化学と生物 Vol. 50, No. 7, 2012 479
今日の話題
ミトコンドリアゲノムの母性遺伝のメカニズム
オートファジーによる父性ミトコンドリアの分解
ミトコンドリアは真核細胞においてエネルギー生産を 担う重要な細胞内小器官である.また,ミトコンドリア は細菌の共生を起源とするオルガネラであり,核ゲノム とは別の独自のゲノムDNA (mtDNA) をもっている.
mtDNAの変異は,骨格筋・脳などに異常を生じるミト コンドリア病の原因となることが知られているほか,糖 尿病の発症やがん細胞の悪性度にも深く関与していると 考えられている(1〜3).興味深いことに,性をもつ多くの 動植物においてmtDNAは必ず片親から,多くの場合母 方のみから遺伝することが知られている(母性遺伝). この特徴から提唱されたのが,母方のmtDNAを元に人 類の祖先をたどっていくと数十万年前のアフリカの女性 に行きつくというミトコンドリア・イブ説である.とこ ろが,mtDNAが母性遺伝するメカニズムについては実 は不明な点が多く残されていた.受精時に父性ミトコン ドリアがそもそも受精卵に入らないと考えられていた時 期もあったが(一部の種においては正しい事実である), 実際はヒトをはじめとした多くの生物で父性ミトコンド リアが受精卵に侵入することが確認されている(4).さら に,受精卵の中の父性ミトコンドリアそのもの,または その中のmtDNAが積極的な分解を受けている可能性が 示されていたが(5〜7),その実行因子は謎であった.
我々は線虫 を使って,このmtDNAの母性 遺伝のメカニズムを解明できないかと考えた(8).
は遺伝学的解析が可能なモデル生物として,発生 学や神経科学の分野などで広く用いられている.さら に,体が透明なため,受精前後の卵細胞内の様子を生き たままで観察できるという特徴がある.まず我々は,精
子由来ミトコンドリアの受精卵における運命の可視化を 試みた. には雌雄同体と雄の性が存在し,雌 雄同体の卵子と雄の精子を受精させることができる.そ こで,雄の精子内のミトコンドリアをマイトトラッカー
(ミトコンドリアを特異的に染色する色素)で蛍光標識 後,雌雄同体と交配し,受精卵における父性ミトコンド リアの動態を追跡した.その結果,線虫の父性ミトコン ドリアは受精卵に持ち込まれた後,2 〜16細胞期にかけ て徐々に消失していくことが明らかとなった.このこと は父性ミトコンドリアそのものが受精卵の中で分解され ていることを示唆している.次に我々は,父性ミトコン ドリアの分解にオートファジーが関与しているのではな いかと考えた.オートファジーとは,細胞が自分自身の タンパク質や細胞内小器官をオートファゴソームという 膜で包み込み,リソソームと融合させることで分解する システムである(9).もともとオートファジーは,飢餓の 際に細胞の一部を非選択的に分解し再利用することで栄 養源を確保するシステムとして発見されたが,近年では 特定の基質をオートファゴソームに取り込む 選択的 オートファジー経路 も存在することが明らかとなって きている.まず受精卵におけるオートファゴソームの動 態を調べるため,オートファゴソーム膜のマーカーであ り,その形成にも必須なLGG-1(Atg8/LC3の線虫ホモ ログ)の受精卵における局在を観察した.すると,受精 直後の受精卵において,侵入した精子成分の周囲に局所 的にオートファゴソームが形成されることを見いだし た.このLGG-1の集積は受精しないと起きないこと,
逆に複数の精子が卵子に侵入した場合はそれぞれの精子
図1■受精卵における父性ミトコン ドリアのオートファジーによる分解 受精依存的に誘導されるオートファ ジーによって父性ミトコンドリアと そこに含まれるmtDNAが分解され る.この分解によりmtDNAの母性 遺伝が成立する.また,ユビキチン 化されたMOsもオートファジーに よって受精卵から排除される.
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前核の周辺にオートファジーが誘導されることから,精 子由来成分の侵入が引き金となってオートファジーが誘 導されると考えられる.また,このオートファゴソーム は,細胞質中に多数の母性ミトコンドリアが存在するに もかかわらず,父性ミトコンドリアを選択的に取り囲む ように形成されていた.さらに, などオートファ ジー経路で働く遺伝子の機能欠損線虫では,通常は発生 初期に分解されてしまう父性ミトコンドリアが幼虫期に なっても残存していた.また,PCRを利用して父性 mtDNAを特異的に検出できる方法を考案し,正常な線 虫とオートファジー欠損線虫を比較したところ,正常な 線虫では検出されない父性mtDNAが,オートファジー 欠損線虫では検出されるようになることが明らかとなっ た.以上のことから,オートファジーによって父性ミト コンドリアを選択的に分解除去することが,mtDNAの 母性遺伝を成立させるために必要であることが明らかと なった(8).
では,父性ミトコンドリアはどのようにして特異的に 認識されているのであろうか? 近年,選択的オート ファジー経路において,基質のユビキチン化が目印と なっているケースが報告されている.またほ乳類におい ては,精子のミトコンドリアが受精前にすでにユビキチ ン化されているという報告もある(7).ところが,線虫に おいては受精の前後にかかわらず精子ミトコンドリア上 に抗ユビキチン抗体による顕著な染色は観察されなかっ た.代わりに,別の精子由来の膜構造であるMembra- nous Organelles(MOs,ゴルジ由来の特殊化した膜成 分)が受精後に強くユビキチン化されることを見いだし た.おもしろいことに,父性ミトコンドリア同様,ユビ キチン化されたMOsもオートファジーによって分解さ れていた(8).このことから,オートファジーは精子に由 来するオルガネラ全般を受精卵から排除していると考え られ,我々はこれを allophagy(allogeneic(非自己 の )organelle autophagy) と 呼 ぶ こ と を 提 唱 し て い
る(図1)(10).
本研究からオートファジーが父性ミトコンドリアを排 除する仕組みであることが明らかとなってきた.しか し,どのようにして父性ミトコンドリアだけを識別し分 解するのか,なぜ父性ミトコンドリアを除去せねばなら ないのかなど依然として多くの謎が残されている.興味 深いことに,通常,ミトコンドリアは細胞内で増殖した り互いに融合したりするが,オートファジー欠損線虫に 残存している父性ミトコンドリアはこれらの活性はない ようである(8).受精に至るまでの過程で父性ミトコンド リアは疲弊しているのか,あるいは増殖・融合しないよ うに精子形成時にプログラムされている可能性が考えら れる.今後,父性ミトコンドリアを認識するメカニズム の解明や,ほ乳類など様々な生物における検証が進むこ とにより,父性ミトコンドリア分解の生理的意義が明ら かになると期待される.
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10) M. Sato & K. Sato : , 8, 424 (2012).
(佐藤美由紀,佐藤 健,群馬大学生体調節研究所 細胞構造分野)