日本では、アメリカ政治の動向が日米関係のプリズムを通してみられやすいが、
アメリカの内政や対外政策の基本方針は、日米関係とは別に、アメリカ自体が深刻 な危機や重大な情勢の変化に直面したときに大きく変わってきている。現在も普天 間基地の移設問題が紛糾しているので、日本では日米関係の将来に対して懸念が高 まっているものの、日米関係の将来を見通すにはそれ以上に、アメリカが大きな変 動期に差し掛かっていることを理解するほうが重要なのではないかと思う。
歴史的にアメリカの内政に大きな変化が生じたのは、約
80年前に大恐慌が起こっ
たときである。フランクリン・ローズヴェルト政権が、1930年代に大恐慌対策とし てニューディール政策を展開したことにより、連邦政府を他の先進国並みの中央政 府に変貌させて、アメリカの現代政治の幕を開けた。ローズヴェルト政権は、それ に続いて第2
次世界大戦を遂行し、対外政策でも決定的な方針転換をもたらしてい る。それ以降、対外政策でそれに匹敵する変化は冷戦の開始と冷戦の終結であり、ト ルーマン政権が開始した冷戦に、約
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年近く経ってレーガン政権が終結の道筋をつ け、ブッシュ・シニア政権が最終的に終結を導いたのであった。そのような基本方 針の転換で重要なことは、しばしば対外政策の変化には内政上も方針の転換が伴っ ていたことであろう。冷戦後の情勢に取り組んだクリントン政権は、内政でもアメ リカ経済の再建という重大な課題に取り組まざるをえなかったのである。同様に対外政策と内政の両面で大きく方針を転換させた政権は、ニクソン政権と レーガン政権である。ニクソン政権はヴェトナム戦争の収拾ばかりでなく、インフ レの亢進と第
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次オイル・ショックにも見舞われて、2つのニクソン・ショックを惹 き起こした。こうして1970
年代のデタントをもたらす一方、ブレトンウッズ体制を 崩壊させて現代版グローバル化を生じさせたのであった。レーガン政権も対外政策 で対ソ強硬政策をとり、新冷戦を加速させるとともに、内政でも新自由主義のレー ガノミックスを断行して、アメリカの国際的な主導権を回復すべく野心的な方針を 打ち出したのである。ニクソン、レーガン両政権の方針転換はともに政権交代の結果だったが、現在の
国際問題 No. 589(2010年3月)●
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◎ 巻 頭 エ ッ セ イ ◎
Igarashi Takeshi
オバマ民主党政権が登場したのも、もとはと言えばブッシュ前共和党政権が
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つの 危機を惹き起こし、政権交代が生じたからにほかならない。すなわち、ブッシュ政 権の負の遺産とは、アフガニスタン、イラク両情勢で混迷を続けたうえに、世界的 な経済危機まで発生させて、安全保障と経済の両分野でアメリカの国際的な主導権 に翳りを生じさせたことである。そればかりか地球環境問題で京都議定書を拒否し、同盟国の反対を押し切ってイ ラク戦争を強行するなど、単独主義に走って国際的にも顰蹙を買った。ジョゼフ・
ナイ流に言えば、ブッシュ政権はアメリカのハードパワーたる軍事、経済両面で弱 体化を露呈させたうえに、国際的な協力を調達するソフトパワーも著しく損なって しまったということになろう。
オバマ政権が取り組む経済危機は「100年に一度」とも言われ、クリントン政権の ときと同じように、アメリカ経済の再建が緊急の課題になっている。とはいえ、ク リントン政権が日本に対して強硬な方針を突き付けたのとは対照的に、オバマ政権 は同様に膨大な貿易赤字を抱えながらも、中国に対しては
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と称して戦略経済対話 を首脳レベルに格上げするなど、協調方針を意欲的に推進している。またアメリカ を「アジア・太平洋国家」と位置づけて、ブッシュ前政権が軽視したアジア諸国と の関係でも、APECや東アジア首脳会議に積極的に参加する姿勢を示している。こうした方針はいずれも、アメリカがもはや世界の製品を輸入する大消費市場で あり続けることはできず、失業対策のために輸出を振興しなければならないという 背に腹はかえられない事情の下で、国際経済の不均衡を是正する観点から、中長期 的な趨勢を見据えて行なった戦略的な判断に基づいている。いわばハードパワーが 弱体化しても、アメリカの衰退をただちに意味するわけではなく、世界的な経済危 機を打開するために、アメリカが主導権を発揮することに国際的な期待が高まって いるなかで、相対的な優位を活用しながらソフトパワーを発揮する、理詰めの方針 がとられているのである。
そればかりでなく、パレスティナ問題やイランの核開発阻止の交渉など、現在の 国際情勢の不安定要因になっている中東情勢に本腰を入れて取り組む姿勢も示して いる。また核廃絶を唱え、地球環境問題にも進んで取り組むなど、グローバル・ガ バナンスの観点からも重要な課題を意欲的に設定し、国際的にアッピールする方針 を鮮明に打ち出している。
そのようにみると、普天間基地問題を別にすれば、自民党政権を批判し、「東アジ ア共同体」構想を掲げて登場した鳩山内閣の方針とも共通するところが少なくない。
アジア重視の方針をとるオバマ政権にとって、台頭する中国や他のアジア諸国との 関係に取り組むうえで、日米同盟は依然としてアメリカの安全保障政策の「礎石」
であり、不可欠である。当面はそれに代わる措置がそれほどあるわけでもない。
◎巻頭エッセイ◎オバマ政権と変動期のアメリカ政治
国際問題 No. 589(2010年3月)●
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鳩山内閣が強調するように、日米安全保障条約の改定
50周年に当たる今年を機会
に、将来に向けて日米関係を再構築しようという課題を立てて、新たな展望を開く 可能性も多分にあると言うことができる。つまり、現在の日米関係に対する懸念は、戦術レベルでの行き違いから生じており、戦略レベルでは協調する可能性がまだ相 当高く、要は掛け違えたボタンをどう調整するかが問題なのである。
もっとも、オバマ政権は
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年目に多岐にわたって大胆な方針を打ち出したとはい え、まだ達成されたものがさほど多いわけではない。2年目以降の成果を見守らねば ならない段階にあると言えるが、とりわけアフガニスタン政策の成否が、ヴェトナ ム戦争と同じように今後の対外政策の展開に大きな影響を及ぼす可能性がある。ま た景気の動向や健康保険制度の改革など内政上の課題も、大統領の支持率で過半数 を割らせるほど大きな影響を与える点で、オバマ政権の前途に立ちはだかっている。事実、今年は
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月に中間選挙を控えており、エドワード・ケネディ前上院議員の 死去に伴うマサチューセッツ州の補欠選挙で、与党民主党が31
年ぶりに野党共和党 に議席を譲り、連邦議会上院での安定多数が揺さぶられるなど、オバマ政権にとっ て幸先の悪い開始になっている。また連邦最高裁判所も、40年近く禁じられてきた 企業献金を解禁する判決を下し、野党共和党を勢いづけている。このままではクリ ントン政権が国民皆健康保険制度の実現を打ち出して、40年ぶりに連邦議会上下両 院の多数党の地位を共和党に明け渡した二の舞ほどではないにしろ、民主党の勢力 後退になりかねない恐れも生じている。すでに述べたように、アメリカ政治では内 政上の事情で対外政策の方針が左右されたことが、これまで少なくなかった。1980 年に第2
次オイル・ショックに直撃されてインフレが亢進し、アメリカ経済が衰退 の危機に直面したときに、対外政策の対ソ強硬政策では有権者に警戒されたレーガ ンが大統領に当選したのは、その典型的な例である。レーガン政権は1970
年代のデ タントを決定的に崩壊させて、新冷戦を激化させたが、そうした例に照らしてみて も、アメリカ政治が今や重大な転換期に立っていることは明らかであろう。◎巻頭エッセイ◎オバマ政権と変動期のアメリカ政治
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いがらし・たけし 桜美林大学教授