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口 共 することのできない い 『 』 ―

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(1)

樋 口 一葉 十三夜 論 『 』 ― 共 有 することのできない い 思

* 趙 惠 淑

1)

국문초록

< >

본 논문에서는 樋口一葉의 十三夜 를 연구대상으로 하여 우선, 阿関가 이혼결심을 철회 한 이유를 분석하고 다음으로, ( )( )上 下 로 구성되어 있는 十三夜 에서 阿関와 録之助의 재회가 그려진 ( )下가 어떠한 의미를 가지는지에 대해 고찰하였다 마지막으로 남편의. , 변모로 결혼생활이 위태로워진 阿関부부의 이야기도 검토해 보았다.

가 이혼을 주저했던 것은 아들에 대한 모성애 그리고 만약 이혼하게 되면 자신은, 阿関

남편에게 학대를 받아온 괴로움으로부터 벗어나지만 자기아들과 친정식구들은 힘들어진 다는 판단 때문이었다 이혼을 생각할 때마다 식구들에게 양심의 가책을 느꼈을 것으로. 보이는 阿関는 더 이상 남편의 학대를 참을 수 없게 되자 아들과 만나지 않을 각오를, 하고 학대받는 괴로움으로 양심의 가책을 억누른 뒤 이혼을 결심하고 친정집을 찾아간, 다 하지만 친정집 앞에서 아버지의 이야기를 들은. , 阿関는 더 이상 양심의 가책을 억누 르지 못하고, <이혼결심 과> <아들에 대한 모성애 ․ 가족들에 대한 양심의 가책 으로 내>

면이 분열된 채로 부모님께 이혼의사를 밝히게 된다 아들과의 영원한 이별 가족들의. , 괴로움에 대해 언급하고 눈물의 공유를 제안하며 이혼을 만류하는 아버지의 이야기를 듣 고 또 다시 모성애와 양심의 가책을 의식한 阿関는 결국 이혼결심을 철회할 수밖에 없었 다.

는 자신을 잘 알고 있는 부모님이라면 이혼승낙은 어찌되었던 적어도 자신의 이야기 阿関

를 이해해 줄 것이라 믿고 있었다 그러나 이러한 기대는 부모님과 대화하는 가운데 무. , 너져 버려, 阿関는 외로움을 느끼면서 집으로 돌아갔으리라고 생각된다 돌아가는 길에. 우연히 録之助를 만난 阿関는 録之助와의 재회를 통해 어찌할 수 없는 자신의 괴로움과, 외로움이 누구와도 공유할 수 없는 것이며 자신이 짊어지고 가야만 하는 것임을 깨닫고, 받아들이게 된다 이렇게 보면. , 十三夜 는 ( )上과 ( )下 어느 한 쪽에 중점이 놓여져 있 는 것이 아니고, ( )上 에서 시작한 阿関의 이야기가 ( )下 에서 완결되었다고 할 수 있을 것 이다.

에서는 이혼결심을 계기로 자신의 어두운 생을 깨닫게 된 에게 초점이 맞춰

十三夜 阿関

져 있어 남편의 변모로 결혼생활이 위태로워진, 阿関부부의 이야기는 몇 가지 점에서 대 략의 추측만 가능할 뿐 명확하게 그려져 있지 않다, . 十三夜 의 다음 작품인 この子 에서 변화하는 부부관계가 다루어진 것은 여기에 그 이유가 있을지도 모른다.

* 専修大学人文科学研究所 特別研究員/ [email protected]

(2)

<目次>

はじめに Ⅲ. 録之助との再会 . 面 分裂の

Ⅰ 内 Ⅳ. 原田夫婦 物語の . 離婚決意 翻意の

Ⅱ おわりに

はじめに

1895( 28) 12 10 1 12

十三夜 は 明治 年 月 日 行の 文芸 部 第 第 編臨時 刊 閨

『 』 、 発 『 倶楽 』 巻 増 『

秀小説』に発表された作品である。『にごりえ に』 続いて発表された『十三夜』 、「は 一葉 女史の『十三夜』に りては至 、よしや其深刻は『濁りえ』に ばずとするも及 、着想警抜にし

( ) 而 怪僻 日常市井 資料 是凄峭悲 情理 曲 略 十三 て かも に陥らず、 の を駆りて 惨の を 尽す、 『 夜』の一篇能 閨秀小く 説の を重 撑持し、女性作家の為に万丈の光焔を放ちたるものと謂ふべ し」1)と同時代に高く評価されている。そしてその後、『十三夜』が一葉作品の傑作の一つ

扱 言 十三夜 高 評 受

として われてきたのは うまでもない だが。 、『 』は い 価ばかりを けたので (上) (下) 量 不均衡 下 付 感

はないようだ。 と の「 が であり、『 』のほうが 録のような じを与え ている」2)とか、「総じて筋の後半のほうが、軽い感じを残すことも争われない。筋の蛇足

( )

的な冒険の危惧が起こりうると思う。 略 別な作品に独立して描くべきものである」3)な ( )

十三夜 下段 欠点 評論 見 ど、『 』において を として げる挙 も える。

(上 下 二段)( ) に構成されている『十三夜』は、離縁状を頼みに実家を訪れた阿関が両親と話

( ) ( )

離婚決意 翻意 過程 上 阿 之助 約七年 再 下 描 したあと を する が に、 関 録と との ぶりの 会が に

十三夜 論 考察 象 阿 離婚決

かれている。『 』を ずるにあたって、よく の対 になったのは、 関が ( )

意を翻意した理由と 下段の位置づけ問題だと言えよう。長年の「辛棒」に限界を感じたこ

離婚決意 踏 阿 決心 翻意

とから に み込んだ 関が、あまりにもあっさりとその を したことをめ

究 見解 述 一方 十三夜 欠点

ぐって、従来 研の ではさまざまな が べられてきた。 、『 』の として (上 下)( )の分裂が挙げられた以来、(下)段の位置づけ問題は、多角度から論じられてきたと 思われる。本稿では、従来 研の 究 踏を まえながら、まず阿関が離婚決意を翻意した理由 明を

( )

次 下段 位置 問題 考察 最後 近年 入 論 らかにし、 に の づけ を していきたい。そして に、 に って

原田夫婦 物語 討

じられるようになった の も検 してみたい。

. 面 分裂 の

Ⅰ 内

十三夜 は 例は威勢よき ぬり車の それ に門 音 止が まつた娘ではないかと 親に出迎

『 』 「 黒 、 両

物 今宵 辻 飛 車 悄然 格子 外 立 阿

はれつる を、 は より のりの さへ帰して と 戸の に てば」という、 家訪問 子 描 書 出 始 例 違 形 阿 家 訪問 の の が かれた き しから まる。「 」と う で が を し

関 実 様 関 実

1) 高山樗午「女性作家に む望 」、『太陽』、1896. 2

2) 関良一「『十三夜 入門』 」、『樋口一葉 考証 試論と 』、有精堂、1970 p.364、 3) 板垣直子 十三夜「 」、『国 学文  解釈と鑑賞』、至文堂、1974. 11 p.155、

22

- 23 -

- -

(3)

理由 何 顔 離 下 言 物 彼女 言葉 明 た は、「 の さげて 縁状もらふて されと はれた か」という の で ら

太 出 言 物 丸 御人 夫 原田勇

かにされている。 郎が「 来てからと ふ は で が変」ったという の か

言葉 虐待 受 阿 堪 種 思案

ら、いわゆる の を け続けてきた 関は、もう えられなくなり、「 々 もし

後 離婚 決意 今宵 家 訪 阿 離婚決意

しての 」 を し、「 」 を れたという。ところが、 の は、

尽 実 関

父親である斉藤主計の説得を受けたあと、彼女自らによって撤回されてしまう。阿関の離婚 決意を撤回させた父親の説得の言葉は、阿関がすでに予想していた内容であり、新しい指摘

何 阿 抗弁 言葉 一 述 離婚決意

が もなさそうである。にもかかわらず、 関は の も つ べないまま を 撤回してしまうのである。

多 十三夜 論 阿 離婚決意 撤回 主 理由 太

の くの『 』 では、 が を した な として、 に する

従来 関 郎 関

父親の指摘が挙げられてきた4)。また、亥之助の出世、そしてそれによる斉藤家の家名回復 理由 捉 論考 見

をその として えた も られる5)。一方、そもそも阿関の離婚決心は固まっていな 見

かったと る説6)、阿関は離婚決意を翻意したわけではないと読 説む 7)もある。これらの説

4)離婚決意 翻意の における な主 理由として太郎の存在を げている挙 従来の には、論 関良一「『十三夜 入門』 」(前掲

pp.361-367) ( 2001

書、 、山田有策「『十三夜』の世界」 『深層の近代 鏡花― と一葉』、おうふう、 、 pp.289-303)、松坂俊夫「『十三夜 論』 」 『( 増補改訂 樋口一葉研究』、教育出版センター、1983 pp.181-18、 7)、水野泰子「『十三夜 試論』 ―『 』母 の幻想の称揚―」 『( 文芸 批評と 』、1989. 9 pp.11-20)、 などがある これ。

(

論考 反論 提起 高田知波 幻滅 嫁入 昔 十三夜 樋口一葉論 射 らの に を したのは、 「 する『 せぬ し』―『 』ノ トー 」 『 への

1997 p.48) “ ”

程』、双文社、 、 である。高田論文は「 母性が原田家への引力として に常 作用し けていた もの続 」 千度 百度 考 直 末 阿 母性 絆 家 出 述 太 存在 言 の、「 も も え し た」 、 関が「 の を ちきって を断 」たと べたうえで、 郎の を 及する「父親 言葉 翻意 主要の が の モメントとして いたというのではあまりにも働 単純すぎるのではないだろうか」

と じている。

5)高田知波 幻滅「 する『嫁入せぬ し昔 』―『十三夜』ノ トー 」(前 書掲 、pp.48-56)は、「離婚決意過程において彼女 視野 十分 捕捉 新 論理 長男 出世 家名 回復 落士族 使命感 の が に していなかった しい 」―「 の による の 」という「没 の 」

父親 言 中 取 阿 自分 可能 弟 片腕 道 立派 夫 原田勇 妻 を「 の 説の 」で み った読 関が、「 に な の『 』の とは『 な 』 の であり

悲 現 見 離婚決意 撤回 述 高田論文 見

けることでしかないという しい 」を し、 を したと べている このような。 の

続 実 発

(

解 批判を したのは、山本欣司「『十三夜 論』 ―お の関 『今宵』/斉藤家の『今宵』―」 『国語と国 学文 』、東京大 1994. 8 p.16)

語 文 、 、 である。山本論文 阿は が「 家の現 」 「に まったく づいていなかったとす

学国 国 学会 関 実 実 気

無理 反論 提起 山本論文 反

るのは かなり、 がある と」 を している だが。 、「まったく づいていなかった という気 」 の 論は、「十分 捕捉に していなかった という」 高田論文の見解と み っていないと られる噛 合 見 。

6)「彼女はあたかもあっけなく婚家に るかに えるが それは戻 見 、 ( )略お関自身 引 裂が き かれるかたちで登場し、実家

決心 苦 原因 田中 十三

に るという戻 さえつきかねる 悩のなかにいたことがその にまず げられよう という挙 」 実「『

( 1987.

夜』 『 』」 『の 雨 日本近代文学』、 10 p.18) 見解、 の に かれて導 、山本欣司「『十三夜 論』 ―お の関 『今 ( p.20)

宵』/斉藤家の『今宵』―」前 論文掲 、 は、「お はいわば関 離婚請求という で あのような形 、 苦悩 満に ちた 況を 親 訴に えるために、『今宵』 家へ ってきたのである。『 』鬼 の原田からの解放 心を から希求しながら

状 両 実 帰

何 最良 解決策 最終決定 父親

も、 が に真 の であるかわからなくなっていたからこそ、 権を に るかたちで とにかく譲 、 自分 悔の しい いのありたけを思 両親 前 吐露の で してみせた と べている」 述 。一方 狩野啓子、 「関係性 病の い―『十

( 1996. 11 p.44)

三夜』の らし す照 出 近代」 『日本文学』、日本文 協学 会、 、 は、「本気で、離婚を決心していたな

勇 手紙 意思表示 自分 同 値 生 親

らば、 にぶつかるなり あるいは、 ででも ができたはずである。 と じ価 観で きている両

離 話 反 程度予測 余地

が、 縁の にどのように 応するかは お にはある、 関 がついたのではないだろうか。帰る を して残 ( )

家を ていたからこそ出 、略 父親 言葉 有の が 効なのである と している そもそも」 記 。 阿関の決心が まっていな固 (

見 松泉 樋口一葉 十三夜 試論 決心 相模女子大 紀要 相模女子大 かったと る に説 、戸 「 『 』 ―お の関 〈 〉―」 『 学 』、

1992. 3 pp.70-71)が反論 唱を えている お 自身 引 裂が き かれるかたちで登場し たと指摘した田中論

、 、 。「 」

学 関

( )

文に して対 、「『引 裂き かれた お の』 関 内面 位相 殊 妻の に としての り在 方そのものの検討」が必要だと主張した 松論文は、登場場面において阿 が離婚の「〈決心〉それ自体については微塵も らぐことな く」 、「離婚 伴に

戸 関 揺

要因 見極 述

うマイナス を めていた と べている」 。

7)阿関が離婚決意 翻意を したと ずしも えないという みは、必 言 読 紅野謙介・小森陽一 十川信介・ ・山本芳明 樋口一「 ( 1990 pp.125-158)

葉 十三夜『 』を む読 」 『文学』、岩波書店、 ・冬号、 によって提示された。以後、戸松泉 樋「 ( p.78)

口一葉 十三夜 試論『 』 ―お の関 〈決心〉―」前 論文掲 、 は、「お は関 結果的 自に らの〈決心〉を じ めてい封 込 (

出原隆俊 十三夜 合 擦 機能 文 解 鑑賞 至文

くことになる と」 、 「『 』を総 するもの―〈 れ の〉 ―」 『国 学  釈と 』、

1995. 6 p.76)

堂、 、 は、「《翻意》と らない取 見解に ずる と している同 」 記 。一方 井上理、 恵「無限 闇の ―『十三

( 1994 p.165) (

夜』」 『樋口一葉を みなおす読 』、学芸書林、 、 と菅聡子「『十三夜』―心 闇の ―」 『国 学文   解釈

(4)

互 反論 提起 阿 離婚決意 撤回

がそれぞれお いに を しあっているなど、 関が を したことに関して 議論

はまだ が いている。続

阿関が離婚決意を撤回してしまった理由を考察するに先立って、阿関が実家を訪れる『十三 夜』の冒頭部分に目 向を けてみたい。「車さへ して帰 悄然と格子戸の外に立」っていた阿関 私 福人 一人 柔順 子供 持 育 手 懸 人 褒 に、「いはゞ も の 、いづれも しい を つて てるに は らず には

分外 欲 此上 望 有難 事 語 父親 相

められる、 の さへ渇かねば に みもなし、やれやれ い 」と る の「

高 聞 嬉 父親 話 聞 阿 次 思

かはらずの 声」が こえてくる。 しそうな の を いた 関は、 のように いを めくらせていくことになる。

何 御存 彼 喜 出遊 物 何 顔 離 下 言

あゝ も じなしに のやうに んでお ばす を、 の さげて 縁状もらふて されと

物 叱 必定 太 言 子 身 置 出 種 思案

はれた か、 かられるは 、 郎と ふ もある にて いて け して るまでには駆 来 々

後 今更 老人 驚 是 喜 水 泡 事 寧

もし しての なれど尽 、 にお を かして れまでの びを の にさせまする つらや、

話 太 母 言 何時何時 原田 御 親 奏任

そ さずに ろうか戻 、戻れば 郎の と はれて までも の奥様、 両 に の があ聟 身 自慢 私 身 節 時 口 合 物 小遣 差 思

る と させ、 さへ を 倹れば たまはお に ふ お ひも あげられるに、 ふま をゝ 通して離縁とならば太郎には継母 憂 目の き を せ見 、御 親両 には までの今 自慢 鼻の にはかに くさせま低

人 思 弟 行末 此身一 心 出世 止

して、 の はく、 の 、あゝ つの から の も めずはならず真 、戻らうか、戻らう

鬼 我良人 彼 鬼 鬼 良人 厭 厭

か あの のやうな、 のもとに らうか戻 、 の の、 の のもとへ ゑ、 ゝ や や

種 思案もし して 原田家を てきたという出 阿 は 格子 の外 で父親 話の を い聞

「 々 尽 」 関 、「 戸 」

鬼 我良人 迷

て、「戻らうか、戻らうか、あの のやうな のもとに戻らうか」と うのである。 迷っていた阿関は、戻るのは「ゑゝ厭や や厭 」 「と 身をふるはす途端」に よろよろとして「 思はず」格子戸にぶつかり、その音を聞いた父親が出てきたため、家の中に入ることにな

何度 考 直 離婚 決意 固 後 家 訪問 阿 迷

る。 も え して の を めた に実 を したという 関を わせたもの 何

は、 だったのであろうか。

阿関の登場場面をめぐって田中実「『十三夜』の『雨』」8)は、「彼女の内面が二極に分裂

指摘 離婚 決意 母 太 思 分裂

し」ていると している。 への と としての 郎への いとを「 し」ている 面 の 二極 として捉えている田中論文は 阿 がこの 二極 の間で 引き裂か

「内 」 「 」 、 関 「 」 「

苦 見 阿 口 語 母

れ」て「 悩」していると ている。さらに、 関の から られることのなかった とし

太 思 彼女 身体現象 取 父親 深 父 愛 阿

ての 郎への いを の「 」から読み った が、 い「 の 」をもって

得 阿 原田家 述 阿 登場場面 彼

を し、 は に ることにしたと べている。 の において、「

関 説 関 戻 関

女の内面が二極に分裂し」ているのは、確かに田中論文が指摘する りである通 。けれども、 阿関が「格子門の外」で考えていたことを検討してみると、母としての太郎への いを思 「分 裂し」ている「内面」の「二極」の一つとして限定するのは、必ずしも適切ではないと わ思 れる。

阿関が「格子門の外」で考えていたこと、それは自分の離婚決意を実行するか否かによっ

太 御 親 弟 自分 血 係 人 及

て、「 郎」はもちろん、「 両 」「 」という と 縁関 にあるまわりの 々に

予想 影響 原田家 御 親 奏任 身 自慢

ぼすことが される であった。 に れば戻 、「 両 に の がある聟 と

私 身 節 時 口 合 物 小遣 差 離婚

させ、 さへ を 倹れば たまはお に ふ お ひも あげられる と」 、 すると

1995. 6 p.86)

鑑賞 至文堂 父親 話 聞 阿 離婚決意 翻意 新 悟

と 』、 、 、 は、 の を いた 関が を したのではなく、 たな「覚 」 見解 示

をしたという を している。

8) 田中実「『十三夜』 『 』」、の 雨 前 論文掲 、p.14-26 25

- 24 -

- -

(5)

太 母 憂 目 見 御 親 今 自慢 鼻 低

なれば「 郎には継 の き を せ、 両 には までの の にはかに くさせ」、

( )

弟の行末 略 出世の も止めずはならず と 阿 は思い浮かべている ここで注目した

「 真 」 、 関 。

結婚生活 維持 場合 人 得 離婚 場合

いのは、 を した はまわりの 々が られるメリットだけを、 する

人 抱 阿 思 浮 原田

はまわりの 々が えるデメリットだけを、 関が い かべていることである。 との 離婚がまわりの人々にとって苦しみを抱えるものだと、阿関は認識していたのである。その 一方で、阿関は自分自身にとって原田との離婚が苦しみから れるものだと逃 思っていたはず

太 我慢 原田 虐待 苦 逃 唯

である。 郎と会えなくなることさえ できれば、 の という しみから れる 一の道が、原田との離婚だったからである。自分は苦しみから逃れるが、まわりの人々は苦

抱 阿 考 原田 離婚 意味 言

しみを えるもの。それこそ、 関が えていた との の であったと えよう。 原田との離婚 意味の をしっかりと自分なりに把握していた阿関は、原田の虐待に えがたく耐

離婚 考 柔順 性格 人 後 感

なって を えるたびに、「 しい」 からまわりの 々に して ろめたさを じ対

後 太 存在 原田

ていたのではなかろうか。そして この ろめたさは、 、 郎という とともに、 との 離婚に み踏 込もうとする阿関を躊躇させたに違いない しかし。 、原田の虐待に限界を感じた 阿関は、太郎に会えない辛さを我慢する覚悟をし、虐待の苦しみでまわりの人々に対する後

抑 離婚決意 固 今宵 原田家 出 思

ろめたさを えたうえで、 を めて、「 」 を てきたと われる。だ

家 中 聞 嬉 父親 高 阿 人

が、 の から こえてくる しそうな の「 声」によって、 関はまわりの 々に対

後 抑 阿 自分 離婚 結婚生活 維

する ろめたさを えきれなくなったのではなかろうか。 関が の と の 持とによるまわりの人々への影響をそれぞれ思い浮かべているのは、そのためであろう。

< > <

格子門の外 に立っている阿 は 離婚への決意 そして 太 への思いとまわりの

「 」 関 、 、 郎

>

人々への後ろめたさ という「二極」に「内面」 「が 分裂」されて迷っているのである。

. 離婚決意 翻意 の

Ⅱ  

面 が分裂されたまま の家 中 入に ることになったため 阿 は 親に今宵訪問した理由

「内 」 、 関 両

語 言 出 私 申 御無沙汰 居

を ろうとしても、なかなか い すことができない。「 は 訳のない して り 挨拶 久 家 訪問 見 阿 家族 近況 尋 ました という」 から しぶりに実 を したと られる 関は、 の を ねる 過程で両親が相変わらず元気であることとともに、弟 亥之助の にまつわる最近の情報を つ二 耳にするようになる。一つは「夜学」に っていることで通 、もう一つは近頃「昇給」したこ

亥之助 夜 通 立身出世 未 言

とである。 の「 学」 いが、 という 来のためであることは うまでもな い9)。また、原田の「縁引」で「どこかの省庁に雇員として採用され」た亥之助が「『口の 重い質』でおそらく愛想にも愛嬌にも欠ける」少年であるにもかかわらず10)、課長に可愛

近頃 昇給 原田 問題

がられているし、 「 」したというのは、 のおかげでそれほど もなく働いて

9) 亥之助の「夜学」通いが立身出世のためであることは、高田知波 幻滅「 する『嫁入せぬ し昔 』―『十三夜』ノー (前 書 pp.54-56) 十三夜 補注 夜 項( 新古典文 大系 明治編24 樋口一葉集 岩波書

ト」 掲 、 、『 』 「 学」 〈 学   〉『 』、

2001 pp.529-530) 1893 ( 26)

店、 、 などの くの多 先行研究で指摘されてきた これらの。 先行研究は、 年明治 10月 官報 に 文官試 規則 とともに公布された 文官任用令 に注目している この 文官任用令 には 奏任

「 」 「 験 」 「 」 。 「 」 、

官・判任官を任用するに たっていくつかの当 特別規定 設が けられている その でも。 中 「第五条 満  五年以上雇員と 同一官 勤 者 文官普通試 委員 銓衡 直 官 判任文官 任用

して 庁に 続したる は、 験 の を て経 、 ちにその 庁の に することを 得」 、は これらの論考が亥之助 立身出世の と関連して注目している である件 。役所で いている働 亥之助 場合の 、 文官試 以外に 文官普通試 委員 銓衡の に ることでも通 判任文官 になれるのが この特別規定から

「 験」 、「 験 」 「 」 、

分かる それほど。 学歴が くないと られる高 見 亥之助は、「文官試験」より「文官普通試 委員 銓衡験 の 」を けるほ受 然負担 少

うが、当 が ないはずである。

10) 高田知波 幻滅「 する『嫁入せぬ し昔 』―『十三夜』ノ トー 」、前 書掲 、p.55

(6)

意味 亥之助 勉 情報 弟 いることを する。 が働きながら将来のために 強 励に んでいるという は、

出世 止 知 離 阿

の「 の真も め ることを」 りながら 縁状を頼もうとする 関に、プレッシャーとし

作用 言 過言 娘 訪問 嬉 親 子 亥之助

て したと っても ではないだろう。 の を しがる両 の様 と に す関

最近 情報 接 阿 太 連 聞 母親 理由 正直

る の に した 関が、 郎をなぜ れて来なかったかと く にその を

語 言

に ることができなかったのは うまでもない。

後 賤 身分 思 通路 叶 嘆 母親 言葉

その 、「 しき 」を にして気 「 ふまゝの が は ないことを く」 の を ( )

受けて、阿関は「本当に私は親不孝だと思ひまする、 略 父さんや母さんに斯うして上やう ( )

思 事 出 言 出 父親 馬鹿 馬鹿 略嫁 行 身 家 親 と ふ も 来ず」と い したものの、 が「 、 に つた が実 の

貢 思 寄 阿 言葉 否定 子 滑

の をするなどゝ ひも らぬこと」だと 関の を したあと団 がおいしいと「 稽を入れ」たため、「再び ひそびれて しまう言 」 。だが、この父親 言葉の は、離婚によって

親に お「 口に合ふ お物 小遣ひ」もさしあげられないことを にしていた阿 の しみを苦 和

両 気 関

らげてくれたのではなかろうか。

阿関の苦しみが少し和らいだところで、いつもと違う娘の訪問を不審に思った父親から泊

聞 阿 訪問 目的 語 始 太 置

まっていくのかと かれた 関は ようやく、 の を り める。 郎を いてくるま 千度 百度 考 直 二年 三年 泣 今日 今日 離 貰 で「 も も へ して、 も も 尽して といふ どうでも 縁を ふて 頂かうと決心 臍の をかため たと」 離婚決意における慎重さを べたうえで ようやく述 、 語 出り

阿 話 大 二 容 分

した 関の は、 きく つの内 に けることができる。

阿 話 大半 占 容 阿 離婚 決意 緯

まず、 関の において を めている内 は、 関が を するようになった経 言 阿 朝飯 時 小言 絶 召使 前 散 私 身 不器 だと えよう。 関は「 あがる から は えず、 の にて 々と が の 用不作法を御並べなされ、夫れはまだまだ辛棒もしませうけれど、二言目には教育のない 身、教育のない身と御蔑みなさる と」 離婚決意 理由 打の を ち けている明 。そしてその一方で 阿関は、原田と「言葉あらそひした事も なかったこと」 、「芸者狂ひ」や「囲い者」の が噂 聞こえても「悋気」しなかったことなど、自分 原田 妻が の として正しく行動してきたことを 付け加えている。阿関が原田の妻として ち落 度がないように めてきたとすれば勤 、原田 彼が 女の行動をもって「表向き実家の るいを悪 風聴」することは、士族としてプライドを持って

藤家 許 行 高田知波 幻滅 嫁入

いた斉 にとって しがたい 為だったのではなかろうか。 「 する『 せ 昔 十三夜

ぬ し』―『 』ノート」11)が指摘するように、「嫁に行つた身が実家の親の貢をする

思 寄 父親 言葉 婿 原田 援助 拒 潔

などゝ ひも らぬこと」だという の には、 である からの経済 を む 癖さ、つまり士族の プライド「 」が表れている このような。 斉藤家の士族としてのプライド

知 阿 妻 自分 正 勤 表向 家 風 原

を っていた 関は、 としての の しい めと「 き実 の悪るいを 聴」する 田の姿とを強調することが、両親から離婚の承諾を得るにおいてどれほどの力を発揮するか

然予想できたはずである。原田 不の さを 調する阿 の り語 方は、離婚承諾という目的

当 当 強 関

達成 有用 方法 言

を するための な であったと えよう。

次に、原田との離婚によってまわりの人々に与えてしまう苦しみに して対 阿関が っている持 考えを、阿関の話の な主 内容として挙げることができる。太郎 関に して「継母の き憂 目に会

阿 親 子 育 言 私 不

わせる ことを」 気にしていた 関は、「 はなくとも は つと ひまするし、 の様な 運の母 手の で つより育 継母御なり御手かけなり に気 適ふた人 育に てゝ貰ふたら、少しは父御

可愛 後 子 成 震 語 太 父親

も がつて 々あの の にも ませう為 」と える で声 っている。 郎が にあまり 可愛がられていないと判断している阿関は、その原因 原田が の気に っていない入 自分にあっ

自分 育 以上父親 太 可愛 考 片親

て、 が てる が 郎を がることはないと えようとしている。どうせ 11) 高田知波 幻滅「 する『嫁入せぬ し昔 』―『十三夜』ノ トー 」、前 書掲 、p.49

27

- -

(7)

愛情 受 父親 少 可愛 原田家 跡

の しか けられないのなら、 に しでも がられたほうが の 継ぎである 太郎にもよいという論理で、阿関は自分自身と両親を納得させようとするのである。だが、 父親の に気 入った人 育に ててもらうことが、太郎を「継母の き憂 目に会わせる」対策になれ

言 場合 大 石之助 母

ないのは うまでもない。 によっては「 つごもり」の のように、「継 のうい 目」に うことに会 止まらず、継母によって原田家の跡継ぎという太郎の地位が威嚇される可 能性もある。原田との離婚が、太郎との永遠の別れを意味すること、さらに必ずしも「 後々」太郎のためにもなると言えないことを知っていたため、阿関の「詞はふるへ」るので あろう。

弟 行末 出世 止 意識 阿

また、「 の 」における「 の真も めずはなら」ないことを していた 関は、 私はこれから 職なり何なりして亥之助が片腕にもなられるやう がけます心 と 親 訴に

「 内 」 両

寧 賃仕事 傍 暮 方 余 快 御座 言 考

える。「 そ してもお で した が つぽど よう います」という発 を参

阿 考 職 賃仕事

にすれば、 関が えている内 というのは、「 」のようなものである。お嬢様とし

育 阿 賃仕事 得 入 知

て ったわけでもない 関は、「 」で られる収 がどのぐらいなのか っているは

入 弟 片腕 熟知 考

ずであり、さらにそのわずかな収 では の「 」になれないことも していたと え

弟 出世 止 具体的 案 出 阿 職

られる。 の「 の真も め」ることに関して な対 を せない 関は、「内 な

何 片腕 努力 積極的 姿勢 示

り なり」して「 」になるように するという な を すことしかできな かったのであろう。

鬼 のような原田 離婚と したほうが自分はもちろん太 のためにもなる また離婚後 亥は

「 」 郎 、

之助の片腕になるために努力するという阿関の主張は、両親にどう け受 止められたのであろ 阿 話 聞 終 父親 身分 釣合 思 事 自然違

うか。 関の を き わった は、「 が はねば ふ も ふて」「やかま

六 身一 思 恨 出 慰 言葉

しくもあらう づかしくもあろう」「 つと へば みも る」などの めの 、そし

表面 見 世間 人達 何 面白 中 有

て「 には えねど の奥様といふ の れも くをかしき ばかりは るまじ」 世間一般 夫婦 妻 子 述 後 次 語

という の ・ の様 を べた 、 のように っていく。

亥之 昨今が の月給に ついたも有 必竟は原田さんの口入れではなからうか、七光どころか十光もして 間接ながらの を ぬとは はれぬに らからうとも つは の恩 着 言 愁 一 親 為弟の為、太郎といふ もあるもの子

今日 辛棒 是 後 出 事 離 取 出 宜

を までの がなるほどならば、 れから とて 来ぬ はあるまじ、 縁を つて たが い 太 原田 其方 藤 娘 一度 切 二度 見 事 同 か、 郎は のもの、 は斉 の 、 縁が れては と顏 にゆく もなるまじ、 じく

( )

不運 泣に くほどならば原田 妻の で大泣きに け泣 、略お が に さんとても も しる も し前 口 出 親 察 弟 察 各自 分 泣

る、涙は に て かうぞ

原田家に戻るように阿関 説を 得する父親の言葉は、高田前掲論文が指摘しているように、 落士族の使命 である 長男の出世による家名の回復 と太 という存在に焦点が わ合

「没 」 「 」 郎

阿 離婚 亥之助 出世 難 落士族 使命

せられている。 関の によって、 の が しくなり、「没 の 」であ

家名 回復 不可能 亥之助 親 苦 他

る「 の 」が になることは、 と両 にとって しみに ならないだろ 長男 出世 家名 直結 時代 生 阿 父親 言 前 亥之助 出 う。 の が に する を きている 関も、 に われる に の 世が持 意味つ をすでに知っていたはずである。また、阿関は太郎にもう会わない決心をして 家を出てきたと言っている にもかかわらず。 、阿関は抗弁の言葉も つ一 述べないで、離婚決 意を撤回してしまう。父親 話の は阿関が離婚の決意を撤回するにおいて、どのように有効に 作用したのであろうか。

阿関がもう会わないとどんなに固 決心く しても、太郎と「一度縁が れては切 二度と顔見にゆ

(8)

事 話 彼女 母性 刺激 心 動 十分 力 持 く もあるまじ」という は、やはり の を し、 を かすに な を って

自分 離婚 家族 苦 父親 直接 指摘

いたはずである。また、 の による の しみが から に されたこと、

家 家族 共有 言 阿 離婚決意 撤回

そして実 の たちと「 」涙 を しようと われたことも、 関に を させ

有 考 前述 阿 人 苦 自

るに 効であったと えられる。 したように、 関はまわりの 々に しみを与えて 分だけ しみから苦 逃れる原田との離婚を んでいたことから望 、後ろめたさを感じていたと思

自分 離婚 家族 苦 父親 直接指摘 阿 後

われる。 の による たちの しみを から された 関は、その ろめ

泣 崩 家 家族 共有

たさから き れてしまったのであろう そして。 、実 の たちと「涙」を しようと 言われて、再 後び ろめたさを意識しなければならなかったと えられる考 。「長男の出世によ

家名 回復 太 存在 得 主 容 父親 言葉 聞 成程太 る の 」と 郎という が説 の な内 であった の を いて「 郎

別 顔 見 此世 居 甲斐 先 太 存在

に れて も られぬ様にならば に たとて もないものを と」 真っ に 郎の

語 阿 父親 言葉 受 入 窺

について ることからも、 関が の をどのように け れたのか うことができ 父親 世間一般 夫婦 妻 視野 入 考 結果 離婚 原田家 る。 が の や まで に れて えた 、 させるより に す帰

亥之助 娘 判 阿 思

ほうが のためにも のためにもよいと 断したと、 関は ったのではなかろうか。

父親 言 出 共有 阿 原田家 原田

だとすれば、 が い した「 」涙 の は、 関が に戻りやすくする また、 家に戻った後 彼女 待に を っている しみを苦 少しでも軽くしてあげようとする父親 愛情の とし

阿 解 田中前 論文 父親 言葉

て、 関に 釈されたはずである。 掲 は、このように「 の にこめられた 父の愛」が「何よりも大きな力となってお関を動かした」と述べている。しかし、「父の 愛」そのものが阿関を動かした「何よりも大きな力」だと、筆者は えない思 。

今夜阿関が願ったのは離婚 承諾の だったものの、「それが悪るいと小言をいふたら何の に私

家 有 出 宜 無 言 母親 最終的

も が ますとて て来るが からうでは いか」とも った は、 に その な「 様 火の中にじつとして るには居 及ばぬこと なあ、 父様一遍勇さんに逢ふて十分油を つたら取 宜

御座 結婚生活 持 前提 意見 述 一方 原田

う りましよ」と の 続を とした を べる。 、 にいじめられる 生活に して対 「我身 辛棒の がわか らなくなったと」 言うのに、父親は「今日までの辛棒がな

是 後 出 事 語 親 言葉 今夜 阿

るほどならば、 れから とて 来ぬ はあるまじ」と っている。両 の は の

話 理解 離婚 承諾

の をしっかり したうえで せられたものではなさそうである。 の はともか

関 発

自分 性分 御存 親 自分 話 理解 期待

く、 の「 は じ の」 両 なら の をよく してくれるだろうという が 崩れてやるせない淋しさを抱いたと思われる阿関にとって、父親の言葉に込められている 父の愛 が 心を かすほどの動 何よりも大きな力 だったとは えられない考 自分の苦

「 」 、 「 」 。

考 結婚 踏 阿 動 父 愛

しみだけを えて に み込もうとした 関を かしたものは、「 の 」そのものでは

父親 娘 案 共有 言 出 父 愛 感

なく、 なりに を じて「涙」の を い した「 の 」によって じずにはいら 後

れなかった ろめたさだったはずである。

自分の離婚によってまわりの人々が抱える苦しみに関してしっかりした対策を立てられな

後 取 除 阿 以上離 難

かったため ろめたさを り けなかった 関が、これ 縁状を頼むことは しかった

思 阿 夫 離 我 御座 言

と われる。だから 関は、「 れでは 縁をといふたも まゝで りました」と っ

( )

離婚決意 翻意 彼 子 引用者注 太 親 手 育 て、 を してしまうのである。「 の ― 郎 も両 の で てられ

立派 良人 持 弟 好 片腕 安心 喜 居 まするに」、「関は な を つたので の為にも い 、あゝ なと んで て 下されば私は も何 思 事ふ は御座んせぬ」 、と 阿関がまわりの人々の立場に って立 見解を べ述

自分 苦 優先 反省 離婚 決意

ているのは、 の しみを したことへの として読むことができよう。 の

翻意 身 悟 阿 原田 妻 意向 述 親

を して「これまでの と覚 」した 関は、 の であり続ける を べて、両

自分 話 理解 淋 抱 原田家

に の を してもらえなかった しさを いたまま、 に戻っていくのである。

29

- 30 -

- -

(9)

. 之助 との 再

Ⅲ   録 会

雇ひつけの車宿とて無き 家では 離婚決意を翻意した阿 を原田家に すために

「 」実 、 関 帰 、

路ゆく車を から窓 呼 ぶ この に車 ることによって 高坂 之助との偶然の再 をめぐ

「 」 。 乗 、 録 会

(下) 展開 見解 述 (下)

るドラマが で されることになる。これまでさまざまな が べられてきた の 位置づけ問題12)を念頭に置きながら この、 再会のドラマに目を けてみたい向 。

上野 入へ りてよりまだ一町もやうやう ふ思 ところで 阿 は突然車夫から車 止を められ

「 」 、 関

私 御免 願 代 入 下 言

て「 はこれで を ひます、 は りませぬからお りなすつて」と われる。「増し

欲 身 加減 最 引 厭

が しい」のでもなく、 の「 」が「悪るい」のでもなくて、ただ「 う くのが や

成 言 車夫 阿 前 我 車夫 評 原田 承諾

に つた」と う に、 関は お「 は ま のゝ さんだね」と する。 の な

家 訪 時刻 夜十時 過 急 原田家 必要

しに実 を れたし もう、 も が ぎていたため、 いで に帰る があっ

阿 切 小路 行 車夫 承知 車

た 関は、「 めて広 までは つてお呉れ と」 頼み、 が したところで、この 夫が「小奇麗 烟草屋な の一人息子」だった幼なじみの録之助だと気づくのである。約七年間

空白 埋 阿 之助 何時 此 業 今

の を めようとするのであろうか、 関 録は に「まあ から 様な して」「

何 家 持 儀 御健勝 小 出 我身

は 処に を つて お、 内 さんも か、 児のも 来てか」など、「 のほどをも 忘れて ひか ける問 」 。阿関が知りたかった七年間の事について、阿関からの情報も参考にし

之助 話 次

ながら、録 の をまとめてみると、 のようになる。

阿関の「嫁入りの噂聞え初た頃から」、録之助 放蕩 始は を めて「家へとては寄りつかぬやう

成 原因 貰 頃 貰 物 貰 親類 中 解

に 」った。その を「 ふべき に ふ を はぬからだ」とする「 の の らず

話 聞 母親 筋向 杉田 娘 之助 阿 妊

や」の を いた から「 ふの やが 」を められた勧 録 は、 関が「懐 」

聞 時分 何 成 成 思 結婚 一年後 子供

だと いた 、「 うなりと れ、 れ」という いから する。 には もで 自分 放蕩 直 事 極 置 之助 遊 遊 遊

きたが、 の「 は らぬ に めて いた」録 は、「 んで んで び抜いて、 呑んで んで み呑 呑 尽し」た結果「一昨々年」破産し、「木賃泊り」の人力車夫に転落してし

12)『十三夜』の( )( )上 下 二段構造に して関 、( )下の分量が( )上の半分にもならないことから、「主 部分 上な は にあ

( 1926.

下 全体 見 傾 湯地孝 十三夜 樋口一葉論 至文堂

る。 は から て となつてゐるかの きがある従 」 「 」、『 』、 、 10)という見方がしばしば われてきた この行 。 見方に して対 反論 提起を したのは、( )下の叙情性に い高 評価 与を え

( pp.364-366)

論考 良一 十三夜 入門 前 書 量 不均衡 下

ている である。関 「『 』 」 掲 、 は、「その が であり、『 』のほ

付 感 一葉 描 欲 上

うが 録のような じを えている としながらも与 」 、「 が に かうと したのは あるいは真 、 『 』よりも

( 1978

下 であったかもしれない と べている述 木谷喜美枝 十三夜 文 解 と鑑賞 至文堂

『 』 」 。 「 」 『国 学  釈 』、 、 ․

5 pp.171-178)、 、岡保生「『十三夜 論』 」 『( 学苑』、昭和女子大 近代文学 学研究所、1982.3 pp.2-4)、 も、( )下 ( )( )

一葉 描 主張 近年 入 十三夜 中心 上 下

をそもそも が こうとしたものと している。 に っては、『 』の が どちらにある ( ) ( )

論 上 下 有機的 見出 傾向 見 論考

かを ずるよりも、 と の なつながりを そうとする が られる いくつかの。 を げる挙 (

次 松坂俊夫 十三夜 構想 成立 補改訂 樋口一葉 究 育出版

と、 のようである。 「『 』の と 」 『増   研 』、教 センター、 1983 p.178)、 は、「( )上のあることによって( )下の悲哀が、( )下の かれたことによって書 、( )上のそれがいっそう ( p.61) 深められる と している また」 記 。 、高田知波 幻滅「 する『嫁入せぬ し昔 』―『十三夜』ノ トー 」前 書掲 、

( )

阿 嫁入 昔 回 不可能 之助 再 通 再 見 述 下

は、 関が「 りせぬ し への」 帰が であることを録 との 会を して 発 したと べて、 ( )上 阿 決意 最終的 駄目 押 果 論 井上理 無限 闇 十三 が での 関の「 に な を す効 」をあげていると じている。 恵「 の ―『

( pp169-170) ( )( )

夜』」前 書掲 、 は、上 下にそれぞれ「阿関の一家と録之助 一家の と が」 「相似形 配置で 」されて ( )( )

注目 通 男 身勝手 敗 男 身勝手 上 下 描 記

いることに し、「恋を した の と に れた の恋 」が に かれていると している。 ( )

一方、「日常的現実が喪失され た」 録之助 世界の を くことで描 「逆に上段、お の かな関 確 日常 現 世界の 実 が ら照

( p.22) ( )

出 述 田中 十三夜 雨 前 論文 十三夜 逆照射 上

し される と べている」 実「『 』 『 』」の 掲 、 は、『 』 「を による ( )下 二段 構造の 」で構成されていると分析している。西 保荘 「『十三夜 論 先行』 ― する『嫁した の女 不幸』の と話

( 1996. 2 p.27) ( )

比較して―」 『日本文学』、日本文 協学 会、 、 も、「下を くことで描 、成立はしなかったが、録 ( )

之助とお の ある関 愛 結婚 想像が され、上の愛無き結婚 悲劇の が かび がらされてくる と じて浮 上 」 論 、逆照射によ ( )

二段構造 下 扱

る として を っている。

(10)

袋 田 嫁入 姉 引取 貰 女房 子供 彼女 家 まう。「お は 舎へ つた の処に つて 」ったし、 と は の「実 へ

子供 昨年 暮 死

し」たが、 は「 の チプス」で んたという。 戻

之助 七年間の に渡る身の上話を いて聞 、阿 は「私 思が ふほどは此人も ふて思 、夫れ の故

録 関

身の破滅かも れぬ を知 物 」という しい新 事実 発を 見する。「話しながら行ませう と」 言って 道を先 進に みながら、自分の結婚以前から現在までの録之助に関する情報 次を 々と思い し出 阿 之助 自分 心 通 合 人 原田 自分 結婚 苦 た 関は、録 が と の じ う であったこと、また と の によって

抱 破滅 之助 苦 我 此 丸

しみを えて「 」したことに づいたのである気 。録 の しみから、「 が 様な

取 姿 面 思 夢

などに、 したる な をいかばかり にく はれるであらう、 さらさうした し

髷 済 様 ゝ 楽

身 自分自身 苦 方 阿 自分 苦

らしい ではなけれども」と の しみの にスライドしていった 関は、 の

現 話 振 返 何 思 茫然 顔 時 逢

しい 状を そうと り るのである。だが、「 を ふか とせし つき、 たま ひ

阿 向 左 嬉 子 見 之助 見 口 結

し 関に つて のみは しき様 も 」せない録 を て、 を んでしまう。「奥様

成 聞 時 夫 一度 事 出 一生 又 言葉 交

にお りなされたと いた から でも は む拝 が 来るか、 の に内 お を

事 出 夢 願 居 言 之助 左 嬉 子 見

はす が 来るかと のやうに ふて 」たと う録 が「 のみは しき様 も 」せ 之助 顔 見 阿 何 語

ないのは、なぜであろうか また。 、録 の を た 関は どうして、 も らないのであ ろうか。

阿関が何か語ろうと「振かへつて録之助を見」る場面における構図、すなわち「提灯」を 持って後方で いている歩 録之助と前方で いている歩 阿関に注目したのは、高田前 論文掲 であ 二人 位置 注目 高田論文 分析 整理 阿 風 後姿 見 る。 の に した の を すると、 関の「『奥様 』の 」を

之助 意識 現在 止 照的 之助 身

けている の が に まっているのとは に、「 の『 ましい の

続 録 対 録 浅

有様』が視界から消え」たこととこの夜はじめて録之助から た得 「新情報」が加えたことに

過去 移行 阿 意識 後 振 人力車夫

よって、 へ した 関の は、 ろを「 かへつ」て「『浅ましい』 の 姿」とその「茫然とせし顔つき」を見た瞬間に過去から現在へ移行した、ということにな る。

之助 意識 現在 止の を に めておいて、阿 の意識を現在から過去へ、過去から再 現在 移び へ

録 関

行させる二人 位置の は、録之助が「左のみは嬉しき様子も見」せない理由、そして阿関 録が 之助の を顔 見 口て を んでしまった結 理由を考えるにあたって重要だと思われる。高田の前掲 論文が指摘するように、録之助が「左のみは嬉しき様子も見」せないのは、阿関の「『奥様 風』の後姿」を見続けていた「彼 意識の に『夢』が入りこめる余地」がなかったためであろ

一方 阿 口 結 之助 姿 深 無

う。 、 関が を んでしまったのは、録 の から い虚 を読みとったことと関 係があると思われる。「我身のほどをも れて いた忘 」 阿関は、彼女の意識 現在が から過去へ 移行することによって、過去に心 通の じ った の合 頃 録之助を い思 浮かべた状態で、自分の苦

現 語 振 向 時阿 目 飛 茫然

しい 状を ろうと り くのである。だが、その 関の に び込んだのは、「 と

顔 左 嬉 子 見 之助 姿 世 頃

せし つき」 「で のみは しき様 も え」ない録 の であった。「 にある 」の 表情・様子と落差を じさせるこのような感 録之助の姿から、阿関は がどれほど い彼 深 虚無に

阿 親 話 合 淋 感 今

っているのか づいたのであろう。そして は、 との し いで しさを じた

陥 気 関 両

夜のことや自分の苦しい現状を語っても、録之助にその話を理解して受け ける付 余裕がない 瞬間判

と、この 断したのではなかろうか。

小路 出に た阿 は、「紙入れより」取 出り した「紙幣いくらか」を 之助に渡しながら、

広 関 録

誠 失 鼻紙 買 下 久 振 目 何 申 事

これは に なれど なりとも つて され し でお にか つて か たい

「 礼 、 ゝ

山 口 出 察 下 言 別 告 振 返

は沢 あるやうなれど へ ませぬは して され」と って、 れを げる。 り って 之助 顔の を た見 時から 小路に るまで出 、阿 は何 語も らなかったのである。阿 が も何

録 広 関 関

32

- -

(11)

語らなかったのは、自分の現状を しても話 録之助に受 付け ける余裕がないと判断したあと、 彼女が のように次 思いをめくらしていったためではなかろうか。

今夜、阿関が自分の しい苦 現状を った または語 、 語ろうとした相手は、自分の「性分は御存

親 娘時代 自分 心 通 合 之助 親 自

じ」である両 と、 に と が じ っていた録 であった。しかし、両 は 分の話をよく理解していなかったし、録之助は自分の を話 理解して け受 付ける余裕を持って

自分 知 親 過去 心 通 合 之助 自分 苦 いなかった。 をよく る両 とも、 に が じ っていた録 とも、 の し

淋 共有 阿 苦 淋 誰 共有

みや しさを することができなかった 関は、この しみや しさを とも するこ

思 思 時 阿 自

とができないものだと ったのではなかろうか このように いをめぐらした。 、 関は 分が背負うべきものとして しみや苦 淋しさを受 止け めるようになったのであろう。苦しみや 淋しさを受け めた止 以上、阿関が自分のことを何一つも録之助に語ることはできなかったは ずである。

之助 顔の を り振 返って見てから 小路 出に るまで、作品 の空白をこのように むことが

録 広 内 読

可能だとすれば、阿関 録が 之助に した渡 金銭は、「言 切い れない自分の思い」の わりだっ代 た13)と見ることができるだろう。また、あまり嬉しそうでない録之助の様子を見たことに

阿 小路 出 間 自分 苦 淋 自分 背負 受

よって、 関が広 に る に の しみや しさを の うべきものとして け 止めて原田家に帰ることになったのを考慮に入れると その、 金銭は阿関の「思い と」 同じく 口にしてはいけない感謝の言葉の わりでもあったと えられる。代 考

( )

見 十三夜 上 父親 言葉 後 刺激 阿 自分

こうして ると『 』は、 で の から ろめたさを された 関が、 ( )

話 理解 親 淋 感 離婚 決意 翻意 下 之助

の を していない両 によって しさを じながら の を し、 で録 再 通 自分 苦 淋 誰 共有 自分 背負

との 会を して の しみや しさを とも できない、 が うべきものとし ( ) ( )

受 止 構 分 十三夜 上 下 重点 置

て け める 図になっているのが かる。『 』は と のどちらかに が

( ) ( )

作品 上 始 阿 物語 下 完結 言

かれている ではなく、 で まった 関の が で されていると えよう。

13)紅野謙介・小森陽一 十川信介・ ・山本芳明 樋口一葉 十三夜「 『 』を む読 ( ) (下」 『文学』、岩波書店、1990 ․ 春 pp.187)は 阿 が 之助に した渡 金 に して お は い れない言 切 自分 思の いを えたいのだが すでに

、 、 「 、

号 関 録 銭 関 関 伝

身一つ の を めたお にとっては心 諦 失 な金 を してしかそれを通 表現するすべがない と指摘してい

『 』 関 『 礼』 銭 」

る。

(12)

. 原田夫婦 物語 の

Ⅳ  

阿関が「今宵」両親に「離縁の状を取つて下され」と むまで頼 、原田との にどのような仲 変 化があったのであろうか。まず、原田と阿関が出会って結婚 至に るまでの経緯を確認する必 要があると思われる この。 経緯は阿関の母親によって、次のように られている語 。

阿関が十七 御正月の 、まだ門松 取を もせぬ七日 朝 事の の であつた、旧の猿 町 彼楽 の の の で家 前 御隣 小娘 追羽根 彼 娘 突 白 羽根 通 掛 原田 車 中 落 夫 の と して、 の の いた い が り つた さんの の へ たとつて、 れを

阿 貰 行 其時 見 言 人橋 貰 御身分

ば 関が ひに きしに、 はじめて たとか つて かけてやいやいと ひたがる、 が 釣合 此方 根 子供 何 稽古事 仕 置 支度 らにも ひませぬし、 はまだ つからの で も も 込んでは ませず、 とても 唯今の有様で御座いますからとて幾度断つたか れはせぬけれど知 、何も舅姑のやかましいが るでは有 無し、我 欲が しくて が ふに我 貰 身分 何 言 事も も ふ はない、稽古は引取つてからでも充分させられるか

其心配 要 事 兎角 大事 置 夫 夫 火 催促

ら も らぬ 、 くれさへすれば にして かうからと は は のつく に様 して、 此方から強請た ではなけれど訳 支度まで先方 調で へて

阿関に一目惚れした原田は、彼女の両親 何回に も頼 込み んだすえに、彼女との結婚に至った 母親 言葉 借 言 原田 阿 女房

ようである。 の を りて えば、 にとって 関は「恋 」だったのであろ

阿 話 原田 下 置

う。しかし、 関の によると、 が「関 関や やと へも かぬやうにして」くれたの

嫁入 丁度半年 間 太 出 言 物 丸 御人

は、「 つて ばかりの 」のことで、 郎が「 来てからと ふ は で が ったという

」 。

原田ははたしてどのように わったのであろうか変 。阿関は原田の変貌ぶりをいくつかの を例 明 朝飯 時 小言 絶 召使 前 散 私 身 不器 げて している。「 あがる から は えず、 の にて と が の

挙 説 々

用不作法を」並べること、「教育のない身、教育のない身」と蔑んで「表向き実家の悪るい

風 唯 私 事 一 十 面白 箸 上

を 聴」すること、「 もう の る為 とては から まで くなく覚しめし、 の げ ( )

下しに家の内 楽の しくないは妻が仕方が悪るいからだと仰しやる、 略 一筋に詰らぬくだら

解 奴 相談 相手 太 乳母 置 遣

ぬ、 らぬ 、とても の にはならぬの いは、 ゞ 郎の として いて はす と」 言うことが、その例である。作中に登場しない原田の変貌ぶりが、阿関というフィルタを通

語 考 阿 話 誇張 歪曲 可能性 排除

して られていることを えると、 関の が 、あるいは されている を

少 原田 言葉 扱 育 身

することはできない しかし。 、 なくとも の として われている「教 のない 」 家の の しくないは妻 仕方が が るいからだ などの言葉に りはないと われる思

「 内 楽 悪 」 、偽 。

何 原田 育 身 妻 仕方 言葉 口 夫

では、 が を「教 のない 」「 が が悪るい」といった しい厳 を にする

貌 十三夜 論 原田 貌 論 彼

に変 させたのであろうか。従来の『 』 は、 の変 を じるにあたって、 が 阿関を「教育のない身」と言うことに注目している14)。これらの論考は結婚において習俗 習慣を にしない気 点などから原田を〈新時代の人〉に、夫のどのような態度にも我慢する点

阿 時代 人 規定 論考 中 子 都市 森 時間

から 関を〈旧 の 〉に している。これらの の でも関礼 「 の の 十三夜

―『 』」15)の見解を参照したい。関論文は「勇変身の時期を『長男太郎妊娠の直後』

14)原田の変貌 論を じるにあたって、「教育のない身」という の彼 言葉 注目に している論考に、戸松泉 樋口一葉「

( p.74) (

十三夜 試論 お の 決心 前 論文 子 都市 森 時間の の 十三夜 語る たちの女

『 』 ― 関 〈 〉―」 掲 、 、関礼 「 ―『 』」 『

1997 p.328) (

時代―一葉 明治女性表現と 』、新曜社、 、 、中山 美 樋口一葉 十三夜清 「 『 』の み試 」 『金城 文国 』、

1996. 3 p.32) (

金城 院大学 学国 学会文 、 、 、狩野啓子「関係性 病の い―『十三夜』の らし す照 出 近代」前 論文掲 、  p.41)が げられる。挙

15) 関礼子「都市 森 時間の の ―『十三夜』」、前 書掲 、pp.326-329 34

- -

(13)

理由 無垢性 少女 魅力 若妻像 失墜 高田知波 とし、その を『 につながる の をもった の 』とし」た

( 1990 6 3 )

言 十三夜 中心 年 月 日 社 文 口頭 表

の発 「『 』の〈読み〉を に」、 「 会 学会」での 発

勇 失望 大半 少女妻 魅力 減退 多

を挙げて、「 の の が、 としての の にあったとすれば、それは か

少 時代 誰 蜜月 終焉 一例 批判

れ なかれ、いつの の にでもあてはまる の の にすぎないだろう」と

注意 結婚物語 一般性 勇 男 性格 人

したうえで、「 すべきなのは、 の ではなく、 という の と 々が 共有していた時代の言説=幻想との関係」だと べて述 、原田の変貌過程について のように次 論じている。

阿 未 近代家族的 幻想 抱 勇 彼女 妊 目 阿 いったんは 関との 来に な を いた は、 の懐 を の たりにして当 、 関

(

母親 育力 引用者注 光田京子 近代的母性 受容 形 育 母親 良 には「 の教 」 ― 「 観の と変 ―『教 する 』から『

( ) 1985 )

妻賢母』 」、『へ 母性 問を う下』、人文書院、 年がないことに づき すくなからぬ気 、 動揺 来を ( )

幻想 近代家族幻想 支 自 手中 略

たし、対 や を えるものが らの にはないことに づいたのではないか気 。 勇 最 欲の も していたものが、母役割 象に 徴される「家庭」 「 」や 家 を める の治 家 共同経営者としての

( ) 伴侶像であったのである。略

若 美貌く ではあっても、家事裁量能力はおろか、「お の お の花 、 茶 、歌の の というような画 」 女学 校卒という中流女性的な教養も、「稽古事」も無縁な阿関は、勇 理想の とする妻像からはまったくほ

( )

遠 存在 略 勇 身 失意 表 一方阿 彼 心

ど い であったことになる。 の変 が「 」の れであり、 関が の 変わりの 理由に づかない気 女性である以上 失意 暗、 は 転し憎悪の となって矢 彼女に って たれざるをえな向 放 い。

家政を り取 仕切り、子供の教育にも能力を発揮する〈新しい妻〉を理想とした原田が、子供

生 分 時 育 阿 新 妻 失

が まれると かった 、「教 のない」 関が〈 しい 〉になれないと気づいて「 意」したことに変貌 理由の がある と、 関論文の見解をまとめることができよう。ところで、

育のない 阿 が 新しい妻 になれないことに落胆したとすれば 原田はなぜ阿 を

「教 」 関 〈 〉 、 関

新しい妻 にさせようと努力しなかったのであろうか 出 ずは人知れず習はせて さ下

〈 〉 。「 来

筈 阿 不 言葉 見 限 原田 女 校 育課程 習得 つても むべき済 」だという 関の 満の を る り、 は 学 の教 で

養 知識 稽古事 新 妻 試

する教 や 、「 」などを教えて〈 しい 〉にさせようと みたこともなかった

阿 新 妻 原田 主 不 貌 理由

ようである。 関が〈 しい 〉になれないことが の な 満であり、変 の で

阿 新 妻 原田 行動 理解

あったとすれば、 関を〈 しい 〉にさせようとしなかった の を するのは、 極めて困難になってしまう。原田を変貌させた理由として考えられるのは、何であろうか。

( )

妊娠による「少女の魅力をもった若妻像の失墜」 高田 が原田の変貌理由だとすれば、原田

貌 前 論文 述 時代 誰 蜜月 終焉 一

の変 は関 掲 が べているように いつの「 の にでもあてはまる の の 例にすぎない のであろうか」 。原田と結婚に至るまでの経緯 確認で したように、原田が阿関

初 出 阿 十七 正月 七日 御隣 小娘 追羽根

に めて 会ったのは、 関が「 」になった の である。「 の と 彼 娘 突 白 羽根 通 掛 原田 車 中 落 夫 阿 して、 の の いた い が り つた さんの の へ たとつて、 れをば 関

貰 行 追羽根 少女 遊 十七

が ひに 」ったのである。 という の びをしていた「 」になったばかりの 少女阿関に一目惚れした原田は、身分が わなくてもよい合 、「稽古事」を仕込んでいなくて

阿 親 言 火 催促 阿 結婚 家 家

もかまわないと 関の両 に って、「 のつく様に して」 関と する。 と と

結 考 一般的 結婚 習慣 囚 原田 結婚

の びとして えられていた な の に われることもなかった の は、

最初から当時の「結婚物語 一般性の 」から大きく逸脱していると言えよう また かわいい。 、 少女という一点に魅了されて阿関と結婚した原田を、少女としての魅力が結婚するかどうか

(14)

左右 重要 要件 認識 一般 人 同一線上 置 論 を するほど な として されていなかった の 々と に いて じ

妥 思 阿 少女時代 終 意味 妊娠

るのは、 当と えない。 関が の わりを する 16)によって少女として

魅力 喪失 原田 蜜月 終焉 止 阿 愛情 急

の を したのは、 にとって「 の 」に まらない、 関に対する を 激に冷ますに十分な出来事だったと思われる。

少女 感 原田 知識 備 相談 相手

もうかわいい と じられなくなると、 は とセンスを えて「 の 」にな 自分 理想 妻像 阿 要求

るなど が としていた を 関に するようになったのではなかろうか。ここで 原田は、阿関を可愛がるやさしい から を夫 家 治める厳しい家長に変貌したと思われる。厳し

家長 貌 原田 阿 相談 相手 阿 育 思 女

い に変 した は、 関を「 の 」にさせるために、 関が教 として う 校過程の知識や 養、「稽古事」とは なる異 、原田流の 育を試みたのではなかろうか。

学 教 教

原田流の教育とは、たとえば阿関に世間での話題を聞かせてそれに する えを らせると関 考 語

相談 相手 必要 能力 育 育 考 女大

いった、「 の 」に な を む教 だったと えられる。しかし、〈 学〉

女性 原田流 育 受 阿

で説かれているような で、しかも の教 を けていると づいていない気 関が、 原田からどんなに答えを求められても、自分の意見を べることはなかったはずである述 。自 分の意見を述べようとしない阿関を見て原田は、「相談の相手」にさせることが不可能だと 落胆し、阿関の教育を根気よく続けることもなく投げ出してしまったのであろう。阿関が 相談の相手 など自分の理想である 新しい妻 になれないと落胆した時 原田は言葉を

「 」 〈 〉 、

阿 虐待 鬼 存在 貌 考

もって 関を する「 」のような に変 したと えられる。

原田 貌 少女時代 終 意味 妊娠 阿 愛情 冷 つまり の変 は、 の わりを する によって 関への が めてし

際 夫 家長 貌 第一段階 原田流 育 通 阿

まった に、やさしい から厳しい に変 した 、 の教 を して 関を 新しい妻 にさせようとした計 が挫折した に際 しい家長から阿 をいじめる 鬼

〈 〉 画 、厳 関 「 」

存在 貌 第二段階 成 立 言 原田 貌理由 自分 飽 のような に変 した で り っていると えよう。 の変 が に

原田 育 語 見 阿 原

きたからで、 が教 をさせてくれたことがないと るのを ると、 関はこのような 田の変貌をまったくと言っていいほど理解していない だが。 、阿関が原田の変貌 理解を して

原田 行 一方的 原因 妊娠 阿 少女

いないのは、 の 為が であることにもその がある。 によって 関に

魅力 感 家長 貌 置 原田

としての が じられなくなって厳しい に変 したことは いておくとしても、

何 明 自分流 育 始 止 一方的 行

が の説 もなしに の教 を めたり めたりすることは、あまりにも な 為

言 原田 阿 困 中

だとしか いようがない。 と 関が「 つた 」になったのは、このようなコミュニ

不足 重 原因

ケーションの が なったことにその があったのではなかろうか。

おわりに

原田と離婚すると、自分は原田の虐待という苦しみから逃れるものの、血縁関係にあるまわ

人 苦 思 阿 離婚 思 後 感

りの 々に しみを えてしまうと与 っていた 関は、 を うたびに ろめたさを じ

16)大塚英志 少『 女民俗学―世紀末 神話の をつむぐ『巫女の末裔』―』(光文社、1989 p.19)、 は少女に して関 、

民俗社 女性 初潮 一三 前後 力 子供 産 女 一

かつての 会では は をむかえる 歳 で、労働 としても を む「 」としても ( )

人前として認知された。略ところが近代の少女たちは大人になることに「待った をかけられた」 。彼女

妻 子供 生産 運命 待

たちは やがて として、 を「 」させられる にあるのだが とりあえず て といわれた つ、 、 。

意味 生産 少女

まり あらゆる、 で「 」からはずされた それが。 〈 〉なのである。

述 子 生産 存在 少女 大塚 見解 踏

と べている モノや どもの。 「『 』からはずされた」 が だという の を まえれば、 勇 身 時期の を 長男太 妊娠 直後の とし その理由を 無垢性につながる少女の魅力をもった若妻像の

「 変 『 郎 』 、 『

失墜』とし た」 高田知波の発言にも えるように窺 、妊娠 少女時代が の わりを終 意味すると えよう言 。

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