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戦争学習における加害と被害の扱い方 - 福島大学

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戦筆孝習における触書と被害の薮華寿 欝

戦争学習における加害と被害の扱い方

古俣智洋幅島大学大学駝教育学醗究科)

臼  井  嘉  一(娃会科教育〉

 戦後灘奪以上経遍した今響でさえ戦争をめぐる様々な擬題が残っている。しかし,現在の若者慧戦争を退去の 塞来事としてとらえ,戦争羅題に麟して「ひとごと」のように考えたむ・無麗心である繧露揮ある。さらに・撫 害の事実を教えることに薄して白露主義史観藩究会や「新しい歴史教群書をつくる会」が閤題鍵超している。この

ことは,戦争学習において顔寄と鞍警の籔い方を瞬確に鮭鐙づ診てこなかったことが療露の一つとして挙げられ る。本稿はこうした靉靆を踏まえ,今までの戦争学習における捷書と被害の靉靆を分観し,その擾い方を縷説し た。そして,戦争霧題に難ずる子どもたち憂)主{本姓の観点から,戦争学習にお謬る「共感」の方法について瞬ら かにした。

ξキーワ一縷趨警 被害 主体性 共感 秘学的裡会認識

1 はじめに

 筆五年戦争から5§隼騒士経過して欝選紀を逢えた今 霞でさえ,沖縄の米軍墓地問題健軍慰安蝿問題,教 科書記遽潤題など戦争をめぐる麗麗は残っている。戦 後§本は直接的には戦争を経験ぜず,戦争とは無縁な 平秘な状態が続髪・ている。そのため,戦争に麗する鷺 題は残っていながらも,今日では,若者は戦争を過去 の墨来事としてとらえ,戦争翼題は慕分達とは無関係 であると考える績霧が強墾ように憩われる。戦争問題 特に戦争責任の襲題は戦争にお謬る癩害の事実と深く 結び付いている。趨害の事実を教えることに難しては,

鱒年代前辛から「鍵軍慰安鰐」問題「南京大虐殺」,

「東蒙裁覇史観雄などをヂ白露的」な史観に基づくも のだとして繊覇する§灘主義史観醗究会の動きが見ら れる。またこの動きと呼応して,「新しい歴史教科書 をつくる会」(獄下「つくる会」と縷説〉の教科書が 換定を通過し,毒藪本が書痴に壷んでいる。このよう

に,堤在においても蕊害の事実を教えることの濁題は 解淡されていない。そこで庫稿では,まず簾害の事実 を教えることの意義1こついて述べ,戦争学習における 擁害と被害の籔い方を検討することが員的である。ま た,癩害と被害の籔い方をめぐって,安井俊夫氏が提 起した「共感3の方法を戦争学習に取む入れることを 験試して糖く。

 簸 加害の事実を教えることの意義

 「つくる会」の教科書の序章には,次のような主張 が晃られる。「歴史を学ぶのは,過去の事実を知るこ とだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし,

必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは,邊去の鐵来 事について,退去の人がどう考えても・たかを学ぶこと なのである。…(申鯵)…歴史を学ぶとは,今の時代

の基準から見て,遜表の不霊や不公平を裁いたむ,告 発することと瞬むではな疑。邊去のそれぞれの鋳代に は,それぞれむ時代に特奮の善悪があ蓼,特有の幸嬢 があった。・一(中整)…歴史を翼定的に,動かないも ののように考えるのをやめよう。歴史の善悪を当ては め,褒在の道徳で裁く裁醤の場にすることもやめよう。

歴史を自由な,とらわれない目で眺め.数多くの見方 を重ねて,じっくり事実を確かめるようにしよう。」i〉

 「つくる会」の主張するよう毒こ,堤在の無縫基準吾こ よって,過去の鐵来事を裁くこと1ま歴史学習ではいけ ないことなのであろうか。確かに,盛時の状溌や極纏 基準を短らないまま現姦の基準によって歴史を裁くの であれば,それは不当なことなのかもしれない。しか し,その時代の懸殖基準を考癒して現在の癒纏基準と 総合的に熱らし合わせた上で,過去の墨来事を子ども

たちが自分め考えで轡慰するのであれば,それは歴史 学習において重要なことであると患われる。野つくる 会」は,趨害の事実を教えることが子どもたちに「察 虐的」な史観を押し韓萎ナることになるとして,趨害の 事実を無擬し,侵鵜戦争を藍当銘しているように患わ れる。「過去の事実について,過去の人がどう考えて いたかを学ぶこと藩のみで歴史学習とするならば,子 どもたちの現産の生活にとって擁ら生かされることも なく,歴史的な携鵯力や纒纏観が育つことがなくなっ てしまう。戦争学習は,現在からの簡墾か謬と疑う形 を取らなければ,逝去の事実を単に学ぶだけに慧って

しまう。戦争をいう過ちを2度と繰馨返さないために も,子どもたちに擁害の事実を教え,当鋳の逡界情勢 や,社会麟綾など懸魑基準となる料姦羅料を与えて,

子どもたち自身がそれを験討・分摂した圭二で.現;窪の 儀植基準によって輝潔していく必要がある。

 しかし,このことは攣に薦害の事実を教えれば良い という翼題ではない。子どもたちの戦争認識は,戦争 学習におも・て撫害と鞍害の事実をどのように籔うべき

(2)

2暮 轟轟大挙教毒集銭醗究紀要第璽弩

かという開題1こ密接に関わってくる。戦争における触 書の灘藤を強講ずるによって.子どもたちが猿わゆる

「雷霆的涯になってしまい,愛国心が育たないという 自懇主義史観醗究会や「つくる会」の人々の意見があ る。一方,被害を教えることは,道義的・心構的な感 椿論でのみ戦争をとらえることにな鯵かねない。これ までの戦争学習において,これらの戦争を感性的な面 だけでとらえるという開題が解決されてこなかったか らこそ,「つくる会」の主張のように,撫審の事実を 教えることに蝿する開題礎起が鐵てきたとも言える。

今まで取り緩まれてきた戦争学習は.子どもたちに戦 争の悲惨さを伝えることで.平秘の尊さを実感させる ことにある程度の役割を果してきた。しかし,子ども たちが自ら積極的に戦争に反蝿する羨向きな姿勢を翻 り超すことは課題であった。子どもたちが戦争翼題と 麩分たちは無関係であると患っている鰻む,戦争問題 を自らの霧題として主体的に取り緩むことはできな誓、o 子どもたちの戦争に麟する無縫心や戦争翼題に対して 穰極的に取り総もうとしない無プ3感を醗部する必要が ある。載争問題に鰐する子どもたちの主体性という観 点から,臆害と被害の問題をどのように籔うべきかを 縷説する必要がある。

盤 戦争学習の経過

 本章では,これまでの戦争学習における趨害と被害 の掻い方の経遍を縷説するために,蓼歴史地理教奢薯 を分析する。歴史教育者協議会(獄下簗教協と略記)

は,戦後韓年以上にわたって戦争学習を積み重ねてき た実績を持っている。その機関誌である朧菱史地理教 翻を分締することで,戦争学習の経過,撫害と被害 の擾い方をある程度総括できると思われる。分輯する に当たって,ゼ歴史地遷教育暑における戦争学習論と,

戦争学習の実践とに分けて分析する。また,分析する 年代は,撫害と被害の簡題が本格的に霧われるように

なった驚年代から勢隼代までとする。

重、 ゼ歴史地理教書還における戦争学習論の:分析  ここでは,懲簿年代から9§年代の蓼麗史地理教育選 における戦争学習論を分析する。戦争学習論を分析す る際に.特に簾害と被害の問題を中心に見ていくむ  驚年代には歴数協において,戦争学習における趨害

と被害の問題が論議され,それまでの戦争体験の継承 から被害の面を強調することとは違い,趨害の面を薦 面に擬えること,感性的認識だけでなく,理盤i的・科 学的認識を重幌することが求められた。また,蔑衆の 立場に立って戦争学習を開墾直すことの必要性が轡ば れるようになり,新地竣に根差し,人民のたたかいを ささえる」ことがス聾一ガンとして掲げられ.全蟹各 地に埋もれている戦争体験を掘り起こし,教耕乾して

2毒鱗一12

いく皺む績みが行われたことが特徴として挙げられる。

 総年代における歴教協の特徴として,次の点が挙げ られる。まず,率秘教欝については,歴教協大会で平 秘教脊の分科会が新設されて単鵜教育に麗する報告・

実践が数多く醗究されるようになった。また,子ども たちが戦争を退去のことから将来にお謬る危機として とらえ始めたことが捲嫡され.戦争を現代の課題とし て,また実際に起きる幾題として子どもたち1こ伝える 平秘教育が重視さ醜た.この点に関しては,ヂ軍縮教 育」という籍しい言葉が定着し,単に単秘を考えるだ けでなく,轡翼精勢を知む境代の課題を解決していく カが子どもたちに求められるようになったことからも

うかがえる。高校生による平秘ゼミナール活動やヒロ シマ・ナガサキから駁核運動を糧界に広めていこうと する動きは,その代表携といえるだろう。戦争におけ る髭衆の癩握の霧題に麗しては,緊本ファシズムとの 天皇麟との開題が捲擁された。そして,戦時捧鱗だけ を問題とするのではなく,当時の餐衆の生活や心構を 明らか1こすることが必要とされ,7{}駕代にはあまり見

られなかった女雛の立場から戦争を見る鞭告も載せら れたことが特徴である。

 9§年代の砦籔としては,まずゼ従軍慰安鰯」の問題 が皺む上げられるようになったことが挙げられる。こ の問題1ま,ヨ本の戦争責任の橋懸をあらためて考えさ せる要露となむ,馨家としての戦後麺選・戦後補難の あ穆方が闘われることとなった。歴数毒霧では,「慰安 婦」の実態講奮の結果や裁覇での証言などが紹介され,

「懸1安婦珪の全体{象を明らかにすることが重税された。

こうした彗甕教協憂〉動きに女鐘雑嚢勺善こ, 霧由窪三義蒙ミ観概究

会では「慰安婦問題は教えるべきではない」と主張す る動きが晃られ,歴教臨ではこのことに録しての擾1覇・

長講を行っている。「慰安婦涯翼題だけでなく,歴教 協では,「白露主義史観豊雛浮弩に関する報告が数多く 行われたことも特籔である。戦争学習については,安 達喜彦氏が戦争学習を深める学習視点として,侵略・

抵銃・撫握の携点を戦争学習に取猷・れることを鍵莚 している。安達氏は,「被害・趨害婆の撹点だけでは 戦争が懸人レベルの獲罪であるかのように受け壷めら れ,真の職争責任があいまいになる恐れがあることを 控量摘し,優墾各の実態を侵鍵}された嚢轡の痛みが分かるよ

うに学習するとともに,アジア諸費族の抵暴1を還して

「諸民族の権秘の平等と艮族自決の尊重」を学ぶこと が大切であるとして疑る。さらに,嚢本羅漢が優酪に 嬉してどのように「撫握韮させられ,またそれに「抵 統」したかを学習すること,「戦争責征」の開題を考

え,野戦後責任」について翼いかけることを遍して,

アジア諸国との「友好親善を深める」ことが必要であ るとしているお。このように鱒年代1こは,捷書 破害 の観点の限界盤が撫摘され,侵略・趨糧・抵統の学習 観点が提起された。このことは,アジアとの連帯とも

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戦争学習における擁害と被害の擾い方 2i

関わって,民族自決の精神や逓隣諸国との友好関係を 築くため1こ「浸酪婆を明確イヒする必要盤iカ》らも重樫さ れた。侵酪・癩縷・撰銭の視点を戦争学習に取参入れ ることによ吟,それまでの触書・被害の梶点から戦争 の悲惨さ・残蕪さを強調するだけにとどまるという限 界姓を克澱し,なぜ戦争が起こったのか,どうして戦 争をまめられなかったのかという戦争の原璽・本質を 認識させることが重;鏡されたことが鱒年代における戦 争学習論の特徴である。

2. ζ歴史地理教育選における戦争学習の実践  の分析

 ここでは,欝騰隼代から鱒葎代のゼ獲史地理教育選 1こおける戦争学習の実践を分耕する。戦争学習の実践 を分叛する藤に,戦争学習論と瞬様に趣害と鞍害の鶏 題を中心に見ていく。

 鴨年代の戦争学習の実践と特鍛として,戦争学習に 戦争捧験の聞きとりを取り入れた実践が多いことが挙 げられる。父羅の戦争体験の饑きとりの実践は.子ど もたちに戦争を目分の海題としてとらえさ巷,子ども たち窮身の縫題意識,戦争認識を尊重する実践である といえる。そのことは,子どもたちが戦争を身近に感 じ,自分の簡題として主体的に皺む緩むことにおいて は膏鶴である。しかし,戦後欝葎以上経遍した現在に お紅・ては父母,羅父母の麗きと鱗避難であり.戦跡・

戦争体験を示す資料の撮む起こしなど,戦争体験の懸 きとりに変わる地の授業方法を考える必要がある。ま た,鴇年代は戦争学習において撫害の事実をどのよう にとらえるかが麗麗とされ,撫害を歪面に据える観点 が戦争学習に出てくるようになった鐸寺難である。しか

し.撫害の事実を教えることに繁して,侵酪されたア ジア諸国の人々の立場に立って考えるという視点が弱 い実戦が見られる。国蔑,民衆の立場に立って考える ころによって,天皇や草薬の戦争貴種が強講され,ア ジアの人々に銃を突きつけた醤本軍兵士の立場から考 えることに重点が置かれ,遜1こ銃を突き付けられたア

ジアの人々の立場から考えることが弱くなってしまっ ているように患える。

 総年代の戦争学習の実践の特籔として,次のことが 挙げられる。まず,7§年代線様に轄}轍の縫きとむ,

戦没者調査など地域の戦争を掘鯵起こした実践が多い ことである。しかし,戦争体験の風化が詣嫡され.戦 争逡跡や戦跡めぐむなどの掘り起こしを行っている実 践も発られる。また,父母の戦争体験の麗きとりが,

身近な当時の民衆の観点から戦争をとらえることを目 的の一つとしているように,当時の渓衆の生活状況や 意識から戦争を懸盤できなかった原馨を考えさせる実 践が晃られることも特徴の一つであるG総葺三代におい ては,歴教協の中で平秘教育が講議されたことと麗連

して,戦争学習の中にも平報教育と結び付けて鴛って

いる実践が多い。そして,人聞の生き方と戦争学習を 結び響けた実銭も晃られる。小学校では,戦争学習を 子どもたちが人懸の生き方を考えさせる纒起にするこ

とが主張され,中学校では,叢蒔の五霞の生き方を学 ぶことによって子ども窮身の生き方を考えさせること を主張していることからもそのことが言えるGこれは,

いむめや葬行など子どもたちを取む趣く環境や子ども たち欝身の殺伐とした意識を改善するため,平秘教育 を徹底することが必要とされたことが源纒であると患 われる。しかし,平秘教育は教育活動全体で舞うべき

ことであり.歴史教湾においては科学的な認識を育て ることの必要性が指摘され,平秘教育における蛙会科 の役割,歴史教育の役割を隅墾直すことが課題とされ た。中学絞・高校の実践が戦争の悲惨さだけを教える ことを開題とし,科学的認識を育てること璽摂してい るのに薄し,小学校では懸盤に訴えることを目的とし た実践が多い。このことに麟して,子どもに戦争の有 様をとらえさせな塾ままに,意見を違べさせる繧嚢が あることを捲擁し,小学絞殺隣では椿感に訴えること が主張され,発達段賠を考癒して戦争学習のあり方を 見痘す必要性が鮨鑓された。安井俊夫氏が,討論形式 の授業方法を戦争学習に叡猷康たように,8§年代か

ら子どもが主体の学習が綾討されるようになった3)。

また,捷書の面を強調した実践が多いことも8§牽代の 特籔として挙げられる。

 鱒年代においても,戦争体験の聞きとり.戦没者調 査など,地蟻の戦争を霧鯵起こした実践が多い。しか し,時代の経過から戦争体験の圏きとりは,父母・複 父母の戦争体験の継承といったものが少なくな鯵,鷲 定の人暢の体験談を聞かせる実践が増えている。中学 絞と高校の実践では,ヂ後軍慰安婦」閣題を取鯵挙げ た実践が多い。そのことと麗達して,戦争貴種にを追 及する実践も見られる。慰安簸問題を優った実践は.

慰安媛問題そのものを追及する実践と戦争責任・戦後 補縷の問題と絡めて戦争学習の申に位置づけているも のに分けられる。また,討論を取む入れた実践が見ら れるが,その是葬については歴教協の中で論議されて いる。癩藤公聡氏は戦争の歴史を系統的・構造的に講 義していく方法では生後の。ヒを素通りしていくだけで あることを旛擁している。そして,生経が今もってい る戦争や平秘についての認識・意識を鑛発点に開題提 起を重ねていき,活発な討講を緩織して,その申で羅 承近代の歴史を彼らなりの授点で構造的・科学麟にと らえ,自らの認識を発達させていき,それを土台に戦 争と平壌に帰して主体的に嚢分の意見と態度を形成で

きるような授業をつくることを主張している4)。簾藤 氏の実践は,生徒自身の騒史認識から,破らな馨の歴 史嫁を形成していることが,生経の平和論から鮨撫す ることができる。戦争の全体像や構造を科学的に認識 していく能力を育成することも戦争学習において重要

(4)

22 樵島大学教糞実践醗究総要第鮭弩

であるが.子どもが自らの開題意識を高め,戦争を繊 覇できるような主捧牲を育てることが,平穏の主体を 欝てる上で大窮であることを撫藤氏の実践は示してい

ると患う⑪

3、撫害と被害の視点

 旛害と被害の麗麗は,鴇年代にそれまでの被害の面 の強課が委舞撫され,趨玉書の授点が主に打ち鐵されるよ うになったが,戦争体験の縫き取りなど被害の醸が強 調される実践が多い。また,麗挺の観点もこのころか

ら鱗ば概るようになった。8§葎代には,子どもたちの 潔境の変髭も踏まえて,生命の蓉厳・人聞の生き方と いった単秘教奮との麗連が重撹されて戦争学習が進め られた08§年代から鶉年代にかけて.学習者,子ども が主纏め実践が鴛われるようになった。鶉年代には,

「健軍懇安難簾舞題が論議され,それまでの戦争責任の 開題とは異な鯵,現実的な繊後補叢の麗題と結び付け て綾討されるようになった。また.安達喜彦氏のよっ て蕊害・被害の視点の開題点が指鵜され,侵鴎・撫撞・

抵抗の撹点が礎趨された。優酪・臆挺・抵貌の視点は,

アジア諸蟹との連帯のため1こ,政策として進められた

「侵略」を瞬らかし,そのことに馨疑がいかに「糠握窪 し,また「抵抗達したかを学ぶこと毒こよって戦争認識 を深める学習観点である。安達氏隷, 8庫のヂ趨害」の 事実がかなり教紡化されるようになったが,駐本の

「侵酪嵯に録してアジア諸艮擦がいかに「抵航」した かが学習されることが少ないことを濁題とし,戦争が 纒人レベルの灘罪であるかのように受け窪められる 碧趨害涯という撹点から政策としてみ撫害行為金棒を捲 す紅綬酪」と疑う観点を羅》ているように患われる。縫 かに,撫害の事実を教え込み,戯事責任を懸人の問題 としてとらえることは観題である。しかし,それは癩 害の認識の藍方に鶏題があったからではないだろうか。

戦争責任の靉靆は擬人レベルと国家レベルとに分けて 考える必要がある。そして,戦争体験のない子どもた ちが主体的に戦争問題に取馨緩むためには,ゼ撫害雌を 実感させることが重要であると思われる。このことは,

r鞍害涯の幌点についても言える。安達氏は,「被害珪の 観点が必要ではないと逮べているのではなく,「畏衆 の被害」の翼墾癒しを搭摘している。そして,「被害3 がなぜもたらされたのかを鶴い詰め,アジア諸舞ミ族に 与えた「被害妻こ患いをはせる必要があることを主張し ている。実感をこめて葬被害3を認識することによっ て,「触書」についてもアジア諸国の被害者の篶みが分 かるようにする必要がある。そのために,「撫害盛と

「被害」の認識の仕方を問い直していく必要がある。

2§奪竃一華2

W 加害と被害の認識の仕方

 戦争学習における撫害と被害の面をどのように認識 させるかという問題について,遠出茂撰氏絃,次のよ うに鑑擁している。 野戦争というのぱ還盤の強鞘な認 識なしには趨藪できない盤質のもめだと患うんです。

だから,体験というものがないこと1まけっして購った ことじゃない。とくに今の趨害と被害でいえば,被害 というのはやつぱ鯵感性的な麟から入むやすい鶏麗な わけですね。ところが撫害ってのは葬常に還牲的なこ とだと患うんですね。その点で,撫害という賜題をだ してそれを解決しようとすれば,これは戦争韓:験がな くても進めていけ肇。

 ただその場合に,それじゃまったく鷺分の実感みた いなものを切懸しなくちゃならないかというと,そう

じやないと患うんですね。簾害体験を認識するという のは葬常に錘盤的ですけど,そのいちばん輿底には,

やつぱ静その人な鯵の実感,撫害の実感みたいなもの がなきゃいけないと患うんですね。橋手に代って自分 をおいてみるような実感と生活講練みたいなものがあ れば,あとは戦争の撫害牲の簡題縁葬常に理性的に擾 えるものだと思うんです。」駐

 載争学習において癩害と被害を認識することは.共 に感性的認識に臨鯵やすい。戦争における癩害と被害 は,戦争のもつ残震牲を両方の立場から段1験したもの である⑫戦争の残震磐三をみることは,生1々しく,子ど

もたちが戦争を道義的・心構的な感精論でとらえるこ とになりやすい。遠塾襲氏の言うよう1こ被害の癒郵ま,瞬 じ総本人の痛みとして実感しやすい。一方,撫害の面 はその盤質から実感を痒わず,感性的に認識すること によって,「当時の畏衆はなぜ戦争を露避できなかっ たのか誰という疑購を子どもたちに旛かせる。それは,

「自分達はそんな愚かなことはしない」という意識を 芽生えさせ,当時の観衆との懸絶をつくることにつな がる。戦争責任が戦争体験者にのみあると考えること によって,子どもたちが戦争鶏題を欝分達とは無縫係 であると考えてしまう恐れがある。子どもたちの認識 が感性的認識にとどまっている鰻む.この幾題は解淡 されない。またこのことは、,感性的認識から理葉塗的 認識に発展させれば良いというものでもない。人遜の 認識を懸盤的認識と蓬性的認識とに二分する考え方は,

感性的認識から種性的認識へ発展することを重要とす る見方につながる。 しかし,感性的認識と理轡1麟認識 は実際には複雑に絡み合も・,どちらがよむ高次のもの であるとはいえないと私は患う。遠出氏のいう趨害の 蓬性的認識は,感性的なものすべてを窮り離して,繍 害の事実を客観的にとらえるということではない。遠 出氏縁癩害を理盤的に認識する上で,子どもたち§身 の実感繍害の実感も必要であると逮べている。穣手 の立場に身を置くような実感が,つまり共感すること

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戦争学習における灘害と被害の擾い方 23

が趨害の錘性的認識には必要である。このことは.被 害の認識で言えば,被害を実感するだ謬でなく,客観 的な視点から戦争をとらえる鍵盤的認識を特に必要と することになる登ここで問題となるのは,子どもたち が戦争幾題をぜひとごと」としてとらえることである。

戦争捧験がなく,また戦争体験者が周鯵に少なくなっ た現代め子どもたちにとって,戦争周題を盤らの麟題 として主体的にとらえるには,構手の立場に§分を置 く実感.英感ずる能力を育成する必要があるのではな いだろうかα

V 「共感3の意味と役割

棄.ド共感達の方法の意壕

 歴史学習畢こ怠ける子どもたちの「共感的発言薩につ いては,安井俊夫氏が提唱している。安井氏のヂスパ ルタクスの反議涯の実践は,子どもたちが鱗象人糎と 共感することによって,自ら考えて追究する活動にな る。安井氏は,「共感」について次の点を指擁してい る。「子どもはこの反激を「ひとごと」として見てい なかった。当分資身も§密を求め.どうずればそれが 実現できるのか追求していた。娯隷のねがい(目懸解 放・櫨遜帰還)がわかるとは,そのような心の動き

(共感)をとおしてはじめて子ども§身のものになる。

子どもが自分とかけ離れた人たち(舞えば蝦隷)のく らし,ねがいがわかるには,痘らともに考える,つま り自分もそこに麗わっていくという主体的な活動,追 求心がなくてはならない。

 私は社会科の目標は主権者としての基礎的なカをつ けることだと愚っているαその基礎的なカのひとつは 鷺識である。もうひとつはその知識をひとごとにせず,

どうしたらいいか自分も考え,縄嚇するカである。従っ て,子どもが授業のなかでいろいろな事実(知識,教 材)に肖らかかわ鯵.ともに考えることは,主権者と しての基礎的な力を培ううえで重要なことである。」霧)

 安井氏の害うように,r共感」によって.子どもた ちが麟象入麺の麗麗を「びとごと」とせず,鶉らの翼 題として考えることが重要である。ここで共感すると いう行為は,単に共感した大儀と瞬じ考え,感情にな るということではなく,つくる会の主張にある「遜表 の人がどう考えていたかを学ぶこと」とは違う。「共 感」とは,蝿象人物の立場に自らを置くことであむ,

子どもたち自身が「自分だったらどう考えるか」が重 要なのである。つま鯵,鰐象入梅の立場に,自らの考 えを持ち込む必要がある。共感する入麺の感精に着暮 するのではなく.その入麺の置かれた状溌を重観しな ければならない。そのため,薄象大儀の置かれた状溌 を十分に羅握できる韓料を子どもたちに与える必要が ある。当藝寺の状溌を控握した一上で共感することによっ て,灘なる感精移入でとどまることなく共感すること

が薄能となるのである。

 安井氏の実践に嬉して藤緯揺勝氏は.次のことを旛 接している。 「共感から珪1発する.主体的1こ欝分の鷺 題として考えることは大鰐であるが,しかしそれは難 史的事実の連関・分断に陶かうべきものであむ,した がって, 共感 からいきな鯵 主権者形成柑へでは なく, 共感骨から 分新暫へ,という点が重要であ る。f)

 「共感雄から「分析」に講かうことによって,感性 的認識だ謬でなく,鍵盤的認識も必要となる。歴史的 事実の連縫,客観的な法則を認識することによって,

「美感雌という感性鹸な行為が遷牲的な認識となむ,

子どもたちの麗麗意識の質を高めていくことになる。

また,ド分疑雲によって「共感]の辮象入梅の状況・

礫境を縷試することになり,さらに深く共感すること にもつな窟る。重要なのは,ただ単に「共感」から

「分離へ発展させることではなく,両方の子どもの 愚考活動を通して,子どもの問題意識の質を蔑めてい

くことである。

2.ヂ科学的歓会認識雄とド共感」の関係  「共感3によって子どもが問題意識をもち,「分析」

を通して理性麟認識となり,さらに「共感蓬の質を高 めることにつながる。重要なのは,単に科学的知識を 身につけさせることではなく,子どもたちの開題意識 を持続させ,質を高めて確かなゼ科学的縫合認識垂と なることである。共属執1筆者の霞丼嘉一は, 「共感的 発言涯とゼ科学的栓会認識涯との纏わりの中で,「科 学的社会認識盛の内容のとらえ方の変化について.次 のように述べているG 縫§驚年代の実践・運動を経過 した総総年代の今雛において,あらためて科学的社会 認識について考えるとき,亙§欝年代から欝欝隼代へと 発展していったかっての開題駿況とは異なることに涯 意しなければならな籍。つまむ「科学的鮭会認識雄の なかみのとらえ方も麸会科でねらう目標のとらえ方も 変化しているのである。すなわちかっては積極的・欝 定的慧立場からは十分に盤遷づけられていなかった 郵子どもの問題意識」 「子どもの生活意識」などとい う学習者自身の問題意識や主体性の縫題は,遷けてと おれない問題となっているのであるα…(中鰺)一 籌8§年代的問題軟泥を視野に入れるとき,科学的挺会 認識の内容は,「客観的3で「科学的雲というような

とらえ方だけではすまされないと考えている。」紛  嚢聾は,娃会科の目標としての「科学的縫会認識」の 形成の内容において,学習者の問題意識や主鉢性を検 討する必要性について指擁している。平成欝葎蔽中学 校捲導要領尋こおける娃会科の§標導ま,「国嚢祭社:会に生

きる戻主的.平愁的な羅家・社会の形成者として必要 な覆渓的資質の基礎を養う涯ことであり.平成聾年版 轟等学校学習搭導要領1こおζナる地鍵歴史科の猛標妻ま,

(6)

2透 織島大学教湾実践嚢究紀要第擁号

「羅擦社会に主体的に生きる良主的,平壌的な露家・

縫会の一員として必要な自覚と資質を養う」となって いる。現在においても,指導要領に見られるヂ蟹家・

縫会の形成者涯,「主体的3といった子どもたちの嚢主 難語主体性を重観する繧肉にあるといえる。しかし,

このことが科学的・客観的認識を軽復することになっ てはならない。子どもたちの鷺題意識・主体性のみを 追究することによって,子どもたちの歴史認識が何の 科学的糧礎もない一人よがりのものになってしまう恐 れがある。子どもたちの問題意識・主棒性を含みっつ,

子どもたちの誘識が科学的にも,客観的にも確かなも のにならなければならない。ゼ共感蓬の方法は,学習 者自身の翼題意識や主体性を重擁した授業方法である が,客観麟・科学的な認識も視野に入れる必要がある。

その方法が「共感薩から郵分析湛こ露かうことであむ,こ のことによって子どもたちの周題意識・主体盤を含ん だ「科学的握会認識」につながるのである。

W 結語 加害と被害の扱い方に   おける「共感」の方法

董.[共感まの方法を取》入れた戦争学習の  実践の意義

 ここでは,「共感」の方法を取鯵入れた戦争学習の 実践を見て籍く。

 江難勝善氏は,いじめや差懸といった仲醐の人格ま で否定してしまう雰懸気の中で.子どもたちが相手の 気持ちを自らのものとして分かむ合う紅共感」が成立 しないばか穆か.自分の人格の発達さえ押し留めてい ること捲摘し.自らの生き方を考えさぜることを課題 とした小学校6年生に頬する戦争学習の実践を行って いる。江口氏は,戦争の原因となった経済的・政治的 状混には深く立ち入らずに,徹底して戦争の中の生き た木鐸難こ目を露けさせ,そうした人々との「出会い雌 を通して,人聞の尊厳と生存の問題を子どもたちに突 き響け,載争と平秘の問題や,自分たちの9常生活に おいて,一人一人の尊厳と生存のあり方を自分な蟹こ 考えられるようにすることを課題としている。実践の ねらいは.①十五年戦争の簡単な経過と具体的な事実 をいくつか知らせる,②身近な人々や資料に轟てくる 人々の体験を通して,その当時の社会の様子や人々が

どう生きてきたのかをつかませる,③灘分だったらど う生きるかを考える申で.戦争と軍縮につ裕ての自分 なりの考えを持つことができるようにすることの3っ である。資料は,蒋に子どもがの姿が鐵ているものを 痩っている。,このことは,残露な写真では.強烈な インパクトだけが残鯵子どもたちのイメージが置定イ乞

してしまう恐れがあむ,子どもたちがより身近に憾む るできる当時の子どもたちの写真を養うことによって,

共感関係を成立させることを意籔したためであるα擾

2§斜一葉2

業は,子どもの擁父や当時の民衆.中蟹の人々といっ た当事者の立場に立って,「欝分だったらどうするか,

どう思うか」を討1論させる形で進められた。子どもた ち慧討議}の中で,載場に膏きたくない人々までどうし て戦場に行かなければならなかったのか,申羅の人々 に端してどうして残震鴛為ができたのかということを,

歴史の外翻から幾評するのではなく,§分を麟も・なが ら考えている。注口氏慧,子どもにとっての懸人の生 存と尊厳の実感1ま自らの主体的な意識との関わ鯵の中 で認識されるものであむ,極猿状慧の中に存在した人々

との出会いを遍して自らの主体形成,つまり§らの生 き方を商うような場を設定することを主張している9}。

 次に,安聾俊夫氏の大学i隼生麟象の実践を分析す る。この実鍍は,大学の教養ゼミにおける議講を安井 氏が紹介したものであるが,安井氏の主張する「共感涯 の方法や討論授業が購確に表れている実践として分析 する懸麺がある。特攻隊を取甑とげたゼミでは,レポー

ターの「どんなに美談とされても犬死1こと言うしかな い涯という問題差蓬蓬から討毒禽1む蓄始められた。このこと に蝿する反論1ま,r彼らを平壌の礎と見るべきだ」と いうものであむ.この平魂1の礎隷1に短し,「稜らの悲 惨さを知り,二度と繰む遽さないことが平秘のつなが

る雌といった概観が出た。この議論に嬉して褒辞氏は,

学生が平穏の礎論を唱える横縫は野躍解してやりたいヨ という心構であむ,「当時1ま美談や英雄が必要であり,

そのために死んでいった鞍らを単報の礎を築いたと言っ てやらなければ・命を捨てて得たものがなくなってし まうではないか」という戦争謹代の人たちのように戦 後鎗奪轡代の若者が発言していることを重視している。

そして,この「共感的発書婆が,特攻琢そのものに鰐 するものではなく,鞍らの置かれた影状溌涯に対卜する

ものであることを鮨擁している。また.レポーターか ら鐵されたもう一つの郵私なら志顯しない」と言う論 点に頬しては,「志願せざるを得ない状溌韮に置かれ

た離員たちを窪璽解してやむたい婆という一種のド共 感」をもった発言が冤られる。これは,嚢分自身を講 じ状況に置いて見たとき,やはり「そうせざるを得な い§分」をそこに見るからであり,現在の大学生がこ のような認識の経跳をたどった場合,国民感構を共有 することがありうるのだということを,歴隻!教蚕奪は欝 覚しなければならないとしているσ南京大虐殺の議論 では,「擁の理露もなくこんなひどい殺し方をするわ けがなく,これまで苦しめられた仇討ちという意識が あった猛ことが,開題提起された。議轟禽が進められる 中で,侵鵡戦争における「縫織的計癖約墨行為が瞬題 となむ,紛織の計遜として命令する欝とそれに雛わさ れる{麟の問題毒こ行き着いた。ここで,命令に縫わざる を得なかった兵士の苦しも・立場を理解すべきだと言う 意見が鐡た。このことについて安井氏は,癩害の事実 を取り圭1げるとき,学習者がその現場にいる兵士を翼

(7)

戦争学習における灘害と被害の擾い方 25

題とするのは,「こんな場面に自分がいたらどうした だろうか」と考え,「§分なら絶交蔀こ嫌だが,兵士た ちは遡れられなかった」と§分と兵士を璽ねあわせて 考えるからであるとしている。そして,「自分なら絶 録鎌だ」という実感をもとにすれば,苦しい立場の兵 士を理解する,兵士の苦しみを共有するというものと は異なった鶏獲:からの追求が司1能であることを捲擁し ている。それは,「やりたくない」という方向での共 有であむ,必然的に「二度と繰む返さないためにはど うするか」坤「誰が侮のために兵士をそこに連れていっ たのか」という戦争の賛嚢勺畢構造の追求善こ肉かってい くものとなっている学生の認識の籏道である。安井氏 は,兵士という纒人的体験のレベルに立ちながらも,

そこから蟹家の論理へ饗を向けていくという認識の筋 道を重視している。そして,趣害の問題に簸する蕾艮 感構の問題において,学習者が過去をしっかりと受け 鑑めながらも,いかにしてそれらがもたらされたのか を現在から分析し織る地点に立つことが課題であり.

このことが「やむを得なかった」論を見直す契機にな り得ることを繕擁している動。

 江口氏の実践は,懸年代に行われたものであり,そ の頃から瞬ばれるようになった平秘教育との経連,人 瞬の生き方の羅題と戦争学習を結び付けた実践である。

涯羅氏は,子どもたちにとって具体的なイメージを形 成しやすくするため,当時の子どもの写真や戦時下の おける子どもの生活状溌を示す資料を購いることによっ て,子どもたちが「共感」できるよう1こ心掛酵ているQ また,発達段隊を考癒して戦争の原霞を追求させるの ではなく,戦時下における人聞の極醸の姿を通して,

窮らの生き方を問い直すことを重擬している。安井氏 の実践は,討論授業の形を取り,学習者が特攻隊員や 震殺を行った兵士に「共感誌することによって,彼ら の気持ち,想いを理解してやりたいという心嬉になむ,

そこからなぜそうせざるを簿なかったのかという戦争 の馨的・購造の追求に講かっている。どちらも,戦争 学習に「共感豊の方法を取り入れ,自らの縄題として 考えさせるといった学習者の主体性を重複している。

しかし,認識の筋道,認識の到達轟標という点におい て講者の実践は異なっている。江灘氏の実践は,学習 者が戦時下における入との「霞会い」を通して,人縫 の尊厳と生存の大切さに気付き.自らの生き方を考え るという認識の筋道を敷いている。一方,安井氏の実 践は.学習者が兵士の苦しい立場,追い込まれた状溌 に「共感」することによって,戦争の構造・§的,そ こに見える国家の講錘へ舞を緯彗けるという認識の筋道 を敷いている。つまり.江羅氏の実践は自らの生き方 を考えるという感性的認識を重視しているのに馨し,

安井氏の実践は国家の論理に§を向けることによって,

r共感」からr分縮へ,感性的認識から鍵盤的認識 へ向かい,r科学的鮭会認識」につながっているので

ある。もちろんこのことは,小学校6葺三生と大学圭葦 生との認識鐙違い,それぞ麟実践のねらいの違いがあ り, 「共感」の方法を戦争学習に皺むいれることに対 して発達後彎を考癒する必要があること示している。

江蘇氏の誉うように,帝国主義戦争が莚こる原遜1ま小 学生の理解を超えるものであり.「なぜ戦争が起こっ たのか並という縫題意識を子どもたちの中から導き鐵 すことが重要であると患う。そして,その開題意識を 持続させ.中学校,高校.大学において.戦争の源慰 構造,目的,国家の講理,遜家体麟といった様々な戦 争の問題を深く追究していくことにつなげる必要があ る。戦争の当事者のことを考癒し,その当事者の置か れた立場,状溌に野共感漉することによって生ごた問 題意識を持続さぜ,質を高めることは,小・申・高と いったそれぞれの発達後難1こ隷ナる戦争学習の置いて 重税されるべきであり,全体を還しての戦争学習の力

婆キュラムにおいても重要である。

2、無害と被害の擾い方とギ共感鷹の方法の  関係

 これまでの載争学習では,子どもたちに残虐行為の 具体的な資料や写真を分析さぜることによって,戦争 の悲惨さを感性的に認識させることにとどまる授業が 多かったのではないだろうか。それでは,濾害と被害 の開題を子どもたちが科学麟に追究し,主体的に麗麗 に取り緩む「科学的栓会認識」にはならない。子ども たちが科学的社会認識を身につけるために,ヂ共感猛 の方法を戦争学習に取りいれることを提案する。撫害 と被害を教えることに「共感懸を取穆入れる際に,次 のことを述べておき熱㌔饑えばアジアに録する優鴎 行為として南京大震殺を教えるときには,趨害者とし ての雛本人と,被害者としての中石入の爾芳に共感す る必要がある。その際,艮衆が戦争に撫橿させられた しくみ.侵酪に爺する中国の人々の抵航の実相を教え る必要がある。艇害者としての蓉本人に共感すること は,実縢に中震の人々に残灌行為をした響奉軍兵士の 感椿を考癒することではない。霞本軍兵±が中墨の人々 に薄して銃を突きつけるまで至った軟溌,立場に灘ら を置くことで,その行為を主体的に考えることにつな がる。また,一方の立場から考えるのではなく.西方 の立場に共感し,懸々の視点から見ることによって,

それぞれの立場に左右されず客観的に捉えることがで きるのである。被害について教えるときにも講様のこ とが言える。被害の代表舞である漂爆問題の授業にお いて,原爆の悲惨さ,蕪本人の被害の深灘さのみを翼 題としてきたのではないだろうか。もちろん療爆の霧 題は,単に被害の事実としてではなく,平秘教脊の面 からも轡界的核廃絶と結び磐【けて考えていく必要があ る。しかし.アメ讐力の戦蜷的愚考を考慮せず,原爆 を投下したアメ撃力人の立場を考憲しな塾・のであれば,

(8)

26 福島大学教糞実践醗究総要第毅号 2麗奄一葉2

還盤的に認識したことにはならず,感盤的に原爆授下 を幾鵯しているにすぎない。被害の実態だ酵でなく,

その漂石.当時の蛙会のシステムなどを考癒した上で,

共感する大霜を鰻足せずに,様々な撹点から見ること によって子どもたちの認識が深まる。子どもたちが

「ひとごと]として縫えな塾ように醗癒することが戦 争学習にお》ては重要である。単に撫害の事実を教え るめであれば,戦争体験者との駈絶をつくるだけであ る。いくら戦争の悲惨さ,残感性を伝えたとしても,

子どもたちは「ひとごと蕪として縫えることになる。

そのことは単に資料の読み取巻)による験誕や客観的な 事実の連麗を分鋳したとしても.子どもたち自身が嚢

らの構題として趨発したものでなければ,単なる事実 の確認,客観鯨法則の獲簿に終わってしまう6戦争に 蝿する離心が薄毅つつある今醸こおいて,共感するこ

とによって戦争体験の蕎無を縫わず,子どもたちが戦 争問題を目らの購題として擬え,主体的に考えること

につながるのである。

 撫害と鞍害の掻い方は,縫来の鞍書癖心の戦争学習 の見直しから,趨害の幌点が実践において重縫された。

また,「撫害・被害まの観点の問題点が捲摘され、,

紅饅覇・趣握・抵抗藩の槻点から戦争認識を深めるこ とが,戦争学習の学習授点として鐘置づ謬られた。し かし,子どもたちの「共感」を 戎立させるには,「趨 害・被害藩の視点からの事実認識が必要である。 この ことは,「撫握・抵貌ゴの撹点を軽撹することはっな がらな秘。なぜならε共感護を通して子どもたちは,

野どうして昆衆は戦争に拳き込まれたいったのか」.

「戦争に難して反難した人はいなかったのか韮という 問題意識を持つからである。「癬害・被害」の事実認 識は懸人的体験レベルのものであるが,そうした懸人 レベルのものでなければ,ε共感燵は成立しない。い きなり,戦争の目的・構造,国家体鰯と言った蟹家レ ベルの分析に海かうのでは,当時の蟹浸の感椿を運解 することはできない。国擦協調,アジアとの連帯が鱗 ばれる今8にお継て,縫者を理解すること,地者の立 場に身を選継て考える能力を奮威する必要があ滲.

「共感」の方法によって戦争学習においてもぞうした 能力を育てていくことが重要である。

 識の講鍵」ゼ歴史縫鍵教奮遷欝簿奪8・9月号 6)安詳俊夫「絡分の馨」で歴史をとらえる」大槻鍵・

 臼昇嘉一織ゼ中学校蛙会科の薪展麗選あゆみ串蔽,

 欝83奪.夢β.珪ト藁2

7)藤饗膳雛「科学的縫会認識の形成と縫会科の授業」

 大槻鍵{藁聾嘉r纒ζ中学校縫会科の薪靉靆選あゆみ  鐵叛.欝総隼,夢.鰺§一

8〉藩弄嘉一「科学的鮭会認識と紅共感的発露おζ歴史  地鍵教官選緯83隼3月号

§)江舞勝善騨捻奪も続いた戦争涯の学習」ζ麗更地錘  教離婚83奪捻舞臨時増霧号

鐘)安聾俊夫「十五奪戦争に難ずる麟浸感精と癒史教育  の課題達ζ歴史地鍵教蕎譲i弱8隼了月号

(2継竿§月2紹受理)

〈注・穣羅文献〉

茎)茜羅幹二麹罫新しい歴史教科書磨鉄桑栓,騰艇庫,

 夢登.§一7

2)安達嚢彦r優鯵・擁握・抵銃の擾点を」騰甕史地鐸 教育雲欝93葎3擁臨時増舞号

3)安昇俊夫「学びあいと子どもの主韓形絞」蓼麓更地 鍵教育書鴛鍵奪無月号      . 魂)擁藤公署碧平鵜の主簿を膏てる麗史の授業」ζ澄更

地蓬教蕎郵§麗奪縫1号

5)遠慮羨樹飽薪敗戦総奪痙談会 歴史教育におげる認

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