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化学と生物 Vol. 56, No. 2, 2018
評価
吉村 徹
名古屋大学大学院生命農学研究科日本農芸化学会
● 化学 と 生物
巻頭言 Top Column
Top Column
歳を取ってきたら何かを評価する仕事が 多くなった.いや単に歳を取ったからでは なく,世の中で「評価すること」自体が増 えたのだろう.教育・研究に関して言え ば,60年ほど前に提案されたIFが日本で よく議論されるようになったのは1990年 代後半,学位授与機構が大学評価・学位授 与機構へと改組されたのは2000年である.
「評価すること」が増えた要因にはイン ターネットの発達が大きいと思うが,時代 背景としては経済状況の悪化があるに違い ない.余裕がなくなって「選択と集中」を しなければならない状況になれば,何らか の評価をする必要が生まれる.それは致し 方ないし,また評価によって何かが改善さ れるならば結構な話だ.手元に『大学は生 まれ変われるか国際化する大学評価のなか で』(喜多村和之著)という本があるが,
2003年に出版されたこの本では教育・研 究を如何に正しく評価するかが真摯に論じ られている.このような大学評価が行われ てきたのであれば,教育や研究の改善に大 いに寄与したものと思う.
評価の先に賞罰があればなおのこと,な い場合でも,評価される側は世間の評判を 恐れて良い点を取ろうとする.ご褒美を用 意しなくても動いてくれるなら,評価する ほうはありがたい.GPAを導入したら学 生がよく勉強するようになったように感じ る.彼らは,その真偽はともかく,GPA が悪いと就職に響くと思っている.
筆者が所属する学部で成績調査を行った ところ,いささか気になる学生がいた.
GPAのスコアは高いのだが習得科目に脈 絡がない.履修した科目からでは,この学 生が将来何になりたいのかがわからない.
学科名が農芸化学ではなくなったこともあ るのだろうが,化学系の科目をあまり取っ ていない.本人に何らかの考えがあっての ことならばよいが,聞くところではGPA でよいスコアがとれそうもない科目は,は
なから選択しなかったらしい.カリキュラ ム改定の際に必修科目を増やすことになっ たが,それでよかったのか.もしかした ら,教員が思いもつかない発想で将来に備 えている学生もいるかもしれない.
評価される側は評価に適うように動くの だから,評価する側の責任は重い.評価内 容を決める者が現場を知らない場合,善か れと思って設定した評価でも,受ける側を とんでもない方向へ導くかもしれない.四 半期ごとに数値で結果が出るようなものな らば,評価内容もすぐに修正できる.しか し評価の影響が10年,20年経たなければ判 断できない場合,判断してはいけない場合 はどうなるのか.時代によって必要とされ るものは変化する.たとえば,今は英語,
英語と喧しく,講義を英語でやろうという 話もある.けれども近い将来,実用に耐え うる自動翻訳機が出るとしたらどうだろう か.教科内容の理解の低下を招くリスクを 負っても,講義を英語でやるべきだろうか.
将来のことはもちろん誰にもわからない.
だからこそ,教育・研究といういささかで も未来にかかわることを生業としている者 には,学生が状況の変化に対応できるよう な能力を育むことを手助けする責務がある.
こと教育・研究に関する評価について は,「する側」であっても「される側」で あっても,評価内容が長期的視野に立って 適切であるどうかを真摯に考えるべきだろ う.考えた先の結論が「然り」であるなら ば結構なことだ.しかしそうでない場合 は,その評価に適う行動をとるべきなのだ ろうか.そのとき依拠すべきは組織人とし ての立場だろうか,それとも教育・研究を 生業とするものとしての知的誠実さだろう か.歳を取ってきたら思い煩うことも多く なってきた.
Copyright © 2018 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.56.63
プロフィール
吉 村 徹(Tohru YOSHIMURA)
<略歴>1979年京都大学農学部農芸化学 科卒業/1984年同大大学院農学研究科農 芸化学専攻博士課程単位認定退学/1985 年京都工芸繊維大学繊維学部助手/1989 年京都大学化学研究所助手/1997年同助 教授/2003年名古屋大学大学院生命農学 研究科教授<研究テーマと抱負>D-アミ ノ酸の生理機能と代謝酵素,ビタミンB6 酵素の構造と機能,発酵熱の生成機構,な ど<趣味>マイナーな作曲家の音楽を聴く こと,山歩き
日本農芸化学会