社会人・編入学Ⅲ-1
2022年3月5日 ( 土 ) 実 施
2022年 度 社 会 人 入 試 Ⅲ 期 ・ 編 入 学 Ⅲ 期
設 問
問 題 文 を 読 み 、 以 下 の 設 問 に 答 え な さ い 。
設 問 1
自 分 の 言 葉 で 自 分 の 物 語 を 語 る 難 し さ に つ い て 筆 者 は ど の よ う に 論 じ て い る か 、 400字 以 内 で ま と め な さ い 。
設 問 2
自 分 の 言 葉 で 自 分 の 実 感 を 語 る こ と に つ い て 、 あ な た 自 身 の 体 験 を 交 え て 、 あ な た の 考 え を600字 以 内 で 述 べ な さ い 。
問 題 文
今の社会では、こういうことを言ったら馬鹿にされるかもとか、やばい人だと思われるか もしれない、という不安や怯おびえが日常化しています。空気を読んで、問題が起きないように 語った受け売りの言葉を、自分の意見だと自動的に思い込むようにさえなっている。誰もが 口にして大丈夫な認証済みの意見を、自分も口にすることで、社会のマジョリティの一員だ という安心感がもたらされるわけです。
だから逆に、誰かが己に正直な発言をすると、その人にイラつき、軽蔑して、攻撃したく なってしまう。その軽蔑と攻撃は、本当は正直な発言をできない抑圧された自分に対して向 けられているはずなのに。
これが、今の社会の、「沈黙を強いるメカニズム」の本体だと思います。自分の言葉で自 分の物語を語れない。弱さを見せられない。己のその空虚さが、他人の充実を許さないとい う態度であらわれる。言葉として表すことができず、暴力として出てしまう。それは、本当 は自分の言葉で自分を語りたいという、叫びのようなものに思えます。
そして、今や為政者など大きな権限を持つ人たちが、この暴力を利用している。自分たち に都合の悪い者たちを黙らせるために、「自分勝手に意思表示する人間を野放しにしておい ていいのか?」と、空虚さを抱えているマジョリティの劣情を刺激し、煽あおり立てているのが 現状ではないでしょうか。これが、すべてが敵か味方かに分けられる二項対立的な言説の正 体だと僕は思います。
そんな今だからこそ、文学が必要です。文学は答えをもたらすものではありません。道を 示すものでもありません。書く者、読む者が、それぞれの存在を感じるための言葉です。音 楽をつくったり奏でたりできるようになるためには音楽をたくさん聞く必要があるように、
自分の中から実感のある言葉を見つけられるようになるためには、他人の言葉を深く読み込
社会人・編入学Ⅲ-2
むことが重要です。他人の言葉に耳を傾けられない人には、自分の言葉を語ることもできな いでしょう。
ネットでは、一見、自分を語る言葉があふれ、誰もが言葉を発する機会は増えているよう に見えます。けれど、それらの多くは自分の実感を自分の言葉で語ったものとはいえないと 思います。他人に読まれることへの意識のほうが強く、外の目線に価値基準が置かれたまま、
既存の言葉や物語を選んでいるからです。あるいは、自分の中の深いところまでは見つめず、
むしろそこから目をそらすために書いている文章であったりするからです。
他人の目を考えずに、自分の無意識にまで潜って言葉を発するには、勇気がいります。簡 単には言葉にならないこともあるでしょう。けれど、根気強く、それらを言語化してみるこ とは、自分が自分を認めることの第一歩だと思います。
(中略)
京都に直指庵じ き し あ んというお寺があります。そこには悩みなどを自由に綴つづってよいノートが置い てあって、寺を訪れるたくさんの人がそこに文章を書いて自分を見つめるそうです。これま で書かれたノートの冊数は5000冊だとか。誰が読むかわからないし、書いたからといってリ アクションがあるわけでもない。それでも、それぞれの人が言葉にならないことを言葉にし て書いていく。書いた人には、誰かに読んでほしい、誰かに伝えたい、という気持ちもある のだろうと思います。
このノートこそが文学の現場だと思います。僕は路上文学賞に限らず、誰もが文学を書く べきだと思っていて、日頃からしつこくそのように勧めまくっています。ノートに数行走り 書きしただけの文章でもよいのです。文学が短歌になる人もいるだろうし、SF小説になる 人もいるでしょう。こういう言葉でなら表現できるかもしれないと自分の魂が震えるような 言語芸術と出会えたら、それがその人の文学です。
自分の核となる部分を表現した言葉は、時として他人とぶつかることもあると思います。
それでも、そんな言葉を持てず、自分の実感のないまま生きて、暴力でしか表現できないよ り、ずっと前向きな衝突です。
どんな人も、自分以外にはなれません。誰もが、自分個人という、替えのきかないマイノ リティです。自分の存在を表す言葉は個人の言語であり、マジョリティの言語でも物語でも ない。だから、マジョリティの物語に置き換えたら、自分が消えてしまうのは当然です。自 分が消えたことを埋めようとして、大きな物語に自分を無理やり当てはめようとする人もい ます。例えば、日本人は優秀な民族であり、自分はそんな日本人の一員である、というよう な大きな物語。自分個人の物語ではないものを無理に自分に背負わせているがゆえに、そう しない者たちを許せなくなる。自分の物語を表現しようとする者たちを黙らせようとする。
そうした沈黙を強いるものに対抗するには、ただひらすらに個人の言葉を探し続けるしか ないのです。
出典:星野智幸「沈黙を強いるメカニズムに抗して」入江杏編著『悲しみとともにどう生き るか』集英社新書,2020