二 〇 一 五
年 十 月
「 今 月 の 言 葉
」 と
「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介
今 月 の 言 葉
今 を 生 き て 咲 き
今 を 生 き て 散 る 花 た ち 今 を 忘 れ て 生 き
今 を 忘 れ て 過 ご す 人 間 た ち
坂 村 真 民
花壇 や道 端に 咲 い てい る 花。 それ を見 てあ なた は何 を感 じる でし ょう か。 坂村 さん は、 その 花 と自 分自 身 の 姿を 重 ねた ので し ょう
。こ の詩 に は 続き があ り ま す。
「 あ あ花 に 恥し 心い た む日 々」 と 締 め括 ら れて いま す
。 日 々 の生 活の 中で
、つ い 忘れ がち にな って しま いま すが
、
「 今と い う時 間
」を 大 切 にし
、 道端 の 花が 美し く彩 る よう に、 私た ちも 自 分と いう 花を 精 一杯 咲か せて いき た いも ので す。 ふと 花を 見 た とき
、「 今を 忘れ て生 きて いな いか
、過 ご して いな いか
」と 思 い出 して みて く ださ い。 い よ いよ 今月 から 後 期の 学校 生活 がス タ ート しま す。 節 目の 時期 は大 切 です
。し っか りと 自 分自 身の 振り 返 りを して
、後 期に 活 かし まし ょう
。 そし て、 勉強 や 部活 動、 それ ぞれ の 目標 に向 け て
「今 と いう 時間
」 を大 切に し、 日 々 精進 して い き まし ょ う。
今 月 の 聖 語
生 ま れ た こ と は
あ り が た く 、 生 き る こ と も あ り が た い
。
『 ダ ン マ パ ダ 』
『 ダ ンマ パダ
』と は
、釈 尊の 教え を集 め たも ので
、人 間そ の もの への 深い 反 省や 生活 の指 針 を短 い句 に よ って 示 した もの で す。 た く さん の人 の繋 が りが あっ て、 私た ち はこ の世 に誕 生 しま した
。つ ま り、 父・ 母・ 祖父
・ 祖母
・・
・・
・
。い のち の繋 がり は 果て しな い程 広 がり ます が、 そ の中 で一 人で も欠 け てい たら 今 の 私は い な いこ と に なり ます
。ま さに
「 有り 難 い
」と いう こと であ り、 奇跡 と 言っ ても 過言 で はな いで しょ う。 ま た、 私た ちが 生 きて いく こと も、 多 くの 人の 支え や 励ま しが あ り
、衣 食 住に 関し て も多 く のい のち をい ただ いて 生 きて い ます
。 こ れ らの こと を踏 まえ ると
、私 たち は、
「 感謝
」の 気持 ちを 持ち なが ら生 きて いか なけ れば な らな いこ とを 改 めて 感じ ます
。身 近 な人 をは じめ
、 みな さん を取 り 巻く 人や もの に、 改 めて 目を 向 け てみ て は どう で し ょう か。