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PDF 社会学概論レジュメ 2008.7.14.Mon. 文責:薄葉([email protected])

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社会学概論レジュメ 2008.7.14.Mon. 文責:薄葉([email protected]) A. 前回の復習とみんなのレポートから

1. 前回の復習(「老いることの社会的構成」)

2. みんなのレポートから a. 高齢者への対応

1) 介護教育における方針

「私は、介護体験に伴う事前授業の中で、介護の現場の変化を学んだ。介護の現場においてさえ、ほんの10年前まで は、高齢者や認知症患者は厄介者や手のかかるお荷物のように扱われていた。その為、介護も介護者の都合で行われ、

今では人権問題となるような扱いをされることもあった。そのような扱いをされていた介護の現場では、高齢者に笑顔 がなく、まさに活力を失った状態があった。しかしながら、現代高齢化や、北欧の介護システムの導入により、高齢者 を生活者として扱い、高齢者の気持ちを理解し、そのニーズや願いにそった介護が提供されるようになった。また、身 体拘束や、ことばの拘束をなくし、高齢者の人権や人格を尊重した援助を目指すようになってきている。認知症の高齢 者のように何も出来ないと考えられている高齢者であっても、適切な援助を与えれば、たいていのことは自分でこなせ てしまうという場合もある。たとえば、一人では料理は出来ないが、手順を教えてあげれば、とても器用に包丁を使い こなし、料理を作り上げる。このとき、認知症の高齢者にとって難しいのは料理を作る手順を組み立てることであり、

それ以外は自分の力で十分にこなせるのである。確かに、高齢者や、認知症患者は出来ないことも多いが、全てができ なくなるのではない。出来ることがあるという部分に目を向けたサポートが必要なのだ。

 時に高齢者は怒りっぽいなどと言われることもあるが、認知症の患者や高齢者は、うまく自分が伝えたい言葉が出て こないためにいらだったり、思い道理に動かない体にいらだったりして声をあらげてしまうなど、怒りの背景にはたい ていの場合メッセージがある。そのような時、ただ単純に我慢が出来ないとか、短気だと決めつけて接することは逆効 果でしかない。高齢者を固定概念やイメージで捉えるのではなく、理解しようと努めることが重要である。

 事前授業において特に強調されたのは、高齢者の方の気持ちを理解すること、そして、高齢者は人生の先輩であり、

その人生を追体験させて頂くような気持ちで接するということだった。高齢者の人生を追体験することは、必ず、私た ちの中に蓄積され、人生を豊かにするだろう。そして高齢者に対して我々のような若年者が「おじいちゃん、おばあ ちゃん」と話しかけることも高齢者に対する接し方としては望ましくないそうである。高齢者の苗字を丁寧に呼ぶこ と、名前を呼ぶことは、その人を一人の人として認めることだと思う(その他大勢のおじいちゃん、おばあちゃんでは なく)。また、高齢者は、現代を作ってきた偉人であり、我々の未来の姿なのでもあると私は思う。」

2) 現場の実態

「今はもう亡くなったが、私にはアルツハイマーの祖母がいた。祖母はもう自分で、自分のことが全く出来なく、他人 の手を借りないといけなかった為、長い間、老人ホームでお世話になっていた。老人ホームで勤務していた従業員の 方々もとても親切でよくしていてもらっていた。

 アルツハイマーになった初期は、まだまだ自分で、出来ることも多かったらしい。また、老人ホームで出る洗濯物 を、たたんだりなど、自ら出来ることはお手伝いしていたと聞いていた。その頃は、従業員の方々も、祖母をかわいが るようなことは少なく、呼び方も「おばあちゃん」ではなく、「○○さん」だったらしい。 しかし、病気が進行する につれて自分で出来ることが少なくなってきた。何をするにも人の手が必要となり、常に専用に世話をする人がついて いた。私の祖母の性格はどちらかでいうと短期で、人の手を借りたりすることが嫌なプライドの高い人だった。しか し、やむを得ず人の手を借りないといけない立場になり、プライド云々を偉そうに言える立場ではなくなった。その頃 から従業員の方々や、私達の祖母に対する言葉遣いが変化したように感じる。いわゆる「育児語」を使っていた。祖母 の呼び方も「○○さん」から「おばあちゃん」へと変化した。

 私達は「育児語」を使うことに悪気はなかったが、祖母は今考えると、良い思いをしていなかったようだ。普段は怒 ることもなかったが、時々「私はおばあちゃんではない。○○という名がある。」や「私は子供じゃない。」とまでい うことも多々あった。当時はよく分からなかったが、かなり年下の人に「育児語」を使われるのが不愉快だったのだろ う。」

→この他、痴呆の重い/軽いによって、介護士の態度が違っていたとの指摘もあり。

「私自身の体験ではないが、友達で介護福祉士の子がいてその子のある体験を聞いたことがある。介護の職に就いて最 初は世話をしているという感覚があったし、周りもそうだと言うていたそうだ。しかし仕事が慣れてくる老人の世話が だんだんと流れ作業のようになり、ついには動物のように思えてきたらしい。そのことを聞いて私はすごく驚いた。近 年、老人が増加傾向にあるため介護は欠かせないものとなっている。でも介護の世話の慣れというのはすごく怖いなと 思った。自分の家族が施設でそんな風に思われながら世話をされたらどう思うだろうか。何ともいえない気持ちになり そうだ。

 でもその後、ある老人が友達の言うことをきかなくなった。目を見てみると涙がたまっていて今にも溢れそうだった

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という。友達は気持ちを察して「ごめんね。」と謝ると老人は手を握ってうなずいたらしい。このとき友達は本当に申 し訳ない気持ちでいっぱいになり友達も泣きそうだったらしい。

 この話を聞いていかに老人が社会において地位が低くなっているかが伺える。しかし、よく考えてみると老人は人生 の様々なことを経験している先輩なので、尊敬しなければならない存在ではないだろうか。社会においては生産性の高 い人が社会的地位の高いとされている。しかし、そこばかりが重要視されていては何か大切なものを見失っていくので はないかと思う。ただ単に生産性の高い人は偉いのだろうか。その支えとなる家族や部下もいるし、周りの人がいなけ れば絶対にできないと思う。もう一度、社会的地位について見直してはどうか。」

b. 高齢者のコミュニケーションの諸問題 1) 善意の空転

「今回の授業の内容が、高齢者が育児語で話されることに対して不快感を抱いているというものだったが、私は高齢者 がそのような感情を抱いているのを肌身で実感するような体験をしたことがある。高校三年生の頃、私が電車で隣町の 予備校に通っていた時の話である。車内は人がいっぱいで私はかろうじて座ることができた。私が電車を降りるふたつ 前の駅で60歳くらいのおばあちゃんが私と同じ車両に乗ってきたのである。おばあちゃんは車内の混雑ぶりに驚いたよ うな顔で、人ごみに揉まれながら私が座っている斜め横に立った。私は彼女に席を譲ろうと思い、「おばあちゃん、ど うぞ。座ってください。」と席を立った。すると、おばあちゃんは一瞬「え?」というような顔をして、次に不愉快そ うな顔をして言い放った。「ありがと。でも私、ええわ。そんな歳とちがうし。」これにはさすがに腹が立ってしま い、私も思わずあからさまに不快感を顔に出してしまった。しかし、この手の経験をしている友達が結構いることに私 は驚いた。私たちはまだ若いから高齢者の老いていくことへの不安や寂しさが想像出来ないのかもしれない。しかし、

実体験や今回の授業を通して学んだことが高齢者との関わり方に対する課題になるのではないかと思う。」

2) 意思疎通の困難さと可能性

「私の通っていた学校はボランティア活動に熱心であったので、1年に1回全校生徒がさまざまな場所に出かけてボラ ンティア活動を行う日があった。その時、私は老人ホーム行った。私たちを笑顔で歓迎してくれる人もいれば、無表情 でじっと見ている人もいた。予想以上に元気な人もいた反面、高齢者の現実というのか、1人でご飯を食べられない人 がいたり、呼吸器を体につけている人がいたことが印象的であった。春の晴れた日だったので、高齢者の人を車椅子で 押して近くの公園まで散歩に行くことになった。私とペアになった高齢者は、話しかけても無反応で、無表情で、聞こ えてないのかと思うほどであった。公園についてから、温かいお茶とお饅頭を渡した。今思えば、その時私は無意識に

「育児語」を使っていたかもしれない。一度渡しても無反応で受け取ってくれる素振りがなかったので何度か渡してみ た。すると、「いらないって言ってるでしょ。」と怒られてしまった。ビックリしたのと、せっかく渡したのにという 気持ちだった。後で考えてみると、この授業で聞いたとおりの事だった。まず私が無意識に「育児語」を使い、高齢者 を「不快」にさせる。それに私はそれに気がつかないし、高齢者もそれを説明できない。この講義で習った悪循環が生 まれていた。この反省をいかし、次からは冷静にしっかり考えて高齢者と接していきたい。」

「今は亡き私の祖父は長年寝たきりの生活を送っていた。言語障害でほとんど話すことはできないし、もちろん体を動 かすこともできなかった。何をしてほしいのか、何を伝えたいのか分かりづらかったが感情は人一倍もっていたように 思う。祖父の誕生日にケーキと手紙をプレゼントして音読した。すると祖父は涙をポロポロ流しながら、必死で言葉を だそうとしていた。よくよく口元をみていたら「ありがとう」といっていた。そして動かない手で私の手を握ろうと動 かしていたのだ。気持ちを伝えようとしてくれている祖父の姿に私は嬉しくて感動した。たとえ話せない人でも自分自 身が「聴こう」と真剣に向き合えば通じるのだ。自分では何もできなくても感情はしっかりもっているのだ。私は祖父 が居間の横の部屋で寝ているだけで、とても安心感があった。私は祖父からたくさんのことを学んだ。祖父が大好き だった。」

3) 「庇護的な態度」の落とし穴

「私は、祖父母が倒れたことをきっかけに福祉に興味を抱くようになり、学校の年間行事の一環で行われていたたくさ んのボランティア活動に積極的に取り組むようになった。その中で特に私が献身的に取り組んだものは、老人福祉セン ターへのお手伝い(ヘルパー見習い講座)というものである。その名の通り福祉施設に行き介護福祉士のお手伝いをし ながら介護を実際に体験するというものだ。最初のうちは色々な知識が身につくいい機会だと思っていた。だから積極 的に色々なお手伝いもしましたが、それがおせっかいのこともあったのだろう。患者さんから「自分でしたいから放っ て置いてください」といわれることが片手では数え切れないほどなんどもある。

 そのためか次第に「何で私がこんなことしなくてはいけないのか」や「どうしてこの人たちはたいしてそんなに重要 な用でもないのに何度も呼ぶのだろう」などと思うようになっていった。

 この出来事(上記)のことを指導官の人に話して相談しみると「患者さんたちには出来ることが限られているから出 来ることは自分でしたいのだよ。心配だろうけどその人のやりたいようにやらせてあげなさい。そしてそれを温かい目 で見守ってあげなさい。」とのお答えが返ってきた。私は、この出来事以前は患者さんにはどんなことでも手助けをし なくてはいけない。そう思っていたのでこの言葉にはとてもビックリした。そしてなんという勘違いをしていたのだろ

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うと自分のおろかな考えに愕然とした。患者さんは日々良くなる人もいれば逆に悪くなる人もいる。昨日出来たことが 出来なくなっていてもどかしく感じる人もいる。今現在出来ることを精一杯して自分はまだ大丈夫なのだと思っていな ければくじけて生きることをあきらめてしまう人もいるのだろう。

 そして、今思えば、そのような行動(呼び出しなど)は全て必死に生きていくためにはしかたのない行為だったのだ と感じるようになったのである。

 体が不自由なのだから健常者に比べて手がかかるのは当たり前のことだし、一人で何も出ないもどかしさなんかも人 一倍感じていたりしたのではないだろうか。それ以前に、元から体が不自由であったわけではなく、何らかの理由や きっかけがあってなってしまった人のほうが全体に占める割合は多いのだからその人自身での葛藤やジレンマなんかも ものすごくあったなかでのことだったのかもしれない。

 まだ幼かった私には理解できない何かを抱えながら日々を過ごしていた人も居たかもしれない。それなのに、あから さまな態度では出さなかったが、そんなことを多少でも思ってしまった自分に今は自己嫌悪を感じている。

このボランティアを体験して私は、何より大切なのはその人の受けた傷を受け止め、紳士的に接してあげることが重要 なのであるということを学んだ。」

c. その他

1) 高齢者の能力の可能性

「私には、95歳の祖父がいる。祖父は一時期、ボケかけていた。それは、肉体的な衰えにより、家族はそれにより、

祖父を老人として扱ってしまったからである。祖父が、老人扱いされるのを嫌うことは、知っていた。しかし、無意識 にそうしてしまったのだろう。その時期は、私が、祖父を無表情だと感じ、感情の機微を読み取るのに苦労していた時 期だったからだ。

 そのうち、肉体の衰えは決定的となり、祖父は倒れて、足を挫いてしまった。老人にとって、足を挫くことは重大な 意味を持つ。私達は、祖父が寝たきりになる事を覚悟した。それでも、祖父の希望もあって、リハビリを行うことに なった。そして、祖父は再び、歩けるようになったのである。退院して帰ってきたとき、祖父は本当に元気になってお り、ボケも完全に直っていた。以前は、時々倒れることもあったのだが、それもなくなっていた。それどころか、白髪 だったはずの髪が、ほとんど真っ黒になっていたのである。

 おそらくそれは、私達家族や看護士の人達が、祖父に対する認識を改め、敬意を持って接したからなのであろう。私 達は、祖父がもう一度歩けるようになるためにした努力を、知っている。だからそれが、行動になって表れたのであ る。今も祖父は、元気に家庭菜園を楽しんでいる。

 このことから考えて、「老い」ないために必要なのは、諦めてしまわないことなのではないだろうか。諦めて、「老 い」を受け入れてしまうから、「本当の老人」になってしまうのだ。勿論、若い人々は、無意識に人を老人にしてしま う行いをしている事を、自覚しなければならない。老いていく相手の気持ちを、理解する糸口は、誰しも持っているの である。私達は、無意識に行っている行為を互いに自覚し、人を「老人」にしてしまう悲劇を、防げるように、理解 し、努めなければならないのである。」

2) 死を受け入れること

「正直な話、私は死ぬことよりも年老いることのほうが怖いと思っていた(正確に言えば今もまだ完全に年老いること が怖くなくなったわけではないのだが)。今年の3月に他界した母方の祖父は、私が小学校6年生のときに祖母が他界し た1年後から痴呆症が始まってしまった。仕事一筋だった祖父は特に趣味もなく、社交的だった祖母からの刺激が一気 になくなってしまったことから、痴呆症が始まったと思われる。伯父も母も忙しく家では世話を出来ないということ で、約5年、祖父は施設を2,3変わりながら生活をしていた。どの施設でも、ヘルパーさんは子供に話しかけるよう にしていたのをよく覚えている。時々会いに行っていたのだが、私のことが誰か分かってもらえなくなったときは本当 に寂しかった。祖父に話しかけることさえも怖くなってしまった。そしてついに、肺炎を患ったりして施設でも面倒を みきれなくなってしまい、伯父が働いている病院に置いてもらえることになった。そこから他界するまでの約2年、寝 たきりで背中に血が溜まり、筋肉は衰え、骨に皮膚が張り付いている状態、手足は硬直し、口は開いたままで話すこと も出来ず、目は白内障で濁り焦点が定まらない。本当に生きているのか、人間なのかさえも分からないような姿になっ てしまった。大好きだった祖父の姿は、そこには無かった。看護師さんはいつも、返事を返してくれることの無い祖父 に、優しく話しかけていた。会いに行くたび、泣きそうになった。もし自分が祖父と同じような姿になってしまうな ら、若いうちに、みんなの記憶にキラキラした自分が強く残っているうちに、死んでしまいたいと思った。しかし、葬 儀を終えてみんなで食事をしながら祖父の色々な話をして分かったことがある。何歳で、どんな形で死んだとしても、

それぞれの人の中にそれぞれの祖父がいて、そのどれもが輝いていた。そして私は思った。若い頃のキラキラした自分 は、絶対に残る。それなら、少しでも多くの記憶を残したい、と。棺の中の祖父は、綺麗だった。またどこかで、出会 えるような気がした。身体の自由がきかなくなることは怖い。しかし、年老いることで子供や孫に出会い、世界が彩ら れていくなら、それも悪くないと、思えるようになった。」

B. 整合性の病、あるいは、認知的不協和の理論

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1. 認知的不協和とは?

a. Leon Festinger(1919-1989)

 レオン・フェスティンガーは1919年5月8日にロシア系の両親から生まれた。ニューヨーク市立大学で心理学を学び、

その後アイオワ大学で高名なドイツの心理学者クルト・レヴィンに師事した。レビンとフェスティンガーは共にマサ チューセッツ工科大学に移って研究を続け、1957年、フェスティンガーは『認知的不協和の理論』を発表して世に知ら れるようになった。

 彼のアプローチの特徴は、問題状況を相対立する2つの力(tendency)の拮抗として捉えていることであり、人々はそ うした状況を回避しようとする結果、問題解決行動が生ずる、と考える点である。

b. 理論の概略 1) 定義

 自分の中に2つの互いに矛盾するような「認知」がある場合、人間は不快感や不安を感じる。この心理的な緊張状態 から脱するために、人は認知間の不協和(=矛盾)を軽減し、調和やバランスの取れた心的状態を獲得しようと動機づ けられる。

→認知:自分自身や自分の行動に関するあらゆる知識・情報・意見・信念のこと。価値・態度や感情・欲求も含まれ る。

2) 不協和の低減の仕方

 フェスティンガーによれば、認知間の不協和(矛盾)を低減する方法は大きく3種類あるという。

・ どちらか一方の(変えやすい方の)認知要素を操作する

・ 新しい認知要素を加えることによって、矛盾を中和する

・ 不協和の重要性を減らす c. 様々な事例

1) どちらか一方の(変えやすい方の)認知要素を操作するケース 喫煙者の言い訳

 「自分はタバコを吸っている」という認知要素Aと、「タバコは健康によくない」という認知要素Bは、不協和な 関係にあるため、喫煙者は不安になる。この不安から逃れる手段として、「タバコをやめる」、つまり認知要素Aを 非Aに変化させるのが、不協和を解消するもっとも合理的なやり方であろう。

 しかし、自分の身についた習慣を変えることはなかなかに困難であり、タバコをどうしてもやめられない人も出て くる。その人は、不協和を低減させるために、様々な方法で認知要素Bを無効化しようとする。「タバコ有害説を説 く情報源を避ける」という消極的な方法から、「タバコを吸うと肺ガンになるという説には研究手法に問題があった らしい」「喫煙には気分をリラックスさせる効果がある」「うちのじいさんはヘビースモーカーだが、90歳になって もまだかくしゃくとしている」というように、認知要素Bを否定するような情報を得ようとする積極的な方法まで、

ヘビースモーカーの「言い訳」には涙ぐましいものがある。

注:その他、「タバコの有害性はたしかに人を死に至らしめるようなものであるかもしれないが、人間は誰でも最 後に死ぬわけであるから、それは別にたいしたことではない」という達観や、「自動車の排気ガスの方がはるかに 有害じゃないか」と論点をすり替えるなど、不協和を低減する方法は様々である。

 禁煙にしろ、都合のよい情報の獲得にしろ、ここでは「変えやすいほうの認知要素を操作する」ことで辻褄を合わ せようと(=不協和を低減しようと)していることに注意したい。

2) 新しい認知要素を加えることによって、矛盾を中和する

・ 災害地におけるデマ

 1934年1月15日にインドのビハール州を襲った大震災の直後、人々の間に様々な流言飛語(デマ)が流布した。こ のデマの調査をした研究者によれば、地震から少し離れた地域では「さらに大きな地震が近いうちにやってくる」と いううわさが広まったのに対し、実際に地震で大きな被害を受けた地域では、そのようなうわさは広まらなかったの である。

 むしろ壊滅を免れたような震災地で、このような不吉なデマがはびこるのはなぜなのだろう?フェスティンガーら の答えはこうである。激しい地震が襲い、人々はしばらく家の中で恐怖におののく。やがて静かになったのでおそる おそる戸外に出てみるが、そこに観る情景は意外に変わったところがない。この時、最初肌で感じた恐怖感(認知要

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素A)と、次に目にした光景(認知要素B)とが不協和な関係にある(フィットしない)。それだけにかえって不気味 であり不安がかき立てられる。

 そこで、この不協和を低減させる(認知AとBのギャップを埋める)べく、「これで終わるはずがない…。今に恐ろ しい竜巻が襲ってくる、あるいは大洪水がくる」といったデマが拡がり、それに人々は簡単に乗せられてしまうの だ。

 つまりここでは、「第3の要素」(デマ)が加算されたことで、認知間の不協和(ギャップ)が埋められ、全体と して一応もっともらしい整合性(バランス)が得られたわけである。逆に、実際に被害を受けた地域の住民の場合 は、恐怖と被害との間に認知上のギャップがなかったため、デマという第3の要素を加える必要がなかったのであ る。

注:このような認知間のある種の整合性を得ようとする(心の隙間・ギャップを埋めようとする)まさにそのこと が、人々の軽信的な、あるいは狂信的な行為を引き起こす可能性があることに注意したい(例:関東大震災時にお ける、朝鮮人に関するデマの拡がりと虐殺)。

・ 預言が外れるとき

 別の宇宙に存在する守護神を奉じていたある宗教集団は、教祖が伝達した予言~「何月何日、大洪水とともにメシ アが到来し、自分たちを宇宙船で救出するであろう」~を信じて、旅支度までしていた。しかし、もちろん当日に なってみても何事も起きなかった。さて、この教団はどうなったでしょう?

 常識的に考えると、予言が外れたのだから教祖の権威はガタ落ちして、教団もガタガタになりそうなものである。

ところがそうはならなかった。予言が当たらなかったにもかかわらず、なおしばらくの間、この狂信的なグループは 教祖を中心にしてかえって活発な宣伝活動を繰り広げたというのである。フェスティンガーによれば、このような事 例は他の多くのグループにも見られると言う。なぜ、こうしたことが起きるのであろう?

 先立つ認知的要素(教祖による予言)と現実(外れた予言)とのギャップを埋めるための第三の要素として「信 仰」(「自分たちの篤い信仰を神が認めてくれたお陰で、地球は救われたのだ!」)が導入された。この信仰を、彼 らはより多くの人たちと共有することで、何とか不協和を低減すべくはかったのである。

 <信じていること>と<証拠事実>との不整合は、黒板を爪でひっかくような不快感を生み出す。これを和らげる には、言ってみれば、できるだけ多くの人を宇宙船に引き込むしかない。たとえ誤った信念であっても、みんなで信 じればそれは「共同幻想」となり、信者達は自分たちが正しいことを確信できるようになる。「赤信号、みんなで渡 れば怖くない」というわけだ。「宗教集団が信者を集め始めるのは、まさに信仰の誤りが明らかになった瞬間であ る」ことのカラクリは、以上のようなメカニズムによる。

 さらにフェスティンガーによれば、とりわけ狂信的だったのは宇宙船による救出を期待して、すでに多くの「コス ト」を投じた(全財産を寄付したり、職業的地位を放棄したりした)人たちだった。失った財産や地位・時間を考え ただけでも、彼らは「現実」を認めるわけにはいかない。彼らにおいて予言と現実とのギャップは、現実を否定して でも埋めねばならぬほど深刻なものだったということである。

注:カルト教団に洗脳された人がなかなか元の世界に戻れないのも、このあたりの事情が影響しているように思え る。

 本当は納得しかねる(矛盾した)状況のなかで、どうにか納得できそうな(整合性のある)意味を発見し得た、ま さにそのことがこの意味システムの一人歩きを許し、この意味秩序に取り憑かれた人たちをして、いよいよ現実離れ した狂信者に仕立てていく。オーム真理教の暴走も、この点から説明することができるかもしれない。

3) 不協和の重要性を減らすケース(意志決定後の不協和)

・ 新車購入とパンフレット

 トヨタの車と日産の車を比較して、さんざん迷ったあげく、かりにトヨタを買ったとする。買った後、「トヨタの 車を買った」という認知と、「日産の方がよい選択肢だったかもしれない」という認知は不協和になる。認知的不協 和は不愉快な状態なので、人は認知の調整によってその不協和を低減しようとする。この場合、「トヨタの車を買っ た」という事実はどうにもならないから、「日産の方がよい選択だったかもしれない」という認知の方を下げる工夫 をすることになる。

 実際に車を買った人の行動を調べてみたところ、車を買った後で、自分が買った車のパンフレットを見る時間が増 えることが分かった。パンフレットは通常、その車についてのポジティブな情報が載せられているものである。した がって、自分の車のパンフレットを読むという行動は、「自分の選択の正しさ」を確認するための「事後的な自己正 当化の試み」であることになる。

注:逆に、迷ったあげく買わなかった車についてのパンフレットや広告はできるだけ読まないようにするだろう。

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あるいは、読むにしても日産の車の「悪いところ」「短所」を殊更に探そうとするかもしれない。

 しかし、それでもなお不協和が解消しない場合はどうだろう。その場合は、「車なんてどれも同じだ」と達観する ことではじめて不協和を処理できるかもしれない。この戦略は、「選択肢間の認知的重複(cognitive overlapping) を過大視する」ということであるが、そこには、決定にかかわる認知要素の重要性を減らす(「どれも同じだ」)こ とで、「選択」の事実そのものを無効化しようとする含みがあるようである。

注:上述の喫煙者の言い訳:「どうせみな死ぬんなら…」も、「不協和の重要性を減らす」という戦略に相当する だろう。

・ 不本意入学者ほど最終的には愛校心が強くなる?

 第一志望の大学(Y)の入試に失敗して、第二志望の大学(X)に進学した学生の事例を考えてみよう。この場合、自 分が進学したX大学の短所についての認知と、進学しそこねたY大学の長所についての認知が不協和となる。この不 協和(モヤモヤ感)を払拭するためには、仮面浪人やX大学を退学してY大学を受験し直すという「初志貫徹」とい う戦略があるが、それが経済的な理由などで不可能な場合はどうなるか?

 もう予測がつくように、認知の変更がなされる。自分が進学したX大学の長所についての認知と、進学し損ねたY 大学の短所の認知とをそれぞれ強化すればよいのである。「東大に行くような奴は頭でっかちで嫌な奴が多いよ。そ れに比べて、我が母校の早稲田の学生は、自主独立の気風で快男児が多いよな」。こう思いこむこと(自己説得)に よって認知的不協和が解消される。こうして、東大受験に失敗して早稲田に第二志望で入った学生は、第一志望で入 学した学生よりも、卒業する頃には愛校心が強くなっていることが予測されるのである。

注:認知の変容は、その人の内面(態度や価値観)の変容ももたらし得るのである。これについては以下を参照。

4) 応用編

強制的承諾と態度変容

・ 報酬と認知的不協和

 子供や動物をしつけたり、労働者の生産性を上げるために、「アメ(報酬)とムチ(罰)」という言葉が使われ る。常識的に考えれば、報酬や罰が大きければ大きいほど、その人の態度や行動の変容も大きいように思われる。

しかし実際に実験してみたところ、報酬をもらって(罰で脅かして)自分の態度に反する行動をした者は、その報 酬(罰)が少ないほど自分のした行動を支持する方向に態度を変化させたという。

 自分の意志とは反する行動を、報酬を与えたり罰で脅すことによって強制的に行わせたケースを考えてみよう。

この時、行為者の元来の意志(認知要素A)と、彼が意に反する行為をしてしまったという事実(認知要素B)と は、不協和な関係になる。

――――――――――→ 元々の意志(認知A)

←――……… 意に反する行為(認知B)

 図で説明するなら、認知AとBとのあいだにギャップ(点線)が生じるわけだ。このため、「自分の意志に反する 行動をさせられている」という不快感や後ろめたさが生じることになる。この認知的な不協和を解消したければ、

このギャップを埋めればよい。

 そこで、例えば報酬を得ることによってこのギャップを埋めたとしよう。

――――――――――→ 元々の意志(認知A)

←――←――――――― 意に反する行為(B)+報酬(C)

 この報酬が十分に多かった場合、元々の意志に反する行為をしたとしても、それは「いや、十分なお金をもらっ たからさ」として自分の行為をじゅうぶんに合理化することができる(外的合理化)。数式で表すなら、

 「元々の意志」(A)≒「意に反する行為」(B)+「報酬」(C)

となり、両辺のあいだにギャップがなくなることになる。これによって不協和が解消されるため、この人は自分の 元々の意志(認知A)を変える必要はない。

 ところが、この報酬がそれほど多くなかった場合はどうだろうか。

――――――――――→ 元々の意志(認知A)

←――←―――………… 意に反する行為(B)+報酬(C')

 この場合、「意に反する行動をしてしまった」という不満はなおも解消されない。それが上の図の点線部分であ る。数式で表すなら、

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 「元々の意志」(A)>「意に反する行為」(B)+「報酬」(C')

という関係にあるわけだ。それでは、このギャップを埋めるにはどうすればよいか?その場合は、認知Aの方に操 作を加えればよい。

←――――――←……… 元々の意志(認知A)

←――←―――      意に反する行為(B)+報酬(C')

つまり、「元々の意志」のベクトルを弱めてやればよい。認知Aに対して、上図のように反対向きのベクトルを加 えてやればよいわけだ。数式で表すなら

 「元々の意志」(A)-「Aとは逆向きの意志」(D)≒「意に反する行為」(B)+「報酬」(C')

ということになる。具体的には、「いや、もともと私は、この行動をすることにそれほど反対だったわけではない んだ」、さらには「本当は、私はこの行動がしたかったんだ」という形で、ギャップが埋められるわけだ(内的合 理化)。

 こうして、この人の元来持っていた意志が弱められたり、さらには、「元々持っていたのとは反対の意志を自分 は持っていたんだ」と思いこむようになる、という「態度や信念の変容」が生じることとなる。「罰」を与えるこ とで、相手の意に反する行為を行わせようとする場合についても同じことが当てはまる。

 したがって、例えば勉強嫌いの子供を、自発的に勉強する方向に持って行きたければ、報酬や罰を与えすぎては ダメで、ささやかな報酬や罰を与えた方が効果的、ということになる(図や数式に当てはめて考えてみよう)。

注:フェスティンガーは言う:「強制による外面的承諾だけでなく、本当の意見変化を得たいと望むなら、むし ろ外面承諾をやっと引き起こせる程度に、賞や罰を与えるのが最良の方法である」

・ 事例1:スパイの洗脳

 国家の防衛機密のスパイ行為などが発覚した場合、その人が漏洩した情報の価値の割には、報酬が安いことがし ばしば報道される。これは、報酬が安い方が、その後、その人の認知のなかに自分の行為を正当化し、内面化する プロセスが機能するため、長期的にはむしろ「確信的なスパイ」に育っていくことがわかっているからではないか と思われる。

例:2000年9月、在日ロシア大使館の駐在武官に自衛隊の秘密情報を漏らしたという罪に問われれた元・陸上自 衛隊三佐が受け取った報酬は、わずか58万円であったという。しかも病気の息子への「見舞金」という名目で あった。

 ほんのささいな脅しにおびえて、あるいは、ほんのわずかのエサにつられて外面承諾してしまった場合、内心と 外面の不協和は耐えがたいものとしてのしかかってくる。ありうる解消法は二つしかない。その、実はささいな賞 や罰をなんとかして過大視するか、または、外面の方にあわせて内心をも変えてしまうか、である。しかし、ささ いな賞ないし罰で身を売ったからこそ、不協和に苦しんでいる以上、実行できる解決策は、結局、後者のほうでし かない。こうして、「自分のやっていることは短期的には国家の不利益になるように見えても、長期的には国家の 存続と戦争の抑止に役立っているのだ」というような合理化が、彼の内面で強化されていくわけである。いわば

「自己洗脳」のプロセスが働くわけだ。

・ 事例2:プライドの高い女性の心をつかむには(あるいは、だめんず達の陥穽)

 『やまとなでしこ』のお話しは一般に「純愛ストーリー」と見なされているが、もっとイジワルな解釈が可能 だ。松嶋菜々子演じる神野桜子は自分の美貌やスチュワーデスであることに自信を持っているプライド高き女性で ある。合コンで出会う男たちは、そんな桜子の気を引こうと、様々なプレゼント(報酬)を用意する。

 しかし、男性が提供する報酬が多ければ多いほど、桜子のプライドと報酬との間のズレが少なくなり、桜子の心 のベクトルが揺るがされることはない。むしろ、彼女のプライドがさらに強化されるかもしれない(「もっとすご いお金持ちがいるかもしれないと思い合コンを繰り返していた」)。

――――――――――→ 桜子の認知

―――→――――――→ 男性の価値+報酬

 したがって、彼女の気持ちを得ようとするなら少なめの報酬でなければならない。堤真一演じる中原欧介(元・

数学者で、魚屋を継いでいた)はまさにそのような男性だった。貧しい彼が桜子に対して提供することのできる報 酬は、天才的な数学の能力(これは素人には意味をなさない)と人柄のよさ(?)だけ。他の男性達が提供するプ レゼントからすればだいぶ見劣りがするわけである。

 しかし、だからこそ、桜子のプライドとの間にズレが生じる。

(8)

――――――――――→ 桜子の認知

――→――→         欧介の価値+報酬

この認知的不協和を解消するためには、通常なら欧介のことなど念頭から消し去ればよい。しかし、様々な要因

(子供の頃すでに欧介と会っていたこと・ライバル(矢田亜希子演じる後輩スッチー)の存在など)から、彼女に はそれができなかった。といって、自分が欧介の提供できる報酬にふさわしい女性だと認めることは、彼女のプラ イドが許さない。

 となると、このギャップを埋めるには、自らの認知を改竄するしかない。

←―――――←………… 桜子の認知

――→――→         欧介の価値+報酬

 この点線部分が「愛情」ということになるわけである。「私が欧介を選んだのは、彼が私のことを本当に愛して いるからなんだ」というわけであり、あるいは「私は彼のことを本当に愛しているから、お金なんていらない」と いうわけである。このように考えれば、認知的不協和は低減され、彼女のプライドも傷つかずに済む。

注:こうしたストーリー(ダメ男が美女をゲットする)はドラマや映画・小説でも繰り返し描かれてきた。たと えば、一時代前の『101回目のプロポーズ』はその典型である。

 また、倉田真由美の『だめんず・うぉーかー』に登場する女性達(だめんず)はだいたい美人で気だてがよい にもかかわらず、しょーもない男性に引っかかっては苦労するというパターンを繰り返している。そこには、や はりこうした「認知的不協和の罠」が潜んでいるのかもしれない。

2. 参考文献

・ 石川実・大村英昭・中野正大・宝月誠 1983『日常世界の虚と実―アイロニーの社会学』有斐閣選書

・ 大村英昭 1986「認知的不協和の理論(L.フェスティンガー)」作田啓一・井上俊(篇)『命題コレクション社会 学』筑摩書房

・ 岡本浩一 2001『無責任の構造―モラル・ハザードへの知的戦略』PHP新書

・ 西田公昭 1995『マインド・コントロールとは何か』紀伊國屋書店

・ 三井宏隆・増田真也・伊東秀章 1996『レクチャー「社会心理学」Ⅱ 認知的不協和理論―知のメタモルフォー ゼ』垣内出版株式会社

・ ローレン・スレイター、岩坂彰訳 2005『心は実験できるか―20世紀心理学実験物語―』

C. 講義についての注意事項 1. 今後の予定

a. 来週(7月21日)は「海の日」のため休講

b. 「7月28日」(14回目)の講義についてのレポート(6回目)が最終レポート。この通常レポートの締め切り は「8月1日(金)」

→ 前期試験の期間とかぶりますが、ラストなので頑張って書いて下さい。

c. 最終講義は「8月4日」

2. 提出期限を過ぎたレポートについて a. 提出期限

すでに提出期限を過ぎているレポート(4月28日分、5月19日分、6月2日分、6月16日分、7月7日分)の提出期限は、「7月 28日(月)」。

b. 提出方法

1) メール以外(手書き・プリントアウト)

レポート表紙をつけて「7月28日」の講義終了後、直接、講師(薄葉)に提出すること。

注:「提出期限を過ぎているレポート」については、教務学事課には提出しないように(他のレポートと混乱するの で)。

2) メールで提出する場合

提出期限の「7月28日」中に、メールにファイルを添付して送信すること

注:この期限を過ぎたレポートは送信しても受け取りを拒否するので、注意して下さい。メール以外の場合も同様。

(9)

c. その他の注意事項

「7点満点」での採点になるので、点数が不足気味の人は心して書くこと(採点は厳密に行います)。

本講義に「試験」はありません。あくまで毎回の出席とレポート提出の「積み重ね」で成績を評価します。「試験による 一発逆転」はあり得ないので、特に4回生以上の人は注意してください。

→ なお、単位取得のためには、出席点とレポート点を合わせて「63点」以上が必要ですが、現時点で63点以上の点数 であっても、欠席回数が「6回以上」になった場合は、単位取得の資格を失うので、欠席数が多い人は気をつけて下さ い。なお、欠席回数については、社会学概論のHP(http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Takeshi.Usuba/)を参照のこと。

来週に入ると、他の講義のレポートや試験と重なると思うので、今週中に片付けてしまうのがいいでしょう。

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