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12月時点で24%であったのが、今年に入ると 62%

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はじめに

新興国ブラジルが再び危機に見舞われている。景気の後退とインフレの再燃、蔓延する汚 職と政治腐敗、方向感覚を喪失したかのように映る内政―前世紀末の「失われた10年」を 彷彿させるような現象が次から次へと発生する。昨年(2014年)のサッカーW杯(ワールド カップ)、来年(2016年)のリオ五輪(リオデジャネイロ・オリンピック・パラリンピック)と、

世界的なビッグイベント2つの相次ぐ招請に成功し、いったんは持続的成長に向けテークオ フしたかにみえた2000年代後半の勢いは消え、国民は混乱の時代の既視感(デジャブ)に苛 まれている。

本稿は、今世紀に入り「新興国」として急浮上したブラジルの「新しさ」―しばしば新 興国の代表とされる呼称「BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)」で一括り にされがちだが―、そのなかでもブラジルが有する特異な「新しさ」を日本でも展開され た種々の論考から確認したうえで、この「新しさ」と現状のギャップをどう関連づけたらよ いのか試論的に検討する。

1 危機の実相と危機の構図

まずは危機の実相からみてみよう。

1) 支持率急落

ブラジルは今年、21年の長期(1964―85年)に及んだ軍事政権から文民政権に移管して30 周年となる。本来ならば民主化を祝して国を挙げた華々しい祝典が開かれても不思議ではな いのだが、祝いの雰囲気はほとんど感じられない。それもそのはず、民主化後6代目となる ジルマ・ルセフ大統領の支持率は、政権2期目を迎えた今年1月1日以降、一気に急落し政権 を取り巻く政治的雰囲気は一変する。

それが端的に表われたのが各種世論調査で、第1図は定評のあるダッタ・フォーリャ社の 発表したデータをもとに作成した。全国のおよそ3000人に政権の良し悪しを聞いたものだ が、「大変良い・良い」との回答(支持率)は、大統領選(2014年10月)によって再選された 直後の2014年12月には42%であった。歴代の大統領の評価と比べても決して悪い数値ではな かった。それがわずか3ヵ月後の今年3月に実施された調査では13%に下落し、その後、さ らに下降線をたどり本稿執筆の段階(8月)ではわずか8%である。

(2)

一方、「悪い・大変悪い」の回答は、2014年

12月時点で24%であったのが、今年に入ると 62%

(3月)、65%(6月)、71%(8月)と回を追うごとに急上昇する。軍政が終焉(1985年3月 14日)し民主化の機運が高まるなかで開始(1987年)されたダッタ・フォーリャの世論調査 だが、不支持率71%という数値は政権支持率調査で過去最悪という。とりわけマスメディア が注目したのが、側近の汚職で弾劾裁判が開始され、その判決が下りる直前に辞任した民主 化2代目の大統領フェルナンド・コロル(1990年3月―92年12月)が1992年

9月につけた 68%

を上回った点にあった。政権維持のうえで 危険水域 にあるとの見方だ。

1985年 3月の民政移管後、ブラジルは 6人の大統領を輩出した。最初の 3人、すなわちジョ

ゼ・サルネイ(1985年3月―90年3月)、先に述べたコロル、そしてその後継のイタマル・フ ランコ(1992年12月―94年12月)の3代にわたる9年間は、いわば体制移行期とみることがで きる。サルネイ大統領は、民主化初の大統領として選出されたタンクレード・ネーヴェスが 就任式前日に倒れ、その後病没するハプニングのなかで副大統領から昇格した。コロル大統 領は汚職疑惑で2年9ヵ月で辞任し、その後継は再び副大統領からの昇格であった。

これに対し以後の3人は、エンリケ・カルドーゾ(1995年1月―2002年12月)、イナシオ・

ルーラ・ダ・シルバ(2003年1月―10年12月)両大統領がいずれも

1期4

年の任期を2期

8年務

め、2011年

1月に就任したルセフ大統領も再選を果たした。規定に従えば、2018年12月まで 2期 8

年を務め上げることになる。昨年10月の大統領選挙で、同大統領は決選投票にまで持 ち込まれ得票率は有効投票の

51.6%と民主化後最低であったが、投票年齢が 16歳以上の直接

選挙ということもあり、5450万票の大量得票を得ての選出であった。政治体制としては、中 央・地方の政府首班に2期連続を認めた憲法修正第

16号

(1997年)の精神を反映した、安定 度の高いプロセスのはずであった。

それにもかかわらず、年明け後、ルセフ大統領および与党・労働者党(PT)に対する忌避 感が一気に高まる。前述の世論調査にみられる支持率の急落にとどまらず、全国各地で反政

2011 /03 11

/06 11 /08 12

/01 12 /04 12

/08 12 /12 13

/03 13 /06 13

/08 13 /10 14

/02 14 /06 14

/09 14 /12 15

/03 15 /06 15

/08(年/月)

80 70 60 50 40 30 20 10 0

(%)

 ダッタ・フォーリャによる世論調査は政治状況に応じて実施される場合があるため、必ずしも 一定の期間をおいて行なわれているものではない。ここではおよそ3ヵ月おきをめどに作成、同月 に複数回実施された場合は最初の回を採用した。

(注)

 Datafolha(2015) “Avaliação da presidente Dilma Rousseff,” 04 a 05 de agosto (www.datafolha.

com.br).

(出所)

第 1 図 ルセフ大統領の支持率推移

悪い・大変悪い 大変良い・良い

ふつう

(3)

府デモ(大規模のものとしては3月15日、4月12日、8月16日)が頻発し、テレビやラジオで大 統領の演説や労働者党の政治広報番組が流れると、一斉に、鍋叩き(パネラッソ)やクラク ションの連打、照明の点滅による抗議の意思表示が始まるといった状態である。

こうなるとルセフ大統領を支えてきた政権基盤の政党・政治家も浮足立ってくる。ブラジ ル政治は、米大統領並みの権限をもつ「強い大統領」と、一方で例えば2014年下院選での当 選議員の政党数が28に及ぶといった極端な多党制を特徴としてきた。与党といえども少数政 党で、最大政党のブラジル民主運動党(PMDB)ほか友党との連合抜きには安定した政権運営 が難しい。このためカギとなってきたのが大統領の強いリーダーシップと、ポストと予算配 分を使った政略で、政治の安定を保つ同国独特の政治スタイル(「連合大統領制」と呼ばれる)

となってきた。これが、大統領の人気急落によって機能不全に陥り、PMDB出身のミシェ ル・テメル副大統領の陣頭指揮の下で修復が図られるか否かの瀬戸際に立たされている。

2) 逆転する経済

経済もまた一変した。特に雇用面での変化は市民生活に直結する。第1表の失業率は、全 国6大都市の動向を集計したものだが、ルセフ政権誕生後、アップダウンを繰り返してきた 景気の下でも統計史上最も低い水準をつけた

2014年 12月

(4.3%)までほぼ一貫して低下し、

労働者階層を最大の支持基盤とする労にとって政権維持の拠り所となってきた。それ が今年に入り一転して上昇に転じ、2015年6月時点では6.9%に達した。前年同月比2.1ポイ ントの上昇で、2010年以来の高い失業率である。民間ではレイオフや指名解雇、公務員では 給与の遅配が止まらず、教員、バス運転手、病院職員から警察官までストライキに走る事態 となり、市民生活を直撃する。

新興国経済のシンボル的存在となってきた自動車産業も変調をきたした。最低賃金の引き 上げ、底辺層の底上げを意図した条件付き現金給付制度(ボルサ・ファミリア)の実施や消費

第 1 表 ルセフ政権下の経済指標の推移

(注) IPCAは拡大消費者物価指数。失業率は主要都市の平均。工業生産および実質賃金は製造業分野。*は四半期ベースで前 年同期比。―は未発表。

(出所) ブラジル中央銀行(BCB)ホームページ(www.bcb.gov.br)Economic Indicatorsなどのデータより筆者作成。

2011年 2012年 2013年 2014年 2015年1月

2月 3月 4月 5月 6月

3.9 6.5 6.0 102.5 95.2 28.5 213 189 667 3,520

1.8 5.8 5.5 100.0 100.0 28.4 202 186 653 3,786

2.7 5.9 5.4 102.0 102.3 30.9 202 200 640 3,758

0.1 6.4 4.8 95.6 101.1 26.2 188 191 625 3,741

7.1 5.3 95.9 101.1 20.5 137 169 40 3,722

7.7 5.9 94.6 102.2 20.6 121 149 28 3,721

−1.6 8.1 6.2 93.8 99.6 25.4 170 165 3,710

8.2 6.4 92.5 98.6 21.7 152 147 3,730

8.5 6.7 93.1 96.4 21.0 168 140 3,717

−2.6 8.9 6.9 92.8 97.8 18.4 196 151 3,722

実 質 成長率

(%)

物価 IPCA

(%)

失業率

(%)

工業生産 2012年

=100

実質賃金 2012年

=100

月間自動車 生産台数

(万台)

月間 輸出額

(億ドル)

月間 輸入額

(億ドル)

外国 直接投資

(億ドル)

外貨準備

(億ドル)

( ) ( )

(4)

者クレジットの浸透によって新たな消費者層が形成され、旺盛な内需がコモディティー(一 次産品)輸出に次ぐ

2

つ目のエンジンとなって稼働を開始した。これにより、2000年代後半 以降、リーマン・ショックを乗り越え同国の力強い成長がもたらされた。「世界4位の自動車 市場」と言われた2013年には、新車の月間生産台数は約

31

万台に達していた。それが、今年

6月には 18万4000

台にとどまっており、4割の落ち込みとなった。

ルセフ政権も他の新興国と同様に、各種の消費刺激策を講じてきてはいる。しかし同国は、

民政移管後およそ

10年にわたり、債務危機

(対外債務の返済不能)と同時に物価上昇率が3 桁、4桁に達する極端な経済不安定状態に見舞われた。そのトラウマもあり、歴代政権は物 価安定を最優先事項としてきた。1999年に変動相場制に移行したのに伴い、インフレ・コン トロールの 守護神 をそれまでの通貨レアルをドルにリンクさせた「為替アンカー」から

「インフレ目標」(現行は年率4.5%±2%)に替え、さらに放漫財政を抑制する狙いから債務返 済を除いた基礎的財政収支(プライマリーバランス)をプラスに設定する政策目標を公約し続 けてきた。

もっとも、インフレが目標の中央値に抑えられたのは2009年までで、ルセフ政権下では上 限(6.5%)にほぼ貼り付く状態が続き、2015年になると消費者物価上昇率(IPCA)は上限を 突破し、本稿執筆直前の7月には年率換算で

9.6%

に達した。プライマリーバランスも同様で、

財政のやりくりによって2013年までは国内総生産(GDP)対比で1―3%台の黒字を確保した が、2014年はついにマイナス(0.6%の赤字)に転じた。政策当局は、本年内の黒字(GDP対 比で0.15%のプラス)転換を再三表明し緊縮政策堅持の論拠にしているが、月々の歳入欠陥は 大きく、困難視する見方のほうが市場には多い。

さらに追い打ちをかけたのが輸出入の逆転である。中国経済の減速とコモディティー価格 低迷の影響に直撃された格好で、2014年の経常収支は1047億ドルの赤字となった。同国にと って幸いしたのは、成長が期待される新興市場ということで、外国企業の直接投資が続いて きたことにある。今のところは輸入額1.6年分に相当する外貨準備高を維持している。ただ、

外国為替は敏感で、年初には1ドル=

2.7

レアル近辺にあった対ドル相場は、9月上旬には3.8 レアルまで減価し、国債が投資適格評価を失うことへのリスクや米国の超金融緩和策終焉を めぐる動静に神経を尖らせる日々である。

3) 噴出するスキャンダル

このように瀬戸際に立たされたブラジルにさらに暗い影を落としているのがスキャンダル だ。第2表は、マスメディアを賑わす最近の主な事案を表にしたものだが、捜査当局や調査 報道の活発な動きもあって、これまで表面化していなかった不正行為が次々と明るみに出る モメンタムを生んでいる。弾劾裁判の矢面に立たされたコロル元大統領の事例にも表われて いるように、民主化後もコラプション(汚職・賄賂・腐敗・不正)は一向になくならなかった。

現地に足を運んでみると、社会を動かすうえでは「潤滑油」であり「必要悪」であるといっ た見方さえ有識者の間から聞かれたほどである。第2表の⑨⑩の事案はこの類のスキャンダ ルで 伝統的 なものと言ってよいかもしれない。

しかしながら今回のスキャンダル報道をみていると、従来とは明らかに次元を異にする現

(5)

象がいくつかみられる。その第

1は、捜査の手が企業の犯罪、とりわけ 本丸 とも言える

ブラジル最大手でかつ国営の石油会社ペトロブラスやゼネコン大手に及んでいることである。

ルセフ政権第1期には、与党による政治工作が糾弾された。ルーラ政権下で、政府案に有利 な票決を得ようと官房長官や労働者党党首らが与野党議員に公金を配分した贈収賄事件であ る。 小遣い をもじって「メンサロン(大型の月極め手当)」の事件名がつけられ、結果的に は連邦最高裁判所が現役の政治家4人を含む

25人に有罪を下し

(2012年12月)収監した。有 力者は罪に問われても収監されることはない、との一般国民の疑念を破ったもので、政治浄 化の大きな一歩と目された。

ペトロブラスの事案(呼称:ペトロロン)は、ガソリンスタンドでの資金洗浄が発端となっ たため、「カーウォッシュ作戦」の名称で連邦警察・検察などが

2014

年3月以来、捜査を進め てきた。同社の製油所・米事業買収をめぐる贈収賄、それら贈賄資金の捻出を意図したゼネ コンのカルテル結成、役員の横領・背任、不正な海外口座を使った資金洗浄、個人的な蓄財 と、犯罪の構図はきわめて複雑、かつ資金の多くが与野党の政治家にばら撒かれたと捜査当 局はみている。いずれの政党も「規則に則った政治献金」との立場だが、メンサロンで有罪 となった元官房長官や労働者党の会計責任者が逮捕され、コロル元大統領、上下両院現議長 など50人を超す政治家が捜査・告発リストに上る。ペトロブラスの元役員のほかブラジルを 代表するゼネコン各社のトップも逮捕され、 財界 にメスが入ったかたちだ。

疑惑の舞台

疑惑の内容

ペトロブラス(Petrobras) 「カーウォッシュ作戦」のコードネームで捜査が始まった国営石油会社を舞 台とした贈収賄・資金洗浄・政治献金・不正蓄財等の一大疑獄事件。ペトロ ロン(Petrolão)の呼称がつけられ、連邦警察・検察・行政監督庁(CGU)

などが捜査を進め、国会が調査委員会(CPI)設置 第 2 表 ブラジルで吹き荒れている各種スキャンダル

(出所) 各種報道より筆者作成。

建設業界大手 オーデブレヒトなど大手ゼネコンがペトロロン資金捻出のために進めたカル テル結成疑惑

大統領選出選挙 2014年10月の大統領選でペトロロンの資金の一部がルセフ陣営に流れたの ではないかとの疑惑。高等選挙裁判所(TSE)が審査

ルーラ研究所(Instituto Lula) ルーラ前大統領のアフリカなど海外での講演活動に大手ゼネコンが航空運賃 等で便宜を図り、見返りに訪問先政府に案件受注を働きかけた疑惑

国立経済社会開発銀行(BNDES) 国内外の巨額融資案件がクロニズム(えこひいき)を誘発しているとの疑惑。

国会が調査委員会(CPI)設置

大統領府 ルセフ政権が国会提出の年次予算を操作し、赤字分を国営金融機関からの融 資で補 した財政責任法上の違反疑惑。連邦会計検査院(TCU)が調査

財務省税収行政審議会(CARF) 審議会メンバーによる法人および富裕層に対する税務アドバイスにかかわる 脱税・免訴疑惑

為替市場 欧米日など15金融機関による為替市場不正操作疑惑。CADEが捜査

国際サッカー連盟(FIFA) 米司法当局の捜査で開始された同連盟をめぐる贈収賄事件。資金洗浄などの 嫌疑でテイシェイラブラジルサッカー連盟元会長が逮捕される

パラナ州歳入局・交通局 パラナ州知事の取り巻きによる贈収賄と選挙資金の捻出疑惑

サンパウロ都市圏鉄道公社

(CPTM)

サンパウロの鉄道工事をめぐる内外企業のカルテル疑惑。ドイツのシーメン ス社が公正取引を監視する経済防衛行政審議会(CADE)との間で司法取引 に応じ解明が進む

(6)

今般のスキャンダルの第2の特徴は、「司法取引」を使った捜査手法にある。法令的には以 前から整備されてはいたが、メンサロン以降、不正糾弾の機運が高まるなかで捜査当局が積 極的に活用し始めた。資金洗浄に手を染めた闇ドル業者らを司法取引に誘い込み、それらの 供述から役員クラスを逮捕、さらに司法取引に持ち込み企業犯罪に迫る手法である。表中⑦ の事案でも司法取引が活用され、こちらは企業の競争制限を捜査する経済防衛行政審議会

(CADE)が発動した。

第3としては、内政のスキャンダルであったメンサロンとは異なり、国家として国際的な 信用を揺るがしかねない事案が多いことである。ペトロブラス自体、スキャンダルの発覚で 国際会計法人の拒否にあい2014年度決算の発表を遅らせる事態に陥ったほか、コーポレート ガバナンス(企業統治)が問われ主要役員が交代、開発計画は見直しを迫られ、海外投資家 からの告発に直面している。ガバナンスに厳しい目が向けられるなかで、表中⑥の開発銀行 による融資や、⑤の行政府による予算管理のあり方、⑧の金融機関による市場への関与の仕 方が問われている。米国・スイスによる告発・捜査であるとはいえ、国際サッカー連盟

(FIFA)を舞台としたスキャンダル(⑪)にもブラジルサッカー連盟元会長が逮捕者に名を連 ね、サッカー王国の信頼を落としかねない。

2 「新しいブラジル」の四半世紀―その変容と論点

これらの危機の先行きについては予断が許される状況ではない。しかし、こうした状況だ からこそ、民主化(1985年)後

30

年の変化の過程をあらためて押さえておく必要があろう。

リーマン・ショック直後の

2008

年11月、世界金融危機回避のため

20ヵ国・地域の代表から

なるG20が急遽招集されたように、「新興国」を抜きには世界規模の問題に対処できない時代 となり、ブラジルもメンバーに加えられた。その一方で、米証券会社が作ったBRICSの一語 でもって国情の異なる新興国を一括りに扱ってきたきらいがあった。2010年代後半に入り、

新興国経済全般にきしみが生じ始め、世界経済にとっても無視できない事態となりつつある。

その行方を考えるうえでも、個別の国の足跡を押さえながら、個々の展開を総体的に把握す る必要がある。

本題であるブラジルについて言えば、1985年以降の変化を、景気変動や政権交代といった 単なる局面変化ということではなく、「新生ブラジル」の登場といった、時代を画す変化とし て捉える見方が研究者の間では主流となっていた。2010年代前後に出版されたブラジリアニ スト(海外のブラジル研究者)の著書のタイトルがそれを如実に示している。米カリフォルニ ア大学のフィッシュローは1985年以降のブラジルをStarting over(一からの出直し)と表現 し、ジョンズ・ホプキンズ大学のロエットは文字どおりThe New Brazilの表題を用いている。

英『エコノミスト』誌の記者として長年ブラジルを取材してきたレイドはその近著のサブタ イトルにThe Troubled Rise of a Global Powerとつけている。

日本では、アジア経済研究所が「新しいブラジル」と銘打った研究会を立ち上げ、同研究 所の近田亮平編で『躍動するブラジル―新しい変容と挑戦』が出版され、そのフォローア ップとして英文でThe Post-New Brazilが発表された。

(7)

「新生ブラジル」の「新しさ」は論者によって異なるし、その転換の時期も視点によって 違ってくる。しかしながら総体として、1980年代半ばまで観察されてきたブラジルとは明ら かに様相を異にした時代に、ブラジルは足を踏み入れていたとの観測である。以下、「新生ブ ラジル」はどのように捉えられたのか、いくつかの論考をベースに整理しておこう。

1) 政治:制度改革の積み重ね

民主化30年、その基軸を決めたのが、第

1条で自国を「主権、公民権、人間の尊厳、労働

および創業の自由の社会的価値、政治的多元性に基礎をおく民主的法治国家」(条文の要約。

矢谷1991、49ページ)と規定した

1988年憲法

(以下「88年憲法」)およびその関連法規であ

る。上下両院それぞれ2読会による審議、5分の

3の承認という制約はあるものの、国論を重

ねるたびに憲法を修正し制度改革を進めてきた。2015年5月までの段階で、憲法修正の数は

88本に上る。

憲法制定後、国民投票(1993年)によって「共和制」「大統領制」の政治制度の継続を確認 し、1999年には国防省を創設、軍部を完全にシビリアンコントロール下に置いた。選挙面で は、1994年から、4年ごとに正副大統領、上下両院議員、州知事、州議会議員の同日選挙、

そしてその中間年に基礎自治体であるムニシピオの首長および議員選出選挙の日程が定式化 された。1996年のムニシピオ選挙から電子投票が導入され、2012年には国民の発議によって 腐敗政治家の立候補排斥を意図したクリーンレコード法が成立、さらに投票所における有権 者の生体認証制度が試行に入っている。

行政・立法・司法の三権間の力関係も大きく変わった。大統領が行政府の長を務める「強 い大統領制」は維持されたものの、予算や行政組織改編・重要人事の承認、大統領や閣僚の 弾劾、政府債務や信用枠の設定、国政調査権等、国会に大きな権限が付与さた。司法につい ては2004年の憲法修正で違憲立法審査権をもつ連邦最高裁判所の権限が強化され、さらに

2013年には権限弱体化を狙った憲法修正案が拒否されるかたちで検察の立場が強化されると

いった事例も出てきている。検察に対しては、88年憲法によって犯罪事案の公訴に加え「民 主主義制度および社会的・個人的利益の擁護」の新職務が加えられ、スキャンダル告発の後 ろ盾になっている。

三権間のチェック・アンド・バランス(抑制と均衡)が進展し、「総じて安定した政治状況 は、このような方向性のなかで、不断の政治改革が続けられている」(堀坂 2013、20ページ)

からこそのものであった。「強い大統領」と「極端な多党制」の組み合わせのなかから生まれ た「連合大統領制」も、プラグマティズムに基づき編み出された仕組みであった。

中央・地方の権限関係も大きく変容した。憲法第18条で州およびムニシピオを連邦と等し く自治権を有する政治行政組織に規定し、教育、保健、公共交通、治安などは3政府(中央、

州、ムニシピオ)共通の職務とされた。

制度改革の軌跡をみると、行政―立法―司法および中央―州―ムニシピオの、2つの三角 形それぞれにパワーシェアリングがみられる。民主化によって軍政時代の権威主義的・中央 集権的な政治パワーの集中から解き放たれ、パワーの分散が進んだ結果と言えるが、「それに 伴って政治の方向性や政策を決定する変数は(格段に)多くなり、決定までの過程は複雑か

(8)

つ忍耐と時間を要する時代となった」(堀坂2013、47ページ。括弧内は追記)。

2) 経済:「力ずくの自由化」から「幸運な自由化」へ

新生ブラジルを印象づけるものとして、わが国を含めた先進国の産業界が注目したのが新 自由主義(ネオリベラリズム)政策の導入である。それは、「失われた

10年」と評された経済

危機からの離脱の方策であったと同時に、新しい成長のエンジンをもたらす手段ともなった。

神戸大学の浜口伸明はその導入過程を3つの、きわめて特徴的な段階に分けて捉えている。

すなわちコロル政権時代の「力ずくの自由化」、カルドーゾ政権時代の「無防備な自由化」、 そしてルーラ政権時代の「幸運な自由化」にである。コロル大統領が政権の座にあった1990 年代初頭は、国際金融市場への復帰の条件として、債権国側が債務国に、市場経済の導入を 柱とする新自由主義政策、通称「ワシントン・コンセンサス」を強く求めた時代である。こ うした空気のなかで、コロル政権は同国の複雑なインフレ発生のメカニズムを十分考慮せず に力ずくで型どおり導入し、結果的にはさらなるハイパーインフレを招くことになった。だ が、貿易自由化と国営企業の民営化の2つの点では、「今日につながる不可逆的な変化をもた

らした」(浜口2013、316ページ)と評価する。

カルドーゾ政権の自由化を「無防備」と表現しているのは、20世紀末急速にグローバル化 する国際金融界のなかで、固定為替レートを物価安定の「為替アンカー」としたレアル計画 の危うさを指摘してのことだ。カルドーゾ大統領は、大統領就任の前年、フランコ政権の財 務相としてレアル計画を実施し、ハイパーインフレを終息させた。その功績に加え、金融シ ステムの健全化、中央・地方政府に収支均衡を義務づけた財政責任法の導入、電力、通信な どの民営化部門を監視する独立監督機関の設置等で前進をみた。しかし、政権2期目初頭に は変動相場制への移行に追い込まれ、物価安定のアンカーをインフレ目標にバトンタッチす る。

その後を継いだルーラ大統領は、労働者党の統領、しかも就任前の言動から為替は暴落し 国際金融界に不信が募るなかでの就任であったが、大方の予想に反して自由化路線を引き継 ぐ。対立政党(ブラジル社会民主党〔PSDB〕)のカルドーゾ政権の下でマクロ経済安定化の基 盤が整っていたこと、中国経済に牽引されるかたちで発生したコモディティーブームの恩恵 を受けたことで「幸運な自由化」であったという。加えて、雇用や所得を重視するルーラ政 権独自の政策もあり中間所得層が拡大し、それがさらに「内需を拡大させるという好循環を 生み出し」(浜口2013、330ページ)た。輸出と内需の

2

つのエンジンをもつに至ったわけだ が、ルーラ政権2期目後半から変調をきたす。浜口と共著論文をもつ河合沙織(浜口・河合

2013)は、その後のブラジル経済の動向分析から構造調整の遅れで2つのエンジンがフル稼働

できていないことに加え、インフラ投資の遅れ、生産性の低さなどの障害が残り、「第3のエ ンジンが着火する状況には至っていない」(Kawai 2015, p. 59)とみる。

3) 社会保障:普遍主義と選別主義政策

ブラジルは多民族多人種社会で知られる。しかしその一方で、貧困・不平等はブラジルの 代名詞と言われるほど格差のひどい国でもある。この問題に正面から取り組んだのも新生ブ ラジルの姿であった。その特徴を近田亮平は社会保障における普遍主義(ユニバーサリズム)

(9)

の徹底と選別主義(ターゲティング)政策にみる(近田2013、118―119ページ)。12年に及ぶ 労働者党政権下での社会保障の展開は本号掲載の近田論文に任せるが、88年憲法に「社会秩 序」の編(第8編)を設け、それまで一部の階層にしか裨益していなかったセーフティーネッ トを国民全般に広げたのである。

この意味で、88年憲法の制定が社会保障に取り組む思想的な転換点になり、それを受けて

1996年に実施された「教育方針基本法」の改正およびその後の「初等教育の維持発展と教育

向上基金」の創設、「ボルサ・エスコーラ」(就学支援)や「全国中等教育テスト」、「大学促 進プログラム」の導入が教育の構造改善を推し進めた。保健医療では

1990年の「保健基本

法」の制定と公的医療制度(保健医療統一システム)の発足が、年金では

1992

年の「農村年 金」の定着、カルドーゾ、ルーラ両政権下での年金改革によって一定の前進をみた。社会扶 助の面では、貧困・極貧層に焦点を絞った選別主義政策によって負の連鎖を断ち切る手段が とられ、その代表例が「ボルサ・エスコーラ」を原型とした条件付き現金給付の「ボルサ・

ファミリア」である。

制度的な枠組みは作られた。しかしその一方で社会支出は急増(連邦政府の社会支出だけで も1995年のGDP対比11.2%から2010年には15.5%)し、財政逼迫の要因となっているほか、サ ービスの質が最低水準にとどまり国民の期待との間に大きな乖離が生じている。これが、サ

ッカー

W杯主催前年の 2013

年に、ほぼ

20年ぶりに発生し、全国規模に発展した民衆の抗議

行動の主たる原因になったと近田は分析している(Konta 2015, p. 112)。

4) 国家のかたち:市場・国家・市民社会のトライアングル

新生ブラジルのもうひとつの「新しさ」は、ブラジル自身が歴史的に経験した「国家の失 敗」「市場の失敗」を踏まえて、第3のアクターを積極登用しようとする姿にある。立命館大 学の小池洋一は次のように言う。

「ブラジルが創造しつつある開発の新たな枠組みは、市場、国家、市民社会という三つの 制度から構成され、それら三つが相互に協同、牽制しあう多元主義的な経済社会」(小池2014、

25ページ)である。その国家像として小池は、カルドーゾ政権下で初代の行政改革相を務め

たブレッセル・ペレイラの提唱する「社会自由主義国家」を挙げる。

「国家の失敗」は、外国への債務返済不能というきわめてドラスチックなかたちで国民の 目に歴然たる事実となったが、それだけでなく、中央集権化の下での過度な国家介入による 規律の欠如や、権限関係や人的ネットワークを使った特殊利益追求(レントシーキング)、恩 顧主義(クライエンテリズム)をはびこらせてきた。後者こそ、スキャンダルの根源的な原因 のひとつと言える。市場もまた、新自由主義の導入で国家の介入が制限され競争条件は作ら れたものの、その一方で情報格差などから国民間に機会の偏在を生じさせ、外資導入を急ぐ あまり安易な規制緩和措置をとることで、労働規制や環境規制まで緩和するソーシャルダン ピング競争に陥るといった失敗を繰り返してきた。

小池は、こうした国家と市場のリスクを規制する主体として、さらに開発の担い手として も市民社会・地域コミュニティーの役割が出てきたとの見方をとっている。88年憲法は、国 民主権の明言だけにとどまらず、国民投票といった国民全体にかけるケースもあるレファレ

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ンダム(特定法案の裁決権)、さらに人民発議の直接民主主義を採用し、市民の積極的なかか わりを想定している。1990年代以降、地方レベルで増えてきた住民参加型予算、住民や労働 者による自主運営の連帯経済、市民社会代表を加えた各種審議会の開催や企業の社会的責任

(CSR)への関心の高まりは、いずれもこうした流れを受けたものと言える。新生ブラジルの 挑戦は「開発の制度としてはそれぞれ不完全な国家、市場、市民社会を適正に組み合わせる ことで、経済発展と社会的公正を同時に実現しようとする試み」(小池2014、45ページ)で あるが、緒に就いた段階である点も付記している。

3 問われるガバナンス―枠組みと実態の齟齬をどう埋めるのか

1) 民主化30年の試練

以上

4つの側面から、民政移管後 30年のブラジルの変化を捉えてみると、単に政権の担い

手が変わったということにとどまらず、政治、経済、社会(社会保障および新アクターとして の市民社会)いずれの面においても制度変更を重ね、旧制度、とりわけ権威主義体制(軍政)

時代のトップダウンで物事が決まるシステムを変革しようとする果敢な姿勢がみてとれる。

しかるにこの試みは、民主化30年で新たな危機に直面する。全国規模に発展したデモのプ ラカードには、大統領に政治・経済混乱の責任をとらせ「インピーチメント(弾劾裁判)」に かけよとの表明が少なからずみられる。数こそ少ないものの「軍政復帰」を標榜する一団も 出てきている。しかしこれまでのところ、異議申し立ての内容が、値上げ反対から賃上げ要 求、医療、教育、インフラへの不満、一向に改善しない治安対策や汚職への抗議、大統領の 指導力や議会の機能不全への怒りときわめて幅広いことや、ソーシャル・ネットワーキン グ・サービス(SNS)多用による動員ということもあり、いまだひとつのまとまった要求・

運動体には収斂していない。

ブラジルが今、問われているのはガバナンス、すなわち「集合目的(collective goals)に向 け経済・社会をかじ取りする能力」(Pierre 2011, p. 996)ではないであろうか。『民主主義とブラ ジルの三権』(2003年)の著書をもつリオデジャネイロ・カトリック大学教授のヴィアンナ は、同国の有力誌『エポカ』のインタビューのなかで、現下の危機を「制度の危機」ではな く「統治能力の危機」と定義する(Vianna 2015, pp. 50–51)。

頻発するスキャンダルについても、従来みられなかった連邦警察や検察のきわめて厳しい 捜査姿勢に表われているように、むしろ「制度が厳格に機能している証左」であり、「危機の 収支は、一部の人が言っているのとは逆にブラジル政治の成熟になろう」(同上インタビュー)

との前向きな見方をしている。同様のことは、ペトロブラスやゼネコン大手が問われている コーポレートガバナンスや、大衆層の不満が強い医療や教育の質をどう担保するのかといっ たガバナンスについても言えることかもしれない。

新しい考え方を取り入れ枠組みは作られてきた。しかし、前述の「政治」の項でみたよう に、政治の方向性や政策を決定する変数が格段に増え合意形成が簡単ではないこと、「経済」

の項で指摘されたように構造調整やインフラ投資の遅れ、生産性の低さといった未解決な問 題が山積していること、「社会保障」の項でみた人々のニーズと財政の乖離、さらには「国家

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のかたち」の項で指摘された「国家の失敗」「市場の失敗」の多くが未処理のまま残され、国 家、市場と対置される市民社会の機能も緒に就いた段階であること―こうした齟齬を埋め るためには、「新生ブラジル」が作り上げてきた「集合目的」に向けかじ取りする能力、ガバ ナンスの強化があらゆる分野で不可欠である。そしてそのためには、政府はもとより、より 広くは企業やその他主体のアカウンタビリティー(国民に対してその活動について説明する責 任を負うこと)が不可欠と言える(高橋2015を参照した)。

民主主義の持続可能性(サステナビリティー)を論じた政治学者プシェヴォルスキになぞら えれば(プシェヴォルスキ1999)、ブラジルの「新しさ」の成果も、サステナブルなものにし うるかどうかにかかっている。Making Brazil Workと題する著書をもつブラジルの政治学者メ ロとペレイラは、ブラジルの民主主義の現況を「半分満杯・半分空(half-full and half empty)」 のグラスにたとえ、「高まる期待、不適切な施策、内在するエネルギー拡散の傾向が最近の制 度的 不安感 (malaise)を生む要因」(Melo and Pereira 2013, p. 168)になっていると指摘する。

2)「教育の祖国ブラジル」の含意

本稿最後に、ルセフ大統領が第2期就任時に国民に示した標語を紹介して終わりたい。ブ ラジル政府は、カルドーゾ政権以降それぞれ自分の政権期に統一標語を作り、独自のロゴと ともに政策発表時や政府イベント、閣僚の演説背景、そして出版物に活用してきた。2億人 の人口、日本の23倍の国土をもつ多様な人種、民族を抱えた国の知恵のひとつだ。

カルドーゾ大統領は「ブラジル全土のために働く」(Trabalhando em todo o Brasil)、続くルーラ 大統領は「皆のための国」(Um país para todos)、ルセフ政権第

1期は「豊かな国とは貧困のな

い国」(País rico é país sem pobreza)であった。そして同大統領2期目の標語は「教育の祖国ブ ラジル」(Brasil, Pátria Educadora)である。教育が最優先事項であると同時に、「政府の施策が 市民センスを有し、倫理を公約し、共和的な感性をもつものであることを伝え続けなければ ならない」(Rousseff 2015)との思いからの選択であった。

当面、山積みの危機をどう乗り越えるかその対応が注目されることになろうが、新生ブラ ジルをサステナブルにしうるかどうかは、国を挙げての自己研鑽にかかっていることを、ル セフ大統領2期目の標語はいみじくも物語っている。

■参考文献

小池洋一(2014)『社会自由主義国家―ブラジルの「第三の道」、新評論。

近田亮平編(2013)『躍動するブラジル―新しい変容と挑戦』、アジア経済研究所。うち第4章「社会 保障における普遍主義の整備と選別主義の試み」

高橋百合子編(2015)『アカウンタビリティ改革の政治学』、有 閣。

浜口伸明(2013)「ブラジルの新自由主義―『幸運な自由化』はなぜ可能だったか」、村上勇介・仙石 学編『ネオリベラリズムの実践現場―中東欧・ロシアとラテンアメリカ』、京都大学学術出版会。

浜口伸明・河合沙織(2013)「ブラジル経済の新しい秩序と進歩」、近田亮平編(2013)

プシェヴォルスキ、アダム編著(1999)『サステナブル・デモクラシー』(内山秀夫訳)、日本経済評論 社。

堀坂浩太郎(2012)『ブラジル―跳躍の軌跡』、岩波新書。

堀坂浩太郎(2013)「民主化と現在進行形の政治改革」、近田亮平編(2013)

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矢谷通朗編訳(1991)『ブラジル連邦共和国憲法―1988年』、アジア経済研究所。

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Kawai, Saori(2015)“A New ‘Order and Progress’ in the Brazilian Economy,” in Ryohei Konta ed., The Post-New Brazil, Chiba: Institute of Developing Economies(http://www.ide.go.jp/).

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Melo, Marcus André, and Carlos Pereira(2013)Making Brazil Work: Checking the President in a Multiparty System, Houndmills: Palgrave Macmillan.

Pierre, Jon(2011)“Governance, Administration Policies,” in International Encyclopedia of Political Science, Vol. 4, Thousand Oaks: SAGE Publications.

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Roett, Riordan(2010)The New Brazil, Washington, D.C.: Brookings Institution Press.

Rousseff, Dilma(2015)“Speech by the President of the Republic, Dilma Rousseff-Brazilian National Congress- January 1st 2015,” http://www2.planalto.gov.br/acompanhe-o-planalto/discursos/discursos-da-presidenta/speech- by-the-president-of-the-republic-dilma-rousseff-brazilian-national-congress-january-1st-2015.

Vianna, Luiz Werneck(2015)“Debates e provocações: o otimista,” Época, July 13.

ほりさか・こうたろう 上智大学名誉教授

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