2008 年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文
「対人関係と喫煙習慣」
〜若年女性喫煙率増加現象〜
A0542139 渡部幸成
提出 2009 年 1 月 15 日
はじめに
厚生労働省による「国民栄養の現状」(平成18年国民栄養調査結果)による成人喫煙者の年次推 移のによると、日本人の喫煙率は23.8%で、年々減少傾向にある。
男性の喫煙率は、もっとも高い30代のものでも53.3%から4割を切るまでに減少している。一方、女 性の喫煙率は、20代、30代の若年層で平成元年から9〜12%の間を上下しながらの増加傾向にある。
Figure1. 喫煙習慣者の年次推移(性・年齢別)
出典:厚生労働省「国民栄養の現状」(国民栄養調査結果)
日本人全体の喫煙率の減少傾向については、近年報告されるたばこの煙による喫煙者本人への健康 影響の大きさや、周囲の非喫煙者の受動喫煙による影響、次世代への影響や依存性のメディア露出が 増えたことが原因であると考えられる。
厚生労働省の要請により平成13年作成された「喫煙と健康問題に関する討論会報告書」では、疫学 研究により明らかになった中毒現象や発ガンリスク、脳卒中との相関、呼吸機能の低下、胎児や乳幼 児にたいしての危険因子となり得ることが報告されている。
また厚生労働省は、喫煙による超過死亡数も示し、喫煙によるリスクを呼びかけている(Figure 2.)
。
たばこ関連死亡数
出典:厚生労働省最新たばこ情報 「WHO推計値(日本)」
この健康への影響により、たばこによって医療費が増加し、たばこ税を増税して医療費の増加分に 充てるべきという議論もメディアに頻繁に取沙汰されるようになった。
さらに、2002年に東京都千代田区が、「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条約」の制 定を皮切りに全国で指定箇所以外での路上喫煙を禁止する条約が施行されたことにより、喫煙者のマ ナーにも民意として目が向くようになった。
こういったたばこに関する世間の風潮が喫煙率の減少に寄与していると考えられるが、その中で、
本研究では、近年の若年女性の喫煙率の増加に関して女性の喫煙習慣を調査することにより、若年喫 煙者の男女による違いを明らかにすることを目的とする。
素朴な疑問
日本人全体として減少傾向にある喫煙率が、若年女性だけ近年増加しているのはなぜか。
仮説1
女性が人前でたばこを吸うことに対する社会的イメージが変わったため。
仮説2
女性にターゲットを絞った商品の発売、広告展開によりたばこを吸い始める女性が増えた。
仮説3
男女でたばこを吸い始めるきっかけに違いがあり、女性はファッションに近い感覚で、喫煙習慣が若 年層に幅広く浸透し始めている。
調査
2008年12月と2009年1月に19歳から41歳の11名の女性にインタビューを行い、その後18歳から
39歳の男女69名(男性42名、女性27名)にインターネットによるアンケートを行った。
仮説1〜3に対応する状況として、初めてたばこを吸った時の年齢、吸ったたばこの銘柄、状況を中 心に質問した。
検証
仮説1 「女性が人前でたばこを吸うことに対する社会的イメージが変わったため」
男女別のたばこを吸い始めたきっかけの大別をFigure 3.に示す。
たばこを吸い始めたきっかけとして男女共に最も多かったのが、一緒にいる友人からもらって吸い始 めることであった。友人からの影響は、興味本位によるものと一緒にたばこに火をつけた場合や、家 族の影響には、憧れなどのイメージも一緒に含まれるため、延べ人数として集計した。
またこのイメージの内訳は、映画、マンガ、小説などの登場人物への憧れや、身近にいる尊敬する人 物への憧れ、有名人への憧れといった、喫煙に関するポジティブはイメージである。
「女性の気を惹くため」「大人のように見せるため」といった動機も含まれる。
インタビュー、アンケート共に、初めての喫煙のきっかけとして社会的イメージが影響した女性は 極端に少なく、人前で吸うことを気にするのは親の前だけであり、これは社会イメージの変化という より、吸い始めた時期が未成年、しかも多くの場合が中学生前後であったためであると考えられる。
インタビューを行った11人のうち、喫煙を始めて社会的にそれを公開していない人は1人だけであり、
他10人は未成年のうちは親には公開しなかったが、友人間の間では特に隠れて喫煙していた記憶は無 いと言う回答を得た。
女性の喫煙に対する社会的イメージの変化は、吸いやすい状況をつくったとは言えるが、
それが直接若年女性喫煙者の喫煙率増加の原因になったとは言い難い結果である。
Figure 3. たばこを吸い始めたきっかけ(上段青:男性、下段赤:女性、延べ)
仮説2 「女性にターゲットを絞った商品の発売、広告展開によりたばこを吸い始める女性が増えた」
女性にターゲットを絞った商品として、タール・ニコチンの含有量を減らし、メンソールで香り付け を施したたばこがJTから1995年発売された。
バージニアスリムは、テレビ広告で白人女性をモデルに起用し、「指先まで美しい」というキャッチ
興味本位 イメージ 友人の影響 恋人の影響 家族の影響 ストレス その他
0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20
コピーでプロモーションを行い、
セーラムは、「Always you, Salem」「テイストが、綺麗です」というコピーで、同じく白人女性のモ デルを起用し女性向けのたばことしてプロモーションを行った。
ベヴェルは、今野亜紀が起用され、「カドのとれたひととき」のコピーで女性のストレス軽減効果を 謳ったテレビ広告が放送された。
Table 1に、JTが販売した代表的な低タール・低ニコチン銘柄を示す。
Table 1 女性をターゲットにした代表銘柄
これらの銘柄の発売後、2003年からJTは『D-spec技術』を施した低臭気であり、煙が少ないたばこ の販売を開始し、女性が敬遠するたばこの要因を取り除いた。
これらの銘柄が近年の若年女性喫煙者の喫煙開始時期に、喫煙を始める敷居を下げた可能性を検証す る為に、喫煙開始時期と、当時吸った銘柄を質問した。
Table 2 喫煙開始年齢と銘柄
銘柄 タール含有 ニコチン含有 発売
セーラム・ワン 1mg 0.1mg
ピアニッシモ・ワン 1mg 0.1mg
ベヴェル・フレアー・メンソール 1mg 0.1mg バージニア・スリム・ウルトラライト・メンソール3mg 0.3mg バージニア・スリム・ワン・メンソール 1mg 0.1mg
1995年 1995年 1996年 1996年 1996年
銘柄 年齢 喫煙開始年齢 年
セブンスター 37 11
セブンスター 33 12
セブンスター 30 14
パーラメント 28 13
マイルドセブン・スーパーライト 28 14
セブンスター 28 14
マルボロ 32 20
ラッキーストライク 28 16
セーラム・ワン 28 16
マルボロ 41 31
バージニア・スリム・ライト 29 19
ショートホープ 24 15
マルボロ 22 13
キャスター・マイルド 28 18 マルボロ・ライト・メンソール 25 18 マルボロ・メンソール 20 15
マルボロ 19 15
マルボロ 20 16
マルボロ・ライト 23 20
1972〜73年 1987〜88年 1992〜93年 1993〜94年 1994〜95年 1994〜95年 1996〜97年 1996〜97年 1996〜97年 1998〜99年 1998〜99年 1999〜00年 1999〜00年 1998〜99年 2001〜02年 2003〜04年 2004〜05年 2004〜05年 2005〜06年
考察
アンケートの結果から、女性向け銘柄の発売とプロモーションは、喫煙習慣にエントリーする女性に 影響がないことが明らかになった。多くの女性がTable 1に挙げた銘柄の発売以降に初めて喫煙したが、
特にそれらが最初の一本になったわけではない。
Figure 3.で示した回答から、吸い始めるきっかけとして最も多いのは友人と一緒にいる時である。こ
れは喫煙者の友人が吸っているものを吸うために、喫煙習慣のきっかけに、自分の意志で銘柄を選択 することはないと考えられる。
さらに、女性は友人・恋人の影響や興味から初めてたばこを吸う際に「カッコいい」などのイメージ はほとんど影響しないため、テレビCMでアピールする「綺麗」「美しい」「カドのとれた」などの 女性的なイメージにエントリー段階で左右されることはないようである。
インタビュー調査により、喫煙するたばこの銘柄の変遷を質問した結果、
「初めてキャスターマイルドを友達と吸って、今はセーラムウルトラライトに落ち着いた」
「恋人の影響でマイルドセブンを吸っていたが、今はピアニッシモを吸う」
「気になる男性と話すきっかけほしさにマイルドセブンを吸ったが、今はバージニアスリム」
といったように、ローティーン世代でもらったたばこにより喫煙習慣がつき、その後、化粧や服装な どの習慣が女性として確立されたために、服ににおいが付きにくい煙の少ないたばこに銘柄を変えた り、口紅が付きにくい加工が施された女性向けのたばこを吸うケースも観察された。
また、その女性としての習慣に加えて、出産や育児など女性ならではのライフスタイルを経るにあたっ て禁煙の必要に迫られ、その前後にタールやニコチンの少ないたばこを選ぶ女性もいる。
よって、女性向けの銘柄は喫煙初心者のエントリーの敷居を下げるのではなく、喫煙習慣のついた女 性がその習慣を維持できるようにライフスタイルにマッチしたつくりになっており、適したイメージ を提供していたのだと考えられる。
仮説3 「男女でたばこを吸い始めるきっかけに違いがあり、女性はファッションに近い感覚で、喫 煙習慣が若年層に幅広く浸透し始めている」
Figure 3.が示すように、男女共にたばこを吸い始めるきっかけで最も多いのは友人の影響であるが 、 違いも存在する。
まず一つは、恋人からの影響の有無である。
女性は恋人の影響で吸い始めるきっかけとなる場合があるが、男性への質問で、喫煙者の恋人からの 影響で吸い始めたという回答はなかった。
逆に、男性のみの特徴として挙げられるのが、「カッコいい」といういうようなイメージとストレス をきっかけとした喫煙開始である。
吸い始める時期は、平均して女性が14.3歳、男性が15.8歳と、喫煙経験は女性の方が早い傾向にある。
調査の結果から、男性の喫煙開始原因の特徴は、「イメージ」と「ストレス」の2点であり、女性 の喫煙開始原因の特徴は「恋人の影響」であることがわかった。
考察
近年話題になる機会の多い、マナーに関する議論により男性の喫煙開始インセンティブとなってい た「カッコいい」というイメージが薄くなってきた。テレビでのたばこのCM放送はなくなり、青少 年向けのアニメや映画への規制もかかるようになり、健康への影響の議論から、ストレス緩和の手段
としてたばこが選択される機会も減少した。
それに対し女性の喫煙開始インセンティブの特徴である恋人からの影響力は、上記のような世間のイ メージによる影響に左右されづらいものである。
喫煙習慣の獲得メカニズムとして男女には以下の様なチャネルが存在すると考えられる。
男性:友人チャネル(同一世代の準拠集団)、先輩チャネル(非同一世代)
女性:友人チャネル(同一世代の準拠集団)、恋人チャネル(非同一世代)
スタインバーグとシルバーバーグ(Steinberg & Silverberg, 1986)は、仲間関係の中での自立的な意思決 定能力(友人の圧力や誘いに抵抗し、自分の意思を貫く能力)が11〜14歳にかけて落ち込み、その 後漸増するという傾向があることを明らかにしている。
これを踏まえると、男女共に、ローティーンの頃の準拠集団に喫煙者がいた場合、友人チャネルを介 して初めて喫煙する機会を得る。
そして準拠集団に喫煙者がいない場合は、それ以外の紐帯から喫煙の影響を受ける場合が多く、男 性の場合は先輩チャネル、女性の場合は恋人チャネルとなる。
しかし、男性は喫煙開始時期が女性より若干遅いという点と、近年高まる喫煙に対する負のイメージ は、先輩チャネルによる影響力を上回るという2点から、喫煙率は減少傾向に向かう。
かたや女性の場合の恋人チャネルは、世間の負のイメージを超える影響力を持つ。
パターソン(Patterson, 1983)によると、非言語的コミュニケーションは、相手に応じたレベルの親密さ を反映する。相手への厚意や愛が増し、親密さが増大すると、非言語的コミュニケーションは活発化 する傾向がある。
これを踏まえ、喫煙習慣を非言語的コミュニケーションの一部としてとらえると、服装や化粧に恋 人からの影響が強く現れるように、喫煙習慣の有無について、また銘柄にも強い影響を受けると考え られる。
よって非同一世代の恋人チャネルから喫煙習慣を獲得する可能性が高まる。恋人チャネルにより獲得 された喫煙習慣は、その新規喫煙者の準拠集団の中で、友人チャネルを介し、意思決定能力の落ち込 んだローティーンのコミュニティーの中で広がっていく。
また、男性における先輩チャネルの世代間の差に比べ、女性の持つ恋人チャネルと当人の世代間の差 は幅広い傾向にある。
「同じ中学校の先輩」「地元の先輩」といったチャネルを有していたとしても、当人と世代が大きく 離れていない場合が多いので喫煙習慣獲得の可能性が少なくなっている世代である可能性があるが、
恋人チャネルにおいては年代の幅は先輩のそれを超える。
そのため喫煙習慣獲得の確立も高くなると考えられる。
結論
このように、自分が所属する友人コミュニティー外から喫煙習慣が入り、その後中で広まる、とい うメカニズムが男女共にローティーンでは存在し、コミュニティー外からの影響が世相に左右されず、
かつ幅広い世代の可能性を持つ恋人チャネルを有する女性の喫煙習慣獲得メカニズムによる、喫煙開 始の微妙な男女差が、近年の若年女性の喫煙率漸増の原因であると考えられる。
参考URL
厚生労働省「最新たばこ情報」
http://www.health-net.or.jp/tobacco/front.html JTたばこ商品一覧
http://www.jti.co.jp/JTI/brand/
参考文献
安藤清志・大坊郁夫・池田謙一『社会心理学』岩波書店, 1995; pp.96-102.
無藤隆・久保ゆかり・遠藤利彦『発達心理学』岩波書店, 1995; pp.115-120.
Patterson, M. L. Nonverbal behavior: A functional perspective, Springer-Verlag, 1983.
Steinberg, L. & Silverberg, S. B. : The vicissitudes of autonomy in early adolescence. Child Development, 1986;
57, pp.841-851.