捨て場所の利用量をと おき、生産関数を とする。環境要素利用量になんら制約のない時、

となるまで環境要素を利用する。このときの、が環境容量に比べて著しく小さい時稀少 性は生じないから、使用権の設定も不要である。しかし、それが十分大きくなったとき、

権利の設定・制限を行わないと、問題が生じる。

費用負担

費用負担と所有権の問題は密接なつながりがある。なぜなら、ある資源にたいして所有 権を有する者は、それを利用することによって得られる価値(獲得物)の一部または全部 の帰属を要求できると考えられるからである。所有権が確定している資源を使用する場 合、通常価値の帰属は明確である。非市場経済では何らかの分配ルールが定まっているこ とが多いし、市場経済では価値の帰属は市場取引の一貫として決定される。ただし、特に 前者の場合、ルールが法制度によって支えられていない場合もあることに留意する必要が ある。

自分の資源を自分自身が利用する場合、自分にたいしてその価値を要求することになる。

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しかし所有権が確定していない資源の場合、その利用から得られる価値の帰属はどのよ うにすべきか決めるのは困難な場合が多い。たとえば、自然環境を汚染物質の排出場所 として利用することによって(すなわち環境を投入物として使って利益を得ることによっ て)、環境が一部失われたとしよう。この場合、環境保全費用(環境という資源を使った 場合に、得られた利益の一部が還元される部分)は誰が負担すべきなのだろうか。環境と いう資源を利用した排出者や汚染者が負担するのか、それともその行為によって利益を逸 した者(被害者)が負担するのか。そもそも加害者、被害者をどのように決めるのか。

環境の使用にたいして、権利の制限がまったくない場合、仮に当該要素に稀少性が発生 しているとしても、生産要素としての環境の使用に対し、対価が支払われることがない。

もし使用が制約されていれば、稀少性を有する資源として価値が生じる。すなわち要素の 使用に関して影の価格(つまり稀少性の指標)が生じる。もし、その使用の権利を交換す る市場が存在すれば、それは市場で「価格」として顕在化する

(いくつかの例)

¯ 中国などの発展途上国が、排煙脱硫装置や排煙脱硝装置をつけずに煙りを出したた め、周辺諸国が酸性雨の影響を受けたとする。このとき、これらの国々が大気とい う所有権の確定できない資源を自由に使ったために、他の国々の人々がきれいな大 気を資源として利用することを妨げられた、と考えることができる。明らかに大気 には稀少性が生じている。しかし、使用権になんら制限がない場合、稀少資源とし ての価値は生ぜず、したがって費用の支払いも起きない。費用の支払いがない限り、

大気という資源を保全することは難しくなる。減価した分を補てんすることができ なくなるからである。

¯ 熱帯雨林はほとんどの場合所有権が確定している。しかしながら、熱帯雨林の存在 そのものによって、それを所有していない人も恩恵を受けている。恩恵を受けてい るということは効用がもたらされていることであり、資源として利用しているとい うことでもある。しかしこの場合の資源利用は、物理的な資源としての熱帯雨林に 影響を与えない。さて、その場合、所有者にたいして熱帯雨林を守れとと言えるで あろうか。また熱帯雨林を保全する費用は誰が支払うべきなのだろうか。

環境という資源の使用権を制約する方法には様々な方法がある。使用量に一律の制限を 課するケース、使用量を規定し、経済主体に割り当ててしまうケース、環境資源を使用す る者に一定の対価を支払わせるケースなどがある。第1および第2のケースは直接規制的 な権利制約の方法であり、第3が経済的動機付けを利用した、間接的な権利制約の方法で ある。第2のの方法においては、割り当てられた使用量を権利として売買することが考え られる。これは、排出権売買の考え方につながる。一方第の代表例は、環境税である。

所有権と使用権が合致している場合、その保有者は権利の行使に対し、他の誰にも使用 料金を支払うことはない。所有権が確定しており、しかも他の経済主体に帰属している場

我々に身近な財は、所有権と使用権が結合している。しかし所有権と使用権とを切り離し、別々に交換す ることは可能である。

この場合、熱帯雨林から得られた木材を資源として利用することによってもたらされる利潤や効用は除 く。ここでは、それが存在することが望ましい、満足であるという恩恵、そして熱帯雨林があることによって 気象が安定するなどのことをおもに考えている。

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合、その資源の使用者は価値の一部を所有者に支払う。所有者が確定しておらず、使用権 が与えられた場合(たとえば大気などの使用の場合)話は少し複雑になる。

たとえば炭素税が課された場合、所有権は確定していないにもかかわらず、使用料が税 金という形で支払われる。一方、使用の権利がただで割り当てられた場合、価値はすべて その権利の保有者に帰属する。権利の価値は、市場で売買したときのみ実現することに なる。

ないし

とは何か

所有権、

について由来、定義を厳密に述べるのはむずかしい。社会・経済制度や 文化に対して相対的な概念だからである。所有権、使用権どちらも無制限の行使が許され るわけではない。必ずなんらかの制約がともなう。所有や使用の対象によって使用、処分 などに対する制限は異なる。

(いくつかの例)

¯ 所有権があっても使用には制限がある:所有権を有する土地といえども、自由に構 造物を建てることはできない。

¯ 実質的な所有権と形式的な所有権の相違:英国の土地の形式的最終所有者は女王陛 下にあるが、実質的には別の土地所有者がいる。

¯ 権利は明確にされていないけれど実質的に保証されている権利:歩く権利、呼吸す る権利、などなど。しかしこうした権利も、ある条件下では制約を受ける。

¯ 保有できても売ることはできない権利:たとえば酒類販売免許、醸造の免許など。

また歴史の中で、所有権と使用権は相互に影響しあってきた。初めは村落共同体の総有

(一種の共有)であったものが、やがて使用権を固定化させ、結局使用権に所有権を附随さ せてしまった場合もある。かつて入会地は村の総有であったが、やがて多くの地域で「山 割り」が行われれ、結局は私有地化される場合が多く見られた。入会地と山割りについて は、参考文献 を参照。

限界費用ゼロで既に供給され続けている資源に関しては、非排除性、非競合性が成り立 つ限り、経済的な問題は起きにくい。たとえば人類の知恵、科学的知見などの財産はそう である。ただし、こうしたものの供給については、市場における評価を越えた評価が存在 する。名声や名誉などがそうである。もし名声や名誉などで代表される、市場以外の評価 がない場合、こうした資源の供給のインセンティブはなくなる恐れがある。こうした財産 をなんらかの形で囲い込むことができるのあれば、財産として確定させ、権利を付与する ことも可能になる。

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(いくつかの例)

¯ 知的所有権は知的資源の供給のインセンティブを確保するためにある。たとえば、線 形計画法の解法にも一定の権利が付与されることがある。

¯ 著作権は文芸や芸術の創作者の供給のインセンティブを守るためにある。たとえば、

イサム・ノグチの芸術作品である「ノグチ・ルーム」を著作権保持者であるイサム・

ノグチ財団の許可なく、所有者といえども学校法人慶應義塾が勝手に解体・移築す ることは許されない。

上の例のように、競合的であり非排除的な性質を持つ資源の場合、一般に供給のインセ ンティブの問題が起きる。これまで供給されつづけてきた資源で、インセンティブ問題が 起きなかったものでも、状況が変化すれば問題が生じる。

(ひとつの例)

¯ 混雑現象、早いもの勝ちによる資源の過剰使用:過疎地域を走る列車では座席の取 り合い(座席を使用する権利をめぐる争い)は起きにくいが(観光シーズンは起き るかもしれない)、都会の電車では座席の取り合いが起きる。座席の使用には稀少性 が生じることになる。

権利の配分方法

所有権あるいは使用権を確定し、経済主体に配分しようとするとき、その配分方法が問 題になる。一般に権利を配分する方法は様々である。

(権利配分の例)

市場における価格メカニズムに頼った方法:競合性と排除性のあるものに関しては これでうまく行く可能性が大きい。通常の財・サービスがそうである。費用の支払 いは、所得分配の一貫として、市場で調整される。

早いもの勝ち、既得権益という方法も権利の配分方法である。

(いくつかの例)

¯ 早い者勝ちの例:通勤電車の座席を占める権利、路上において車を運転するた めに道路上の一定の領域を占有する権利

¯ 既得権益が優先される例:昔の借地・借家法では一旦間借りすると、店子に権 利が生じる

規定されたルールによる配分の規定

(いくつかの例)

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¯ 交差点の信号機による、交差点の使用権利の配分

権力者の恣意的な裁量(気まぐれ)

儀式による資源配分 (ポトラッチやクラ)

ちょっと失敬!すなわち「窃盗」による財産権の再配分

どのような配分方法が取られるかは、文化、技術力、生産力、交通形態、物理的(自然)

環境などによって決まる。新古典派的な人々は、制度的な進化のなかで、社会的に最適な 配分方法が選ばれると考えたがる。

(ひとつの例)

¯ 英国の荘園( !)の興隆と崩壊(市場経済化)の理由:取引費用がより小さく、

社会的厚生が大きくなるような権利の配分方法が選ばれた。そのような説明の代表 例として、参考文献 参照。一方、ロック などは労働から所有権を説明しよう とする。(労働価値説にも通じる?)

環境を使用する権利

環境保全費用を誰が支払うか

環境問題とは、稀少性が生じた環境要素についての効率的な利用問題とみることができ る。その場合、当該要素に価値が帰属しなければならない。すなわち、誰がどのように費 用を支払うかが問題になる。たとえば、水系や森林などを劣化を防ぐためには、その価値 に見合っただけの保全のための費用が必要である。また自然の生態系を保全するにも費用 がかかる。こうした環境保全費用を誰がどのような形で支払うべきであろうか。この支払 いルールに関して、いくつかの方法がある。

汚染者支払い原則

被害者支払い原則

受益者支払い原則

応能支払い原則

このうちのどの方法が採られるかは、環境の使用に対する権利の付与の考え方に依存す る。ある環境要素を使用する権利が、当初、当該環境要素を使用する主体に帰属していな いと考えられる場合、その主体は当該権利の使用に対して支払いをすべきものと考えられ る。それによってその環境要素に対する使用権が得られる。たとえば煙の排出場所として 大気を使用する権利が企業にないと考えてみよう。当該企業は、対価を支払わずして、大 気を使用することは許されないだろう。したがって当該企業は、自ら費用を支払って煙を 排出しないようにしなければならない(規制)。あるいは、煙を排出する時に大気の使用料

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を公共主体(たとえば国や自治体)に支払うということも考えられる(税ないし課徴金)。

また煙を排出する権利が購入できる場合、権利を購入して煙を排出する(排出権売買)。 一方、煙を排出する権利が企業にあると想定してみよう。当該企業は、環境資源を使う 権利があるのだから、誰にも費用を支払わず、また何の規制を受けずに煙を排出すること ができる。

¯ 日本の大気汚染防止法のもとでは、たとえば企業が二酸化硫黄を排出するのに一定 の制約を受ける。また水質汚濁防止法のもとでは、ある種の有害物質を公共水系に 排出することは許されていない。この場合、企業に大気や公共水域を環境資源とし て自由に使用する権利がないと考えられる。

¯ 中国が二酸化硫黄を排出することによって、周辺諸国が酸性雨の影響を受けると想 定しよう。仮に、中国が経済発展する権利があり、そのため二酸化硫黄の排出につ いても権利があるとするならば、中国は二酸化硫黄の排出を制限されない。

上の番目の例を考えてみよう。それでは酸性雨の影響をどうやって防ぐのだろうか。

誰が費用を支払うことによって環境を保全するのであろうか。仮に被害を受ける主体に環 境を資源として用いる権利がないとすると、被害を被るものが費用を支払うことによって 環境保全をしなければならないかも知れない。

たとえば、喫煙室ではたばこを吸う権利が喫煙者にはある。この部屋で喫煙者に対し て、非喫煙者がたばこを吸わないように主張することはできない。したがってあえて喫煙 室で禁煙を要求しようとすると、それを要求するものは補償をしなければならない。この ように「汚染者支払い原則」と「被害者支払い原則」は相対する考え方になっている。ど ちらの考え方が採用されるかは、環境に対する権利の付与いかんによる。(コースの定理 を参照。)

そのほか権利の付与の状態とは関係なく、環境保全によって便益を受ける主体が支払う 場合(受益者負担原則)や、支払い能力のある主体が費用を支払う場合(応能支払い原則)

も考えられる。前者の例として水源税が、後者の例として業界出資による不法投棄の原状 回復などが挙げられる。

雨水の排水は水質汚濁の原因となる。しかし雨水による汚濁は、一部人為的な原因によ ることもあるが、おもなる原因は自然に由来するとと考えられる。この場合、誰が費用 を支払って水の浄化をするのだろうか。仮に、水の浄化によって便益を被る主体にバラツ キがあり、かつ便益を受ける主体を特定化できるのであれば、便益を受ける主体をして費 用を支払わせるのが自然であろう。一方、比較的多くの主体が広く薄く便益を受け、この ため一人ひとりを特定化するのが困難である場合、支払い能力に応じて広く薄く支払わせ るのがよいだろう。

このように、権利の付与の状態、権利の確定の状態とともに、便益の帰属や、便益を受 ける主体の特定化いかんによって、環境保全費用の支払い方法は変わってくるのである。

権利の付与や確定をするためには、そのための制度を作り出すための費用が必要になる。

この費用が相対的に大きい場合、いちいち権利を確定し付与するよりも、便益の帰属や支

あるいは当該企業が環境資源を使用しないような生産方法に転換することもあるし、また生産活動その ものを止めてしまうこともあり得る。

例えば車の排気ガスによって汚染された大気が雨水の汚濁をもたらすということもある。

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払い能力の有無を勘案して支払い制度を決めた方が、全体的な費用は安くすむかも知れな いのである。

(ひとつの例)

¯ 日本において水の浄化のための費用支払いは、概ね次のようになっている。企業の 生産活動にともなう排水は、原則的に企業の責任で浄化することになっている。一 方、家庭からの汚水は料金によって、雨水は税金によって処理することが原則になっ ている(汚水私費、雨水公費の原則)。ただし、家庭の汚水も一部公費で処理されて いる。企業排水は、汚染者支払い原則に基づいているといってよい。税金は所得税 のウエートが大きいとすると、雨水処理は応能支払い的な要素が強いと言える。家 庭からの汚水の処理は、その中間である。

環境を使用する権利の売買

水にしろ大気にしろ、環境資源を使用する権利が一旦確定し、経済主体に付与された場 合、その権利を売買することも考えられる。あとで論じるように、権利の取り引きを行っ たほうが社会的な便益を最大化(あるいは社会的な費用を最小化)することができる場合 が多い。こうした考え方は昔からあり(参考文献 はこの手の考え方の嚆矢である)、実 際アメリカで採用されてきた。二酸化炭素の排出権売買も、こうした考え方と基本的には 同じである。

(いくつかの例)

¯ $%($&'%(' ! 開発権):自然環境を保全するためには、開発 を抑制する必要がある。開発を「自然を使用すること」と考え、この使用の権利を 制限することが考えられる。使用権を$%として一定の範囲に制限して市場で取 り引させれば、環境を保全しながら効率的な開発が可能になる。

¯ 排出権売買:汚染物質の排出は、環境資源を使用することと考えれば、この使用を 排出権を確定、付与することによって環境を保全できる。しかも権利の売買を可能 にすれば、効率的な排出が可能になる。

¯ 電車の座席指定券:これは座席に着席できる権利である。この権利が売買できれば、

効率的な配分が可能になる。実際ディスカウントショップで売買されている。こうし た方法を応用することによって、環境問題を解決できる可能性もある。しかし、取 引費用、査察費用、ただのりなどの問題を解決しなければならない。

しかし権利の売買によって環境資源の使用権を決めると、権利の配分が所得分配のあり 方によって大きな影響を受ける恐れがある。金持ち(豊かな国)はきれいな環境を享受で き、貧しいもの(貧しい国)は、劣悪な環境のもとでの生活を強いられるということもお こりかねない。これは所得分配の公正の観点から問題があるといえる。

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参考文献

原田敏丸( )))『近世入会制度解体の研究』塙書房

ダグラス・ノ−ス )#)『文明史の経済学』春秋社、%'** +,-

ロック( )#)『市民政府論』岩波文庫

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