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第2次世界大戦の終結から70年、という時点は

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第2次世界大戦の終結から70年、という時点は、この間に世界はどう変わり、どう 変わらなかったかを考えさせてくれる。もちろんそれは国によって、あるいは地域に よって異なるであろうし、さらには宗教、性別、そして根本的には個人ごとの別個な 現象でもあろう。しかしながら世界全体、あるいは人類全体にとって、この 70 年の 歴史が何をもたらしたのかに思いをはせることは可能である。

戦後の日米関係も、そのような枠組みのなかで捉えてこそ意味がある。厳密に言っ て二国間のみの孤立した関係などはありえないからである。いかなる国といえども世 界のなかの存在であり、すべての人は人類を形成する一部分として捉えるべきであろ う。

実はそのような世界観あるいは人類観が影響力を高めてきたことこそ、この 70 年 間の歴史のなかで特筆されるべき出来事だと言えるのではなかろうか。

1945年当時の世界は、強大国が支配あるいは相互に争いあう世界だった。そして地 球に住むすべての人間を指す人類という概念も一般化していなかった。もちろん、四 海同朋という概念は中国では孔子時代からあり、仏教でもキリスト教でも、およそ宗 教と名のつくものは、すべての人間は根本的には同じなのだ、という見方をとる。

しかし 18 世紀以降、いわゆる近代国家が出現すると、あらゆる人間は特定の国の 市民としての意味をもたされるようになる。個人としてではなく、国民としての存在 意識が高まるのである。さらに 19 世紀末、生物学、遺伝学、人類学などの学問の分 野では、人種の概念が影響力を増して、白人とか黒人とか、どの人種に属するかによ って個々の人間の運命が左右されるのだ、という考えが普及していく。

そのような世界観、人間観は今日では通用しない。それは根本的には、国家や宗教 の枠組みを越えて、世界各地で人間同士のつながりが強くなっているからである。グ ローバル化と呼ばれる現象である。

この現象は端的に言えば、人類にとって国家の重要性が相対的に低下し、人と人と の間の非国家的(ノン・ステート)な関係が重要になってきた、ということに帰する。

グローバルとはその意味ではトランスナショナル(国を越えて)ということである。

現代はつながりの時代である。国境を越え、宗教を越えて人間同士が出会い、から

国際問題 No. 644(2015年9月)

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Iriye Akira

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みあい、混合している。グローバル化とは、極端に言えば混血化、雑種化のことでも ある。それは文字どおり混合し多様化した人間社会の形成につながる場合もあるが、

より一般的には衣食住など生活の分野、あるいは文学、音楽、舞踏などにおける多様 化、極端には「国籍不明」の現象にも表われている。

戦後の日米関係も、そのような枠組みのなかで捉えることができる。過去 70 年間、

日本と米国は現在のグローバル、トランスナショナルな世界の形成にどのようにかか わりあってきたのか、という視点である。

戦後世界は米国が主導して形成したものだ、という見方が一般的であるが、その場 合、冷戦、核武装、ベトナム戦争といった、軍事的な現象に焦点があてられる場合が 普通である。しかしそれはきわめて地政学的な見方である。一時影響力のあった「現 実主義」的な国際政治論では、世界は根本的には軍事大国の意向によって動かされて いるのだ、とする。きわめて狭い、それこそ「非現実的」な見方だと言わなければな らない。

戦後世界の形成に米国が貢献したとすれば、それはグローバル化、トランスナショ ナル化の故である。経済的に国家間のつながりを密接にし、文化交流などを通じて 人々の間の心理的な距離を縮めていく。つまり国家の存在感を高めるのではなく、弱 める方向に世界を向けていったことこそ、戦後 70 年間における米国の大きな貢献だ ったと言える。

日米関係の 70 年も、そのような枠組みのなかで捉えることが可能である。単純化 して言えば、戦後の日米は伝統的、地政学的な意味で国際関係の発展に寄与してきた のか、それとも新しいグローバルな世界を形成するうえで役割を果たしてきたのか、

ということである。

確かに米国は戦後世界最強の軍事大国として国際関係の安定化に寄与してきた。そ れは根本的には、戦前にはそのような役割を果たさなかったために、日独などによる 侵略戦争を防ぎえなかった、という反省に基づいている。したがって戦後は、軍備を 充実させ、世界の至る地域においても平和を維持するようにしよう、というわけであ る。

日本の場合はその逆で、戦前の国家主義的な体制や対外政策が侵略戦争をもたら し、自らや隣国に多大の悲劇を及ぼした、という反省に基づいて、軍備を最小限に抑 え、海外派兵をせず、戦争にも巻き込まれないようにしてきた。

日本がこの 70 年間、平和に徹してきたということの世界史的な意味は大きい。米 国が国家の軍事力を高め、海外派兵などをためらわなかったのとは対照的に、日本は 経済や文化の面で対外関係を発展させてきた。

人と人、市民社会と市民社会の間の交流こそ、グローバル、トランスナショナルな

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動きであり、長年にわたってアメリカ人が推進してきた事業である。しかし戦後の世 界でそのような関係を日本は特に育成してきたと言えるのではないか。世界のグロー バル化、人類のトランスナショナル化という動きのなかで、日本の果たしてきた役割 は貴重なものである。

世界のグローバル化、トランスナショナル化に貢献するということは、国家主権と か領土とかよりは、国境を越えたつながりを大切にする、ということである。日米関 係は、国家間というよりは市民社会同士のからみあいである。

両国の国家レベル、政府間の関係では常に「懸案」がある。沖縄の基地問題、ある いは軍事強国化する中国への対応などである。しかしそのような地政学的な問題のみ に関心を奪われていると、戦後世界の動きに対する感覚を失いやすいであろう。

現代世界はつながりの時代、共有の時代である。国家間の関係とは別のレベルで、

市民同士が接触、交流を重ね、その結果多くのものを共有し、経済的・社会的・文化 的に混じりあっている。

そのような接触や混合は、国と国の間に共有するものを生み出す。この点はドイツ のメルケル首相が特に強調していることで、現代は共有の時代だとする。ドイツはか つて敵国だったフランスやポーランドと多くを共有している。ヨーロッパ共同体自 体、歴史を共有する地域社会である。重ねて指摘したように、国境を越えて共有する ものは無限にある。そのなかでも「歴史の共有」は大事である。

同じことは、日本と米国との間、さらには日本と中国、韓国などの間についても言 えるだろうか。すでに東アジア、あるいは太平洋の諸国は多くのものを共有してい る。この広い地域におけるヒト・モノ・カネの流れはかつてないほどの速さで進んで いる。

問題は、そのような流れがまだ「歴史の共有」を生み出すまでには至っていない、

ということであろう。日本と米国の間ですら、歴史が共有されてきたとは言えない。

真珠湾攻撃、原爆投下などについて、日本人とアメリカ人は別個に理解し、記憶して きた。

もっとも専門家の間では早くから学術交流がなされており、その意味での知的交流 は戦後日米関係の重要な側面である。例えば開戦から 25 年経った 1966 年、アメリカ 歴史学会の年次大会では真珠湾攻撃についてのセッションが設けられていたし、1969 年には箱根で、「真珠湾攻撃への道」をテーマとする日米合同研究会が開かれた。そ の後も両国の歴史家はことあるごとにお互いと連絡しあってきた。これは戦後の日米 関係のなかでも特筆すべきことで、両国の緊密化に貢献してきたことは疑いない。

しかしそのような学問上の交流は、まだ市民間の知的つながりを深めるまでには至 っていない。学校の教科書、あるいは通常のマスコミ報道などをみる限り、両国間の

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知的距離はまだまだ大きいと言わざるをえない。

根本的には、ヨーロッパ諸国と比べて、日米間には歴史を共有する、あるいはもっ と根本的には、日本人もアメリカ人も世界に共在しているのだ、という意識がまだ弱 いのではなかろうか。

すでに貿易、金融、投資などに関しては、日米間、そして東アジア諸国間のつなが りは密接である。さらに一歩進めて、市民社会同士、個人同士の連携が深まれば、そ の意味するものは絶大である。日本と米国とが過去 70 年間に培ってきたものを、大 事な遺産として、アジア・太平洋全域にも及ぶようにしたいものである。

そのためにも、日本と米国のみならず、中国、韓国などとの間でも、歴史を共有す ることが大事である。客観的には、もちろん各国の人々は歴史を共有している。周辺 の国、極端に言えば世界各地から孤立した歴史などは、どの国にもありえないのであ る。

戦後 70 年の時点での最大の問題は、そのように共有された歴史を歴史観にも反映 させる、すなわち過去の記録のみならずその追憶をも共有するような努力が十分にな されていない、ということである。21世紀の日米関係、ひいては国際社会が平和で建 設的なものとなるためには、そのような努力が不可欠であろう。

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いりえ・あきら ハーバード大学名誉教授

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