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二人っ子をめぐる中国都市女性の揺らぎ

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Academic year: 2025

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問題と目的

中国では30 年以上にわたって「一人っ子政策」

という人口抑制政策が実施され、出生率が持続的 に低下し、人口構造が変動し続けた。その結果、

急激な少子高齢化に直面し、人口抑制政策の緩和 が求められるようになった。社会の持続的発展の ためには、人口を抑制する政策から人口構造を調 整する政策へ転換することが必要となり、2016年 より「二人っ子政策 」が実施されることとなった。

しかし、「二人っ子政策」への人口政策の転換 によって少子高齢化に歯止めをかけることが期待 されているが、出生人口は2017年から3年連続減 少し、「二人っ子政策」への人口政策の転換によ って少子高齢化に歯止めをかけることが期待され ているが、出生率の押し上げにつながっていない ことが明らかになった。なぜ、「二人っ子政策」

の主体である女性は二人目を産むことができるの に産まないのか、こうした理想と現実のギャップ はなぜ生じているのかを明らかにすることが本研 究の目的である。

方法

本研究では、2019年12月から2020年10月にかけ て、中国の広州市で二人っ子を持つ既婚女性を対象に半 構造化インタビュー調査を行った。各調査対象者に1時 間から2時間程度でインタビューした。調査対象者は 1970年代生まれ3名、1980年代生まれ3名計6名の既 婚女性である。彼女らの仕事や生活の現状と育児に関す る意識について聞き取った。

結果

A氏

大学を卒業した後、広州市のスーパーで商品の バーコードに関する仕事を 1年間ぐらいしていた。

その後、転職してスーパーのコンピュータシステ ムを開発する外資企業で働いていた。

一人目の育児について、22ヶ月まで長男はずっ と農村に住む姑のところに預けていた。その時、

1

ヶ月か

2

ヶ月に一回に姑のところに戻り、数日 間ぐらい長男に会っていた。幼稚園を通うため、

長男は広州に戻ってきた。最初は長男が慣れてい なかったので、姑も広州に来て長男の世話をして くれた。経済的余裕がないため家政婦 は雇ってい ない。長男が小学生になると、自分は仕事をしな がら、子供の世話をしていた。

次 男 を 出 産 し た 後 、 母 親 が 1 ヶ 月 世 話 し て く れ た 。 姑 が 主 に 食 生 活 の 世 話 し て く れ た 。 出 産 後 3 ヶ 月 で 一 度 仕 事 復 帰 し た が 、 人 事 異 動 や 仕 事 の 無 力 感 に よ り 、 夫 と 相 談 し て 仕 事 を や め て 専 業 主 婦 に な っ た 。 現 在 は 家 で ウ ィ チ ャ ッ ト を 使 っ て 保 健 品の販売をしながら子供の世話に専念している。

夫 は 食 器 洗 い ぐ ら い の 家 事 を し て い る 。 仕 事 が 早く終わって家に帰ると、Aさんが料理を作るとき、

子供と遊んでくれる。

長男は絵画クラスに通っている。人生をより豊かにし、

子供の才能を発掘し、伸ばしてほしいとAさんは語った。

子供の将来への期待については、中産階級、特に弁護 士になってほしいという。

二人っ子をめぐる中国都市女性の揺らぎ

――ぶつかるワークとライフ――

キーワード:二人っ子政策,ジェンダー,職場復帰,育児支援,教育プレッシャー

人間共生システム専攻 黄 師佩

(2)

B氏

広州の大学を卒業後、ある民間企業で会計係を していた。

長 女 の 出 産 の 時 、 母 と 姑 が 世 話 し て く れ た 。 長 女 は5 歳 ま で 実 家 に い た 。 平 日 は 長 女 を 姑 の と こ ろ に 預 け て い た 。 週 末 は 自 分 の 母 に 預 か っ て も ら っ た 。 小 学 校 に 通 う 年 齢 に な る と 、 長 女 は 広 州 の 自 分 の と こ ろ に 帰 っ て き た 。 長 女 を 学 校 に 送 っ て か ら 会 社 に 行 き 、 仕 事 が 終 わ っ て か ら 学 校 に 出 迎 えに行く毎日を送っていた。

次 女 を 妊娠して6ヶ月の時、産休を取った。女の子 だったので姑は世話してくれず、母のみ世話してくれた。

産褥期が終わってから次女と一緒に広州に帰った。次女 が6ヶ月になるまで、義姉が育児を手伝ってくれた。ま た、半年間ベビーシッターを雇ったが、信頼できず費用 が高かったため、仕事をやめて専業主婦になって子育て に専念した。

夫の育児参加はほとんどなく、週末に子供と遊んだり、

祝日に旅行に行くぐらいである。

長女はピアノクラスに通っている。次女はサクソ フ ォ ー ン ク ラ ス に 通 っ て い る 。 ま た 、 子 供 に 負 担 を か け た く な い の で 塾 に 行 か せ ず 、 数 学 オ リ ン ピ ックの際も自分が習って教えていた。

長 女 に は 清華大学に行ってほしいと考えており、次 女には一番公立小学校に行かせたいと考えているため、

精一杯育児に励んでいる。

C氏

専門学校を卒業して民間企業で事務職をして いた

C

氏は企業が倒産したため、ホテルのフロ ント業務に転職した。その後長男を出産するに あたり、退職した。家計を維持するためCさんが 職を転々として今は不動産会社で住宅販売や賃貸 をしながら、ヴィーチャットで衣料品を販売して いる。

長男を出産する時、姑や二人の義姉が世話をしてく

れた。退院後、クリーニング店を経営しながら子育てし ていた。育児環境がよくなかったため、夫と相談してベ ビーシッターを雇いたかったが、経済的余裕がなくあき らめた。実家の姑に頼むと、住み込みで長男の世話をし てくれた。昼間は姑が子供の世話をしてくれたが、夜は 自分ひとりのみであったため、睡眠不足など身体的・精 神的に大きく負担となった。長男が小学校に通い始める と、朝、長男を学校に送ってからクリーニング店にいき、

迎えはほとんど姑であった。週末のピアノクラスにも付 き添っているため、自分の時間がほとんどない。

夫は家にいる時、ほぼソファーでテレビをみるばかり で、育児参加はゼロといっても過言ではないという。

将来、長男には少なくとも985か211大学に行って ほしく、次女にも学校の先生など安定した仕事に就いて ほしいという。

D氏

大学を卒業して、保険会社で働いていた。その 後、資産運用に関する金融機関に転職した。同じ 会社で働いていた夫と結婚した。長男を妊娠した 時、妊娠症状がひどく2 週間仕事を休んだ。休暇 が終わった後、仕事を継続するかやめるか悩んで いた。チームワークに追いつくことができず、同 僚から不満があるので、会社をやめて専業主婦に なった。今は株の投資をしている。

長男の育児について、実親は仕事があり、姑は義兄 の長女の世話をしていたので、自分一人で育てた。3歳 までは結構大変であったという。同じマンションに住ん でいた他の母親たちと助け合って何とか乗り越えた。

長男の世話をする経験があるので、次男の育児過程が より順調だが、周りのママたちに比べて、自分には教育 学や心理学の専門知識に欠ける気がした。将来、次男を いい学校に通わせるため、引越しするつもりである。

夫は休みの時間が決まっておらず、育児はともかく、

夫婦の間のコミュニケーションすら少ない。

(3)

長男は、趣味として、また将来の入学試験での 競争力を向上させるために、テコンドーやドラムクラ スに通っている。長男や次男も将来に清華大学に通って、

エリートになってほしいという。

E氏

中等専門学校から卒業した後、広州市の燕塘乳業で3 年間働いていた。夜勤が嫌いだったので燕塘乳業の仕事 をやめたあと、スーパーでレジ係をしていた。長女を妊 娠している時、吐き気がひどく、風邪や熱の時、休みを 取ることが難しく、家族にも退職するよう要求されたの で仕事をやめた。また、姑から「女性は結婚したら家に いるべきだ」と言われた。しかし、夫だけの給料では家 族の生活に足りなかったため、スーパーの仕事をやめた 後、焼き鳥店を切り盛りしていたが、子育てのため閉め た。今はアパレルのショップを営業している。

長女を出産したときは、自分の父と母が世話をしてく れた。夫は一週間の休暇しか取れなかったが、その間ず っと付き添ってくれた。退院した後、ずっと一人で育児 をしていた。その間、家政婦を1人雇ったことがあるが、

やはり、家事をほかの人に任せるのは信用できなかった ためあきらめた。子育て中、悩みがある場合は、自分が 参加した母親グループでコミュニケーションしあいなが ら、現場の活動にも活発に参加していた。

次女も自分で子育てしている。用事がある場合、両親 に任せるしかない。祖父母は子供を甘やかしていると考 えている。子供の教育にも世代間にもギャップが存在し ている。時間をあっという間に過ぎてしまうので子供時 代を大切にしている。

自分の学歴が高くないので、できるのは最大の努力を 尽くして自分の子供の知識を豊かにするしかないと考え ている。長女は華南師範大学に属する私立幼稚園に通わ せた。小学校にも華南師範大学所属の小学校に通わせる 予定。なるべく子供の学習要求を満足させたい気持ちで ある。将来は、長女と次女を重点大学に通わせ、いい人 生を過ごさせたい。

F氏

自分は2回大学入試試験に参加した経験がある。重点 大学を目指して、1回目は落ちたが、2回目で合格した。

大学を卒業し、専門は法律だったが、弁護士の資格証を 獲得してなかったため、弁護士になれなかった。大学卒 業後、英語が得意なので深圳に外資系企業の人事部で働 いていたが、やりがいがないためやめた。広州に戻って、

カトラリー製造会社でマーケティング課で働いていた。

今は華南地域のマネージャーになった。

長女を出産した後、主に自分の両親が世話してくれた。

夫はまだ軍隊にいたので出産の時もそばにいなかった。

退院後、姑が長女の世話を手伝ってくれたが、いつも細 かいところで意見の食い違いで喧嘩した。幼稚園に通っ てから自分の親のところに預かっていた。平日は自分の 親が出迎えてくれた。夫もそばにいなかったため、実家 暮らしであった。経済的にも、自分の親が助けてくれた。

子育てがきついため二人目を生みたくないが、「まだ若 いから、手伝ってあげる」と親にせかされた。

次女は自分の親が世話してくれた。ベビーシッターも 雇ったが、月8000元かかった。

子供の将来への期待は一番いい大学を目指してエリー トになってほしい。

考察

少子高齢化を食い止めるために、中国では「二人っ子 政策」が実施されたが、出生率が減少している。なぜ、

「二人っ子政策」の主体である二人目を産むことができ るのに産まないのだろうか。女性たちは出産に消極的に なっている理由としては以下の 4 点である。

第一に、出産のプレッシャーがある。二人目を持つ調 査対象者は、自分は二人目を産みたくないが、姑に出産 を催促されていた。特に、一人目が女児である場合、二 人目の出産をせがまれるというプレッシャーがある。ま た、70 年代生まれの 3 名とも、二人目を出産した時は 40 歳ぐらいで高齢出産のリスクがあった。

第二に、職場復帰のハードルが高まるという問題があ った。二人目を出産した女性は職場復帰にあたり、様々

(4)

なハードルを経験した。希望する仕事をしようとしても できないという、再就職先を選ぶことの難しさが伺える。

一度キャリアを捨てると、またゼロからスタートしなけ ればならない。職歴が空いていると再就職が難しくなる 姿が見られる。職場に復帰しても、思い通りに働けない。

育児のため、退職をほのめかされるなど不公平を訴えて いる女性たちの存在がありありと見えた。さらに、産休 あけに仕事に専念し、子供を母に預けてキャリアを捨て なかった女性は、子供に愛をあたえなかったという母親 役割とキャリアとの挟間における揺らぎが強い。

第三に、ワンオペ育児が広がっている。

まず、祖父母の積極的な育児参加は子育てにとって欠 かせない手助けとなっているが、世代間の育児に対する 考え方のギャップがあるためサポートを得づらい。そし て、「一人っ子」政策の影響で、兄弟姉妹数が減少するた め、親族間のサポートはこれまでに比べて困難をきたし ていくことも予想された。

次に、仕事が忙しいことを言い訳として父親不在の育 児問題が顕著化している。育児の負担が女性の方に偏っ ている。家事能力が高く、母親と対等に近いケア役割を 果たしている父親の姿は見られず、父親の役割は「育児 援助」というレベルにも達していないとも言えよう。む しろ、多忙な父親は子供の遊び相手と位置づけられてい るほうが相応しい。

そしてベビーシッターなど市場のサービスの活用も困 難である。祖父母、夫や親戚などの育児支援が脆弱で、

育児期の女性はベビーシッターなど育児支援サービスに 助けを求めるしかない。しかし、ベビーシッターを管理 する専門機関は現時点ではまだ存在していないため、ベ ビーシッターの労働市場では、まだ資格を持っていない など質が低く、責任感が欠如し、流動性が高いベビーシ ッターが多いなど、利用への不安が伺える。さらに、ベ ビーシッターを雇う費用は低くないので、収入が不安定 や低い家庭にとっては、経済的負担になった。

第四に、子供に対する教育のプレッシャーが大きい。

中国社会で高まっている高学歴志向を背景に、現在の子 供に求められているのは全面的に発達する立派な人材で ある。子供の将来への期待について、とりあえず重点大

学に通わせたいという中国の教育ママぶりが伺える。重 点大学に入学するためには、重点高校に入らなければな らない。重点高校以外から重点大学に入学するのはきわ めて難しいからである。このように重点小学校、重点中 学校、そして重点高校から重点大学へ進学するというピ ラミッド構造が成り立っている。親は子供をスタートラ インから後れないようにと、自分が受けた教育レベル以 上の教育を子供に受けさせてあげたいという思いが強い。

激しくなる受験競争と教育熱の高まりは家庭の教育費用 負担を増加させた。受験競争は家庭の経済力の競争と言 っても過言ではない。

二人目を持つ女性は出産のプレッシャーをもち、高 まる職場復帰のハードルにあたり、広がるワンオペ育児 に直面している問題が浮かび上がっている。さらに、特 に、子供の教育プレッシャーが重いことが伺える。この ようなワーク・ファミリー・コンフリクトを持ってからこ そ、出産に消極的になっている。本研究で見いだされた ような女性のワーク・ファミリー・コンフリクトを解決 するには、個人、家庭、組織と国家などの力をあわせ、

女性の成長と発展に必要な福祉的支持を提供しなければ ならないが、現実的には、女性が多く負担している。

主要引用文献

鎌田とし子・木本喜美子・矢沢澄子,1999,『講座社 会学 14ジェンダー』東京大学出版社.

馬欣欣,2011,『中国女性の就業行動―「市場化」と

都 市労 働市 場 の変 容(慶 應義 塾大 学 産業 研 究所 叢書)』慶應義塾大学出版会.

落合恵美子,1989,『近代家族とフェミニズム 』勁草 書房.

落合恵美子・山根真理・宮坂靖子,2007,『アジアの 家族とジェンダー』勁草書房.

大沢真 知子

,2006,

『ワーク・ライフ ・バラン ス社 会へ——個人が主役の働き方』岩波書店

.

瀬地山角,2002,『東アジアの家父長制―ジェンダー

の比較社会学』勁草書房.

Referensi

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