はじめに
小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題、中国における反日デモ等によって低迷していた日 中関係が、2006年
10月の安倍晋三総理訪中を契機に、
「戦略的互恵関係」をキーワードとし て、回復に向かい、2007年4月の温家宝総理訪日によりその流れはひとまず定着した。2007 年12月には福田康夫首相が訪中し、本年4月頃には胡錦濤国家主席の訪日が予定されている。
このような状況は、両国関係のみならず、アジア太平洋地域の安定の観点からも歓迎すべ きことである。しかしながら、両国関係の改善はまだ緒に就いたばかりであり、決して良 好な状態で安定したわけではない。本稿は、両国関係のキーワードとなった「戦略的互恵 関係」という表現の検討に基づいて、日中関係の現状を評価し、関係改善を追求するに当 たって留意すべき問題を明らかにしようとするものである。
1
「戦略的互恵関係」について「戦略的互恵関係」という表現が公式の表現として公開の場で初めて使用されたのは、
2006年 10月 8
日、温家宝総理、胡錦濤国家主席、呉邦国全国人民代表大会(全人代)委員長との会談の後に行なわれた安倍総理の内外記者会見においてであった。安倍総理は質疑応 答の前の冒頭発言で「(政治と経済という)両輪を作動させていくことによって日中関係を高 度の次元に高め、全世界の課題の解決に取り組む戦略的互恵関係を築いていくことで一致 した」と述べたのである(1)。いくつかの日本の主要紙は「戦略的互恵関係」という表現を新 たな段階に入った日中関係の「キーワード」として大々的に報じた(2)。
しかし、当時の状況にはこのような楽観的認識と相容れない側面があったことも否定で きない。まず、中国側の報道がこの表現に対する関心を一切示しておらず、安倍首相の中 国首脳との会談は叙事的な見出しで淡々と報じられているにすぎない(3)ことである。また、
『朝日新聞』は、この表現が安倍首相により提起され、胡錦濤主席が同意したとして、政治 体制が異なり同盟国でもない中国との関係に日本側がこの表現を用いたことの意義を強調 した(4)。しかし中国側の報道にはそのような記述はなく、温家宝総理との会談の報道はむし ろ、温家宝総理が日中関係の発展に関する
5点の意見を提示したなかで「戦略性
・
互恵関係」
(傍点筆者)の構築を通じて「平和共存、世代友好、互利協力、共同発展」という目標を実 現すべきであると述べたとしている(5)のである。特に奇妙なのは、首脳会談を受けて
10月8
日に発表された「共同プレス発表」(6)にはこの表現が一切用いられていないことである。安 倍総理は上記の内外記者会見で、共同プレス発表に出てくる「共通の戦略的利益に立脚し た互恵関係(基于共同戦略利益的互恵関係)」という表現が「戦略的互恵関係」の意味である ことを明言したが、中国側では公式にそのような説明が行なわれた形跡はない。日中関係 の新段階を象徴するキーワードの登場にしては消極的な対応と言わざるをえない。少なく とも安倍訪中当初には中国側に「戦略的互恵関係」を新たな段階を示すキーワードとする ことに対する躊躇があったと思われる。
「戦略的互恵関係」(中国語は「戦略互恵関係」)という表現は、温家宝総理訪日の際に発表 された「共同プレス発表」(7)において公式に「共通の戦略的利益に立脚した互恵関係」の簡 略表現として提示された。このように理解するならば、「戦略的互恵関係」というのは、安 倍総理訪中当時しばしば引き合いに出された中国の「戦略的パートナーシップ」とはかな り異なるものである。中国は
1996年にロシアと「戦略的パートナーシップ」を結び、以後
世界の多極化を推進すべく、多極構造において極となりうると判断された大国や地域機構 と次々と「戦略的パートナーシップ」関係を結んだ。その際、「戦略的」とは個別の問題を 超えた全局性と長期性を意味するものと説明されたが、「戦略的パートナーシップ」という 場合は「パートナーシップ」を結ぶこと自体にこのような意味での「戦略的」意義がある という判断が内包されている(8)。「戦略的互恵関係」も同じように考えれば、「互恵関係」を 結ぶことに戦略的意義が認められているということを意味すると考えるのが自然であるが、本来の規定はそのように考えることができないことを示している。「共同プレス発表」によ る限り、両国が追求することに合意した関係はあくまで「共通の戦略的利益」の存在を前 提とするものなのである。したがって、安倍総理訪中以降の日中関係を「戦略的互恵関係」
という観点から評価するためには、両国の「共通の戦略的利益」がどのように規定されて いるかを確認するとともに、両国の戦略的利益が一致しない場合への対応を検討する必要 があるのである。
「共通の戦略的利益に立脚した互恵関係」の内容は、安倍総理訪中の際の共同プレス発表 では、抽象的・原則論的に簡潔に述べられていたにすぎなかった。しかし、温家宝総理訪 日の際の共同プレス発表では、「戦略的互恵関係」という短縮表現を用いつつ、その内容が、
基本精神、基本内容、構築のための具体的な協力、というようにきわめて体系的に提示さ れている。
温家宝訪日の際の共同プレス発表は、何が「共通の戦略的利益」であるかを明示的に提 示してはいないが、それを精査すると「共通の戦略的利益」には相互的なものと同一的な ものが含まれていることが明らかになる。「相互的」な戦略的共通利益とは、相互に相手国 の立場や政策の一定のあり方を戦略的利益とするもので、その具体的内容が一定の類似性 を有しているものである。そのようなものとして共同プレス発表が挙げているのは、平和 的発展に対する相手国の支持、相手国の自国に対する信頼、相手国人民の自国人民に対す る理解と友好感情である。他方、「同一的」戦略的共通利益として挙げられているのは、あ えて「総論賛成、各論反対」の可能性にこだわらず列挙するとすれば、共同発展、東北ア
ジアの平和と安定、朝鮮半島問題の平和的解決(特に非核化)、安保理改革を含む国連改革、
東南アジア諸国連合(ASEAN)の重要な作用、「開放性、透明性、包含性」を原則とする東 アジア地域協力の促進である。もちろん、このリストは固定的に捉えられるべきものでは なく、その拡大に努力することが「戦略的互恵関係」の「基本精神」とされている。
「共通の戦略的利益」を実現するための具体的協力措置として、2007年
4
月の共同プレス 発表は、対話と交流の強化・相互理解の増進を目的とする6項目、互恵協力の強化を目的と する9項目、地域・国際社会における協力を目的とする4項目を列挙しているのである。な お興味深いことに、比較的短期的に解決が図られるべき東シナ海におけるエネルギーの共 同開発の問題は、「戦略的互恵関係」とは別の項目として、その地域が「双方に受け入れ可 能な比較的広い海域」になることと協議の加速が述べられている。また、安倍総理訪中の 際に合意された歴史共同研究についても触れられていない。2
「戦略的互恵関係」構築の進展具体的な協力措置は基本的に今日まで着実に実施されている。そのうち最も顕著な進展 をみせたのは「対話と交流強化」措置である。首脳レベルの交流について、共同プレス発 表は「頻繁な往来を維持するとともに、国際会議の場において引き続き頻繁に会談を行な う」としているが、温家宝総理の訪日以後
2007年中に安倍総理と胡錦濤国家主席の主要国
首脳会議(G8サミット)における首脳会談(6月9
日)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳夕食会における実質的会談(9月
8
日)、福田総理と温家宝総理の就任直後の電話会談(9 月28日)、ASEAN関連首脳会議における首脳会談(11月20日)
とまさに頻繁に実施され、年 末ぎりぎりのタイミングで福田総理の訪中も実施された。首脳の相互訪問にあたっては双方とも両国民の相手国に対する感情を和らげる努力をし た。温家宝総理は国会で演説し、歴史認識問題に関して「日本政府と日本の指導者は侵略 を公に認め、そして被害国に対して深い反省とお詫びを表明した」ことを認めた(9)が、こ の演説は本国にも中継された。福田総理も北京大学で演説し、両国がアジアおよび世界の 良き未来を築き上げていく「創造的パートナー」となるべきと呼びかけたが、この演説も 中国で全国に生中継された。福田総理はまた、孔子の故郷である曲阜を訪れ、中国文明に 対する敬意を表明した。
さまざまな機能面での対話と協力も急速に進展した。なかでも画期的な進展をみせたの は防衛分野の交流であった。8月末には曹剛川中央軍事委員会副主席・国防部長が、9年間 途絶えていた訪日を実施して、日本側と「海上における不測事態を防止し、東シナ海の平 和を維持するため、日中防衛当局間の連絡メカニズムを設置すること」を確認し、そのた めの専門家作業グループを早期に開催することで一致した(10)。11月末には人民解放軍海軍 のミサイル駆逐艦深 による
4
日間の「友好訪問」が実施された。中国海軍と海上自衛隊の 艦艇の相互訪問は、1998年に原則上の合意が成立し、2002年に実施の運びとなっていたが、その直前に行なわれた小泉総理の靖国神社参拝のために中止されてしまったものである。
この度ついにそれが実現したことは、日中間の信頼醸成にとって重要な一歩を記すものと
言ってよい。
温家宝総理訪日の際には「環境保護協力の一層の強化に関する共同声明」が署名され、
「ハイレベル経済対話」が立ち上げられた。「ハイレベル経済対話」は、2007年
12
月1
日に 第1回会合が実施され、日本側から6
人の閣僚、中国側からも同格の指導者6人が出席した。
そこでは、マクロ経済、気候変動・環境保護・エネルギー、貿易・投資、地域経済協力、
アフリカ開発等広範な対話が行なわれた。その他、青少年交流、羽田・虹橋(上海)間の直 行航空便、スポーツ交流、日本産米の中国輸出、中国朱鷺の提供、中小企業博覧会、刑事 共助条約交渉等、温家宝総理訪日の際の「共同プレス発表」に挙げられた具体的措置は着 実に実施された。
以上のような展開の結果として、2007年
10月に実施された内閣府の「外交に関する世論
調査」によれば、日中関係について「良好だと思う」と答えたものは、2006年10月の21.7%から明確に増加し、26.4%に達している(11)。
しかしながら、すべてが順調であったわけでなく、関係改善も依然として限定的なもの にとどまっていることも否定できない。11月末の深 号の友好訪問の際には、当初予定さ れていた中国側によるイージス艦「きりしま」の視察が、防衛機密の漏洩を懸念する在日 米軍の抗議で中止されたと報じられた(12)。12月の第1回ハイレベル経済対話の際も、そのプ レス発表が日中で食い違い、日本側が人民元の実効為替レートのより速いペースでの増価 許容に向けた中国の努力に期待を表明した、とする個所が中国語版からは削除されていた(13)。 温家宝総理訪日の際には、東シナ海におけるエネルギー開発に関する協議を加速させ、2007 年秋には共同開発の具体的方策につき首脳に報告する、という共通認識に達したが、その ような報告書がその後提出されたことはなく、この問題は同年12月末の福田総理訪中に向 けて双方が解決に努力したが、依然として合意には至らなかった。
国民感情レベルの改善も依然として限定的である。確かに、前掲の内閣府調査によれば 日中関係が「良好だと思う」という答は前年と比べると明確に増加したが、「良好だと思わ ない」という答は2006年の
70.7%から 2007年の 68.0%へというわずかな減少しかしておらず、
しかも後者は前者の倍以上の値を示している(14)。さらに深刻なのは、同じ調査で、中国に対 して「親しみを感じる」とする答が2006年
10月の 34.3%
と比べて2007
年10月の 34.0%
とほ とんど変化しておらず、「親しみを感じない」とする答は2006
年の61.6%
から2007
年の63.5%へと、わずかながら増加していることである。なお 2007年の「親しみを感じる」とい
う回答は、春に反日デモがあった
2005年の 10
月の32.4%に比べればわずかながら増加して いるが、2007年の「親しみを感じない」という回答は2005
年の63.4%
と同水準である(15)。 中国の対日感情に顕著な改善がみられたとするデータもない。むしろ、中国産冷凍餃子を めぐる最近の事態は日中の国民の間の相互信頼がいかに希薄なものであるかを如実に示し ている。3
戦略的利益の不一致日中が明示的に認定した「共通の戦略的利益」の実現に向けての双方の努力は、以上に
みるように、一定の進展をみせてきたが、依然としてその成果は限定的である。しかし、
日中関係全体からみると、それ以上に重要なのは、第
1
節で提示した「共通の戦略的利益」によって日中両国の戦略的利益が尽くされるものでなく、両国それぞれの戦略的利益には 必ずしも共通でないものがあることである。もちろんすでに指摘したように、戦略的利益 の共通性は固定的に捉えるべきものではなく、両国はその拡大に努力することで一致して いる。しかしながら、両国の戦略的利益が容易に共通にならない場合があることを冷静に 認識し、それに対して的確に対応することも「戦略的互恵関係」の構築には不可欠である。
そこで以下においては、両国それぞれの戦略的利益のうち相手国の戦略的利益と一致し ないものを一つずつ取り上げ、若干の検討を加えることとする。なお、「戦略的利益」の概 念規定に関しては、あえて詳細な議論に入ることを避け、国のあり方の根本にかかわる長 期的・全般的利益と定義しておく。また、両国の戦略的利益の不一致は、必ずしも対立的 関係を意味するわけではなく、一方の戦略的利益に対して他方がアンビバレントであった り、中立的である場合もありうることを念頭に置いておきたい。
(1) 中国のみの戦略的利益
明らかに中国の戦略的利益であって「共通の戦略的利益」に挙げられていないのは台湾 の統一である。中国にとっての台湾問題の重要性は多言を要しない。温家宝総理は訪日の 際の国会演説で、日中関係推進に必要な5原則のうちの第
1
に相互信頼を挙げ、その重要性 を抽象的に論じた後、いささか唐突に中国の核心的利益としての台湾問題に触れた。そし て「台湾独立」の絶対拒否を強調するとともに、日本側に台湾問題の高度な敏感性を認識 し、約束を厳守し、慎重に振る舞うことを求めたのである(16)。中国による台湾の統一と日本の戦略的利益の関係については、日本の一部およびより多 数の台湾の関係者の間に、これを必然的に対立するものと捉える考え方があり、中国にも そのような疑惑や懸念があることは確かである。しかし日本の戦略的利益と中国による台 湾統一の関係は必ずしも対立的であるとは言えない。日本の戦略的利益にとっての問題は、
中国が台湾を統一するか否かではなく、その実現の仕方にある。中国が武力によって台湾 統一を実現しようとすれば、日本の戦略的利益にとって決して望ましい事態ではない。そ のような場合には、日本国内でも中国脅威論が高まり、「脅威としての中国」への対応とし て台湾の戦略的価値を高く評価する議論が勢いを増す可能性がある。
日本の戦略的利益は台湾統一の中国にとっての重要性を否定するものではないが、あく までその平和的実現が条件であり、2005年
2月に「日米共通戦略目標」として発表されたよ
うに、「台湾海峡をめぐる問題の対話を通じた平和的解決」(17)にあるのである。福田総理も 訪中の際の温家宝総理との会談で、「心から平和解決を望んでおり、そのための(中台)対 話の再開を強く希望している、したがって、一方的な現状変更の試みは支持できない、こ の観点から、台湾の公民投票をめぐって両岸に緊張が高まるようなことは望んでおらず、また、これが一方的な現状変更につながっていくのであれば支持できない」旨表明した(18)。 この会談について、その後の共同内外記者会見で温家宝総理は福田総理が「一つの中国を 堅持し、『台湾独立』反・対・の立場を表明したことを重視する」(傍点筆者)と述べた(19)が、福
田総理は「反対」を「支持しない」と訂正した(20)。また、本年
3月の台湾の総統選挙の際に
陳水扁政権が実施しようとしている「公民投票」についても、福田総理が支持しないと表 明したことを評価すると温家宝総理が述べると、福田総理はそれには「一方的な現状変化 につながっていくのであれば」という前提条件があることを明言した(21)。不支持を表明す ることによって中国側に歩み寄ったが、依然中国とは微妙に距離を置いているのである。中国の台湾政策に関して、2002年
11
月の中国共産党第16
回全国代表大会(十六全大会)で行なわれた江沢民総書記の報告と
2007
年10月の十七全大会における胡錦濤総書記の報告
を比較すると、胡錦濤政権が、少なくとも短期的には、かなり柔軟な対応をしようとして いることがうかがえる。二つの報告の内容には重複する点が多いが、興味深いのは江沢民 報告にあって胡錦濤報告に欠けている内容である。江沢民報告には「1日も早く(早日)台 湾問題を解決するために」といった焦燥感を示す表現があるが、胡錦濤報告にはこのよう な表現はない。江沢民報告は、台湾同胞に対するものでないという限定付きではあるが、「武力行使の放棄にコミットしない」と明言しているが、胡錦濤報告は一切武力行使に触れ ていない。江沢民報告は、台湾問題は「無限に引き延ばすことはできない」と、2000年の
「台湾白書」に挙げられている対台湾武力行使の一つの条件(22)を想起させる表現を用いてい るが、胡錦濤報告にはこのような内容はない。これらの違いは、胡錦濤政権が台湾問題に 短期的に決着を付けようとしていないことを示すものであろう。胡錦濤政権にとっての当 面の問題は台湾の独立に対する国際的承認の阻止であって統一の追求ではないのである。
また胡錦濤報告が、1980年代以降中国が強調し、江沢民報告にも言及されている「一国二 制度」という統一方式に言及していないことは、従来の枠を超えた柔軟な解決策を模索し ていることを示唆している。
(2) 日本のみの戦略的利益
日本の戦略的利益であることの明白な日米安全保障体制の維持・強化が「共通の戦略的 利益」に挙げられていないのはきわめて自然なこととも言える。しかし、冷戦後における 中国の国益と日米安全保障体制は必ずしも対立関係にあるわけではない。両者の関係につ いては、すでにバニング・ギャレットとボニー・グレーザーが、1995―
97
年に実施した中 国の安全保障問題の専門家や官僚のインタヴューに基づき、要領の良い整理をしている。それによると、全体的にみれば日米安保体制は中国にとってプラスである。それは、日本 の地域的覇権の抑止、日本の軍事力増強の抑制と国外展開能力の制約、中国の経済・政 治・軍事力強化を懸念するアジア諸国への保障、アジア太平洋地域の安定への貢献等の作 用が認められるからである。したがって日米間の過度の摩擦や日米安保体制の破綻は、米 国の対日影響力の低下、日本の軍事力増強(特に核武装)をもたらしかねず、決して歓迎す べき事態ではない。しかしながら、日米安全保障体制の緊密化・強化も中国にとって望ま しいものではない。日米中関係における中国の地位(対日および対米影響力)が低下し、両 国が共同で軍事力の透明性、人権問題、貿易問題、南シナ海の領有権紛争等に関して中国 に圧力をかけてくる可能性が高まるからである。言うまでもなく、その最悪のシナリオは 対中共同封じ込めであり、最大の懸念は台湾問題のおける日米の軍事協力である。要する
に、中国にとって最も望ましい日米安全保障体制のあり方は「緊密すぎず、疎遠すぎず」
ということになるのである(23)。
日米安保体制は、1990年代に入ると、冷戦構造の崩壊、日米経済摩擦の激化等により
「漂流」状態に陥った。中国にとって当時(1990年代前半)の日米関係は基本的にきわめて 望ましい状態にあった。中国では日米同盟が構造的変革期にあるという見方が強まり、日 本が経済大国から政治大国への転換を志向し、米国との経済・科学技術領域の競争が激化 し、アジア太平洋地域における米国との主導権争いが激化していること等がその要因とし て指摘されていた。しかしながら両国の経済的相互依存、安全保障上の共通の必要性によ り、同盟関係の基本的枠組みは維持されるとみていた(24)のである。日米安保体制に対する このような評価は、当時アジア太平洋地域に「多中心構造」が形成されつつあるという当 時の中国の楽観的な国際状況認識の基本的要因の一つであった。
1996
年4月の日米共同宣言による日米安保体制の再確認(再定義)は中国に大きな衝撃を もたらした。共同宣言はソ連という潜在敵が消失した後の日米安保体制の意義を地域の安 定化作用に求め、中国に関してはその地域における「肯定的かつ建設的役割」の重要性を 強調し、そのために中国と「協力を更に深めていくことに対する関心」の共有を述べてい た。しかし、中国はこの共同宣言によって、日米安保体制の適用範囲がアジア太平洋地域 に拡大し、米軍の行動に対する自衛隊の参加の範囲が拡大し、軍事協力の内容が基地の提 供からより広範なものになったと考え、日米安保体制が「楯」から「剣」に変化したとし たのである。特に、日米安保共同宣言を契機に1997年に改訂された「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)が、「周辺地域」有事における協力を挙げながら、その地域に台湾が含まれ ないことを明言しなかったことに強く反発した。また、中国のこのような否定的反応の根 底には、さらに、日本の自衛力増強、日本の政治的「右傾化」、日米枢軸の形成によるアジ ア太平洋地域の「多中心構造」の動揺に対する懸念があった(25)。
安保共同宣言以降、日米安保体制の強化は急速に進展し、中国はこれに強い危機感を表 明した。新防衛協力指針の実効性を法的に担保する周辺事態安全確保法が1999年5月に成立 すると、中国の安全保障専門家たちは日本の「専守防衛放棄」を強く非難し、日米同盟を 中国の安全にとっての「重大な脅威」とする認識を表明した。1999年
8
月には日米のミサイ ル防衛に関する共同技術研究が開始されたが、中国はミサイル防衛を必ずしも防御的兵器 とみなさず、また、台湾への適用可能性をも考慮して、これに強く反発した(26)。2001年 9
月11
日に米国で同時多発テロが生起すると、日本政府は早くも10
月5
日にイン ド洋に海上自衛隊を派遣してアフガニスタン作戦に従事する米国等の艦船に対する石油等 の補給を実施することを定めた「対テロ特別措置法」を国会に提出し、同法は10
月末に国 会を通過した。これにより、日米の安全保障面における結束は一段と強化されたが、10月8 日に急遽訪中した小泉純一郎総理との会談で江沢民国家主席は、アジアにおける警戒感に 言及しつつも、同法案に対する理解を表明した(27)。中国もテロとの戦いにおいては基本的 立場を共有しており、この機会を利用して対米協力による関係改善を図っていたのである。しかし、中国側の日米安保体制強化に対する懸念がなくなったわけではなく、メディアで
は自衛隊の活動範囲の「無限」拡大、戦時派遣の先例、専守防衛の放棄、対テロ特措法制 定の「異例のスピード」に対する警戒感が頻繁に表明されていた。
9・ 11同時多発テロ以降、日米安全保障体制の強化は米軍の変革および世界的再編成との
密接な連関の下に一段と進展した。両国はこの過程を、共通戦略目標の認定、自衛隊と米 軍の任務・役割・能力の検討、在日米軍の兵力構成の見直しという段階を踏んで実施する ことで合意し、米国の国防長官と国務長官および日本の外務大臣と防衛庁長官による日米 安全保障協議委員会(「2プラス
2」
)を重ねた。日米の共通戦略目標は、2005年2
月19
日の「2プラス
2」の共同発表で明らかにされたが、そのなかで地域レベルの共通戦略目標の一つ
に「台湾海峡をめぐる問題の対話を通じた平和的解決」が挙げられていたことから、中国 は「国家主権、領土保全および国家安全保障にかかわる台湾問題に共同声明で言及した」
としてこれに激しく反発した(28)。
「2プラス
2」の協議はその後も進展し、2005年 10
月29日に任務・役割・能力の検討の結果を踏まえて「未来のための変革と再編」報告、2006年
5月 1
日に在日米軍の兵力構成に関 する「再編実施のための日米のロードマップ」を発表した。それによって、米国海兵隊普 天間飛行場の移転や海兵隊8000名の沖縄外への移転等の負担軽減措置とともに、キャンプ
座間における在日米陸軍司令部の改編強化と陸上自衛隊中央即応集団司令部の設置、航空 自衛隊航空総隊司令部の横田への移転による米第5空軍司令部との併置等日米安保体制強化
の具体的方向性が示された。このような展開に直面して中国では、日米安保体制にはすで に日本の軍事力強化等の抑制という「銀の裏地」(隠れたメリット)はなくなっており、アジ ア太平洋地域の安全保障に関して、日米共同管理とこれに対抗する中国という2極構造がで きつつあるという懸念が表明さている(29)。福田総理は就任後、まず11月
16日に訪米して、ブッシュ大統領との会談で、日米同盟が
両国のアジア外交展開の要であることを確認し、両者の「共鳴」について語り合った(30)が、その実現には日米安保体制強化に対する上記のような中国の懸念に適切に対応していくこ とが不可欠である。日中共通の戦略的利益である地域の安定のために、日米安保体制と中 国が協力し合う道を模索すべきであり、日米中3国の戦略対話はそのための重要なステップ となろう。
むすび
日中の「戦略的互恵関係」の本来の意味である「共通の戦略的利益に立脚した互恵関係」
という規定は、その進展と問題点を判断する一つの視点を提供する。そのような観点によ れば、公式に認定された両国の「共通の戦略的利益」追求の措置の多くはすでに着実に実 施されている。しかし、両国民の相互理解という共通利益の実現はまだきわめて不十分で ある。両国の戦略的利益のうち、他方と共通でないもの、中国にとっての台湾統一の追求、
日本にとっての日米安保体制の維持・強化は現在のところ深刻な対立をもたらすには至っ ていないが、その危険が消失したわけではない。また、一致しない両国の戦略的利益は本 稿で検討したもので尽きるわけではない。あまりにも当然のことであるため共同プレス発
表に挙げられていないが、戦争や致命的対立の回避という最大の戦略的利益を共有する両 国は、これらの食い違いを適切に管理するとともに、共通の戦略的利益の実現と拡大によ って、それらが深刻な対立に転化することを防止するために、知恵と努力を傾注すべきで あろう。
(1)「安倍総理の中国訪問に関する内外記者会見」、平成18年10月8日(http://www.mofa.go.jp/mofaj/
kaidan/s_abe/cn_kr_06/china_kaiken.html、2006年10月9日アクセス)。
(2) 首脳会談を報じた2006年10月9日付各紙の1面の見出しは、『日本経済新聞』が「日中、『戦略的 互恵』で一致」、『朝日新聞』が「日中、関係改善で一致、首脳会談:戦略的互恵めざす」、『読売新 聞』が「首脳相互訪問を再開 日中『戦略的互恵関係』に」であった。
(3)「胡錦涛会見日本首相安倍晋三」(http://news.xinhuanet.com/politics/2006-10/08/content_5177408.htm、
2006年10月9日アクセス)。「温家宝総理与日本首相安倍晋三挙行会談」(http://news.xinhuanet.com/
politics/2006-10/08/content_5177290.htm、2006年10月8日アクセス)。10月9日付『人民日報』も同一 見出し。
(4)『朝日新聞』、前掲記事、解説。
(5) 前掲「温家宝総理与日本首相安倍晋三挙行会談」。
(6)「日中共同プレス発表」、平成18年10月8日(http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_abe/cn?kr_06/
china_kpress.html、2006年10月9日アクセス)。中国語は、「中日発表聯合新聞公報」(http://paper.
people.com.cn/rmrb/html/2006-10/09/content_11471482.htm、2007年10月11日アクセス)。
(7)「日中共同プレス発表」(htttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/visit/0704_kh.html、2007年4月15日 アクセス)。中国語は「中日双方在東京発表《聯合新聞公報》」、2007/04/11(http://www.fmprc.gov.cn/
chn/wjb/zzjg/yzs/gilb/1281/1282/t310504.htm、2007年10月11日アクセス)。
(8) なお、中国は現在スペイン、カナダ等を含む20余りの国や地域組織とも「戦略的パートナーシ ップ」を結んでおり、今やすべてが多極化志向を示すものとは言えず、「戦略的パートナーシップ の確立は、双方の各分野の協力がある程度まで発展したことの必然的結果」と説明されている
(「2006年5月18日の中国外交部劉建超報道官の定例会見」、http://osaka.china-consulate.org/jpn/fyrth/
t256609.htm、2008年2月17日アクセス)。
(9)「友情と協力のために―日本国国会における温家宝総理の演説」、2007年4月12日(http://www.
china-embassy.or.jp/jpn/xwdt/t311936.htm、2007年4月18日アクセス)。「温家宝総理日本国会的演講」
(全文、http://news.xinhuanet.com/world/2007-04/12/content_5968135.htm、2007年4月15日アクセス)。
(10)「日中防衛当局共同プレス発表」(http://www.mod.go.jp/j/news/youjin/2007/08/30a.html、2007年10月 12日アクセス)。
(11)「図11 現在の日本と中国の関係」、内閣府大臣官房広報室「外交に関する世論調査」(平成19年 10月調査、http://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-gaiko/images/z11.gif、2008年2月19日アクセス)。な お、2006年の調査が実施されたのは10月4日―14日であり、安倍総理の訪中が行なわれたのはま さにその中間時点であった。したがって、調査結果はその効果を部分的に反映したものと考えら れる。
(12)『読売新聞』、2007年11月30日。
(13) 日本側発表は「第一回日中ハイレベル経済対話―プレス・コミュニケ」、平成19年12月2日
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/jc_keizai_hi01.html、2007年12月19日アクセス)。中国側発表 は「首次中日経済高層対話新聞公報」、2007年12月2日、北京(http://www.fmprc.gov.cn/chn/wjb/zzjg/
yzs/gilb/1281/1282/t386476.htm、2008年1月31日アクセス)。
(14) 注10に同じ。
(15)「図9 中国に対する親近感」、前掲『外交に関する世論調査』(平成19年10月調査)。
(16) 注9に同じ。
(17)「共同発表 日米安全保障協議委員会」、2005年2月19日(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/
hosho/2+2_05_02.html、2008年2月19日アクセス)。
(18)「福田総理大臣 温家宝総理との会談・昼食会(概要)」、平成19年12月28日(http://www.mofa.
go.jp/mofaj/kaidan/s_fukuda/china_07/kaidan2.html、2008年2月19日アクセス)。
(19)「福田康夫闡明日方在台湾問題上的立場」(http://news.xinhuanet.com/newscenter/2007-12/28/content_
7329602.htm、2008年1月20日アクセス)。
(20)『産経新聞』2007年12月29日。なお、日本外務省およ首相官邸のホームページには内外記者会見 の記録は掲載されていない。
(21)『朝日新聞』2007年12月29日。
(22) 2000 年の「台湾白書」は、台湾に対する武力行使の条件として、①台湾の中国からの分離、② 外国による台湾侵略とともに、③台湾当局による両岸統一問題の交渉による平和的解決の「無期 限拒否」を挙げている(中華人民共和国台湾事務弁公室、国務院新聞弁公室「一つの中国の原則 と台湾問題」、2000年2月、『北京週報』2000年、No. 10、16ページ)。
(23) Banning Garret and Bonnie Glaser, “Chinese Apprehensions About Revitalization of the U.S.-Japan Alliance,”
Asian Survey, Vol. XXXVII, No. 4(April 1997), pp. 385–386.
(24) 代表的な見解として、 世亮「冷戦后的美日関係」『国際問題研究』1995年第1期(1月13日)、 1―7ページ。
(25) 以上の点に関して詳しくは、高木誠一郎「冷戦後の国際権力構造と中国の対外戦略―日米安保 再確認をめぐって」『国際問題』第454号(1998年1月)、7―11ページ参照。
(26) 以上に関して詳しくは、高木誠一郎「冷戦後の日米同盟と北東アジア―安全保障ジレンマ論 の視点から」『国際問題』第474号(1999年9月)、2―15ページ参照。
(27)「小泉総理訪中 江沢民主席との会談(概要)」、平成13年10月8日(http://mofa.go.jp/mofaj/kaidan/
s_koi/china0110/koutakumin.html、2008年2月25日アクセス)。
(28)「外交部発言人表示:堅決反対米日渉台共同声明」(http://tw.people.com.cn?GB/14810/3189568.html、
2005年4月3日アクセス)。
(29) Wu Xinbo(呉心伯), “The End of the Silver Lining: A Chinese View of the U.S.-Japan Alliance,”
Washington Quarterly, Winter 2005–06, pp. 119–130.
(30)「福田総理大臣 日米首脳会談の概要」、平成19年11月16日(http://www.mofa.go.jo/mofaj/kaidan/s_
fukuda/usa_07/gaiyo.html、2008年1月30日アクセス)。
たかぎ・せいいちろう 青山学院大学教授