化学と生物 Vol. 50, No. 1, 2012 7
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くなり(3, 5),そのときにはやはり背内側部の先頭集団細
胞で見られるはずの早朝のcAMP誘導性の遺伝子発現 が消失した(3).これらの薬理学的所見は,今回見いだし たRGS16パスウェイの生理的重要性を裏付けるばかり でなく,将来的にこのパスウェイを標的とした創薬が慢 性的な寝坊などの睡眠覚醒障害の治療に役立つ可能性が あることを示唆している.
上述の結果は,これまで長年謎に包まれていた「SCN ニューロンネットワーク」の分子機序に迫ろうとするも のである.筆者らは,RGS16という新しい分子を見い だすことによって,SCNの細胞「内」の時のシグナル の仕分けが,細胞「間」の同期パターンを決め,ひいて
はそれによって個体レベルの活動リズムの周期までが決 められていることを示した.ここで得られた所見は,
「如何にして脳の神経ネットワークが個体の行動パター ンを規定するのか?」という脳の仕組みの謎へ迫ろうと するシステム神経科学的な見地からみても非常に興味深 いと考えている.
1) S. Yamaguchi : , 302, 1408 (2003).
2) D. K. Welsh : , 72, 551 (2010).
3) M. Doi : , 2, 327 (2011).
4) S. Aton : , 103, 19188
(2006).
5) J. S. OʼNeill : , 320, 949 (2008).
(土居雅夫,岡村 均,京都大学大学院薬学研究科)
接ぎ木栽培によるナス果実のカドミウム低減メカニズムを探る
シンクロトロン放射光源マイクロビーム蛍光X線分析の応用
農林水産省による全国調査の結果,国産ナスの約7%
がカドミウム (Cd) 含有量において0.05 mg/kgという 国際基準値を超過している実態が明らかとなり,ナスの Cd吸収を抑制する技術の開発が必要となった.竹田 ら(1)は,Cd吸収能の低い台木品種を用いることで,ナ ス果実のCd濃度を大幅に低減できることを見いだし た.ナスでは,耐病性を向上させるために,近縁種に接 木をする栽培が一般的に行なわれている.このため,接 木栽培によるナス果実Cd低減技術は,コスト,普及性 の面からも実用性の高い対策技術である.
接木栽培によるCd低減技術は,ナス台木品種が地上 部にCdを輸送する能力が低いことを利用している.ナ ス果実のCd濃度を自根栽培の約4分の1に低減できる 台木品種であるスズメノナスビは,ナスに比べ導管液中 のCd濃度が低い(2).したがって,根の表皮から導管ま での経路上にCdを蓄積し地上部への移行を抑制する領 域がある可能性が高い.根のような小さな領域で,どこ にCdが蓄積しているかを調べるためには,
μ
m単位の 空間分解能で,相対的な元素濃度分布を明らかにできる 蛍光X線分析による元素マッピングが有効である.あるエネルギー以上の光を試料に照射すると,蛍光X 線が放出される.蛍光X線は元素固有のエネルギーを もつため,エネルギーから元素の種類が,強度から濃度 に関する情報が得られる.細く絞った電子線やX線を 励起のための光源として試料上を走査し,1点1点蛍光
X線を検出することで,試料上の相対的な濃度の高低を 示す等高線図である元素マップが得られる.電子線を励 起 源 と す る 電 子 線 プ ロ ー ブ マ イ ク ロ ア ナ ラ イ ザ ー
(EPMA) は,カルシウムなどの必須元素や,重金属高 集積植物に蓄積した高濃度の重金属の二次元的な濃度分 布を可視化できる有効な手法として利用されてきた.し かし,作物のように高集積性をもたない植物体中の有害 元素濃度は低く,EPMAでは検出できない.励起源を 電子線からシンクロトロン放射光源X線に変えること で,特に重金属元素の検出感度を飛躍的に向上させるこ とができる.
シンクロトロン放射光とは,光速まで加速した電子を 磁場で急速に曲げたときに接線方向に放出される光であ る.赤外線からX線まで広い波長範囲の光を含み,きわ めて明るく,光源から離れても広がって弱まらずにその 明るさを保つという特徴をもつ.蛍光X線を効率よく 放出させるには,元素ごとに最適なエネルギーがある.
シンクロトロン放射光を使うと,分析したい元素に最も 適したエネルギーの励起X線を選ぶことができる.さ らに,励起X線を細く絞っても,試料上のX線強度密 度を高く保つことができることから,微小な領域でも高 感度分析が可能となる.生体内の多量元素の影響を受け ずにCdを高感度に分析するためには,高エネルギー X 線で励起する必要がある.
μ
mスケールまで集光した高 エネルギー X線を利用できる放射光実験施設のビーム化学と生物 Vol. 50, No. 1, 2012
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ラインは世界的にも少ないが,その一つが世界最高輝度 の放射光を発生できる大型放射光施設,SPring-8の BL37XUである(3).
SPring-8のBL37XUにおいて30 keVのマイクロビー ムX線によりスズメノナスビおよびナス(千両二号)の 根の横断切片を3
μ
mおきに走査し,Cdの二次元分布を 測定した結果を図1
に示す.ナスでは導管までCdが到 達していたのに対し,スズメノナスビの根の内皮,内鞘 近傍には,Cdが蓄積していた.根の表皮から吸収され たCdは,アポプラストあるいはシンプラスト経由で中 心柱にある導管へ向かう.アポプラスト経由の輸送は,内皮に存在するカスパリー線によってブロックされてい るため,Cdが導管に到達するためには必ず細胞内に取 り込まれ,内皮を通過する必要がある.スズメノナスビ の根では,アポプラスト経由で輸送されたCdが細胞内 に取り込まれず,内皮を通り抜けられない.また,導管 にCdを排出できる輸送体の機能あるいは発現量の不足 により,シンプラスト経由で輸送されたCdも内鞘から 先に進むことができない.このため,内皮・内鞘でCd の輸送が停滞し,蓄積していると考えられた(4).
シンクロトロン放射光源マイクロビーム蛍光X線分 析法による高感度・高空間分解能の元素マッピングは,
元素の輸送が制限されている部位を特定するために有効 である.BL37XUではX線ビームを300 nm程度まで集 光することができ,細胞レベルでの元素の分布の観察へ の応用も十分可能である.6元素の同時分析が可能であ り,有害元素の輸送と必須元素の輸送との関連を示す手 段としても有効である.また,遺伝子の発現部位などの 情報と併せることで,生体内における元素の輸送を明ら かにするための手段としても威力を発揮することが期待 される.
1) 竹田宏行,西原英治,荒尾知人:日本土壌肥料学雑誌,
78, 581 (2007).
2) T. Arao, H. Takeda & E. Nishihara : , 54, 555 (2008).
3) http://www.spring8.or.jp/wkg/BL37XU/instrument/
lang/INS-0000000592/instrument̲summary̲view 4) N. Yamaguchi, S. Mori, K. Baba, S. Kaburagi-Yada, T.
Arao, N. Kitajima, A. Hokura & Y. Terada : , 71, 198 (2011).
(山口紀子,(独)農業環境技術研究所)
図1■根におけるCd輸送制御
(A) ナス(千両二号)の根横断面の走査型電子顕微鏡写真.(B) (A) をシンクロトロン放射光源マイクロビーム蛍光X線分析法で測定し たCdの二次元分布.(C) スズメノナスビの根横断面の走査型電子顕微鏡写真.(D) (C) をシンクロトロン放射光源マイクロビーム蛍光X 線分析法で測定したCdの二次元分布.(E) 根の表皮から導管までの経路上におけるCd輸送の模式図