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平たく言い換えれば、「アメリカが弱くなり、 中国が強く

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Academic year: 2025

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本誌編集者から示されたテーマを、平たく言い換えれば、「アメリカが弱くなり、

中国が強くなる」というのは本当か、「もしそうだとしたら、日本はこれまでどおり 日米関係を基軸とする国家戦略を維持していっていいのか?」という

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つの問い掛 けになるだろう。

ロナルド・ドーア氏が『日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか』(ちくま新 書、2012年)で提起しているのは、まさにこの問題である。彼の答えは、第

1

問につ いてはイエスで、「20―

30

年後に中国の国力が米国のそれを凌ぐ時代がくる可能性 が大きい」として幾つかの根拠を挙げている(103ページ以下)。したがって、第

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問 についての彼の答えは、ノーである。つまり米中の力関係がアメリカに不利なかた ちで変わりつつあるのに、日本はアメリカとの同盟関係に頼り続けているのは危う いと、すぐれた社会学者として長年日本研究に携わってきたこの碩学は警鐘を鳴ら している。ドーア氏の議論が日本に寄せる好意に基づく忠告であることに私は疑い をもっていないし、その議論には真摯に聞くべき多くの点があると思うが、それに 深入りして詳しく検討することでこの小論を終わるわけにはいかないので、これ以 上は、ご関心の向きには、直接、前掲書についてみていただくとして、以下の議論 を進めたい。

アメリカが卓越した国力をもち、国際政治・経済が「アメリカンシステム」と呼 んでいいようになって以来、いずこの国に対してかは時代によって変わりがあって も、アメリカの力の衰退とか低下については、これまでも繰り返し、語られてきた。

例えば永井陽之助氏が『1980年代の日本外交の針路』(日本国際問題研究所、1980年)

で問題にしていたのは、ソ連との対抗関係におけるアメリカの国力の衰退であった。

そして東西冷戦の終焉後に人がよく口にしたのは、日本がアメリカを追い抜きそう だという議論であった。

最近のアメリカ衰退論の特徴は、中国の国力の顕著な増進との対比で語られてい る点にある。今、この小論を書いている時点で日本の(多分海外でも)メディアを賑 わせているのは、オバマ大統領が、財政問題にからむ国内の政局混迷のあおりで

国際問題 No. 628(2014年12月)

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◎ 巻 頭 エ ッ セ イ ◎

Watanabe Akio

(2)

TPP

(環太平洋パートナーシップ協定)や

APEC

(アジア太平洋経済協力会議)への出席 を取り止め、アジア諸国歴訪の計画をもキャンセルしたためにオバマ政権が唱えて きたアジア重視論が大きな痛手を被っている一方、習近平や李克強など中国の政治 指導者が活発な東南アジア外交を展開している姿であるので、こうした目前の出来 事に目を奪われて、米国衰退=中国興隆の印象が殊更に強くなっている。動物の本 能として動くものに関心が向くのは避けられないが、少し理性を働かせるならば、

表面的な動きの底にあって目立たないが着実に流れている「趨勢」に目を向けなけ ればいけない。そのために、今のわれわれとは時代も状況も異なる視点から、アメ リカについて観察を下している識者の発言に耳を傾けてみよう。

* 其の一

「アメリカの政治、外交を裏づける国民生活や、アメリカの経済の破綻を予想し仮定 するものがあるならば、それは大きな誤算となるであろう、米国資本主義は修正を受け つつ、アメリカ経済と文明はなほ上昇するであろう」(南原繁『日本とアメリカ』、朝日 新聞社、1950年、130ページ)。

其の二

「ヨーロッパとそれに併合される地域の場合、中心化は1380年代に起こり、ヴェネチ アを有利に立たせた。1500年代にヴェネチアからアンヴェルスへ、急激で大規模な跳躍 があって、次いで

1590― 1610年頃には、再度地中海に、しかし今度はジェノヴァに移

動する。そして、1550―

1560年頃にアムステルダムに移り、以降ほとんど 2

世紀間にわ たって、ヨーロッパ地域の経済の中心はこの地に居座ることになる。だが、やがて、

1780

年から

1815

年にかけて、ロンドンに移り、さらに1929年には大西洋を渡って、ニ ューヨークに居を据えたのである。(中略)ヨーロッパ世界の時間において、結局、運 命の鐘は五度鳴り渡り、その度に対立と闘争と深刻な経済危機の中で、中心が移動して 行ったのだった。すでにその地位をおびやかされていた古い中心が最終的に息の根を止 められ、新たな中心の出現が明らかになるのは、たいていの場合、経済状況がおもわし くないときである。もちろん、これらすべてに数学的規則性があるわけではない。ただ、

長引く危機が一つの試練となって、強いものは生き残り、弱いものは滅んでいったのだ。

それゆえ、経済危機のたびに、中心が崩壊していったわけではない。それどころか、17 世紀の危機は多くの場合、アムステルダムに有利に働いたのであった。今日、世界は、

ここ数年来長期的で深刻な危機に見舞われている。もし、ニューヨークがこの試練に耐 えられないようなことがあれば、―私は全くそうは思わないが―世界は新たな中心 を見つけるか、作り出すかしなければならないであろう。大方の予想通りに、この試練 に耐え抜くことができたならば、アメリカは前にも増して強大なものになるに違いない。

というのも、他の経済は現在のひどい経済状況(le conjoncture)による打撃をアメリカ 以上に被る危険性が大きいからである」(フェルナン・ブローデル〔金塚貞文訳〕『歴史 入門』、中公文庫、2009年、109―

110ページ)

巻頭エッセイ米中関係をめぐる日本の戦略―東アジア国際政治の新しい動態

国際問題 No. 628(2014年12月)

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南原繁の発言は、戦後初の東大総長として

1949年から 1950

年にかけて「被占領國 に関する全米教育会議」に出席のため渡米し日本の教育行政について演説し、アメ リカ各地の大学はじめ広く諸方面を視察するという旅から帰国直後に東大その他で アメリカについての見聞を報告した記録である。その序文で「今や何人もアメリカ を知らずして、日本を、東洋を、世界を考へることは不可能であらう」と南原総長 が述べている言葉は、今日でも通じるが、第

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次大戦が終わって間もない

1950

年初 頭には、特に当てはまるものであった。この時のワシントンでの演説ほか、いろい ろの機会に彼が展開した「全面講和」論は、吉田茂首相が推進しようとしている

「単独講和」論(たとえソ連陣営不参加でも、アメリカその他の西側諸国とだけで講和条 約を締結して日本の国際社会への復帰を早期に図るのが得策だとする考え)への挑戦だ として吉田から「曲学阿世」の非難を受けたことで有名になった。それ以来、いわ ゆる「進歩的」知識人の日米安全保障条約反対の思想的根拠になったのが、この時 期の南原の言動であった。だが、このパンフレットを読む限りでは、南原は決して 教条主義的なイデオローグではなく、アメリカの実態を的確に観察している柔軟な 思考の持ち主であったようにみえる。上に引いた彼のアメリカ論は、その意味で貴 重である。

他方、ブローデルの上の言葉は、フランスのアナール派の総帥と言うべき歴史家 ブローデルの大作『物質文明・経済・資本主義』の内容を著者自ら簡潔に要約した

1976

年のアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学での講演のなかにみえている。従来 の政治・外交史によくある、個々の事象に焦点をあてる「短期的時間」でなく、ア ナール派が「世界時間」とか「地理的時間」と呼ぶ「長期的時間」、あるいは「社会 的時間」すなわち「中期的時間」という視点からみたアメリカ論である。語ってい る時期も、その思考の方法もまったく違うこの

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人の碩学が、ともに、目先の事象 にとらわれずに、国際システムにおけるアメリカの位置とその行く末について語っ ていることには共通点があり、今日のわれわれも学ぶべき教訓が多い。

その教訓に従えば、「アメリカの没落近し」と即断して、それに基づいて日本の戦 略をたてるのは、極めて危険だという結論になる。

米中

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国のもつウエイトからみて、この二国関係がどうなるかは、日米関係だけ でなく、東アジア、そしてアジア太平洋地域諸国全体の生き方に大きく影響するの は避けられない。言い換えれば、この地域の国際秩序の在り方がそこに懸かってい る。とすれば、アメリカと中国が如何なるヴィジョンをこの地域の国際秩序の将来 について抱いているのかが、この両国の影響力の優劣を左右する重要な要因となる はずである。中国の新指導部が「中国の夢」を実現しようとするに当たって、狭い 国益だけにとらわれて、地域秩序についてアメリカや日本、その他多くの地域諸国

巻頭エッセイ米中関係をめぐる日本の戦略―東アジア国際政治の新しい動態

国際問題 No. 628(2014年12月)

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が抱いているヴィジョンに敢えて真っ向から挑むつもりならば、その未来は決して 明るくない。その意味で、今やチャイナ・プロブレムは関係諸国の共通の関心事で ある。日本の、そして望むらくはその他多くの国が抱いている夢は一国単位の夢で はなく、「アジア太平洋の夢」なのである。

習近平氏の中国は日本やアメリカに挑戦しているつもりで実は、「地域秩序」に挑 戦しているのではないか。問われているのは、日中とか米中の二国関係ではない、

「地域」の秩序が問われている。今やこの地域は、ひとつの「安全保障複合体」を形 成しているのである。それを運営してゆく原理は、バランス・オブ・パワーや「勢 力範囲」の追求ではない。広い太平洋を米中

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国で分割するなどという前世紀的思 想ほど場違いなものはない。大平正芳首相(当時)はかつて日米関係の在り方につ いて「共存共苦」という言葉を使ったことがある。その精神に基づいて、私は、

balance of sensitivity

こそが、この複雑で微妙なアジア太平洋の「安全保障複合体」を 運営するために求められる原理だと言いたい。

巻頭エッセイ米中関係をめぐる日本の戦略―東アジア国際政治の新しい動態

国際問題 No. 628(2014年12月)

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わたなべ・あきお 平和安全保障研究所副会長 [email protected]

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