中雛嘉灘・難譲!薫諮:探箸灘1支流小ll携ぐ流域における殺転彫厳と嫉貧グ)矯果について 尋3
摺上州支流小川下流域における 段丘形成と峡谷の効果について
中村嘉男・豊田康裕
1 は ごめに
姦灘盆地およびその霧透地域の地形のうち,摺 1二燐水系のひとつ小漢流域に,羅盆地地形発達史
、L興・糠深い現象を見饑したので韓舞する。鰐象鍵三 賊はわずか数雛の狭い籔雛ながら,小磯の溝遠変 遷の過程にお1ナる嫉谷の形成が,その一1づ潅/選1こ一 定グ)影響を与えたらしいことが予灘されたのでそ グ)点を中心1こ穣訂する。これについては,鵜題の
一鶴をすでに公表したところであるが黛緩・中
韓鎗771.今騒重まとくに.地形発達過程における一.二のε夢lso6eが麗辺地簸の地形特性ないし地形環 境に与える棒組みのようなものを旛擁しつつ,地 形誌一Gε{)欝r幽響a書麹または艶g醜al爵彊。一 欝&麟y一への資料提骸としたい.
2 小鱗流綾4〉地形概観
賜武繧鴇姦岸の支流雛一ll二鱗は粟子毒地を深く闘 観しつつ飯坂付透で描鵬盆地に慮るが,小瞬は,
摺一Llきiが簸鞭の南約董撫の地点で流れの海きを大 きく東に変えるところに,その右岸から合流する
一…x流である。小韓はその平凡な名称と不釣篭合い に, 1ゴ窺域では粟子霞地に罎枝状の家系を発達さ せ,起狭量3鑓騰/獄程度の中起猿轡地を生み識し ている。水系漢様にもひとつの著しい特色がある。
すなわち,脊梁山嶽の…鋒葡萄沢ll §春7.3麟か ら南東に約6臨にわたってのびてその南靉靆の訟 騰流簸,詫東灘の小舞流域を分ける支藪があるが,
小lli流簸の水系はここで多くが詫東方1轄こ流れ,
それらが集まって小繕となり東南東に流下する。
不動沢・大滝撰・菱織などがそれである。地方,
小磯の左岸には,横磯を除いて大きな支谷はなく,
粟子地塊出地の隆起運動がこの付近で爾高裁低璽 の性駿を帯びていたことを推定させる!渡遣鴛82,
中妻書・窪垂爵青玉§82〉。
V字谷をもって露地を深く穿つ蔀分を.、塁二溝暴或と すれ1ま,篠鶴盆地に選づき両岸になお急縷な谷壁 斜懸を{害いながらも谷底1こ数段の海成段丘を発達
させる部分の流簸が中流域,露地を離農て盆地鎌 1こ患.雛季、墨二燐に合流するまでの湾1天の流域力f下流 土嚢にそれぞれ稽嶺する。5万分のi地形分類懸「旛 島」(中奉書・1晦董98乞1こみる遂華美,中流域におけ る軽量昆錐嚢まその1まとんどカ{滑走禽}藤壷二1こ分震ぎし串
小磯がここに典璽的な穿入醜流を背なったことを
犠1欝}る。段1廷峯籍蕩1斐は叢.量ゴ立の一駈鎧!砂礫段r廷1Gt至
の2瀦〜23{撫から下段砂礫段証.騒立嚢G醗†の蘇}
〜蔦○澱までの纏を示している(第i緩!。
小綴が臨地東縁の台霞麟矮屋を切って繊島盆!地 に鐵たのちの下流域には,盆地縁の一難を構成す
る扇麟け毯鷺iの中位吾小磯段一鍾■童謹立藩Gt嚢縦童5()〜8倉搬、
駿王寺至醇.駿醗・串縫婚77:飯坂段廷・鹸銀段轍.
安誘欝7鱗が慧{くひろが彗,それよ岳}■紅紘および一下 霞の後産講が小規模かつ翻片的に分布するなど,
中流域とは著しく異なる麺獲多構造がみられる。本 稿の主馨的も,このギ流蟻における地形麟配置の 讐色を検1訂することにあるので,以下の章でこれ について詳論する。なお,盆地濠にあってもこの 奉賛量には蒐越鐵(2欝欝)をはヒめとして.標高2§{肇
〜茎5{)の,流紋岩の小廷が8鋒ばか歩}点在してお妻},
この存在が下流簸の地形的特色を左右する大きな 鍵のひとつをにぎっている。
3 小鱗下流馨新小鱗橋盤近の地形
帯震域県本吉舞三敷津覇、苫気欝里繭小学校
(麟 段丘藏分布
第i騒からも読みとれるが,小撰下流域の段丘
麟分布には特鍛が2つある。すなわち,①■鴛宣砂 礫段豊(;毛董(中野醸,豊羅・中幸駿解7〉の分薦が左 緯毛由麓部導こ嚢艮ら農ること,②ノ罫纐の流嚢餐変遷の途 中で蔽谷が形成され,そグ)勤果によって段旋藤分 熱こ不規嚢購が生じたこと,である。まず①1こつ いて1ま,一般に,砂礫を藤地から搬幽する溝辮は,盆地などの平量地1こ懲たところに扇状地をつくる
艇 麟島大学教奮学謡講藁蕊讐 玉露3一玉2
エ リル ヨ オヨ ザき へむ 世一ご な ま
囲囲昭悪目翻翻躍層
な の圏魎圏
∈1 髭.抗一卜饗曽凸幽宰義琵講
第雄羅 小燐下流域地形秀類麟(中替逼餐綺i繋2による〉
i中起伏縫彪 2小起伏鐡地 3毒羨緩斜懸 尊襲腹緩斜露 5圭薙砂礫段丘Ct玉 6中泣砂礫段丘.墨二麺藤G躍÷ 7中位砂礫段丘階下飯醸G躍 8下蝕砂礫段箆上{立懸 盤羅† §下位砂礫殺鼠下薮藏食醗 1弱窺紋岩.藪陵 i璃然堤鯵 滄海漂 捻谷藪
玉響欝 F趨向 縫東森 董医王寺 瞬久多毯本 K轡護子坂 翼a畔鳶喜多違婆慈
翼i嚢嚢1豪 ()難、越識 s養新ノ毒、lil縫 s藪桜饅 丁!蔑象
ことが多いが,ここでは,G樋が小購の護岸に対 紘的に形成されたとしても,その後中{立砂礫段丘 ま二位面Gt夏野形成難1こ誉岸のG護のみが灘}/去ら れたものと患わ疑る。②に関しては,次のような 発達過程が考えら競る.すなわち,Gt童影藤形成 難.小鱗は露地;からの患嚢の舞子坂を支点として ほぼ9ぴの獲角をもつ扇葺多の平藷の中を繕えず流露 の猿置をかえながら流れ.そこから下流に扇状地 を彩滅したと考えられる〔第2緩1。この時期、堆
積した砂礫贋の厚さは,瞬子坂付近で約5鵬,籍
ノ罫絹嬌のL流5(矯獄琶全量の露蓑嚢で約3猿,はるか下 流の桜鐙付近でも2撚程度とあま舅擘くはない。
駄夏野懸の彫厳1縁,この下流戴に.薫在する表記の 流紋岩亘陵を砂礫屡が埋めたてる遜程にあたるが.
全体としてはそれら小丘の麓を薄く埋めるにとど まる。しかし,流紋岩丘陵の標高の小さなものは.
辛うじて頭を出す程度にまで堆積されているとこ ろもある(中平地内の禅絃のあるところなど)。また,
小騨の流下方海紅帰してこれをさえぎる方灘にの
びる鬼越塗では,その壷ゴ窺鱒(下鱒子坂からそグ)爾 へi撫程凌!に砂礫が厚く堆積し.ちょうどその 蔭となる下流縷彗(薦療,久地本{窪近〉に薄く堆寿費し たらしいことがこの丘陵をはさむ梅地区の標高差 約20醗から推定される(中村・塩欝欝8舞。こうして,
この時矯の地形景観は,ノ茎・鱗の新難〔ないし成長 率の)扇状地の上に,大小の流紋岩小疵群が.点在 するというようなものであったであろう。それは 篠島盆地衛藻にお診る欝夫出.一軽森,蕎ヶ森の 埋め残し地形の形成過程と軟を一一にするものであ
る。
ところで,この畿状地嚢(=G鐙t〉形成過程で 嫉谷が形成されたのはなぜであろうカ㌔この(}t麗 旛形成蟻に,小緯がとった流雛のうち,現在の地 形からそれが霧読できるのは,現流露を含めて5 本ある(第2緩1.そしてGt羅丁が段丘1絶する際.
その療嚢が麗析を免就て広く残ったところ(現嘉 窪王寺i薩として虞岸にひろがる1,よ善1下位の新し い段丘露にはさまれて纈長く帯状に残されたとこ
ぎ警餐嘉講・難饒康蓼釜:孝蓑1紅絹食ゴ寵ノ罫漢医軒1窺域1こお謬る鉾愛糞1形絞と嫉谷の女舞果について 蕊
ろ緩三岸,東森鐘近/.さらに,完全に侵餓されて 下位の段丘藏群におきかえられたところ(小溝の 幾流鶏沿い}などと,侵蝕基準面の懸事と優鍾の 復活,そ義と歩講を合わせるように清遊の変遷と 瞬定牝が進行して行った.段丘癖分姦菰不規懸盤 が認められるの1まこのためである。
(2/海道の変遷と嫉谷の生成
ノ1・鱗が,分流していたのか, 墨水の流鶏をあち こちとスウィッチさせなカぐら溝こ一下していたの力彗ま きめ難いところであるが,少なくとも,現在の流
露をとるに至ったのは.繭記第2纒に示される5
本のコースの時期の中では最後の段階であること はたしかである。現在,新小撰篠(羅遵露骨)のか かる嫉谷部によって段蓋藁舞の選垂続が潮たれるの1ま G護野面で慧なく,それよ膨ド泣の中{立砂礫段丘 下位嚢G琶罫/鋲下の各繧である。著いかえれば,段壼藏形成時において,醸谷の存在が段丘懸彫議 の場所をある程痩駁寇することを通して段症懸彫 威に関与したのは,(}覆以下の地形面に耕してで あった。分奮範輝が局地的であるGt蔓を除いて,
Gt難数,G宅醗とも,ここの嫉谷部をひとつの重棄韓。δeう として,その、ヒ流と下流に分布しているから,小 瞬は流露をこの位置にとった後,侵蝕復慰して(遍野 を薦み始め・それと瞬時にこの地点を資06εとして・
ま1流・下流ともに(とくに、tづ窺難において著しく)穿 入麟流を発達させたのである。
こうして,それまで遷積を続けていた扇状地灘
.kに単に突識していたにすぎなかった埋め残しの 高まl/が幸不覊・灘麟の力を強めた小舞1の流れに
舞重してに才っ力縛こ侵蝕抵麦霞の大きな岩体としての交青 果をあらわすよう1こなったのである。
{麟 蕪谷上流鰹における麟流発達
小舞の谷癒こ沿っ《海成段猛毒ず窺われる寧流蟻 麺おいては,蕩逮のよう1こ小編の穿入麟流{いわ 翰る盤玉書舵鴛/が約誌麟こわたって展絶するが,そ の教科書的な段登霞配粥の様子は,小鱗が橿鳥盆 地に慮る幾ニチ坂{す遜1から下流襲彗で一変する。すな
わち.下流藻磯子塚から下灘鋤では小胸ま中位
砂礫段丘、乏二位嚢G壌土そのものを掘ぎ)下げる形で穿入を綾1ナ, 、1縫子坂一一爵実谷部鵜1こ垂乏さ睾勺2蓑殖, 輻 約尋.蘇猫の舟底型のノ卦盆地をつく鰭戯した。このノ墾 盈地の薦軽護は昆高騰騰ほどの段丘崖で.右燦鰯は 霞1流域長時に形成された構亥彗崖の湾慰した壁藏を ほぼそのまま残している。左岸綴は,背後小起伏 露地から発する麦谷群によって開析されてはいる が,Gt玉野との比高(投壺差の嵩さ)がかなを1大き いため.G綴+から小1擁の谷底絡纒碧に降摩る時 にはあたかも舟べl/をおl/る感じをもつ。
この地褻1こお善ナるG護至千薯愛{至嚢暮の連続性毒寸巻岸 において著しく,左崇で乏しいのは,段丘藤圭』で の家系発達の条件の有無によって説明さ震る。左 岸rには背後露地からの小谷群が建長撰として段猛 襲土を流下していたが,主流の侵蝕復活に婦癒し てそれらも下灘し,Gt餐手を数か所で切懸(聡嬉う
したのであ鞭,賓燐…には,もともと谷の形成条件 が(今馨でも)ほとんど存養しないためG毛嚢千の原 籍と,溝らかに湾麟した段丘崖とが残されている のである(第3薮,写真)。
纏
欝.,.毒憲ρ『岬φ14!
ヤ夢論か{〜胡
呂葦
犠
1偽
篭
一 ■
■
纂2醒 小磯6〉海道変遷と譲谷魏果による穿入麟流発達
韓〜鋤 犠亙罫形成期の滝遵 麟 嫉谷成.蕉後の穿入(生曹)蛇行帯 蟻露地.
縫流紋轡丘陵(黒甕藻が婁爽谷となっているところ)G薮,G薮至+……第i緩死舞に瞬じ。
鶉 旛島大学教糞単離灘纂3華華 簿83 玉2
艦
籍小撰矯よl/上流を望む(玉響7、§.欝)
一方,嫉谷部の一『ド流離では,磁灘壬,嚢羅のギ
{宣羅}礫段丘群1ま東にラッノ纏実1こ饑く彫で分篤し,
小購はもはや麟流発達を簿うことなく顯次不麟を 続けて行ったことがわかる。
4 醸谷4〉形銭とその鐘形的効果
一般に水流の侵蝕過程において,承流が硬岩部 に遭遇したとき,そこに嫉谷を生じて.その.歪1・
下流灘に麟流を発達させることが知られている(た とえば至難糎s(欝5蔀にくわしいスケッチが豊嘉に籔っ ている.第尋騒1。小襟の場合,すでにのべたよう 1こ, ここの2つの流紋岩丘陵グ)ちょ うど中開導こ流 露が定まった後,侵蝕復活が起こll Gt琵+が段数 でとしたのであるが.その際.一たんギ灘を始めた 小磯の流饗}は,この嫉谷藻では流紋岩丘陵の強い 饅蝕抵統にあって侵蝕崖を後退し得ず,基準露低 下量にみあった下灘を行なうのみであったらしい。
その代1),嫉谷認の上流擬2撫諺どは,Gt登丁の 砂礫繕およびその基盤をなす第三紀響(凝灰質砂 岩1ともども麟§.櫨麟こわたって講凝したグ)である。
小鱗が,痩蝕復活謁際,わざわざこの硬岩藻に 流露を継承し,たとえばその北麟1姦取,東森声y露1 や,講麟(姦跨,中罎藪ノ瀬1の.流紋箸窪綾が存 在せずいわば抵挨1の少ない場所に流1烙を移さなか ったことについては「一たん定まった流雛は,下 藻の硬岩 屡に轟ってもその構造に無縫係に下灘を 続縁溝鐸各を維i持する」、甑でいわゆる積載湾流ない し去歳谷の形成過程に醗徴する。しかしながら,
S聯8r勲鈴s磁valleyは,硬岩層に遭遇する以灘ま,
その屡の一i二を覆う軟岩籍を薦んで流れていなけれ ばならず.ここの場合,硬岩屡(.髭陵をつくる漉綾 巻/をすっぽ1}覆う軟岩楼の存在は考えられない から.教轡書的な意鎌での積載1表繊}谷では説 瞬できない。また,「堆積物で響く馨積された谷 で海鱗の下灘が起こるとき,埋積部分でなく鰯壁 の岩盤に下灘することになった現象」は谷灘穫載
(val艶y−s雄es纏薙糟。畷t妻。飛)と霧手ばれる(霧議ほか
i§8期が,流露が維種鞠の横からの鐸ll麹などに よって〉岩盤鰯に押しやら震たわけではないので.
これもここでは該当しない。
物多鐘︑乞影
第3霞小撰下流域換式羅(上流方灘を望む}
矢葎は第2図1こ縁誌.Gt王,Gt翼+,Gt欝キ,Gt蟹は第i緩嚢.擁に講じ。
き)白磁縫52、幡! 蕪東森 K鱗争坂 G鬼越露(2欝欝) S新小鱗蟻 丁高取
中繕嘉騰・駿磁康籍:饗1嘩1支流小磯㌫嚢叢紅お汁る縦転彫疲と嫉谷グ)嬉髪について 護7
鞠璽癩華葬麟轡
〆,オ醗藪照照短
掃㌦.・、 ・ 集 …磯一1 ㌦.
ノ 翫・
_識撫潔無難
第垂醒硬岩認と麟流発達(滋vl蛙蕎4,y鵜8()1
一1諺斑グ躍釜趨(その結果としての獲麟綾羅)に先一塗 って喜1在していた流離が,その隆趨速度に蕎ちか って軒麟を続酵る,いわゆる先行谷とみることは もちろん可能であるが②,先行谷と誓えるのはそ この嫉谷部のみであって,先行性流驚と言えるほ どの長さは認め難い.あえて諜えば,先行難嫉谷 部隊たは.麟である。そして,この地点の一L流綴 には,籍たに生畜蛇行が発達してGt欝ふ以下の地 多彩韓重をつく妻}慮したのである。これが小磯の発達 鑓における「嫉谷効果」とも震えるものにほかな らない。この魏果が現われたのはG樋里 露形成期 以降,G譲才段猛髭1ニG雌÷諏響≠成期〉以藩であ
る。 Gt簸 を構成する砂礫馨は懸島叢屡,畿欝乎 のそれは沖積屡からそれぞれなっている(鈴木・
嘉鐸灘97勤ので,ここに嫉谷が成立したのは菱新 轡1末〜完無量霧難の頃となる.
なお,小繰の場合と形態・規模ともよく繊たケ ースカ菅舞∫出盆地詫部,五頁鱗中流部の岩根付圭猛に
昆られる、織谷部では溺康に岩盤が露識し,その
.1づ窺獲事こは1大きく湾蓑聾した輩愛霊鑑力躍霧縫露蚕をみご とにえぐっている(第5縫,藪事書ほか欝盤,構ヶ谷 i響3)。ここでも,岩根{虜擦こ嫉谷が生まれて羅露 羨葬が今嚢みるようなはっき継した台地(至愛髭!に なったのは,下位の段丘懸や谷籔1平聾の形成難.
すなわち更新髪末〜完新盤初雛とな1),篠島盆地 小磯流域の場合と共通する。
このよう1こ,流謹各の長さ矛)ずか5〜6長欝の規模 であっても,その途中に侵蝕抵魏の大きな岩体に 当ったため嫉谷が形成され,それを契機として鍍 谷の上流{蘇こ串の広い平底型の小盆地がつくられ るという教科書的な実溺がここに串現したのであ
る。
この種の地形遜程を,筆者らは海蝕地形の一遷零
露1こ現量)才tる 葬嫉谷楽舞果盛 と舞乎む縛た覧、。 身ま登1こ観
§毅 琶蓬§§§§葦葺藝 ミ 集婆 § 轟お本ズ
警邏叢……鑛難…難
論緯灘欝潔・離瀬灘奪継妻難灘灘慧
第§麟 都濃盆:地嚢:藻岩1緩流i紋岩ζこよる麟釜魏果
K鍛童麟 艮流紋岩鳶綾 慕緩は5万分のi地形媛「舞頭頂雛二地遅醗羅穣襲年登衛
銘 篠鋳実学教糞単離論策35畢 茎§93一一玉2
察される盆地鋳このノ罫地形の毒{に あるい1ま{敷ノ墾
な地形であるが故に一ごく一般的に,たとえば
海1難争奪や保護段数,環流丘陵の彫絞などと重ん でみるこ二とのできるヨi建家のひとつと楚蓄えよう。この地点に醸谷効果が現われたグ)も,Gt玉野晦 やそ農に鱈箆される藤欝麟の段霊化によって雄i定 されるような,盆地詫半蔀で隆起の領海を示す最
近の地盤運動の綾果であることは麟らかである
(中柱・塩懇亙燧31.
注
(藁}G霞は小御報荒城で諺この嫉谷蕪からド流主簿に しか分毒せず,連続性とひろがl/の点で全竣1こ分布 する■F泣砂礫段丘(;葦羅†,G奪欝とはやや盤質を嚢に する。是轟地嚢{銭こ葺≠威さオしたものよ)しも・.
(2〉地形露語の遍羅範獺の羅題であるが,髭蕎谷は,
ある海谷の…熱が究蕎姓であるという意鐸表に理解さ 震よう。筆意らが予察したグ)もその意練での発行谷 である1豊聾レ嬬繍 舞§77)、、
5 ま と め
福島盆地詫薩藻,撰一ヒ撰右岸の一支流小磯下流 域にみられる流紋岩 丘陵毒甕谷部と,その.L流にお ける段髭形成に関する考察から以ギの結論を得た。
(藁擁・灘下流藻,摺.と端との合流点から上流約2 髭猛の地点に,中簸砂礫段丘上位嚢Gt夏野よl/韓〜
5倉醗突懲した2つの小髭陵があ移,ノ1・灘はその丘 陵の羅を深く亥1重んでノ卦規毒莫な嫉谷をつくっている。
(2/この嫉谷部よ1)、鉦流織では,事績はG毛玉r藤 を比高約2()灘の浸蝕崖をもって醗って下位段丘藤 欝Gt羅垂,Gt羅を残した。これら下位段丘藤は,
小磯がこの嫉谷を支点として上流綴で摩齢.擁瓢程度 の穿入(生欝〉蛇行を行なった結果形成されたも のであ鯵,準位段丘上位悪の中にあたかも舟底型 小盆地が彫}ラ込まれたような景観となっている。
(3/ここに嫉谷がつくられたのは,Gt琵+懸形成 鱗にいく渡:か流驚の{立直をかえていた小鱗が,た またま2つの丘陵驚を流下していた時鱗紅,福島 盆地詫半蔀一帯に起った地盤の隆起運動1こ簿う郷 武膿漢・摺上鱗の侵懇復活に対籍して 下灘を始め た結果であるが,その侵蝕復活の過程で流紋岩の 大きな抵銃に遊ってこの部分だけが嫉谷となった ものである。その時類はG薩針藏形成後,その聡 析の過程においてであ1》,ほぼ更新饗∫末〜完新巻 教瑛舞の頃と、懸われる。
(4/流雛の途麟こおける硬岩屡の存在によって嫉 谷がつくられ,その上流灘に侵蝕(あるいは堆積1 盆地が形成されるのはごく一般的な現象であるが,
そのような唾吏谷効果」が,小灘下流域において は,地形発達史の最後に近い段贈で生じたことが 明らかとなった。
小誌は,筆老らが福島地遷学会羅穣52年護年次大 会(欝77、6福島毒うにおいて発表した確答にその後 の講査・験講を粧えたものである。
交 歓
更)A癩S,琴彫、M./玉§§塁):…蓋マぞ罫Te罫r&{}es1飛 翼ew ε}曳gla糞婆
(穿齢欝畔編。麗総鍵〉響5越一58§
藩ilケ谷嚢三暴ξ(玉響73タ:萱糞難の墨雀形 東瓦老大学理f掌蔀縫
理学教室確報碧年度卒樂論文(MS)
瞬遜 糞ほか縁懸葺:地形学碁輿 二宮講購 中韓嘉男曙舞鶴敬修(露8滲:5蒼分のi地形分類毯「簸 鶴」読響窪書 趨議難
中替嘉男・塩雛英夫(辮83):磁鵜盆地院茜蔀八疑衰i搾i 流域の地形について 轟轟地理論集 2§/21垂2一襲
漉縫嘉勤・中韓嘉男{欝§8):5難分めi地形分類奪璽翻 軽輩」説瞬叢 経済企麟締
鎗本数冶・吉欝 義(i蟹2):轟轟盆地の形成史につい
て地質学譲集7285−2瓢
鷺懇豪袴・串樗嘉男礁g7警:搭上騰支流小舞不漁諜紅 おける段丘の繍翼について(演旨/ 醸廃地理論集
2毅募錘
渡透克鴛(鷺82/:粟子・半懸垂地の地形学的砥糞(演 雷〉 轟轟地理講集 2§緯28
安霧初雄纏§7麟:橿轟帯の麹然とその影戯 発議繕毒 史愚妻 §一35 蕪轟霧教糞委翼会
中総裏錫・豊醗譲鯵:擢1灘1支流小1萄ド流域における段疲彫威と嫉谷の鶴渠について 磐
E搬e Kle塗e Sc飯短。薮t穫難く玉出re V職rk銭費g a羅{die
Terrasse欝zerieg難g i蝕gs de雛U叢erね縫f Ogawa Fitisses i搬猟)rdwest壷ic難e簸Fuk縫s振盤al Becke費
Y()s娠。 NAKA醗URA 膿δ Yas雅量ro TOYODA審
韓/触U醜撫紛9識F童鰍sra鱒zwe量懸y藤蝕幽晦εL曲S書r幟騨餓碁εギ・勢5輪 麟e躍eM量ttε至麟。ttertgrr雛IGt建/e即嬢,麟0蓼農wa醸透磁e魏k至e塗εSC騰轟轟e貰硬
きをどのぎ ゆ
(2/蝕0瞭la蟹醗鰍S畿奎慮醸職e麟蜘童舞s董。憾e騰綴織e聾a甑Gt至重董÷翻Gt欝 譲e麹爵童ac簸e駐麟tr。蜘麟欝欝Gde嚢,醜鵬6erZ曲弾9δeぎ臨te垂te総総e欝紬δer 麟蜘st・z蝕e麺瞭rezε贈簸K綴stε曲ewe欝賞募簸蹴翻搬βec麹e麟er鹸ぎt励磁
(3/0gaw&{更鹸geyaδea麟鰭t酸612鰹騰騨童戯z鱈s籔r紬賜εrs瞳盤・we董董δeぜ國 蝋εe豊9鯉踊蝿灘奮V磁er麟ε簸蝕eごe登Str。雛weg簸重ers重C魔este董墓t鼓&t・
紛DlεS曲。嬢騨雛灘露撫勉灘0露量a蟹,6童eδ圭e奮螂醜玉露e賑量e懸薯麟醜M量tte董一 瞳雛盗e蹴帥ギ麟緬3t,量ste醜蜘gste詠紬e量糞蝿4er臨翻C灘撒興銀融teF戯曲勲
爵ec茎《砦簸s、
*至S3to慧}aεVolkSSC麺le,験畿鎌,醸墾錘Pr議{e鼓t雛