【国際シンポジウム特集・調査報告】
女性農業者(「かーちゃん」たち)の力を活かした 阿武隈地域の復興
塩 谷 弘 康
は じ め に
現在,福島大学は,被災地における拠点大学として,各学類,災害復興研究所,うつくしまふく しま未来支援センターなどが,さまざまな復旧・復興支援策を展開しているが,その一つに,福島 大学小規模自治体研究所(プロジェクト研究所)が,2011年10月に立ち上げた「かーちゃんの力・
プロジェクト」がある。このプロジェクトは,一言でいえば,「阿武隈地域から避難してきた女性 農業者(「かーちゃん」たち)による被災地復興の取り組み」であり,被災者自身が主役であると ころに最大の特徴がある。
本報告では,この「かーちゃんの力・プロジェクト」が誕生した背景,内容,成果と課題,今後 の展開などについて紹介し,被災地復興のあり方を考える一助としたい。
1. 「かーちゃんの力・プロジェクト」実施の背景
(1) 阿武隈地域と「女性農業者」
阿武隈地域は,福島県の東部,浜通り地方と中通り地方の間に位置し,阿武隈山系と八溝山系に わたる南北約100 km,東西約40 kmという広大な地域(面積4,168 km2)で,関係市町村は27(10 市11町6村)を数える。ほとんどが標高200〜700 mの丘陵地で,森林と高原がなだらかな地形 を形づくっている。夏は涼しくしばしば「ヤマセ」に襲われる。雪は少ないが,冬の冷え込みは厳 しく,それが「凍み文化」と呼ばれる独自の食文化を生み出してきた。
農業は,かつては米や畜産のほか,葉タバコ,コンニャクなどの工芸作物,養蚕などが盛んだっ たが,工芸作物や養蚕は大きく後退して,気候を活かした花卉,野菜の栽培が行われている。製造 業や観光業の規模は小さく,所得水準は低位で,県内では,奥会津地域と並ぶ過疎・中山間地域で ある。
しかし,過疎・高齢化が進み,地域経済が低迷するような状況の中でも,近年,女性農業者が中 心となって,地場食材を活かした農産物加工や直売に取り組む事例が数多くみられる。また,首都 圏からも比較的近く,里山風景が広がっており,グリーンツーリズムの適地であることから,農家 民泊や農家レストランも展開されてきた。女性農業者には高齢者が多いが,彼女たちは地域づくり の原動力であり,彼女たちにとっても女性起業は,商売を超えた「生きがい」であり農村における
「自立」の象徴でもあった。
(2) 原発被害の実態
東日本大震災の激しい揺れと巨大津波によって,東京電力福島第一原子力発電所はコントロール 不能の状態に陥り,ベント,水素爆発などにより,大量の放射性物質が放出された。その多くは太 平洋側に降下したと見られるが,3月15日と21日には,風に乗って東北から関東にかけて広範囲 に拡散し陸地に降下・沈着した。
3月11日,政府が半径3 km圏内に避難指示,3〜10 km圏内に屋内退避指示を出した。翌12日 には,半径20 km圏内まで避難指示が拡大された。さらに,3月15日に,政府は半径20〜30 km 圏内に屋内退避指示を,3月25日には自主避難要請を行った(実際には,指示が出される前に,
県内外に集団避難・自主避難したケースが多い)。
政府は,原発からの距離に応じて同心円状に放射能汚染が進むと想定していたが,風向きや降雨・
降雪,地形の影響を受け,原発から北西に向かう地域が,放射能によって高濃度に汚染された。4 月22日,「警戒区域(半径20 km圏内立入禁止)」,「計画的避難区域」,「緊急時避難準備区域」が 設定され,県土の約15%,県民の約10%が住んでいた地域が,居住制限地域となった(緊急時避 難準備区域は9月30日に解除)。こうして原発が立地する浜通りや阿武隈地域の12の市町村の住 民は,故郷を追われ県内外での避難生活を余儀なくされることになった。
町村によって,避難先や居住形態はさまざまであるが,たとえば,全村が計画的避難区域に指定 された飯舘村の避難状況は,次のようになっている。仕事や学校などの都合上,一つの家族が県内 と県外,あるいは県内数か所に分かれて住むようになったケースも少なくない。
○ 現住人口6,177人−避難者6,164人=未避難者13人(8世帯)
○ 県内外の避難状況
村内………未避難13人・8世帯,いいたてホーム106人・106世帯 県内………5,514人・2,283世帯
県外(北海道から沖縄)………530人・288世帯,
外国(中国,韓国,フィリピン)………14人・12世帯 ○ 居住形態
仮設住宅(9箇所)………589世帯 公的宿舎………214世帯
県借上げ住宅等………1,494世帯 ○ 地域別世帯数
福島市914世帯,伊達市178世帯,川俣町145世帯,南相馬市120世帯,相馬市30世帯,
その他107世帯
飯舘村災害情報サイト「村民の避難状況について」(http://www.vill.iitate.fukushima.jp/saigai/?
p=1693)より
2. 「かーちゃんの力・プロジェクト」の概要
(1) 発端と背景
プロジェクトは,昨年7月,報告者の同僚がウクライナ出身の歌手のコンサートを企画し,その 実行委員会の昼食に,警戒区域及び緊急時避難準備区域に指定されていた川内村の女性農業者N さんの作った惣菜をケータリングで利用したことが発端になっている。報告者もご相伴に与ったが,
震災以降,レトルト食品やコンビニ弁当中心の食事だったこともあり,凍み大根の煮物は,心に沁 みてホッとする味だった。それとともに,Nさんがいまどこに避難してどんな生活を送っているの か気になり,連絡をとって避難先の泉崎村を訪ねてみることにした。
特産の凍み餅をお茶うけにいただきながら話をうかがった。Nさんは,いわき市の道の駅でソバ を提供するなどしていたが,津波で道の駅が大きな被害を受けていた。だが,あきらめず別の町に 土地を借りてソバを育てながら,時折,村に戻って冷蔵庫や冷凍庫に保管してあった材料を使って 料理を提供しているとのことだった。しかし,村の将来や農業に対しては,「帰還できたとしても 人の口に入るものは作れないのではないか」「景観作物や燃料用作物をつくるしかないのではない か」という厳しい認識をもっていた。
ちょうど同じ時期,大学の近くの工業団地用地に飯舘村の仮設住宅が建設され,次第に入居が始 まっていた。そこでも避難者からお話をうかがう中で,避難先で農作業をやりたいと考えている方 が少なくないことを知った。故郷から追われ,農地から切り離された避難者・被災者の方々をなん とか支援したい,という思いを強くした。
8月以降,「かーちゃんの力・プロジェクト」を具体化していったが,それを可能にした要因が いくつかある。
第一に,福島大学には農学部は存在しないが,「農」や「食」を通じた地域づくりの実践的な経 験があったことである。たとえば,経済経営学類の学生・教員は「福島市屋台村いなGO」や「福 大まちづくり株式会社 Marché F(マルシェ・エフ)」を立ち上げ,南会津町や葛尾村の農産物特 産品の販売を通じて,地域づくりを支援してきた。また,二年前からは,行政政策学類の学生・教 員は,大学がある福島市松川町金谷川地区の地域づくり団体「金谷川活性化委員会21」とともに,
大学隣接遊休農地の復活・再生事業(Uプロジェクト)に取り組んできた。
第二に,阿武隈地域には,合併を選択せずに魅力的な地域づくりを行っている小規模な自治体が 多く,教員は個人としてグループとして,阿武隈地域の各町村と深く係わってきたことである。た とえば,十数年来,村づくりに係わってきた教員もいれば,学生や院生を連れて実習に訪れる教員 もいた。研究,教育,地域連携の各方面で阿武隈地域の町村と係わり,その過程で,女性農業者と
「顔の見える関係」をつくってきたことが,プロジェクトを展開するための礎になったと考えられる。
(2) プロジェクトの理念
このプロジェクトでは,食と農を通じた地域の復興・再生を基本理念に,「女性農業者の経営の 自立」と「コミュニティの再生」を両輪にしながら,① 阿武隈地域の復興・再生,② かーちゃん
のネットワークづくり,③ 新しい生産・流通・販売システムの形成,④ 健康,安全・安心,⑤ 新しいコミュニティづくり,を目指している。
① 阿武隈地域の復興・再生
阿武隈地域の復興・再生は,プロジェクトの最終目標である。長期にわたる放射能汚染という未 曾有の災害の中で,どのような地域の復興・再生が可能か,その「正解」が見つかっているわけで はない。しかし,被災者・避難者自身が立ち上がらなければ,そして,被災者・避難者一人ひとり の復興・再生がなければ,地域の復興・再生もあり得ないのではないだろうか。プロジェクトでは,
まずは女性農業者が元気を取り戻して,避難者を元気づけることによって,地域全体が復興してい く,「正の連鎖」を期待している。
② かーちゃんのネットワークづくり
プロジェクトで最初に取り組んだのがネットワークづくりである。女性農業者は,現在,県内外 にバラバラになっておりその行先や現状が分からない人も少なくない(自治体は行先を把握してい るが,個人情報は開示しない)。そこで,口コミで女性農業者の居場所を探し出し,力と知恵を結 集してこの難局を乗り越えていこうと呼びかけてきた。
③ 新しい生産・流通・販売システムの形成
従来は,地元で生産した農産物を使い,地元で加工し,それを道の駅や直売所で販売したり,農 家民泊,農家レストランなどで利用するという「地産地消」を実践してきた。しかし,農地,加工 施設,直売所を失い,今後,以前と同じスタイルで生産・加工・販売を行う目処はたっていない。
こうした状況の下では,県内外の生産者や消費者と結びつきながら,新しい生産・流通・販売シス テムを形成していく必要がある。
④ 健康,安全・安心
福島県の土壌が広範囲に放射能によって汚染されるなかで,農産物加工品を製造・販売していく ことはきわめて困難である。もともと,女性農業者たちは,農薬や化学肥料の使用を控え身体にや さしい食品を提供してきた。そこで,1 kg当たり20 Bq以下という国の基準(暫定規制値は500
Bq,新基準値は100 Bq)よりはるかに厳しい独自基準を設け,それをクリアしたものだけにプロジェ
クトのロゴマークをつけて提供していく。
⑤ 新しいコミュニティづくり
避難者の間でも,仮設住宅と民間借上げ住宅に住む者の間には,情報や支援の格差がある。また,
避難先の地元住民との間で,必ずしも良好なコミュニケーションがとれていない地域もある。プロ ジェクトでは,「食」を通じたイベントや交流を通じて,新しいコミュニティを形成することを目 指している。
(3) プロジェクトの展開
2011年10月,福島大学小規模自治体研究所は,「福島県緊急雇用創出モデル事業」の助成を受 けて,女性農業者を含む女性3人をコーディネーターとして雇用し,大学近くの空き店舗だった「あ ぶくま茶屋」を拠点施設として,プロジェクトを立ち上げた。
最初に取り組んだのは,コーディネーターが県内各地の避難先(仮設住宅,民間借上げ住宅)に
女性農業者を訪ね,それぞれの避難生活や想いについて話を聴くことだった。女性農業者の状況は 各人各様であり,落ち込んでいて元気がでないと言う方もいたが,震災から半年を経過して,「支 援をもらってばかりではダメだ」「もう一度何かをつくりたい」という想いをもっている方も少な からずいた。
そこで,この想いを形にするために,まずはできることからやろうと,「結もちプロジェクト」
を企画した。「餅」を選んだのは,阿武隈地域には餅文化があること,調理器具が揃っていなくても,
また,保健所の許可を取らなくても製造できること,お正月の需要が見込めたこと,などによる。
12月17日・18日の両日,あぶくま茶屋と二本松市及び三春町の2か所の仮設住宅で,餅のふる まい,切り餅と漬け物の販売を行い,大盛況だった。このプロジェクトには,「までい工房美彩恋人」
(飯舘村),「つしま活性化企業組合」(浪江町),「いきいき促進交流協議会」(葛尾村),「葛尾じゅ うねん企業組合」(同前)などのメンバーとして,長年,阿武隈地域の町村で活躍していた女性農 業者が参加し,また,避難先の地域住民からも大きな支援を得ることができた。
写真1 「結もちプロジェクトの様子」(2011年12月17日,三春町貝山応急仮設住宅)
写真2 「福幸焼きプロジェクトの様子」(2012年3月14日,二本松市安達運動場応急仮設住宅)
2012年1月,農林水産省「食と地域の絆づくり被災地緊急支援事業」の採択を受けて,女性農 業者十数名が集まって,「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」を結成した。コーディネーター と女性農業者は,各種の研修(六次産業化,地域づくり,放射能測定,弁当づくり)を受けながら,
新商品開発や販路拡大に取り組んでいる。また,その際には,避難者から阿武隈地域の伝統の味に ついてヒアリングを行い,商品開発に活かすようにしている。
3月4日・5日に,NPOコミレスネット(三重県四日市市)の支援を受けて,第2弾プロジェク ト「福幸焼きプロジェクト」を二本松市及び三春町の仮設住宅で実施した。
そして,2011年度のプロジェクトの総括として,3月24日,福島県男女共生センターの協賛を 受け,同センターでシンポジウム及び試食交流会を開催した。
3. 成果と課題
(1) 成果とその要因
プロジェクトを立ち上げてから半年足らずであるが,いくつかの成果が上がっている。
第一は,女性農業者たちが元気になり笑顔を取り戻してきたことである。加工品をつくりそれを お客さんに喜んで買ってもらうときの彼女たちの表情は実に生き生きしている。また,いままで女 性農業者たちは,それぞれの小グループや個人ごとに活動してきたが,町村の枠を超えて,施設や 設備を共用しイベントを一緒に行うことで,お互いの経験を学び合う関係が築かれている。
第二は,地元NPO,住民団体,農家からの全面的な協力を得ることができたことである。放射 能被害を受けているのは程度の違いはあれ,福島市などの避難先の住民や農家も同じである。結も ちプロジェクトには,地元の農家も参加して,農産物の安全・安心をPRした。今後,避難先で活 動を進めていくうえで,良好な関係をつくることが不可欠である。
第三に,新聞,テレビ,ラジオなどのマスコミ等を通じて,プロジェクトの存在が広く知られる ようになったことである。福島県では,避難者・被災者自身による地域復興の取り組みがまだそれ ほど多くないためか,取材がひきも切らない。そのため,仕事が手に付かないこともあるが,全国 各地にプロジェクトに対するサポーターが生まれてきたことは大きな収穫である。震災や原発事故 は負の遺産でしかないが,それをきっかけに生まれた繋がりは何にも代えがたい価値がある。
(2) 課題
一方,課題は山積している。
第一に,農地,加工所,販売所などのすべてを失ってしまった女性農業者にとっては,知恵と技 術と経験があるといっても,ほとんどゼロからのスタートである。たとえば,震災以前であれば,
自家野菜の余りを使って漬け物をつけていたものが,現在,原材料の購入から始めなければならな い。凍み餅をつくろうとしても気候条件が合っていなかったり,空間線量が高い地域では屋外に干 すことができなかったり,圧倒的に不利な条件の中で,もう一度自立経営を実現していくには,相 当な支援が必要である。現在,国・県や民間の助成金を申請したり,寄附金を集めたりしながら,
プロジェクトを進めているが,自立経営が実現するまでの道のりは険しい。
第二に,避難先の住民や住民団体との関係は良好であるが,自治体との関係が課題になっている。
たとえば,女性農業者の出身地と避難先とでは管轄する県の機関が異なるため,以前であれば入手 できたような情報が得にくくなっている。また,避難先自治体にとっては,避難者は生活している にも拘わらず「住民」ではないため,支援の直接の対象にならない。さらには,避難自治体は早め の帰還を目指しているため,避難先での活動に対する支援が消極的になりがちである。
第三に,女性農業者のプロジェクトへの係わりと組織のあり方である。一言で農産加工と言って も,もともと作っていたものも違えば,その規模ややり方も異なる。ある女性は「生きがい」とし て,ある女性は「生活の糧を得る」ために,係わってきた。また,女性農業者の避難先は複数の自 治体にまたがり,今後の故郷への帰還の可能性や時期,意思はまちまちであると考えられる。こう した多様な女性農業者がいる中で,一人ひとりの想いを大切にしながら,プロジェクトを進めてい くことが求められているのである。
最後に,放射能検査体制の整備である。健康,安全・安心をモットーに,1 kg当たり20 Bqとい う独自基準を設定しており,放射能測定が欠かせない。しかし,民間機関に依頼すると一検体3,000 円の検査料がかかり,大きな負担になっている(行政機関は無料であるが,商品は対象外であり,
証明書も発行されない)。今後は,地元の住民団体とともに,「あぶくま茶屋」に放射能測定器(ベ クレルモニター)を設置して自分たちで測定する体制を整える予定である。
4. 今後の展望
プロジェクトでは,3年後の自立経営を目標にして,かーちゃんの店を開き,そこを拠点にキッ チンカーを走らせ,「故郷の味」を県内外に届け広めていくことを構想している。そして,2012年 度は次の事業に取り組んでいく。
① 「あぶくま茶屋」での加工品,惣菜・弁当の製造・販売
厨房や調理施設・設備を充実させ,新たに,惣菜・弁当の製造・販売に取り組む。現在,仮設住 宅には多くの高齢者が暮らしており,その健康維持の観点から,惣菜・弁当に対するニーズが高い と考えられる。
② 避難先での農産加工品づくりの支援
女性農業者たちの避難先は複数の自治体にまたがっており,常に「あぶくま茶屋」に集まって作 業ができるわけではない。避難先の身近な場所で農産加工品づくりができるように,避難先自治体 にも協力を要請する必要がある。
③ 原材料の供給体制の確立
地元農家の協力を得て,加工品,惣菜・弁当の原材料となる農産物を安く安定的に確保する。ま た,自分たちで作付する農地を確保し,栽培の委託先を開拓する。
これ以外にも,④ 県内外でのイベント開催・参加,⑤ 福島市中心市街地での拠点づくり,⑥ 販売網の整備・確立,⑦ 放射能検査体制の整備などに取り組む。
おわりに―大学が震災復興に果たす役割
「かーちゃんの力・プロジェクト」の主役は,前述したように被災者・避難者である女性農業者 自身であるが,大学が果たす役割もけっして小さくはない。今回,プロジェクトに携わってみて,
教員各自がもっている知識の深さや人的ネットワークの広がりを実感することになった。大学は,
通常の地域連携においてもそうであるが,震災からの復興・再生においても,人,物,情報をつな ぐ「結節点」としての役割を果たしていけるのではないだろうか。
もう一つ,大学の役割としては,学生の力を活かした復興支援がある。プロジェクトにも多数の 学生がボランティアとして係わっているが,それだけではなく,各人の「学び」に役立ててほしい と考えている。女性農業者は60〜70歳代が中心であり,今のままでは食の伝統・文化が急速に失 われる危険性がある。そこで,伝統の味のヒアリング調査を行いレシピを聴き取ったり料理講習会 を開催したりすることによって,阿武隈地域の文化を次の世代に伝えていくことができる。
大学と被災者との間に「支援する=支援される」という関係ではなく,「お互いさま」の関係を つくることが,これから長期にわたるであろう復興の継続的な取り組みを可能にするのではないだ ろうか。