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留学生の日本語教育事業に携わる吉村悠さんを訪ねて──

Dalam dokumen Socially (Halaman 79-88)

面談者

吉村 悠(2007年社会学科卒業)[写真左]

※プロフィールは本文後ろに記載 取材・構成・編集

石岡 里佳子(社会学科2年)

石川 真衣(社会学科2年)

インタビュー日時:2019年7月9日(火)

         9時30分~10時30分 場所:明治学院大学白金キャンパス    パレットゾーン白金 2F    インナー広場「さん・サン」

野美容専門学校)ご存知ですかね。けっこう有名な 専門学校なんですけど、そこに併設された日本語 学校がありまして、そこがその当時台湾とか中国 の人がメインだったんですね。その方たちを対象 に日本語を約2年教えました。ご存知ないかもし れないんですけど、日本語教育業界って8割以上 9割ぐらいが女性の方が従事されているんですね。

その主な理由は日本語教育っていうのは非常に収 入が少なくてですね、普通の日本語学校の教師で は一人で家族を養っていけるほどは収入が得られ ないと言われているんです。なので、キャリアアッ プのため修士課程を取ろうと思いまして、早稲田 大学大学院日本語教育研究科に進みました。その 2年間、地域日本語教育研究科というところにい ました。坂口ゼミ(坂口緑先生のゼミ)で学んでい たのもあって、どちらかと言うと地域の中でボラン ティアベースで日本語を教えるそういう活動に興 味がありまして、そのテーマで勉強しました。大学 院時代は研究というものがなかなか難しくて苦労 しました。修士課程なので研究と呼べるような代 物でもないですけど、まあそれでもなかなか大変 だったので博士課程には進みませんでした。

大学院を卒業して就職しなければいけないなっ ていう中で、日本語学校の仕事の中で海外いろい ろ行けることを知りまして。

そこで、学生を募集してくる仕事が「先生」じゃ なくて日本学校の「事務職員」だったんですね。

八王子の学校でそういう職員を募集していまし て、たまたまそれを見つけてそちらにお世話に なって海外いろいろなところ行きましたね。ベト ナムは多分10回ぐらい行っているんじゃないです かね。ネパールも多分10回、そのほかスリランカ、

バングラデシュ、ミャンマー、インドネシア、タ イ、カンボジア、ウズベキスタン……あといくつ か行っているんですけどアジアで日本語学校や日 本語を勉強しに来る留学生が多い国に募集活動に 行く仕事、なおかつその日本語学校の事務局長と して入管手続対応や学生の生活のお世話をする仕 事に6年間従事しました。

事務職員ですが、学生からは「先生」と呼ばれ ていました。どうしてかっていうと日本語学校に

通っている学生さんがやっぱり一番大切なのはビ ザのことなんです。日本人はビザとかないから平 気で(日本に)いられるんだけど日本語学校に通 う学生さんは留学ビザ、仕事だったら就労ビザで 来る…などいろいろな種類のビザがあるんです よ。日本語学校の事務職員は学生のビザ手続きの 管理をするので、行政書士のように「先生」と言 われるんですね。

日本では外国人が取得するビザはどれもその活 動に制限があります。留学ビザの場合、留学の活 動として授業を規定時間以上受けなければいけな い。出席率もあって…その、「単位」のようなもの ですね。大学生だったら別に単位とってなくても 在籍はできますよね。だけど、留学生の場合は出席 をしてないと正当な留学活動をしていない、その ビザでするべき活動をしていないとされて日本に 居られなくなっちゃうんですね。アルバイトも「資 格外活動」。資格の外の活動として特別に許可しま すよ、それが1週28時間までです。そういうアルバ イトとかビザのことに関して学生の相談に乗って いたので学生からは非常に重要な存在として接し ていただけるのでやりがいのある仕事ですね。

─今もその仕事を続けていらっしゃるのですか。

そうですね。似たような仕事に就いています。

2017年6月までその仕事をしたんですけど、7月か らは日本語学校を新しく作るという仕事を始めま した。これも元々の自分の志向性とか大学で学ん だことに関連するんですけど、いま地方って若年層 が全然足りないじゃないですか。そういう地域で は小学校、中学校とかって建物が廃校になって使 われなくなっているんです。あれって自治体が簡 単に取り壊せるものではなくて、かといって維持管 理にすごくお金が毎年かかるんですよ。なので誰 か使い主いませんかっていう公募してくれるんで すよ。そこに手を挙げてその学校を日本語学校に しませんかという提案をする仕事をしていました。

─やはりゼミや大学でやったこととつながってい るのですか。

卒業論文で日本語教育を扱ったんですけど。今 考えると恥ずかしい。自分の意見も何もない業界 の概要をまとめただけのものでしたね。しかし、

そこからずっと日本語教育に関わっていますね。

現在は、GTNという会社ご存知ですかね。一般的 には聞き馴染みはないと思うんですけど新大久保 の駅にも看板とかがありまして、留学生に限らず 外国人の家賃保証がメイン事業の会社です。日本 に来た外国人の方が生活しやすいように住むと ころ、そしてモバイル、不動産情報あとはお仕事

……まあ珍しいところで外国人向けのクレジット カードの提供等のサービスを幅広くしている会社 です。今そちらに出向という形で呼んでいただき まして留学事業について担当をさせていただいて います。自分の経歴はこんな感じです。ちなみに 出身は石川県です。

─地元の大学ではなくて、明学にした理由はあり ますか。

いや、特になくて。高校生の時、陸上ばかりやっ ていたんで、勉強とかもしてなくて、いつもクラス で40人中40位とかでした。でも運よくセンター試 験利用受験で合格できて入学させて頂きました。

─社会学部とかは特にこだわりはなかったという ことですか。

そうですね、正直何をやりたいか分からなかっ たので、社会学部ってそういう意味では幅広い じゃないですか。で、何か具体的に福祉関連とか 保育士やりたいとか先生やりたいとかっていうの がやっぱ1本に決められなかったんで、とりあえ ず大学決定の時点では出口考えず社会学とあと念 のため教職と、っていう形で選びましたね。

─教職の授業を受けていて役に立ちましたか。

役立ちます。教職の授業って、やっぱり現在自 分が日本語教育やっていたりとか、あとは子供い るんですけど子供と接するときもやっぱりその基

本的な考え方が教職と一緒だなぁと思っていて、

単に怒っちゃうっていうのではなくてまあ叱ると か指導するというかそういう目線で入ると意外と 子供がこちらの意図を理解してくれたりする部分 があったりして。外国の学生さんも同様で、どう すればわいわい騒いでいる人達にお話を聞かせら れるか、どういったお話を聞きたいと望んでいる のか、そういうポイントを押さえればけっこうみ んな聞いてくれるので教職は今の仕事をする上で もそういうポイントを学ぶいい機会になったかと 思います。

─留学を大学4年の時に行ったとおっしゃってい ましたが、それまでは留学に行こうとは思わな かったのですか。

僕は海外に対する志向性はもともとあったんで すよ。高校生の時も2週間だけどカナダに行って るし、大学2年生のときにフィリピン行って、大 学3年でホープカレッジに行きました。遅かった のはたまたま呼ばれた時期が遅かったっていう、

人の縁に導かれるタイミング待ちですかね。

─留学していた時は日本語教育に興味があったの ですか。

正直なところ最初は特になかったですね。少な くとも2年生の時にフィリピンに行った時にはな かったし、3年生の時に初めてホープカレッジで 日本語教育と出会って、まずびっくりしました。

アメリカの人がクラスに来て日本語で話しかけて くれて。それまでは向こうのハンバーガー屋さん とかで「お前英語喋れないんかい!」みたいな態 度をとられていたから。「このアメリカ人は日本 語話してくれる!(泣)」みたいな。嬉しくて、日 本の文化とかにも興味持ってくれるのは嬉しい じゃないですか。単純に最初はそこですかね。私 も彼らを知りたいし、彼らも私を知りたいし、そ このところでコミュニケーション取りやすいな と思って、そういう人たちと関係を作って将来の 自分にとって居心地のいい仕事ができないかなと

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