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化学と生物 Vol. 54, No. 7, 2016
サイエンスコミュニケーション
福田雅夫
長岡技術科学大学技学研究院生物機能工学専攻日本農芸化学会
● 化学 と 生物
巻頭言 Top Column
Top Column
10年ほど前に上越の北陸センターで実 施された遺伝子組換えイネの隔離ほ場試験 の説明会の司会を引き受けたことがあっ た.説明をする農林水産省の担当者と会場 の聴衆の意見はかみ合わず,最後は時間切 れで議論を打ち切らざるをえなくなり,罵 声を浴びながら閉会を宣言したことを覚え ている.その後,隔離ほ場試験は周辺のイ ネとの交雑を避けるために緩衝地帯を設け たり栽培時期をずらすなどの工夫をして実 施され,無事に終了した.遺伝子組換え反 対派は,隔離ほ場試験の差し止め訴訟を起 こしたり,損害賠償を求めた裁判を続けて 起こしたがいずれも敗訴した.先日,北陸 センターを訪問した際に驚愕の後日談を聞 かされた.反対派は,10年の間に手を変 え品を変えて裁判を起こしては敗訴しなが ら訴訟を起こし続けているとのことであっ た.現在は,隔離ほ場試験にかかわる実験 ノートの開示を求めた裁判を起こしている そうである.
この話を妻にしたところ,日常生活に遺 伝子組換えが使われていないのに遺伝子組 換え反対にこだわるのは不思議だねと言わ れ,またもや愕然とした.経済産業省で審 査した遺伝子組換え案件は1,800件近くに および,多数の遺伝子組換え技術を活用し た製品が市場に出ている.実験や検査用の 試薬などが多いが,洗剤用酵素など身近な 商品も含まれている.食品の製造に遺伝子 組換え酵素が使用されている場合もある.
厚生労働省の管轄では遺伝子組換えワクチ ンも使用されている.私自身は,現在の日 常生活に遺伝子組換え技術が大きくかか わっており,遺伝子組換え体や遺伝子組換 えDNA自体はないものの遺伝子組換え産 物が身近に少なからずあることを実感して おり,学生にも話してきた.灯台もと暗し だったと反省しつつ,遺伝子組換えナタネ
から食用油が製造されていることなどを説 明したところ,妻は「組換え食用油は気持 ち悪い」と言い出した.食用油には遺伝子 組換えDNAやタンパク質は含まれていな いのだから非組換え食用油と違いがないと 説明したのだが,未知のモノに対する違和 感が妻を捉えて放さず,結局,説得するこ とはできなかった.サイエンスコミュニ ケーションとは別次元の妻の根拠のない感 覚を説得すること自体に無理があり,新し い技術の宿命なのかと諦めざるをえなかっ た.自分の妻も説得できないとは,科学者 の端くれとして恥ずかしい限りである.
このことを悔やんでいて10年前の市民 講座での記憶がよみがえった.遺伝子組換 えにかかわる市民講座を担当し,輸入され た遺伝子組換えダイズから製造された乾燥 納豆を出したときである.実は私は納豆嫌 いであるが,その素振りを見せずに乾燥納 豆を食べたところ,多くの参加者が興味深 げに口にしたのである.高齢の市民が多く を占めていたが,小学生の子どもとその母 親も食べた.前述の隔離ほ場試験の説明会 に反対派として参加された農家の方が一人 参加されていたが,この方も乾燥納豆を食 べた.この方は,遺伝子組換え作物が地域 で栽培されることによる風評被害を懸念し ており,遺伝子組換え作物自体に反対して いるわけではなかった.私の妻を含め,ど うも多くの人が遺伝子組換え産物を得体の しれない未知のものと想像して不安や気味 悪さを感じているようである.遺伝子組換 え技術に限らず,具体的に見て触れること により新技術を理解する体験型サイエンス コミュニケーションの重要性を認識した次 第である.
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.447
プロフィール
福田 雅夫(Masao FUKUDA)
<略歴>1976年東京大学農学部農芸化学 科卒業/1980年同大学大学院農学系研究 科農芸化学専攻博士課程中退/同年同大学 農学部助手/1991年長岡技術科学大学工 学部助教授/1995年同大学工学部教授,
現在に至る<研究テーマと抱負>細菌にお ける芳香族化合物の代謝酵素システムの解 明と利用,特に放線菌の奥深い代謝酵素シ ステムの解明と利用を目指す<趣味>音 楽,温泉,PC
日本農芸化学会