66 化学と生物 Vol. 54, No. 1, 2016
山梨より大村先生の受賞に寄せて
早川正幸
山梨大学理事・副学長 大村 智先生のノーベル医学・生理学賞受賞にあた
り,心よりお喜び申し上げます.先生の出身校であるこ こ山梨大学は今,お祝いムード一色に包まれています.
秋晴れの澄み切った空気のなか,学内のあちらこちらに 掲げられた受賞をお祝いする垂れ幕が,遠く富士山を背 景に揚々となびく風景は,大村先生の学生時代から延々 とつづく本学の風土や伝統を感じさせてくれます.受賞 決定から数日後には,大村先生の卒業論文が倉庫の中か ら見つかりました.クロマトグラフィーによる油脂成分 の微量分析について,自らが考え組み立てた実験によ り,試行錯誤を繰り返しながら仮説を証明していこうと する研究の道筋や姿勢を見ることができます.細やかに 綴られた文字からも研究に対する先生の緻密さがうかが えます.
私が初めて大村先生とお会いしたのは,1988年に東 京で行われた放線菌の生物学に関する国際シンポジウム にさかのぼります.会場のロビーにいると,どことなし か甲州弁のイントネーションを感じさせる英会話が耳に 入り,振り返るとそこに大村先生がいらっしゃいまし た.その後は日本放線菌学会の大会の折々にご挨拶させ ていただく程度でしたが,1997年に大村先生が主催さ れる山梨科学アカデミーから「希少放線菌の分離および 生態に関する研究」により奨励賞をいただき,その受賞 講演について「良かった」とお褒めの言葉をいただきま した.自身の研究内容を初めて評価していただいたその 一言は,私の研究生活を支えてくれています.
さて,大村先生は本学を卒業され東京へ出られたあ と,1963年にいったん山梨に戻られ,本学工学部発酵 生産学科発酵工学研究室の助手として2年間務められま した.当時,隣に応用微生物学研究室があり,私の恩師
である野々村英夫先生らが放線菌の新属
や の新種を相次いで分離,記載する など,微生物の先進的研究を進めていました.大村先生 は共著「放線菌といきる(日本放線菌学会,みみずく 舎,2011)」の中で,当時,隣の応用微生物学研究室へ 行き培養室や発表会で初めて触れたことが,放線菌との 出会いだったと語っておられます.
山梨の土壌には多様な放線菌が生息しており,本学応 用微生物学研究室によりこれまで6新属,45新種もの新 規放線菌が分離されています.大村先生ご自身も関東圏 の土壌などから新属,新種の放線菌を数多く分離されて おり,微生物分類学の分野においてもたいへん大きな貢 献をされています.大村先生はよく「富士山の見える土 地からは優れた菌株がみつかる」と言われます.確かに 大 村 先 生 ら が エ バ ー メ ク チ ン 生 産 菌
を静岡県伊東市から,セタマイシン生産菌 を東京都世田谷区からそれぞれ分離 した例,また木野先生らがタクロリムス生産菌
を茨城県つくば市から分離した例などを挙げる ことができます.一方でその言葉の中には,富士山の見 える豊かな自然風土に恵まれた環境の中で生まれ育った 研究者としての,多様で自由な発想こそが重要であるこ とが示唆されているのだと思います.
大村先生は今も財布にビニール袋を忍ばせ,折に触れ 土壌採取をされると聞いています.そこには志に向かっ て何事にも努力を惜しまない先生の姿勢をうかがうこと ができます.どうかいつまでもお元気で天然物探索研究 の最前線で活躍されるとともに,富士山を望みつつ独創 性にあふれた若い研究者をたくさん育てていただきたい と思います.
日本農芸化学会