2017年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文
コンタクトレンズ小売業2社の比較研究
A1442571 吉田雅史 2018年1月15日提出
目次
はじめに
1. 基本情報・前提情報
1-1. コンタクトレンズ業界・各企業の情報
1-2. コンタクトレンズ業界の歴史
2. 疑問・仮説 2-1. 疑問
2-2. 仮説
3. 仮説検証
3-1. 仮説の検証方法
3-2. 仮説1の検証
3-3. 仮説2の検証
4. 結論
あとがき
参考文献
はじめに
本論文は、コンタクトレンズの小売業についての分析である。筆者は中学1年生から大学4年生の、
約10年間コンタクトレンズを使用してきた。それにも関わらず、コンタクトレンズの製品に関する 知識、コンタクトレンズ業界に関する知識がほとんどないことに気が付いた。「なぜ、いつもアイシテ ィはビラを配っているのか。」「なぜ、レンズメーカーであるHOYAが日本一のコンタクトレンズ小売 店なのか。」「コンタクトの定額サービスとは何なのか。」など、多くの疑問があり、身近であるがよく 知らない、コンタクトレンズ業界を分析することで、おもしろい論文になるのではないかと考え、こ のテーマを選んだ。
先行研究を調べると、コンタクトレンズ業界に関する研究は、他の業界に関する研究に比べて著し く少ないことに気がついた。数少ない研究も、J&Jのディスポーザルコンタクトレンズに関する研究 が多くを占めている。
個人的にも以前から疑問があり、先行研究が多くないという点で、研究意義があると考えられる。
本論文の目的は、コンタクトレンズ小売業のHOYAとメニコンが、外資系メーカーの使い捨てコン タクトレンズの台頭に対する戦略が大きく異なる形になった理由を分析するものである。また、この 分析を元に、コンタクトレンズ業界のみならず、製販垂直統合戦略をとる企業についての示唆を示す。
1. 基本情報・前提情報
1.1コンタクトレンズ業界・各企業の情報
・コンタクトレンズ人口の推移
一般社団法人日本コンタクトレンズ協会マーケットサイズ(自主統計)より引用
コンタクトレンズを使用する人口は増加している。レーシック手術を行う人口も増えているが、そ れ以上にコンタクトレンズの人口が増えている。スマートフォンの普及などにより、視力が低下する 人口が増えており、これからも拡大が見込める市場であると言える。また、ファッション目的のカラ ーコンタクトレンズ、スマートコンタクトレンズの可能性、海外での需要などがあり、さらなる市場 拡大が見込める。(スマートコンタクトレンズとは、拡張現実(AR)が進化した、コンタクトレンズ型の ディスプレイである。)
・コンタクトレンズ小売業界の順位
順位 店舗名
1 位 アイシティ(HOYA)
2 位 ハートアップ(日本オプティカル) 3 位 エースコンタクト(メニコン系) 4 位 メニコン直営店
株式会社タイムカレント 「コンタクトレンズ購入店に関する実態調査」より引用
この順位は、「一番最近コンタクトレンズを購入した、コンタクトレンズ専門店またはコンタクト レンズ専門店の Web サイトの具体的な店舗をお答えください。」という質問での準備である。
HOYA のアイシティがコンタクトレンズの小売業界では、ダントツの 1 位である。
1500 1700 1900 2100 2300
2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
コンタクトレンズ人口推移
コンタクトレンズ 人口推移
・HOYA 株式会社
「HOYA は高度な光学技術を元に、「情報・通信」と「ライフケア」の 2 つの事業領域において、ヘ ルスケア、メディカル、エレクトロニクス、情報の 4 セグメントでグローバルに事業を展開する総合 光学メーカーです。」(HOYA HP より引用)
ライフケア事業の中で、メガネレンズ、コンタクトレンズの製造、「コンタクトのアイシティ」の 展開による小売業を行なっている。
HOYA 株式会社 HP より筆者作成
創業当初は光学ガラスを製造するメーカーであった。その技術を生かして、クリスタルガラス、メ ガネレンズなどを製造し、コンタクトレンズの製造に至った。その後、コンタクトレンズの小売を開 始し、「コンタクトのアイシティ」を展開した。
近年はライフスタイル分野の売上収益構成比が高まっている。「コンタクトのアイシティ」は大幅 に店舗数を増やし続けており、同社の安定収益源になっている。
・メニコン
メニコンは、創業者の田中恭一がアメリカ人のつけているコンタクトレンズを自分でも作れないか と考え、独自のレンズを作ったのが起源。日本で初めて角膜コンタクトレンズを開発した。
基本的にはコンタクトレンズの専業であり、コンタクトレンズから派生して、コンタクトレンズケ ア用品や、眼内レンズ、動物用の眼内レンズなどの動物医療事業も行なっている。
現在はメルスプランという月額サービスを中心の事業としている。
63.8 35.3
2015 0.9 年度売上収益構成比
ライフスタ イル分野 情報・通信 分野
その他
1-2. コンタクトレンズ業界の歴史
日本におけるコンタクトレンズの始まりは、1951年にメニコンの創業者である田中恭一氏が、アメ リカ人のつけているコンタクトレンズを自分でも作れるのではないかと考え、独自のコンタクトレン ズを作ったものである。また、他にも、同時期に現在のシードである東京コンタクトがコンタクトレ ンズの製造を開始した。当時の日本のメーカーが作っていたレンズは、高品質・高耐久性が中心であ り、ハードコンタクトに強みを持っていた。
ジョンソンアンドジョンソン(以下J&J)は、1988年から使い捨てコンタクトレンズの開発を開始し、
ワンデーアキュビューを開発した。この使い捨てコンタクトレンズは、従来の日本メーカーが製造し ていたハードコンタクトレンズに比べてレンズの耐久性が劣るなど、品質は低い。しかし、レンズを 毎日交換できるという点で、それほど品質にこだわる必要がなくなった。
クリステンセン(2001)や、クリステンセン・レイナー(2003)、古岡(2010)によると、従来のハード コンタクトレンズの市場では、レンズの耐久度や加工精度を高める「持続的イノベーション」で競っ ていた。それに対して、J&Jが開発したワンデーアキュビューは、従来の製品よりも品質は劣るもの の、これまではコンタクトレンズは高価であるから購入できなかった顧客や、これまで高価なハード コンタクトを購入していたが、使い捨てコンタクトレンズで十分であると考える顧客などを取り込む ことができた。むしろ、毎日取り替えることができるという点で安全であり、便利であるというアピ ールを行い、新たな市場を切り開いた。これは「破壊的イノベーション」である。「破壊的イノベーシ ョン」とは、現在手に入る製品ほどは優れていない製品を売り出すことで、より多くの顧客を取り込 む戦略である。
J&Jはもともと持っていた技術力や、資金力を用い、大量生産を行った。多様な事業を行うことに よる範囲の経済、大量生産による規模の経済、新たな製法の開発により、J&Jは大幅なコストカット を行うことに成功した。
使い捨てコンタクトレンズの流れは日本にもやってきた。J&Jのワンデーアキュビューが日本で売 られるようになり、安価なワンデーアキュビューに対抗するために、他のコンタクトレンズ会社も値 下げを余儀無くされ、業界全体で価格破壊が起こった。価格破壊によりコンタクトレンズの質が低下 し、健康被害が生じることもあった。
そんな中、HOYAが運営する「コンタクトのアイシティ」はJ&Jなどの外資系のディスポーザブ ルコンタクトレンズを取り扱う戦略をとった。「コンタクトのアイシティ」はJ&Jのワンデーアキュ ビューなどを目玉商品として、格安で販売した。ビラをまいて割引をしたり、テレビCMやビラなど により知名度を高めていった。「コンタクトといえばアイシティ」だというようなイメージを作り、小 売市場におけるシェアを高めていき、店舗数も増やしていった。
対して、メニコンはJ&Jのディスポーザブルコンタクトが開発されてからも、自社の強みであるハ ードコンタクトを中心として販売していた。そうしている間にも、J&Jのディスポーザブルコンタク
トレンズはシェアを拡大し続けていき、ついにメニコンは1998年に日本での販売額でJ&Jにトップ の座を明け渡した。
また、ディスポーザブルコンタクトレンズの台頭により、コンタクトレンズの装用人口は急激に増 えた。これまでは高品質のレンズを長期間使うため、コンタクトレンズを医療品として取り扱ってい たが、使い捨てになることで日用品のように取り扱われるようになってしまい、レンズケアが乱雑に なり、目の疾患を発症するケースが増えてしまった。
このような背景のもと、メニコンは2001年にメルスプランという定額サービスを開始した。メル スプランとは、会員が月額料金を払うと、レンズがもらえ、それを紛失したり、目に合わなかった場 合や、壊れてしまった場合も、新しいレンズをもらうことができるプランである。
このメルスプランでは、格安店を通さずに、直営店やメニコン系列のコンタクトレンズ小売店でコ ンタクトを販売することができる。そうすることで、価格競争を余儀無くされていたメニコンのコン タクトレンズは、自社の都合の良い値段に設定することができる。また、格安のコンタクトによる目 の疾患などが多かった時代において、質の良いメニコンのハードコンタクトレンズを取り替えること ができる、という安全性を強調した。その結果、メルスプランの会員数は急激に増加し、2000年には 赤字に陥っていったメニコンは順調に収益を伸ばし、2015年には東証1部・名証1部に上場した。
2. 疑問・仮説
2-1. 疑問
ここまで、コンタクトレンズ業界の基本情報と歴史、日本におけるコンタクトレンズ小売業のトッ プ2であるHOYAとメニコンの戦略について見てきた。HOYAとメニコンは共に、コンタクトレン ズの製造も行い、小売も行っている。しかし、両社は小売に対する戦略が全く異なっている。1990年
代にJ&Jのディスポーザブルコンタクトレンズという脅威が訪れたのは共通しているにもかかわら
ず、以降両社の戦略が大きく異なる形になったのはなぜであろうか、という疑問が生じた。以下で、
この疑問に対する仮説を示す。
2-2. 仮説
ある共通した出来事に対して、2社のとる対応や戦略が異なるとき、理由は2つ考えられる。1つ 目は、必然的に戦略が異なる場合である。両者の持つ経営資源や経営理念などが異なるため、両社の 戦略も異なるというパターンである。2つ目は、どちらかの企業が戦略を見誤っており、戦略が大き く異なっているパターンである。つまり、仮説は以下の通りである。
・ 1つ目は、両社の経営資源が異なるため、戦略も異なるのではないか、というものである。
・ 2つ目は、どちらかの企業が戦略を見誤っているため、戦略が異なるのではないか、というもの である。
3. 仮説検証
3-1. 仮説の検証方法
(1) 仮説1の検証方法
仮説1は、両社の経営資源が異なるため、戦略も異なるというものであるから、まずは各社の戦略 が果たして経営資源に依存しているのかどうか、ということを検証する必要がある。
両社の戦略が経営資源に依存しており、その経営資源が両社で異なるということを明らかにできれ ば、この仮説が正しいと言える。
(2) 仮説2の検証方法
仮説2は、どちらかの企業が戦略を見誤っているため、戦略が異なるというものである。仮説1で 検証したとき、どちらかの企業が戦略と経営資源が食い違っている場合、この仮説が正しい可能性が 高い。
その時、どのような点で戦略を見誤っており、本来はどのような戦略をとるべきか、ということを 明らかにできれば、この仮説が正しいと言える。
3-2. 仮説1の検証
(1)メニコンの分析
まず、メニコンの戦略が、同社の経営資源等に依存しているのかを確認する。
以下では、メニコンの持つ経営資源、置かれた経営状況を列挙する。
・ メニコンの企業情報でも述べたように、メニコンは創業者である田中恭一氏が、アメリカ人が付 けているコンタクトレンズを自分でも作れるのではないかと考え、日本初のコンタクトレンズを 開発したのが会社の成り立ちであり、コンタクトレンズ専業メーカーである。
・ コンタクトレンズ業界の歴史でものべたように、1990年代にJ&Jが開発したディスポーザブル コンタクトレンズの流行により、1990年代から2000年にかけて、収益が激減した。
・ メニコンが持つ強みは、ハードコンタクトであり、容易にソフトコンタクトレンズを取り扱うこ とができなかった。
・ メニコンの現社長は、創業者田中恭一氏の息子である田中英成氏であり、現社長がメルスプラン を導入した。
このように、メニコンはコンタクトレンズ専業企業であり、コンタクトレンズにこだわりを持って いる企業である。経営者も創業者一族であり、創業の想いなども重視されていると考えられる。また、
1990年代、ディスポーザブルコンタクトレンズが流行し、目の疾患が多発したという背景もある。現 社長の田中英成氏は眼科医でもあり、安全性に対してはこだわりを持っていたと考えられる。
そのため、メニコンが2001年にメルスプランを導入したのは、安全性にもこだわりがあり、ハー ドコンタクトレンズに強みがある、同社の経営資源や経営状況において、ふさわしい戦略であると考 えられる。
(2)HOYAの分析
次に、HOYAの戦略が、同社の経営資源等に依存しているのかを分析する。
コンタクトレンズ業界の歴史でも述べたように、HOYAは小売ブランドであるコンタクトのアイシ ティでは、J&Jのディスポーザブルコンタクトレンズが開発されて以降、J&Jやボシュロムなどの外 資系コンタクトレンズメーカーのディスポーザブルコンタクトレンズを目玉商品として集客し、格安 で販売する戦略をとっていた。
本来、他社の製品を目玉商品として集客する戦略をとる企業は、どのような経営資源を持っている 企業であろうか。おそらく、自社製品の技術力があまり高くなく、製品で差別化することができない ため、小売で価格競争をせざるを得ない企業であると考えられる。
しかし、HOYAは決して技術力のない企業ではない。同社は国内初の光学ガラス専門メーカーとし て創業して以来、ガラスやレンズの技術に強みを持っている。業界シェアでも、メガネレンズで世界 2位、軟性内視鏡市場で世界2位、半導体用マスクプランクス市場で世界1位など、世界でも圧倒的 な技術力でシェアを持っている。
技術力があるにも関わらず、自社が経営する小売店では他社の製品を目玉商品とするという戦略は、
同社の経営資源にそぐわない戦略であると考えられる。
ここで、両者の戦略が経営資源に依存している、という条件が満たされていないと分かったため、
仮説1は棄却される。
3-3. 仮説2の検証
仮説1の検証により、HOYAの戦略が同社の経営資源からみて、ふさわしくないのではないかと推 察できる。以下では、どのような点で戦略を見誤っており、本来はどのような戦略をとるべきかを考 察する。
(1) HOYAのコンタクトレンズ事業の流れ
以下で、HOYAのコンタクトレンズ事業について、また、HOYAの小売ブランドである「コンタク トのアイシティ」についての整理をする。
・ 1972年、ソフトコンタクトレンズの製造を開始。
・ 1991年、コンタクトレンズおよびその付属品の製造販売を行う、HOYAヘルスケア株式会社が設 立され、「コンタクトのアイシティ」の展開も開始した。(このとき、コンタクトレンズの製造は、
HOYA株式会社が行なっていた。)
・ 2006年、これまでHOYA株式会社が行なっていた、コンタクトレンズ製造の事業を分割し、HOYA ヘルスケア株式会社に事業承継を行なった。
・ 2010年、子会社であるHOYAヘルスケア株式会社の吸収合併を行なった。これに伴い、コンタ クトレンズ事業は、HOYA株式会社のアイケア事業部となった。
・ 2016年、カンパニー制となり、アイケア事業部から、アイケアカンパニーとなった。
以上のように、HOYAにおけるコンタクトレンズの製造と小売はかつて別会社であった。2006年 には子会社に製造と小売を集中させ、2010年には、吸収合併を行なった。
HOYA株式会社(2009)で述べている通り、製造と小売を同会社にすることで、意思決定の迅速化を 行い、市場のニーズに対応したコンタクトレンズの製造の推進を強化するのが目的である。つまり、
それまでは、製造と小売が別々であることで、うまく連携が取れていなかったのではないかと推察で きる。
(2)製販垂直統合戦略と各社の事業展開
本来、コンタクトレンズの製造業者である、メニコンとHOYAが小売も手がけるのは、製販垂直統 合戦略という戦略である。川下統合とも呼ばれる。網倉・新宅(2011)によると、垂直統合のメリット は取引コストの節約、情報活用である。ここでは情報活用に着目する。
情報活用について、網倉・新宅(2011)では情報の質の向上について説明している。垂直統合によっ
暗黙的・粘着的な現場の情報を得るために、アパレルメーカーがアンテナショップを構えるなどの 例が挙げられているように、製販垂直統合をする際には、「暗黙的・粘着的な現場の情報を得る」とい う視点が必要であると分かる。
メニコンは、製販垂直統合戦略のメリットを生かしている。まず、メルスプランでは基本的には自 社の製品を取り扱っている。小売の分野で画期的な戦略であるメルスプランで集客をして、自社の製 品をその顧客に売ることで、企業全体で収益をあげることができる。また、メルスプランでは会員制 をとっており、顧客との距離が近い。顧客の声を常に聞くことができるため、「暗黙的・粘着的な現場 の情報」を得ることができ、様々な顧客ニーズを製造における新商品開発に生かすことができる。
例えば、メニコンはもともとディスポーザブルコンタクトレンズを自社では製造しておらず、OEM で調達していた。メルスプランは、ディスポーザブルコンタクトレンズも対象であるが、ハードコン タクトレンズと比べて、通常の販売との差を打ち出しにくい。しかし、他社に製造を任せるのではな く、消費者のニーズに対応した製品を作ることができるように、2007年にはディスポーザブルコンタ クトレンズの製造を開始した。
それに対して、アイシティは長らく、製造と小売を別会社にしていた。また、2006年に製造と販売 を同じ会社にしたのちも、2010年に吸収合併されるまで、ほかの技術分野(メガネレンズなど)とは違 う会社だった。製造と小売が別会社であるため、1990年代にJ&Jのディスポーザブルコンタクトレ ンズが開発され、流行した際、その対抗策として、自社の製品で対抗するのではなく、外資系のディ スポーザブルコンタクトレンズを目玉商品として集客する戦略になってしまったのではないかと推察 される。
今ではHOYA株式会社本体でコンタクトレンズ事業を一括して行なっているが、自社の製品よりも 外資系メーカーなど、他社の製品を目玉商品とする戦略はあまり変わっていないように思われる。今 でも街中で配っているチラシは、J&Jのワンデーアキュビューがほとんどであり、店頭でもHOYA 製のハードコンタクトレンズは目につきにくい場所にあるように思われる。
アイシティも、メニコンのメルスプランのように、アイパスポートという定額サービスを行なって いる。しかし、メルスプランはハードコンタクトレンズを中心としたプランであるが、アイパスポー トはあくまで1dayや2weekのディスポーザブルコンタクトレンズを扱っており、自社の製品を買っ てもらうプランではない。
以上のように、HOYAのコンタクトレンズ小売業の戦略は見誤っていると考えられる。また、製造 と小売が同会社になったにもかかわらず、今でもそのメリットをうまく生かしきれていないと考えら れる。
(3) HOYAの業績とメニコンの成長
では、HOYAは本当にうまくいっていないのであろうか。HOYAの業績を見ていきたい。
HOYA有価証券報告書 財務諸表より筆者作成
以上のように、HOYAは今のところ業績が悪化している訳ではない。これまでの仮説は間違ってい るのであろうか。しかし、今後、業績が悪化する可能性も十分に考えらえる。なぜなら、メニコンの 規模が近年、急激に拡大してきているからである。
以下ではメニコンの成長の要因を挙げていく。
・メルスプランの会員数
2001年に導入をしてからメルスプランの会員数は順調に伸びており、2013年には100万人を突破 し、2017年には122万人まで伸び、かなり早いスピードで成長している。
・メニコンの店舗数、提携数
メニコンはメニコン直営店のみならず、他のコンタクトレンズ小売メーカーの買収や、メルスプラ ン提携店を増やし、規模を拡大している。
2017年現在、メニコン直営店は47店舗、エースコンタクトは77店舗、富士コンタクトは13店舗、
新たに加わったシティコンタクトは18店舗、メルスプラン加盟施設数は1693店舗と、かなり規模が 大きい。
・メニコンのブランド
これまでメニコンは、各販売チャネルで、それぞれ独自のブランドを掲げており、統一したメニコ ンのブランドを打ち出していなかった。しかし、2017年各販売チャネルのロゴや店舗名は残したまま、
メニコングループの統一ブランドである「Miru partner」を打ち出し、メニコン直営店のブランドで ある「Menicon Miru」と共通したブランドとして、ブランドイメージの向上とブランドの認知度を高
0 0.05 0.1 0.15 0.2 0.25
2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016
売上高当期純利益率
売上高当期純利益率
以上のように、メニコンはメルスプランの会員数や提携店舗の増加による量の向上、ブランド統一 による質の向上によって、アイシティに迫る勢いを見せている。
これまでのアイシティの強みは、規模の大きさや、圧倒的な知名度などであったが、前述のように メニコンも近年、販売チャネルを大きく増やしており、加盟店も含めればアイシティよりも規模が大 きいとも言える。また、ブランドの統一により「Miru」ブランドがこれまで以上に浸透することも考 えらえる。そうすれば、アイシティの強みは無くなってしまうのではないかと推察できる。
では、HOYAはこれからどうすればいいのであろうか。アイシティの大規模な展開により、HOYA の持つ顧客情報は膨大である。
まず一つ考えられるのが、製販垂直統合の強みを活かすことである。つまり、「暗黙的・粘着的な現 場の情報」を商品開発にこれまで以上に活かすことである。コンタクトレンズに求められているもの などを膨大な顧客情報や、対面でのコミュニケーションによって入手することができる。また、そう して開発された自社製品をアイシティで目玉商品として売り出すことで、より製販垂直統合戦略の強 みを活かすことができる。
次に考えらえるのが、すでに行っているアイパスポートをメルスプランのようにすることである。
現在、アイパスポートではディスポーザブルのみを扱っているが、ハードレンズを中心に扱うという ことである。定額制はメニコンがパイオニアであるが、販売網や知名度は今のところアイシティが優 っているため、十分に対抗できると考えられる。
4. 結論
本論文では、1990年代J&Jがワンデーアキュビューを開発し、従来のハードコンタクトレンズ市 場を大きく変化させた後の、HOYAとメニコンの戦略の相違について分析してきた。両社共に製造と 小売を行っているという共通点に着目し、どこで戦略が分かれたのかを考察した。
結論としては、製販垂直統合を行なっているにも関わらず、HOYAは製造と小売の連携が上手く 取れていないのではないかと推察した。その根拠は、HOYAにおけるコンタクトレンズ事業の位置付 けである。HOYAではコンタクトレンズの製造と小売が別会社であった時期があり、1990年代もそ うであった。
また、本論文では、製販垂直統合戦略のメリットである「暗黙的・粘着的な現場の情報が得られる」
という点に着目し、HOYAが今後、どのような戦略をとるべきか論じた。
コンタクトレンズ業界のみならず、製造と小売の両方を手がける企業は近年増えている。この論文 の結論として、製造と小売を分離するべきでなく、組織として連携を図れるようにするべきであると いう示唆を、製販垂直統合戦略をとる企業に対して与えられる。
あとがき
あとがきとして、本論文で不足していたと思われる点を述べる。
① 数値データなどの不足。コンタクトレンズ業界はデータの少ない業界であるというのは夏の中間 発表の時点で指摘されていたにもかかわらず、そのまま研究を進めてしまった。
数値データではなく、起こったことを結びつけて説明を行ったため、因果関係が怪しい部分が多 く、論文全体として、結論が疑わしくなってしまった。
② 論の展開が分かりにくい。本論文では、HOYAがコンタクトレンズの製造と小売を別会社にして いたという事実ありきで進めてしまった。そのため、仮説やその検証方法がわかりにくくなって しまった。
また、今後のHOYAの戦略など、あまり本論とは関係ない話を展開し過ぎてしまったというのも、
話の展開が分かりにくくなった要因であると考えられる。
参考文献
網倉久永・新宅純二郎 「経営戦略入門」 日本経済新聞出版社 2011 年
井上達彦 「コンタクトレンズのサービスイノベーション」
早稲田大学アジアサービスビジネス研究所, 2011
大崎孝徳 「消費財メーカーにおける消費者との関係性構築 メニコンの事例を中心として」
名城論叢, 2009
株式会社タイムカレント 「コンタクトレンズ購入店に関する実態調査」
https://times-current.co.jp/todays/t-vol-15/
クレイトン・クリステンセン 「イノベーションのジレンマ」 翔泳社 2001 年
クレイトン・クリステンセン/マイケル・レイナー 「イノベーションの解」 翔泳社 2003 年
古岡信吾 「コンタクトレンズ市場の成熟化とコモディティ化をめぐる攻防 メーカーによる市場秩序 の維持」 立命館経営学, 第 49 巻 第 2-3 号 , 2010
HOYA 株式会社 HP http://www.hoya.co.jp/
HOYA 株式会社「会社分割によるコンタクトレンズ製造部門の子会社への承継に関するお知らせ」
2006 年
HOYA 株式会社 「子会社の吸収合併(簡易合併)に関するお知らせ」 2009 年
メニコン株式会社『メニコングループ販売会社共通ブランド「Miru partner」展開』2017 年
「まもなく登場、スマートコンタクトレンズ」 日本経済新聞 2016 年 11 月 17 日