福島大学地域創造
第30巻 第2号 111〜121ページ 2019年2月
Journal of Center for Regional Affairs, Fukushima University 30 (2):111-121, Feb 2019
資 料
摘 要
福島県においても草地環境は草地を主な生育地とす る絶滅危惧植物の生育地として重要であることが知ら れてきた。しかし,全国的な傾向と同様に多くの草地 環境が減少・消失し,そこに生育していた草地生植物 も姿を消した。一方で,福島県では大内宿や前沢集落 などに代表される茅葺屋根建造物の茅を得るための茅 場や,観光資源としても利用されるヒメサユリ群落の 保全のために維持される草地など,各地で草地環境が 維持されている場合もある。しかし,現在も残ってい る草地環境については植生などの基礎的な研究が行わ れていない場合が多い。今後,福島県の草地環境を適 切に保全していくためには現在維持されている草地の 基礎的な情報を記録しまとめておく必要があると考え られる。そこで,本報ではそれらの情報をまとめるこ とを目的として,福島県いわき市の水石山公園,北塩 原村裏磐梯の残存草地,下郷町大内宿の茅場,喜多方 市ひめさゆりの丘,南会津町前沢集落の旧茅場の5つ の草地環境について概要(位置,地名,状況の概説な ど),植生(相観や優占種,顕著な植物など),管理・
利用,過去からの変遷(歴史や過去の航空写真の様子 など)を報告する。
は じ め に
日本で成立している草原のほとんどは人為的な影響 によって維持される半自然草地である(須賀 2012)。
半自然草地は主に茅場や採草地,放牧地として維持 されてきた(大窪 2002など)。このような半自然草地 は1960年代以降の利用価値の低下に伴う管理放棄に よって急速に消失,減少している(大窪 2002)。1990 年代には国土の1割ほどあった半自然草地が近年では 1%程度になっていることが指摘されている(小椋 2006)。このような半自然草地の減少は草地を主な生 育地とする植物の減少を招いており,現在では草地は 絶滅危惧植物が多く生育する生物多様性保全上重要な 環境であることが指摘されている(兼子他 2009)。
福島県でもかつては仙台平で9種,宇津峰山に6種 の草地生の絶滅危惧植物が生育していたことが指摘さ れている(黒沢他 2013)。また,現在もヒメサユリの 自生地として維持されている草原である喜多方市「ひ めさゆりの丘」や南会津町「高清水自然公園ひめさゆ り群生地」にはそれぞれ4種以上の絶滅危惧植物が生 育している(猪瀬他 2015,薄井・黒沢 2017)。これ らのことからも福島県においても草地環境は絶滅危惧 植物の生育地として重要である。
福島県内に現存している半自然草地の 現状と特徴
福島大学共生システム理工学研究科
薄 井 創 太
福島大学共生システム理工学類
黒 沢 高 秀 The present state and characteristics of semi-natural grasslands
in Fukushima prefecture
USUI Sota, KUROSAWA Takahide
しかし,福島県の半自然草地もまた日本全国の半自 然草地と同様に減少している。2008年から2011年まで に行われた福島県レッドリストカテゴリー改訂のため の希少植物の個体群調査により福島県内の草地生植物 の生育状況が危機的であることが指摘され,その減少 要因として「管理放棄」や「草地の開発」が挙げられ た(黒沢他 2013)。実際に現在も草地環境が維持され ている南会津町高清水自然公園ひめさゆり群生地も,
かつて茅場などとして維持されていた広大な草原の一 部が残存したものであった(薄井・黒沢 2017)。一方で,
現在も福島県内には半自然草地がいくつか残ってい る。しかし,草地は現代において失われやすい環境の 1つであり,今後も現在と同様に維持されていくとは 限らない。裏磐梯高原の曽原付近の泥流上にもかつて は草原が広がっていたことが知られているが(Hiroki 1979),現在は断片的に残っているのみである(黒沢 2016)。前述の仙台平や宇津峰山の草原も大半が失わ れ,かつて生育していた絶滅危惧植物も姿を消した(黒 沢他 2013)。
福島県内ではいくつかの草地環境で植物相調査が実 施されているが(加藤他 2015,猪瀬他 2015,薄井・
黒沢 2017),植生調査が行われていない場合や,植物
に関する調査自体が行われていない草地環境も少なく
ない。福島県においても今後,草地環境や草地生植物 を保全していくためには現在の草地植生についての基 礎となるような情報を記録し,まとめておく必要があ ると思われる。そこで,本報では福島県内に残存して いる草地環境について過去からの環境の変遷と現在の 草地植生の記録を残すことを目的に福島県いわき市水 石山公園,福島県北塩原村裏磐梯の残存草地,福島県 喜多方市ひめさゆりの丘,福島県下郷町大内宿の茅場,
福島県南会津町前沢集落の旧茅場の5か所について報 告する(図1)。なお,苅安と総称するイネ科ススキ 属カリヤス節に分類される植物が優占する草地である 福島県昭和村コガヤ刈場,南会津町藤生わらび園,南 会津町高清水自然公園ひめさゆり群生地については薄 井・黒沢(2018)にて報告している。
1.水石山公園(いわき市)
概 要
水石山公園は福島県いわき市三和町合戸の北緯37 度6分東経140度47分付近に位置する標高734.8mの 水石山山頂一帯に広がる面積17ha ほどの草地であ る(図2A,B)。テレビ中継局,馬放牧地,展望 台として利用されているため,開けた草地環境が維
図1.本報で報告する福島県内の草地の位置.
地理院地図(https://maps.gsi.go.jp/,2018年12月18日ダウンロード)から作成.
図2.水石山公園の様子と過去からの変遷.
A:調査した水石山公園の範囲(GoogleEarthの2014年7月22日撮影の衛星写真を使用).
B:ススキ草地や整備された路傍の様子(2018年9月28日撮影).
C:ススキ草地植生の様子(2018年9月28日撮影).
D:1947年11月4日米軍撮影の航空写真(USA‑M627‑240).
E:1966年10月20日国土地理院撮影の航空写真(MTO663X‑C4‑4).
F:1975年11月17日国土地理院撮影の航空写真(CTO7532‑C11‑36).
G:1991年11月9日国土地理院撮影の航空写真(TO914X‑C6‑6).
H:2000年7月11日国土地理院撮影の航空写真(TO20005Y‑C2‑17).
A
C
E
G
2014年
1966年
1991年
H
F D B
2000年 1975年 1947年
持されている。また,水石山一帯が夏井川渓谷県立 自然公園として指定されており,観光・レジャーの 場としても利用されている。
植 生
水石山公園は水石山山頂部にあり,山頂からの緩 やかな斜面上に草地が広がっている。ススキ草地や シバ草地が成立しており,一部ではササ類が優占し ているところもある。周囲は落葉樹林であり,林床 はササ類に覆われている。
ススキ草地にはススキやトダシバが優占してい る。草地内にはショウジョウスゲがよく見られ,次 いでコバギボウシ,オトコヨモギ,ササ属,ニガナ
(広義;変種としてのニガナとハナニガナのいずれ か),ミツバツチグリが見られる。
水石山公園は後述する大内宿や前沢集落の茅場と 比べて植生の被度は変わらないものの植生高が低い
(図2C)。また,ワレモコウやカワラナデシコ,ツ リガネニンジン,センブリ,カナビキソウといった 明るい草地環境を好む植物も見られる。今後,詳細な 植物相調査などが必要であるが,草地生植物の生育 環境として良好な草地が維持されていると思われる。
管理・利用
ここは古くから馬放牧に利用されてきた場所であ り,1980年代には花崗岩山地の山頂に玄武岩が覆う 地質上に成立した草地の例として認識されていた
(早川 1989)。1955年に一度ゴルフ場として開発さ れたようであるが,現在は運営されていない(永田
他 2006)。その後はテレビ中継局,馬放牧地として
利用されており(いわき市史編さん委員会 1973),
そのために開けた草地環境が維持されている。また,
水石山一帯が夏井川渓谷県立自然公園として指定さ れており,観光・レジャーの場としても利用されて いる。
管理方法は毎年4月に行われる火入れと歩道整備 のための刈り取りである。主にいわき市によって管 理されている。また,現在では少なくなったが一部 馬の放牧が行われる場所もある。
過去からの変遷
1947年の航空写真から現在の水石山公園の場所に 草地環境が広がっていることが確認できる。明確な 林道は見られず,周辺は藪地や森林である(図2D)。
この場所は馬放牧地としての利用が長く,当時も同
様に利用していたと思われる。1966年の航空写真か ら現在の水石山公園に相当する草地環境を確認する ことができる(図2E)。このときには周囲が森林 へ遷移しており植生の違いが明確になっている。ま た,水石山公園の周囲に道路が整備され,東部に新 たな草地環境が広がっている(図2E)。1950年代 に水石山にゴルフ場が開設されたようであり(永田
他 2006),草地の形状からもゴルフ場であったこと
がうかがえる。また,ゴルフ場の開設に伴い一部人 工的にシバを植え付けていたようである(永田他 2006)。1975年の航空写真でも草地環境が維持され ており,草地内東部に残っていた森林も伐採されて いる(図2F)。また北部にも伐採により新たに創 出されたと思われる草地環境が見られる。1991年,
2000年の航空写真では現在とほとんど変わらない草 地環境が維持されていることが確認できる(図2G, H)。また,2000年の航空写真では周囲の森林が発 達している様子が見てとれる(図2H)。
2.裏磐梯の残存草地(北塩原村)
概 要
本研究で対象とした裏磐梯の残存草地は,桧原湖 の東の北塩原村桧原にある株式会社ニチレイの社有 地(以下ニチレイ社有地)の北緯37度40分3〜6 秒,東経140度3分54〜57秒付近の標高約830mの場 所などに小規模に残っているススキが優占する草地 環境を指す。裏磐梯地域では1888年の磐梯山の山体 崩壊により山腹から山麓一帯の植生が失われた。そ の後,一次遷移が進むなか山麓の流れ山や岩石なだ れ堆積物上では1970年代までの長期にわたりススキ 草地が維持され,それらは安定した自然草地である と解釈されてきた(広木 1978)。一方で,山体崩壊 後の裏磐梯地域の植生にはさまざまな人為的な影響 が加わっていたことが近年推定されるようになっ た(阿部 2012,石川・木村 2015,黒沢 2016)。茅 葺屋根や炭俵(スゴ)としての利用の記録があるこ とや(会津民族研究会・北塩原民俗誌刊行会 1977,
赤沼 2001),近い過去に攪乱が生じていた痕跡がある
ことから(石川・木村 2015),現在はこの草地も自然 草地ではなく茅場などとして利用されていた半自然草 地であると推定されている(石川・木村 2015,黒沢 2016)。それを裏付けるように1970年代に裏磐梯地域 に広がっていた草地環境はその後減少が進み2000年代 にはほとんど確認できなくなっている(遠藤他 2015)。
植 生
裏磐梯の残存草地は非植林地域(黒沢 2016)の 流れ山の頂上や斜面,岩石なだれ堆積地などに点在 している。周辺はアカマツ林や落葉樹林となってお り概して日当たりの悪い環境となっている。
草地内はススキが優占している。ススキ草地には ミツバアケビやワラビ,イヌコリヤナギ,フキがよ く見られる。残存草地はススキが優占しているもの の,ミツバアケビやヤマブドウなどの藤本,イヌコ リヤナギやヤマウルシ,カラコギカエデなどの木本 が顕著であり藪地的な環境となっている。一方で,
ノアザミやヨツバヒヨドリなど明るい環境を好む植 物も一部では見られる。また,池に隣接している場 所では湿地生のエゾシロネやヒメシロネも見られ る。土壌が発達していなかったなど,何らかの原因 で今まで草地環境が維持されていたが,陽性の低木 や高木が見られたことから今後は周辺の環境と同様 な落葉樹林へと遷移していくと思われる。
管理・利用
裏磐梯泥流上非植林地域では近い過去に人為的な 攪乱があったことが明らかにされている(石川・木
村 2015)。当時の資料から茅葺屋根や炭俵の材料と
してススキが利用されていることが確認できるため
(会津民族研究会・北塩原民俗誌刊行会 1977,赤沼 2001),茅場として利用されていたと考えられてい る(石川・木村,黒沢 2016)。
現在残っている草地はニチレイ社有地内に多い。
ニチレイ社有地内では現在利用や管理は特に行われ ておらず,道路や遊歩道がないことから人為的な影 響のほとんどない環境となっている。そのため裏磐 梯で人手のあまり入っていない場所の植生や生物 相などの調査地として利用されている(増渕・塘 2013,石川・木村 2015,遠藤他 2015)。
過去からの変遷
裏磐梯地域は1888年の磐梯山の水蒸気爆発にとも なう山体崩壊によって植生が失われ,そこから一次 遷移が始まった。山麓の流れ山や岩石なだれ堆積物 上ではススキ草地などの草地的な環境からアカマツ を主体とした森林へ遷移したと考えられてきた(Hi- roki 1979,広木 1987)。1947年の航空写真からも桧 原湖の東の中瀬沼周辺では草地的な環境が広がって いることが確認できる(遠藤他 2015の図1)。1976 年の航空写真からもこの草地環境を確認することが
でき,Hiroki(1979)はこれをアカマツ−ススキ群 落,ススキ−ミツバツチグリ群落として認めている。
1970年代以降この草地環境は減少していき,2000年 の航空写真では一帯が森林となっていることが確認 できる(遠藤他 2015の図1)。現在では湖沼や湿地 を除くと森林がほとんどを占めており,ニチレイ社 有地内などに小規模に草地環境が残存している程度 となっている。
3.大内宿の茅場(下郷町)
概 要
大内宿の茅場は福島県下郷町大内の北緯37度19 分,東経139度51分付近の標高650〜690mに位置す る面積1.4haほどのススキの茅場である(図3A)。
大内宿でもかつては広大な茅場が維持されていた が,近年の茅場の管理停止などに伴い一時期ほとん どが消失してしまったようである。現在維持されて いる大内宿の茅場は,かつて草原だった場所で一時 田畑として利用し,その後,放棄されていたところ を10年ほど前から住民が茅場として再生したもので ある。この茅場は文化庁の「ふるさと文化財の森」
に指定されている(文化庁HP:http://www.bun- ka.go.jp/seisaku/bunkazai/joseishien/furusato̲
mori/furusato̲settei̲ichiran.html. 2018年12月20 日確認)。
植 生
大内宿の茅場はかつて畑として利用されていた場 所に設けられたため,均されて平坦な立地にある。
周囲には畑や広葉樹林,スギ林が隣接している(図 3B,C)。
草地内は大内宿の茅葺屋根の材として利用される ススキが優占している。ススキ草地にはメマツヨイ グサ,ゲンノショウコがよく見られ,次いでヒメジョ オンやツユクサ,コウヤワラビなどが見られる。ア ヤメやオオヒヨドリバナ,オカトラノオなどの明る い環境に出現する種が見られる一方,メマツヨイグ サ,ヒメジョオン,セイヨウタンポポ,コヌカグサ などの外来種も目立つ。
大内宿の茅場では人里によく見られる種が多く出 現するが,よく管理されているためか木本種はほと んど見られない。草地生の植物も見られることから,
かつての田畑的な環境から草地生植物の生育する草 地的な環境へと移行しつつあると思われる。
図3.大内宿の茅場の様子と過去からの変遷.
A:調査した大内宿の茅場の範囲(GoogleEarthの2015年10月15日の衛星写真を使用).
B:ススキ草地と隣接する畑の様子(2018年8月23日撮影).
C:森林に囲まれる茅場の様子(2018年8月24日撮影).
D:1947年11月4日米軍撮影の航空写真(USA‑M627‑432).
E:1968年6月1日国土地理院撮影の航空写真(MTO689X‑C16‑9).
F:1976年10月22日国土地理院撮影の航空写真(CTO7672‑C1C‑20).
G:1987年9月24日国土地理院撮影の航空写真(TO871Z‑C2‑4).
H:GoogleEarthの2015年10月15日撮影の衛星写真.
A
C
E
G
1968年
1987年
H
F D B
2015年 1976年 1947年
管理・利用
大内宿の茅場は大内集落の住民によって管理され ており,11月に行う茅の刈り取りによって茅場が 維持されている。管理は11月の刈り取りのみであ る。刈り取った茅は重要伝統的建造物群保存地区で ある大内宿の茅葺屋根集落の屋根材として利用され る。大内宿で利用される茅は大内宿の茅場を含めた 下郷町内のみで自給している(日本茅葺き文化協
会 2015)。また,大内宿の茅場は文化庁の「ふるさ
と文化財の森」としても指定されており(文化庁 HP:http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/
joseishien/furusato̲mori/furusato̲settei̲ichiran.
html. 2018年12月20日確認),茅刈りや茅葺き文化 の維持や普及,啓発に関する事業なども積極的に行 われている(日本茅葺き文化協会 2015)。
過去からの変遷
大内宿は1640年代ごろに整備された宿場町が由来 である。その後,1748年の大内の村定書にも野山の 火入れの条文が記されており集落付近の山野で大規 模な火入れを行っていたようである(福島県教育委
員会 1971)。その後1953年にはこの条文はなくなっ
ている(相沢 1999)。火入れを行っていた場所は旧 字名で沼山原,火矢陣原,小屋の前原などと記され ている(相沢 1999)。大正時代ごろになると火入れ を行うのに許可が必要になったが,茅が必要なため 火入れが定期的に行われていたようである(福島県 教育委員会 1971)。1947年の航空写真から大内宿の 東側一帯に広く草地環境が確認できる(図3D),
現在の茅場が維持されている火矢陣原と御側原も当 時草地環境であった。1968年の航空写真からそれま で大内宿の東部に広がっていた草地環境が区画整備 され,田畑へと転用されていることが確認できる
(図3E)。一方,集落から離れた北部と南部の両側 に茅場と思われる草地環境が維持されている。1976 年の航空写真からも火矢陣原,御側原の両方が田畑 として利用されていることが確認できる(図3F)。
また南側に維持されていた草地環境も遷移が進み藪 地化していることが確認できる。1987年の航空写真 から大内宿の西側山麓の畑が整備されており,南東 側も新たに畑になった(図3G)。現在の航空写真 からも大内宿とその周辺に1987年からの大きな変化 はなく,今から10年ほどまえに田畑から茅場へ転用 した場所も航空写真からは大きな変化は確認できな い(図3H)。
4.ひめさゆりの丘(喜多方市)
概 要
ひめさゆりの丘は福島県喜多方市熱塩加納町宮川 の北緯37度43分,東経139度50分付近の標高約400m に位置する面積約3ha の草原である。日本固有種 であるヒメサユリが数万株以上自生しているため,
日本有数のヒメサユリ群生地として観光地化されて いる。毎年ヒメサユリの開花時期には3万人以上の 観光客が訪れている(ひめさゆり祭り実行委員会保 護・編集部会 2014)。
植 生
ひめさゆりの丘は小高い丘の南側斜面にあり,一 面に草地状の環境が成立している。周辺はアカマツ 林やコナラ林などの二次林が広がっており,一部草 地内にもアカマツの疎林が見られる(猪瀬他 2015 の図1)。
ひめさゆりの丘は大内宿の茅場や後述の前沢集落 の旧茅場のように必ずしも全体でススキが優占して おらず,ススキと低木類とが混生している。草地内 にはヤマツツジが多く見られ,ミヤマアブラススキ,
ミズナラ,ヒメサユリ,リョウブ,マルバアオダモ が次いでよく見られる。ヤマツツジは観賞のため意 図的に刈り残しており(猪瀬他 2015),そのため相 対的によく出現しているものと思われる。
ひめさゆりの丘は他の草地と比べて全体でススキ が優占する草地ではなく矮小な低木とススキが混生 している環境であることが特徴的である。被度も大 内宿の茅場や前沢集落の旧茅場と比べて低くヒメサ ユリが多数生育していることが特色である。この特 徴はひめさゆりの丘の由来が茅場などの古くからの 草地ではなく,後述するように鉱毒が原因で最近生 じた裸地環境が由来であることに起因しているもの と思われる。
管理・利用
ひめさゆりの丘は喜多方市の観光地として,喜多 方市熱塩加納総合支所によって管理・運営されてい る。ヒメサユリの開花時期には「ひめさゆり祭り」
が開催され,毎年3万人以上の観光客が訪れる(ひ めさゆり祭り実行委員会保護・編集部会 2014)。
管理方法は春季の刈り取りである。ヒメサユリの 生育環境を保全することを目的に低木類を中心に刈
り取りを行っている。花を観賞することを目的にヤ マツツジなどの低木は選択的に刈り残されている。
刈り取られた植物体は特に利用されてはいない。
例年慣例的に春季に刈り取りを行っていたが,地 元住民からヒメサユリが減少しているように感じる と問題提議が寄せられたため,2018年8月に喜多方 市熱塩加納総合支所で筆者らを含めてヒメサユリ保 全に関する意見交換会が行われた。そこでヒメサユ リの個体数に明確な減少傾向は見られないものの,
春季の刈り取りはヒメサユリに対する損傷が懸念さ れるため刈り取り時期を秋季に移すことが望ましい とされた。
過去からの変遷
ひめさゆりの丘の南方では1905年から1918年まで 鉱石を採掘するために加納鉱山が操業していた(熱 塩加納村史編さん委員会 1976)。熱塩加納村(1999)
によるとそれに伴う鉱毒が原因でのちのひめさゆり の丘とその周辺で一部が裸地化したとのことであ る。1947年の航空写真からもひめさゆりの丘とその 周辺で裸地環境を確認することができる(猪瀬他
2015の図3)。1960年代にはひめさゆりの丘やその
周辺でヒメサユリが生育していたが,野草ブームに 伴う盗掘の増加によりヒメサユリの個体数が大きく 減少した(小林 2014)。そのため1969年からヒメサ ユリの生育環境を保護することを目的として熱塩加 納村農業組合による刈り払いなどの保全活動が行わ れるようになった(小林 2014)。1976年の航空写真 からひめさゆりの丘にあたる場所に草地環境が確認 できる(猪瀬他 2015の図3)。その後も刈り払いな どの管理が継続され2013年の航空写真からも現在と 同様にひめさゆりの丘の草地を確認することができ る(猪瀬他 2015の図3)。
5.前沢集落の旧茅場(南会津町)
概 要
前沢集落の旧茅場は福島県南会津町前沢の北緯37 度6分,東経139度31分付近の標高約675mに位置 する面積0.02ha ほどの小規模なススキの草地であ る。南会津町舘岩地区では前沢集落や水引集落を代 表とする茅葺屋根建造物群が現在でも維持されてい る。かつての舘岩地域も茅葺文化が盛んであり,村 普請での火入れや茅刈りの記録,茅刈りの規約に関 する資料がある(舘岩村史編さん委員会 1992)。そ
のため,かつては相応の茅場が集落内で維持されて いたはずである。しかし,現在茅場はほとんど確認 することができず,いずれも近年の管理放棄などに より消失してしまったようである。前沢集落は南会 津町舘岩地区に現存する茅葺屋根建造物群の1つで あり,重要伝統的建造物群保存地区に指定されてい る。前沢集落の旧茅場は前沢集落脇に今でも小規模 ながら残っている草地を指す(図4A,B)。しかし,
現在前沢集落で茅場は利用しておらず,屋根材用の 茅は外部からの購入によって賄っている。
植 生
前沢集落の茅場は前沢集落の南側に位置し,緩や かな斜面に成立している。茅場のすぐ脇には畑や墓 地がある(図4C)。草原にはススキが優占してい る。草原内には特定外来生物のオオハンゴンソウが 多く見られ,次いでミチノクホンモンジスゲ,スイ バ,ゲンノショウコ,ヨモギなどが見られる。それ 以外にもヌスビトハギやカキドオシ,メマツヨイグ サ,カラコギカエデなどが見られ,草地特有の植物 はほとんど見られない。
前沢集落の茅場は特にオオハンゴンソウが顕著で あり,その他にもメマツヨイグサ,ヒメジョオンと いった外来種も見られる。喜多方市ひめさゆりの丘 や南会津町高清水自然公園ひめさゆり群生地など,
よく管理されている草原では外来種の侵入が少ない が(猪瀬他 2015,薄井・黒沢 2018),前沢集落の 旧茅場では侵入が顕著であった。福島県内の草地に おいて管理の停止による植生の変化のひとつとして 外来種の侵入が挙げられるかもしれない。
管理・利用
かつては茅場として利用していたようであるが,
現在はほとんど管理されておらず放棄状態にある。
今では一部の住民が畑の肥料として利用するために ススキを少量刈り取る程度である。草地の西側に広 がる畑はそば畑として利用されている。
過去からの変遷
1947年の航空写真から前沢集落の周辺には草地環 境が維持されていることが確認でき,区画が整備さ れていないことから茅場として利用されていたもの と思われる(図4D)。また,前沢集落の東部にあ る新名板倉山の斜面にも草地環境が確認できる(図 4D)。1953年の航空写真からも前沢集落の付近に
図4.前沢集落の旧茅場の様子と過去からの変遷.
A:前沢集落の旧茅場の範囲(GoogleEarthの2015年10月15日撮影の衛星写真を使用).
B:前沢集落の茅葺屋根建造物とその奥にある旧茅場(2018年8月24日撮影).
C:旧茅場と隣接する畑の様子(2018年8月24日撮影).
D:1947年11月4日米軍撮影の航空写真(USA‑M627‑208).
E:1953年10月27日米軍撮影の航空写真(USA‑M1770‑390).
F:1965年8月28日国土地理院撮影の航空写真(CB654Y‑C12‑24).
G:1976年10月18日国土地理院撮影の航空写真(CTO7628‑C8‑43).
H:GoogleEarthの2015年10月15日撮影の衛星写真.
A
C
E
G
1953年
1976年
H
F D B
2015年 1965年 1947年
草地環境が維持されていることが確認できる(図4 E)。1965年の航空写真ではそれまで区画が整備さ れていなかった草地環境に整備された区画が確認で きることから(図4E),茅場から田畑へと転用さ れたものと思われる。1976年の航空写真からも1965 年と同様に区画整備された田畑が確認できる。また その周囲で木本が発達してきている。現在の航空写 真でも整備された田畑が確認でき,これはそば畑と して利用されている。そして現在残っている草地環 境は集落すぐ脇にある小規模なススキ群落のみであ る。
謝 辞
大内宿の茅場を調査するにあたり,そば処こめやの 吉村徳男氏には現地を案内していただくとともに,大 内宿や茅場の歴史について教えていただきました。ひ めさゆりの丘を調査するにあたり喜多方市熱塩加納総 合支所産業課の安達哲弥氏,甲斐誠氏に,裏磐梯ニチ レイ社有地内の草地を調査するにあたり株式会社ニチ レイの奥山久美子氏に,前沢集落の茅場を調査するに あたり前沢景観保存会の皆さまに便宜を図っていただ きました。福島大学共生システム理工学研究科の曲渕 詩織氏,共生システム理工学類の佐々木菜摘氏には調 査に協力していただきました。以上の皆さまに感謝申 し上げます。本研究の一部は平成29および30年度「株 式会社ニチレイ研究助成」の助成を受け,福島大学う つくしまふくしま未来支援センター(FURE)事業お よび磐梯朝日自然環境保全研究所事業の一部として実 施された。
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