今日の話題
358 化学と生物 Vol. 51, No. 6, 2013
細菌細胞膜の新しいマイクロドメイン
高度不飽和炭化水素鎖をもつリン脂質の局在化
SingerとNicolsonによって生体膜の流動モザイクモ デルが提唱されてから40年以上が経過した(1).このモ デルにより,脂質が形成する二重層にさまざまなタンパ ク質がモザイク状に埋め込まれ,こうしてできた膜の中 を脂質分子とタンパク質分子が側方拡散(ラテラル拡 散)する生体膜のイメージができあがった.このモデル では脂質二重層をいわば二次元の液体と見なし,溶質で あるタンパク質が溶媒である脂質の中を移動する.しか し,脂質分子とタンパク質分子は生体膜中で完全に自由 に動き回っているわけではない.近年の研究により,特 定の分子群が特定の領域に集合することで種々のマイク ロドメインを形成し,それらがさまざまな生理機能を担 うことが明らかにされつつある.
真核生物細胞の膜にはステロールとスフィンゴ脂質を 主成分とするラフトと呼ばれるマイクロドメインが存在 し,情報伝達に関与するタンパク質群などが集積すると 考 え ら れ て い る(2).一 方,細 菌 細 胞 膜 に つ い て は,
や といった桿菌の極 と細胞分裂部位にカルジオリピンが濃縮されたマイクロ ドメインが存在する(3, 4).また,最近になって,真核生 物のラフトに類似したマイクロドメイン(真核生物のも のと脂質成分は異なる)が細菌にも存在することが提唱 されている(5).このような知見は,生体膜が関与するさ まざまな生命現象のメカニズムを理解するうえで,個々 の脂質分子の局在性を明らかにすることが,極めて重要 であることを物語っている.
エイコサペンタエン酸 (EPA) やドコサヘキサエン酸
(DHA) といった長鎖高度不飽和脂肪酸はヒトの健康に 寄与する機能性脂質として注目されている.EPAや DHAは抗炎症性脂質メディエーターなどの前駆体とし て機能するほか,リン脂質アシル鎖として生体膜に独特 の物理化学的性質を付与したり,膜タンパク質と相互作 用してそれらの構造や機能に影響を及ぼすことが推定さ れている.たとえば,DHAはGタンパク質共役受容体 と相互作用してそれらの機能発現に関与する.しかし,
これらの高度不飽和脂肪酸が機能を発現する分子機構の 詳細,特に,これらを含むリン脂質が生体膜でどのよう に分布して機能を発揮しているのかは明らかにされてこ
なかった.筆者らは,EPAを生産する海洋性細菌 Ac10と,新たに設計・合成した 蛍光標識リン脂質を用いてこの問題にアプローチし,エ イコサペンタエニル基をもつリン脂質が細胞分裂部位に マイクロドメインを形成することを見いだした(6).
Ac10はグラム陰性の低温菌であり,
ホスファチジルエタノールアミンとホスファチジルグリ セロールの -2位のアシル鎖として EPA をもつ.4˚C で生育した菌体において,EPAは全脂肪酸の約5%を占 める.糸状菌や線虫の高度不飽和脂肪酸生合成ではデサ チュラーゼによって分子状酸素依存的に二重結合が導入 されるが, Ac10などの細菌では,ポ リケチド合成酵素と類似した酵素によって,デサチュ ラーゼ非依存的に高度不飽和脂肪酸が生合成される.本 菌のEPA生合成遺伝子が破壊されたEPA欠損株を用い た実験から,EPA含有リン脂質が本菌の細胞分裂に重 要な役割を果たすことが見いだされた(7).また,リポ ソームを用いた 実験により,EPA含有リン脂質 が膜タンパク質のフォールディングを促進するケミカル シャペロンとして機能することも示されている(8).
近年,さまざまな生体分子を可視化する技術が開発さ れ,それらの細胞内での動態が明らかにされるように なった.リン脂質に関しても,ホスファチジルセリン,
ホスファチジルエタノールアミン,カルジオリピンなど を可視化するプローブが開発されてきた.しかし,これ らはいずれもリン脂質の極性頭部を識別するプローブで ある.筆者らは,特定の疎水性尾部をもつリン脂質を特 異的に検出するための蛍光プローブを新たに開発し,
EPA含有リン脂質の可視化を試みた(6).極性頭部に蛍 光発色団である7-nitro-2,1,3-benzoxadiazol-4-yl (NBD)
基をもつ種々のリン脂質プローブを合成して,菌体に添 加した(図1).グリセロール骨格の -2位にエステル 結合でEPAを導入したプローブの場合,菌体添加時に 加水分解されてEPAが遊離するため,プローブとして は不適当であった.この問題を回避するためにエステル 結合をエーテル結合で置換した加水分解を受けないリン 脂質プローブを合成した.その結果,エイコサペンタエ ニル基をもつ -NBD-1-オレオイル-2-エイコサペンタエ
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ニル- -グリセロ-3-ホスホエタノールアミン (Acylalkyl- EPA) 存在下で菌体を培養すると細胞分裂部位にNBD の蛍光が局在することが見いだされた(図1).一方,
コ ン ト ロ ー ル と し て 合 成 し た オ レ イ ル 基 を も つ - NBD-1-オレオイル-2-オレイル- -グリセロ-3-ホスホエタ ノールアミンを用いた場合,このような局在は認められ なかった.これらの結果は,NBD標識リン脂質が疎水 性尾部のエイコサペンタエニル基に依存して細胞分裂部 位に濃縮されたことを示している.
Ac10はグラム陰性細菌であり,細胞表層に外膜と内膜 が存在する.種々の蛍光リン脂質を用いた実験結果か ら,細胞にAcylalkyl-EPAを添加すると (1) 外膜ホス ホリパーゼの作用で -1位のアシル鎖が遊離して炭化水 素鎖を1本だけもつリゾリン脂質が生成し,(2) Acylal- kyl-EPAよりも親水性が向上したリゾリン脂質が親水的 なペリプラズム領域を横切って内膜に移行し,(3) 内膜 で -1位が再アシル化されて細胞分裂部位に局在するこ とが示唆された.EPA欠損株で細胞分裂不全が生じる ことを考え合わせると,細胞分裂部位にEPA含有リン 脂質が形成するマイクロドメインが,細胞分裂において 重要な機能を担うものと推定された.
EPA含有リン脂質が細胞分裂部位に局在化する仕組 みについては,細胞分裂部位に局在するタンパク質との 相互作用による可能性や,分裂部位に生みだされる大き
く曲がった膜にEPA含有リン脂質の構造が適合してい ることによる可能性が考えられるが,これらの可能性に ついては今後の検討が必要である.また,このようなマ イクロドメインにどのようなタンパク質が集積している のか,それらのタンパク質の構造形成や機能発現に EPA含有リン脂質がどのような影響を及ぼしているの か,今回見いだされたものと類似したマイクロドメイン がヒトを含むほかの生物にも存在するのか,といった点 も今後の検討課題である.このように今後解明されるべ き点は多く残されているが,本稿で紹介した知見は,高 度不飽和脂肪酸の機能解析に新しい視座を与えるものと 考えられる.
オルガネラをもたない細菌の細胞は長らく,タンパク 質などの生体分子が詰め込まれた単なる袋ととらえられ てきたが,種々のリン脂質が細胞膜でマイクロドメイン を形成することや,さまざまなタンパク質が細胞内で独 特の局在性をもつことが明らかにされ,高度に組織化さ れた新しい細菌細胞のイメージが作りだされつつあ る(9).このような細菌細胞の高次構造の理解は,細菌を 利用した物質生産などの応用面でも今後重視されるもの と考えられる.
謝辞:本稿で紹介した筆者らの研究は主に京都大学化学研究所で行われ たものです.京都大学化学研究所の江崎信芳教授,佐藤 翔博士,京都 大学低温物質科学研究センターの佐藤 智准教授をはじめとする共同研 究者の方々に感謝いたします.
図1■EPA生 産 性 細 菌
Ac10の細胞分裂部位に 形成される細胞膜マイクロドメイン A. エイコサペンタエニル基含有蛍光 プ ロ ー ブAcylalkyl-EPAの 構 造.B.
Acylalkyl-EPAを添加した菌体の蛍 光顕微鏡写真.写真中の菌体は細胞 分裂過程にあり,複製した核様体が 細胞内で分離している(左).NBDで 標 識 さ れ た リ ン 脂 質 プ ロ ー ブ は,
Hoechst 33342で 染 色 さ れ るDNA
(核様体)の間,すなわち細胞分裂部 位に局在している(中,右).
(A)
(B)
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360 化学と生物 Vol. 51, No. 6, 2013
1) S. J. Singer & G. L. Nicolson : , 175, 720 (1972).
2) D. Lingwood & K. Simons : , 327, 46 (2010).
3) K. Matsumoto, J. Kusaka, A. Nishibori & H. Hara : , 61, 1110 (2006).
4) E. Mileykovskaya & W. Dowhan : , 1788, 2084 (2009).
5) D. Lopez & R. Kolter : , 24, 1893 (2010).
6) S. Sato, J. Kawamoto, S. B. Sato, B. Watanabe, J. Hi- ratake, N. Esaki & T. Kurihara : , 287, 24113 (2012).
7) J. Kawamoto, T. Kurihara, K. Yamamoto, M. Nagayasu, Y. Tani, H. Mihara, M. Hosokawa, T. Baba, S. B. Sato &
N. Esaki : , 191, 632 (2009).
8) X. Z. Dai, J. Kawamoto, S. B. Sato, N. Esaki & T.
Kurihara : , 425, 363
(2012).
9) I. Fishov & V. Norris : , 15, 724
(2012).
(栗原達夫,川本 純,京都大学化学研究所)
プロフィル
栗原 達夫(Tatsuo KURIHARA)
<略歴>1987年京都大学工学部工業化学 科卒業/1991年同大学大学院工学研究科 工業化学専攻博士課程中退/同年京都大 学化学研究所助手/1993年京都大学博士
(工 学)/1996 〜 1998年 カ リ フ ォ ル ニ ア 大学バークレー校研究員/2003年京都大 学化学研究所助教授/2007年同准教授/
2012年同教授<研究テーマと抱負>特殊 環境微生物の環境適応機構の解析と応用,
酵素の反応機構解析と応用,生体膜の構造 と機能の解析<趣味>菜園
川 本 純(Jun KAWAMOTO)
<略歴>2007年京都大学大学院農学研究 科応用生命科学専攻単位認定退学/2008 年京都大学博士(農学)/同年京都大学生 存基盤科学研究ユニット特任助教/2009 年同大学化学研究所助教<研究テーマと抱 負>特殊環境微生物の環境適応機構の解明 と応用<趣味>陶芸