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コミュニティネットワークを通じた環境への取り組み 尾形浩一朗

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Academic year: 2024

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コミュニティネットワークを通じた環境への取り組み              尾形浩一朗、北岡薫、広瀬朋子、福地佑子、松本英志郎

環境問題への取り組みを考えたとき、地球規模から個人のレベルまで存在し、そ の捉え方がわからずに呆然としてしまうことがしばしばある。では、私たちが実感として 捉えやすい規模というのはどういったものだろうか。そこで、「コミュニティ」というもの を取り上げようと思う。

まず、コミュニティとはなんであるか。そもそも、コミュニティという概念は、

米国の社会学者Robert Morrison MacIverによって初めて取り上げられた。広辞苑の定義 によると、コミュニティとは「一定地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団」とされて いる。

私たちが個人単位の活動ではなく、コミュニティという「集団」を取り上げるこ とにはどのようなメリットが存在するのだろうか。直感的には「一人で何かするよりも、

みんなでやった方がきっとうまくいく」と考えることは容易である。しかし、本当にそう なのか、集団になることで発生するデメリットというものも少なからず存在するのではな かろうか。これに関しては「集団心理学」や「社会心理学」の分野の中で、古くから実験 を伴って検証が行われている。

まず、私たちが注目したのは「社会的促進」という概念である。これは、簡単に 言うと、個人が単独で行動する場合と、そこに誰か他人が加わった場合とでは、後者の方 がよりよい結果をもたらすという考えである。この現象について最初に検証したのは、ア メリカの社会学者Triplett(1898)であった。彼は、自転車競技において、単独で走る場合よ りも、ペースメーカーのあとについて走る場合や、競争の場合によりよい記録が多く出て いるということに気づいた。そこで、釣りのリールを用いた実験を考案し、2人並んで巻き 取り作業を行う方が、単独で行う場合よりも作業量が大きくなるという結果を得た。

後に Allport(1924)はこのような「集団」における現象を「社会的促進(social

facilitation)」と呼んだ。その後、1930 年代の前半まで、集団状況における共行動が個人

の成績にどのような影響を及ぼすのか、というテーマで多くの研究が盛んに行われた。そ の中で、常に個人の作業が促進されるというわけではないことも分かってきた。

一方、このような共行動(coaction)に対して、観衆(audience)の存在による個人の 行動への影響を検討する流れも存在する。これにも、促進効果がしばしば認められるのと 同時に、阻害的効果も認められる。たとえば、Travis は、大学生を対象として、ある作業 をそれ以上練習してもほとんど成果が上らないという状況で、観察者のいる状況を作り、

そこでさらに練習させた。その結果、観察者がいた方が一人だけでやる場合よりも平均得 点が高かった。このことからTravisは、観察者の存在がこの作業において成果を促進する 要因となっていると解釈した。また、Begum とLehrは陸軍ガードマンの訓練を受けてい るものを被験者とし、光の点滅をモニターしてその誤りをチェックする課題を与えた。そ して、監視がいる場合といない場合で比較した。この場合、監視がいる方がいない場合よ

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りも、誤りの発見率が高くなった。例に挙げた二つの実験では「観察者」の存在によって、

個人の行動に促進効果が見られた。一方で、7個の無意味音綴りの記憶について観察者の影 響を調べたPessin(1933)の実験では、学習に要した反復回数は単独で9.85回、観察者を伴

う状況で11.27回と、学習の阻害が見られた。これに対し、学習した内容の保持を調べる再

学習過程では、1日後に単独で36.59%の節約、観察者がいて46.39%の節約を示し、以後3

日目には 37.57%対 53.06%とより顕著な促進が示された。この時、観察者の存在によって

学習には阻害が、学習内容の遂行には促進効果が現れていたといえる。

このように、共行動、観衆の存在、双方において個人の活動を促進する場合と阻 害する場合の両方が存在している。そして、促進と阻害のどちらが発現するかは、与えら れた状況や行動者、観察者の属性などによって異なってくる。

次に、「コミュニティ」というものを取り巻くつながりやネットワークについて考 えてみる。ここまで、「個人」とその周辺の共行動者や観察者の影響力について考えてきた。

この「個人」と「他者」との間の影響関係は、あるコミュニティと他のコミュニティとの 相互関係にも当てはめることができるのではないかと考える。すなわち、個人が誰かに影 響を与え、また影響を受けるのと同様の現象が複数のコミュニティの間にも存在するので はないかということである。これは、自治体や企業間の活動を見ることでも直感的に感知 することができる。このことからさらに発展させて、私たちの考えるコミュニティという ものを以下の図のように表すことが出来る。

例としてゼミというコミュニティで考えると、中の黒丸を個人とし、その個人が 一回り大きなサブゼミという円に属し、一番大きな枠がゼミ全体という風に捉えることが 出来る。そして、黒丸間の直線によって、個人間の情報交換や実際の個人の移動を表して いる。さらに、この図はコミュニティの規模がどのようなものであっても有効であると考 えている。例えば、一番外の枠を大学全体で捉えれば、内部の円はゼミや学部と捉えるこ とも出来るし、日本全体で考えれば今回のような対抗ゼミでのつながりと考えることも出 来る。では、この外枠の外部での様子はどのようになっているのだろうか。

私たちはコミュニティというものを考えるにあたって、「実際の生活に直接関わっ

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ていて、その存在を感じることのできる規模」という基準で、コミュニティであると考え られるものの例を挙げてみた。その結果、商店街、スーパー、町内会、学校、塾、バイト 先、職場、サークル、授業、ゼミ、飲み屋、家族、デイケアセンター、老人会、銭湯、病 院、ライブハウス、フリーマーケット(イベント)などがコミュニティの例としてあげる ことが出来るのではないかと考えた。家族を最小単位として、学校や町内会といった自分 がもともと属しているものから、イベントという能動的に参加するものなどまで、さまざ まなものがある。私たちがこのような例を挙げてみて気づいたことは、「ある個人は多くの 場合、複数のコミュニティに属している」ということである。

個人はまず生まれた時点で家族という最小単位のコミュニティに属することとな る。その上で、成長していくにつれて学校や職場などのコミュニティへと累積的に参加し ていくこととなる。累積的というのは、たとえば就職して家を出ることとなっても、それ で家族や地元の友人関係などがまったく無くなってしまうわけではない、というようなこ とを指している。

個人が複数のコミュニティに属しているという状況は、上の図のように表すこと が出来る。複数のコミュニティに属する個人が、一方で得た情報を他方に持ち帰ったり、

コミュニティ間を移動したりする事によって、コミュニティAB間を結びつけることが出来 る。さらに、個人がコミュニティ内で他の個人と接触することにより、その個人がまた複 数のコミュニティに属していれば、下の図のようにさらに多くのコミュニティの間につな がりが生まれることとなる。

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このように、複数のコミュニティに属する人間の存在によって、複数のコミュニ ティを連結する役割を果たすコミュニティが存在するということが考えられる。これをさ らに拡大し、発展させたのが次の図である。

四角や丸の一つ一つがコミュニティを表し、それぞれが他のコミュニティを介し て連結しあい、全体としてネットワークを形成している。人間社会だけに限らず、地球規 模で物事を捉える際にも、このようなネットワーク状の構造が存在しているのではないか と考えている。例えば生物の世界では、大雑把に言えば動物・植物・菌類などが密接に絡 み合い、お互いに影響しあいながら自然を形成していることからもこのネットワーク構造 の考え方が欠かせない。すなわち、すべての要素はどこかでその他のすべての要素とつな がっているという考えである。

ここまでで見てきたように、コミュニティという視点で物事を捉える際にメリッ トとして考えられるのは、まず、「個人が集団に属することによる成果の促進」、次に、「ネ ットワーク全体を通しての影響力の大きさ」という二つの要素が挙げられる。この二つの 要素を利用することによって、環境問題への取り組みをより効率的に行うことが出来るの ではないだろうか。

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私たちの取り組みのこれからの課題は、第一に「どのような状況で社会的促進と いう現象が起こるのか」ということ。第二に、上の図からもわかるように、各コミュニテ ィはそれぞれが持つつながりの数や強さに違いがある。そのような状況で、「どういったコ ミュニティに働きかけるのがより効果的なのか」、ということ。この二つを考えていくこと によって、環境問題への取り組みのより効率的かつ効果的なあり方を考えていきたいと思 う。

・実際の生活に直接関わっていて、その存在を感じることのできる規模

商店街、スーパー、町内会、学校、塾、バイト先、職場、サークル、授業、ゼミ、飲み屋、

家族、デイケアセンター、老人会、銭湯、病院など

カテゴリ分け⇒特徴を見つける。共通点、相違点

・ 構成員の年齢

・ 規模(人数)

・ 帰属意識の高さ

・ 常に属しているのか、一時的なものか(受動的or 能動的) 例)年齢層別にみる主な所属コミュニティ

〜10   幼稚園、小学校、習い事、町内、病院

〜20   学校、クラブ、サークル、塾、ライブハウス、バイト先、町内、病院

〜30   職場、飲み屋、サークル、町内、病院

〜60   職場、サークル、町内、病院 それ以上  デイケアセンター、老人会、病院

・それぞれのコミュニティに見られる特徴

 →必要性、影響力、継続性、柔軟性、ポテンシャル

・情報発信→拡散→外部とのリンク→ネットワーク         ↑バウンド効果

ある情報を発信すると、その情報は人から人へと伝わっていく。この現象を情報 の拡散と呼ぶ。情報が有益なものであればあるほど、情報の拡散効果はより大きくなって いく。

また、情報があるコミュニティから、別のコミュニティへと拡散することを、情報のバウ

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ンド効果と呼ぶことにする。コミュニティ相互間でのバウンド効果により、より大きなネ ットワークを通じて情報が共有されることになる。

・どのようなコミュニティから発信するのがより適切か?(スタート地点の設定)

よりよいアプローチを検証する一環として、私たちは環境負荷の低減に取り組む 京都のお店を取材し、その情報をインターネット上やのちに冊子によって市民に発信して いくという活動を行っている。また現在、市と市民と学生が連携し、京田辺市内の各家庭 で不必要になった家具などをリユースしていくという活動を行っているが、これは学生が 市民にはたらきかけることで環境負荷低減の情報を共有するネットワークが広がっていっ た例である。

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