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福島県内陸部における - 工業地域とその形成要因

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福島県内陸部における

工業地域とその形成要因

渡 辺 四 郎

〔1〕 はしがき 福島県内にある地域の工業化過程については,前にその概要を述べたメ1}

今回は港湾をもたない内陸地域だけを考察の対象として,立論の基礎を整理する,

 福島県内陸部とは阿武隈川の中・上流地域および会津,猪苗代盆地とその周辺山地をさすことにす る.巨視的にみれば,周囲を山地や峠で囲まれ,一つのまとまりがある(2).その内部は安田初雄教授 の地域区分によれぽ,中通り低地帯・中央分水山地・会津地方・阿武隈原高となる.阿武隈高原のうち 久割ll,夏井川上流地域のほかは,太平洋斜面地域を対象地域からはづした.主な居住地としては福 島,本宮・郡山盆地,岩瀬白河地区,猪苗代,会津盆地・阿武隈山地西縁の丘陵地区・久慈川河谷があ る.かように多数の地区があげられるのは地形の相違があり,それに応じて人口の分布も異なるからで

ある.

〔2〕 工業地域 (11地域設定の方法.工業地域とは,公理的には,その地域の工業に着目して設定さ れる地域区分の結果である.従って,地域区分の指標は,それが工業現象から選ばれる限り,指標とし ての適格性を失うことはない.

 景観論的立場において,工場の集積状態に着目し,その等質さによって区分するのも一方法であり,

また機能的に一つの工業生産が進行するにあたって関係する地域をまとめて,一地域とみるのも可能で ある.さらに発生史的に工業化過程の類型を求め,相似の類型を持つ地域を一地域とみなすのも一方法 である.かならずしも,一定の方法によって,工業地域が設定されねばならないとは考えない・

 美田駿雄氏(3)は工業の地理学的Approachの方法として・諸工業部門の一般的ならびに個別的立 地問題を解明する方法と,自然的社会的諸条件を具有する地域がいかにして工業地域として現実化され

るかを究明する方法との二者があると説明された.表現をかえれば,前者は分布論的方法によって解析 を進めるし,後者は地域論的な方法によって研究するといえる.最近における諸先学の研究例によって も,一業種工業の分布・立地の究明を主とした研究ωと, ある限定された地域内の綜合的な工業現象 を種々の角度から解析する研究(5)とに大別されそうである.

 本論は地域論的立場において,部分地域ごとに工業化過程の多様性をたしかめ,その多様性を対比す る事によって各地域のいかなる条件が工業化を現実化したかを考えたい.この目的のために,工業の形 成過程および現況に特徴のある幾つかの部分地域を見出す.この部分地域は工業の現況が等質な地域と

して設定する.しかる後に,おのおのの形成過程を再検討する.

 工業の現況を示す指標として次の6種をえらんだ. 1.工業地域的な景観を間接的に示すものとし て工場数, 2.生産規模を示すものとして出荷額, 3.他産業との関連において・工業の地位を示 すものとして,製造業事業所,同従業員数の全事業所および従業員総数に対する比, 先工業生産の 質的な面を示すものとして,製造業従事者1人当りの製品出荷額(これを労働生産性とみなす)・ 5、

製造業業種の構成.

 これら諸指標の資料は市町村単位に集計してある既刊資料によらざるを得ないので・市町村の領域が 考察の単位地域となった.また工業的諸要素は各市町村とも・市街地とその周辺に大部分が位置すると みなして,ほぼ間違いないと板倉勝高氏(6⊃が述べており,本地域においても現地を観察する限り・ほ ぼそれに近いので,分布を図示する場合には,諸数値を各市町村の市街地付近に記入した.

(2)

 工場数は1962年版全国工場通覧(通産省編)によって,市町村ごとに集録した.工場規模を数の上に 反映させるために,菊地一郎氏ωの方法にならい,従業員数に比例する評点を各工場に与えた.10〜

19人の工場には1点,50〜99人には2点,100〜199人には5点,200〜299人には8点,300〜499人には 13点,500〜999人には25点,1,000人以上に50点とした、この評点を各階層の工場数に乗じて後に集計

した.これは各市町村における工場の集積状態を示すから工場集積度とよぶ.

 生産出荷額は工業統計調査結果報告書(福島県総務部,1962年版)により,これを1960年国勢調査に よる各市町村人口で除し,人口1人当りの生産出荷額を求めた.各市町村の面積的広狭から生ずる生産 額の差異を,これによって消去したが,同規模の工場が都市部と農村部に位置する場合,前者の地域に

は人口が多いので,1人当りの出荷額は小さくなり,その工場の生産規模も小さいと誤解される欠点が ある.従って,これは工場集積ないし規模を示す充分な指標とはなり得ない.

 3.の資料は1960年度事業所統計によった.事業所数による比率は小規模事業所が多ければ極端に高 率となり,反対に大工場だけの場合は低率となり,工業の規模を正しく反映する度合が低い.従業員数 による比率は,これより実態をよく反映する.従って事業所比率は限定された意味にだけ用いる.

 4.の従業員1人当りの生産出荷額は2一.に用いた生産総出荷額を3の.従業員数で除したものであ る.近代的大工場だけがある地域では極端に高い槍を示し,小規模の在来工業一例えば織物業一の多い 地域では低い値を示す.従って,これは工業生産の質的な面を示すものである.

 5.の業種構成も質的(内容的)な一面を示す指標である.その表現が複雑なので別途に処理する.

 これら5指標について,おのおのの最高値と最低地の間をほぼ均等に6区分し,AからFまでの6階 層とした.(第1表).

 第1表 工業地域類型設定のための指標に関する階層区分

階層

工場集積度評    点 人口1人当りの製品出荷額

従業員率 事業所率

従業員1人当りの製品出荷

占一︑︑

(万円) ・(%) (%)

額 (万円)

A

100以上 30以上 50以上 30以上 300以上 1  地域

B

50〜99 20〜29 40〜49 20〜29 200ん299 H  地域

C 30〜49 10〜19 30〜39 10〜19 150〜199

核心

皿  地域

D

10〜29

5〜9

20〜29

5〜10

100〜149 IV・V地域

E

F

1〜9

1 〜4 10〜19 1 〜4 50〜99

準工業地域

1未満 1未満

10未満

1未満

50未満

非工業地域

各指標の資料の出典および算出方法は本文P.1〜2に記載した。

備考の地域類型は集積度評点の階層区分に特に相応する。

 工場の集積状態を示す主な指標は工場集積度と従業員率であったが,後者は農村部において一般に高 率になる傾向があり,一方,工業以外の事業所が多い都市部では低率になる傾向が強い.従って工業そ のものの規模を示すには,やや不適当である.工業規模を示す主指標には,この結果として,工場集積 度だけを用いることにした.

 (2)地域類型 α)非工業地域.工場集積度がF階層にあり,かつ従業員率,1人当り出荷額のいず れか一つ以上が,やはりF階層にある場合は工業的要素が極めて弱い地域であり,他産業が優越すると みなされるから.ごれを非工業地域とする.

 (・)準工業地域.工場集積度がE階層にあり,前と同じ2指標のいずれか一つ以上がE又:F階層にあ る地域は,工業の集積がやや進んでいるとみなし,これを準工業地域とする.

 困 工業核心地.工場集積度がD階層以上の地域は工場の集中が一応すすみ,工業生産の核心となり 得ると考え,表記の名をつける.核心地を集積度評点に応じて,1−V地域にわける.IVとVはD階層 を二分したものである.,1地域においても,評点200以上の郡山,福島と200以下の会津若松,須賀川と では差が大きいので,後者を不完全1地域(iI)として区分する.

(3)

 従業者1人当りの生産額がA・B階層にある地域を具体的にみると,昭和電工,日本ソーダ・白河パ ノレプ,日本化学,日東紡,北芝,日本電工など大企業の工場がある町村である.このうち・この指標だ けが高率で,他の諸指標はすべてC階層以下なのは鉄鋼,非鉄金属,化学,パルプの大工場所在町村に 限られるので,特にこれらを化学・金属精錬型(P1)として区分する.

 人口1人当り出荷額と従業員率の2指標がA,B階層にあるのは東北沖電気東北開発,北芝,日東 紡の大工場や中小工場が並存している吾妻,松川,富久山町である.ほかに伊達町も大小様々の工場を 持ち,この類型になる.この型は人口規模がやや小さい町村に大工場と中小工場が数多く混在する地域 の特徴となる.業種的には機械工場が多い.しかしそれだけではない.これをP2型とする.

 従業員率だけがA層にある場合がある.安積,本郷町がこの例である.事業所比率はさほど高くな

第2表 類型別の市町村名一覧(非工業地域を除く)

地域類型

1   地域

i I    〃 i P41  〃 小    計

 ∬HH

 1 2 4

豆PPP4

地域

〃計

市 町 村

福    島

須 賀 川

会津若松

白    河

(西郷を含む)

松    川 川    俣

桑伊吾

夢〃計

皿皿ココや

皿PP4

w    地域

P1】V    〃 小    計

折達妻

梁磐

喜 多 方 富 久 山

保 原

浅河

川梯

鏡三安飯

域計

VPPP4

 ユ   る ヤ

 VVV

準工業地域

川東

沼田郷達

 和

長日本安

石春積野

二 本 松

会津坂下

飯石古塩船泉

館倉祭代岐郷

   苗枝

月棚矢猪桧表 山 東栄津島

    会

霊東大天北三

見吹川根田見     高     津 国矢玉滝会只

塙会

信大西田中

坂川殿川引崎

越津村■島

市町村数

(小計ごと)

4

5

6

4

11

岩天下館伊大 代栄郷岩南信

36

。 類型記号の内容は本文P.2−3記載する。

  1−Vは工場集積度A−Dに相当する。

 P、:従業員1人当り製品出荷額がA・B階層(化学・非鉄金属・鉄鋼型)

 P2:人口1人当り製品出荷額・従業員率がA・B階層(町村規模に対して工業の集積が大きい型)

 P3:従業員率だけがA・B階層(全産業人口に対して工業従業者の多い型,P2より生産額が小さい)

 P4:事業所率だけがA・B階層(小事業所の数へ{多い型,在来工業型)

(4)

い.従って従業員を多数持つ工場が存在する場合である.P3型とする.

 事業所比率だけがA,B階層にある例は会津若松,川俣,安達,檜枝岐である.いずれも漆器,織 物,和紙,木工品という伝統的産業があり,個人企業が多い地域である.P・型とする.

 集積度以外の各指標が,C,D階層にある地域は大工場があってもその影響をうち消す程に中小工場 が多いか,または工業が発達していても,その特徴がみえない程に他産業も発達している町村である.

この意味で,これらは工業の構成や全産業の構成もバランスがとれている場合の型とみたい.これには 階層のほかに特別の記号をつけない.

 各種類型に市町村を分類し,準工業地域以上を一覧表に示した.(第2表).

 〔3)地域類型の配置.工業核心地を記号で示し,準工業地域と非工業地域との境界は従業員率10%の 等充線によって,その大要を示した.従業員率10%未満がF階層になるためである.

 工業核心地は中通り低地帯と会津盆地に主して分布し,阿武隈高原と久慈川河谷には数少ない.準工 業地域はその周辺にあるが,磐越東西線,水郡線(久慈川河谷)に沿って延長する形がめだつ.南会津 地方にも部分的にあらわれる.なお境界線の位置そのものには余り意味がない.地域類型の位置さえ示

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第1図 工 1:福  島

2:二本松

3:本  宮 4:三  春 5:郡  山 6:須賀川 7:白  河

地89101112131415

域浅小大会磐喜田川

   津多

類   若  川野越松梯方島俣

その1

A:工業核心地の階級(第2表参照)

B:人口1人当り製品出荷額5万円以上の地域。工業核心地域とよぶ.

C:製造業従事者数の全事業所従事者数に対する比が10%以上であり,

 かつB地域にならない地域.準工業地域の大半をしめる.

D:準工業地域であるが,C項の従業者率が10%未満の地域.

E:工業核心地のうち,特殊な型.第2表参照.

(5)

されればよいと考える.

 人口1人当りの生産出荷額分布を等値線図式に示すと,1人当り1万円の線がほぼ非工業地域との境 界にあたり,5万円の線が各地で閉鎖曲線となる.閉鎖線の一つは福島市を囲み,北は伊達,桑折,梁 川,保原,南は松川,二本松,東は川俣を含む.その二は郡山市を中心として北は本宮,南は須賀川,

鏡石,東は三春をつつむ.白河市をつつむ一曲線もあり,会津地区では会津若松市と河東・磐梯をつつ む線と喜多方市をつつむ線とにわかれるが大局的には一つである.外に久慈川河谷の浅川町,阿武隈高 原の大越町も5万円線でかこまれる.福島,郡山,白河,会津地区では10万円線がその内側にある.

・これらの配置をみると5万円線を準工業地域と工業核心地域の境界にしてよいようである.工業核心 地域の内部をみると,1地域が福島,郡山,須賀川,会津若松にあって,各部分地区の中心にあり,豆,

1,W,V地域がその周辺にある.白河地区の最上位は1地域であり,久慈川河谷,阿武隈高原には W,V地域があるにすぎない。

   し      ●亀  ぐ

  もρ

L L

      ㌔灘

、v レ簸欝藍)

∂、,.ノII7Yへ飾㌧輿L謙

い慰み麟鱒型

    し 難灘Lジ

      し ご

   0  20 .網   し

       験伽ゴ

業達島達山川河

工    賀  伊福安那須白2  123 45 6

第 ︷︷

  福島 郡山

地 域 類 型  その2 (従事者数の比率による)

  7:田  村   8:東白川・石 川

舖艦鋸群言甥

  11:会津南部

食繊木化窯

料 品 工 業

維材学業 〃〃〃〃

鉄鋼・非鉄金属〃

金属製品機械〃

バルブ・紙 〃 そ の 他  〃

40%以上   F   T   L   C   S   I   M   P   O

20〜39%

 F  t 4  C  S i  m  P

 O

(6)

 ここに得られた工業核心地のまとまりに,周辺の準工業地域を加え,一つの工業地域とする.核心地 のない地域もそのまま一地域とする.このようにして,福島地区,郡山・須賀川地区,田村地区,東白 川・石川地区,会津北部および南部地区の部分地区を設定できた.

 二本松は福島地区にはいり,本宮は郡山地区にはいる.矢吹,三春も郡山・須賀川地区にはいる方が 分布図からみる限りは妥当である.しかし,統計資料によっては市郡単位に集計され,これを集計しな おすのは困難な場合もあるので,その際は,これらの市町村は別個に扱った。また須賀川市は1地域で あるので,これを郡山地区から分離して扱うこともある.ここに得た地域区分は一つの作業過程であり・

結論的なものではない.

 ㈲ 業種構成による区分.市町村ごとに生産業種別の従業員数比率を求めた・資料の出典は指標2・

と同じである.この資料には1市町村内2工場以下の業種については記載がないので・実態を誤認する おそれが非常に多い.各種の資料から判断して補正したが・なお不正確さをまぬかれないので細部の議 論はできない.なお従業員数を用いたのは補正するに便利であったことと,後に生産額の検討をするの で二つの面から各地区を検討でぎるからである.

 一つの業種に従事する人数が全体の40%以上,20〜39%にある場合に,それを記号化したローマ字の 大小文字であらわし図示した.(第2図).従業員数の相対値なので,生産額大小とは全く関係がない.

 食料品,木材業関係者の数が多くの市町村で,1・2位をしめる.特に会津,白河,東白川,石川地 区では,この傾向が強い.この外の地区では,これら業種以外のものもあらわれ,内容が複雑となる.

これら2業種の優勢さは共通するので,この2業種のほかに高率をしめる業種をもとめ,これをその市 町村の特徴的業種とみなした。

 中通り低地帯では,伊達郡東部(福島市の東部一帯)に繊維工業が卓越する.福島市を含む国鉄沿線

(桑折・伊達・福島・松川)には合金鉄・鋳物および各種機械工場が多い、ただし,国鉄沿線でも,そ の南の安達郡北部(二本松,安達)になると繊維工業がまた優勢となる.安達郡南部の本宮町は機械・

繊維工業の併存する町である.小区分すれば繊維工業地域を分離できるが,実際は殆んどの市町村で繊維 と機械工業は食料品工業とともに主要な業種となり,共通する点があるので,この地区を福島地区とし て一括する.ただし面積的に広くなりすぎるので,繊維工業の卓越さの程度を根拠として伊達地区,福 島市地区(福島市と信夫郡),安達地区と三つの二次区分(亜地区)を設定する.各地区の境界は市郡 界をもってする.

 郡山市とその周辺では繊維工業が少なく,かわって化学,鉄鋼,機械工業がめだつ.第2図によれば 富久山町に繊維工業が卓越するが,これは日東紡富久山工場があるためである・同工場の実際の生産内 容は化学工場であるので,この記号は上述の例外ではない・

 須賀川市とその周辺では機械・繊維がまた優勢となり,福島地区とにている、このため,この地区は 郡山市地区とは別個の地区とした方が妥当である。ただし須賀川市は郡山市から,僅か1(}粁余りの近距 離にあり,地域的広さからみて,全く分離するにも難点があるので,大局的には両者をあわせて,郡山 地区とし,二次区分として郡山市・須賀川地区を扱うことにする.

 白河市周辺はバルブ,木材業が卓越業種であり,特異な地域と認める・

 阿武隈高原および久慈川河谷にある田村・東白川・石川の諸町村では,木材業が卓越し,特殊な町に 機械(浅川),合金鉄(小野),化学(三春)の業種が優勢である.木材業の卓越さと散在的特殊業種に 着目して1地域とする.しかし,面積の広さ,地形,交通条件の相違を考慮すると,田村および東白 川・石川地区として2分した方がよい.

 会津若松市周辺では,会津若松市に食料とその他工業(実際は漆器)が優勢であり,その西南部郊外  (本郷・北会津)には窯業が卓越する.これに対し,北部郊外から猪苗代湖方面および喜多方市にかけ

ては鉄鋼・非鉄金属・化学などの重工業業種が卓越ないし優勢である.この差に着目して,会津若松地区  (会津若松市・北会津・大沼郡)と猪苗代・喜多方地区(喜多方市・耶麻・河沼郡)を設定する.ただ

し大局的にみる場合は両者をあわせて会津北部地区とする.従って,この二地区は二次区分である.

(7)

 南会津地方で準工業地域となるほどの町村には,かならず木材業が卓越する・この点で,これは独特 の地域であり,会津南部地区として扱う.

 前項の区分とは,各地区に二次区分を設けた点がもっとも異なり,細かい点では本宮を福島地区へい れた点が異なる.三春・矢吹の両町は業種構成からみてどの地区に入れるかの決定的な根拠がない.一 般に用いられる行政区画に従って,田村,白河地区にいれたままにした方が,種々の資料と対比する上

に便利なので,これらは特別に必要のない限りは郡山地区に含めない.

 ㈲ 各地区の生産額対比.境界を行政区画に求めた区分にしたがい,各地区ごとに生産額による業種 の比率を第3表に示した.

 食料品工業の生産額はどの地区でも10〜20%以上をしめ,全地域に共通するので,これ以外の業種に よって各地区の特徴を述べる.

 福島地区は一括すれば,繊維と機械工業がほぼ同率になっているが,二次地区にわけると差がでる.

伊達と安達では繊維工業の率が高く,福島市では機械が高率である.3者を通じて木材・化学・鉄鋼・

非鉄金属工業の率が低い.

 郡山地区では明らかに化学工業が卓越する.しかし須賀川地区はまさに,機械と繊維工業の率が高い 地域である.しかし繊維工業の比率は伊達や安達より低く,逆に化学工業の率が高いのは郡山地区らし

第3 表 製造業業種別の製品出荷額百分比(1962年)工業統計調査結果報告書(福島県)による.

   業  種

n  区

食料品

H業

繊維

V

木 村

ニ 具〃

出 版 V

化学

V

紙・パ

泣vV

窯 業〃

鉄鋼・

ョ〃

鉄金 金属製

i機械〃 その他〃

福       島 P.伊     達 Q.福  島  市 R.安     達

18.7 P2.8 Q1.3 P8.4

26.2 T6.5 P0.3 S8.1

4.5 S.8 Q.5 P1.6

2.3 O.2 S.5 O.8

5.1

w7.5﹃

0.7 O.9 P.0 O.3

8.5 O.8 P2.2 P.6

6.5 P0.0 U.4

25.2 P1.5 R2.5 P1.1

2.0 R.0 O.2 U.1

100 P00 P00 P00 郡       山

P.郡  山  市 Q.須  賀  川

11.6 P0.7 P3.1

12.5 P1.2 Q2.9

12.8 P3.7 X.6

1.3 O.4 R.5

39.8 S2.5 P3.8

1.4 P.4 P.4

5.8 V.1 O.7

4.7 U.2 O.7

10.2 V.3 R5.0

0.1 O.2 O.4

100 P00 P00 白       河 20.2 3.9 12.2 0.6

49.6 8.14.9 0.2 100 田       村 13.6 1.2 11.9 0.8 52.5 4.3 14.6 0.2 0.5 100 東 白 川・石川 22.3 53.3 0.5 1.6 22.2 0.2 100

会  津  北  部

P.会津若 松

Q.猪苗代・喜多方

19.8 Q6.6 P4.6

2.6 P.2 R.5

11.5 P7.2 V.0

0.7 P.4 O.3

4.7 Q.7 T.9

1.9 S.3 O.3

1.9 S.7 O.8

50.8 Q8.2 U5.2

1.2 P.5 P.0

4.9 P0.9 O.9

100 P00 P00 会  津  南 部 18.8 1.6 77.4 0.6 一1

一 一 一 100 合      計 16.8 14.7 11.4 1.6 14.8 4.5 乳51・ε3 14.0 1.7 100

い内容である.

 白河地区ではパルプ工業の比率が圧倒的に高く,第2位の食料品工業の率を20%以上,上まわってい る・機械工場はふえているが,産額の上には,まだ大きく出ていない.

 会津北部地区は,全体としては非鉄金属・鉄鋼業の比率が高い.しかし会津若松地区では,食料・木 材・その他(漆器その他),窯業の高率さがめだち,猪苗代・喜多方地区では,非鉄金属・鉄鋼業が65.

2%と過半額をしめて,両二次地区の差異が明らかである.

 会津南部では木材業の比率が77.4%と極端に高く,外には食料品工業がまとまった産額を持つにすぎ

ない.

(8)

第4表 製造業業種別の製品出荷額百分比(1920年)福島県統計書による.

   業  種

n  区

食料品

H業

繊 維 V

木 材

ニ 具〃

出 版 V

化学

V 福       島

P.伊     達 Q.福  島  市 R.安     達

10.0 T.9 P0.5 Q0.7

88.0 X2.6 W4.6 U9.1

2.4 P.5 Q.4 S.3

︷一一一 1.9

O.6 O.9

郡       山 P.郡  山  市 Q.須  賀  川

30.3 P6.5 U7.1

48.5 T5.2 Q4.4

10.9 P0.9 T.6

一﹄一 8.5

P5.4

白       河 57.2 24.9 12.0 田       村 28.1 55.4 15.5 東 白 川・石 川 53.5 23.1 7.0 会  津  北 部

P.会津 若 松 Q.猪苗代・喜多方

45.0 R9.1 T8.5

19.1 P7.6 Q2.6

7.0 U.5 V.9

一一一 0.6

O.8 O.2

会  津  南  部 44.5 28.5 26.3

i一

合      計 12危・ 15乳2

iα7

2.3

紙・パ ルプ  〃 1.0 0.2

5.6

0.1

5.6

0.5

0.5 0.1 1.4

0.04 1.0

0.6 0.7 0.8 0.3

1.1 1.1 1.8

0.2

0.4

0.2

9.2 12.3 0.5

1α・2  2.5

鉄鋼非鉄金属  〃

金属製 品掻破  〃

0。3 0.2 0.5 0.1

0.43 0.4 0.5

0.4

0.5

0.7

5.3 7.4 0.7

0.6

1.4

その他

0.04

1.1

0.1

13.3 15.4 8.4

0.1

2.9

100 100 100 100 oo

盾盾

oミ

11ミ

00ミ 00ミ 00ミ oo

盾盾

11ミ

00ミ 00ミ

〔3〕 各地区の工業化過程.U)概要.ミ 在,立地している主要工場の系譜を整理ミ ることによって,工業化の過程をみた.ミ

お第一次世界大戦終結時の翌年にあたるミ 920年の生産額を示し,それを現在のものミ 比較することによって,変遷過程を定量ミ にみる用意をした.ミ

1920年の生産額内訳を福島県統計書の資ミ によって作製し,第4表を示した,総生ミ 額は約6,220万円である.繊維工業の生ミ 額がおよそ57.2%を示した、ほかに食料ミ 工業の生産額が26.O%あるから,両者をミ わせれば,総生産額のほとんど総てをしミ ることになっていた.繊維工業についてミ ると,その総生産額のうち,約70%を福ミ 地区があげていた.従って,当時の主要ミ 業地域は福島地区にあったといえる.ミ 地区別の生産額割合を第5表に示した.ミ

達の22.7%が第1位であり,伊達を含むミ 島地区の生産額比率は47.5%におよんでミ た.郡山地区,会津北部地区の生産額割ミ は,それぞれ16.2,21.1%であり,福島ミ

5表 出荷額増加率および地区別出荷額百分比ミ

  区ミ

ミ ミ

市達ミ

島ミ 福安ミ 乳翫ミ

ミ ミ

.郡  山  市ミ

.須  賀  川ミ

ミ ミ

ミ ミ

白川・石川ミ

 津  北 部ミ

.会 津 若松ミ

.猪苗代・喜多方ミ   津  南 部ミ

ミ ミ

 加 率ミ

,466ミ

804ミ

,570ミ

981ミ

,660ミ

,420ミ

,260ミ

,520ミ

,160ミ

,370ミ

,060ミ

,185ミ

,060ミ

,060ミ

,890ミ

荷額の地区別百分比ミ

920年ミ

7。5ミ 2.7ミ 7.0ミ

.8ミ

6.2ミ 1.6ミ

.6ミ

962年ミ

7.0ミ

.7ミ 3.2ミ

.1ミ

6.6ミ 1.1ミ

.5ミ

.04ミ .0ミ

.0ミ

.6ミ

1.1ミ 4.6ミ

.5ミ

.8ミ

00ミ

.0ミ

.6ミ

3.2ミ

.2ミ 4.0ミ

.1ミ

00ミ  増加率=1962年の出荷額 第3−4表より作製.ミ     1920年の出荷額ミ

(9)

地区に遠く及ばない.

 このように単純な業種構成,生産の地域的偏在を当時の特徴といえる.これに対し,1962年現在にお ける業種別生産額比率は14〜16%の業種が多くなり,平均しかつ多角化した状態を示す.(第3表参 照).また地区別の生産額比率も1920年当時よりは平均化している、工業生産が業種的には多様化しつつ 地域的には平均化して行く過程をこの地域における工業化の基本とみる事ができる.

 (2)福島地区の工業化.6)192e年との対比.第5表に示す増加率は1,466倍であり,地域全体の増 加率1,890より低い.生産額の地区別比率も47%から3て%へと低下した.特に伊達・安達の増加率は低 い.しかし,これは基準年の生産額が他地区とくらべて数段,多かった事に由来すると考える.ただ福 島市地区だけは増加率も高く,地区別比率も高まっている.福島市という都市部に生産が集中したこと を示す.第3,第4表を対照すると,3小地区を通じて,繊維工業の比率が低下し,他業種の比率が向 上している.この点に焦点をおいて具体的変化を検討する.

 福島・郡山地区における工業の形成過程については,日本工業立地センターの刊行書に,詳細に述べ たことがある.この報告は謄写印刷で頒布範囲もごく狭いので,その全文をここに引用する(8).従っ て本文にはその変遷に認められる特徴を述べる.

 回 繊維工業.大きな変動があったのは第一次大戦後から昭和初期である・次の事例をあげることが

できる.

 a.主要養蚕地区であった伊達郡梁川町付近には1925年当時には大きな二つの製糸工場があった.そ れが1935年までにすべて廃業している.この外にも廃業事例は幾つかある.

 b.二本松・本宮地区にあった福島県是製糸が廃業し,かわって会陽製糸(株)(今の会達製糸の前 身)が誕生した.飯坂町・福島市所在の製糸工場においても,経営者の交替例がある.特に現吾妻町に は岩代富国館製糸(株)という地元の最大手工場があったが,1928年にその施設,経営権一切を鐘紡(株)

にゆずった.

 c.片倉製糸(株)も福島市にあった地元企業の経営に参加し,これを日東紡(株)に改編した.(

1923年).

 d.郡是製糸(株)は1933年に桑折・本宮に製糸工場をたてた・

 このように地元企業のせいりと,中央大手企業の進出という変化であった.この変動期は郡是製糸の 進出で終りとなる.なお,この変動期にも現霊山町の阿部製糸のように,経営的に安定していた企業が あった事には注意したい.

 次の変動期は第二次大戦中と戦後である.1940年から1950年ないし1955年までを考える・

 大戦中の変動は,製糸および織物工場が国家の軍事目的のために,強制的に廃業または事業内容を転 換させられた事である.この際の転換のしかたには様々のケースがある.

 a.京浜地区から疎開する機械工場の施設となった. 例:鐘紡・笹木野工場が現在の東北沖電気工 場になった.

 b.繊維関係業者が自ら機械工場の経営にあたった. 例:川俣町の織物業者42名が協同して川俣精 器(株)をおこし,東芝の系列工場となった.

 c.従来の事業内容のうち,軍需工業として適するものを拡充した. 例:飯坂町の片倉製糸(株)

伊達工場はサナギの栄養分抽出に成功して,ビタミン剤(ビスラーゼ)製造にかわった、現在の東亜栄 養化学(株)工場である.

 大戦後の変化には次の点を指摘できる.新たに製糸工場が幾つか誕生したこと・伊達郡の保原・梁川 地区にメリヤス工業がおこったこと(9),川俣地区の羽二重織物が化繊交織にかわったことなどである  メリヤス業および川俣の化繊交織業については原糸供給メーカーや販売商社の参加が積極的になり・

旭化成・三菱ボンネル・同レーヨン・東洋レーヨン・蝶理・三共盛興などが資本的に系列工場をつくっ

てし・る.

 1960年以降にワイシャツをつくる縫製品工場が京浜地区から福島市に進出した・この種の工場は・今

(10)

までこの地区に全くなかったものであり,新しい工業が形成される前兆と考えられる.

 内 機械工業.第二次大戦中の強制疎開によって,多く機械工場がこの地区に転入した事が,この業 種を大きくした最大要因である.一方,福島製作所のように,地元企業として成長した機械工場も大戦 時に急膨張した.さらに1960年以降に,ふたたび機械工場がこの地区に京浜地区から進出して来た.新

しい発展期にあるといえる.

 目 食料品工業.伝統的な醸造業に加えて, 大戦中および戦後に,青果物の罐詰工場が伊達と福島市 地区に成立した.乳製品,マヨネーズ製造工場もある.地元の農産物を原料とし,しかもその誘致や設 立に農業関係者が関係した点で,最も地元産業らしい工業である.その生産技術や販売に中央の大企業 が関連しているのは他の業種と同じである.

 (肘 その他.紙工業においては段ボール製造工場が大戦後にできた.その一つに地元の渋ひき紙(蚕 飼育の台紙に使ったもの)製造業者が中央企業(聯合紙器)と提携して業態を拡大した例がある.

 窯業生産額が大きくなったのは日東紡福島工場がガラス繊維の製造をしているので,その産額がこの 部門に計上されたのである.新しい工場ができたのではない.

 囚 まとめ a養蚕・果樹栽培・家畜飼養などの農業が,この地区の工業化に,原料においてはもち ろん,資本,経営などの面でも大いに貢献している.

 b.第二次大戦中の異状状態が機械工業を形成する基盤となった.

 c.第二次大戦および特に1960年以降に,食料品・機械・縫製品・ゴム製品などの新しい工場がで き,または建設されようとしている.(第6表参照).

 d.地元企業と中央資本企業が提携することによって,事業が拡大ないし安定した事例が多い.

 13)郡山地区 {イ)1920年との対比.1962年における生産額は1920年の2,660倍となり,研究地域全 体の平均増加率を上廻る.特に郡山市地区の増加率は大きい.同市地区の地区別割合も1920年の16.2%

から26.6%へと上昇している.須賀川地区の増加率は低く,地区別割合もほとんど変っていない.従っ て,辮山地区全体の大幅な生産額増加は主として郡山市地区によってなされたのである.福島市とおな

じく,都市部に生産が集中した形である.その生産額内容は繊維・食料品工業の比率が下り,かわって 化学・機械工業の比率が高まっている.特に化学工業の生産額増加が特徴である.しかし須賀川地区に は化学工業が少ないのは前にも述べた.

 @ 第二次大戦までの工業化、郡山地区の工業化も製糸業から始まったのは福島地区と同じである。

しかしi郡山地区では1880・1881年という早い時期に正製組・真製社という地元の大手製糸工場ができ,

しかも,これらは1913年には早くも消滅している.これと前後して1911年には片倉製糸,1916年には小 口製糸と地域外の有力企業がいち早く進出している.須賀川地区にも1903年に長野県の笠原組製糸工場 が設立され,一方では地元の小製糸工場は消滅していった.このように経営体の変化が福島地区より

も,著しく早い.

 また絹糸紡績工場が1887年に設立され,1917年には綿紡績業も起業された.これらばその後の変遷を へて,遂には日東紡(株)に統合される.(1924).大規模な紡績工場があったのは郡山地区だけである.

 電気事業が地元資本によって経営されたのも福島地区と同じであるが,特に郡山においては多彩であ った.最初は郡山絹糸紡績(株)が絹紡績と兼営したが,1916年以降は電気事業専門となった、1899年 には沼上発電所から測仙まで24㎞間に,11,000ボルトの高圧送電を行なう技術的高さを示した.

 第一次大戦中に幾つかの電力利用工業が起業され,次の不況期に消滅していった.日本化学・保土ケ 谷化学の工場は当時から続いている郡山の中核的化学工場である.ほかに田村郡小野町の鉄興社工場も その創業には耕山電気(株) (郡山絹糸紡績の後身)が関係している.

 日東紡(株)工場は郡山を代表する絹・綿紡の事業所であったが,1937年には郊外の富久山にス・フ ー貫工場を建設した.これは維繊工場というよりは化学工場である・また同社は第二次大戦中から,ガ ラス繊維の研究を進め,大戦後にガラス工業をこの地区に展開する基礎を築いた.

 機械工業には,地元に郡山製作所・浜津製作所などがあった.しかし,これらは福島製作所のように

(11)

大きくならなかった.大戦中の疎開工場も数少ない.片倉製糸工場に三菱電機工場が転入したのは唯一 の例である.

 ただし須賀川地区には林精器工場を始め,数工場が疎開し,須賀川地区に機械工業の比重が大きくな る原因をなした.

 国鉄工磯部工場が1920年以来,郡山市にあるのは機械工業の一核心をなすものである.

 食料品工場には醸造・製菓のほか専売局タバコ製造所が郡山・須賀川両地区にある(1905年).田村 郡のタバコ産地を背景とするものである.

 これらを通じて,郡山地区のこの時期の工業化は地元企業と早い時期に交替した地域外の有力企業や 国営企業によってすすめられたといえる.

 内 第二1次大戦後の工業化.

 大戦後にベニア板(安積合板),木工品(第一木工),繊維板(ジャバナイト)などの木製品工業,ヒ ューム管,パイルなどのコンクリート二次製品(中川ヒューム管),自衛隊・国鉄の制服(東和被服),

婦人下着類(・一ズ縫製)など縫製品工業,1960年近くなってからはカメラ・シャッター(コパル),

トランジスタ・ラジオ部品(さくら計器),などの精密機械工業,乳製品(森永),製パソ工業(平塚パ γ)紙器(日本カーボン紙・聯合紙器の進出計画)工業があり,さらに既存のの化学工場の副成物の精 製工場(富久山ソーダ・東北カルシウム等)も設立された.ガラス製品およびガラス繊維工業(日東ガ

ラス・パラマウント・金門石英ガラス)の発達もこの時期である.いずれも中規模工場であり,地元系 と地域外からの進出企業とが相半ばする.

 これらの立地した理由は次のように分類できる.交通の便利さを通じて,原料の入手,製品販売に利 点がある(ベニア板・繊維板・コンクリート二次製品).地元の労力を利用できる. (縫製品・精密機 械工業).既存工場の下請けないし副成物利用,技術援助,化学薬品の入手が容易であるなどの形にみ

られる関連工場(第一木工・富久山ソーダー・パラマウントガラス等)等である.

 大戦前とは全く異なる契機で工業化が進むのを認めるのである.福島地区では,この時期に果物罐詰

・マヨネーズなどの食料品工業が発達するので,その点に相違があり,精密機械や縫製品工業の立地に は共通するものがある.両地区に新しい工業化の胎動があるとみるべきである.(第6表)

第6表 1950−63年におけるエ場の新増設件数(仙台通産局の資料より集計する)

住」数  新  件

地区 噤@島

設数

増件 設数

 9

(24。2拓)

 42

(46.7%)

 51

(40。2%)

郡  山須賀川

 12

(32.4%)

 28

(31,1%)

 40

(31.4%)

白  河

 9

(24.2%)

 5

(5.5%)

 14

(11.0%)

田  村

 1

(2.9%)

 1

(1.1%)

 2

(L6%)

i東白川F石 川

 3

(8、2%)

 3

(2、4%)

会津北部

 4

(8。2拓)

 14

(16,0%)

 18

(13。4%)

会津南部

 ︶

00

 ︵

 ︶銘oo σ

 90

(100)

128

(100)

 増設件数は申請のあるたびに計上するので,同一工場が2件以上に計上される場合がある。

 矢吹町は郡山,須賀川地区に含めた。同町には新設2件がある。

 通産局に申請するのは大規模な新増設(敷地9,000〆以上)の場合だけなので,小規模な工事は本表にのら  ない。

。 郡山地区には1945一 50年に新設が多い。

 (4)白河地区.1962年の生産額は1920年の2,520倍であり,平均増加率よりは高い.ただし地区別比 率は両年度ともに5.04%で,偶然にも全く同じである.1920年に食料品工業の生産額が過半額をしめ・

繊維工業は約25%の生産額を持ったにすぎない.福島・郡山地区では繊維工業が第1位にあった・当時 の食料品工業は清酒・醤油の醸造が主であったから,それよりも繊維工業の産額が小さいのは当時の繊 維工業の小規模さを示す.白清館・白河組・和田組など製糸工場があった.その他は字都宮製紙の工場

(12)

や木材関係の工場があったにすぎない.その後,それらの製糸工場は1935年までには総てが消滅し,第 二次大戦の始まる頃の,めぼしい工場としては昭栄製糸と前記の製紙工場があったにすぎない.

 大戦の終りに近い1948年頃から,京浜地区の機械や特殊ガラスの工場が疎開してきた.

 大戦後には,まずブドウ酒工場が付近のブドウ栽培に着目して設立されたが,それは間もなく廃止さ れ,その施設を宝酒造(株)が買収し,合成酒・焼酎の製造にあたっている.また東北電力が出資し て,コンクリートポールの製造工場もでぎた.しかし,もっとも大きい工場としては白河パルプ工場の 設立がある.これは大戦中に保土ヶ谷化学が用意した敷地に,王子製紙を退職した人が発起人となり・

会津地方の広葉樹を原料とし,阿武隈川上流の用水を用い,化学薬品は郡山地区の既存化学工場に依存 する等の条件をもって発足した.現在は三菱製紙への販売を主として,業績は順調である.パルプの生 産額は1962年には白河地区工業生産額のおよそ50%になっている・

 1955年以降に福島・郡山地区と同じ傾向の精密機械・消費財関係の工場が進出し,ようやく多彩な趣 をそえた.以上によれば,白河地区の工業は酒と製紙・パルプに古い伝統があるほかは,最近の進出工 場が主力であり,業種の構成も,形成要因も前の2地区よりは単純である・

 (5)田村および東白川・石川地区. 阿武隈高原および久慈川河谷にあるこれらの地区は,増加率が 平均を下廻り,地区別比率も1920年当時より1962年の方が低くなっている・工業化の進度がおそいため の現象と考える.

 1920年当時は三春・船引・小野・石川・浅川などの町に地元の製糸工場があり,繊維工業の生産額は 田村では第1位,東白川,石川では第2位であった.第3位の生産額を持つ業種は両地区ともに木材業 であり,山地地域らしい特徴を示した.

 1962年に,田村では合金鉄,化学製品の産額が全生産額の半ば以上をしめ,東白川,石川では木材の 産額がやはり半ば以上をしめるようになった.2・3位業種は田村では食料,木材業,東白川,石川で は食料,機械工業である.両地区の生産内容には明らかに差が生じた・

 田村の小野町には大滝根川,夏井川の水力発電開発を契機として,郡山電気(株)の経営するカーボン 工場がつくられ,1925年に鉄興社に譲渡された.これが鉄奥社の創業であり,以来,同社の小野町工場

として合金鉄の生産にあたっている.三春町でも,地元の水力発電事業に関連して,燐製造工業が1930 年頃におこされ,後に日本化学に合併し,今日にいたっている.この2工場の生産額が田村地区全体の 半ば以上なのである.

 製糸工場は消滅し,食料品,木材業には大きな工場がない,生産額割合はまだ小さいが,1962年に大 越町に住友セメントエ場が設立された.大滝根山の豊富な石灰岩を利用するものである.大資本を背後

に持つ同工場の将来は注目される.

 東白川,石川地区には田村地区のように,数工場で全地区の生産額に影響を与える程に大きい工場は ない.しかし大戦中に浅川町に疎開した大同信号機工場は順調に業績をのばし,1964年には従業員数が 600名をこす大工場となった.この結果,機械工業の産額が近い将来に飛躍的にのびることと思われる・

 この外,1960年以降に,電気機械部品,ゴム靴,縫製品などの中堅企業が塙,浅川,石川など久藪川 河谷の町に相ついで進出している.同地区は関東地方と水郡線を通じて極めて便利に連絡でぎる可能性

をもつので,福島,郡山,白河地区に認められる新しい工業化が,ここにも進行していると考える.こ こに高原上の田村地区と異なる面がある.木材業の産額が時代の変化にかかわりなく多いのも特徴であ

る.

 (6)会津北部地区. 会津若松と猪苗代・喜多方の2小地区にわかれる.前老の増加率は1185倍で平 均増加率を下廻り,後者IMO60倍という最高の増加率を示す・地区別の生産額比率は前者が14・6%から 9.20%に低下し,後者は6.51%から14.0%へと増加する.

 会津若松市は古来の都市地域であるが,それを含む地域の生産額増加率が低いのは福島,郡山の場合 と異なる.この小地区における1920年の生産額内訳は,食料品を筆頭とするが,繊維,窯業,木製品・

その他(漆器など)はほぼ同じ比率を持ち,各種の業種がバランスのとれた状態にあった・

(13)

 1%2年には,繊維工業の産額が僅か2%弱に減少し,かわって非鉄金属製品の産額が28%と急増し た.その外の業種の比率は,・20年当時とほぼ同じである.非鉄金属製品の産額が急増したのは1937年に玉 川金属機械(株)の工場が日曹会津工場の関連工場としてできたためである,〔1。)新設工場としては,東 北開発(株)会津ハードボード工場が1960年に設立された.外に本郷町の窯業に東北電力,東北開発など 大企業の資本を導入して,近代的工場とした例もある.酒造業も大規模な工場生産へと変っている.し

かし郡山,福島におけるような企業の交替,消長がない.最近の新工場進出も2工場を数えるにすぎず 他地区より少ない.(第6表参照).

 猪苗代・喜多方地区の業種構成は,1920年には極めて簡単であり,食料品と繊維工業だけで生産額の 80%以上をしめた.1962年には非鉄金属,鉄鋼業の生産額が実に65%となり,食料品工業は15%の比率 で第2位にあるが繊維工業は全く小さなものとなった.構成の単純さは前と同じとしても.内容は全く

変った.

 これはいうまでもなく,地元所在の製糸工場が会陽製糸工場を除いては消滅したこと,そして一方で は日橋川,阿賀川系の水力発電事業に伴なって,各種の非鉄金属,鉄鋼,化学工場が続出したためで

ある.創立時の事情やその後の沿革は別の機会にゆづる.工場名をあげると,磐梯町の日本ソーダー・

会津工場(鉛・亜鉛).河東村東長原の昭和電工東長原工場(青化ソーダー,その他化学薬品).同広 田の三菱鋼材(鉄鋼),喜多方市の昭和電工喜多方工場(アルミニウム)となる.いずれも,わが国の 電気化学工業の発達とともにおこった新興大企業の有力工場である,

 喜多方市には製糸工場,さらに最近のアスパラガス栽培に関連して罐詰工場(清水食品)もできて,

同市は新しい工業都市となる動きがある、

 会津坂下町にも伸銅工業(清峯伸銅)や最近に設立された皮革や電柱の生産工場があり,この地区に おける工業生産の一拠点である.この地方の工業については長谷川典夫氏の論文がある(切.

 (7)会津南部地方.増加率は平均を下廻り,地区別生産額比率も低下している.1920年当時は食料品,

繊維,木材工業が産額的に大きく,食料品が第1位で,繊維と木材業の比率はほぼ同じであった.1962 年には繊維工業の生産額は全く減り,かわりに木材業の生産額比率が非常な高率となった.(77.4%).

最近の進出工場は一つもない.この現状は山間地域であるこの地区の性格をよく反映するものであり,

かつ最近の工業化の動きは,かような山間地域にはかえって不利に働らくのを感じさせる.

 〔4〕 立地要因の考察. 各地区における工業の形成過程をみることにより,その地区を工業化し た要因をほぼ推定するができた.これをさらに適確な理解にする.

 ある地域の工業化は基本的には国民経済的な変動によって影響されるとは一般に言われる(12).

これをある特定地域の立場からいえば,国民経済的変動は,その地域が持つ個有の力,条件とは直接の関 係がなく起ってその地域を規制する.従って,これは他律的力であり,条件である.これに対して,地 域自身が,工業化をすすめる上に,有効に作用する条件を持つ場合がある.他律的条件に対してこれを 自律的条件ということができる.ある工場がその地域に立地するには,この二つの条件が関連しあい,

さらに企業自身の主体的条件が加わる筈である.本論は工業地域としての,本地域の性格を理解する点 に目的があるから,考察の重点は,ここにいう自律的条件の確認にむけられる.ただし考察の順序とし て,まづ他律的条件とみられるものを整理する.

 〔1)時代的条件. 1895年から1900年の初期に,本地域では水力発電事業が極めて活溌に行なわれ た.電気事業企業はかならず,電力の有効需要を考えて,工場を誘置ないし設立した.この事はわが国 全般にみられるものである.一つの技術革新運動であった.

 次の著明な事実は地域内に普遍的に立地していた中小製糸工場が1920〜1930年頃までに大半が消滅 し,代って全国的な営業規模を持つ大企業の分工場があらわれたことである.当時の時代的背景は日本 の資本主義経済が漸く成熟し,大資本企業が形成された頃(13)である.大資本企業による弱小企業の吸 収も活溌に行なわれた.特に第一次大戦時の好況,不況が企業の消長に一層の差をもたらし・一般には 大資本企業の優位性をたしかにした時代である.従って,この一般的な動きを大企業の形成運動として

(14)

把える二とができる.

 第3の大きな動きは第二次大戦に伴なうものである.大戦の末期に工場の疎開が全国的に行なわれ た.その一端が本地域にもみえる.

 第4の動きは大戦後の復興と1%0年前後から始まる工業生産の成長運動である.

 この四つの動ぎは本地域における工場設立の多い時代を確め,その時代の全国的な背景をみることに よって得たものである.

 この分類の妥当性は第7表の作製過程からもうかがわれる.第7表は現在の主要工場をその設立年次 または事業拡大の時期,設立の動機を調べ,その工場が前述のどの動きに関連しているかを整理したも のである.考察対象としたのは174工場であるが,そのうち,この4項目のどれにも該当しないのは 17の伝統的産業の工場であった.不該当の工場が10.9%の少数であるのは,これら四つの動ぎが,本地 域の工場設立に何らかの形で参与したことを示すものである.従って,これらの動きを工場設立に関係 する大きな条件とみたのである.この四つの条件は,各々時代的に発現したものなので,時代的条件と

よぶ.

第7表 時代的条件にともなって設立された工場の地域別数と百分比(主要工場についての分類)

時 代 的 条 件

地  区

1.第一次大戦後までの大企業形成  期に,本地域に設立された大企  業工場数および百分比 2.水力電源開発に伴なって設立さ  れた工場数および百分比 3.第二次大戦中に移転または拡大   した工場数および百分比 4.第二次大戦後の復興およびその  後の経済成長期に設立された工  場数および百分比

補.設立された工場総数

福 島

 5(35.7)

 1(9.1)

郡 山

 8(57.1)

 3(27.3)

 22

(56.3)

 34

(37.8)

62

在来工業工場数(伝統の古い工場) 8

をる ︶川すOJ賀と15須主ω

 31

(34.4)

52 4

白 河

 3(7.7)

 13

(14.5)

16 1

田 村

 2

(18.2)

東白川 石 川

 1(1.2)

3 0

 1(2.6ミ

 3(3.6)

4 0

会 津 会 津 北 部一南 部

 ︶ 2

17

 ︵

 5(45.9)

 3(7.7)

 9(8.8)

18 6

0 0

14

(100)

(読)l    I

(論)l    I

91

(100)

155

・引

(主要工場とは通産省・福島県共編による「工業適地調査報告書」に記載してあるものとした)

 条件ごとに,それとの関連で設立された工場数を地区別に百分比にしたものが第7表である.この地 区別比率をみることによって,その条件はどの地区にもっとも影響を及ぼしたかをしることができる.

古い時代の工場では,現在すでに消滅したものもあるし,また工場規模を無視したものであるから,議 論は極めて概況を示すにとどまる.

 大企業形成期に進出した地域外大企業の分工場は郡山,福島に多い,電力開発に伴なう工場は郡山,

会津に多い.第二次大戦時の工場転入または規模を拡大した工場は福島にもっとも多い.郡山がこれに つぐが,これは須賀川地区に立地したものが大部分である.大戦後の復興および最近の経済成長期には 福島,郡山,白河地区に多くの工場ができ,会津や阿武隈高原の地区では,あまり工場設立が進まなか

った.

 これをまとめると福島地区は電力を除く3条件の影響をこうむり,郡山地区はすべての条件の影響を 受けている.しかし第二次大戦時に転入工場が少なかったことは現在においても,福島地区に生産額でや や劣る原因をつくったとみられる.白河地区には大戦後の経済成長に伴なう工場設立が多く,会津地

(15)

区には電力開発の影響が強い.田村地区には電力開発,東白川,石川地区には大戦後の経済成長に伴な う影響がある.ただし,田村,東白川,石川地区には工場数そのものが非常に少ないので,影響の波及 はあっても,それは弱いと考える方が実際にあっている.

 (2)各地区の工業化条件(工場の立地条件).1イ)解析の方法. 前項の他律的な条件に対して,地 域自身が工業化をすすめるうえに持つ有効な条件を,前述したように自律的条件としたが,別に表現す れば,各地区の工業化条件ともいえる.これをみるために次の方法をとった.

 前項の場合と同じく,地域内の主要工場を対象として,各々がいかなる立地条件を契機として本地域 に設置されたかを検討し,すべての条件を地区別に計上した.一定地区ごとに立地条件別の件数の比を みれば,その地区内の工場が必要とした立地条件の相対的軽重がわかる.同時に,それはその地区が,

工場設立に際して提供し得た条件でもある.このように同一事象に,見る立場によって,二つの意味を 与えることがでぎる.

 なお立地条件を考えるために,主な工場に製品原価の分析を依頼し,その結果を第8表にせいりし た これによると非鉄金属,化学,パルプ,生糸の業種では原料とニネルギー費(電九燃料費)が極

第8表 業種別代表工場における生産原価の構成

、文   費臥

1業種(庭前\1原材料費

非鉄金属

化   学

金属製品

パ ル  プ 生   糸

機械部品 電気機械

通信機部品 機   械

木製 品

     津山津会部会︵ ︵ ︵

(郡山)

(白河)

(福島)

(福島)

(福島)

(郡山)

48.4 44.5 77.0 71.6 82.0 41.0 68.6 60.0 56。7 52.8

電   力

燃料 費

34。0 20。0 2.0 7.0 1.0 1.0 1.8 1.0 1.9 0.4

労 務 費

8.4 14.0 7.0 9.4 8.0 29.0 18.9 23.0 20.9 10.9

輸 送 費

3.0 6.0 2.6

1.0 0.6 2.3 1.0 1.0 4.6

事   務 管 理 費 10.0

5.0 3.9 4.1 5.5 6.0 8.4 4.6 11.6 0.7

資 本 費

18.0 7.5 7.9 2.0

9.0 7.9 2.0

oo

盾盾

oo

盾盾

oo

盾盾

oo

盾盾

  1   1 

(16)

第9表 立地条件の地域ごとの百分比

その1 総 括

1.原   材   料 2.電        力 3.労        力 4.需       要 5.既存工場との関連

  (下請け・協力など)

6.先行産業の変質 7.新技術の入手

8.大資本企業の経営参加 9 先行産業の施設利用 10.用        地 11.そ    の   他      計

18.4 5.2 4.1 13.2 11.7 20.5 3.1 5.2 8.2 3.1 8.0 100

14.3 3.6 6.8 23.9 17.1

7.2 1.2 3.4 4.8 11.9 5.8

100

18,5

29.6 18.5 7.4

3.7

14.8 7.4 100

東白川・石 川・田村

14.2 28.6

Referensi

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