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化学と生物 Vol. 51, No. 6, 2013
ステロイドホルモン生合成におけるコレステロール代謝の進化的保存性と多様性
Rieske 型酵素 DAF-36/Neverland の研究から
ステロイドホルモンは,ほぼすべての多細胞生物にお いて,発生,成長,生殖,そしてホメオスタシスの制御 に必須の役割を担う.一般に,動物におけるステロイド ホルモン生合成の出発材料は,食餌あるいは体内での新 規合成に由来するコレステロールである.脊椎動物のス テロイドホルモン生合成経路の場合,コレステロールは 側鎖の切断によってプレグネノロンに変換される(図 1).この変換を担う酵素として,シトクロムP450であ るP450scc/CYP11A1が 古 く か ら 知 ら れ て い る.
CYP11A1によるコレステロールの代謝は,脊椎動物の ステロイドホルモン生合成の律速段階とされ,生体内で のステロイドホルモン量を制御するうえで最も重要なス テップであるとされる.
一方,種数と個体数の観点において地球上で最も反映 した生物群である昆虫と線虫のステロイドホルモン生合 成においても,その出発材料はコレステロールである.
昆虫における主要なステロイドホルモンはエクジステロ イドであり,脱皮と変態の誘導,生殖巣の発達,成虫の 寿命や睡眠,さらには成虫の記憶学習といった幅広い局 面において必須の役割を果たす(1).それに対して線虫で は,休眠と寿命を制御するステロイドホルモンとしてダ ファクロン酸が同定されている(2).図1に示すとおり,
エクジステロイドとダファクロン酸は炭素骨格への修飾 の全く異なったステロイドホルモンである.しかし,脊 椎動物のステロイドホルモン生合成経路とは異なり,コ レステロール側鎖の切断が生じない点はエクジステロイ ドとダファクロン酸で共通している.そして,この2つ のステロイドホルモンの生合成経路においては,出発材 料であるコレステロールに対する触媒反応も共通してお り,いずれにおいてもコレステロールの7‒8位の脱水素 化が生じ,7-デヒドロコレステロール (7dC) が生成さ れる(図1).この触媒段階の存在自体は,放射性同位 体を利用したトレーサー実験などから四半世紀以上前に 知られていた.しかし,その触媒ステップを担う酵素の 実体の解明は全く進んでいなかった.
こうした状況のなかで筆者らは,コレステロール7,8- 脱水素酵素 Neverland (Nvd) を同定し,その機能解析 を進めてきた. は,東京大学の片岡宏誌の研究室に
在籍していた筆者および吉山(柳川)拓志によって,昆虫 のエクジステロイド生合成器官(前胸腺)で高発現する 遺伝子の一つとして同定された(3).Nvdは,電子伝達 系酵素や一部のステロイド代謝酵素に見られる Rieske
[2Fe-2S] ドメインと呼ばれるモチーフ構造を有する.
キイロショウジョウバエ の
遺伝子を機能低下させた個体は,幼虫から発生が進 まずに致死となる.筆者らは,この「成虫(大人)にな れない」という表現型にちなんで,大人にならないピー ターパンの住む国「ネバーランド」を遺伝子の名前とし た.キイロショウジョウバエの遺伝学および培養細胞を 用いた生化学的な解析から,Nvdはコレステロール7,8- 脱水素に対して必要かつ十分であることが示されてい る(4).さらに,キイロショウジョウバエの 機能欠損 株の表現型は,7dCを摂食させることでほぼ完全に回復 することができる(3).このことから,後述する特殊な昆 虫を除き,Nvdの内在性の基質はコレステロールであ ると考えられる.なお,古典的な研究からはコレステ ロール7,8-脱水素酵素はシトクロムP450型であると予想
DAF-36/
Neverland P450scc/
CYP11A1
脊椎動物の ステロイド HO
O
1 2
34 6
10 19
9 8 7 1112 13
14 18 17
15 16 21
20 22
23 24
2527 26
HO
HO
HO H
コレステロール ラソステロール
(サボテンに含まれる ステロール)
7- デヒドロコレステロール
HO HO
HO OH OH
OH H O
20-ヒドロキシエクジソン
(昆虫ステロイドホルモン)
OH
O
O
H プレグネノロン
サボテンに生息する Drosophila pacheaの
Neverland
Δ7-ダファクロン酸
(線虫ステロイドホルモン)
?
5
図1■DAF-36/Neverlandのコレステロール代謝およびステロ イドホルモン生合成における機能の模式図
線虫ステロイドホルモンと昆虫ステロイドホルモンの代表例とし て,この図ではΔ7-ダファクロン酸と20-ヒドロキシエクジソンを それぞれ示した.
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されていたが,筆者らの成果はその予想を否定した点で 驚きをもって迎えられた.
昆虫を用いた筆者らの研究とほぼ時を同じくして,ド イツ・マックスプランク研究所の Adam Antebi のグ
ループも,線虫 のコレステロー
ル7,8-脱水素化酵素をコードする遺伝子として を 同定した(2). は のオーソログであり,ダファ クロン酸生合成におけるコレステロール代謝に必須の役 割を担う. 突然変異体においては,線虫の休眠と 寿命に異常が認められる(2).現在までに同定されている エクジステロイド生合成酵素群とダファクロン酸生合成 酵素群の間で,明瞭なオーソロガスな関係が認められる 酵素は DAF-36/Neverlandのみである(1, 5).このこと は,エクジステロイド生合成経路とダファクロン酸生合 成経路の共通の触媒ステップはコレステロールから7dC への変換のみであることに一致する.
特筆するべきことに, / オーソログは,エ クジステロイドやダファクロン酸を生合成しないと考え られる後口動物の動物種にもよく保存されている.実際 に筆者らは,ムラサキウニ,カタユウレイボヤ,ゼブラ フィッシュ,そしてアフリカツメガエルの / オーソログを単離し,そのいずれもがコレステロール 7,8-脱水素化活性をもつことを生化学的に示した(4).す なわち, / はエクジステロイドやダファクロ ン酸の生合成にとどまらず,動物界を超えてコレステ ロール代謝制御にかかわり,その代謝経路は後口動物の 発生過程にも何らかの役割をもつことが強く示唆され る.後口動物においては従来,コレステロールから7dC への変換とは逆,すなわち7dCからコレステロールへの 変換を担う7dC還元酵素 (DHCR7) の存在はよく知ら れている.しかし,コレステロールから7dCへの変換に ついて,後口動物での知見は現時点では一切ない.今 後,ホヤやゼブラフィッシュなどのモデル生物において / 機能低下個体の表現型を詳細に追究するこ とで,後口動物における / の機能的意義に迫 りたい.
DAF-36/Nvdは,その保存性だけでなく,進化的多 様性の面でも興味深い特徴を示す.まず一つには,現在 までに利用可能な哺乳類ゲノム情報からは, / は見つかっていない(3, 4).このことは,同じ動物界にお いてもコレステロール代謝制御には分子レベルの多様性 が存在し,哺乳類においては / は何らかの理
由によって失われたことを示唆する.その進化的意義は 現在のところ不明であるが,哺乳類の進化の過程でステ ロイドホルモン生合成にかかわるコレステロール代謝メ カニズムに大きな変化があったことが推察される.
さらに筆者らは最近, / はショウジョウバ エ属内における小進化過程においても極めて特殊な変化 を遂げた遺伝子であることを見いだした(6).ショウジョ ウバエの1種 (以下「パチアショウ ジョウバエ」)は,アメリカからメキシコにかけて広が るソノラ砂漠に生息するショウジョウバエであり,
というサボテンでのみ繁殖する.過去の生理 学的研究から,パチアショウジョウバエは,コレステ ロールを材料として7dCを生合成することができない が,サボテンに含まれるステロールであるラソステロー ルを材料として7dCを生成し,そしてエクジステロイド 生合成へとつなげることが知られている(図1).筆者 らは,フランスのVirginie Orgogozoらとの共同研究に 参加し,パチアショウジョウバエにおけるステロール基 質特異性の変化がNeverlandの変化に起因する可能性を 検証した(6).パチアショウジョウバエのゲノムより 全長構造を決定し,その産物の酵素活性を測定したとこ ろ,期待どおりにパチアショウジョウバエのNvdはコ レステロールを代謝できず,代わりにラソステロールか ら7dCを生成できることがわかった.パチアショウ ジョウバエのNvdとコレステロールを基質とするほか の生物種のNvdのアミノ酸配列を比較すると,パチア ショウジョウバエの酵素機能を変化させる可能性がある アミノ酸はたかだか数残基のみであった.そして,パチ アショウジョウバエのNvdで変化しているアミノ酸部 位のうちの3カ所を通常型タイプに人工的に変異させる だけで,コレステロールを基質とすることが可能になっ た(6).
これらの結果は,サボテンに特化したパチアショウ ジョウバエの狭食性の進化には,Nvdというたった一 つの酵素の基質特異性の変化が決定的な役割を果たした ことを示唆している.この成果は,酵素の特性に変化を 与える遺伝的変化が生物の生活スタイルの進化にかかわ ることを具体的に示すものであり,進化生態学的に重要 である.
以上のようにDAF-36/Nvdは,動物のステロイドホ ルモン生合成におけるステロール代謝の進化的な保存性 と多様性を考えるうえで,非常にユニークな位置を占め
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る分子である.今後,DAF-36/Nvdの機能の調節にど のような分子ネットワークがかかわるのかを明らかに し,比較生理学的観点を常に意識して研究を進めること で,ステロイドホルモン生合成およびステロール代謝の 生命誌に迫りたい.
謝辞:本稿で紹介した研究の一部は,科学技術振興調整費「若手研究者 の自立的研究環境整備促進プログラム」,マリンバイオ共同推進機構 JAMBIO, および農芸化学研究奨励会の支援を受けました.この場を借 りて厚く御礼申し上げます.
1) 丹羽隆介: 脱皮と変態の生物学―昆虫と甲殻類のホルモ
ン作用の謎を追う ,園部治之,長澤寛道編,東海大学出
版会,2011, p. 55.
2) J. Wollam & A. Antebi : , 80, 885
(2011).
3) T. Yoshiyama, T. Namiki, K. Mita, H. Kataoka & R.
Niwa : , 133, 2565 (2006).
4) T. Yoshiyama-Yanagawa, S. Enya, Y. Shimada-Niwa, S.
Yaguchi, Y. Haramoto, T. Matsuya, K. Shiomi, Y. Sasaku- ra, S. Takahashi, M. Asashima, H. Kataoka & R. Niwa :
, 286, 25756 (2011).
5) 丹羽隆介,梅井洋介:日本農薬学会誌,37, 377 (2012).
6) M. Lang, S. Murat, A. G. Clark, G. Gouppil, C. Blais, L. M.
Matzkin, E. Guittard, T. Yoshiyama-Yanagawa, H. Kata- oka, R. Niwa : , 337, 1658 (2012).
(丹羽隆介,筑波大学生命環境系,科学技術振興機構 さきがけ)
プロフィール
丹羽 隆介(Ryusuke NIWA)
<略 歴>1997年 京 都 大 学 理 学 部 卒 業/
2002年同大学院理学研究科生物科学専攻 博士後期課程修了,博士(理学)/2003年 日本学術振興会特別研究員SPD(東京大 学大学院新領域創成科学研究科)/2006年 ヒューマンフロンティアサイエンスプログ ラム長期フェロー(イェール大学分子発生 細胞生物学部)/2008年筑波大学大学院生 命環境科学研究科助教/2012年同生命環 境系准教授,科学技術振興機構さきがけ研 究者(兼任),現在に至る.2011年度農芸 化学奨励賞受賞<研究テーマと抱負>昆虫 と線虫の発育成長制御の分子メカニズムの 解明.現在は特にステロイドホルモン生合 成の制御機構の追究.昆虫や線虫の生活ス タイルそのもののおもしろさを引き出しつ つ,われわれヒトにも敷衍できるメッセー ジをもつ研究を展開したい<趣味>山歩 き,前衛芸術・サブカル鑑賞