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定藤丈弘を支え続けた思い

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KSK(J第÷種郵†更物虚I11<サロン・あべの>通巻4041り2003隼4ノ】1り=  

定藤丈弘を支え続けた思い  

九九.咋九‖︒.‖第.■.椰郵便物溜可 ︵毎‖発り︶  

え続けた思い−というタイトルで  

お話をお伺いしました︒   朝からあいにくの雨模様となっ  

た平成15年3月15日︵土︶午後1時  

〜4時︑育徳コミュニティーセン  

ター2階の研修室    ︵サロン・あべの︶ 3月の出会い  

−受傷・復職・結婚−  

先生が事故に遭われたのは1   で︑ ︵サロン・あべ  の︶ 3月の出会いが  開催されました︒サ  ロンに不定期に出会  いを持ってくださっ  ていた故定膝丈弘先  生︵大阪府立大学社  会福祉学部教授︶ の  奥様︑定膝邦子さん  ︵写真︶ をお迎えし︑  ﹁あの目からの車い  す﹂−定膝丈弘を支  

976年12月のこと︒先生の  

乗った車とタクシーの衝突事故  で︑先生は頚椎損傷を負い︑上下  肢まひの幸いす生活を強いられ  ることになる︒当時先生は33歳︒  邦子さんはまだ学生で︑先生が  事故に遭われたと聞き︑友人と  3人でお見舞いに出かけられた︒  事故のショックで︑障害の受容  など︑まだできていない時期  だったので︑今まで学校で見て  いたかっこいい先生とは全く  違った姿を見ることになり︑友人  3人共々落ち込んで帰途につい  た︒それでも︑次に会った時には︑  もう明るい先生に戻っておられ︑  その強い精神力に驚かされた︒   

﹁もし先生が事故に遭われなけ  

れば︑ただの先生と生徒の関係  

で終わっていました︒皮肉なよ  

うですが︑事故にあったおかげ  

で一緒になれたし︑20年間充実  

した生活が送れたと感謝してい  

ます︒﹂  

(2)

KSK(J第三確郵便物卦tl<サロンーあぺの>通巻4041り2003咋4Jj191l   

後ろを振り向かず︑それなり  

に可能性のある方向に目を向け︑  

復職を大きな目標にリハビリが  

続いた︒今から25年ほど前の話  

になるので︑重度の障害を負っ  

た人が社会復帰を果たすことは  

今以上に困難だった︒職場が社  

会福祉関連の大学だったことは  

とてもラッキーなことだったが︑  

なによりも本人の強い意志が復  

職へのさまざまな壁をひとつひ  

とつ壊していった︒   

﹁とにかく︑性格が﹁しつこい﹂  

んです︒あきらめが悪いという  

のか⁚︒でも︑くじけることな  

く︑常に明るく前向きな姿には︑  

どんどん惹かれていきました︒﹂   

結局︑先生は受傷後10か月と  

いう異例の早さで職場復帰を成  

し遂げた︒当初は病院から大学  

に通い始めたと記憶している︒   

やがて︑先生の介護は他の人  

には任せたくない︑という思い  

も芽生えてきた︒反対していた   87年︑先生はサンフランシス  

コ郊外にあるカリフォルニア州  

立大学バークレー校に留学した︒  

アメリカの自立生活運動を研究  

するためだった︒自立生活思想  

というのは ﹁人の手を借りてで  

も︑自己決定のできる障害者は  

自立している﹂というもの︒人の  

手を借りずに︑自分の服を着替  

えることに1時間の時間を費や  

すよりも︑人の手を借りて15分  

で着替えを済ませ︑残りの45分  

を自己実現の時間に充てる︒日  

本ではまだまだ浸透していない  

思想だった︒バークレーという  

街では︑障害者に社会参加の機  

会がハード面でもソフト面でも  

至る所に用意されていた︒そこ   両親も︑先生に会い︑その人柄を  尊敬してくれ︑78年10月︑結婚式  を挙げた︒  

−アメリカへの留学−   で出会った障害者は︑運動しな  がら研究もする︑という日本で  はあまり見られないスタイルの  研究者が多かった︒先生もかな  

り影響を受けたようだった︒自  

己決定と自己管理の大切さを身  

をもって体験した留学だった︒   

帰国後︑留学中のアメリカで  

制定が進められていた ﹁障害を  

持つアメリカ人法 ︵ADA法︶﹂  

の草案を日本に紹介したり︑運  

動にも積極的に関わりを持つよ  

うになっていった︒   

﹁自分がもし夫よりも先に死ん  

だら︑夫は生活できないだろう  

と思っていましたが︑留学後は  

﹁大丈夫だ﹂と思うようになりま  

した︒それほど留学前と留学後  

で夫の意識は変わったのです︒  

その分︑私に対する気遣いも薄  

れたような気もして︑もう  

ちょっと大切にしてくれてもい  

いのに︑と思うこともありまし  

たが・・︒﹂    電動車いすに乗るようになり︑  地下鉄にエレベーターがついて  からは︑先生は一人で外出され  ることもたびたびあった︒   

﹁忙しくて時間がない︑と言い  

ながらも︑梅田まで行って︑本屋  

さんや行きつけのお寿司屋さん  

に寄り︑帰ってくるんです︒車い  

すの後ろにおみやげをくくりつ  

けて⁚︒うれしかったです︒夫  

にとっても︑いい息抜きだった  

のでしょう︒一人で出かけると︑  

いろんな人の親切・優しさに触  

れ︑それもうれしかったようで  

す︒﹂  

亡くなる前のころは ﹁社会福  

祉基礎構造改革﹂ のことをかな  

り気にかけていた︒措置制度が  

利用制度へと移行することによ  

り︑自己責任ばかりが強調され︑  

本当に必要な人へのサービスが   1夫への思い−  

(3)

KSKQ第{確郵便物遜‖J<サロン・あべの>通巻4()41号2U O:う咋4J】191】  

後退するのではないか︒今︑やは  

りそのような状況が起きてきて  

おり︑先生の危倶は少なからず当  

たったようだ︒   

﹁研究活動︑大学の仕事︑学生  

への教育︑当事者としての運動︒  

夫はいろんなことに本当に真面  

目に一生懸命に取り組んでいま  

した︒もう少しゆっくりしていた  

ら︑もっと長生きできたのかな︑  

と思うこともあります︒でも︑そ  

れができない人だったし︑それで  

後悔はしていないと思うんです  

が︑私としては︑もうちょっとえ  

えかげんに済ませてもよかった  

んじやないかなあ︑とも思いま  

す︒﹂  

お茶とお菓子をいただき10分  

間はどの休憩の後︑参加者からの  

質問や定藤先生との思い出話な  

どに花が咲きました︒  

邦子さんのお話の中には︑ご自   したか﹂という質問には  ﹁介護は体力的にはしん  

どいときもありました  

が︑あまりにも日常化し  ていたので︑特に意識す  ることはなかったかも﹂  というお答え︒障害を  持っていてもいなくて  も︑好きな人もいれば嫌いな人  もいる︒障害があることが︑好き  嫌いや結婚を妨げる理由にはな  らなかった︑と力強く︒   

﹁結婚前にはもっと包容力があ  

ると思っていた﹂︑﹁明るいと  

思っていたのに︑案外無口で会  

話が弾まなかった﹂など︑結婚後  

に誰もが経験するご夫婦の様子  

も語ってくださいました︒邦子  

さんのストレス解消法は︑とに  

かく胸の内にためずに︑何でも   身の苦労話はほとんど含  まれていませんでした︒  ﹁ご夫婦間で︑障害はど  のように意識されていま  

思ったことを言うこと︒そのと  

きはけんかになっても︑そこは  

夫婦︒わだかまりを持つことは  

なかったそうです︒   

先生は︑とにかくはめ上手な  

人でした︒先生にほめられてそ  

の気になったり︑自信を持った  

り⁚︒ この会場にもそんな人が  

何人もいました︒邦子さん臼く  

﹁夫は︑お世辞でそう言ったん  

じゃなくて︑本当に心の底から  

そう思って言ってるんです﹂︒人  

目 時=5月25日(日)  

開場14時30分開演15時   会 場=森ノ宮ピロティホール   出 演=奥田真舐美  

松岡智子   近藤はるみ   川し」洋子   シャンソン評論家永田文夫   演 奏=西川真グループ  

曲 目=・愛の賛歌  

・恋心  

・サン・トワ。マミー  

・さとうきび畑 他   入場料=前売¥4500  

当日¥5000(全自由席)  

お問い合わせ先=  

TEL・FAXO6−6692−8774  

(奥田真弘美音楽事務所)  

を育てることが上手な先生でし  

た︒いろんな場所で︑先生に育て  

てもらった人たちが大きな花を  

咲かせ︑実を結んでいくことだ  

ろうと思いました︒   

学問的に大きな功績を残した  

先生でしたが︑今日ここで︑甘い  

ものが好きだったり︑﹁邦ちゃ  

ん﹂ と呼んでいた等身大のやさ  

しい先生の思い出を皆さんと一  

緒に語れ︑こんな偲び方ができ  

てとてもうれしかった︑と話さ  

(4)

KSKQ第二種郵便物認可<サロン・あべの>通巻4041ii2003年4‖191】  

れた卒業生もいました︒邦子さ  

んも ﹁夫の事を話す機会を持た  

せてもらいとてもうれしかった﹂  

と結んでくださいました︒   

天国から︑先生の笑顔がこぼ  

定藤先生と私が初めて出会っ  

たのは︑1988年︑私が大阪府  

大の経済学部の1回生のとき︑  

夏の暑い中開講された一般教養  

の集中講義﹁障害者問題論I﹂に  

おいてでした︒先生が車いすで  

現れたときの衝撃は今も忘れら  

れないインパクトがありました︒  

れてきそうなあたたかい出会い 害者の生活支援とNPOの役  

となりました︒  

邦子さんは現在︑立命館大学 た20年間を土台として︑新たな  

の社会人向けの大学院で︑﹁障 スタートをきられた邦子さんの  

汗をかきながら車いすで講義を  

されている先生は︑当時大学に  

は入ったもののいまいち将来の  

目的と目標を持ちかねていた︑  

重度障害を持ち車いすの私に  

とっては︑まさに憧れの人と  

なった瞬間だったと記憶してい  

ます︒そして︑そのお姿は私に共  

感を与えるとともに将来に向け  

てのピジョンのようなものを与  

えてくれたと思います︒   

研究者となり教師となろうと  

いうその後の私の進路はまさに  

定藤先生のお姿がお手本だった  

ように感じています︒その後も  

ときどきお話を聞いていただい  

ていましたが︑1997年に私  

割﹂について論文を書かれてい  るそうです︒先生とともに歩い  は経済の大学院を修了し︑亡く  なられるまでの約2年の間︑定  藤先生に直接教授いただく機会  をいただきました︒   

定藤先生の冗談好きの快活な  

お人柄に間近で接することがで  

きた貴重な時間でしたが︑同時  

に障害者問題に関する研究に対  

する姿勢は真剣そのもので︑研  

究者の仕事の厳しさのようなも  

のを教えていただけたように思  

います︒私にとって定膝先生は  

障害者の先輩としても教師・研  

究者の先輩としても︑先生の後  

ろ姿を追いかけてきたといって  

も過言ではないように感じま  

す︒    姿にエールを送りたいと思いま  す︒   

参加者20名︑司会は原田博子  

︵まとめも原田︶  

2度ほどゼミ旅行に連れて  

行っていただきましたが︑私が  

最も印象深く覚えているのは︑  

定藤先生を本当にきめ細やかに  

お世話しておられた奥様の邦子  

さんのお姿と︑白浜アドベン  

チャーワールドのパンダ舎の前  

で︑座り込んで何か食べていた  

バンダに手を振りながらそのパ  

ンダの名前を大声で呼びかけて  

いた定膝先生のお姿です︒   

1999年1月先生が急逝さ  

れてからも思い出されるのは陽  

気な先生のお姿ばかりです︒  

もっともっと私たちを笑わせて  

ほしかったなといまだに思いま  

す︒  

(5)

KSKQ第三稲郵便物認可<サロン・あぺの>通巻4041号2003年4月191l   

実は︑私は ﹁定藤記念福祉研  

究会﹂という会のメンバーで︑1  

〜2か月に1回ぐらい定藤先生  

のお宅に集まり︑アコーディオ  

ンカーテンの向こうから先生が  

﹁やぁ﹂と出てこられそうなお部  

屋で議論などをしているので︑  

こんな表現はちょっとしらじら  

しい気もするのですが︑福祉と  

いうものが大きく変わっている  

なかで︑先生がおられたらどの  

ように考えられるのだろう︑と  

つくづく思うのです︒   

﹁地域福祉計画﹂という名前は  

多くの方がご存じだと思います︒   これは以前からあり︑定藤先生  もいろいろ研究や実践をされて  いたテーマなのですが︑社会福  祉法という法律に定められたた  め︑多くの市町村が今︑この計  画をつくりはじめています︒   

地域福祉というのは︑だれも  

が生活の場である地域のなかで︑  

自分が希望する生活ができるよ  

う支援することです︒そのため  

には︑いろいろな制度や公的な  

サービスが必要ですが︑地域自  

体が︑つまり地域で暮らす一人  

ひとりが︑自分自身も含めてす  

べての人がしあわせに暮らせる  

まちづくりを願い︑それぞれが  

できることをしていかなければ︑  

いつまでたっても実現できませ  

ん︒それをすすめていくために︑  

みんなで夢を描き︑住民は︑行政  

は︑福祉の仕事や活動をしてい  

る人たちは︑それぞれ何をする  

のかをいっしょに考えるのが地  

域福祉計画というわけです︒    政の人は何と  なく﹁地域福祉  は住民がする  ものですよ﹂み  たいに突き放  している雰囲  気があるし︑そ  の住民の方も  重度の障害者  が地域で生活  しようとして  いるというこ  とにはあまり  気づいていな   でも︑最近の福祉の動きは︑例  

えば︑介護保険になって特別養  

護老人ホームの順番を待ってい  

る人が増えたり︑この年末から  

年始にかけての障害者の地域生  

活支援に関する国の動きなどを  

みても ﹁ほんまに地域福祉をす  

すめる気があるんかいな﹂ と  

思ってしまいます︒地域福祉計  

画づくりのようすをみても︑行  

︵サロン・あぺの︶1991年10月の出会いで  

﹁社会福祉のクオリティ オブ ライフ﹂について  話をされる定藤丈弘先生   い︒そもそも︑そんな話し合いに  参加している障害者が少ない︵あ  べのの﹁地域の福祉環境を考える  会﹂ は別ですが︶︒   

定藤先生がおられたら︑きっ  

と先頭にたって﹁そうやない﹂と  

引っばっていただいただろうな︑  

とその姿が目に浮かびます︒そ  

れを勇気にやっていかなあかん︑  

と思う今日この頃です︒  

(6)

KSKQ第二縄郵便物題・IJ<サロン・あペの>通巻4041;∫2003咋4JJl‡=l   

今までは︑地域住民が声を上げて行って  

きたコミュニティガーデン活動について紹  

介してきましたが︑今回は行政機関が社会  

計画として行っているコミュニティガーデ  

ン活動として兵庫県芦屋市の南芦屋浜アー  

トワーク活動における県営・市営ナチュラ  

ルコモンを紹介します︒   

これはマサチューセッツ工科大学の田甫  

律子先生によって南芦屋浜団地に段々畑の  

イメージでデザインした二つのコミュニ  

ティガーデンです︒   

この活動自体は最初から完成したもので  

はなく︑阪神・淡路大震災の被災民の方々が   仮設住宅から転居されており︑芦屋市で一  番高齢化率が進行してきた南芦屋浜の住民  がアートワークを行う中で新しい地域の連  帯感が完成するように目指しています︒   

実際にくわ入れのお祭りをしたのは5月  

中旬でしたが︑去年の10月からボランティ  

ア団体が主催するナチュラルコモンのワー  

クショップを行っており︑そのことについ  

てレンゲ通信という機関誌を発行していま  

す︒   

1998年の5月17日にくわ入れ式を  

行って︑二つのコミュニティガーデンは南  

芦屋浜の住民から組織している運営委員会 が結成 

されて︑運営されています︒一つは兵  

庫県営であり︑もう一つは芦屋市営です︒   

その当時はこのアートワーク活動は雑誌  

の記事になっているはど注目をあびている  

し︑収穫祭が成功したものの︑実際起きてい  

る問題として日常的な活動を行う人が特定  

の人に固定していることが起きているので︑  

活動の参加者を幅広く呼びかける必要があ  

りました︒   

また︑管理を同好会の活動から自治会の  

活動にしようとすると︑活動メンバーの人   数が減少している問題が生じてきました︒  そして︑地域の花好きのおばあちゃんが活  動の中心者となって行い始めると活動が活  発になってきました︒   

最近の記録を読んでみると︑1998年  

4月以来︑ミーティングや︑5月以降の土起  

し︑たい肥の散布︑水やり︑苗の買い出し等  

とかなり苦労している中で楽農活動を営む  

上での本当に様々な作業が︑住民同士で協  

力して行われており︑1999年7月に楽  

農活動が団地の自治会内部の一組織 ︵園芸  

部など︶として正式に承認され︑それ以降緩  

やかな活動が持続されています︒   

2000年8月で参加しているメンバー  

は県営市営合わせて30人前後︒楽農活動に  

参加資格のようなものはありません︒また  

活動形態も ﹁皆で話し合って決定する﹂ と  

いった︑とても基本的な約束事があるだけ  

で︑非常に緩やかな活動形態がとられてい  

ます︒   

今︑楽農倶楽部は二つのだんだん畑ごと  

に︑市営の楽農倶楽部﹁だんだん畑園芸クラ  

ブにこにこ﹂と県営の楽農倶楽部﹁陽光農園  

クラブ﹂ に分かれて運営されています︒  

(7)

KSKQ第∴稲倒使物盟=J<サロン・あべの>通巻4041り2()0:一年4ノj19Ⅰ】   

知人のHさんは毎週月曜日の夜、私のお   世話をするためにきて下さる。彼女はまた   某新聞社のお仕事をされたり、友人の花屋   さんのお手伝いもされている。   

う珍しい花を持ってきて下さった。白い/ト   花をつけた「山帰来」を眺めていると、私   はなぜか全国を漂泊する僧が行く先々で、  

法話をしている姿を想像していた。この花   Hさんは毎週月曜日  

の午前5時頃に友人と   車で近くの花市場まで   いろいろな花を仕入れ   に行かれる。そして仕   入れた花の中から数本  

を選んで夜、わが家ま   で持ってきて下さるの   である。   

ちょうど「大寒」の1  

月2 0日に菜の花を   持ってきて下さったの   で私はびっくりした。  

は蔓性低木で、中国や   インドに自生してい   る。   

この他にもカーネー   ション、マーガレット、  

かすみ草、ガーベラ、ア   ルストロメリア、ヒヤシ  

ンスなど、数え切れない   程たくさんの花を持っ   てきて下さっている。た  

とえ1輪の花でも殺風  

はな 景な部屋を肇やいだ雰   囲気に変え、人の心もな  

晴れのち晴れ55  

花の定期便  

稲垣恵雄  

なぜならば菜の花は春の花で、4月頃にし   か咲かないと思っていたからである。でも   Hさんに「菜の花の別名を寒咲花というの   で、寒の内に咲くのですよ」と聞いて私は   納得した。  

さんきらい    2月のはじめ、Hさんは「山帰来」とい  

ごませてくれる。   

これからはだんだん暖かくなり、花の美   しい季節を迎える。それだけにHさんが毎   週、どんな花を持ってきて下さるのか、大   いに楽しみである。  

(8)

KSKQ第三種郵便物認可くサロン・あぺの>通巻4041号2003年4ノ】19L】   

宮崎俊輔﹃北朝鮮大脱出⁚地獄からの生  

還﹄︵新潮社︶という本がある︒文庫本で小  

さな本だが︑ところどころしか読む気にな  

れない︒内容があまりに辛く︑気が重く  

1.1▼・l■一  

価   なって本を閉じてしまうのである︒日本で  生れた著者が少年時に北朝鮮に渡り︑いか  に悲惨な人生を歩んできたかが善かれてあ  る︒   

しかし︑このような人生は地上において  

は稀なものではないだろう︒飢饉は現代で  

も世界各地で起きている︒しかも︑その地  

で差別されている人々は筆舌に尽し難い過  

酷な運命をたどっているのだろうと思う︒   

このような人たちの歩みを知ると︑自分  

が日常生活のなかで不満に思っていること  

など考えてみるのもバカバカしいことに思  

えてくる︒   

たとえば︑私は先日︑英語のテストを受け  

た︒四十をすぎて︑まだテストなんか受けて  

いるのかと言われそうだが︑海外で少し仕  

事をしようかと思っていることもあって自  

分の語学力を試してみたかった︒ところが︑  

英語の勉強にかなり時間もかけ︑お金もか  

けたのにテストの点数が思ったより︑ずっ   と悪かった︒私はがっかりした︒私には才能  がないのかと思った︒   

これが私の悩みであろうか︒悩みといえ  

ば︑悩みではある︒しかし︑飢餓で命が消え  

そうになっている妻子を目の前にして ﹁か  

ならず送金するから﹂と約束し︑その地を離  

れなければならなかった人と比べれば︑こ  

んなものは悩みでもなんでもない︒   

では︑はかに深刻な悩みがあるかといえ  

ば︑これといってない︒私は例外的に幸福な  

のだろうか︒私はそうは思わない︒私と同じ  

(9)

KSKQ第三稜郵便物認可<サロン・あべの>通巻4041号2003年4月19日  

くらい小さな悩みしかもたない人は多くいる  

と思う︒それに︑飢餓で苦しむ人々︑拷問を  

受け︑家族と生き別れになっている人々と比  

べれば︑たいていの人々のたいていの悩みや  

不満は消えてしまうと思う︒   

ただ︑こういう発想は﹁自分たちより悲惨  

な生活をしている人のことを考え︑自分の生  

活に満足せよ﹂と言い︑人々を抑圧してきた  

封建時代の支配者を連想させてしまうのか︑  

避けられることもあった︒より苦しんでいる  

∵ ∴ ∵■︻  

第3回「エコ縁日」  

=ささみみすさね  

あいにくの雨空の下、第3回目の  

「エコ縁日」が3月16日(日)午前11   時〜午後3時まで、大阪市阿倍野区   桃ヶ池公園内にある青年センター   で開催されました。子どもたちに   昔遊びの伝承や木工細工、絵本の   読み聞かせ、缶バッヂ作り、野外で  

は手作りパン焼きなど楽しい催し   物が各場所を使い、時間差であち   らこちらのコーナーで開催される   中、自然環境やゴミ問題を考える   会の展示などもありました。その   中の1室で〈サロン・あべの〉 はサ   ロングッズ販売のコーナーを設け、  

来場者にサロン活動のチラシを配   布したりしながら、いろいろな   方々との出会いを楽しみました。  

サロンと同じ部屋に缶バッヂ作り   のコーナーがありました。デジタ   ルカメラで写した顔写真を丸い   バッヂに作るのですが、その撮影   の時の子どもたちの顔やしぐさに   それぞれの個性や年齢差などが出   ていて、その可愛らしさは見飽き   ない姿でした。この子どもたちが   健やかに成長し、穏やかな日々を   おくれるようにと顕うと共に、「エ   コ縁日」が目指している真意が地   域の人達に広く伝わってくれるよ   うにと思わずにはおられませんで  

した。   (け)  

人の様子を自分の慰みにするという卑しい  

心情にも通じると思われたのだろう︒   

しかし︑自分が幸運であると思うことは︑  

必ずしも不運な人々を蔑む気持ちにつなが  

るとはかぎらないのではないか︒むしろ︑  

もっとも悲惨な生活を強いられている人の  

ことを思い︑自分の生活のなかの不満や不  

平を無くしていくことは︑自分の生活だけ  

に目を向けている姿勢を改めることにつな  

がる︒    不満を言ったり︑ささいなことに悩んだ  

りすることは︑たいていの人にとっては悪  

い意味で贅沢なことなのだろう︒命の危機  

にさらされている人々のことを︑どこか遠  

くの別の世界の出来事だと思わず︑自分と  

同じく痛みも感じるし︑苦しいとも思う人  

間だと認めることができたら︑私たちは一  

歩︑自分の穀のなかから出ることができる  

のだと思う︒  ︵知︶  

(10)

KSKQ第三種郵便物認FIl<サロン・あべの>通巻4041り2003年41J19t】  

暖かい春の陽気も感じる今日この頃︑お  

元気でお過ごしのことと思います︒いつも  

﹃サロン・あべの﹄紙をお送りいただき︑誠  

にありがとうございます︒また︑200号突  

破︑本当におめでとうございます︒   

私と冨田さんとの出会い︑さらには﹃サロ  

ン・あべの﹄との出会いは︑確か私が大学院  

生の頃でしたので︑今から川年くらい前で  

しょうか︒たまたま参加させてもらった大  

阪市杜協の講座か何かであったと記憶して  

います︒それ以来︑毎号欠かさず︑お送りい  

ただいているのですが︑残念ながら︑1度も  

サロンに足を運んだことがなく︑冨田さん  

との再会も果たせずにおります︒   

さて︑かくいう私も大学に勤務するよう  

になって丸7年が経ちますが︑この間︑山口   サロン紙の  

読み方・活用法  

中根 真   県︑広島県︑兵庫県の大学を転々とし︑自宅  も4回引っ越しました︒現在は天王寺区内  に住んでいますので︑近い将来︑是非サロン  に足を運んでみたいと思っています︒   

ところで︑毎号お届けいただく﹃サロン・  

あべの﹄紙ですが︑私なりの読み方や活用法  

を少しばかり勇気を出して告白します︒   

まず︑いつも真っ先に読ませていただく  

のは︑岡知史さん執筆のエッセイです︒短い  

文章ではありますが︑その中に様々な気づ  

きや発見があって︑ハッとさせられること  

が多々あります︒例えば︑昨年︑仕事で少々  

スランプに陥っていた時に救われましたの  

は ﹁飽きること﹂︵2002年9月︶です︒思  

わず︑そのコピーをシステム手帳や研究室  

のデスクなど︑日頃目につくところに貼り︑  

何度も繰り返し読ませていただきました︵感  

謝︶︒執筆者の岡さんとは全く面識はありま  

せんが︑同業者でいらっしやるせいか︑共感  

できる部分が多いのかもしれません︒今後  

も楽しみにしております︒   

また︑このエッセイを読んでいるのは私  

だけではありません︒仕事柄︑若い学生さん  

の様々な相談にのることがありますが︑内  

(11)

KSK(J第;穐郵便物題・り<サロン・あぺの>通巻4041り2UO3勺三41】191I  

容によっては︑﹁これ︵エッセイ︶を読んでみ  

て﹂と手渡し︑読んでもらうことで︑私がほ  

とんど語らずとも︑少し何かに気づいて  

帰っていく学生さんもいます︒研究室のソ  

ファーのそばに﹃サロン︒あべの﹄紙の綴り  

を置いていますので︑学生さんから﹁先生︑  

サロンーあべのって︑どんな所ですか?﹂と  

いう質問を時々受けますが︑先の事情で戸  

惑うばかりです︵苦笑︶︒   

というわけで︑何はともあれ︑私もそろそ  

●200号 あんな事、こんな話−かお  

「40歳を過きれば自分の顔に責任を持つ」と   いう言葉を聞いたのは遠い昔のことですが、  

「サロン・あべの」紙を発行して200号を越   えました。これからはサロン紙もそれなり   に責任を持てる「かお」になっているでしょ   うか。発行歳月としましては17年足らずで   すが、この号数を見ますと続けてこられた   歳月以上の重さを感じます。サロン活動に  

とりましてサロン紙はかけがえのない<サ   ロン■あべの>の「かお」であってほしいと   思いますし、サロン活動を知っていただく   ための名刺替わりに活用したり、障害者と   健常者の交差点であることをどこかで認識  

していただけたらとも思ったりしています。  

市内、何カ所かにあるサロンでも会報を発   行しているところがあります。それぞれの   思いが込められた前回の活動報告と寄稿記   事、それを表現している印字やレイアウト   にも各サロンの特色が見受けられます。い   ずれも作り手(編集者)の顔は見えませんが、  

そのサロンが持つ温かさは感じ取れます。  

その時、読み手は何を思うでしょうか。サロ   ンの出会いにいつも参加してくださってい   る方ならば、これはあの人が書いたと思い   ながら読み始めるでしょうが、まったく参   加しないで読んでくださっている方は、そ   れをどんな思いで読んでくださっているの   か気になるところです。サロン紙は障害者   のための会報でも健常者宛の情報誌でもな   いのです。無色透明で読まれる方が想い描   いてくださる「かお」がサロン紙の「かお」  

になるのだと思います。偏らない心で読ん   でいただくことがサロン紙にとって一番う  

れしいことです。   (け)  

ろ冨田さんとの再会︑そして︑サロンを実際  

に訪ねてみることが必要だということに改  

めて気づきました︒どんな方々が﹃サロン・  

あべの﹄紙の編集をなさっているのか︑毎月  

の﹁出会い﹂はどんな雰囲気なのかしら⁚︒  

などなど興味は尽きません︒ふらっと立ち  

寄りました際には︑どうぞよろしくお願い  

いたします︒   

今春より京都は伏見の龍谷大学に勤務す  

ることになりました︒ただ︑土曜日は9月頃   ﹁桃粟3年︑柿8年︑サロン・あべのは20  0号﹂は今回で終わりです︒たくさんのご寄  

稿ありがとうございました︒   まで毎週︑播州赤穂の関西福祉大学で非常  勤講師を務めますので︑﹁出会い﹂ への参加  は10月以降になるかと思います︒それでは︑  くれぐれもお元気で︑再会できる日を楽し  みにいたしております︒  

(12)

KSKQ第三種郵便物遥L・J<サロン・あべの>通巻4041号2003年4J)19口  

3月中旬︑大好きな土筆採りに︑田舎のあ  

ぜ道を歩きながら︑思わず口ずさんでいたの  

は ﹁つくしだれの子すぎなの子︑どての土  

そっと上げて︑つくしの坊やがのぞいたら︑  

そとはそよそよ春のかぜ﹂︒たしか︑私が小  

学校2年生の時の国語の教科書の最初にあっ  

た文章だったと思いながら︑辺りを見回す  

と︑60年前とどこかが違う田園風景なので  

す︒確かに何かが違うのですが︑それが何  

か︑にわかには分かりません︒あちこちに林  

立するビニールハウスはもちろん昔はなかっ  

た︒しかしそんなものではない︒何かが足り   麦を  踏まれながら   ない︒紀の国線の車窓から眺める春の田園  風景も何か足りない︒   

この思いを晴らしてくれた詩に出会った︒  

教育の現場から消えた  

作らなくなってから  麦を  

黙々と頑固に自分の道を 見せつける父親が  

家庭から消えた  

踏みつけられたり 暗い冷たい土の中で  

忍耐させられたり 嫌なことばかりだが  

麦の犠牲があったから 麦の精神が生きている   

私が漠然と感じていたのは︑春には必ず  

あった緑の色︑麦の色だった︒   

春の田園には︑冬に鍛えられた麦苗が勢  

いよく伸びていたのです︒   朝の詩  麦  千葉県白浜町保田洋子 ︵58︶  

食べなくなってから  

達しく育つ教えが  

今︑﹁じじばば﹂真っ盛り  

桜の季節となりましたが︑お変わり  

ございませんか︒   

﹁サロン・あべの﹂ 紙201号を拝  

受し︑私の便りを載せていただき恐縮  

しております︒   

﹁書の魅力﹂︒中西利香様のお話伺い  

ました︒エネルギッシュで好きな書道  

に励んでおられるご様子︑素敵です︒  

ますます頑張って漢字・かなと続けて  

くださいませ︒   

﹁植物あれこれ﹂ の ﹁じじばば﹂ の  

お話︑当地でも友人のご主人が丹精こ  

めて春蘭を育てておられ︑やはり﹁じ  

じばば﹂ といっておられました︒今︑  

いろいろな種類の春蘭を見せてもらっ  

ています︒そして︑4月の出会い﹁切  

手の魅力〜使用済み切手の行方〜﹂︑  

このお話︑興味津々です︒   

サロン紙を楽しみにしております︒  

よろしくお願いします︒お元気で⁚・︒  

東 百合子  

(13)

KSK(ほi隠郵便物題目J<サロン・あべの>通巻4041‡i2003年4ノ】191l  

いよいよこの4月から障害者の支援費制  

度がスタートします︒これまでいろんな福  

祉制度を使ってきた障害者のみなさんの手  

元には︑受給者証と呼ばれるものが送られ  

てきていることでしょう︒これを持って自  

分の好きなヘルパー派遣事業所などに契約  

出来たでしょうか︒中には︑4月になっても  

受給者証が間に合わず︑仮決定通知書で︑事  

業所と契約しなければならない方もおられ  

たことでしょう︒その受給者証に書いて  

あったサービス時間数や内容については納  

得出来るものだったでしょうか︒もし︑この  

内容について納得出来ない場合は︑時給量  

変更中詰も出来るはずです︒もし何か困っ  

たことや相談したいことがあれば︑どんど  

岳這岩   支援費制度について  

旬ということなのでトラブルが続出するこ  とが確実だと思われます︒   

利用者である障害者の私たちには︑支援  

費制度において自由な選択権が保証されて  

いる反面︑選択した責任も自分で取ってい  

かなければならないのですから︑何より自  

分自身が納得出来るサービスを選び︑より  

よい生活をしていきたいものです︒   

今後︑支援費制度の問題や課題について  

は具体的に障害者の生活現場に多大な影響  

を及ぼす恐れが十分ありますのでその場合  

は︑黙って我慢するのではなく︑どんどん身  

近な人や場所に伝えていくべきだと思いま  

す︒   

支援費制度についてではないのですが︑  

今まで大阪市内から措置された施設障害者  

には︑1カ月51時間だけ外出介護として全   ん区役所の担当窓口  や地域の自立生活セ  ンターなどに相談し  てください︒   

大阪市でも支援費  

の内容がはっきり決  

まったのは︑三月下   身性障害者介護人派遣事業を利用出来てい  ました︒これは今回の支援費制度には入ら  ずに大阪市独自の制度として残ることにな  りました︒   

今後は︑全身性障害者︵施設入所者︶がガ  

イドヘルパー派遣事業と呼ばれ︑大阪市か  

らの委託事業としてNPOライフ⁚ネット  

ワーク︑ヘルプセンター・ホップとして受け  

ていくことになりました︒このことの問い  

合わせは左記までお願いします︒  

﹇連絡先﹈   

特定非営利活動法人   

ライフ・ネットワーク   

ヘルプセンター・ホップ  

住所=〒558−0002  

大阪市住吉区長居西1−9−12  

︵キミハウス1F︶  

m&舘=06−6609−3210  

︵担当=堀川・宮本︶  

サロンの一筆箋  

一冊一〇〇枚綴一五〇円  

(14)

KSKQ第三種郵便物認可<サロン・あべの>通巻4041号2003年4月19日  

平成14年度活動テーマ*<サロン・あべの>を支えてくれた人たち*  

●その他の活動  

ロサロンスペシャルin塩楽荘(H14年9月22〜23日塩田温泉)  

口「ふれあいトーク」機村市長との交流会一に参加(H14年12月10日阿倍野図書館にて)  

口第3回「エコ縁日」で、サロングッズ販売(H15年3月16日阿倍野青年センターにて)  

口<サロン・あべの>紙 毎月第3土曜日発行  

口<サロン・あべの>紙 毎月音訳テープ作成(音訳ボランティア・グループ「糸でんわ」)16名へ送付   口さろん文庫開設・・・毎週金曜日午後14時(阿倍野区在宅サービスセンター・ビューロー室)  

口さろん文庫本、音訳テープ作成…音訳ボランティア・グループ「糸でんわ」  

口広報活動…アベノ・タウン紙、ボランティア情報誌「コンボ」、他区サロン紙   口海外文通・・・アメリカ・PattiTrucky、イギリス・MargaretBowler、韓国・馬泰植、  

ドイツ・BrigitteEhrenberg  

ロサロングッズ制作と販売…<サロン・あぺの>10周年記念誌「はあとが、はろ一!」、一筆箋、  

絵はがき「花だより」「新・わがまち阿倍野」、阿倍野いろはがるたなど  

(15)

KSKQ第二稚郵便物認l】1<サロン・あべの>通巻4041り2()03年4J】19【】  

場  所:西区ボランティア・ビューロー重  

大阪市西区新町4514 6階(西区役所   隣)地下鉄=西長堀駅4A弓出【1から   すぐ 市バス=地下鉄西長堀駅からすぐ   内  容:大型絵本を楽しもう!  

会  費:なし  

問い合わせ先:関l]℡0904281−5641  

■「サロン・にしよど」5月の出会い  

日  時:5月24日(土)午後1時30分〜3時30分   場  所:西淀川区在宅サービスセンター  

「ふくふく」大阪市西淀川区千舟277   パネラー:赤尾広明氏  

内  容:未定   会  費:なし  

問い合わせ先:西淀川区在宅サービスセンター  

℡ 06−64782941   中本℡090−4497−0635  

■「ウイズ東淀川」5月の出会い  

日  時:5月11日(日)午後1時30分〜4暗   場  所:東淀川区民会館4階会議室  

東淀川区東淡路1丁目4−53  

℡06−6379−0700  

内  容:日本におけるレスキュー犬の活躍と   その育成について  

パネラー:石井勝治氏(日本レスキューー犬協会会員)  

会  費:なし  

問い合わせ先:鈴木昭二  

℡06−6340−3082  

Ⅰ弧06−63403012  

■「サロンいたみ」5月はお休みです。  

」虹   SALOON  

■「サロン淀川」5月の出会い  

目  時:5月18日(日)午後1時30分〜4時   場  所:淀川区民センター「やすらぎ」  

大阪市淀川区三国本町2143   内  容:応急手当を身につけましょう  

〜いつでも、どこでも、正しい応急手当   が出来るように〜  

パネラー:窪田新一氏  

(応急手当普及員 大阪市消防局長認定)  

会  費:なし  

問い合わせ先:淀川区社協(ボランティア・ビュー  

ロー)℡06−6394−2900  

Email:SOrajii@iris.eonet.ne.jp  

■「サロン・ひらの」5月の出会い  

日  時:5月24日(土)午後1時〜4時   場  所:にこにこセンター  

大阪市平野区平野東2130   内  容:映画鑑賞=ハリー・ボッターと賢者の石   会  費:未定  

問い合わせ先:高橋℡090−4497−0635  

足立℡07059315299  

■「サロン・にし」5月の出会い  

日  時:5月10日(土)午後1時30分〜4時  

(16)

KSKQ第三椰郵便物▲認=Jくサロン・あべの>通巻4041;ユ2003咋4JJ191】   

︵サロン・あべの︶ 5月の出会い  

内  容⁝﹁座って出来る太極拳﹂ と  

中国茶のひととき   

お客さま⁝  

︒太極拳⁚山田栄子さん  

︵日本武術太極拳協会︒公認指導員︶  

ローユーウェイ   ・中国茶=呂 育推さん  

日  時⁝5月17日 ︵土︶ 午後1暗〜4時  

Nバ1丁  

[コ赤バス育敵  

ミュニフーイー   ンター   

近畿大阪銀行   ≡  ン′  

至長居毒あび  

九九.隼九‖.▲▲那三種痕伸物認可 ︵毎発行︶    場  所⁝育徳コミュニティーセンター2階  

研修室︵スロープ・車いすトイレ有︶  

大阪市阿倍野区阪南町5−15・28  

電話06−6621−1901  

最寄り駅=  

地下鉄御堂筋線 ﹁西田辺﹂  

赤バス ﹁育徳会館﹂下車すぐ  

会  費⁝なし   

問い合わせ先⁝  

電話06−6691−1028 ︵冨田慶子︶  

カンパ・おにぎり・茶・茶菓子・マスコッ  

ト民族人形・封筒の寄贈︑サロングッヅの  

お買い求めなど︑ありがとうございまし  

た︒︵敬称略・順不同︶  

稲川絢子︑加賀谷正︑定藤邦子︑田中美智子︑  

西川和子︑平岡太︑H・H ︵西成区︶︑その  

他の方々︒   ‖‖‖什u00刀川日日00Ⅵ‖HHu仙試¶‖什u鵬Ⅵ‖¶〃什  

ありがとうございました︒  

育徳コミュニティーセンターー。何年か前、定藤先生が話   を 子 出    さ で 会   れ も い   た な で   こ い 先  

ヨヨ誓喜議ヨヨ彗賀ヨ岩室∃舅ヨヨヨ討当讃ヨ当ヨ  

の同じ席で今日は奥さんが話をされている。先生の教   え の   

>  の  ベ  

し、特別なお知り合いでもない。<サロン・あ  

生の話を聞いたというだけなのですが、今日の奥さんの「定藤丈弘   を支え続けた思い」に、「自己決定と自己管理の大切さ」をいわれた   先生の話をオーバーラップさせて聞かせていただきました。(石)  

<サロン・あべの>VOL.202 発行:平成15(2003)年4月19日 定価¥100  

Referensi

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