9月23日 福岡県嘉穂郡稲筑町若八幡宮 山野楽
若八幡宮は宇佐八幡より勧請した。秋例祭(放生会)。このとき山野楽が山野部落より奉納される。山野楽は古い 文書には「牛馬楽」なりとあって、五穀豊穣の祈願祭であったらしい。
現在氏子の戸数は約280戸、祭座があって当屋は太鼓を預る。楽打はそこから出発する。
1度楽打を止めたことがあるがその年は非常に火事が多かった、ので又続ける決心をした。太鼓2人、鉦2人、楽 打13人、太鼓持2人、笛2人。
楽打に奏楽と歌楽とある。歌詞が入るのは楽打として珍しい。太鼓、鉦は少年。楽打は山野部落の青年は16才以 上となれば全部やらねばならぬ。楽打、太鼓持、笛、それぞれの役がきまり、1年ではなく、新参、古参、となり卒 業したとき次の1年は先生をつとめる。
若八幡神社の祭礼としての日割は、
22日午後7時 口開きの儀
23日午前10時半 祭典、楽打奏上の儀 11時50分 本座の儀
3時 楽打の儀
楽打はまづ祭座の家の庭で打つ。それから、道楽を奏して中宿にゆく。中宿というのは門(カド)という所にあ る。西田家の家をいう。こゝはもと社人の家であったが、後、西田さんが譲受けて現在住んでいるが、中宿の役目 だけは、その後も西田家が引受けることになっている。門は堤のあったところで、こゝで河童の姿を淵鏡に写して、
化粧を整えてから神社へ練込んだという。
道楽は全員2割に並んで進む。
高提灯←村総代←笛方←太鼓持←太鼓打←鉦←楽打 の順で、楽打は前が古参、後が新参。
祭座から出た行列が門の傍まで来たときは西田家へ走って入る。こゝでもやしの饗をうける。
午後 2 時頃から急に物凄い大雷雨になって若八幡社境内は水溜となったが、それでも楽打は、びしょ濡れのまゝ ビニールのフロシキも被らず、実施した。尤も楽打の負うている幣竿は千切れてしまうし、歌も思うように出なか ったが、
庭の楽打は神主さんから貰った謄写刷のパンフレットの通り。
本庭の楽打が終ると、再び道楽となって退場、祭座へ行くのであるが、この道楽はごく短い間だけで、大急ぎで 走って行った。これも雨のためではなく、本庭の後の祭座入りは走って行くことになっているらしい。
又本庭入りのときの道とは別の道を通って祭座へ行くことになっているようである。
雨のため楽打の後の子供相撲はなかった。