• Tidak ada hasil yang ditemukan

資料編 - 現代文編

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2024

Membagikan "資料編 - 現代文編"

Copied!
2
0
0

Teks penuh

(1)

﹁現代文編﹂ 資料編

資料編

290 5

10 15

20

自己同一性︒自分が他の誰とも異なる自分

自身であるという感覚︒自分が自分らしく存在しているという意識︒

自分らしさは他者との差異によってしか認識できず︑また︑客観的

に見ることのできない自己の自分らしさを︑本当に自分のものとし

て納得するためには︑他者から認められることが必要だ︒そのため︑

アイデンティティは︑自己の内部にある自分らしさの核ではなく︑

他者との関係の中で形成される︒同時に︑アイデンティティは変化

していくものでもある︒人は時と場合によってさまざまな自分を使

い分けて生きていくものであり︑他者とのかかわりも不変ではない

からだ︒更に︑人は︑家族︑学校︑国家など︑集団についてアイデ

ンティティを感じることもある︒

﹁元﹂は﹁おおもと﹂のことで︑一元とはもの

ごとの根源がただ一つであることを示す︒﹁一元的﹂とは︑さまざま

な現象がただ一つの根本原理によって成り立っている様子のこと︒

﹁多元的﹂とは︑多くの独立した根本原理によって成り立っている様

子のこと︒全体を一つの基準で理解することはわかりやすいが︑そこ

からこぼれ落ちてしまうことが多々ある︒神という絶対的存在が失

われ

︑多

な価値観を認める社会となった現代では

︑一

的なものの 見方ではなく︑多元的なものの見方が求められている︒

↓キリスト教

﹁一般﹂とは︑広く全体にわたって

共通していることをさす︒一方︑﹁個別﹂とは

︑全

を構成する一つ

つのものをさし

それぞれを

別々 のものとして

える

︒﹁

普遍

とは︑時代や場所にかかわらず︑全てのものに共通してあてはまる

ことであり︑﹁特殊﹂は限られたものにしかあてはまらないことで

ある︒全体に共通するという点で﹁一般﹂と﹁普遍﹂は類似してい

るが︑﹁一般﹂は多くに共通することであり︑例外の存在が認めら

れるのに対し︑﹁普遍﹂はいつでもどこでも例外なく︑全てのもの

にあてはまる︒

原因

結果

関係

︒私 たちは

日々

︑結果 から 原因

探ったり︑原因から結果を予測したりしながら生きている︒このよ

うな︑あらゆる現象には必ず原因があり︑また同一の原因からは常

に同一の結果が生じるという考え方︵因果律︶は︑近代科学の根本

原理である︒↓科学技術

﹁科学﹂とは︑ある対象を理論や実証によって体系的

に研究し︑その仕組み・因果関係を普遍的な法則として導く学問︒

﹁技術﹂とは︑物事を巧みに行う技であり︑﹁科学技術﹂は︑科学理

論・知識を実地に応用して人間生活に役立てる手段・方法をさす︒

アイデンティティ 一元的/多元的 一般/個別/普遍/特殊 因果関係 科学技術 評論 キーワード 集

評論キーワード集

291

5 10

15 20

十七世紀︑西欧で起こった物理学や天文学などの発達による世界像

の変革は﹁科学革命﹂と呼ばれ︑神に代わって科学が世界の真理を

解明するものとなった︒更に︑十八世紀の﹁産業革命﹂は︑科学と

技術を結合させることで生産性を飛躍的に上げ︑近代資本主義経済

を確立した︒十九世紀になると︑科学技術の産業・軍事面への活用

が本格化し︑組織的な研究へと発展する﹁科学の制度化﹂が起きた︒

↓産業革命

はんちゅう︒同じ種類のものが属する部類︑部門︒同じ性

質のものが全て含まれる範囲︒人間が物事を分類し認識するための

枠組 みである

︒例 えば

リンゴやブドウは

果物

というカテゴ

リーに属し︑玉ねぎや人参は﹁野菜﹂というカテゴリーに属する︒

更に︑果物と野菜は﹁食物﹂というカテゴリーで分けられる︒この

ように︑カテゴリーは複数の次元で考えることができ︑無数の物事

を整理し︑把握しやすくしてくれる︒

キリスト教の項参照︒

主体の項参照︒

イエスをキリストすなわち救世主と認め︑その人格

と教えを信仰の中心とする宗教︒ユダヤ教を母体として一世紀頃パ

レスチナに起こり︑のちにローマ帝国の国教となった︒中世西欧で は︑創造主である神が全てを支配する絶対的存在であり︑ローマ・

カトリック教会が強い権威をもっていた︒しかし︑十六世紀︑贖 しょくゆう

じょう︵免罪符︶販売に対するルター

の批判に端を発し

たカトリック教会への批判運動が全ヨーロッパへと広がった︵宗教

改革︶︒キリスト教的価値観は崩壊し︑近代には神ではなく理性を

もった人間を世界の中心とする価値観が広まった︒ニーチェ︵↓

P 99

はこの状況を﹁神は死んだ﹂と説いた︒この﹁神の死﹂は︑中

世キリスト教の支配からの人間性の解放という側面をもち︑人々は

自分で自分の生き方を決める自由を手に入れた︒また︑同じ被創造

物であったはずの人間と自然は切り離され︑世界は人間の利益︑幸

福のために存在するという考え方が︑科学文明を発展させることに

もつながった︒↓人間

近代の幕開けを何に見るかは諸説あるが︑西欧においては︑

十六世紀の宗教改革︑十七世紀から十八世紀の市民革命︑十八世紀

から十九世紀の産業革命を経て成立していったとみることができる︒

﹁近代﹂とは︑中世的な封建社会を脱し︑神中心主義から人間中心主

義への移行が成し遂げられた時代である︒何より合理性が重視され︑

現代の私たちの社会を支えている様々なシステム︵民主主義︑資本

主義︑科学技術など︶はここで生み出された︒

↓キリスト教・市民・産業革命

国民国家の項参照︒

カテゴリー 神の死 客体 キリスト教 近代

近代国家

▼「現代文編」P. 290 - 291

大学 入試頻出 の 評論読解 に 欠 か せ な い 重 要 語句を

34 精選し ︑ わか りやす く 解説︒

現代文編現代文編 古典編 教材品・ 教授資料

33 32

(2)

ヨー ロ ッ パに お け る 近 代 の 成 立 か ら ︑ 日 本 の 近 代 ま で を 一 挙 解 説 ︒

現代文を 読む に あ た っ て 不 可欠な ︑﹁近代﹂ に つ い て の 理 解を ︑ 教 科書 の 教材 に 関連 し た 解説が 深 く掘り 下げ る ︒

資料編

296

近代 とは 何 か

  この教科書は﹃国語総合﹄の﹁現代文編﹂である︒﹁現代

文﹂というのは︑時代区分としての﹁近代﹂以降に書かれた

文章をさす︒つまり︑この教科書に収められた文章は︑全て

広くいって﹁近代﹂という枠組みの中にあるということだ︒

  ﹁近代﹂の枠組みがどのようなものであるかを知っておく

ことは︑この教科書に収められた文章のみならず︑﹁現代文﹂

といわれる文章を理解するうえで︑また︑その枠組みのうえ

に成り立っている﹁現代﹂を生きるうえで︑きわめて重要だ︒

﹁近代﹂がどのような時代であるかというのは︑あまりに大

きなテーマだが︑ここでは︑教科書で学習したいくつかの教

材における﹁近代﹂に関する記述を振り返り︑﹁近代﹂とい

う時代に起こった変化︵もしくは︑﹁近代﹂の成立︶を理解

する手がかりとしよう

  ︒ ︵ ﹁展望台近代﹂︵↓

171P

もあわ

せて読んでもらいたい

︒ ︶

  ﹁近代﹂の起源に関しては諸説あるが︑おおむね十六から

十七世紀のヨーロッパに遡る︒そこで︑まずはヨーロッパに

おける﹁近代﹂の成立に伴う価値の転換についてその概略を

確認しておこう︒   椹木野衣﹃近代アートの誕生﹄︵↓

154P

では︑﹁近代﹂以

前の社会について次のように説明されている︒

  キリスト教が全盛だった頃の教会を思い浮かべてみてく

ださい︒そこには︑ゴチック様式の建物があり︑聖書が読

まれ︑賛美歌が鳴り響き︑ステンドグラスや聖像が人々の

目を奪ったことでしょう︒︵中略︶

  それぞれが︑神の顕現のために必要欠くべからざるもの

であり︑どれ一つが欠けても︑地上に神の王国は実現でき

ない︒そのような性質のものだったのです︒全ては神の思

し召しであり︑神の所有に帰属していたのです︒そこに孤

立はありません︒

  ﹁近代﹂以前の社会︵中世︶では︑キリスト教の﹁神﹂︑そ

してその代理である﹁教会﹂が人々の価値観や生き方を規定

していたといわれる︒そこでは﹁神﹂という存在は︑絶対的

だった︒全ては神の秩序のもとに位置づけられ︑人間は他の

生物と同様︑神の被造物の一つでしかなかったのだ︒

  しかし︑十四から十六世紀のルネサンス︑そして十六世紀

の宗教改革を通じて︑神と教会を中心としたキリスト教的価

①神から人間へ

5 10

15 20

近代とは何か

297

値観

は崩

れていく

︒ ︵ そのことを

椹木野衣

は﹁神が死

んだ

︵↓

155P という

言葉

表現 している

︒ ︶ 近 代 はそこから

まった︒

  近代は︑その後の市民革命や産業革命を経て︑神に代わっ

て人間が社会秩序の編成を担う︵=人間中心︶時代となって

ゆく︒

  神の代わりに人間が心の支えとしたのは︑人間自身の理性

だった︒自分たちの知恵や努力が豊かで便利な生活を生み出

したという近代ヨーロッパ人の自負がそこにはあった︒理性

によって感情を制御し︑あるいは野蛮を克服していくことで︑

人間はよりよい世界を作っていけるという理性中心の考え方

が広く浸透していく︒

  このような︑人間中心主義・理性中心主義は︑近代という

時代の一つの大きな特徴をなしている︒

  加藤周一﹃二十一世紀の課題﹄︵↓

113P

では︑﹁近代﹂の

科学技術が私たちの社会に与えた影響について︑次のように

述べられている︒

  一般に科学と技術との関係は︑しだいに密接となり︑今

世紀

に入

って

にほとんど

かちがたく

関連 するように なった

︒﹁

科学技術

という

言葉

は︑単

に﹁

科学

技術

を意味するのではなく︑﹁科学と結びついた

技術﹂を含意

する︒科学と結びついた技術の発展は︑科学から独立した

伝統的技術の発展よりもはるかに早く︑またその環境を操

する

能力 がはるかに

強大 であり

その

程度

︵早 さと

力︶は︑恐らく今世紀の初めに誰もが予想できなかったほ

どである︒

  二十世紀は︑科学と技術が結びつくことで社会が飛躍的な

発展を遂げた時代だった︒その端緒は近代の開始にある︒

  中世まで神︵宗教︶を通じて世界を理解していた人々は︑

近代以降︑﹁科学﹂を通じて世界を理解するようになってい

く︒宗教的世界観から科学的世界観への転換だ︒それまで終

末観のような宗教的思考と密接に結びついていた時間が︑時

によって

計測可能

な均質的

時間 となり

やはり

宗教

よってさまざまな禁忌に覆われていた空間が︑距離や面積が

計測可能な均質的な空間となったことなどはその一例である︒

  このような世界観の転換は︑ある日突然起こったわけでは

ない︒十七世紀のガリレイの物理法則の発見や︑ニュートン

力学

確立 など

科学革命

とよばれるできごとを

じて

②宗教から科学へ

5 10

15 20

▼「現代文編」P. 296 - 297

﹁現代文編﹂ 資料編

現代文編現代文編 古典編 教材品・ 教授資料

35 34

Referensi

Dokumen terkait

【文章Ⅱ】 なぜ人は自分を抑えてまで、他者との関係にこだわるのだろうか。なかには、次のような意見を述べる人がいるかもしれない。 「自分なりの価値観に自信をもっていて、的確にそれを実現できれば十分ではないか。他人に自分を認めてもらおうとするのは、結局、自 分の存在意義の確認を他人に依存しているだけで、自立できていない証拠ではないか」

界面」についての話であって他の個体との「争い」や「協調して生活をしていく」という関係についての話ではないので×。また、「協調(協力)」関 係だけでなく、「競合関係」についても書かれていなければ説明不足である点も付け加えておく。 残った④は、「食行動などの場面で交わる他の個体」とやや大雑把な表現ではあるが、「その場合」で指し示されている箇所の内容をつかんでおり、

1は、「主体的に対応できるシステム」が「最小の基準」なのではない。 3は、「環境の変化の影響を受けずに」が誤り。 4は、支援者に求められるのは、「ニーズに応え」ることではなく、「被支援者が自分のニーズを満たせる力を獲得できるように支援する」ことで ある。 5は、「経済力」に限定される話ではない。 正解 8 2 問 5空欄補充問題標準

ずしもこのような臨床症状として扱われるだけで なく,自分自身への関心の集中と,自信や優越感 などの自分自身に対する肯定的感覚,さらにはそ の感覚を維持したいという強い欲求によって説明 される自己愛傾向 小塩 ,1998 として,青年期特 有の人格的特徴でもあるとされている。 このように近年,数を増やしつつある臨床的な 体験からの知見における対人不安と自己愛のかか

1 Ⅰ.問題の背景と所在 大学生に関する研究の中で多く取り上げられるものとして、自己愛があげられる。Kohut の理論から生まれ、近年類型としての把握でよく用いられる過敏型自己愛と通ずる概念と して、自己愛的脆弱性と呼ばれるものがある。自己愛的脆弱性は、自己愛欲求の表出に伴 う不安や他者の反応による傷つきなどを処理し、心理的安定を保つ力が脆弱であることを

ๆ” が生起しているので、“ԅ” が “ๆ” に変化した時点でひと纏まりの 出来事が完成する。つまり、“ԅ჻ॿࡧཛྷๆષ” における “ࡧ” は “ๆ” となるまでの間に限って[持続]しているのである。そしてこの “化” の[持続]は「量」と見なしえるので、時相が充足したことになる。 そこで「有限持続タイプ」の文を松村(2005)に倣い、述語論理と命

1 第1章 序章 1.はじめに 高齢者が、社会の中で、できるだけ自立して、自分らしく生活していくためには、生活の 場での活動やそれを通した他者との交流を含む生活機能の維持・向上が重要である。本来の 介護予防の目的である生きがいや自己実現を支援するためには、高齢者が自ら自身に必要 なものに気づき、自分にふさわしい活動を見出し、主体的な自己決定によって継続的に参加

自尊心または自尊感情には様々な解釈があるが、 一般に自分をポジティヴな存在であると思うこと についてはコンセンサスが成立している 遠藤, 1992。 しかし, 親密な他者に対して常にポジティ ブな自己を見せようとしているとは考えられない。 自己にとって重要でない領域であれば, ネガティ ブな側面を見せた方が, 無理をしないでいられる