2月3日 奈良県生駒郡斑鳩町 法隆寺西円堂 追儺会
鬼なるもの、毘沙門も大字西里の青年。手引きは岡本から出る。三々九度の松明投げ。
毎年2月1日より3日の間、勅会として西円堂で修二会が行われた後その結願日に引続いて追儺式がある。
修二会は西円堂の本尊薬師如来の前で、薬師悔過を執行するのである。追儺はもと寺内の堂僧らが勤めていたよ うであるが現在は、法隆寺に近い岡本という大字から、年番順に 5人が出て勤める。別に家柄での差別はなく、岡 本で生れ岡本で育った者に限る。鬼を勤めるものは青年であるが、家でも精進を続けつゝ当日は西円堂の後にある 庫裡に来て、まづ風呂に入り、身体を清めて、後一堂集って「鬼の酒」を飲む。
当日薬師悔過が終わって、大導師が礼盤にのぼり中札をとった後、大衆が五大願を唱え、鐘を打つ。下﨟が順に1 人ずつ座を立って供坊(庫裡)へ帰る途中を鬼どもが待ちかまえて狼藉をしようとする。それを堂衆が加持杖と牛 王杖で追放うが、その後からやって来た学衆 9 人と導師が堂衆に加勢して北正面で鬼を追儺する様を表わしたとい う。
現在は黒衣の僧が西円堂内の鐘撞き台に昇って鐘を打ち、太鼓を打つ。これを七度の催促という。
3度目位から供坊の奥の1間で、そろそろ鬼の着付が始まる。
黒鬼、赤鬼、青鬼とこれを追う毘沙門天であるが、黒鬼面は鎌倉時代の古面らしい。
黒鬼は斧、青鬼は鉄棒、赤鬼は剣を持つ。毘沙門天は鉾を持つ。
着付をするものは大字西里の人々に限る。西里は西円寺の西に続く大字で、西里の人々が衣装付をする外に「鬼 の手引き」という少年を出す。鬼は眼が空いていないので鼻の穴から外を見るだけで足元が危いので手引きに手を 曳かれて、西円堂の廻廊に昇り、手引きの持つ松明の明りで廻廊を廻るのである。
鬼は西円堂の廻廊に昇るとき左手に松明を受採る。この松明の火は供坊の土間に焚いた火から移す。松のジン 3
本束ねた1m位の長さの松明で北面から昇ると、まづそこで左手の松明を群衆に向って投げ飛ばす。どこへ飛ぶか分
らない。世話人がすぐそれを拾って、来て、手引に渡す。手引は今まで持っていた松明を鬼に渡し、鬼の手を引い て廻廊を左廻りに廻り、東面して、また投げる。昇段は青、赤、黒の鬼の順で青鬼が東正面に廻ったとき次の赤鬼 が北正面に昇る。松明を投げる。次いで45度廻って、青は南、赤は東、黒が北という風に廻り、次いで毘沙門天が 昇段する。毘沙門天は手引が松明をかざすだけで、自分では松明を投げない。
各鬼も毘沙門天もこのようにして堂縁を 3 周する。鬼は三々九度松明を投げるわけで、荒々しく、遠くえ飛ばす 程、その年は豊作だという。3度目に北面へ来た鬼は、そのまゝ庫裡へ駈け来みついで毘沙門天も駆け込む。鬼はこ れで追われたことになる。
供坊へ退散するとき北正面で導師から 1 人々々額に牛王宝印を押して頂いて退散する。手引も押して貰う。その あとで群集も順々に押して貰う人がある。午後8時頃から約1時間程の行事である。
鬼が廻る間中、堂内では太鼓を打ち、金剛杖、錫杖をふり鳴す。
庫裡へ帰った諸役は、衣装を解いて一同揃って「鬼の膳」につく。
午後6時50分、天王寺発亀山行きに乗車王寺にて下車。駅前より法隆寺行きバスに乗る。終点でバスを降りると、
すぐそこに見なれた参道の杉並木が暗闇の中に続いて居た。中門を入り、足もとに注意し乍ら、左手に進んでいく と、やがて目が慣れてきたのか、西円堂へ向う人が三々五々あることが判って来て、ほっとした。石段を昇ると、
お堂の周辺に、すでに可成りの見物人が集って居た。
やがて西円堂の間で催促の鐘と太鼓が喧噪に打鳴らされたが、鬼はまだまだ出て来そうもないので、庫裡へ行っ てみた。此処で今年、息子が鬼に出ると云う男の人から、話を聞いた。
鬼追式には、昔から岡本と云う大字から年順で 5 軒が出て、赤鬼、青鬼、黒鬼、毘沙門を勤める。この家柄は岡 本で生れ、育った者に限る。鬼をつとめる人は、家でも精進をつとめ、当日、西円堂庫裡へ来て、先づ風呂に入り、
躰を清めて後、「鬼の酒」を飲む。日当は出ない。お堂で七度半のさいそくが打鳴らされるとそろそろ奥の1部屋で、
装束つけが始る。この装束をつける人々は、西里と云う大字から出るのであるが、この西里からは、又、「鬼の手引 き」と云う役の少年も出す。鬼は面の鼻の穴から外を見るわけで、足元が危いので、1人宛手引きに手をひかれて、
西円堂へ出て行く。
午後8時頃、鬼追式が始ったが、これはまた何とも荒っぽい鬼であった。北面から堂に昇り、先づ、そこで1節 所作をやった後、火のついた松明を片手で、見物衆の方へ投げつけるのである。同じことを、東南西の正面で繰返 し乍ら西円堂を3周する。即ち三々九度、やるわけである。この時も
手引きの少年に、手をひかれて、堂をまわる。これが、赤、青、黒、毘沙門と続いてお堂へ上るので、松明を投 げそうになると、その方面の見物衆の青年達は、わざと喚声をあげる、と、そちらをめがけて、高校 3 年生の赤鬼 などは、力一ぱいに、投げつけるのであるから、誠にスリリングであった。☆かくて、西円堂を3 周した鬼は、北 正面へ戻って来て、此処で僧侶に牛王印を額に押当てゝ貰って、庫裡へ退場する。こゝで再び、一同膳につき、鬼 の酒を飲むらしい。
☆しかし、火による粗相は今までに 1 度もなく、消防署から注意を受けて松明を投げるのを控えた年は、不作だ ったと云う。やはり、鬼が暴れた年ほど、豊作だと云う。