二 〇 一 四 年
七 月
「 今 月 の 言 葉 」 と
「 今 月 の 聖 語
」 に つ い て の 紹 介 今 月 の 言 葉
水 よ く 石 を う が つ
蓮 如
れ ん に ょ
上 人
し ょ う にん
石 は硬 いも の
、水 は 柔ら かい もの と一 般的 に考 えら れて いま す。 しか し、 長い 年月 の間 に は硬 いは ずの 石が 屋根 から 落ち る雨 水で 穴を あけ られ るこ とが あり ます
。石 のよ うに かた く なな 私の 心も
、水 のよ うに 柔ら かな 仏教 の言 葉を 繰り 返し 聞い てい るう ちに
、穴 があ けら れ てい くと いう こと を、 この 言葉 は示 して いま す。 例 えば
、自 分が 話し た内 容が 後に なっ て間 違い だっ たこ とに 気付 いた とい う経 験は あり ま せん か。 し かし
、な か なか たっ た一 言の
「 ごめ ん」 が いえ ず、 素 直に なれ ない 時が あり ます
。 仏 教は
、そ んな 私に
、「 常 にわ が身 をか えり みな さい
」と 示し ます
。正 しく あり たい とい う 思い は大 切で すが
、自 分自 身 の あり 方を 振 り 返り
、素 直 に過 ちを 認め るこ とも 大切 なの です
。 仏 教を 聞き 続け るこ との 重要 性を 示し た本 願寺 八世 の蓮 如上 人の 言葉
。
※ う が つ
・
・
・ 穴 を あ け る
今 月 の 聖 語
他 人 の 過 失 を 見 る な か れ
。 他 人 の し た こ と と し な か っ た こ と を 見 る
な 。 た だ 自 分 の し た こ と と し な か っ た こ と だ け を 見 よ
。
『 ダ ン マ パ ダ
』
「い ーや ーや
♪い ーや ーや
♪先 生に 言う たろ
♪」 こ ん な歌 を聞 い たこ とが ある 人 はい ま せん か。 他 人の 過失
(= あ やま ち) や 悪い こと を
、 先生 に 告げ 口を す ると きに 歌 われ ます
。 作曲 者は 不明 で
、地 域に よ って 歌詞 が 微妙 に異 な り ます が、 幼稚 園児 や小 学生 の中 で、 昔か ら伝 えら れて いま す。 幼 い 頃だ けで な く、 他人 の 過失 を取 り 立て て人 に話 し たり
、指 摘 した り する こと はあ り ま す。 で すが
、自 分 の過 失と な ると
、わ ざ わざ 人に 話し た りし ませ ん
。む し ろ、 見て 見ぬ フ リ をし てし まう こと が ある か もし れま せん
。 つ い つい 自分 よ り他 人の こと が 気に な りま すが
、 聖語 には
「た だ 自分 の した こと とし な か った こと だけ をみ よ」 と示 され ます
。目 を 向け るべ きは
、こ の自 分。
「自 分 は どう なの か」 今 一度
、自 問自 答さ せら れる ブッ ダの 厳し いお 言葉
。
宗 教教 育 係