─ 65 ─ Microbiol. Cult. Coll. 26(1):65─67, 2010
皮膚糸状菌の交配行動
皮膚糸状菌,いわゆるミズムシ,タムシ菌として代 表的な Trichophyton(トリコフィトンあるいは白癬 菌 ) 属 の 有 性 型 は 子 嚢 菌 門 の Onygenales, Arthrodermataceae の Arthroderma(アルスロデル マ)属である.交配はヘテロタリック, 交配型は(+),
(−)と表現されるが,形態学的に違いはなく,テスター 菌株との交配行動によってのみ交配型が判定される
(図 1).Trichophyton mentagrophytes (Robin)
Blanchard 1896 (トリコフィトン・メンタグロフィテ ス)の有性型には A. benhamiae Ajello & Chung 1967(アルスロデルマ・ベンハミエ),A. simii (Pinoy)
Stockdale et al. 1965(アルスロデルマ・シミイ),A.
vanbreuseghemii Takashio 1973(アルスロデルマ・
バンブルースゲミイ)の 3 種が知られている.これら の 3 種は交配行動,形態,分布生態等によって別種と されてきたが,分子系統学的には極近縁で,これらの 3 種間および Trichophyton の他菌種とも交差交配に より,F1の性比がほぼ 1:1 で,遺伝子の交雑が起き る事が明らかにされ,本属分類について整理再編がな されつつある.ここでは A. benhamiae の有性生殖に ついて紹介する.
交配方法と観察:塩類加 1/10 サブロー培地あるい は乳幼児毛髪や小動物の毛を滅菌して素寒天に置いて 培地とする.図 1 に示すように被検菌株とテスターの
(+) と(−) 株 の 夫 々 を 対 峙 し て 接 種 し,25 ~
* 現在は千葉大学名誉教授(真菌医学研究センター)
*Present status: Professor Emeritus, Medical Mycology Research Center, Chiba University
コラム「ヒト病原真菌」4
西村和子
千葉大学真菌医学研究センター * 〒260-8673 千葉市中央区亥鼻 1-8-1
Fungi pathogenic for humans 4
Kazuko Nishimura
Medical Mycology Research Center, Chiba University*
1-8-1 Inohana, Chuo-ku, Chiba, Chiba 260-8673, Japan
交配型(−) ×被験菌 被験菌×交配型(+)
図 1 Arthroderma benhamiae Americano-European race との交配試験.塩類加 1/10 サブロー培地,
25℃,63 日間培養.ペット動物の皮膚真菌症から 分離された被検菌は交配型(−)と交配が成立し,
黄色の小顆粒(裸子嚢殻)が生じている.白色の 極小顆粒は偽の裸子嚢殻で,内部には子嚢胞子は ない.
図 2 裸子嚢殻,子嚢胞子,殻壁菌糸およびらせん体.
黄色のマスは子嚢胞子の集団,亜鈴状細胞連鎖からなる 殻壁菌糸の先端から菌糸がコイル状に巻いて伸びている.
西村和子 コラム「ヒト病原真菌」4
─ 66 ─ 30℃,暗黒下で 3 ヶ月以上培養する.交配が成立する と黄色の毛玉が現れる組み合わせがあり,図の場合は
(−)と交配し,裸子嚢殻が形成される.つまり,交 配型は(+)である.裸子嚢殻は外壁を形成せず,支 持組織は菌糸の緩い三次元網目構造で,内部には子嚢 形成のための特別の構造はなく,内部全体に増殖した 造嚢糸から子嚢が生じる.子嚢壁は融解し,黄色い子 嚢胞子が集塊をなしている.外壁に相当する構造は亜 鈴状の細胞連鎖からなる殻壁菌糸で,唐草模様状に
カーブ,分岐する.先端には細い菌糸がコイル状に巻 きながら伸びている(図 2,3e,3g).子嚢胞子は凸 レンズ状である(図 3f).
交配の始まり(子嚢果原基)を走査型電子顕微鏡で 観察すると,ペアーの 2 菌株は 7 ~ 10 日で培地表面 に広がり,合い接した部分では太い菌糸突起が現れ,
一方が他方の周りを巻くように発達する.中心の棍棒 状菌糸は造精器,巻いているのは造嚢器となり,造精 器先端が造嚢器に接着し核が送りこまれて,(+)と
a
d
f g
e
b c
図 3 子嚢果原基と裸子嚢殻の SEM 像
a ~ d:対峙培養 7 日目.a:交配の始まりと思われる像,菌糸の側壁が膨 らみ(左),それに寄り添い巻くような太い短菌糸(右).b:造精器の周 囲を造嚢器が巻き始めている.c:造精器先端は受精糸となって造嚢器コ イルに接着.d:造嚢器コイルの表面にはどちらの菌株からかは解らない が無性世代の細い菌糸が覆い始めている.e:22 日目,未熟な裸子嚢殻.
f, g:63 日目.f:成熟した殻壁菌糸の間から溢出してきた子嚢胞子,凸レ ンズ状で表面の凹みは互いに接触していたため,皺はアーチファクト.g:
殻壁菌糸とらせん菌糸.
スケールバー a ~ d は 5
mm,e は 100 mm,f は 2 mm,g は 10 mm.
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Microbiol. Cult. Coll. June 2010 Vol. 26, No. 1
(−)の核は共役核分裂により増殖,造嚢器からは造 嚢糸が発生してくる(図 3a ~ d).この頃になると周 囲から無性世代の菌糸が伸びて立体的に網目状構造を 作り始め,周辺には殻壁菌糸が発達してくるので,内 部の造嚢糸から子嚢へと変化する過程は表面から観察 できない.それ故,パラフィン包埋切片に核染色した り(Weitzman et al., 1968),透過型電子顕微鏡によっ て観察がなされている(Farley et al., 1976).造嚢糸 は分枝伸長しながら裸子嚢殻の内部に広がり埋め,先 端は鉤状に曲がり,先端から 2 番目の細胞が子嚢と なって,内部に 8 個の子嚢胞子を形成する.
疫学と生態:Arthroderma benhamiae はヨーロッ パとアフリカでヒト,イヌ,ネコ,げっ歯類,モルモッ ト,ヒツジ等,A. simii は南アジア,特にインドでヒ トとサルに多い.A. vanbreuseghemii は世界的に分 布し,特に日本を始め東アジア,北アメリカでは圧倒 的に多い.先の 2 菌種は,近年本邦にヒトの移動や輸 入小動物を通じて移入し,ヒトと動物症例が発生し,
特に A. benhamiae は国内で動物−ヒト感染,ペット 飼育ファーム,動物園内感染もあり,既に定着してい ると言える.いずれもバイオセイフティレベル 2 であ る.
ヒトと動物の分離株の交配型の分布には偏りがあ り,A. benhamiae, A. vanbreuseghemii はほとんどが
(+)である (Hironaga & Watanabe, 1980; Summerbell et al., 2002).ちなみに,ヒトからの分離頻度が最も高
い T. rubrum,および格闘技をする学童・学生に近 年流行中の T. tonsurans は有性型が知られていない が,A. simii との交配試験では大部分が(+)に対し て反応し,子嚢胞子産生に至らないが裸子嚢殻を発生 する.つまり交配型は(−)である.交配型の偏りの 原因は解っていない.
文 献
Farley, J.F., Jersild, R.A. & Niederpruem, D.J. 1976.
Ultrastructural aspects of ascosporulation in Arthroderma quadrifidum (=Trichophyton ter- restre). Sabouraudia 14: 337-341.
Hironaga, M. & Watanabe, S. 1980. Mating behavior of 334 Japanese isolates of Trichophyton mentagro- phytes in relation to their ecological status.
Mycologia 72: 1150-1170.
Summerbell, R.C., Weitzman I. & Padhye, A.A. 2002.
The Trichophyton mentagrophytes complex: biolog- ical species and mating type prevalences of North American isolates, and a review of the worldwide distribution and host associations of species and mating types. Studies in Mycology 47: 75-86.
Weitzman, I., Allderdice, P.W., Silva-Hutner, M. &
Miller, O.J. 1968. Meiosis in Arthroderma benhami- ae (=Trichophyton mentagrophytes). Sabouraudia 6:
232-237.