持続可能性の経済学―循環型社会を目指して―
第 5 章 自由貿易と環境保護の両立
井土 聡子・笹川 詩乃・林 光史
1.問題の所在―地球サミットからWTOへ
①リオ宣言とアジェンダ21(地球サミット1992.6)
内容:自由貿易と環境保護は両立可能かつ両立させる必要がある 環境基準の差による一方的貿易措置は厳に慎むべきである
地球規模の環境問題については国際的合意に基づいて対処すべきである
⇔貿易と環境の関連については地球サミットにおいて合意済み
↓
②なぜ貿易と環境に関する問題が発生したのか?
原因1)マグロ・イルカ事件でのGATTパネルの裁定
原因2)GATTが制定されたのは、地球環境問題が顕在化する以前(1994年)
↓
③貿易と環境に関する問題の解決が求められるように〜WTO委員会の設立〜
マラケッシュにおけるGATTの閣僚会議において、途上国の反対を押し切って「貿易と 環境に関する委員会」の創設が正式決定
2.問題の背景と具体的事例
(1)自由貿易を目指すGATTと環境保護を目的としたMEA(国際環境協定)との関係
環境保護のために今後もMEAの全てをGATT(WTOに優先させるべきか否か
易
GATT上の自由貿易の権利を侵害される GATT
自由貿易を目指す
モントリオール議定書
フロン等規制対象物質の締約国間の貿 は自由だが、非締約国との貿易は禁止
(2)環境基準の差と一方的貿易措置 マグロ・イルカ事件…PPM問題
ポイント:自国の管轄権外での製造過程の環境基準を理由とした貿易措置がGATT 上認められるか否か
GATTパネルの裁定…域外適用は認めない
→環境基準を基にした干渉が自由貿易体制の崩壊につながる恐れがあるから 米国環境保護団体の主張…域外適用を認めるべき
→環境基準の緩い国からの産品輸入に対する歯止めがなくなり、自国産業の国際競 争力が低下し、ひいては自国の環境基準緩和の要求や操業停止、環境基準の緩い国 への逃避が起こり、自国の環境基準低下や自国での雇用減少と他国への公害輸出を もたらす恐れがあるから
(3)厳しい環境基準と貿易障害
★一国(一地域の)環境基準が厳しいために、当該基準が他国から見て貿易障害となる
①デンマークボトル事件
デンマーク政府が自国の環境保護のために飲料 容器について、強制預託金制度、回収再利用の 義務付けを含む厳しい規制を行った
↓
これが貿易障壁であるとの批判を受け、提訴さ れる
↓
欧州裁判所はデンマーク政府の環境保護のた めの措置が自由貿易を阻害することを認めた上 で、環境保護は一定の条件付であるが自由貿易 に優先するとした
②ドイツ包装廃棄物政令
ドイツは他国に先駆けて、容器包装材の事業者に よる回収・リサイクルの義務付け等を内容とする 厳しい規制を実施
↓
EC加盟国や、日本などの世界の主要国にも一種 の非関税貿易障壁として影響
↓
EU 共通でもう少し緩やかな包装廃棄物に関す る指令を制定
↓
ドイツ包装廃棄物政令は EU 指令との整合を強 いられた
③ISOの環境管理・監査システムとEUの環境管理・監査システム
ISOのシステムとEUのシステムが異なれば、EUへの輸出に際して、EUの規格に準拠しているこ とが求められ、それが非関税障壁となりうる
(4)NAFTAと環境付帯協定
NAFTA……アメリカ・カナダ・メキシコ三国間の自由貿易圏の創設を目指す
アメリカ・メキシコ間の環境基準の差から、米国の環境基準の低下、国境地帯の環境 劣化、米国企業のメキシコへの逃避を懸念する意見が相次ぎ、環境と雇用に関する付 帯協定の締結を要求、後に発効
3自由貿易と環境保護の両立可能性
・自由貿易と環境保護とはトレードオフの関係にあるという説←先進国の環境保護団体を中心 に広く行われている。
①自由貿易が促進されると経済は成長し、結果必然的に環境負荷を増大させる。
②無制限な貿易は資源を枯渇させ、野生生物種の絶滅につながる
③有害廃棄物の自由移動は途上国の環境を汚染する ETC
↑
↓
・これに対して、
① 自由貿易による所得増が環境対策費の支出を可能にし、人々の関心を高める
② 野生動物保護のために象牙などを輸入禁止にすると、かえって像が減るなどの主張
・実際はどうなのであろうか
・3では二人の研究者の研究結果が示されているが、二人とも自由貿易は環境にとって良いと いう結論を出す。
(3−1)研究者その1 グロスマンクルーガーの研究
・自由貿易と環境破壊は3つの側面から観察する必要がある。
3つの側面 → スケール効果・産業構造効果・技術効果
①スケール効果 経済規模の拡大
②産業構造変化 自由貿易が進んだ段階で、どこに汚染多発産業が集まるか
③技術効果 技術が進歩すれば1単位の生産量あたりの汚染物質の排出は減少する
・グロスマン=クルーガーは経済成長と大気汚染の関係について分析(一人あたりGDPと大 気汚染の関係)
・大気汚染のデーターは世界の都市のSO2と粉塵、スモーク
・都市は世界各地から選ばれ、国も発展途上国から先進国まで幅広く選ばれた
・結果 SO2排出増分(排出量とは異なるので注意)は一人当たりGDPが5000$までは上 昇する。それ以降は減少 →貿易が自由化し、所得が増加しても汚染はそれに比例しない
・ この研究の問題点(一概にこれにより自由貿易と環境保護は両立するとは言えない)
① 所得と汚染の関係についての調査であるから必ずしも貿易と汚染の直接的な関係を示すも のではない。
② SO2などによる大気汚染のデーターだけでは他の物質による大気・水質・土壌に対する 影響はわからない。
③ 調査時点が12年間に渡ってしまっており、データーの中に技術進歩が織り込まれている。
④ 国ひとりあたりのGDPを経済の指標としているのに、SO2の指標は都市のものである クルーガーによる具体的な例
NAFTA(北米自由貿易協定)によるアメリカ、メキシコの環境への影響について
NAFTA による両国の産業構造の影響について、別の研究の成果から大気汚染については電力
事業、有害科学的物質については化学産業等を汚染多発産業とみて検証
・アメリカで電力や化学産業の需要が若干増加
・メキシコでは食品、繊維などエネルギーをあまり使わない非熟練労働集約産業が増える → トータルでは環境面で+効果
・ 問題点 データーが乏しいことや、資本までも自由化し、メキシコへの直接投資が増加す る場合についてはわからない。
・
(3−2)研究者その2 アンダーソン
アンダーソンは先進国で保護政策が採られている典型的産業である石炭及び農産物につき、国 内の保護政策が撤廃され、貿易も完全に自由化された場合の影響を研究。今回は主に彼の農産 物問題の研究についてふれる
もし仮に 1990 年に(1)先進国だけが農産物政策を自由化した場合 (2)前述の(1)に 加えて、途上国も工業化振興政策のための農産物価格抑制製作をやめた場合 の二つのケース がもし1990年に発生していた場合の世界経済への効果と、農産物の生産移転状況を検証
結論 先進国、途上国ともに+の効果(特に2のケース)
農業の生産移転は先進国から途上国へ
この結果が世界の環境に与える効果、そして経済面での効果を考慮したトータルの効果
・農業補助金と化学肥料の関係・米の価格と殺虫剤使用量に高い正の相関関係
↓ 途上国の方が補助金は低い よって環境面では+効果
・ 農用地の利用 途上国では農産物価格に対する弾力性は低いので森林破壊は大きな問題で はなく、かえって農業による所得増で燃料用の森林破壊が減少
途上国へ農業の生産がシフトしても環境を悪化させないための政策
① 自由化と同時に途上国での適切な環境政策(森林伐採税など)
② 農業補助金の撤廃
③ 農産物の生産増が化学肥料や殺虫剤の使用で達成されるのを防ぐための環境基準の強化 問題点 データーの制約 環境への影響が金銭ではかれない 適切な環境政策を見出しうるか
(例えば税の水準)、それが実現可能か ETC
4環境基準の差と国際競争力
現在貿易と環境問題でもっとも注目を集めているのは製造工程にかかる環境基準の差の国際競 争力への影響の有無と程度の問題である。果たして環境基準の差は国際競争力に影響するの か?
4では二人の研究者が登場し、二人とも環境基準の差による国際競争力への影響はほとんど無 いという結論を導き出す。
(4−1)研究者1 グレイ=ウォルター
米国、欧州、日本の多国籍石油化学企業を中心に、新規プロジェクトの決定に果たす人為的イ ンセンティブおよびディスインセンティブの効果に関する聞き取りを行った。
45の投資インセンティブ・ディスインセンティブのうち、環境規制のゆるさをあげたのはベ ルギーの一社だけであった。 かつ、そのインセンティブとしての重要度はさほどでもなか った。
結論 1983年以前には石油化学産業の立地に際して環境規制はインセンティブのうちで重 要な要素ではなかった。
問題点 ・石油化学産業以外については不明 ・この研究が誘致国政府が設けたインセンティ ブのみを対象としているため、人為的インセンティブの無い状況で環境基準の差が効果を発揮 するかどうか不明 ETC
(4−2)研究者2 トーベイ
環境基準の差の国際競争力への影響を論ずる。 汚染防止費用の高い商品を選び、1970年代 のデーターを使い、貿易と環境基準の関係を調査した。
結論 環境基準と貿易量の間に有意な水準は見出せなかった。1960年代後半から1970 年代前半の環境規制強化に伴う産業界の大幅なコスト増は国際競争力にさほど影響を及ぼさな かった。
(4−3)ただし、今後も環境基準の差が国際競争力に影響を与えないとは限らない。
途上国が一斉に公害規制に乗り出した・先進国でも新たに廃棄物やリサイクルに関する法律が 制定・環境税と国際競争力への問題 ETC
(4−4)環境基準の差と一方的貿易処置
仮に将来環境基準の差が国際競争力に大きな影響を持つようになった場合、環境基準の高い国 が低い国に対して自国の環境基準の低下や、公害輸出を防止する手段として、一方的な貿易処
置をとることの是非 (EX マグロ事件)
このような処置は競争力の弱った先進国の産業を国際競争から守るための保護主義につながる 危険性をもつのみならず、さらに大きなリスクを含んでいる。
→ 国際競争力に影響を与える要素は環境基準だけではなく、様々な要因がある。(EX 税 制・為替政策・労働力の質と賃金水準)環境基準の差を理由に一方的処置を認めてしまうと、
労働基準や税制などの差を理由として同様の処置が次々と導入され、多角的自由貿易体制を崩 壊させるリスク
米国の多くの環境保護主義者が主張するように、環境基準を先進国のレベルで統一するべき か?
→先生の意見=NO 政策の優先順位がある
途上国では環境基準の遵守が経済を停滞させてしまう
よって、それぞれの国の実情を考慮しつつ底上げを図るべきである。
5 . 国際環境協定と自由貿易
(1) MEAの下での貿易措置の要件
地球環境保護のための MEA のなかに、非締約国に対する貿易上の差別条項が挿入され ているとき、この条項と自由貿易の原則との抵触が問題となる。
ex)モントリオール議定書−オゾン層破壊物質であるフロンや代替フロンの使用量・生産量を規制 第4条において非締約国との貿易規制を規定 a)締約国と非締約国間での対象物質および対 象物質を含んでいる製品の貿易の禁止 b)対象物質を用いて生産された製品の締約国への輸 入禁止・制限の実行可能性を発効から5年以内に決定する
・なぜMEAの中に非締約国に対する貿易差別条項が挿入されるのか
MEA締約国−コストを負担してMEAに参加しているのであるから、MEAの便益が 非締約国の行動で損なわれてはたまらない
MEA 非締約国−コストの負担をせず、締約国の努力のメリットのみを享受できれば越し たことはないので、「ただ乗り」の誘惑が生じる
→非締約国のメリットを減じてMEAへ参加させるために、MEAの中に非締約国に対する 貿易差別条項が挿入
→ここで問題なのは非締約国が自国の意志に反して貿易上の制約を受けることであり、非 締約国がガット加盟国であればガット上の権利と抵触
・MEAの中に非締約国に対する貿易差別条項が認められるとしたらどのようなときか →WTOでの議論に際して、MEAの対象となる地球環境問題に対する重要性・緊急性・客観 性(化学的根拠)の世界各国の認識の統一の必要性
なぜなら… ex)オゾン層の破壊−目に見える形での破壊の事実が提示、危険性も明らか、原因物質
の特定とその除去も比較的単純、便益が費用を上回る →MEA(モントリオール議定書)が締結
非締約国への貿易差別条項の挿入
ex)温暖化−重要性・緊急性についての明確かつ共通の認識は必ずしもない
そして、議論の後合意された優先度の高い問題への対処を目的とするMEAについて、
費用効果を考慮しつつ、非締約国に対する貿易上の差別措置を織り込むことが許される べき。(ただし、現実には世界の共通認識を得るのは困難であり、また非締約国の経済レ ベルが相当低い場合考慮が必要。)
現状:モントリオール議定書についてはガット/WTO加盟国のほとんどが議定書加盟国であり、
ガットとMEA の関係を承知の上で両方に加盟していると考えざるをえない。この場合はガッ トとMEA との衝突が起こる可能性は少ない。しかしながら大きな混乱が生じる可能性もない わけではなく、WTO の「貿易と環境委員会」において継続的に議論されてきたが未だに結論 を得ていない。
(2) ガットとの整合性
MEA非締約国への貿易措置を認めた場合ガット(WTO)との整合性をどうするか。
「環境保護手段と国際貿易に関する研究グループ」による1994年1月の研究結果報告 →2つの解決案を検討
① あらかじめガットの条項の中にMEAの貿易条項を認めうる条件を明記
→地球環境問題に関する知見と認識が十分でないなかで、適切な条件を定められ るかどうか。たとえ可能であっても利害が対立するなかでその通り設定できる か。条件を緩和すると乱用される危険もある。
② ガット一般協定25条による義務免除(ウェーバー)の援用
→ケース・バイ・ケースの対処であり、毎年その必要性について見直しの義務もあり、
安定性にかける。しかしガットからWTOへの改組によって加盟国の3/4以上の賛 成がなければ義務のウェーバーは認められなくなったので、これだけの国が認める ようなMEAの貿易措置であれば納得感は得られる。
⇒どういう場合にMEA 中の貿易差別措置が認められるかについての国際的コンセンサスづ くりを図る
現状:1996年、日本から法的拘束力を持たないガイドラインの提案を行った。WTOと適合す るMEAの要件とそれに基づく貿易措置の要件を規定し、その要件を満たした場合にMEAの 貿易措置を認めるというもの。その後第20条に「締約国に提出されて否認されなかった多国間 環境協定に基づく義務に従ってとられる措置」という文言を追加する案も出されるが見送られ、
ガット/WTOとMEAの貿易措置の関係は不安定なままである。
(3) インセンティブとディスインセンティブ
MEA非締約国をどのようにしてMEAに加盟させるか。
・ディスインセンティブ(ムチ)を与える
技術協力の打ち切りやMEAの対象品目とは無関係な商品の輸入制限などの非締約国に 対する制裁措置、MEA自体の貿易差別措置
・インセンティブ(アメ)を与える 資金援助、技術移転・援助など
→Blackhurst, R. and A. Subramanian(1992) によると、ディスインセンティブよりイン センティブの方が優れている
ex)モントリオール議定書―差別的な貿易措置とモントリオール基金(資金・技術協力のメカ ニズム)の設立
→優先順位の問題を考えてもインセンティブを多用すべき
先進国と途上国の間には、環境問題とそれ以外の問題の優先順位と同時に、環境問題そ のものについても優先順位には大きな差がある
先進国―環境問題の優先順位が高く、特に地球環境問題の優先度が高い 途上国―環境問題の優先順位は高まっているものの、中心は公害問題
さらに、共通だが差異ある責任の合意やMEAが先進国主導で、しかも地球環境問題に ついて締結されることを考慮