【解説】
近年わが国では,加水分解コムギ(HWP : Hydrolyzed Wheat Protein) を 含 有 す る 洗 顔 石 鹸 の 長 期 使 用 に よ り 経 皮・経 粘 膜 的 に 感 作 さ れ,コ ム ギ 製 品 の 経 口 摂 取 に よ り 食 物 ア レ ル ギーを誘発する事例が数多く報告され,社会的に大きな問題 と な っ て い る.第59回 日 本 ア レ ル ギ ー 学 会 秋 季 学 術 大 会
(2009年10月) に お い て,特 定 の 洗 顔 石 鹸 に 含 ま れ るHWP
「グルパール19S(Glp19S)」による即時型コムギアレルギー の 事 例 が,国 立 病 院 機 構 相 模 原 病 院 の 福 冨 友 馬 医 師 ら に よって報告されて以来,患者数として通算2,163名の確実事 例(2014年4月20日現在)が報告されている (参考:茶のし ずく石鹸等による小麦アレルギー情報サイト).現在,日本 アレルギー学会の「化粧品中のタンパク加水分解物の安全性 に関する特別委員会」を中心としてHWPによるアレルギー の情報収集と分析,原因の解明研究,予後の調査が行われて いる.HWPアレルギーの臨床症状・病態に関する総説およ び解説などは委員会メンバーから報告されており,詳細は他 稿に譲る.本稿では,国立医薬品食品衛生研究所において継 続的に行われているHWPの抗原解析および安全性評価に関 す る 研 究 と し て,① グ ル テ ン の 加 水 分 解 に よ る ネ オ エ ピ トープの形成,②HWPを含まないコムギ製品の経口摂取に
よるアレルギー発症原因,③マウスを用いた経皮感作モデル 実験系の構築,④HWPのプロファイル分析について,HWP が提示する感作性・惹起能について双方向の観点から概説す る.
HWPとは
HWPとは,コムギタンパク質(グルテン)を加熱条件 下で塩酸や酵素などにより細かく分解した化合物の総称 である.グルテンは加水分解することによって水溶性を 増し,高い保湿性を獲得するため,化粧品やシャン プー・石鹸などの製品に添加される.また,HWPは,優 れた起泡性と泡の持続性を有するため,刺激性のある既 存の起泡剤の代替品とすることにより,泡の量を減らす ことなく刺激性を低減する機能が期待されている.HWP は,医薬部外品原料規格2006には「加水分解コムギ末」
として収載され,「本品は,コムギ Linné (Gramineae)の種子を加水分解して得られる水 溶性成分の乾燥粉末である.本品を定量するとき,窒素
(N : 14.01) 8.0 〜18.0%を含む.」と基原が定義され,性 状,確認試験,純度試験,乾燥減量,強熱残分,定量法
加水分解コムギの経皮感作 によるアレルギー
酒井信夫,中村里香,中村亮介,安達玲子,手島玲子
Allergy of Hydrolyzed Wheat Protein Cutaneous Sensitiza- tion
Shinobu SAKAI, Rika NAKAMURA, Ryosuke NAKAMURA, Reiko ADACHI, Reiko TESHIMA, 国立医薬品食品衛生研究所
が規定されている(1)
.HWPアレルギーの原因物質であ
るGlp19Sは,酸と加熱による部分的な加水分解によっ て調製され,製造業者による品質管理上,これらの医薬 部外品原料規格の各基準に適合していたが,現在は市場 に流通していない.厚生労働省では,医薬食品局安全対 策課通知(平成22年10月15日 薬食安発1015第2号及 び薬食審査発1015第13号)「加水分解コムギ末を含有す る医薬部外品・化粧品の使用上の注意事項等について」を発出し,HWPを含有する医薬部外品および化粧品の 使用に関して注意喚起を行っているところである.
1. グルテンの加水分解によるネオエピトープの形成 HWPを含有する洗顔石鹸による経皮感作の成立メカ ニズムとしては,当該石鹸の長期使用によりGlp19Sが 石鹸の基材である界面活性剤とともに経皮・経粘膜的に 吸収され,抗原提示細胞によって抗原がリンパ球に提示 され,抗原特異的IgE抗体を産生し,これが肥満細胞の 表面に結合して,アレルギー症状の準備状況を作ったと 考えられている(2)
.HWPのエピトープに関しては,国
内外の研究者によって現在解析が進められており,HWP患者血清に含まれるIgE抗体がGlp19Sの比較的高 分子タンパク質(分子量35 〜 50 kDa)に結合し,従来 のグルテンに存在するエピトープとは異なり,酸加水分 解によってネオエピトープが出現した可能性が示されて いる(3)
.
Gourbeyreらは,HWPを腹腔内投与して感作させた
マウスの血清中IgE抗体が,
γ
-グリアジン,ω
-2グリア ジンのコンセンサスエピトープQPQQPFPQ中のグルタ ミン(Q)が酸加水分解によって脱アミド化し,グルタミ ン酸(E)に置換されたQPEEPFPEに対して強いIgE結 合性を示すことを報告している(4).同じ研究グループの
Denery-Papiniらは,HWP患者15名の血清を用いてイ ムノブロッティングを行い,QPQQPFPQ中のグルタミ ンをグルタミン酸に置換することにより,IgE抗体認識 を増強させることを示した(5).国内において「化粧品中
のタンパク加水分解物の安全性に関する特別委員会」の グループも,HWP患者血清中IgE抗体の認識するコム ギタンパク質を検索し,γ
-グリアジンが主要なアレルゲ ンであることを明らかにしている(6).さらに,ペプチド
マッピングによるγ
-グリアジンのエピトープ解析を行 い,HWP患者IgE抗体のエピトープはPEEPFPである ことを明らかにした.これは前述の欧州におけるHWP アレルギー患者のIgE結合エピトープとオーバーラップ している.臨床的知見においても,従来のコムギによる 食物依存性運動誘発アナフィラキシーではω
-5グリアジ ンおよび高分子量グルテニンサブユニットが主要アレル ゲンであると報告されているのに対し,HWPアレル ギーでは,ω
-5グリアジン特異的IgE検査が陰性または 低値となることが特徴的であると報告されている(7).
2. HWPを含まないコムギ製品の経口摂取によるアレ ルギー発症原因
前節で述べたように,HWPにはネイティヴなグルテ ンには存在しないアミノ酸配列が新たに出現し,ネオエ ピトープの形成にグルタミンの脱アミド化が寄与してい ることが明らかになった.ここで,「HWP(Glp19S)を 含有する石鹸により感作された患者が,HWPを含まな いコムギ製品を経口摂取することで,どうしてアレル ギー症状を呈するのか?」という疑問が浮かび上がる が,HWPの惹起能のメカニズムに関しては,これまで
図1■HWPアレルギー患者および従来の小児コムギアレル
ギー患者の血清を用いたウェスタンブロット解析
A : HWP患者血清,B : 従来の小児コムギアレルギー患者血清.
Glp19S(H),グルテン(G)およびグルテンの酸加水分解物に対 するIgE結合パターンは,HWP患者と従来の小児コムギアレル ギー患者との間で異なっている.従来の小児コムギアレルギー患 者血清はネイティヴなグルテンや未分解グルテン(0 h)に対して 強く反応するのに対し,HWPアレルギー患者血清は,ネイティヴ なグルテンには反応せず,Glp19S(H)や100℃で0.5 〜1 h, 0.1 塩酸による加水分解したグルテンに強く反応した.
(CH2)2
C NH2
O
CH C O
NH N
H CH
-NH3 H2O, Δ
(CH2)2
C OH O
CHC O
NH N
H CH グルタミン酸(E) グルタミン(Q)
図2■グルタミン→グルタミン酸の脱アミド化
加水分解反応により,グルタミン側鎖のアミノ基が水酸基に置換 される.
(CH2)2
C NH2
O
CH C O
NH N
H CH
-NH3 H2O, Δ
(CH2)2
C OH O
CHC O
NH N
H CH グルタミン酸(E) グルタミン(Q)
明確な知見や科学的エビデンスは得られていなかった.
そこでわれわれは,グルテンを摂食後,生体内の代謝酵 素により同様のタンパク質構造変化,すなわち脱アミド 化が生じ,Glp19Sとの交差反応性を獲得する可能性に ついて詳細な検討を行った.
食物の消化吸収に関与する生体内酵素のうち,タンパ ク質の分解および修飾に寄与する主たる酵素として,胃 におけるペプシン,十二指腸におけるパンクレアチン,
小腸の粘膜固有層における組織トランスグルタミナーゼ
(tTG)などが知られる.tTGはトランスグルタミナー ゼ2とも呼ばれ,全身に広く分布するトランスグルタミ ナーゼのアイソタイプである.この酵素は,特にセリ アック病の病態に深く関与していることがよく知られて いる(8)
.セリアック病は,消化・吸収後にtTGにより
脱アミド化を受けたコムギグリアジンがHLA DQ2/DQ8を介して抗原提示され,これを認識するT細胞が 活性化されることにより誘発される自己免疫疾患であ る.
近年,われわれが開発したヒト型マスト細胞(ラット 培養マスト細胞株由来RS-ATL8細胞)を用いてIgE架 橋活性を測定する 惹起試験(IgE crosslinking- induced luciferase expression ; EXiLE法)(9, 10)に よ り,
tTG処理グルテンの惹起能について検討を行った.
EXiLE法により,未処理グルテン,ペプシン/パンク レアチン消化処理グルテン,tTG処理グルテン,および ペプシン/パンクレアチン消化後にtTG処理を施した グルテンのIgE架橋活性を調べたところ,HWP患者 IgEで感作したRS-ATL8細胞はグルテンやペプシン/
パンクレアチン消化処理グルテンにはほとんど応答性を 示さなかったのに対し,tTG処理グルテンに対しては著 しい応答性(架橋活性)を示した.また,ペプシン/パ
ンクレアチン消化したグルテンをその後tTG処理した 場合においても,明瞭な応答が観察された.他方,小児 のコムギアレルギー患者血清で感作した場合は,これら 抗原すべてに対し,同等の応答性が認められた(11)
.
本研究では,経口摂取されたグルテンが生体内でたど るであろう代謝経路を において再現し,その過 程を追って,IgE抗体との反応性(惹起能)に注目して 解析した.上述の研究結果は,コムギ製品由来のグルテ ンタンパク質が生体内でtTGにより脱アミド化が誘導 され,IgE結合エピトープの生成に関与した可能性を強 く示唆している.「HWP (Glp19S)を含有する石鹸によ り感作された患者が,HWPを含まないコムギ製品を経 口摂取することで,どうしてアレルギー症状を呈するの か?」という難問に対し,明確な解答を示した研究成果 である.
3. マウスを用いた経皮感作モデル実験系の構築 アレルゲン性タンパク質の経皮感作性の評価法に関し ては,食物アレルゲンタンパク質を用いた動物実験がこ れまでに報告されている(12, 13)
.われわれは,より抗原
性の低い食物タンパク質由来成分が医薬部外品・化粧品 の原料となるような加工方法,濃度,使用方法の提唱を 大きな目的とし,実験動物を用いた経皮感作性の評価系 を構築した(14).
BALB/cマウスの背部を剃毛し,セロハンテープにて 角質層を剥離した後,皮膚アレルギー試験(パッチテス ト) 用 パ ッ ド にGlp19Sあ る い は グ ル テ ン の 懸 濁 液
(10 mg/mL) 50
μ
Lを0.5%ラウリル硫酸ナトリウム含有 PBSを溶媒として浸潤させ,皮膚に貼付した.抗原を3 日間貼付した後,4日間休止するというサイクルを4回 繰り返すことにより経皮感作を行った.4回目の感作後 図3■HWPアレルギー患者および 従来の小児コムギアレルギー患者 血清を用いたEXiLE試験 A : HWP患者血清,B : 従来の小児 コムギアレルギー患者血清.HWP 患者血清中IgEの架橋活性を解析し たところ,未処理グルテンや消化処 理グルテンにはほとんど応答しな かったが,tTGで処理すると,非常 に顕著な応答性を示した.消化グル テンをtTG処理した場合も,やや弱 いながらも応答性は明瞭に増大して いる.一方で,従来の即時型小児コ ムギアレルギー患者血清中IgEの架 橋活性を解析したところ,未処理の グルテンが最も高く,酵素消化処理 を施したグルテンは,それよりやや 低いかほとんど変わらなかった.10-10 10-9 10-8 10-7 10-6 抗原濃度(g/mL) ルシフェラーゼ発現量 (fold)
0 2 4 6 8 10 12
0 1 2 3 4 5 6 7
ルシフェラーゼ発現量 (fold)
A B
未処理グルテン
グルテン+ペプシン/パンクレアチン グルテン+tTG
グルテン+ペプシン/パンクレアチン+tTG 10-10 10-9 10-8 10-7 10-6
抗原濃度(g/mL) 10-10 10-9 10-8 10-7 10-6
抗原濃度(g/mL) ルシフェラーゼ発現量 (fold)
0 2 4 6 8 10 12
0 1 2 3 4 5 6 7
ルシフェラーゼ発現量 (fold)
A B
未処理グルテン
グルテン+ペプシン/パンクレアチン グルテン+tTG
グルテン+ペプシン/パンクレアチン+tTG 10-10 10-9 10-8 10-7 10-6
抗原濃度(g/mL)
に採血し,血清中抗原特異的IgE抗体の産生をELISA 法で確認した.さらに,感作終了翌日に抗原1 mgを腹 腔内投与することにより能動的全身性アナフィラキシー 反応を惹起させ,惹起後30分間における直腸温の測定 およびアナフィラキシー症状のスコアリングを行った.
Glp19S,グ ル テ ン の 経 皮 感 作 性 を 評 価 し た 結 果,
Glp19S,グルテンともに抗原特異的IgE抗体が産生され ること,すなわちTh2型の免疫応答が起きていること,
グルテンと比較してGlp19Sは感作成立後の能動的全身 性アナフィラキシーを強く誘導することが示された.さ らに,グルテンを0.1 塩酸中,100℃で処理時間を変え て加水分解を行うことで,分解程度の異なるHWPを調
製し経時的な抗原性の変化を評価した.その結果,0.5 時間加水分解により調製したHWPが,Glp19Sと同等の 抗原性を示し,加水分解の進行とともに減弱することを 明らかにした.
Glp19SによるHWPアレルギーの事例では,「洗顔石 鹸」という基材を介して感作が成立したことを勘案し,
本実験では抗原とともに界面活性剤を併用した.経皮感 作時の界面活性剤の効果については,抗原溶解度の増 大,皮膚バリア透過性の亢進などが考えられるが,ア ジュバントとして作用している可能性もあり,この点に ついてはさらなる解明が求められている.
A
<グルテン分子>
酸加水分解の進行 グルタミンを中心とする、脱アミド化感受性構造 グルタミン酸を中心とする、脱アミド化修飾後の構造
従来のコムギアレルギー患者のIgE抗体 HWP患者のIgE抗体 脱アミド化の影響を受けない構造
<Glp19Sはこれらの分解断片の混合物>
主鎖の開裂と 脱アミド化
B
<経口摂取したグルテン分子>
胃腸での消化の進行 グルタミンを中心とする、脱アミド化感受性構造 グルタミン酸を中心とする、脱アミド化修飾後の構造 脱アミド化の影響を受けない構造
消化管吸収後 のtTGによる
脱アミド化 従来のコムギアレルギー患者の
IgE抗体 HWP患者の
IgE抗体
この時点では 脱アミド化は 受けていない
図4■HWP(Glp19S)を含有する石鹸により感作された患者が,HWPを含まないコムギ製品を経口摂取することで,どうしてアレ ルギー症状を呈するのか?
A : グルテンの酸と加熱による加水分解,B : 想定されるグルテンの生体内での変化.
A B
蛍光強度
0 200 400 600 800 1000 1200 1400
V H G
*
*
-5.0 -4.0 -3.0 -2.0 -1.0 0.0 1.0 2.0
0 5 10 20 30
直腸温変化(℃)
惹起誘導後の経過時間(分)
V H G
*
* *
* *
C
全身性アナフィラキシーのスコア
0 1 2 3 4 5
V H G
* * *
図5■実験動物を用いたHWPの経皮感作性の評価
A : 経皮感作成立後の血清中Glp19S特異的IgE抗体産生,B : 全身性能動的アナフィラキシー惹起誘導後の直腸温の変動,C : 全身性能動的 アナフィラキシーのスコア.Dunnett検定,またはTukey検定により有意差( <0.01)を認めたものにアスタリスクを付した.A : Glp19S
(H) およびグルテン (G) 経皮感作群は,Glp19Sに対するIgE抗体産生が有意に増加した.B : Glp19S (H) およびグルテン (G) 経皮感作群 は,全身性能動的アナフィラキシー惹起誘導後の直腸体温が有意に低下した.C : Glp19S (H) 経皮感作群は,全身性能動的アナフィラキ シーのスコアがグルテン (G) 経皮感作群よりも有意に高かった.アナフィラキシー反応のスコアは「症状なし」(スコア0)から「死亡」
(スコア5)までの6段階で評価した(13).A‒Cにおいて (V) はPBSを用いたコントロール群を表す.
A
<グルテン分子>
酸加水分解の進行 グルタミンを中心とする、脱アミド化感受性構造 グルタミン酸を中心とする、脱アミド化修飾後の構造
従来のコムギアレルギー患者のIgE抗体 HWP患者のIgE抗体 脱アミド化の影響を受けない構造
<Glp19Sはこれらの分解断片の混合物>
主鎖の開裂と 脱アミド化
B
<経口摂取したグルテン分子>
胃腸での消化の進行 グルタミンを中心とする、脱アミド化感受性構造 グルタミン酸を中心とする、脱アミド化修飾後の構造 脱アミド化の影響を受けない構造
消化管吸収後 のtTGによる
脱アミド化 従来のコムギアレルギー患者の
IgE抗体 HWP患者の
IgE抗体
この時点では 脱アミド化は 受けていない
4. HWPのプロファイル分析
HWPは,30分から1時間程度の部分的な分解条件に よって抗原性(感作性・惹起能)が顕著に増強し,さら に長時間分解を進めることにより,分子量の減少に伴っ て抗原性が減弱することが明らかになった.これらの知 見から,ある特定の加水分解条件によって生成されたHWP のみが抗原性を有することが示唆されたが,分子量以外 に抗原性の指標となるファクターは明らかにされていな い.そこで,われわれは強い抗原性を有するGlp19Sに のみ特徴的に観察されるペプチドの同定を目的とし,液 体クロマトグラフ質量分析計(LC-MS)を用いた網羅 的プロテオーム解析を行った(15)
.
Glp19S,グルテンおよび24時間の酸加水分解により 抗原性が消失したHWP(HWP24h)をトリプシン消化 した後LC-MSに供し,Progenesis LC-MS発現差異解析 ソフトウェアを用いて3サンプル間のMS1のピーク強度 を比較した.観測されたすべてのピークのうち,グルテ ンおよびHWP24hのピーク強度がGlp19Sのピーク強度 の1%未満であるピークを抽出し,それらの中から6本 のピークをGlp19Sに特徴的なペプチドとして絞り込ん だ.これら候補ペプチドピークについてMS/MS相同性 検索および sequencingを行った結果,高分子 量グルテニンや
α
/β
-グリアジンといったコムギ主要アレ ルゲンに由来する脱アミド化修飾されたペプチドが同定 された.HWP24hでは,酸加水分解の進行に伴い脱ア ミド化修飾およびペプチド結合の開裂が進んだために,Glp19Sにのみ特徴的に発現するペプチド由来のピーク が消失したと考えられた. sequencingはデータ
ベースに依存せず,MS/MS取得データのみにより配列 を予測するため,コムギ( )のようにプロ テインデータベースが完全に整備されていないケース や,Glp19Sのように酸加水分解によるペプチドへの非 酵素的な修飾が考えられる場合には,有用な情報を与え うる.本研究では,MS/MS取得データから断片的なペ プチド配列を予測し,その配列をデータベース検索およ び sequencingすることで,タンパク質を予測 するボトムアッププロテオミクスが非常に有用であっ た.これら同定されたGlp19Sに特徴的に観察されたペ プチドが,「抗原性を示すHWPの指標」となることを 確認するためには, による皮膚感作性試験との 整合性を十分に検討したうえで,加水分解条件の異なる HWPを用いた確認試験を行う必要があると考えられ る.
おわりに
今般のHWPを含有する洗顔石鹸の経皮感作によるア レルギーは,消費者の立場から見て,予期せぬ抗原暴 露,意図せざる感作によりアレルギーを誘発した事例で ある.大半の患者は当該石鹸使用時の接触性蕁麻疹の症 状は軽微であり,自分自身が気づかないうちにHWPに よる感作が成立していた.また,単一の製品で2,000名 を超すような患者が出た事例は,国際的にみてもこれま で報告がなく,社会的にも大きく注目された.HWPを 含有する洗顔石鹸によるアレルギーは,当該石鹸の使用 の中止によって病態が改善に向かう症例が多いことがわ 表1■Glp19Sにのみ特徴的に観察されるペプチド
No. /
(Da)
Normalized abundance Identification
method Sequence Description (Accession)
Glp19S Gluten HWP24h
1 652.821 50,890 191 297 MS/MS
ion search QYEQQPVVPSK High molecular weight glutenin subunit
[ ] (gi : 162415987)
2 500.759 37,989 9 309
sequencing TMYKPVVY
NADP-dependent malic enzyme 1
[ ] (ABY25986.1)
638 MYTPV 642 192 PVVY 195 3 486.297 32,003 176 134 MS/MS
ion search LVAVSQVVR High molecular weight glutenin subunity
[ ] (gi : 14329763)
4 763.804 27,374 120 194 MS/MS GGCQELLGECCSRPuroindoline-A OS=
GN=PINA PE=1 SV=2-[PUIA̲WHEAT] (P33432)
5 513.800 5,804 2 0 MS/MS
ion search NLALQTLPR NLALQTLPR
Alpha/beta-gliadin clone PW1215
OS=
PE=3 SV=1-[GDA6̲WHEAT] (P04726)
6 446.245 2,964 0 0
sequencing YRCYAFR WIR1[ ] (CAA61018.1)
70 YRCY 73 126 RCYAFR 131 アミノ酸修飾部位(Q, N:脱アミド化,C:カルバミドメチル化)を太字で示す.
かってきており(16, 17)
,この知見は,発症原因の明確な
認識と原因抗原暴露のコントロールにより食物アレル ギーの予後が改善できる可能性を示した.医薬部外品・化粧品の中には,特定の機能をもたせる ために,食品などに由来するタンパク質の加水分解物が 配合されている製品が市場に多く流通している.医薬部 外品原料規格2006によれば加水分解コムギ末以外にも,
加水分解コラーゲン末,加水分解カゼイン,加水分解コ ンキオリン液,加水分解シルク末,加水分解卵白等基原 由来のタンパク質に抗原性が疑われるものも数種存在す る.このような背景を鑑みれば,隠されたアレルゲンの 暴露によって食物アレルギーを発症する危険性は今なお 潜在的に存在すると言える.現在,国立医薬品食品衛生 研究所・医薬品医療機器総合機構では,同様な事例の再 発防止に向け,「加水分解コムギ末」の医薬部外品原料 規格の一部修正案を準備し,レギュラトリーサイエンス に立脚した公衆衛生の対応を鋭意推進している.今般の 事例を教訓とし,感作性の観点からは「抗原の暴露経路 や頻度」
,惹起能の観点からは「生体内代謝酵素による
抗原の物理化学的変化」を十分に考慮し,医薬部外品・化粧品などの安全性確保に資する知見を集積することが 重要である.
文献
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<プロフィル>
酒井 信夫(Shinobu SAKAI)
<略歴>1998年日本大学農獣医学部食品 工学科卒業/2000年同大学大学院農学研 究科博士前期課程修了/2003年千葉大学 大学院薬学研究科博士後期課程修了,博士
(薬学)/同年国立医薬品食品衛生研究所生 薬部研究員/2004年千葉大学大学院薬学 研究院助手/2006年国立医薬品食品衛生 研究所食品部研究員/2008年同代謝生化 学部主任研究官現在に至る.2009 〜 2011 年日本学術振興会海外特別研究員米国ハー バード大学医学部ブリガム&ウィミンズ 病院博士研究員<研究テーマと抱負>食品 の安全性および有効性に関する評価科学
<趣味>認定NPO法人ファミリーハウス,
公益財団法人がんの子どもを守る会の活動 を支援しています
中村 里香(Rika NAKAMURA)
<略歴>2004年名古屋市立大学薬学部製 薬学科卒業/2006年同大学大学院薬学研 究科博士前期課程修了/同年国立医薬品食 品衛生研究所機能生化学部研究助手/2010 年博士(薬学)/2012年国立医薬品食品衛 生研究所代謝生化学部研究官<研究テーマ と抱負>食品中のアレルゲンを中心とした プロテオミクス解析
中村 亮介(Ryosuke NAKAMURA)
<略歴>1995年名古屋市立大学薬学部製 薬学科卒業/2000年同大学大学院薬学研 究科博士後期課程修了,博士(薬学)/同 年国立医薬品食品衛生研究所機能生化学部 研究官/2005年同主任研究官/2007年同 代謝生化学部主任研究官/2013年同医薬 安全科学部室長<研究テーマと抱負>医薬 品などによるアレルギーのメカニズム解析 および診断・発症予測系の開発<趣味>合 気道
安達 玲子(Reiko ADACHI)
<略歴>1990年東京大学薬学部薬学科卒 業/1995年同大学大学院薬学系研究科生 命薬学専攻博士課程修了/同年国立衛生試 験所(現 国立医薬品食品衛生研究所)機 能生化学部流動研究員/1996年同試験所 代謝生化学部研究員/2006年国立医薬品 食品衛生研究所代謝生化学部室長,現在に 至る<研究テーマと抱負>食物アレルギー を中心とした,さまざまな物質による免疫 系に対する影響や免疫応答に関する解析
手島 玲子(Reiko TESHIMA)
<略歴>1977年東京大学薬学部薬学科卒 業/1979年同大学大学院薬学系研究科修 士課程修了/同年国立衛生試験所放射線化 学部研究員/1990年同試験所機能生化学 部主任研究官/2000年国立医薬品食品衛 生研究所機能生化学部室長/2007年同研 究所代謝生化学部部長/2013年同研究所 食品部部長<研究テーマと抱負>食品中化 学物質の検査法の開発,食物アレルギーに 関する研究,化学物質などの免疫毒性に関 する研究<趣味>音楽鑑賞