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中国語訳『生経』の言語 - 福島大学

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中国語訳『生経』の言語

長  尾 光  之

   不    〜    恥 所轄臨蕊 撫叛繋嶽欝時 序疑L乞得著代LLLLLLLL且二L乳 0111234444444444555 5.3.尋

5.4.自

5.4.1.便自,即自

5.4.2.身自,独自,心自,手自,各自,口自 5.4.3.復自,且自,而自,素自,甚自,還自,

    深自 5.5.必当,当応 5.6.復 5.7.共 5.8.その他 6.重複形式 7.量詞 8.その他

8.L受動態

8.2.裏 8.3.辺

8.4.仮使,若使,設,設使 9.まとめ

0.序

 大正大蔵経・本縁部上・下には譬喩諏・因縁諌

・本生譚などが収蔵されており,これら説話的側 面を多く持つ中国語訳仏典は言語研究の好個の資

料となりうる・本稿ではこの本縁部の経典から

r生経』を取りあげて,その文法的特徴を調べて みたい(以下『生経』は『生』と略称する)。

 『生』は『出三蔵記集』によると,僧佑が現存 とした竺法護訳94部中の一経としてr生経五巻或 四巻」と記されているが,訳出年は記載されてい ない。 r歴代三宝記』には太康6年(285年)訳 とあるが『三宝記』は必ずしも信頼しうるにたる とは言い得ないため,これによって訳出年を確定

することは適切ではない・われわれが資料に用い ている現存本の『生』が,もし『出三蔵記集』所 載のものと同一底本にもとづいているとするなら ば,竺法護訳としてよいであろうが,そう認める に足るような証拠は今のところ存在しない・しか

し竺法護訳との断定は保留するにしても現存本の

『生』が,竺法護訳あるいは彼が訳業に従事した 3世紀後半から4世紀初頭の言語を反映している 仏典であるらしいということは次の2点から推察

しうる。

 第一に,後述するように,人称代名詞のうち,

三国以前に使いわけがなされていたと考えられて いる「吾」と「我」の区別が,『生』にはかなり 明瞭なかたちで存することである。この区別は5

(2)

世紀の仏典r妙法蓮華経』 r雑宝蔵経』 r百喩 経』にはほとんど見られなくなる。 (この三経は 以下『法』『宝』『百』と略称。長尾 72・,79・

80参照)

 第二に,水谷 58では,サンスクリット語を音 訳した漢字のうち,阿羅漢名r羅云」,阿須羅名 r阿須倫」という標記を用いはじめたのはおそら く竺法護であろうと言い,法護訳『正法華経』

(286年訳)にこの二標記があることを指摘して いる。 『生』にもr仏説比丘各言志経第十六」に

「羅云,阿須倫」が, r仏説仏心総持経」に「阿 須倫」.の音訳があり,3世紀末から4世紀初の音 訳法を採用していることがうかがえる。

 さてそれでは文法上の項目に従いながら『生』

の言語をみて行こう。5世紀に翻訳された『法』

r宝』r百』の言語と常に対照しつつ述べていぐ ので,長尾 72・ 79・ 80をあわせ参照された い。テキストは大正大蔵経第三巻・本縁部上70〜

107頁を用いた。例文を引用するときには以下に示 す経名の番号を用いる。なお各経にはr仏説」と いう語が附されているが,これは省略した。

ω③③ω⑤㈲ω⑧⑨ω⑪α⇒㈲

那頼経

分衛比丘経 和難経 邪業自活経 是我所経 野離経 前世諄女経 堕珠著海経 栴闇摩暴志講仏経 眩猜経猴 五仙人経 舅甥経 閑居経 Oゆ 舎利仏般泥直径

⑯㈹⑬鈴09⑳⑳⑳

子命通経

比丘各言志経 迦栴延無常経 和利長者聞事経 仏心総持経 護諸比丘呪経 吉祥呪経 総持経

幻所欣釈経

¢ゆ国王五人経

㊨盛狐烏経

㈲ 比丘疾病経

㈲審裸子経

㈲腹使経

内弟子過命経

OO水牛経

⑳兎王経

㈲無催経

翰五百幼童経

¢ゆ毒草経 国 瞭輪経 90菩薩曽為聴王経

劒毒楡経 鈴講子経

鱒負為手者経

⑳光華梵志経

㈱変悔喩経

㈲馬喩経

㈹比丘尼現変経

ω孤独経

㈲梵志経,

ω君臣経

㈲ 拘薩羅国鳥王経

㈲密具経

㈲雑讃経

6◎駿駝経

1.疑問文

6ゆ

U2驍Uゆ鱒 孔雀経 仙人棲劫経

清信士阿夷扇持父子経 夫婦経

譬喩経

1.1.疑問詞

 疑問詞には「何,云何,何等,誰」が用いられ ている。 『宝』 『百』に少数ながら見られた口語 的な「何物,阿誰」は『生』には見られず,この 両経との時代的な差異を示している。後漢から多 用されるr何等」と,仏典をはじめとする魏晋南 北朝期の言語に特徴的なr云何」の『生』におけ

る実例を見てみよう。

 此義何趣,有何等意(30)

 (これはどういうわけなのだ。何の意味がある   のか)

 不給衣服,此事云何(9)

 (衣服をくれないのはなぜなのか)

疑問詞が目的語となるときにはr疑問詞+動詞

(介詞)」という古代語式(先秦〜漢)とr動詞

(介詞)+疑問詞」という近現代語式の語順が混 在するという過渡的なすがたを見せている。だと えば次の例では同一文中にこの2つの語順がとも に用いられている。

 卿何従来,何所綜習,業何経典(11)

 (おまえはどこから来たのか。どこで修業をし   何の経典をおさめたのか)

1.2・文末の〜乎,〜耶,〜不

 文末に「〜手,〜耶,〜不」が来て疑問文を作 るかたちも巾広くおこなわれる。

 卿等能任如是労乎(23)

 (おまえたちはこのような苦労をすることがで   きるか)

 為諸衆僧,有所弁耶(23)

 (多くの僧たちに話すことがあるのか)

 謂彌猴言,仁欲知不(10)

 (あなたは知りたいかね,とサルに言った)

次の例はr〜不,〜耶」が同一文中に連接して用 いられている。めずらしい用法と言うべきである。

 卿等寧見前所逐梵志不耶(11)

(3)

 (おまえたち,以前に追い出した梵志に会った   のかね)

 長尾 80でもふれた魏晋南北朝に散見されるr頗

〜不」 (すこしは〜かね)の例も『生』にいくつ か見える。

 卿強健時,頗謄視問訊有疾者不(26)

 (おまえは元気だったときにいくらかでも病気   の者を見舞ったことがあったかね)

 さらにr生』には願望をあらわすr得」が

r欲」とともに用いられるr欲得」 (〜したいと 思う)の例もある。

 吾久有意欲得和解(38)

 (私は長い間和解しようと願っていた)

このr欲得」もr能得」等と同様に状況に応じて r欲」単独で用いられたり, r欲得」と二音節に なったりする。 (r能得」のところで見た前出の

r生』 (17) (48)の例参照)

2.得

3.著

 長尾 80でr〜でぎる」という可能の意をあら

わす「得」が,同義と思われるr能」に連なって r能得」二文字で同じくr〜できる」という意味 になる例を見た。

 蓋其神力,不能得動(r宝』 〔81〕)

『宝』よりもさか上った時代の『生』にあらわれ るr能得」も,ほぼ同様の例と考えられる。

 欲令救護不能得(17)

 (救けさせようとしたが〔そうは〕できなかっ

 た)

 欲得避去,永不能得(48)

 (身をかくそうとしたがずっと〔そうしている   ことは〕できなかった)

『宝』ではまたr能」と同様の意を持つ「可」も やはり「可得」となって可能をあらわす。

 分布香水,而起塔廟,可得除災(r宝』 〔77〕

この「可得」のかたちはこの期の文献に比較的多 く見られる。たとえば『世説新語』には「不可 得」をも含め12例がある。 『世説』の一例を見よ

う。

 稿公勤著脚裁可得去耳(品藻)

 (稿公は足をふんばってやっと歩くことができ   るだけだ)

このr品藻」の例文は同一底本によったと思われ るr高僧伝』巻四支逓伝では,

 稿努力裁得去耳

 (稿は努力してやっと歩くことができる)

 のように「得」一字のみが用いられており,同 一内容の表現にたいし文体の若干のちがいに応じ て「可得」を用いたり,「得」を用いたりしてい ることが見てとれるであろう。r生』の時代にも このr可得」の表現はあらわれている。

 不可得遇(29)

 (出会うことができない)

 r著」はr宝』にみられるほど用法がまだ多様

化しておらず,大多数はr着物をきる,身につけ る」の意で用いられる。

 浄水洗沐,著新好衣(16)

 (きよい水で沐浴し,新らしいよい着物をきる)

つぎの文はのち多出するr動詞+著+場所をあら わす語」の実例である。

 汝取是蜜,投著大水無量之流(48)

 (おまえはこの蜜をとり,大きなはてしなき流   れに投げよ)

4.代名詞

 『生』にあらわれる代名詞は漢以前の多様さの

痕跡をとどめているためか,5世紀のr法』

『宝』等とくらべて数も多く,用法もやや複雑で ある。それでは人称代名詞から見て行こう。

4.1.人称代名詞 4.1.1.一人称

 一人称代名詞にはr吾」 r我」が用いられる。

三国以前までごろの中国語では主語に用いられる か(主格),目的語に用いられるか(目的格)な どの文中の位置によってr吾」 r我」の使いわけ がなされていたとする説がある・これは中国語史 上において大いに関心をそそられる問題の一つで ある。『生』においてもこの区別ははっきりした かたちで認めることができる。まず,主格の位置 には「吾」が用いられるというのが通例である。

 吾織作動苦不癬(12)

 (私は一心に織物をし怠けてはいない)

 吾有金蔵,当以相賜(34)

 (私は金をかくしている,それをお前に与えよ

(4)

  う)

r我」が主格に用いられることもあるが数はすく ない。

 我見四鳥,色像若斯(47)

 (私は色や形がこのような四羽の鳥を見た)

r吾」 r我」はともに所有格にも用いられる。

 又瞑禰猴誘詠我夫(10)

 (サルが私の夫を誘うことをうらんで)

 即遣使者,歓迎吾女(12)

 (すぐに使者をつかわして私の娘を迎えた)

r我」は目的格に広く用いられる。

 然後愛敬我(6)

 (そののち私を愛しうやまって下さい)

 汝殿辱我(9)

 (おまえは私をはずかしめた)

r吾」が目的格に用いられることもあるが少数で あり例外的である。

 王告女日,汝見吾不(52)

 (王は娘に私に会ったかと言った)

このように『生』ではr吾」は主格にr我」は目 的格にというはつきりした使いわけがなされてい

るが,時代が下るにつれてこの区別はなくなって ゆく。 406年訳の『法』になると「吾」の使用例 そのものが大巾に減り, r法華経一字索引』によ ってみても,のべ語数は「我」が約600例である のにたいし「吾」はわずかに15例しか用いられて いない。その15例のうち, r吾子」という所有格 が4例, r於某城捨吾逃走」という目的格が1例 で,他は主格の用法である。 472年訳の『百』,

492年訳の『宝』になるとr吾」は用いられず,

一人称代名詞はr我」のみとなる。このように

「吾」 r我」の用法について, 『生』を5世紀の

『法』『宝』『百』と比較することにより,

『生』の時代推定の一助とすることができるもの と考えられる。

4.1.2.二人称

 『生』(2)(6)(10)では,動物に擬した

関係のなかで種々の二人称代名詞が用いられてい る。各場面を整理してそれらを見てみよう。

 (2)では,妓女と比丘およびその前世の姿である サルとカメが登場する。彼らの間では二人称代名 詞が次のように用いられる。なお矢印→は呼びか ける者と呼びかけられる者をあらわす。 (A→B

であれば,AがBに呼びかけるときに矢印の下に

ある代名詞を使う,という意味)

妓女  →  比丘

(サル)    (カメ)

    仁     卿

↑卿汝

 (6)は,野猫が野離を食べてしまおうと,甘言で 誘いかける話だが,実は男女の恋愛問答が擬せら れているようである。

野離  →  野猫

(女)    (男)

    仁者     卿     汝

↑汝仁君

 00は,カメの夫がサルと親しくなり,それをね たんだカメの妻が仮病を使って薬としてサルの肝 を夫に取ってこさせようとする,類似説話を多く 生んだ「サルのいきぎも」の話である。

サル   →   カメ

   卿

     ←      君      仁      獅

 以上の諸例を『生』の他の部分ともあわせ,語 別に見て行こう◎

4. 1. 2. 1.汝,爾

 「汝」はもっともふつうの二人称で,(2)(6)のよ うに同輩と目下の者にたいして用いられる。

当為汝作妻(6)

(5)

 (お前を妻にしよう)

r爾」は古来二人称として通行したが魏晋以降は もっぱらrそのような」という指示代名詞として 使われ,二人称としての用法はすくなくなる。

『生』でもほとんど用いられていない。その数少 ない例の一つ。

 梵志命日r爾有王相,不宜懊悩遊於衆内)⑳  (梵志が命じて言ったrおまえには王の相があ   る。 〔下賎な〕者どもの中で遊んでいてはい   けない」)

4. 1. 2. 2. 卿,君

 r卿」も魏晋以降数多く使われるようになった 語で,⑳のように夫婦間の対等な呼称として用い られるなど,水平的な用法である。また,目下の 者に対しても使われる。

 吾塔甚好,卿敷吾作(33)

 (私の塔はたいへんよい。おまえは私にならっ   て作りなさい)

このr卿」はr汝」にくらべてややていねいな言 い方である。

 r君」は尊敬する人や,対等のあいだがらに用 いられる。

 君為我夫,従得有身,不給良食,此事云何(9)

 (あなたは私の夫となり,私はみごもりまし

  た。衣食を下さらないというのはどういうわ   けですか)

4.1.2.3.仁,仁者

 r仁」 r仁者」については水谷 61に,訳経に おける特異な語として指摘があり,この語は二人 称代名詞で叮嚀語である,としている。r生』に もこの語は数多くあらわれる。

 前記(2)(6)⑳の例をみると,(6)では女性役から男 性役に対してはr仁者」が,男性役から女性役に 対してはr仁」が,というふうに,男女対等の呼 称として用いられているようである。⑳ではカメ が友人ではあるが,若干敬意を表しているサルに 対する時に「仁」を用いているものと思われる。

 所以相請,吾嬬病困,欲得仁肝服食除病O⇔

 (お呼びしたわけは私の妻が病気なのであなた   の肝を食べて直したいからなのです)

その他の「仁」「仁者」の例をみると,

 設如仁言,当重念恩⑳

 (もしもあなたの言う通りだったならば,十分

  に思を〔受けたと〕思っていましょう)

 仁者可愛,以肉相与,吾思食之(28)

 (あなたは敬愛すべき人だ。私に肉をください6   私は食べたいのです)

水谷 61ではr仁」とr仁者」の間の区別は未祥

と述べるが, 『生』においても明確な区別は見出

し難い。あるいは同義の二語が句中の字数を合わ せるためにr仁」 r仁者」という二様のあらわれ かたをしたのかとも考えられる。

4.1.2.4.子,尊

 目上にたいして使われるr子」,「尊」はそれ ぞれ一例ずつ見られた。

 子何以故,不為沙門(3)

 (あなたはどうして沙門にならないのですか)

 外有梵志,欲求観尊⑪

 (外に梵志が来ており王様にお会いしたいと申   しています)

4. 1. 3.複数

 人称代名詞にはr等」がついて複数をさし示

す。

 我等共議,世尊功徳,挽挽無量(8)

 (われわれは世尊の功徳が大きくはかり知れな   いということを話し合う)

 吾等設計,従其猟師当索鹿肉(23)

 (われわれは策をもうけてその猟師から鹿の肉   を手に入れよう)

 汝等勿取,吾心不敏令人採之(5)

 (おまえたち,取ってはいけない。私は他人に   取られたくないのだ)

 卿等快計知道至真(33)

 (おまえたちはすみやかにまことの真を知るよ   うに)

以上は人称代名詞に「等」がついたかたちだが,

指示代名詞にr等」がついて人の複数をあらわす 場合がある。それらにはr彼,此,斯」+r等」

の例がある。

 彼等之類,横相杏嵯(25)

 (あの連中はしきりに嘆いて……)

 此等爾時各自称歎己之所長(24)

 (この者たちはそのとき各々自分のすぐれた点   をほめたたえた)

 斯等積徳,温雅和順⑬

 (これらの者は徳をつみ温和従順で)

(6)

4.2. 指示代名調

 指示代名詞にはr彼,此,其,斯,是,之」が 用いられている(多数)。

5. 二音節語と二字連語

 長尾 72・ 79・ 80で見たように5世紀の訳経

は,中国語における二音節的表現の増加を反映

して二音節語や二音節的表現が数多く用いられて いた。 『生』にも,これら5世紀の文献のさきが けとなるような表現を相当数見出すことができ る。以下にそのような実例を見てゆこう。(なお

『法・宝・百』に用いられているものについては 例文を省略した)

5.1. 即,便

 「即,便」 (そこで,すなわち)を含む語には 多用されるr即便(別便)」のほかに, 「便即」

(30),「尋便」(27),「頼即」(1)がある。

 遣人呼比丘来,轍郎受教(1)

 (人をやって,比丘を呼ばせ,ただちに教えを   受けさせようとした)

5。2. 時

 r時」を含む語にはrすぐに」のr即時」(29)

rただちに」のr尋時」(1),rすぐに,たちまち」

のr応時」(1), 「しばらく」の「権時」(3)rいつ でも」のr随時」 (42)がある。

 今為所湊,権時不現(3)

 (今あつめられたものはしばらくの間はあらわ   れない)

また, r時」とr尋」が前後あい呼応して連接し た句で用いられることもある。

 時王即見,尋起迎逆(1)

 (王はそれを見てすぐに立ち上って迎えた)

5.3. 尋

 rただちに」のr尋」が他の字と連なるものに は,5.2で見た「尋即」 (28)のほかに同じく

「ただちに」の「藪尋」⑪,「即尋」 (29),

「ただちにもう」の「尋己」がある。

 輔尋遣人,還啓群臣⑪

 (ただちに人をやって〔国に返し〕臣下たちに   つたえさせた)

 時天帝釈,即尋為仙人,而説頚日(29)

 (その時帝釈天はただちに仙人になりほめたた   えて言うには)

 道人欲救,尋己命述(31)

 (道人は救おうとしたがすぐにもう命はなくな   ってしまった)

「即」とr尋」がはなれたところで呼応しつつ用 いられている例もある。

 令行即行,令住尋住(42)

 (行かせればすぐに行き,とどまらせればすぐ   にとどまる)

5.4. 自

 「みずから」の「自」が「〜自」のかたちで他 の字とともに用いられる例。 「〜自」は接尾辞的 になることが多い。

5.4.1.便自,即自

 いずれも『法・宝・百』にも見える。 『生』で も(31) (54)をはじめ多く用いられる。

5.4.2.身自,独自,心自,手自,各自,口自

 r自」の原義rみずから」に関連を持ち易いグ

ループには「みずから」の「身自」 (27), 「ひ とりで」のr独自」 (17), 「心に」のr心自」

(11),「手ずから」の「手自」,「おのおの」

の「各自」 (10)がある。 『法・宝・百』にない ものとしては「口自」 (口では)がある。

 涙出交横,口自演言(39)

 (涙がしたたり落ちた。口でのべるには……)

5.4.3.復自,且自,而自,素自,甚自,還

      自,深自,

 そのほか『法,宝,百』にある「そして」の r而自」 (1), rもとより」のr素自」(38),

rたいへん」のr甚自」 (3),rまた」の「還 自」 (2), 「深く」のr深自」 (11)のほかに 且自馳走不忍見(2)

 「且自」(さらに)がある。

 (しばらく走りさって会うに忍びないものを)

5.5. 必当,応当

 「きっと〜するべきだ」の「必当」は(14)に

「当然〜するべきだ」のr応当」は(15)に見える。

5.6. 復

(7)

 接尾辞的に用いられる「〜復」はr法・宝・

百』に見える「また」の「亦復」 (17) r又復」

(50), rすなわち」のr即復」 (30) r復復」

(1), 「あるいは」のr或復」 (46),r〜だ けれども」のr錐復」, rそこで」のr乃復」,

rまた,さらに」の「還復」 (52),否定詞につ らなる「不復」 (42)「無復」 (45)のほかに,

r r必復」 (かならず) r皆復」 (みな)があり

「復〜」のかたちにはrまた」のr復次」 (23)

がある。

 必復苦極,不能消化(17)

 (必ずくるしんで消化することができない)

 皆復捨家,行作沙門(40)

 (みな家を捨てて沙門になる)

「既」と「復」がはなれた所で呼応している例。

 既不得賊,復亡失児(12)

 (賊をつかまえられなかっただけでなく子供を   も失ってしまった)

5.7  共

 rともに」のr共」を含む例には『法』にある

「みな」のr皆共」 (12), rおのおの」の「各 共」(28),「いっしょに」の「同共」(10)の ほかに「みなともに」のr復共,悉共,威共」が

ある。

 与博掩子,倶共飲食(3)

 (ばくち打ちといっしょに飲み食いした)

 海中諸竜及諸鬼神悉共議言(8)

 (海の竜たちと鬼神たちはみなで話し合って言   つた……)

 威共令知,皆遠離之(37)

 (みなそのことを知ってその〔一家〕から離れ   た)

5.8. その他

 そのほか『法』にある「みな」の「威皆」(7)

「悉皆」 (8), 「すなわち」の「爾乃」 (34)

のほかに,「そこで」の「転遂」,「逆に」の r反還」,丁よって」の「因而」などの二音節表 現がある。

 復騎将行,転遂調柔(42)

 (また馬にのりだんだんと手なずけた)

 不久即獲,還復神通(52)

 (ほどなくそれを手に入れ,神道力も身につけ   た)

甥既見児,即以餅与,因而鳴之(12)

(おいは子供を見るとすぐに餅を与えたのでそ  の音が聞こえた)

6.  重複形式

 重複形式には古来より用いられている擬態語,

擬声語的な語と,口語的な「ひとつひとつ」rだ んだんに」などの意をあらわすものとがある。

 前者の例には,おごそかなさまを言うr粛粛」

 (3),さかんなさまの「緯煩」 (41),くらい さまのr冥冥」 (41),喜ぶ様子のr欣欣」(42)

うれえるさまの「恨帽」 (31),大きなさまの  「巍巍」 (39),心乱れるさまの「f貴f貴」 (37)

すこしずつあらわす「稽稽」 (2),光輝くさま のr光光堂堂」 (39),恐れおののくさまの「戦

.戦兢兢」 (13)などがある。

 後者の実例には次のようなものがある。

 汝穀辱我,在在所生,当報汝怨(9)

  (おまえは私を侮辱した。生まれかわった所で   はどこであってもおまえにうらみを報いてや   る)

 在此日日相見,以為娯楽(31)

  (ここで毎日会うことを楽しみにしていたの   に)

 不但今世,世世如是(7)

  (今の世ばかりでなく世々代々そうなのだ)

 捨家為道,喜詣家家(49)

  (家を捨てて仏の道をおこない,家々を訪ねる   ことを喜んでいた)

 尋時往詣,一一難問(7)

  (すぐに訪ねて行き,一つ一つ問いつめた)

 於時四烏,数数往至,大衆会所(47)

  (その時四羽のカラスはしばしば皆の集まると   ころを訪ねた)

 各各進日(11)

  (おのおのが進言して言った)

 次のr恨恨」は,他の重複形式のように逐指や 漸層をあらわすのではなくrうらむ」という動詞 が重なっている。

 代之恨恨,不可為喩(41)

  (その人にかわってうらめしく思ったが,さと   してやることはできない)

 「したしくする」という意味でしばしば『生』に あらわれるr親親」は二文字で一語となって用い られている。

(8)

而到他国,詣異梵志家,旧与親親(11)

(他国に行き,昔親しくしていたもう一人の梵  志の家を訪ねた)

7.  量詞

 『生』にあらわれる量詞の種類はそれほど多く はないが,次のような例が見える。

〔隻〕一対になったものの片方をさす。

 則得一隻七宝之履(11)

 (七宝のくつの片方を手にいれた)

〔緬〕一対になったものをかぞえる。

 若獲一締罪可除也(11)

 (もし一足〔のくつ〕を手にいれれば罪をまね   がれるだろう)

〔頭〕獣類の頭数。

 車馬六畜有数千頭(35)

 (車馬や多くのけものが六千頭いる)

〔車〕車一杯のもの・

 載両車薪,置其月上(12)

 (車二つの薪をその屍体の上に置いた)

〔両〕金属や貨幣の単位。

 負五十両金,令不得去(39)

 (五十両の負債があったので行かせることがで   きなかった)

〔尺・里〕長さの単位

 長八尺(54),辺各六十里(35)

〔匝〕廻る回数をかぞえる動量詞。

 邊仏三匝,稽首而退(48)

 (仏のまわりを三回廻り稽首して立ちさった)

8. その他

 それでは最後に後代の口語に連なってゆく,そ のほかの特徴的な表現をいくつか見て行こう。

8.1. 受動態

 r被」+人+動詞のかたちになる新式用法の受 動態の例

 其財物被婬女人奪悉取之(3)

 (財物をすべて妓女にうばわれた。)

8.2. 裏

近現代語につらなるrなか」の方向をあらわす r裏」の例。

稠至城裏聚落(13)

(ほどなく町中の集落に着いた)

8.3. 辺

 「そば,かたわら」をあらわす「辺」も『生』

に散見する。

 有一禰猴,住在道辺(30)

 (一匹のサルが道のかたわらに住んでいる)

8.4. 仮使,若使,設,設使

 rもし〜ならば,たとえ〜でも」をあらわす語 のうちr仮使」は古くから用いられている。牛島

67には『史記』の例がある。

 仮使臣得同行於箕子,……(萢唯伝)

 (かりにわたしが箕子と同じ行為をさせられた   としても)

『生』にもr仮使」は用いられている。

 仮使卿身無財業(2)

 (たとえあなたに財産がないとしても)

 r若使」は太田 58では晴唐から用いられるとし ているが,『生』『世説新語』に見えるので,も

し後代の文が混入したのでないのならば,上限を 西晋にまで引き上げる必要がある。

 若使為変,命欲貴時,則有六痛(17)

 (もし変事があって命が尽きようとするときに   は六種の痛みがある)

 苦使介葛盧来朝,……(世説)

 (もし介国の葛魔が来朝したならば)

r設」 r設使」は『史記』には用いられておらず 魏晋以降の文献に見える。『生』の例。

 没不両者,日未冥頃,毒樹壷枯(34)

 (もしそうしなければ日がくれないうちに毒が   樹をすべて枯らすだろう)

 設使不来,遣財物来(53)

 (もし来られないのならば財物を持たせてやり   ましょう)

9. まとめ

 それでは最後にこれまで見てきたことがらのう ち主要な点についてまとめてみよう。

1.r生経』は竺法護訳と伝えられる漢訳仏典で  あるが,そう断定はできない。しかし一人称代

 名詞r吾」とr我」の使いわけの様子や,一部

 の音訳漢字などから竺法護が翻訳に従事した3  世紀後半から4世紀はじめの言語を反映してい  るものと推定できる。
(9)

2 その文法的特徴の主要な点は以下のようであ

 る。

(1)疑問詞の語順は「動詞(介詞)+疑問詞」

  という近現代語式とr疑問詞+動詞(介詞)」

  という古代語式が混在している。

(2) r得」と同義と思われる可能のr能,可」

  願望のr欲」が, r能得,可得,欲得」と連   なって用いられたり,状況に応じて「得」一   字が用いられたりする。

(3) r著」は主としてr着物をきる,身につけ   る」の意味で用いられる。

(4)一人称代名詞は主格の位置では主にr吾」

  が,目的格の位置では主に「我」が用いられ   る。二人称はr汝」がもっとも普遍的だが,

  魏晋以降発展したr卿,君」も見られる。さ   らに仏典に特徴的な「仁,仁者」も用いられ   ている。

(5)二音節語,二字連語も多用される。他の文   字と結びついて多くの連鎖を作るr即,時,

  尋,時」などの他に,接尾辞的に使われる   r自,復」も発達している。

(6)重複形式には疑声語,疑態語をあらわす古   代語式と漸層,逐指をあらわす中世語式とが   ある。

(7)量詞は5世紀以降の文献に見られるほど数   は多くない。

1)宇井 56巻末には竺法護の訳経年表がある。佐々木  では先行研究をふまえた上竺法護の伝記と訳経を整

理して論述している・

2)岡部 63参照。

3)岡部 73では諸経録の記載と訳語の特徴から各経典 が竺法護訳と見てさしつかえない経典をを定めている が,『生』については竺法護訳との断定をさけている。

4)水谷 58,82−83頁,および86−87頁の附近参照。

5)長尾ヤ2,111頁参照。

6)長尾 80,81−82頁参照。

7)この問題についてはカールグレンを嚆矢として胡 適,王力などが言及している。小川, 68には「私た ちは我と吾および汝と爾それぞれの使い分けは多分,

古代には存在したと考えるものであり,それが完全に はヨーロッパ語の対格と属格に平行しないとしても,

その使いわけの事実は無視すべきではないと考えるも のである。」と述べる・尾崎 80ではカールグレγ以来 の各説を検討したうえ「吾」と「我」の使いわけにつ

 いて論じている0

8)本来r吾」が用いられるべきところに,直前にr我」

 があるため「吾」が同化作用によって,「我」に変化  した,とする説がある。(尾崎 80,23頁所引カール  グレン説)。r生1のつぎの二例は形の上ではこの説に  該当する。

 。今卿何故而問我,我聞此言懐狐疑(2)

 。卿不与我,我不能得(54)

9)岩本 78,127−142頁参照。

10)前出,註7)の吾,我のつかいわけと同じく,汝,

 爾にも使いわけがあった可能性もあるが,『生』では  爾がほとんど用いられていないのでこの問題を論ずる  に足る資料が不十分である。

11)小川 68,では卿は六朝の貴族用語とし,鬼神同  志,鬼神と生人の間,自分の妻・友人に対するときに  この語を用いるとする・

12)同上論文に「もともと君は敬称であり……代名詞と  して用いられると尊敬の語感はしないにうすれ,撞ぼ  対等の相手にも用いられつつあった」とある。

13)牛島・67 14)太田 58

参考文献(併音配列)

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    197gr中国語訳r百喩経』の言語」同上,31     号の2

    1980「中国語訳『雑宝雑経』の言語」

 同上,32号の2

 r法華経一字索引』1977東洋哲学研究所 岡部和雄 1963「竺法護の訳経について」

 r印度学仏教学研究』11−1

    1973「訳経史研究序説(二)」

 曹洞宗研究員研究生r研究紀要』5

牛島徳次 1967r漢語文法論』(古代篇)大修館書店  東京

水谷真成 1958「暁・厘両声母の対音」

 r東洋学報』40−4

    1961「漢訳仏典における特異なる対遇表現に     ついて」r塚本記念仏教史学論集』

太田辰夫 1958r中国語歴史文法』江南書院,東京。

尾崎雄二郎1980「且吾』・r我』の使いわけについて」

 『中国語音韻史の研究』創文社,東京(初出『立命館  文学』180,1960)

小川環樹 1968「古小説の語法」r中国小説史の研究』

 岩波書店,東京(初出r集刊東洋学』11,1960荘司格

(10)

 一と共著)

岩本 裕 1978r仏教説話の源流と展開』

 東京,闘明書院

宇井伯寿 1956r釈道安研究』岩波書店・東京・

佐々木孝憲1972「竺法護の訳経について」

 『法華経の日本的展開』平楽寺書店,京都。

       Some Gmmmatical Feat肛es in Sh㎝9嘩ng(生経)

       Mitsuy面Nagao        C㎝伽t8

砿Introduction      Conjuctions

1.Interrogati▼e3       6.Reduplicative Foms 2.On de(得)       7.Classifiers

3.On zhe(著)      8.Etc.

4. Pre血ouns       9。 Conclusion

5.Disy皿abic Adverbs.Aux鋤ary Verbs,

      (1981年9月10日 受理)

Referensi

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いから。ただ,私もいろいろ誘っているが(支店長 とか,年輩の人が多い),まだ1人も来ない。景気 が悪く,余裕がないんだろう。r3年先の稽古」と 相撲でも言う。目先の仕事にみんな追われているが, 急がば回れだ。3年5年後に何かになると思うから。 目先のことなら勉強なんてしなくても何とかなる。 山田 昼間の社会人枠は,主婦にニーズはある。が,