2 化学と生物 Vol. 53, No. 1, 2015
みどりの香りの生合成機構
膜脂質上での酸化開裂反応
「みどりの香り」は( )-3-ヘキセナールをはじめとす る炭素数6(C6) の揮発性化合物群の総称で,緑葉香の 主成分である.ほぼすべての被子植物がみどりの香りを 生成するので地球上の野山はみどりの香りで満ちている と言える.みどりの香りは加害されたときにその傷口で 急激に生成放散され,加害者の忌避や傷口の防御といっ た直接防衛や加害者の天敵を誘引する間接防衛に関与し ている(1).最近では植物がみどりの香りにさらされると 防衛を強化する現象も知られ,情報伝達揮発性化学物質 として機能していると考えられる(2).一方,みどりの香 りは食品フレーバーとしても重要で,ヒトはみどりの香 り関連化合物の二重結合の位置やその幾何の違いなども 容易にかぎ分けることができ,豆乳に含まれるみどりの 香りをオフフレーバー(豆臭)とする一方,トマトソー スやオリーブオイルなどではみどりの香り各成分の適切 な組成比と量が製品の質を左右する.
みどりの香り生合成の鍵酵素は脂肪酸ヒドロペルオキ シドリアーゼ(HPL)である(図
1
).リポキシゲナー ゼ(LOX)でできた脂肪酸ヒドロペルオキシドを開裂 してC6アルデヒドとC12オキソ酸を生成するシトクロ ムP450酵素である.HPLの起源は思いのほか古く,植 物と動物の共通祖先でHPL遺伝子の原型が獲得された とされる(3).ただし,動物界ではナメクジウオやイソギ ンチャクなどでその痕跡が見られる程度で多くの種では 失われた.植物界でもコケ類,シダ類,裸子植物で HPLのホモログは見つかるが,みどりの香り生成酵素 として機能しているのかはまだわかっていない.私たちも新しいモデル植物ゼニゴケでHPLを探したが,2つ見 いだしたホモログ遺伝子はHPLではなく,脂肪酸ヒド ロペルオキシドからアレンオキシドを作る酵素をコード していた(肥塚ら,未発表).みどりの香り生成能力が 生物進化の過程でいったん獲得されたのに失われ,植物 界で復活したのがどういった理由によるのか,植物の陸 上化や節足動物の出現と絡めると想像が膨らむ話題だ が,解答は得られていない.
みどりの香り生成の最大の特徴は植物の葉をつぶすと 急激に生成放散されることだろう.この生成放散は葉組 織破砕数秒後には始まり,2 〜3分間持続する.こうし た傷口での一過的な生成放散(バースト)は草食昆虫の 忌避や傷口の消毒といった直接防衛に好都合だが,どの ように制御されているのかわかっていない.みどりの香 り生成に関与するLOXやHPLは古くから知られている 酵素で,遊離脂肪酸とそのヒドロペルオキシドがそれぞ れの基質であると考えられてきた(4, 5).一方,無傷植物 体内の遊離脂肪酸濃度は低く抑えられている.そこで,
組織破砕によるみどりの香り生成は膜脂質からのリパー ゼによる遊離脂肪酸生成が引き金になる,と予想されて きた.確かに植物細胞では多くの加水分解酵素が液胞に 局在しており,組織破砕で液胞がはじけ,分解酵素が放 出されて膜脂質を加水分解する,とすれば辻褄が合う.
ところが,シロイヌナズナでHPL活性を失った変異 株の葉を破砕すると,みどりの香り生合成が途中で止ま ることで蓄積するはずの脂肪酸ヒドロペルオキシドがあ まり検出できなかった.また,野生株でもC12オキソ酸
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が遊離の状態でほとんど生成されなかった.こうしたこ とから私たちはみどりの香りは少なくとも一部はリパー ゼによる加水分解を経ずに生成すると考えるようになっ た.リパーゼを介さない場合,膜脂質がそのままLOX で酸素添加され,膜脂質ヒドロペルオキシドとなり,そ れがそのままHPLで開裂されるはずなので,C12オキ ソ酸をアシル基としてもつ脂質が生成されるはずであ る.そこで,破砕葉抽出物をLC-MS/MS分析したとこ ろ,C12オキソ酸含有ガラクト糖脂質が葉組織破砕特異 的に生成されることを見いだした(6).つまり,LOX‒
HPL反応は脂質加水分解を経ずに,グリセロ糖脂質ア シル基上でも進行することが示された.これはシロイヌ ナズナだけでなく,トマトやインゲン,キャベツなどで も見られ,植物界に普遍的であることが示唆された.植 物種によって異なるが,葉組織破砕で生成するみどりの 香りの少なくとも1 〜5割程度が脂質加水分解を経ずに 生成されていると見積もられた.
酸化修飾を受けたアシル基をもつ糖脂質は今回見いだ されたHPL生成物以外にも知られている.シロイヌナ ズナではジャスモン酸生合成前駆体の12-オキソフィト ジエン酸をアシル基にもつ糖脂質,アラビドプシドが検 出されている.また,アマではビニルエーテル構造をも つ脂肪酸をアシル基とする,リノリピンが同定されてい る.ただ,いずれの場合もこれら植物種に限定的であ る.
これら酸化修飾された脂質が次々と見いだされてきた のはLC-MSが汎用機器となり,不揮発性化合物の分析 同定が容易になったのが大きい.ただ,これまで見逃さ れてきたのも不可解である.LOX, HPLともに遊離脂肪 酸とそのヒドロペルオキシドがそれぞれの基質である,
と考えられてきたのは単にこれら基質の疎水性がそれほ ど高くないので緩衝液中に分散させて酵素反応を見やす かったことが一因と思われる.LOXはリン脂質やガラ クト糖脂質と反応するがデオキシコール酸など適切な界 面活性剤を使って適切なサイズと表面電荷をもつエマル ジョンにする必要があり,反応系の確立にひと苦労かけ なくてはならない(7).葉の破砕液には断片化された生体 膜が膜タンパク質などの効果もあって適度に分散された 懸濁状態にある.これまでは実験のしやすさがバイアス となりみどりの香り生成がリパーゼを介さずとも進行し うることを見逃してきたのではないだろうか.緩衝液中 で / 状態を再現するのが困難な脂質や脂肪 酸などを基質とする酵素反応はこうした「実験しやす さ」バイアスに捉われずに酵素反応条件から再検討する 必要がある.この場合,基質は溶液中にモノマーとして 存在していないので単純に基質モル濃度を見積もること が不可能で,ミカエリス‒メンテン式もそのままでは適 用できないことも注意しなくてはならない.
こうした膜脂質アシル基の酸化修飾がどのような生理 的意義をもつのかは今後の検討課題である.哺乳動物細
(CH2)n COO RCOO O Gal
(CH2)n COO RCOO O Gal HOO
(CH2)n COOH
(CH2)n COOH HOO
(CH2)n
OHC COOH
(CH2)n
COO RCOO O Gal CHO OHC
O
2O
2図1■みどりの香り生合成経路
ガラクト糖脂質を出発物質とした場合,一 部は加水分解され遊離脂肪酸となり酸化,
開裂を受ける(左の経路)が一部はそのま ま酸化開裂される(右の経路).みどりの 香りとしては同じ( )-3-ヘキセナールが生 成されるが左の経路では遊離C12オキソ酸 が生成されるが,右の経路ではC12オキソ 酸をアシル基にもつ糖脂質が生成される.
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胞でも膜脂質ヒドロペルオキシドが開裂反応を受けたと 思われる,炭素鎖の短いオキソ酸をアシル基にもつ脂質 が知られていて炎症との関連性やアポトーシス誘導への 関与が報告されている.今回見いだされたようなC12オ キソ酸含有ガラクト糖脂質中のアルデヒド基,およびこ れがさらに酸化されて生成する二重結合と共役したアル デヒド基(
α
,β
-不飽和カルボニル)は生体内求核基と容 易に反応するためさまざまな生理活性を示す(8).私たち はこうした活性なカルボニル基が膜脂質内に蓄積するこ とは何らかの意義をもつと考え,その解明を進めてい る.1) G. Arimura, K. Matsui & J. Takabayashi:
, 50, 911 (2009).
2) K. Sugimoto & K. Matsui : , 111, 7144 (2014).
3) D.-S. Lee, P. Nioche, M. Hamberg & C. S. Raman: , 455, 363 (2008).
4) K. Matsui: , 9, 274 (2006).
5) C. Wasternack & B. Hause: , 111, 1021 (2013).
6) A. Nakashima : , 288, 26078 (2013).
7) Y. Saka, T. Mori & Y. Matsumura:
, 19, 187 (2000).
8) A. Higdon : , 442, 453 (2012).
(松井健二
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1,肥塚崇男*
2,*
1 山口大学大学院医学系研 究科(農学系),*
2 山口大学農学部)プロフィル
松井 健二(Kenji MATSUI)
<略歴>1984年京都大学農学部農芸化学 科卒業/1986年同大学大学院農学研究科 修士課程修了/1987年山口大学農学部農 芸化学科助手/1994年同助教授/2005年 同教授/2006年より現職(改組に伴う配 置換),現在に至る<研究テーマと抱負>
植物が香りを出す意義の解明<趣味>走る こと,話すこと
肥塚 崇男(Takao KOEDUKA)
<略歴>2000年山口大学農学部生物資源 科学科卒業/2005年鳥取大学大学院連合 農学研究科博士後期課程修了/同年ミシガ ン大学分子細胞発生生物学科博士研究員/
2009年京都大学生存圏研究所博士研究 員/2011年同大学化学研究所助教/2013 年山口大学農学部助教,現在に至る<研究 テーマと抱負>植物が香りを作り出すしく みの解明と代謝酵素を利用した物質生産へ の応用<趣味>家庭菜園,ベーグル屋さん 巡り
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