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いよいよ100周年!

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Academic year: 2023

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須磨裁縫女学校を設立 校祖・西田のぶ先生が、

女性の自立を助ける実 学教育を始めました。

阪神・淡路大震災を 転機に男女共学化 1995年に起きた震災 の被害を受け、設備を 全面リニューアル。男子 トイレの新設を機に、

共学に移行しました。

平和台校舎に移転

生徒数の増加にともない、新しい学

び舎に移転しました。 広大な板宿校舎が竣工

緑豊かな2万8000坪の高台に 校舎を建設しました。以降、新館 や50mプール、グラウンドなどが 次々に完成。

コロナ禍でも 学びを止めない 双方向のオンライン授 業を実施。行事や校内 外の学習も工夫をして できる限り行っています。

更なる教育の充実をめざし 中高一貫教育スタート

より確かな学力、高度な実学を身に付けられ るよう、6年一貫教育を開始。

いよいよ100周年!

ダイジェストで見る、

須磨学園史

時代や社会とともに変化してきた須磨学園。

一方で、実践を通して人間性を育む姿勢は今も昔も変わりません。

1922 1999 2004

1938 1960 2022

100 周年記念 WEB サイト

100周年特設サイトがオープン!

もっと詳しい年表や100周年グッズなどを紹介しています。

左のQRコードまたは学校ホームページからご覧ください。

●始業式  入学式 PIC

●オリエンテーション合宿(高校 1 年/淡路島:2 泊 3 日) PIC

●広島平和学習(高校3年/広島:日帰り) PIC

P04

●前期生徒会選挙

 … 文化祭や体育祭などの学校行事は、生徒会が中心となって進めていきます。

4

● 暖かさを感じる春の日、第101回入学式が 挙行されました。新たな学園生活への期待を 抱き、新入生代表が宣誓。式では、教職員や須 磨学園オーケストラが入学生を歓迎しました。

● PM シートを利用 して、「良いクラスに するために」という テ ー マ で 話 し 合 い。

盛んに意見が飛び交 います。

● グループの考えを 紙にまとめ、プレゼン を行いました。協力し て一つのものを作り 上げる力を養います。

● 集団行動訓練では、クラスのチームワークを高めました。

● 大塚国際美術館を見学。数多くの作品に触れ、芸術的感性を磨きます。

入学式オリエンテーション合宿

(3)

5

● 第1回定期考査

 …全学年で第1回定期考査が行われます。新入生にとっては初めての定期考査です。

●健康診断

広島平和学習

過ちは繰返しませぬから

  広島で過ごす私の一日は、強  広島で過ごす私の一日は、強い胸のざわめきから始まった。い胸のざわめきから始まった。

  原爆ドームに向かう路面電車  原爆ドームに向かう路面電車の中で、地元の中学生らしき男の中で、地元の中学生らしき男子数人のグループに話しかけら子数人のグループに話しかけられた。「遠足ですか?」「まあそれた。「遠足ですか?」「まあそうです。」私のそっけなさに、そうです。」私のそっけなさに、それ以上話しかけてこなかったれ以上話しかけてこなかったが、その後の会話が聞こえてきが、その後の会話が聞こえてきた。「宮島行くんかな。」「そうた。「宮島行くんかな。」「そうやろ。原爆ドームなんか何が楽やろ。原爆ドームなんか何が楽しいねん。」その一言で私はひしいねん。」その一言で私はひどく動揺した。広島の子の口かどく動揺した。広島の子の口から発せられたことが信じられなら発せられたことが信じられなかった。かった。

  本川小学校平和資料館は広島  本川小学校平和資料館は広島市立本川小学校に併設されてい市立本川小学校に併設されていた。本川国民学校は全焼し生徒た。本川国民学校は全焼し生徒と教員の二人を除き四百人が亡と教員の二人を除き四百人が亡くなった。たった一人生き残っくなった。たった一人生き残った児童の居森さんは、鉄筋コンた児童の居森さんは、鉄筋コンクリート校舎一階の窓がない場クリート校舎一階の窓がない場所にいたため奇跡的に助かった所にいたため奇跡的に助かったそうだが、他の子供の多くはあそうだが、他の子供の多くはあのとき、8時のとき、8時

1515分

、校庭で元気分、校庭で元気に遊んでいた。そのほとんどはに遊んでいた。そのほとんどは一瞬にして黒焦げになったそう一瞬にして黒焦げになったそう

糸島 怜実

● 本川小学校平和資料館や原爆ドームなど、多くの傷跡から戦争の悲惨 さを目の当たりにしました。

● 事前に折り鶴を作り、平和への祈りを 込めて捧げました。

だ。あの瞬間まで、全ての人だ。あの瞬間まで、全ての人に、それぞれの暮らしがあったに、それぞれの暮らしがあったのだ。一人一人のかけがえのなのだ。一人一人のかけがえのない暮らしが。見学を終え外に出い暮らしが。見学を終え外に出たとき、ちょうどお昼休みになたとき、ちょうどお昼休みになり校庭に走って行く子供の声がり校庭に走って行く子供の声が聞こえてきた。きっとこんな日聞こえてきた。きっとこんな日だったのだ。あの日も。広島にだったのだ。あの日も。広島に明るい子供の声が戻ったことを明るい子供の声が戻ったことを心から喜ばしく思う一方で、対心から喜ばしく思う一方で、対照的な暗くて重く、悲しい気持照的な暗くて重く、悲しい気持ちが胸いっぱいに広がった。ちが胸いっぱいに広がった。

  国立広島原爆死没者追悼平和  国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、被爆した神父たち祈念館では、被爆した神父たちの映像作品に見入った。そしての映像作品に見入った。そして一つのことを確信した。戦争は一つのことを確信した。戦争は日本人が悪かったのではない。日本人が悪かったのではない。アメリカ人が悪かったのではなアメリカ人が悪かったのではない。戦争が悪かったのだ、と。い。戦争が悪かったのだ、と。初めは外国人だからと人目を避初めは外国人だからと人目を避けたりもした神父達だったが、けたりもした神父達だったが、不眠不休で負傷者の治療に当た不眠不休で負傷者の治療に当たり、大きな貢献を果たした。国り、大きな貢献を果たした。国籍も、身分も全て関係なく、本籍も、身分も全て関係なく、本当に多くの人々の命を奪い傷つ当に多くの人々の命を奪い傷つけた戦争が大嫌いだと思った。けた戦争が大嫌いだと思った。

  そして広島平和記念資料館。  そして広島平和記念資料館。目を背けたくなる資料が数多く目を背けたくなる資料が数多くあることは覚悟していた。同時あることは覚悟していた。同時に、それらから絶対に目を背けに、それらから絶対に目を背けず、この目で見て考えるというず、この目で見て考えるという覚悟もできていた。それでも足覚悟もできていた。それでも足 がすくんだし、涙も出た。亡くがすくんだし、涙も出た。亡くなった方々の遺品の展示が最もなった方々の遺品の展示が最も印象に残っている。焼け焦げた印象に残っている。焼け焦げた弁当箱。黒い雨のしみが残る洋弁当箱。黒い雨のしみが残る洋服。人々の暮らしそのものであ服。人々の暮らしそのものであり、それがたった一発の原爆り、それがたった一発の原爆で、一瞬にして奪われたことので、一瞬にして奪われたことの証だった。また、被爆し亡く証だった。また、被爆し亡くなった少年の言葉が今でも私になった少年の言葉が今でも私に刺さったままである。「これだ刺さったままである。「これだけ大きな戦争で、学徒の僕たちけ大きな戦争で、学徒の僕たちが生きておられることのないのが生きておられることのないのは、覚悟しとったよ。お母ちゃは、覚悟しとったよ。お母ちゃんは、人のためになることを。」んは、人のためになることを。」まだ中学生の少年に、こんなむまだ中学生の少年に、こんなむごいことを言わせる戦争が、こごいことを言わせる戦争が、この世界に存在してよい理由が一の世界に存在してよい理由が一体どこにあるのだろう。憎く、体どこにあるのだろう。憎く、やるせなく、許せない。平和講やるせなく、許せない。平和講話のときからずっと思っていた話のときからずっと思っていたことだが、昔の人々は強い。戦ことだが、昔の人々は強い。戦争中でも希望を失わず支え合い争中でも希望を失わず支え合いながら、生きた。現代の私達よながら、生きた。現代の私達よりはるかにたくましい。そんなりはるかにたくましい。そんな立派な人々の命が、ただ戦争中立派な人々の命が、ただ戦争中であったというだけで失われてであったというだけで失われてしまったことが何より辛い。しまったことが何より辛い。

  平和とは何だろう。戦争がな  平和とは何だろう。戦争がないことだろうか。では〝平和大いことだろうか。では〝平和大国〟日本はやはり平和といえる国〟日本はやはり平和といえるのか。日本は物資的に豊かではのか。日本は物資的に豊かではある。しかし私は、平和とは全ある。しかし私は、平和とは全 ての人が、一人一人が希望をての人が、一人一人が希望をもって自分のやりたいことをもって自分のやりたいことを堂々と行える世界だと思う。だ堂々と行える世界だと思う。だから日本は平和ではないと思うから日本は平和ではないと思うし、地球規模で見ると論外だ。し、地球規模で見ると論外だ。

7676年

前、将来の夢に向かって前年前、将来の夢に向かって前向きに生きる人がたくさん、た向きに生きる人がたくさん、たくさんいたはずだ。この過ちはくさんいたはずだ。この過ちは繰り返してはならないのに、世繰り返してはならないのに、世 界は何も変わっていない。路面界は何も変わっていない。路面電車の少年の声、その原爆を軽電車の少年の声、その原爆を軽視するような声が蘇っては、強視するような声が蘇っては、強い危機感を覚える。このままでい危機感を覚える。このままではだめだ。次に語り継いでいくはだめだ。次に語り継いでいくべき若者が、「平和」をただ享べき若者が、「平和」をただ享受している現状は必ず打破した受している現状は必ず打破したい。平和への強い思いを胸に心い。平和への強い思いを胸に心の中で鶴を折り続けたい。の中で鶴を折り続けたい。

● 迫力あふれる作品を披露したのは、ダンス部。はじける笑顔で観客を引き込みました。

● 生徒一人ひとりが興味のある テーマを見つけて研究し、レポー トにまとめたり、作品を作ったりす る個人研究の展示。展示会場で は、面白い内容にうなる声も聞こ えました。

ドローン撮影のためにトンネルを作る生徒たち。笑顔でカメラを迎えました。

● 美術部は展示に加え、イラストなども販売。 ● ステージでは、様々な音楽や芝居で観客を魅了しました。 ●育友会ブースでお披露目された100周 年記念グッズは、生徒たちに大人気!

● 模擬店を通し、学年関係なく会話がはず みます。

文化祭

8月 ●カナダ短期留学(高校1年希望者)

   ●夏期特別授業 9月 始業式

   第3回定期考査 6 月 合唱コンクール(高校1年)

6 9

    新型コロナウイルス感染拡大の影響により、実施を見合わせています。

      ●文化祭 PIC

7 月 ● 第2回定期考査 ● 夏期特別授業       ● 終業式

      ● エンパワーメントプログラム(高校1年希望者) PIC P09

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数はかなり少なくなる、朝昼放課数はかなり少なくなる、朝昼放課後の練習にもなかなか来てくれな後の練習にもなかなか来てくれないだろうと思っていましたが、人いだろうと思っていましたが、人数は過去一番と言っていいほどで数は過去一番と言っていいほどでした。忙しい日々が続き、しんどした。忙しい日々が続き、しんどく感じる時もありましたが、練習く感じる時もありましたが、練習参加率がとても高く、活動してい参加率がとても高く、活動している姿を見て本番は絶対に成功させる姿を見て本番は絶対に成功させなければいけないと思いました。なければいけないと思いました。短い期間ではありましたが、全力短い期間ではありましたが、全力で練習に取り組めたなと感じていで練習に取り組めたなと感じています。ます。

  体育祭において応援団は大袈裟  体育祭において応援団は大袈裟かもしれないけれど、多少無理しかもしれないけれど、多少無理してでも参加する価値は十分にあるてでも参加する価値は十分にあると僕は思います。皆で時間をかけと僕は思います。皆で時間をかけて一つの作品を作るということはて一つの作品を作るということはそうないと思います。体育祭の応そうないと思います。体育祭の応援団という機会を得て、一生懸命援団という機会を得て、一生懸命練習をして、試行錯誤を重ね、たっ練習をして、試行錯誤を重ね、たっ ネル委員を務めました。今回も体ネル委員を務めました。今回も体育祭開催が危ぶまれていましたが、育祭開催が危ぶまれていましたが、実施されることになり、パネル委実施されることになり、パネル委員の四人で、「受験学年ではあるが、員の四人で、「受験学年ではあるが、やるなら全力で取り組もう」というやるなら全力で取り組もう」ということで、四人で力を合わせて作成ことで、四人で力を合わせて作成に臨みました。に臨みました。

  抜擢された当初は、原案もなか  抜擢された当初は、原案もなかなか出てきませんでしたが、クラなか出てきませんでしたが、クラスメートの皆の協力も得ながら、スメートの皆の協力も得ながら、ブルーインパルスを自分達に見立ブルーインパルスを自分達に見立てて、須磨の空を飛翔していくとてて、須磨の空を飛翔していくというコンセプトにしました。いうコンセプトにしました。

  製作時に特に頑張った点は三つ  製作時に特に頑張った点は三つあります。一つ目は、ブルーインあります。一つ目は、ブルーインパルスの可動ギミックです。糸をパルスの可動ギミックです。糸を張って滑らせるときに、糸を青く張って滑らせるときに、糸を青く塗ったことで、摩擦で滑らなくな塗ったことで、摩擦で滑らなくなるなど苦労しました。二つ目は空るなど苦労しました。二つ目は空のグラデーションです。上から下のグラデーションです。上から下 た四分程の演技でしたが、僕はそた四分程の演技でしたが、僕はその四分を、時間が経った今でも鮮の四分を、時間が経った今でも鮮明に覚えています。勝ち負け問わ明に覚えています。勝ち負け問わず、皆が一つのことに向かって頑ず、皆が一つのことに向かって頑張りやり切った、そして終わった張りやり切った、そして終わった後に「応援団に入ってよかった」と後に「応援団に入ってよかった」と皆が言ってくれた時は、団長とし皆が言ってくれた時は、団長として努めてきてよかったととても嬉て努めてきてよかったととても嬉しく思い、感動もひとしおでした。しく思い、感動もひとしおでした。

  体育祭や応援団は本当に貴重な  体育祭や応援団は本当に貴重な思い出を作ることができます。僕思い出を作ることができます。僕は友達がいっぱい増えました。皆は友達がいっぱい増えました。皆さんもぜひ挑戦してみてくだささんもぜひ挑戦してみてください。い。

全員の協力による2位

  僕は、二〇二一年度体育祭のパ  僕は、二〇二一年度体育祭のパ にいくにつれて色が薄くなるよにいくにつれて色が薄くなるようにするのが難しかったです。うにするのが難しかったです。三つ目は、明石海峡大橋を立体三つ目は、明石海峡大橋を立体的に見せることです。四人の試的に見せることです。四人の試行錯誤でうまく陰影をつけられ行錯誤でうまく陰影をつけられたと思います。たと思います。

  最後に、クラスメート全員か  最後に、クラスメート全員から三年間の思い出と将来の展望ら三年間の思い出と将来の展望を書いてもらい、高3学年の先を書いてもらい、高3学年の先生方に一言コメントしていただ生方に一言コメントしていただきました。今回の結果は、決しきました。今回の結果は、決してパネル委員だけのものではなてパネル委員だけのものではなく、クラス全員の協力による結く、クラス全員の協力による結果だと思います。果だと思います。 素敵な体育祭

  今年度の体育祭の青団団長を務  今年度の体育祭の青団団長を務めました。めました。

  高校生活最後の体育祭でした  高校生活最後の体育祭でしたが、皆で最後まで悔いなくやり切が、皆で最後まで悔いなくやり切ることができ、さらに総合成績でることができ、さらに総合成績では優勝することもできました。は優勝することもできました。

  僕は高1の時に団員として、高  僕は高1の時に団員として、高2では副団長として、そして高32では副団長として、そして高3で団長として三年間応援団に携で団長として三年間応援団に携わってきました。わってきました。

  色々な立場から経験させてもら  色々な立場から経験させてもらい、本当にそれぞれの色に個性がい、本当にそれぞれの色に個性がありましたが、特に今年の青団はありましたが、特に今年の青団は格別に感じました。格別に感じました。

  正直、受験勉強で忙しい皆にお  正直、受験勉強で忙しい皆にお願いしなければいけないので、人願いしなければいけないので、人

羽田 虎仁

岩岡 玄

「石橋をたたいて渡れ」は石橋役の工夫が勝負の決め手!

● 運動部対抗リレーでは、最初に生徒会チームが飛び出しま した。

● 新競技「宅急便リレー」では、崩れる段ボールに苦戦しつ つも素早く運びました。

● 軽やかな跳躍で競ったのは、高校生のハードル走。

● 高校準優勝のK3(高3)パネル。当日の真っ青な空が映っ たようです。

中学生も高校生もみんなで力を合わせ、勝ち取った総合 優勝! 達成感にあふれた表情ばかりです。

体育祭

10

●後期生徒会選挙

●体育祭 PIC

●研修旅行・首都探訪

 (高校1年/古都:2 泊 3日) PIC P07  (高校2年/東京:4 泊 5 日) PIC

P08

古都研修

● 事前に学んだ伽藍配置に注目した薬師寺。遷都に伴う寺の 移動や自然災害による被害を乗り越えて続くいにしえの地を巡 りました。

石舞台古墳では日本最大級の規模を誇る石室を見学。

現代まで残る古代文化を肌で感じました。

● のどかな風景が広がる明日香村を歩き、

たどり着いた飛鳥寺。万葉歌碑も残る地で、

重要文化財の飛鳥大仏を拝観しました。

● 難波宮跡で過ごした後は、近く の大阪歴史博物館で、現代までの 文化や暮らしを知りました。

● 三十三間堂本堂前で通し矢ポーズ! 堂内では千体千手観音立像に思わず見入り ました。

● 修理を終えた薬師寺の東塔では、そのデザイン性に感嘆の声もあがりました。

ことを学びました。このように昔ことを学びました。このように昔の技術が現在の技術に応用されての技術が現在の技術に応用されていることを出発間近に知り、昔といることを出発間近に知り、昔と今のつながりを発見することがで今のつながりを発見することができました。実際に法隆寺の五重塔きました。実際に法隆寺の五重塔を訪れてみると、飛鳥時代に創建を訪れてみると、飛鳥時代に創建されたものとは思えないほど繊細されたものとは思えないほど繊細で、作られてから約千四百年間ので、作られてから約千四百年間の様々な出来事を耐えぬいてきたと様々な出来事を耐えぬいてきたと思うと、昔の技術、人々の技術の思うと、昔の技術、人々の技術の高さを感じることができました。高さを感じることができました。

  また、奈良時代、現在の新型コ  また、奈良時代、現在の新型コロナウイルスのような感染症「疱ロナウイルスのような感染症「疱瘡」が流行していたことを事前学瘡」が流行していたことを事前学習で知りました。私は、医療も発習で知りました。私は、医療も発展していない時代にどうウイルス展していない時代にどうウイルスを乗り越えたのだろうと不思議にを乗り越えたのだろうと不思議に思いました。しかし、奈良時代に思いました。しかし、奈良時代に創建された東大寺大仏殿を実際に創建された東大寺大仏殿を実際に見て思ったことがあります。それ見て思ったことがあります。それ 過去に目を向ける  今回の古都研修で新たに学んだ  今回の古都研修で新たに学んだことは、未来ばかりに目を向けることは、未来ばかりに目を向けるのではなく、過去にも目を向け、のではなく、過去にも目を向け、過去から学ぼうとする姿勢の大切過去から学ぼうとする姿勢の大切さです。かつて、私は未来にだけさです。かつて、私は未来にだけ目を向け、未来だけから何かを学目を向け、未来だけから何かを学ぶことが成功につながると思ってぶことが成功につながると思っていました。先のことを考えることいました。先のことを考えることによって起こりうる失敗やあらゆによって起こりうる失敗やあらゆる可能性を予想することができるる可能性を予想することができると思っていたからです。と思っていたからです。

  そんな時、日本史の事前学習で  そんな時、日本史の事前学習で東京スカイツリーに使われている東京スカイツリーに使われている心柱は、三重塔や五重塔に使われ心柱は、三重塔や五重塔に使われている柱を模倣したものだというている柱を模倣したものだという

佐野 響子

は、東大寺の大仏の大きさから、は、東大寺の大仏の大きさから、当時の人々の団結力を感じ、その当時の人々の団結力を感じ、その団結力がウイルスを乗り越えるこ団結力がウイルスを乗り越えることにつながったのではないか、ととにつながったのではないか、ということです。これは今現在も一いうことです。これは今現在も一人一人が自分のことだけを考える人一人が自分のことだけを考えるのではなく、周りのことを考え、のではなく、周りのことを考え、協力してウイルスを乗り越えるこ協力してウイルスを乗り越えることの大切さを示唆しているのだととの大切さを示唆しているのだと思います。私たちがどのように行思います。私たちがどのように行動するべきなのか、昔動するべきなのか、昔の人々がヒの人々がヒントを与えているのです。ントを与えているのです。

  以上のことから私は改めて、過  以上のことから私は改めて、過去にも目を向け、過去から学ぼう去にも目を向け、過去から学ぼうとする姿勢の大切さを理解することする姿勢の大切さを理解することができました。古都に実際に足とができました。古都に実際に足を運び、様々な建造物を実際に自を運び、様々な建造物を実際に自分の目で見て、過去と現在のつな分の目で見て、過去と現在のつながりを感じられたこの経験を生かがりを感じられたこの経験を生かして生活していきます。して生活していきます。

(5)

11 12

●芸術鑑賞会

※今年度は芸術鑑賞会に代わり、

 10 月に創立 100 周年コンサートを予定。

●創立記念日(9日)

●第4回定期考査  ●冬期特別授業

●レシテーションコンテスト(高校1年)  

●チャリティーコンサート…

●終業式

生徒会とハンドベル部やギター部、

合 唱 部 が 協 力 し て 校 外 で チ ャ リ ティーコンサートを行っています。

東京研修

密を避けながらも非常に密な内容の四日間

  研修旅行を終えて昨年の古都  研修旅行を終えて昨年の古都研修とは異なる経験ができまし研修とは異なる経験ができました。さらに普段は別の生活をした。さらに普段は別の生活をしている友達と四日間同じ空間でている友達と四日間同じ空間で共に過ごすことの楽しさ、難し共に過ごすことの楽しさ、難しさも感じることができました。さも感じることができました。

  まず初めに東京に着いたとき  まず初めに東京に着いたときその発展具合に驚かされましその発展具合に驚かされました。今まで二回東京を訪れたこた。今まで二回東京を訪れたことはありましたが、改めてそのとはありましたが、改めてその

藤田 那音

規模の大きさを感じました。奈規模の大きさを感じました。奈良・京都と違う所はたくさんあ良・京都と違う所はたくさんありましたが、中でも特に建物のりましたが、中でも特に建物の高さに注目しました。景観を守高さに注目しました。景観を守るために低い建物に制限しているために低い建物に制限している奈良・京都に対して、大量のる奈良・京都に対して、大量の人・モノ・情報が共存する首都人・モノ・情報が共存する首都東京は狭い土地では足りず、そ東京は狭い土地では足りず、その結果、上に上にと高さを活の結果、上に上にと高さを活かしたのだと思いました。インかしたのだと思いました。インターナショナルオレンジで塗らターナショナルオレンジで塗られた東京タワーや江戸の町の様れた東京タワーや江戸の町の様子を展示している江戸東京博子を展示している江戸東京博物館を回り、ホテルに着きまし物館を回り、ホテルに着きました。夜にはテーブルマナーの研た。夜にはテーブルマナーの研修があり、細かいマナーまでと修があり、細かいマナーまでと てもわかりやすく教えてもらてもわかりやすく教えてもらい、貴重な時間を過ごすことがい、貴重な時間を過ごすことができました。また、あれだけのできました。また、あれだけの多人数のコース料理を一度に提多人数のコース料理を一度に提供するホテルのスタッフにも驚供するホテルのスタッフにも驚かされました。かされました。

  二日目はディズニーランドへ  二日目はディズニーランドへ行きました。楽しむのはもちろ行きました。楽しむのはもちろんのこと、スタッフの、人を楽んのこと、スタッフの、人を楽しませるおもてなしにも注目ししませるおもてなしにも注目しながら一日を過ごすことができながら一日を過ごすことができました。僕たちの班は全員がおました。僕たちの班は全員がお揃いの帽子を身に着けていたこ揃いの帽子を身に着けていたこともあって、スタッフの方に会ともあって、スタッフの方に会う度、笑顔で声をかけてもらう度、笑顔で声をかけてもらい、とても楽しめました。班行い、とても楽しめました。班行

● 政治の中心、国会議事堂 では、国会中継で目にする 議場などを見学。厳粛な雰 囲気に圧倒されました。

● 歌舞伎の芝居小屋の前でポーズ! 江戸東京博物館で、江戸の姿や現在に続く文化に 触れました。

動の徹底や時間厳守の観点で動の徹底や時間厳守の観点では、班員同士の譲り合いや協力は、班員同士の譲り合いや協力で乗り切ることができました。で乗り切ることができました。コロナ禍で制限も多い中での研コロナ禍で制限も多い中での研修でしたが、ディズニーランド修でしたが、ディズニーランドに関しては、待ち時間がどれもに関しては、待ち時間がどれも十分程で、たくさんのアトラク十分程で、たくさんのアトラクションに乗れたので個人的にはションに乗れたので個人的にはとても満足の一日でした。とても満足の一日でした。

  三日目は都内の研修地をたく  三日目は都内の研修地をたくさん回りました。最初に訪れたさん回りました。最初に訪れた浅草寺は、東京都内最古のお寺浅草寺は、東京都内最古のお寺であり、古都を思わせる五重のであり、古都を思わせる五重の塔など都会にありながらも他塔など都会にありながらも他とは少し違った雰囲気がありまとは少し違った雰囲気がありました。次に訪れたスカイツリーした。次に訪れたスカイツリーでは景色はもちろんですがそれでは景色はもちろんですがそれよりもエレベーターの速さが印よりもエレベーターの速さが印象に残っています。そしてこの象に残っています。そしてこの日、貴重という点から僕が一番日、貴重という点から僕が一番楽しみにしていたのは、国会議楽しみにしていたのは、国会議事堂研修です。厳重な警備を通事堂研修です。厳重な警備を通り抜け、中に入ります。議場内り抜け、中に入ります。議場内部の様子や豪華な内装の部屋な部の様子や豪華な内装の部屋などを目に焼き付けました。政治どを目に焼き付けました。政治家にならない限りなかなか入れ家にならない限りなかなか入れない場所でもあるので、とてもない場所でもあるので、とても貴重な経験ができました。貴重な経験ができました。

  最終日はタクシー研修です。  最終日はタクシー研修です。いくつか訪問しましたが、一番いくつか訪問しましたが、一番印象に残っているのはお台場に印象に残っているのはお台場にあるチームラボボーダレスであるチームラボボーダレスです。ある程度事前には調べていす。ある程度事前には調べていましたが、予想をはるかに上回ましたが、予想をはるかに上回

● 日本科学未来館では、今後の地球を考えました。理想の未来を実現するには!?

るクオリティーで光と鏡を巧みに使い、るクオリティーで光と鏡を巧みに使い、非非現実的な空間を作り出していました。現実的な空間を作り出していました。

  最後に事前指導で友達と一緒に生活す  最後に事前指導で友達と一緒に生活することで良い所と悪い所が見えてくるることで良い所と悪い所が見えてくるという話がありましたが、僕は悪い所はという話がありましたが、僕は悪い所は見えませんでした。それはお互いに思い見えませんでした。それはお互いに思いやりをもって生活できたからだと思いまやりをもって生活できたからだと思います。制限の多い中での東京研修でしたす。制限の多い中での東京研修でしたが、行って良かったと思えるものになっが、行って良かったと思えるものになったと思いました。たと思いました。

「どうやってフードロスをなくすか」というテーマ で班ごとにポスター発表。

● 最終日のプレゼンでは、身振り手振りを使いながら堂々と発表して いました。

● 班に分かれ、少人数でディスカッションを行いました。テーマは、「自分のアイデンティティーを考える」。趣味や自分 の人柄について、積極的にコミュニケーションを取っていました。

エンパワーメントプログラム

● 高校1年生を対象にした5日間のプログラムで、世界有数の大学に通う留学生とともに様々なカリキュラムに取り組 みます。期間中、会話はすべて英語です。昨年度は新型コロナウイルス感染症拡大の影響により海外研修を断念せざ るを得ませんでしたが、校内でも国際交流は行えます!

● 回を重ねるにつれ、生徒たちは自信を持って考えや 思いを話すように!

(6)

Su ma P re ss SUMA G AKUEN A nnual Sc hedule 2022

2022年7月13日発行   発行/学校法人須磨学園〒654-0009 神戸市須磨区板宿町3-15-14  TEL・078-732-1968 FAX・078-732-6129040725200 High School

オックスフォード・

  ケンブリッジ短期留学 高1生の希望者を対象とし た研修です。生徒は、オック スフォード大学またはケンブ リッジ大学、いずれかの大学 の寮で約2週間、現地の大 学生と共に生活します。様々 なアクティビティを通して、コ ミュニケーション能力を高め ます。

オックスフォード・ケンブリッジ短期留学 

岡村 良悟 1月 ●始業式  ●書き初め

2月 高校入試     第5回定期考査 3月 ●フェアウェルパーティー

   ●高校卒業式 PIC  ●3.11 防災訓練     ●マラソン大会(高校2年)   

    ●春期特別授業   ●終業式

   ●オックスフォード・ケンブリッジ短期留学(高校1年希望者) PIC

   ●エンパワーメントプログラム(高校1年希望者) PIC

P09

(各行事の実施月・実施期間は予定であり、変更されることがあります。)

卒業式

卒業生へ卒業証書が授 与されました。卒業生代 表の答辞では、学園生 活を振り返りながら感 謝の思いが述べられま した。

●最後のホームルーム。生徒・

教員みなで思い出を語らい合っ ていました。

3 1

英国の教育

  今回の二週間の留学には、多くの学びがあり、とても楽しく、素晴らしく、最高のものであった。特に印象に残っていることは、日本とは全くと言っていいほど異なっているレッスンや学習方法だ。英国の学習の特徴は、自分で考え、それを伝えて、他者と議論するというところだ。議論しやすいように、席も円の形で座る。先生も話し続けるのではなく、合間にいくつかの問いを出し、生徒同士でどう考えるか話し合い、他者の考えを知 る。他者の意見を知ったり、話し合ったりすることで、レッスンの内容もより一層理解することができた。

  レッスンは毎朝、円の形になり、「

W hat d id you enj oy ?

」という質問から始まった。だんだん話すネタがなくなり、最も難しい質問だった。しかし、今考えてみると、日常の何気ないことを毎日反復して話したことで、英語力が格段にアップしていったように感じている。

  それだけでなく、物理のレッスンを受けたり、運動の時間には、ラグビーを現地の学生に教えてもらったり、フットボールをしたり、他にもイギリスの伝統や文化を直接イギリスの方か ら聞いたり、とても有意義な時間を過ごすことができた。特に

進化

についての講義は言葉では言い尽くせないくらいとても素晴らしい内容だった。

  最後の二日間に二回のプレゼンテーションを行った。一回目はケンブリッジ大学を卒業した偉人についてのグループプレゼンテーションだ。しっかりと準備をし、とてもよいプレゼンテーションを成功させることができたと思っている。二回目のプレゼンテーションは「

M y t im e in Eng land

」というお題のもと、自分が英国に来て何を学んだかを一人ずつ発表した。まず、

誰から始める?

と先生から問われた。僕は今回、自ら、自信と勇気を持って、一番に手を上げた。そして、堂々と前に立って英語でプレゼンテーションを行った。

  今回の留学を通して、英語のスピーキング・リスニングはもちろん、なにより自分に自信をつけることができた。この素晴らしく、有意義な時間を無駄にしないよう、これからに繋げていかなければならないと思う。二週間、世界最高峰の大学で学習できたことを誇りに思っている。

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