はじめに
G・ W
・ブッシュ米政権の環境保護政策と言えば、多くのものが2001
年3
月の京都議定 書離脱を想起するであろう。しかし、ブッシュ政権のこの決定がなくても、連邦議会(以下 単に「議会」と表記)上院が京都議定書を批准することはほとんど不可能であったように思 われる。それは、同議定書が採択される数ヵ月前の1997年7月、上院が 95対 0の満場一致で、
途上国が意味のある貢献を行なわない地球温暖化ガス排出量削減条約に反対するとした、
いわゆるバード = ヘーゲル決議を採択したことからも明らかである。2001年
1月まで続いた
クリントン政権時代にあっても、結局大統領は議定書を批准のために上院に送付すること はなかった。アメリカにおける環境保護政策の位相は、政府規制に反対する強力な経済界の政治的影 響力、および民主党内にすら相当程度浸透している保守イデオロギーなどのため、ヨーロ ッパや日本より、かなり右にずれていると考えてよかろう。たしかにアメリカの環境保護 運動は強力であるが、反対者はそれを上回る政治的影響力を保持している(1)。
それにもかかわらず、そしてレーガン政権以上に保守的と思われるブッシュ政権のもと でも、政権発足以来約7年半の間に、緩慢ながらではあるが、その環境保護政策には興味深 い変化がみてとれる。また、2008年大統領選挙との関係で、あるいは連邦議会において、
今後のアメリカの環境保護政策の方向性について、さまざまな議論や政策案が多方面から 提示されている。
本稿では、アメリカ政治の文脈のなかで、主としてブッシュ政権期におきた変化に焦点 をあてて、その様相と原因について分析したい。
1
ブッシュ政権の支持基盤まず、京都議定書がなぜアメリカで支持されなかったかについて、確認しておきたい。
もともとアメリカでは政府規制に対する反発が強い。多くのヨーロッパ諸国で強力な影 響力をもち、しばしば長年政権を担当してきた労働党ないし社会民主党勢力は、アメリカ では非常に弱小である。アメリカの民主党はその左派のみ、ヨーロッパの社民勢力と似た イデオロギーを支持する。
それに加えて、1990年代後半の政治状況も重要な要因として念頭に入れておく必要があ
ろう。1993年に12年ぶりに民主党政権が誕生したものの、議会、とくに下院を拠点として、
共和党保守派がさまざまな政策領域で主導権をとった時期でもあった。共和党は
1994
年11
月の中間選挙で40年ぶりに上下両院で同時に多数党となったが、その推進力となったのが ニュート・ギングリッチら同党の保守派であった。この選挙において彼らは議席数を一挙 に拡大しただけでなく、議会共和党の指導部も掌握した。彼らを支えたのは、大型減税と規制緩和によって小さな政府を推進しようとする経済保 守派、宗教的争点を重視する宗教保守派、および強硬な外交を支持する外交タカ派の連合 であった。経済保守派のなかには、経営者団体だけでなく、長年環境保護政策に正面から 反対してきた中小企業を中心とする経済団体やイデオロギー集団が含まれていた。
議会共和党ではそれまで、レーガン政権期においても、中道穏健派が大きな影響力を維 持していた。しかし、そのような体制がついに
1994
年11
月に崩壊し、保守派が主導権を握 る新しい議会共和党がここに誕生したのである。保守派共和党議員は概して、民主党に対して激しい対抗心と敵愾心を抱いていた。実際、
この時期に、大統領弾劾、包括的核実験禁止条約(CTBT)批准拒否など、内政・外交両面 にわたって、激しい政党対立が展開された。長年民主党が推進してきた環境保護政策もそ の一部であり、京都議定書もそこに含まれることになった。
共和党が、保守派を中心に京都議定書に反対した理由は多数存在する。1990年代に東ド イツを吸収して低い経済成長に悩まされてきたドイツその他のヨーロッパ諸国と比較して、
非常に高い経済成長率を記録していたアメリカにとって、1990年を基準年とする京都議定 書方式はそもそも相当に不利であった。アメリカの経済学者には、保守派でなくとも、こ のような理由から京都議定書に懐疑的なものが多い。またアメリカでは、石炭による発電 が全発電量の約57%を占めていた(1999年当時の報道)という事情も存在する。
より重要なのは、共和党保守連合の中核を形成する経済保守派の反対であろう。石炭や 電力、エネルギーなどの業界は当然強く反対する。さらに顕著なのは、連邦政府による経 済規制の拡大を断固阻止したがっているイデオロギー的保守の団体や運動である。彼らに よって、企業の負担が増し、ガソリン代も大幅に値上がりし、240万の職が失われるとの警 鐘が鳴らされた。
当時、ビジネス・ラウンドテーブル、地球気候連合(Global Climate Coalition)、あるいはイ デオロギー的団体、シンクタンクなどを構成員とする「クーラーヘッヅ連合」(Cooler Heads
Coalition)
などが活発な反対運動を展開した。保守派にとって同時に重要なのが、京都議定書が国際連合主導であることである。国連 は共和党保守派を形成するどの集団にとっても、「経済的腐敗」、「アメリカの主権を侵害し ようとする存在」、「信仰をもつものを見下す世俗主義者のエリート官僚組織」など、さまざ まの理由で批判の的となっている。京都議定書はある意味で、国連主導で政府規制を強化 しようとしている点で、最悪の条約案ということになる。こうした理由により、京都議定 書に反対する連合には、外交タカ派も加わることになった。
1996
年の共和党副大統領候補であったジャック・ケンプは1999年1
月13
日付『ニューヨーク・タイムズ』への投稿で次のように述べていた。京都議定書は国内外で膨大な数の官 僚集団を作り出し、彼らが曖昧な基準や恣意的な条件を持ち出して経済的な権利を配分し ようとする。アメリカ経済に対する支配権の多くが国連官僚に召し上げられ、アメリカ経 済に新たな負担も押し付けられ、その結果失業も増える。選挙の洗礼を受けない国際機関 の役人にこのように大きな権力を委譲することは、とても受け入れがたい。
潤沢な資金をもつ反対派は
1990年代末に、まるで大統領選挙期間中かと思わせるほど活
発に大量のテレビ広告を連日流した。日本と異なり、環境保護問題がいかに政治化してい るかが、ここからもうかがい知れよう(2)。G・ W
・ブッシュ政権は、実はこのような保守派に支えられて成立した。当初彼に白羽 の矢を立てたのは穏健派の共和党知事たちであったが、ひとたび選挙戦が始まると、また 政権が成立すると、そこで主導権をとったのは保守派であった。その政策アジェンダは、ほとんどが
1990年代後半の議会共和党保守派、とくに下院共和党保守派のアジェンダであ
った。このようにみると、タイミングや、突然の表明といった作法の問題は別として、ブ ッシュ政権が京都議定書を支持しなかったことは、それほど大きな驚きではない。2
ブッシュ政権の保守路線G・W
・ブッシュ政権第1
期の環境保護政策が、二酸化炭素排出量を規制するとの選挙公 約を破って早々と離脱宣言した京都議定書に限らず、既存の環境保護政策一般にきわめて 敵対的であったことは否定しがたい。政権はクリントン政権が実施した多くの規制を即座 に停止した。連邦公有地での資源開発も加速し、産業施設への転用に対して障壁となって いた規制も撤廃した。不成功に終わったものの、北極圏国立野生生物保護区での石油採掘 を認める法律も成立させようとした。不成功に終わったが、飲料水における砒素含有許容 量を80%
削減しようとしたクリントン政権の提案も、葬り去ろうと試みた。2004年、米国環境保護庁
(以下EPAと略記)長官のマイケル・リーヴィットは次のように語った。「経済的繁栄がなければ環境保護での前進もありえない」。「アメリカの経済的競争 力が落ちれば、環境保護で成果を獲得する能力も削がれてしまう。貧困ほど公害を促進す るものはないのだ」。
ブッシュ政権の基本的方針は、市場が公害に対してしばしば最善の解決法を提供する、
というものである。排出削減に成功し、規制値を大幅に下回った発電所には、規制値をク リアできなかった発電所に排出権を販売することを認める手法が提案されるのも、このよ うな発想からである。ただし、それはあくまで自主的に行なわれるべきであり、法的義務 は課されるべきではないと主張している。
このような態度に対して、2001年にその強烈な保守路線に反発して共和党員から無所属 に転じたジム・ジェフォーズ上院議員は、「規制を緩和していくブッシュの手法は、連邦政 府のすべての資源を投入して大気清浄法の遵守を達成し、もっときれいで効率的な発電方 法の開発を促進していく方法よりも、多くの疾病と早死にを生み出してしまうであろう」
と厳しい批判を投げかけている(3)。
ただし、いくつかの留保が必要であろう。
実は、ブッシュ政権はいくつかの重要な環境規制を実行していた。EPAはゼネラル・エレ クトリック(GE)社に対して、何億ドルをも支出することによってハドソン川からPCB(ポ リ塩化ビフェニール)を除去するように命じていた。都市部の汚染された工場跡地の浄化を 促進する法律が制定された。トラックなどのディーゼル・エンジンからの排出物に対する 最初の制限も実施された。ただし、このような成果はほとんど国民に伝わらず、またブッ シュ政権の成果として評価されることもなかったと言えよう。
あまり注目されていないが、2001年6月の演説では、ブッシュ大統領は京都議定書を否定 しつつ、他の方法をもって気候変動に対応すると述べていた。ブッシュ政権は、代替エネ ルギーや関係する技術開発のために370億ドルを支出してきた。原子力発電も推進してきた が、それも一部は温室効果ガス排出削減のためであった(4)。
しかも、バード = ヘーゲル決議にみられるように、京都議定書に懐疑的であったのは、
ブッシュ政権や共和党保守派だけではなかった。この決議に強制力はないが、京都議定書 にアメリカが加わるためには上院議員の3分の2の特別多数の賛成が必要であることを考慮 すると、当初から、アメリカが京都議定書に参加できる余地はきわめて小さかったと言わ ざるをえない。バードは炭鉱のあるウエストヴァージニア州選出とはいえ民主党議員であ るし、ヘーゲルも共和党のなかでは穏健派として知られる。何より、満場一致という数字 に注目すべきであろう。京都議定書的内容について、上院はこのとき超党派で拒否宣言を 発したに等しい。むしろ、クリントン大統領が、あるいは京都に乗り込んだゴア副大統領 が、当時どのような展望ないし成算をもって温室効果ガス7%削減という案を受け入れたか のほうが興味深い。きわめて短期的な政治的得点のために、すなわち上院で批准される見 込みなしに、議定書を受諾した可能性も否定しえないであろう。
にもかかわらず、ブッシュ政権が発足以来、地球温暖化問題の存在を意図的に無視ない し軽視してきたようにみえたこともたしかである。議会証言でも、ホワイトハウス・スタ ッフがその存在を現在形で語ることは禁じられ、可能性を示唆するだけの言葉に変更され た。大胆なイニシアティヴをとる提案はつねに却下されてきたのである(5)。
3 2006
年:変化の端緒ようやく変化の兆しがみえ始めたのは、2006年のことであった。この頃までにカリフォ ルニア州知事のアーノルド・シュワルツネガーをはじめとして、民主党知事だけでなく共 和党の州知事までが、温室効果ガス削減のため州独自の施策に乗り出していた。全国展開 する大企業の一部は、経済的誘因を組み込んだ規制を容認するようになり、州ごとに異な る「キルト細工」の規制体系ないし法制度よりは、むしろ単一の連邦基準制定を求め始め た。経済界がこの問題で、分裂し始めたことは重要である。それまで共和党の堅固な支持 基盤の一つであった福音派教会指導者の一部も、地球環境を守るために積極的な対応を求 め始めた。ここでも共和党保守派の地盤において亀裂がみえ始めたのである。
トマス・カーパー(デラウェア州)上院議員は民主党所属であるが、ブッシュ大統領に会
うたびに、地球温暖化問題に関して、より強力な行動をとるように執拗に求めてきた。1990 年代、デラウェア州知事時代にブッシュと知己を得ていたカーパーは、2006年2月にホワイ トハウスでのヨルダン国王歓迎晩餐会に呼ばれた折、一対一でブッシュと話す機会を得た。
そのとき、彼は大統領が地球温暖化問題でそれまでほど否定的でないと感じた。
ブッシュ自身、数ヵ月後、歴史家たちとの私的な会話のなかで、京都議定書には基本的 な欠陥があるといまでも信じているが、代案も出さない拒否の仕方については後悔してい ると述べた。
穏健派の環境保護団体である「環境防衛」(Environmental Defense)の会長フレッド・クルッ プはかねてから定期的にブッシュと会談を重ねていたが、この頃ブッシュが、京都議定書 を支持しないからといって、それは自分が環境問題で何もしないことを意味するものでは ない、と述べていたと述懐する。大統領の側近たちも同じような変化を当時感知し始めた。
2006年末までに、ホワイトハウスを取り囲む環境も大きく変化した。民主党多数議会の
成立、京都議定書後の枠組みについての国連での討論の開始、そしてアンゲラ・メルケル = ドイツ首相やトニー・ブレア英首相らからの説得などである。それに、かつてエクソン・モービル社重役であったアーサー・G・ランディ・ランドル三世らに率いられた経済界から の説得も加わった。ヨーロッパおよび民主党議会のイニシアティヴを、そしてパッチワー クのように州ごとに異なる規制体系を嫌う彼らは、ブッシュ政権にこそ何らかの主導権を とってほしいと望んだのであった。
その頃、国家安全保障担当補佐官のステファン・ハドリーは
2007年夏の主要 8ヵ国首脳会
議(G8サミット)にどのように対応するかについて考え始めていた。アメリカが受身に回ら ざるをえないこの会合は、彼にとってつねに頭痛の種であった。しかし、今回ブッシュは、何らかのイニシアティヴをとることによって、G8におけるそれまでお決まりの役割分担を 大きく変えることを望んだ。冬にはさまざまなブリーフィングが行なわれ、討論の材料と
第 1 表 米国内の気候変動対策をめぐる動き 2001年
2002年
2005年 2006年
2007年 5月 9月
1月 4月 9月 12月
(出所) 「環境を動かすNGO」『朝日新聞』2008年2月6日。一部、筆者が変更を加えた。http://www.asahi.com/special/
070110/TKY200802060296.html, accessed on April 6, 2008.
ブッシュ政権誕生。京都議定書から離脱
環境非政府組織(NGO)の活動がさかんなカリフォルニア州が全米で初めて自動車由来の温室効 果ガス排出削減の立法
北東部の州が排出総量制限を含む排出量取引協定に合意 ゴア前副大統領の映画『不都合な真実』一般公開 カリフォルニア州が各産業の排出規制の立法
NGOと一部の大企業が主要排出源の削減義務づけなどを求めるUSCAPを設立
複数州とNGOが連邦政府を相手どった訴訟で、最高裁が連邦政府に車由来の排出規制を事実上促 す初判断
車由来の排出規制をめぐり自動車メーカーに訴えられたバーモント州が全面勝訴。12月にはカリ フォルニア州も勝訴。いずれもNGOが訴訟支援
気候安全保障法案が上院環境・公共事業委員会を11対8で通過 車の燃費基準を改善させるエネルギー自立・安全保障法が成立
して削減義務をともなった排出権売買案(cap-and-trade)(6)(以下「キャップ・アンド・トレード」
と表記)も検討された。ただし、政権は結局それを支持するには至らなかった(7)。
4 2007
年の展開それに代えて、ブッシュは
2007年の年頭教書において、代替エネルギー源をより多く使
用することと、燃費の優れた乗用車の使用によってガソリン消費を抑制する計画を語った(8)。 それは2007年12月に「エネルギー自立・安全保障法」
(the Energy Independence and Security Act)として議会を通過し、大統領も署名した。このとき、ブッシュの法律顧問であるダン・バ ートレットは、年頭教書が気候変動の存在を正面から明確に認めることばを含むように万 全を期していた。ブッシュは自分の計画は「地球規模の気候変動の深刻な挑戦に正面から 対応することを促すものである」と述べた。
翌朝、ブッシュ大統領は、カーパー上院議員とともに、デラウェア州にあるデュポン社 の研究センターを訪問した。デュポンは、アルコア、BPアメリカ、GE、PG&E(Pacific Gas
and Electric Company)
、およびピュー・センターを含む四つの非営利団体とともに、「合衆国気候行動パートナーシップ」(USCAP: the United States Climate Action Partnership)と称する連合 を組織している(9)。年頭教書が読まれる前日、このグループはキャップ・アンド・トレード を支持するよう大統領に要請していた。
2007年 4月、連邦最高裁判所は、ブッシュ政権が既存の大気清浄法の下では温室効果ガス
を規制できないと主張してきたことは誤りであると認定する判決を下した。これによって、
州政府による試みは完全に合憲となり、連邦政府が阻止することは不可能となった。
ハドリーの勧めもあって、ブッシュはその直後の
5月の演説にて、京都議定書後の枠組み
について検討するためのイニシアティヴをとると発表した。それは、中国、インドなど、京都議定書では削減義務を課されていない国々をも含むものであった。ただし、9月にアメ リカが招集したその国際会議において、結局ブッシュ政権は新規の政策を提示することは できず、それぞれの国が国際的な拘束力をもたない目標を設定するという案を示しただけ であった。アメリカがここで孤立したことは言うまでもない。ブッシュ政権は、開発途上 国がアメリカを支持すると期待していたが、それは完全な誤りであった。
2007年 12
月、バリで開催される国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)に おいて、誰がアメリカ代表に就任するかについても、政権内で意見対立が生まれた。ホワ イトハウスは、ホワイトハウスに置かれている環境諮問委員会の長であるジェームズ・L・コノートンが率いることを望んだが、コンドリーザ・ライス国務長官は国務次官のポー ラ・ドブリヤンスキーが代表となることを主張し、結局ライスの意向が認められた。これ は、政権内に根強く存在する緊張と対立を反映したものであった。コノートンはバリに赴 いて、国連を脇に置き、アメリカ主導のプロセスこそが京都議定書後の合意への道筋であ ることを強調しようとした。ドブリヤンスキーはそれに強く反発し、アメリカも国連の交 渉の一部となることを主張した。彼女は、バリの会議を、アメリカは非強制的措置以上の 政策を受け入れる用意があることを示す場として利用しようとしていた。当初、それはホ
ワイトハウスによって拒否されたが、結局彼女はバリにおいて、強制措置を含むありとあ らゆる方策が検討対象であると語ることを許容されたのである。
ちなみに同会議は、12月
15日、2013
年以降の国際協定構築に向けたロードマップを採択 した。温室効果ガス削減目標の明記については、アメリカは引き続き強く反対し、交渉の 枠組み作りを重視した日本もこれに同調した。ブッシュ大統領は温暖化問題を、当初は科学的事実に対する合理的対応というよりは、
政治的アジェンダであるとみなしていた。しかし、とくに
2006年冬の一連のブリーフィン
グのあと、大統領は科学的根拠についてかつてより説得力があると考え始め、なすべきこ とが多数あると感じ始めた。大統領は関心をもっていないという批判に反発し始め、2007 年暮れの記者会見では、他のどの質問よりも多くの時間を割いて地球温暖化問題について 答えた。「私はこの問題を深刻であると考えています」。そして大統領は「われわれはそれに 対する戦略を作りつつあります。それも強力な戦略をです」ということばを繰り返したの である(10)。すでにみたように、変化は
2007年を通してかなり顕著であった。地球温暖化について語
るため、ブッシュはアル・ゴアをホワイトハウスに招待し、40分会談した。多くの環境保護運動活動家は、こうした動きを何もしない政策を糊塗するためのジェス チャーにすぎないとして一蹴する。たしかに、ブッシュは多くの共和党系企業経営者です ら必要性を認める強制力をともなった二酸化炭素ガス排出量の制限を依然として拒絶して いる。バリでの会議において、ブッシュ政権の代表者は、まさにそのような手法を拒否し て、参加国の怒りを買うことになった。
「大枠がかなり劇的に変わったことは確かだ」と、地球的気候変動に関するピューセンタ ー会長のアイリーン・クローセンは認める。彼女は、企業と非政府団体の連合である合衆 国気候行動パートナーシップの指導者でもあり、ブッシュに対するロビーイングを展開し てきた。「しかし、政策的な処方箋はまったく変わっていない」。
もし議会がいわゆるキャップ・アンド・トレード案を成立させた場合、ブッシュ大統領 が署名するかどうかが注目されている。議会が超党派で、合理的なタイムテーブルを伴い、
経済的な安全弁も備わったキャップ・アンド・トレード法案を可決すれば、大統領は署名 すると予測する議員は少なくない(11)。
ちなみに、そのような法案のなかで最も有力と思われているものに、ジョゼフ・リーバ ーマンとジョン・ウォーナー両上院議員によって提案されている法案が存在する。2007年 末の『ワシントンポスト』の記事は、ブッシュ政権最後の1年間の政権の優先事項は、とく に政権の評価や遺産との関係で、中東和平と気候変動問題の二つに絞られたと分析してい る(12)。
5
最近の宗教保守派の動向近年の動向として注目されるのが、これまで長期にわたって地球温暖化問題で共和党保 守派と同じ態度をとってきた宗教保守派の分裂である。以下はその一つの例である。
2008年に入ってから、44
人の南部バプティストの指導者たちが、南部バプティスト会議(the Southern Baptist Convention)の地球温暖化に関する公式の態度から決別することを決断し、
気候変動に関して積極的な行動をとることを求める宣言を支持した。その宣言は、それま での同会議の立場が「あまりに臆病である」と決めつけている。
南部バプティスト会議は約
1600万人の信者を擁しており、アメリカではカトリック教会
に次いで最大の教派である。同会議は政治的・神学的に保守的であることでよく知られて いる。しかし、現議長のフランク・ページ師は、「環境と気候変動に関する南部バプティス ト宣言」に署名した。同会議の前・元会長の2人も署名に加わったほか、神学校やバプティ スト系大学の校長・学長、バプティスト系新聞の編集者、そして牧師らが署名した。多く は若い世代に属している。この宣言は、「このような争点に対するわが教派の取り組みは、これまでしばしばあまりに臆病であり、統一した道徳的発言力を作り出すことに失敗して きた」と述べている(13)。
2007年に採択された南部バプティスト会議の決議は、地球温暖化に対してより懐疑的な
態度をとっていた。例えば、近年の地球温暖化現象に対してどの程度人間に責任があるか について、「科学者は分裂している」と述べていた。ところが、2008年の新決議は、「ます ます証拠が積み重ねられているなかで、われわれがこの問題に対して慎重な対応に終始し ていると、世界から、アメリカはまったくこのような問題に関心をもたない国であり、乱 暴かつ無知な国だとみなされるであろう。われわれはもっと良くなることができる」と断 言する。2008年の文書は同時に、牧師に対して環境についてもっと説諭するように促し、すべての
バプティスト信者に対して、環境保護政策に対して心を開いて対応するように説いている。
「南部バプティスト環境と気候イニシアティヴ」の全米スポークスマンであるジョナサ ン・メリットは、この宣言は、すべてのキリスト教徒に対して、神が創り賜うたこの世界 を守るようにという聖書に書かれた要請に回帰するように訴える文書であると説明する。
「要は、環境の危機は神学的な問題であるということである」。「キリスト教徒は、この争点 を世俗主義者に委ねるわけにはいかない。われわれは最前線にいなくてはならない」。
ここで紹介した南部バプティストの動きは、福音派キリスト教徒の間でここ数年間拡大 しつつある動きの一部である。彼らは、気候変動問題にもっと早くから取り組まなかった ことに対して後悔の念を表明し、さまざまな場で行動の必要を訴え始めているのである。
ここには世代的な要素も存在する。南部バプティスト会議の場合、このイニシアティヴ は、若手指導者の影響力が高まってきたことの結果であった。ただし、彼らもこれまでの 指導者同様、人工妊娠中絶には断固反対である。これは宣言にも記してある。しかし、環 境問題も優先順位の高い問題とみなされるようになったことが大きな違いである。アラバ マ州バーミンガムにあるビーソン神学校長のティモシー・ジョージ師は、「われわれはいか なることがあっても、生命の神聖さをないがしろにしない」と語る。
ただし、依然として多数の強力な南部バプティストの指導者が、当該宣言に署名してい ないことも事実である。
宗教保守派は、とくに1994年中間選挙後に、いくつかの共和党保守派の基本政策を正面 から支持した。キリスト教連合(Christian Coalition)による減税、とくに家族を単位とした減 税に対する支持がその典型例であろう。あるいは、宗教保守派の指導者の一人、ゲアリ ー・バウアーはミサイル防衛の熱心な支持者であり、それを推進する連合にも加わってい た。こんにち、そのような一枚岩的構造が変化し始めた(14)。
6
大統領選挙とのかかわり大統領候補の環境保護政策をみると、基本的構図としては民主党候補と共和党候補の間 に大きな溝が横たわっている。前者はきわめて熱心であり、大きな国民的な犠牲を呼びか け、アメリカが生産しエネルギーを使用する方法を変える必要があると訴えた。それに対 して、共和党候補は、気候変動は問題かもしれないと認める程度であり、ジョン・マケイ ンを除くと、包括的解決を提示した候補は存在しなかった。
2000年、ゴアは地球温暖化を自分の大統領選挙戦の中心的争点に据えようとしたが、そ
れは一般有権者に訴えるにはあまりに複雑にして理解しにくい争点であると説く側近に説 得されて、断念したと言われる。同様に、ジョン・ケリーも2004年、気候変動問題への対 応として、野心的な解決策を用意していたが、ホームページ以外ではほとんど公表されな かった。こんにち、アメリカの雰囲気は当時と比較するとたしかに大きく変わったと言えるかも しれない。議会は現在、2050年までに地球温暖化ガス排出量を
65%
近く削減する超党派法 案を審議中である。このようななか、ジョゼフ・バイデン、ヒラリー・クリントン、バラク・オバマ、ジョ ン・エドワーズ、ビル・リチャードソン、そしてデニス・クシニッチは全員、そのような 法案よりはるかに野心的な公約を携えて民主党大統領候補公認選びに立候補した。いずれ も今世紀半ばまでに排出量を80%(リチャードソンの場合
90%)
削減するという案であり、こ れは国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書で求められているのと同じ削減 量である。提案されている手法はすべて、総排出枠が決められたなかでのキャップ・アンド・トレ ード方式であり、しかも総排出枠そのものも徐々に縮小されていく。発電所等は排出量を 削減するか、それを満たせない場合には排出権を購入することを義務づけられることにな り、基本的に経済的誘因を最大限活用しようという政策案であると言ってよかろう。すな わち、環境保護に熱心である民主党ですら、経済的誘因を重視しており、単に政府規制の みで目標を達成しようと提案している候補者は存在しないことに注意する必要がある。
ただし、民主党側は全候補者とも、市場にすべてを任すつもりはない。彼らは皆、二酸 化炭素を大気中に放出せず、地下に貯蔵するといった、よりきれいな燃料を開発するため の投資も支持している。クシニッチを除いて、原子力発電についてすら、さまざまな条件 を付けながらも、容認する姿勢を示している。
共和党側についてみると、ミット・ロムニー、ルードルフ・ジュリアーニ、フレッド・
トンプソン、マイク・ハカビーらは、エネルギー問題を語るとき、ほとんどつねに石油へ の依存からアメリカ外交を脱却させるという文脈においてのみ語っていた。全員が原発に 賛成し、エネルギー利用の効率化を支持し、そしてよりクリーンな技術の開発を約束した。
このなかでハカビーのみが、排出量削減のため、強制力をともなう政府規制を支持する可 能性を示唆した。他の候補は、ブッシュ政権が進めてきた政策、すなわちコストがかから ず、実質的には産業界に、できる範囲でできることを行なうように要請するだけの自主的 アプローチを支持した。
共和党立候補者のなかでは、ジョン・マケインのみが異彩を放ち、民主党にきわめて近 い立場をとる。彼は、この問題では上院における長年の指導者であり、超党派的法案を支 持してきた。2003年、彼はリーバーマン上院議員とともに、義務的削減をともなう措置に よって2050年までに排出量を
65%
削減する法案を提出した。選挙戦でも、マケインはこの 問題に頻繁に触れている(15)。オバマとクリントンの2人に絞ってもう少し詳細に、環境保護での政策提案をみてみよう。
クリントンの公約はおおよそ次のとおりである。2050年までに排出量を
1990
年比で80%削
減する、市場型のキャップ・アンド・トレード制度を導入する、自動車の燃費基準を2020
年までに1ガロン当たり40マイル、2030年までに同55マイルに引き上げる
(2007年は27.5マ
イル)、2025年までにアメリカの電力供給量の25%を再生エネルギーに転換する、2030年ま でに自動車用燃料向けに、国内産のバイオ燃料600億ガロンを生産する(2006年のエタノー ル生産量は約50億ガロン)、そして二酸化炭素の隔離、その他のクリーン・コール・テクノロ ジーの開発を支持する。オバマの提案も、地球温暖化ガス排出量削減については同じ、自動車の燃費基準につい ても乗用車については同じ、小型トラックについて2020年までに32マイルまで引き上げる、
電力供給についても
25%を再生可能エネルギーに転換、バイオ燃料についてもほぼ同様。
原子力発電についてはさまざまな条件をつけつつ、アメリカの多様なエネルギーの一つであ るべきとの立場をとり、クリーン・コール・テクノロジーについても同じ政策を提唱する。
すなわち、2人の差はほとんど存在しない。その意味でこの
3
人の誰が大統領になるにせ よ、新政権は市場重視の手法を基本に据えた環境保護政策に前向きとなることは確実であ る。ただ、過半数を割ったとはいえ、議会で依然として強い影響力を保持する共和党、と くに同党保守派の抵抗も過小評価できない(16)。国際条約の場合には上院の3分の1の反対者 を糾合すれば批准を阻止できるため、ここに横たわる障壁は依然としてきわめて高い。民 主党政権・民主党多数議会の場合ですら、ヨーロッパ諸国との距離は依然大きいとみるべ きであろう。7
議会での対立の構図最後に、議会に存在する環境保護政策をめぐる対立の構図について簡単に触れたい。
資源保全有権者連盟(the League of Conservation Voters)は、環境保護を推進しようとする有 権者からなる環境保護団体である。ただし、免税および所得控除の権利と引き換えに選挙
活動やロビーイングが禁じられた啓蒙的団体(米国歳入庁IRS規則
501©
(3)団体、グリーンピ ースUSAなどが該当)、あるいは免税と引き換えに選挙活動が禁じられた団体(501©(4)、シ エラクラブなどが該当)と異なり、同連盟はいわば政治活動委員会である。すなわち、所得 控除の特権は与えられていないが、同連盟は政治献金も行なうし、選挙において候補者の 当落を直接左右しようとする活動にも従事する。ある意味で、環境保護運動全体の政治部 門の役割をもつ(17)。同連盟は毎年、自らが選んだ環境保護関連法案に対する賛否を点数化し、それに基づい て現職上下両院議員全員を採点している。ここでは2007年について同連盟が公表した「全 国環境問題得点表」(the National Environmental Scorecard, 2007)に依拠して、議会の動向を概観 したい(18)。ちなみに、2007年については上院の場合
15の、下院は 20の法案を同団体が選び
出し、それについての賛否をもとに0点から100点満点までの間で点数化している
(共和党 からは、同連盟の法案選択がしばしば党派的であるとの批判も投げかけられている)。当然ながら上院と下院について別々のデータが存在するが、本稿では議員数が多い下院 についての数値に依拠して紹介したい。まず顕著なのが、かねてより存在する地域差がこ んにちでもそのまま残っていることである。平均して点数が高いのは、第1図より明らかな ように、北東部であり、次いで太平洋沿岸地域、および中西部諸州のカナダ国境隣接州で ある。逆に、点数が低いのは、西部山岳州および南部諸州である。ただし、下院について も、人口の少ない州の場合、配分された議員数も1―2人程度であり、偶然的要素が強まる ことを念頭においておく必要がある。
同時に顕著なのが、以上のパターンが、民主党の強い州と共和党の強い州とかなりの程 度重なり合っていることである。2000年および
2004
年の大統領選挙の結果ともある程度符 合する。http://lcv.org/scorecard/, accessed on April 20, 2008.
(出所)
第 1 図 環境保護法案に対する米下院の動向
―資源保全有権者連盟による全国環境問題得点表
0―19% 20―39% 40―59% 60―79% 80―100%
HOUSE
資源保全有権者連盟は、2年ごとに改選を迎える議員のなかから十数名を選び出して、
「環境汚染議員」(Dirty Dozen)の「称号」を与えている。2006年の名簿をみると、15名がそ の「栄誉」にあずかっているが、そのうちの2名のみが民主党議員であり、残りは皆共和党 議員である。同連盟はこれらの議員を落選させるべく、選挙戦に介入したが、その結果、
2006年については4
名が当選を果たしたものの、その他全員が落選した(19)。同連盟は
2007
年の成果についての総括において、2006年の中間選挙で得点の高い議員が 指導部につき、また、以上のような経緯で環境保護に敵対的な議員が多数落選したことが重 要な原因となり、立法面で顕著な前進があったと宣言した。とくに同年末のエネルギー自 立・安全保障法の成立は、同連盟にとっても画期的な成果であった。ただし、2006年中間 選挙は、環境保護問題というよりイラク戦争や共和党議員のスキャンダル等のために、共 和党にとってとりわけ厳しい環境における選挙となったことも想起しておく必要があろう。いずれにせよ、議会の構成は、従来の対立の構図を色濃く残しつつも、2007年初頭以降、
以前より環境保護問題に前向きな構成となっていることは否定できない。
終わりに
2008年 4
月17
日、ブッシュ大統領は地球環境問題について演説を行ない、地球温暖化対策として「2025年までにアメリカの温室効果ガスの排出量の伸びをゼロにする」との総量 目標を初めて明らかにした。これは欧州連合(EU)の環境大臣理事会が
2007
年に決定した「2020年までに排出量を
1990年比で 20%以上削減」といった目標と比べるとかなり低い。義
務的な目標設定に反対する姿勢も変わっていない。これは同月18日までパリで開かれてい たアメリカ主導の主要排出国会議に合わせて行なわれた演説であった。本年6月にはキャップ・アンド・トレード案の導入を柱とする気候安全保障法案の上院本 会議での審議が、
7
月には北海道洞爺湖サミットが控えている。議会で審議中の主な法案は、いずれも
2010
―15年をピークに排出量を削減していく内容となっている。ブッシュ提案に 対しては、予想どおり、民主党から、そしてヨーロッパ諸国から、厳しい批判が寄せられ ている(20)。ブッシュ政権が地球環境問題に対する態度を、発足時からかなり変化させたことは確実 である。ブッシュ自身の認識の変化、経済界や宗教保守派など自らの支持基盤における分 裂、州政府・議会・最高裁判所、そして同盟国などからの圧力などがその原因であろう。
今後の注目点としては、洞爺湖サミットにおいて政権がさらに譲歩を行なうかどうか、議 会主導でどの程度の義務的削減を盛り込んだ法案が成立するか、そしてそれにブッシュ大 統領が署名するかどうかであろう。
大きな変化が訪れるとすれば、すでに示唆されているとおり、2009年の新政権成立後と なる。ただし、その場合でも、ヨーロッパと同水準の厳格な排出量規制が打ち出される可 能性はきわめて小さいであろう。
(1) 環境保護をめぐる政治過程のアメリカの特徴については、以下を参照。久保文明『現代アメリカ
政治と公共利益―環境保護をめぐる政治過程』、東京大学出版会、1997年。
(2) 以上の経緯は以下を参照。久保文明「地球温暖化問題」『AERA MooK 新国際関係学がわかる』、 朝日新聞社、1999年、91―95ページ;より長期的な流れからは以下を参照、井口治夫「冷戦終結後 の米国外交と地球温暖化問題」『同志社アメリカ研究』第44号(2008年3月)、1―26ページ。
(3) 以上の経緯・発言等は以下を参照。Felicity Barringer, “Bush’s Record: New Priorities in Environment;
The Bush Record: Third in a series. Environmental Policy,” The New York Times, Sept. 14, 2004, at http://
proquest.umi.com/pqdweb?did=691783721&sid=1&Fmt=3&clientId=56608&RQT=309&VName=PQD, accessed on April 22, 2008.
(4) この前後の記述は次の文献を参照。Peter Baker, “In Bush’s Final Year, The Agenda Gets Greener,” The Washington Post, Dec. 29, 2007, http://proquest.umi.com/pqdweb?index=0&did=1405029251&SrchMode=
1&sid=2&Fmt=3&VInst=PROD&VType=PQD&RQT=309&VName=PQD&TS=1208846609&clientId=
56608, accessed on April 22, 2008.
(5) 以上の記述は、ibid.
(6) この案においては、まず許容される総排出量が政府によって設定される。これが強制力のある上 限となる。それに基づいて地球温暖化ガスを排出する施設は許容される排出量が割り当てられる が、それを下回ることができた施設は、遵守できない施設に排出権を、市場を通じて販売するこ とができる。総排出量自体は徐々に厳しい数値に変更されていく。
(7) 以上の記述は、Baker, op. cit.
(8) http://www.whitehouse.gov/news/releases/2007/01/20070123-2.html
(9) 合衆国気候行動パートナーシップ(the United States Climate Action Partnership)について、その政 策勧告、とくに参加企業については、以下のサイトを参照。http://www.us-cap.org/
(10) 以上の記述は、Baker. op. cit.
(11) 以上の記述は、ibid.
(12) 以上の記述は、ibid.
(13) “A Southern Baptist Declaration on the Environment and Climate Change,” http://baptistcreationcare.org/node/
1, accessed on April 22, 2008.
(14) 本節の以上の記述は以下を参照。Needa Banerjee, “Baptists Want More Done about Warming,” The International Herald Tribune, March 11, 2008.
(15) 以上の記述は主として以下を参照。“The One Environmental Issue,” The New York Times, Jan. 1, 2008, at http://proquest.umi.com/pqdweb?index=6&did=1405948711&SrchMode=1&sid=3&Fmt=3&VInst=PROD&
VType=PQD&RQT=309&VName=PQD&TS=1208846726&clientId=56608, accessed on April 22, 2008.
(16) 例えば、リバタリアン系のシンクタンク、ケイトー研究所は、規制に反対し、技術開発に全力を 注ぐことを提案する。Patrick J. Michaels, “Global Warming: No Urgent Danger; No Quick Fix,” http://www.
cato.org/pub_display.php?pub_id=8651, accessed on April 22, 2008.
(17) http://lcv.org/, accessed on April 22, 2008.
(18) http://lcv.org/scorecard/2007.pdf, accessed on April 22, 2008.
(19) http://www.lcv.org/newsroom/press-releases/2006-dirty-dozen.html, accessed on April 22, 2008.
(20) H. Josef Herbert, “Bush Proposes New Climate Change Strategy,” The Washington Post, April 16, 2008, http://
www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/0416/AR20080416003, accessed on April 18, 2008;『朝 日新聞』2008年4月17日(夕刊)。
くぼ・ふみあき 東京大学教授 http://kubo.j.u-tokyo.ac.jp/